Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。Shoyan的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。 管理者∶No Name 七氏−1.0
その、HIRO氏の『祈り』を伊勢正三氏御本人の注釈を参考にして、自分なりの解釈をしてみた。暴挙であります(汗)。勝手妄想の試みをご容赦下さい。本題からズレていてもお許しください。自分はこんな風に考えた、というひとつの記録であります。
(元の歌詞は載せていません)
・・・
知性を身に纏い
(元の歌詞は載せていません)
・・・
知性を身に纏い
必要とされている場所に赴け
守られていることを自覚しない
周りの見えていない奴らから
神聖な加護の印を取り戻せ
いくら鎮めようとしても
火照って眠れない
周りの見えていない奴らから
神聖な加護の印を取り戻せ
いくら鎮めようとしても
火照って眠れない
常に傍らで熱情がつきまとう
愚か者のように振る舞ってもいい
それが計画的なものであれば・・・
永久というものは
永久というものは
あとからあとから流れてくる川のように
同じ顔無く続いているもの
確実など無い中で
祈ることに祝福がありますように
二艘の舟は動き出した
二艘の舟は動き出した
それは
旅立ちの交通手段か
死んだ我が納まる棺か
私を蔑ろにした
私を蔑ろにした
あれ程憎らしいと思った奴も
年月経れば老いて滅ぶ
その眼はもう何を見ることも出来ない
哀れなもんだ
「けれど、あなたに逢える夜には
「けれど、あなたに逢える夜には
時間の流れが惜しくて
一番遅い手段で逢いに来てしまいました」
「あんな奴のために、いたずらに無謀な夢を見たことは内緒にしておこう」
「あんな奴のために、いたずらに無謀な夢を見たことは内緒にしておこう」
眠りにつく時
どんな夢を見るか
あらかじめ知ることは出来ない
ただ、これからの現実は
自ら取捨選択できるのだ
流されるままに形成されてきた自分を
流されるままに形成されてきた自分を
今やっと意識的に葬る
人は誰でも手間をかけたくないものだ
何もせず冗長として先延ばしにする
そんなことを続けていると
周りの状況は己と乖離して
置いてけぼりを食らうでしょう
自己中心的なくせに
“自暴自棄”な事柄が
“やけ”に増えて
今の世が終わるのだ
・・・
それでも祈ろう
自己中心的なくせに
“自暴自棄”な事柄が
“やけ”に増えて
今の世が終わるのだ
・・・
それでも祈ろう
願いは自分のためなれど
祈りは誰かのためにするもの・・・
※最後の三行は自分で行間を読んで付け足したものです。
七氏 @2024年11月
※最後の三行は自分で行間を読んで付け足したものです。
七氏 @2024年11月
今になって何故かHIRO氏の『祈り』が自分の中から押し上がってきました。
刺さる・の逆で、自分の中から錐の先が飛び出してきたような新しい感覚の一体感であります。思ったことを断片で載せてみます。
・・・
この歌、Shoyan感性の白色矮星というか、ブラックホールよりも恐ろしい、近寄ったものは瞬時に焦げて蒸発してしまうほどの億次元な世界なので、本当は触れたくないのです、怖すぎるんです(諦)。でも、何故か最近近寄ってくるのです。
だって、語れる訳ないではないですかこんな弥勒な世界の異次元の技を・・・(憧)。
ただ「あいうえお」を組み合わせていろは歌をつくるならまだしも、その語頭と語尾を縦読みにしてひとつのフレーズにして意味を繋げる、それを更に3回繰り返す、美しい言葉・無駄のない言葉・由緒正しい時間を背景に持つ言葉、そしてそこに深いメッセージが籠めてあるという。こんな仕業は言葉の神様に宇宙の果て量ぐらい愛されたものにしか出来ないことじゃないですか。この地球上にそんな人、Shoyanの他にいないです。ノーベル文学賞とか吹っ飛ぶレベルの紡ぎ物だと思うのです。
そんな作品を凡人の私が語れるわけはないのです。なんとか気を振り絞って読み進めたって、一回で氷の動悸が襲ってきてハンマーでぶん殴られたようなめり込み感です。
(これ、褒めていると想って下さい^^;)
なのでずっと、HIROさんが良い声で歌う有り難い経典かゴスペルか何かだと思うようにして聴いてきました。真顔ならぬ真耳で聴くと気が狂うのではないかというほどに・・・
ただ、時代が進みました。
刺さる・の逆で、自分の中から錐の先が飛び出してきたような新しい感覚の一体感であります。思ったことを断片で載せてみます。
・・・
この歌、Shoyan感性の白色矮星というか、ブラックホールよりも恐ろしい、近寄ったものは瞬時に焦げて蒸発してしまうほどの億次元な世界なので、本当は触れたくないのです、怖すぎるんです(諦)。でも、何故か最近近寄ってくるのです。
だって、語れる訳ないではないですかこんな弥勒な世界の異次元の技を・・・(憧)。
ただ「あいうえお」を組み合わせていろは歌をつくるならまだしも、その語頭と語尾を縦読みにしてひとつのフレーズにして意味を繋げる、それを更に3回繰り返す、美しい言葉・無駄のない言葉・由緒正しい時間を背景に持つ言葉、そしてそこに深いメッセージが籠めてあるという。こんな仕業は言葉の神様に宇宙の果て量ぐらい愛されたものにしか出来ないことじゃないですか。この地球上にそんな人、Shoyanの他にいないです。ノーベル文学賞とか吹っ飛ぶレベルの紡ぎ物だと思うのです。
そんな作品を凡人の私が語れるわけはないのです。なんとか気を振り絞って読み進めたって、一回で氷の動悸が襲ってきてハンマーでぶん殴られたようなめり込み感です。
(これ、褒めていると想って下さい^^;)
なのでずっと、HIROさんが良い声で歌う有り難い経典かゴスペルか何かだと思うようにして聴いてきました。真顔ならぬ真耳で聴くと気が狂うのではないかというほどに・・・
ただ、時代が進みました。
この歌が世に出てから五年経ち、この歌に自分は近づけている気がしています。
ここ数年で起きた疫病禍や、それによって戯れ名を全うして亡くなった有縁の街の達人や、パニックの幕開けのような豪華な御船の孤立事案、本当に許せぬ奴が思いがけぬ理由で滅んだり、ちょうど始まった大河ドラマでは背守をつける者共の話だったり、たった数万円のために自分の人生を棒に振る荒んだ者たち、、、私にとっては予言の書のように聴こえました。
寒気もしたけれど、胸に抱きたいほど近しいものにも思えたのです。
ここ数年で起きた疫病禍や、それによって戯れ名を全うして亡くなった有縁の街の達人や、パニックの幕開けのような豪華な御船の孤立事案、本当に許せぬ奴が思いがけぬ理由で滅んだり、ちょうど始まった大河ドラマでは背守をつける者共の話だったり、たった数万円のために自分の人生を棒に振る荒んだ者たち、、、私にとっては予言の書のように聴こえました。
寒気もしたけれど、胸に抱きたいほど近しいものにも思えたのです。
世に「必然」というまやかしの言葉がありますが、作者Shoyanの中で、この歌は「自然」=「おのずから然り」だったのではないでしょうか。そこが凄いなぁって、何年も聴き進めてきて改めて今思っています。
・・・
船と二艘の舟。
・・・
船と二艘の舟。
「ね」と「ふ」は二回とも『ふね』でした。
♪胸の片隅にそっと繋いでる〜風を待つ舟
♪胸の片隅にそっと繋いでる〜風を待つ舟
♪それが僕らだけの箱舟でもいい
♪青春の難破船〜男なら漕ぎ出す
と、Shoyanにとって『舟』は余程の重要なアイテムなのだろうか。なんとなく、ご自身の自意識・自覚が水の上に在る舟のような感触なのでは?と、勝手に生意気に想像しています。
・・・
二篇目の♪永久は無間川〜
パッと聴きは辛そうなのだ。
と、Shoyanにとって『舟』は余程の重要なアイテムなのだろうか。なんとなく、ご自身の自意識・自覚が水の上に在る舟のような感触なのでは?と、勝手に生意気に想像しています。
・・・
二篇目の♪永久は無間川〜
パッと聴きは辛そうなのだ。
絶望かと思う無間の真暗闇を感じるのだけれど、Shoyan御本人の注釈を読むと愛の世界らしいのだ。ビックリなのだ。二艘の御舟がアナタとワタシなのならば、無間苦の流れの上で”板子一枚下は地獄”という危ういラフティングだとしても、焦げる寸前のカラメルのように、聴こえている音はハードなのに実際口に入れて味わったら甘いという・・・隠された愛の舫い綱がたまらない二篇目です。
でもここで「許せぬ奴」「滅び」など、暗い言葉が出てくる。
続くクライマックスの三篇目も「我を殺す」「世の終わらむ」「荒んで」などと物騒なフレーズが出てくる。この全編無意識の作為の結果がこの暗い言葉たちなのが興味深い。Shoyanのその自覚の覚悟を見切った、その時のお心の内が強く発露したのかなと、非常にストレートに闇を感じることが出来るのです。
ラスト、 注釈では
「はたと 楚歌 焦りて」
は
「周りからの孤立無援を覚えながら」
とされている。
楚歌の意味は全くそのとおりだと思うのですが、私はここで傍らの虞美人の役割を考えたい。
ガチの戦ならば、城が落ちれば主には死しかないが、孤独と孤立は違う。我を殺す=迎合ではなく、新しい自分の確立なのだと思いたい。
四面から聴こえる楚歌(アイデンティティ・過去)は捨てるべき価値観かもしれない。身ぐるみ剥がされてみっともない身一つに成り下がっても、自分が一番愛したもの(虞美人)ひとつ傍らにあれば、我を殺すど真ん中に死地を開くことも出来るのではないか・・・と思うのだ。
「虞や虞や、汝を如何にせむ・・・」
でもここで「許せぬ奴」「滅び」など、暗い言葉が出てくる。
続くクライマックスの三篇目も「我を殺す」「世の終わらむ」「荒んで」などと物騒なフレーズが出てくる。この全編無意識の作為の結果がこの暗い言葉たちなのが興味深い。Shoyanのその自覚の覚悟を見切った、その時のお心の内が強く発露したのかなと、非常にストレートに闇を感じることが出来るのです。
ラスト、 注釈では
「はたと 楚歌 焦りて」
は
「周りからの孤立無援を覚えながら」
とされている。
楚歌の意味は全くそのとおりだと思うのですが、私はここで傍らの虞美人の役割を考えたい。
ガチの戦ならば、城が落ちれば主には死しかないが、孤独と孤立は違う。我を殺す=迎合ではなく、新しい自分の確立なのだと思いたい。
四面から聴こえる楚歌(アイデンティティ・過去)は捨てるべき価値観かもしれない。身ぐるみ剥がされてみっともない身一つに成り下がっても、自分が一番愛したもの(虞美人)ひとつ傍らにあれば、我を殺すど真ん中に死地を開くことも出来るのではないか・・・と思うのだ。
「虞や虞や、汝を如何にせむ・・・」
とは、自分の本心を活かすのか殺すのか・という問いなのではと想うのだ。
そんな正反対なことはこの節には書いてないが、波を立てても添い進む二艘の御舟を私はそこに持ってきて考えてみたい。
自分の道って辛い。
そんな正反対なことはこの節には書いてないが、波を立てても添い進む二艘の御舟を私はそこに持ってきて考えてみたい。
自分の道って辛い。
何気なく過ごしてきた日々が急に終わろうとしている。抗えない流れ、どうしようもなさに無力で叩きのめされ、自分の心もやけに荒んでいる。その中で生きるのか、 殺すのか、殺されるのか・・・
『祈り』ってなんだろう。
『祈り』ってなんだろう。
その心の荒みを払って希釈するための手段かな。
『呪い』は貧しい者たちの唯一の最終兵器なのだそうだ。
『呪い』は貧しい者たちの唯一の最終兵器なのだそうだ。
『祈り』は身体どころか、心ひとつあれば誰にでも生み出せる最初の光、なのかもしれない。
宵闇・真暗・夢・逢う夜
宵闇・真暗・夢・逢う夜
そこに灯す想いの集約。
セントエルモの火のように、苦しみと希望の分子がぶつかり合って心が具現化して光ればいいなと思う。そんな小さな光でも誰かのためになるかもしれないと信じて祈ろう。
この、全編重々しい、一見陰鬱にも傾きそうな歌だけれど、一番底には”希望”が忍ばせてあると信じつつ、伊勢正三氏が現す大きな闇の暖かさに抱かれる想いで聴いているのです。
☆2020/04/08 (Wed)『騅不逝』
この、全編重々しい、一見陰鬱にも傾きそうな歌だけれど、一番底には”希望”が忍ばせてあると信じつつ、伊勢正三氏が現す大きな闇の暖かさに抱かれる想いで聴いているのです。
☆2020/04/08 (Wed)『騅不逝』
4年半前に書いた時は怯えていて散らかったことしか書けなかった。今はもう少しだけ書けた。また数年経ったら何か想えるのかもしれない。その時が楽しみでもあり、恐くもあり・・・
・・・
この歌ができた時、
・・・
この歌ができた時、
Shoyanはものすごいガッツポーズをされたのではないだろうか。
こんな詩が書けたら後は何も要らなくなってしまうのではないかと思うほど。
だけれども、きっとShoyanは途方もなく貪欲な方だと思うので、きっとこれで終わらない。
逆にそんな人だからこの歌が降ってきたはずだと私は思っているのです。火に油ではなく、熱した油に水を注ぐような、そんな異端の勢いをShoyanは得られたのではないかと感じているのです。
だから、此処から先もっと凄いのが控えているはず。
逆にそんな人だからこの歌が降ってきたはずだと私は思っているのです。火に油ではなく、熱した油に水を注ぐような、そんな異端の勢いをShoyanは得られたのではないかと感じているのです。
だから、此処から先もっと凄いのが控えているはず。
たとえまだかけらも見えなくても、すでに何処かに存在し始めているのではないかと感じている次第です。
と、近年中最高レベルの支離滅裂乱暴な長文でした。
と、近年中最高レベルの支離滅裂乱暴な長文でした。
どうぞ、どうぞご容赦いただければと思います。
(平身低頭)
※少し言葉は足りないのですが、載せられる分だけ載せておきます。
・・・
ここ数年、個人的にはライブではずっと重々しいイメージに聴こえていた『涙憶』だけれど、この夏の空前の『THE伊勢正三4枚目gold』ブームで初心に戻った感がある。
4枚目に収録されている音源はおそらく映像化された『伊勢正三One heart1 session』のエンディングで使用されていた音源だと思う。あのコンサートには自分も行っていた。ゆえにとても想い出深い音源だ。
この渋谷公会堂の『涙憶』は本当に何度も繰り返して聴いた。アルバムに収録されているオリジナルの涙憶もシンプルですが、もっとシンプルな、Shoyanひとりでガットギターを爪弾いて歌っているスタイルが歌の”胸の中”そのものな気がして、曲を内側から見ることが出来るくらい近く感じた。
そんな、懐かしい憧れとともに、素直に切なくなって涙こぼれる気持ちがこの夏蘇ってきた。
しかも丸山氏との共演で更なる”今”のもどかしさ・問いかけが付加されて、『涙憶』のもっと深いところまで感じることが出来ていると、今思っている。
・・・
「その言葉・この言葉」とは、「ごめんね」なのかなとずっと想って来たけれど、どうしてこんなに頑なに双方”そう”言わないのだろう。
意地っ張りの度を超えている。
「君を傷つけた僕だけが君を癒せる」
ということは、、、この断絶の直前には彼の一方的なエゴが炸裂したのだろう。けれどケンカは両成敗・・・その彼のエゴを引き出してしまったのは、これまた彼女の無意識のエゴなのかもしれず、堂々巡りの原因のエゴの釣り針なのだ。
「そう君が言えば僕も変われる」
・・・
ここ数年、個人的にはライブではずっと重々しいイメージに聴こえていた『涙憶』だけれど、この夏の空前の『THE伊勢正三4枚目gold』ブームで初心に戻った感がある。
4枚目に収録されている音源はおそらく映像化された『伊勢正三One heart1 session』のエンディングで使用されていた音源だと思う。あのコンサートには自分も行っていた。ゆえにとても想い出深い音源だ。
この渋谷公会堂の『涙憶』は本当に何度も繰り返して聴いた。アルバムに収録されているオリジナルの涙憶もシンプルですが、もっとシンプルな、Shoyanひとりでガットギターを爪弾いて歌っているスタイルが歌の”胸の中”そのものな気がして、曲を内側から見ることが出来るくらい近く感じた。
そんな、懐かしい憧れとともに、素直に切なくなって涙こぼれる気持ちがこの夏蘇ってきた。
しかも丸山氏との共演で更なる”今”のもどかしさ・問いかけが付加されて、『涙憶』のもっと深いところまで感じることが出来ていると、今思っている。
・・・
「その言葉・この言葉」とは、「ごめんね」なのかなとずっと想って来たけれど、どうしてこんなに頑なに双方”そう”言わないのだろう。
意地っ張りの度を超えている。
「君を傷つけた僕だけが君を癒せる」
ということは、、、この断絶の直前には彼の一方的なエゴが炸裂したのだろう。けれどケンカは両成敗・・・その彼のエゴを引き出してしまったのは、これまた彼女の無意識のエゴなのかもしれず、堂々巡りの原因のエゴの釣り針なのだ。
「そう君が言えば僕も変われる」
=
「あっちが謝るのが先よ」
という不変の不毛。
という不変の不毛。
でも、これは互いが向き合ってるからこその干渉なのだよね。
その不毛、その煩わしさ、それがそのまま平行線ならふたりの未来は成就しないし、何年一緒にいようがそう思ってしまった瞬間にふたりは別物になる。
”胸に閉じ込める”とは、胸という檻があるということ。人は自分の心の中は他とは違うものだと思っている。そして他人の心にも入れないと思っている。
けれど、
僕の胸に抱きしめることと
その不毛、その煩わしさ、それがそのまま平行線ならふたりの未来は成就しないし、何年一緒にいようがそう思ってしまった瞬間にふたりは別物になる。
”胸に閉じ込める”とは、胸という檻があるということ。人は自分の心の中は他とは違うものだと思っている。そして他人の心にも入れないと思っている。
けれど、
僕の胸に抱きしめることと
君の胸に埋もれることは
同じことなのだ
「何故君と出会う その訳を
「何故君と出会う その訳を
偶然のかけら拾うわけを」
その”理由”とはなんだろうか?
その”理由”とはなんだろうか?
運命みたいなものだろうか。
では必然とはなんだろうか?
人は自分の目の前に現れたものと対峙するしかないのだ。
人は自分の目の前に現れたものと対峙するしかないのだ。
それが此の世に生まれてしまったということだ。
そして人生は短くて、けんか断絶している暇などないと気づけば、何時間もかからずに目の前のもう一人の自分と微笑みあうことが出来るのではないだろうか。
「愛は時に煩わしさのためにある」だなんて超〜リアルな見解は、煩わしさとはマイナス要因ではなく摩擦熱の一種なのだと知っている作者Shoyanの先達目線なのかと感じられたりして面白くも思う。
愛に役割なんてない。
言葉に囚われずに
そして人生は短くて、けんか断絶している暇などないと気づけば、何時間もかからずに目の前のもう一人の自分と微笑みあうことが出来るのではないだろうか。
「愛は時に煩わしさのためにある」だなんて超〜リアルな見解は、煩わしさとはマイナス要因ではなく摩擦熱の一種なのだと知っている作者Shoyanの先達目線なのかと感じられたりして面白くも思う。
愛に役割なんてない。
言葉に囚われずに
涙で心の檻の鍵を開けて
涙で自分と相手を貼り合わせて
涙で本当の気持ちを洗い出す・・・
「涙の記憶」とはなんだろう?と
「涙の記憶」とはなんだろう?と
今でも私には答えはわからないけれど
涙には心のロックを外すPasswordが記憶されているような気がしている。
だから、どんなに辛い涙でも
だから、どんなに辛い涙でも
目を背けずにその中をよく覗き込もう
涙の根本理由に気付けたら
きっと次の扉が開くから・・・
・・・
”偶然のかけら”に翻弄され続けてきた自分でも、流す涙に記憶されてきた何十年かを今愛おしく思える。その涙が塩辛い一粒の結晶になるくらい、Shoyanの歌は永く聴けば聴くほど濃くなって私の胸の中に降り積もっていく。
心と心の一体化を考え始めるキッカケになった歌『涙憶』。今また改めて大好きです(涙)。新しい気持ちで聴けるこれからの時間をしあわせに想います。
※『涙憶』のことを書いていて人生を語るとは思わぬ展開だった。それだけ永い時間聴き続けてこれたということかな。
※※『One heart1session』のエンディングは擦り切れるほど再生して、一生懸命耳コピしようとギターと格闘した。小指が攣りそうでした(*´∀`*)。
※※※
・・・
”偶然のかけら”に翻弄され続けてきた自分でも、流す涙に記憶されてきた何十年かを今愛おしく思える。その涙が塩辛い一粒の結晶になるくらい、Shoyanの歌は永く聴けば聴くほど濃くなって私の胸の中に降り積もっていく。
心と心の一体化を考え始めるキッカケになった歌『涙憶』。今また改めて大好きです(涙)。新しい気持ちで聴けるこれからの時間をしあわせに想います。
※『涙憶』のことを書いていて人生を語るとは思わぬ展開だった。それだけ永い時間聴き続けてこれたということかな。
※※『One heart1session』のエンディングは擦り切れるほど再生して、一生懸命耳コピしようとギターと格闘した。小指が攣りそうでした(*´∀`*)。
※※※
オリジナル音源ではあのラストの氷柱の雫のような鍵盤の音も堪らないのです。(私は個人的にShoyanご自身の演奏なのでは?と密かに思っていたのですが、Key:エルトン永田氏とクレジットがありますから、エルトン氏かもしれません)ともかくも素敵な合奏であります(涙)。
またもや通勤の車中で聴くシリーズなのですが、私が乗っているのは古い中古の軽自動車なので、未だにCDプレーヤーで自分で編集して焼いたものを多く持ち込んで聴いておるのです。
時々、占いの気分でホルダーから無選別に抜いてプレーヤーに差し込み、ランダムプレイにしてみると思いがけない曲がかかったりして面白いのです。
数日前、大切な友人がくれた提供曲シリーズをかけました。(最近良く聴くのです)江原由希子の『心のままに』という曲がかかったのですが、これがむちゃむちゃ今の時期、帰りの夕暮れ渋滞車中にハマりまして、年甲斐もなくキュンとしてしまいました(泣)。もう何十年レベルで聴いてきた曲ですが、突然泣けてくるあの現象です。(どの現象^^;)
この歌、どことなく『ほんの短い夏』のパラレルなのだ。目線は女の子側からなのだけれど、言わんとしていることがどこか重なっている。
あと、キュンとする原因は詞だけではない、最近よく想うのです。本当にShoyanの歌の色はメロディーの可視化なんだなって。私は音楽は語れないので、感覚でしか触れられないのだけれど、Shoyanの歌のメロディーは、歌詞と同じように豊かな彩りと類稀なフィット感があると毎度痛感しておるのです。言葉とメロディーはまったく一切違和感がなく一体化しているでしょう、しかもそれが全曲!です。
「♪ah~」と感嘆符なのかと思ったら
♪秋の風の「あ」。
時々、占いの気分でホルダーから無選別に抜いてプレーヤーに差し込み、ランダムプレイにしてみると思いがけない曲がかかったりして面白いのです。
数日前、大切な友人がくれた提供曲シリーズをかけました。(最近良く聴くのです)江原由希子の『心のままに』という曲がかかったのですが、これがむちゃむちゃ今の時期、帰りの夕暮れ渋滞車中にハマりまして、年甲斐もなくキュンとしてしまいました(泣)。もう何十年レベルで聴いてきた曲ですが、突然泣けてくるあの現象です。(どの現象^^;)
この歌、どことなく『ほんの短い夏』のパラレルなのだ。目線は女の子側からなのだけれど、言わんとしていることがどこか重なっている。
あと、キュンとする原因は詞だけではない、最近よく想うのです。本当にShoyanの歌の色はメロディーの可視化なんだなって。私は音楽は語れないので、感覚でしか触れられないのだけれど、Shoyanの歌のメロディーは、歌詞と同じように豊かな彩りと類稀なフィット感があると毎度痛感しておるのです。言葉とメロディーはまったく一切違和感がなく一体化しているでしょう、しかもそれが全曲!です。
「♪ah~」と感嘆符なのかと思ったら
♪秋の風の「あ」。
しかも歌い手の発声にマッチしたチョイス。
そしてこのセンチメンタルな頬に触れるような、細やかに上下する筆運びの音程。
Shoyan・伊勢正三の曲はよく詩の方を先に語られることが多いかもしれませんが、本当にメロディの天然感が素晴らしいから歌としての完成度が高いのだということを常に意識して聴きたいと思っています。
一度も泳がずに過ぎた夏、さえぎる電車のドアや映画館の暗がり、待ち合わせた夕暮れ、おやすみさえ言わずに、、、と、これは紛れもなくShoyanのタックルケース。材料は揃っている。けどでも、少し切り貼り感が馴染んでいないようで、彼女や彼の本心・素の欲求。現状がちょっとわかりづらいような気もする。押し寄せるような昂りは薄い(今はそれがキュンとするのですが)、この曲を作った頃の”Shoyanの動機”が未遂だったことが反映されているのか?
♪学生だったから
Shoyan・伊勢正三の曲はよく詩の方を先に語られることが多いかもしれませんが、本当にメロディの天然感が素晴らしいから歌としての完成度が高いのだということを常に意識して聴きたいと思っています。
一度も泳がずに過ぎた夏、さえぎる電車のドアや映画館の暗がり、待ち合わせた夕暮れ、おやすみさえ言わずに、、、と、これは紛れもなくShoyanのタックルケース。材料は揃っている。けどでも、少し切り貼り感が馴染んでいないようで、彼女や彼の本心・素の欲求。現状がちょっとわかりづらいような気もする。押し寄せるような昂りは薄い(今はそれがキュンとするのですが)、この曲を作った頃の”Shoyanの動機”が未遂だったことが反映されているのか?
♪学生だったから
いつでも電話すると
あなたは迎えに来たわ
学生という期間、始まりの頃と終わる頃では人は随分変化する。大学生なら未成年から成年に、自分で収入を得たり、お酒が飲めるようになったり、、、人との付き合いも変化する。
彼女だけが学生だったのか、ふたりともだったのかはワカラナイ。”友達”の範疇でよかった頃が”学生時代”という庇護の中。これからは自覚しながら構築しなきゃいけないオトナ時代の始まりなのかな。
けれど、時は経っていく、それに沿って伴えないふたりの距離が、離れ始めているのか、懸念だけなのか、いややっぱりうっすら剥がれ始めているのが切ないのだ。
上映時間に少し遅れて映画館の席に駆け込んだら、彼の方は「すこしおこった顔して」なんて、まるで30年来の夫婦の旦那みたいじゃん!? こんなタイプの彼、きっと「ずっとそばにいて」って伝えたくても「そんなこと言わなくてもわかるだろ」ってそっけない愛情リアクションしそうだ。それが美学って思ってるかもしれない。
でもさ~、女子は言葉にして欲しいし、確かめたいと思うと思うのです。だって、女性にとってのパートナー選びって命に繋がることだと思うんです。肉体も精神も過去も未来もすべてわが身の中に起こっていくことだから、本能的に”確実”を求めたって、、それは罪ではないと思うのです。
でも、それが「心」の性別違いで許されないなら、それは非常にかなしいことであります・・・。
※ しかしこれが何十年もの時を経て年を重ねたりすると、性別とか立場や距離さえ超えた愛や絆、もしくはそれ以上の何か・が発生するのだとも思うのですが、 そこに至る話は永くなるのでまた別の機会に♪
付き合い始めた頃の初心にもう戻れない・って、その頃と違う、無心になれない彼女と彼の無自覚な探り合いがもどかしい・・・
無心=心のままに行動したら子供っぽいのかな?大人げないのかな?
どことなく、作者であるShoyanご自身も決めかねたまま、心もとなさのまま歌になった一曲な気がしている。
本当に、晩夏と初秋の合間の・・・名前のつけられない季節のような気持ちになる歌。激情とは真逆の、ほんのりとした若い切なさがたまりません。
・・・
元がレコード音源だからか、どこか滲んだようで暖かな耳さわりの曲。秋風冷たい複雑なさみし切ないキモチなのに、アップルパイみたいに可愛い。Shoyanがふるまってくれる定番のマチガイない一皿と思います。
こうした歌が沢山たくさんできて、何度も何度も研がれて濾されて晒されて焼き締められたりして『ほんの短い夏』のような究極曲が実るのかなと想うとロマンなのです。
そんな過程的な歌?には素を感じられることも多い。
私が惹かれるのはそういうところです♪
もうね、キリがないんですよ〜(*´∀`)。
そんなことばかり考えている仕事の行き帰りです。
☆電車のドアや地下鉄や、と想っていたら、昨年の『雨のTAXI』のカップリング『地下鉄ーメトロー』という曲の存在も気になる。どこかにあるのかな・・・いつか聴けたらよいですね。
☆☆あ、この曲もアレンジが佐藤準氏でした。どんだけ~(*´ω`*) 。ちなみに、江原由希子さん=YOUさんです。
・・・
※ここで感想を書く曲の中には大切な友人から提供された音源も時々あります。それは心通わせた友人との個人的なやり取りの範疇ということで(汗)、引用をどうかお許しいただけたらと思います。のべつまくなしにYouTubeに音源アップして小遣いを稼いだりしているワケではないので(^^;)どうかお許し下さい。
学生という期間、始まりの頃と終わる頃では人は随分変化する。大学生なら未成年から成年に、自分で収入を得たり、お酒が飲めるようになったり、、、人との付き合いも変化する。
彼女だけが学生だったのか、ふたりともだったのかはワカラナイ。”友達”の範疇でよかった頃が”学生時代”という庇護の中。これからは自覚しながら構築しなきゃいけないオトナ時代の始まりなのかな。
けれど、時は経っていく、それに沿って伴えないふたりの距離が、離れ始めているのか、懸念だけなのか、いややっぱりうっすら剥がれ始めているのが切ないのだ。
上映時間に少し遅れて映画館の席に駆け込んだら、彼の方は「すこしおこった顔して」なんて、まるで30年来の夫婦の旦那みたいじゃん!? こんなタイプの彼、きっと「ずっとそばにいて」って伝えたくても「そんなこと言わなくてもわかるだろ」ってそっけない愛情リアクションしそうだ。それが美学って思ってるかもしれない。
でもさ~、女子は言葉にして欲しいし、確かめたいと思うと思うのです。だって、女性にとってのパートナー選びって命に繋がることだと思うんです。肉体も精神も過去も未来もすべてわが身の中に起こっていくことだから、本能的に”確実”を求めたって、、それは罪ではないと思うのです。
でも、それが「心」の性別違いで許されないなら、それは非常にかなしいことであります・・・。
※ しかしこれが何十年もの時を経て年を重ねたりすると、性別とか立場や距離さえ超えた愛や絆、もしくはそれ以上の何か・が発生するのだとも思うのですが、 そこに至る話は永くなるのでまた別の機会に♪
付き合い始めた頃の初心にもう戻れない・って、その頃と違う、無心になれない彼女と彼の無自覚な探り合いがもどかしい・・・
無心=心のままに行動したら子供っぽいのかな?大人げないのかな?
どことなく、作者であるShoyanご自身も決めかねたまま、心もとなさのまま歌になった一曲な気がしている。
本当に、晩夏と初秋の合間の・・・名前のつけられない季節のような気持ちになる歌。激情とは真逆の、ほんのりとした若い切なさがたまりません。
・・・
元がレコード音源だからか、どこか滲んだようで暖かな耳さわりの曲。秋風冷たい複雑なさみし切ないキモチなのに、アップルパイみたいに可愛い。Shoyanがふるまってくれる定番のマチガイない一皿と思います。
こうした歌が沢山たくさんできて、何度も何度も研がれて濾されて晒されて焼き締められたりして『ほんの短い夏』のような究極曲が実るのかなと想うとロマンなのです。
そんな過程的な歌?には素を感じられることも多い。
私が惹かれるのはそういうところです♪
もうね、キリがないんですよ〜(*´∀`)。
そんなことばかり考えている仕事の行き帰りです。
☆電車のドアや地下鉄や、と想っていたら、昨年の『雨のTAXI』のカップリング『地下鉄ーメトロー』という曲の存在も気になる。どこかにあるのかな・・・いつか聴けたらよいですね。
☆☆あ、この曲もアレンジが佐藤準氏でした。どんだけ~(*´ω`*) 。ちなみに、江原由希子さん=YOUさんです。
・・・
※ここで感想を書く曲の中には大切な友人から提供された音源も時々あります。それは心通わせた友人との個人的なやり取りの範疇ということで(汗)、引用をどうかお許しいただけたらと思います。のべつまくなしにYouTubeに音源アップして小遣いを稼いだりしているワケではないので(^^;)どうかお許し下さい。
※最近空の写真多いですがお許しを^^;
コロナ規制明け一発目の軽井沢で、一曲目がこの歌だった時、とても嬉しかった。一人のあいつが死んだ切なくて悲しい歌なのに、そこには無常という平和があるような気がして、とても好ましい気持ちになったことを覚えている。
人から借りたレコードのかぐや姫の『妹』B面だった。ゆえにこれが初めて聴いたShoyanの歌声だったように思う。14歳の私には詞の内容・メロディよりも「声」が第一だった。この歌のShoyanの声が大好きになったから、私は伊勢正三の歌を聴くようになったのだと思う。その気持ちは今でも変わらない、地球上いや宇宙で一番好きな声はShoyanの声です。
そして、深い詞の世界に心奪われた。
特別な言い回しや装飾がなく、平凡な善人の日々の暮らしそのものなのに、その中に折り紙の折り目のように二度と消えない痛みがうっすら隠れているという、淡い切なさと、、新しい命の誕生という力強い時の流れの流心も同時にそこにはあるんだよ、という人生の交錯を感じたのだ。
人が一人死んだら
人が一人生まれる
とは、世の中には本当は偏りはなくて、愚痴は悼みでもあり、嫌いは可愛い・不成就は救いだったのかもしれず(でもやっぱり可哀そうな妹(涙))、、、あいつが山に還っていった日は、この暑い盛りと真逆の冬山だったのかもしれない。そんな風に、何気ない日々も本当は裏表二色で折り重ねられていく積み重ねなのだなと、人生を俯瞰で見られるキッカケの歌だった。その同じ日は二度と還らないという無常を、幼いながらに感じられたことは自分をひとつ大人にしてくれた歌でもあった。
こういう歌を素直に、スッとてらいもなくカタチにした当時のShoyanの感性の太さを今でも凄いなって思う。こういう(家族の)歌ってどうしても”狙った感”が出がちな気がするけれど(某シンガーの大ヒット提供曲とか 汗)、このイヤらしさの微塵もないイノセントなShoyanの詞の世界は、家族愛を超えて人間愛や生命愛を示してくれるわけで、そこが他のアーティストの仕事とは数歩抜きんでて高いのだ。長いことアルバムに収録はされていなかったけど、この歌を好きな人は実はかなり多いと思う。私もきっとずっと好きです。
・・・
山に還っていった彼がここに残した時間・関わった日々のことは、これもまた出来上がった折り紙のように、この家族みんなの心の片隅に置かれているのだろうと思う。
これからの日々それは変わりなく、その窓の向こうで庭の木々が芽吹いたり葉が落ちたりして季節が移ろってゆく、この頃とあの頃の距離を測りながら・・・
もうお盆休み~盆の入りですね。
トンボや蝶々の背に懐かしい人の面影を視るかもしれません。
暑くても少し遠くを眺めてみようと思います。
追記:
全然関係ない話題で恐縮なのですが、少し追記を。
先日全国ニュース(世界でも)で報じられた、とある日本の登山家お二人の滑落~安否不明事故がありましたが・・・
実はそのお二人が関わった番組や映像作品が私と家人はとても好きで(もちろん一視聴者として)、そのうちのH氏は地元のスポーツ用品店などによく来訪されてトークショーなどなさっていたので、何度かお話させていただいたことがありました。イベント後は一組づつ対面でテーブルに座り長い時間丁寧にトークされて、私たちが鉱物観察のために山に入ると言ったら「僕らがよく行く”カラコルム”って”黒い石”って意味なんですよ!」なんて話を合わせてくれる優しい方でした。前回会ったことや話したことを覚えていてくれて、今遺跡発掘で身体を使う仕事をしてますと言ったらグッズにサインと一緒に「ガンバ!」って書いて励ましてくれました。この3月のことでした。
SNSのご様子から、K2未踏ルートのチャレンジは無理しないでお帰りになるとばかり思っていました。なのに、、、もうお会いできないなんて、ショックすぎてここのところ心のどこかはポッカリと穴が開いています。命まで懸けてはいないですっておっしゃっていたのに・・・
だから、今年は、、、いえ、これからはこの大好きな歌を聴くときは、やはりどこかでちょっとだけ胸が痛くなることでしょう。
山に行って、そのまま山にいるなんて、、、そこで時を止めたお二人のことを、小さく生きている私の中で想っていくのは不思議なことだと想いながら、私はこれからもガンバるのです。
毎日車で通勤する途中に、とても古い八幡さまがある。
こじんまりとしているけれど、戦国時代からある由緒ある場所だ。毎日前を通るたびにチラっと横目で石の鳥居の奥を眺めて想いを馳せる。
狭い住宅街の中、何故かそこだけ道が広くて時空が違う不思議な場所なのだ。境内に続いて木立に囲まれた広場があって、ぽっかりあいた空間でみんながゲートボールをしていたり、夏休みに入ってからは野球帽の少年たちが自転車を数台停めてキャッチボールをしていたり、蝉の声の下で老婦人が談笑していたり、全くもって昭和なまま時が止まっている。その一瞬の絵がなんとも懐かしくて、ここのところ毎朝『夏純情』を聴きながら出勤しているのです。
もう立秋を迎えてしまったけれど、お盆くらいまでは夏祭り宵祭り感ということで、また少し思うことを・・・
こじんまりとしているけれど、戦国時代からある由緒ある場所だ。毎日前を通るたびにチラっと横目で石の鳥居の奥を眺めて想いを馳せる。
狭い住宅街の中、何故かそこだけ道が広くて時空が違う不思議な場所なのだ。境内に続いて木立に囲まれた広場があって、ぽっかりあいた空間でみんながゲートボールをしていたり、夏休みに入ってからは野球帽の少年たちが自転車を数台停めてキャッチボールをしていたり、蝉の声の下で老婦人が談笑していたり、全くもって昭和なまま時が止まっている。その一瞬の絵がなんとも懐かしくて、ここのところ毎朝『夏純情』を聴きながら出勤しているのです。
もう立秋を迎えてしまったけれど、お盆くらいまでは夏祭り宵祭り感ということで、また少し思うことを・・・
・・・
またもやこの歌を最初に聴いた時から・なのだが、どことなくジャパンアニメーション的だなって思っていた。(というか、アニメの方が伊勢正三の歌に追いついてきたのだ)
計算しつくされて、どんな動きにどんな評価や反応があるのか見据えたうえでのはずし技・王道のセンチメンタル・・・そして美しい精細な描写。それを視覚の一切ない、音だけですべて上映してしまえるShoyanの真骨頂を痛感していました。
なので、聴くときはいつも脳内で絵が動いていくのを追っていたのですが、ここのところまたいくつか新しく想うことが発生。覚え書きしておきます。
・・・
♪紅い帯・・ゆらり(・・ユラリ)
の帯だけれども、これってもしや兵児帯(へこおび)なのだろうか? ちょっと前までは女性だと兵児帯は子供の装いというイメージがあったので、「この歌の彼女は何歳くらいなのだろう!?」とフト思ってしまった。兵児帯なら小学生?かと思って「んんん???」と悩んだのだけど、今はオトナ向けのオシャレな大ぶりの兵児帯が普通にあるそうで、中学 高校生でもおしゃれに着こなしているのでしょう。そっちかーと納得しました。
でも、薄紅の浴衣に更に紅いユラリ帯だなんて、彼女の自己演出ならナカナカの直球!?それとも母親かおばあちゃんか、「こっちのほうがカワイイよぉ」って可愛がられているのかな・・・誰が選んだ浴衣かなと。母や祖母の地味な紺の浴衣を着ていた自分をフト想い出し・・・
しかしその一方で彼は制服なのだ!
こんな勝負場面で制服とは?
部活を早く切り上げてそのまま直行で待ち合わせたのか?
いえいえ、きっとこれには「♪着てゆく服選んで迷う時ほど・・・@傘の雫」という事案があったのではないかと思うのです。どちらかというと彼だってキメて行こうと思うほどのお祭りデートなはずなのに、、、自分を意識しすぎて特別な自分になるのがためらわれて、結局、見た目いつもの自分でいくことになっちゃったのかな~と、フフフと思ったのです。
♪制服 胸のポケット
ペンのインク 滲むハートになるんだ
胸のポケットに慌てて挿した万年筆のキャップも、カチっと締めないから外れてインクが滲んじゃったのか、”心ここにあらず”なここ最近の彼の様子が伺えて、ただ彼女へのキモチが胸元に滲むだけでなく、彼の小さな混乱が可愛いと思うのです。
ノック式の水性ゲルインキペンの芯が出たままだったのか 、とも思いましたが、やはりここは少しノスタルジックに万年筆で想像してみました。
♪風を切れば 風の音が聴こえる
♪夢ひと夏 空蝉鳴く ・・純情
以前も書いたのですが、ここからひとつ場面が違うようで、後から追加されたのではないかと思うようなニュアンスを感じるのですが、それはひとつではなくふたつ、いやみっつある。
この大人世界への仄暗いトンネルをくぐるような宵祭りを、初めて君と過ごして後日、何があったわけでもないのに、新しい自分が産まれた彼の、その滾る心・逸る心の疾走を感じるのです。夏空の下、白い入道雲より白いシャツに太陽の光をものともせず、何も恐れず自転車のペダルを無心に漕いで風を切ってゆく、その青春の最初のページを吹き抜けてゆく風の音かと思うのです。その場面転換に、聴く者は伊勢正三の歌の世界の大きさ寛さを感じてまた心委ねられるのです。
そのハモニクスの風の音はやむことなくそこで響き続けているのだけれど、、でも、年月はそれを遠ざける。そこから遠く離れて今現在、 青春は手元でその想い出という脱殻となってカラカラ音を立てる。それが空蝉の鳴き声なのだと、近頃になって想うようになった。
赤トンボはツツーっと飛び立ってすぐに見えなくなったかもしれない、でも羽化して長い人生という空に揉まれ傷つき汚れて強くなった自分の、握りしめた拳の中で、今も壊れずある夏の蝉の抜け殻は、”不変の純情”の容れ物として、誰でも死ぬまで密かに持っているものなのかもしれない。
エンディングのギターソロはまだ今からの未来。人は生きなくてはいけない、純粋だけでは進めなかったとしても、いつかきっとまた同じ風の音に出遭えるよ・というラストの再びのハモニクスがとても切なくて、暖かい目的地の音なのです。
純情~♪
・・・・・
『冬の恋~』『夏純情』『秋の葉の栞』とあるのに、『春』がなくてさみしいと思っていたけれど、『春の流星』で四季が揃った気がして嬉しい。
Re-bornからアッという間に早5年も経ってしまったのに、毎日聴いて毎日想うことが湧いてくる。Shoyanが超絶的な集中力で、限界以上に込められるだけ込めたその想いの量を、改めて今痛感しているのです(憧)。
2024年の暑過ぎて震えるこの夏に。
七氏
※軽井沢大賀ホールのライブ映像などで岩井さんのエレキギターを聴くと、普段Shoyanご本人のギターはどれだけタメて引っ張って込めて弾いておられるかがわかる。岩井さんはきっちり100%の職人技、でもShoyanのギターは100個のマスに130個の音が入っている。そんなの不可能?
いえいえ、それが二つのスキマなのであります。
(*´ω`)v

長い石段はないですが♪
実はこの八幡さまの敷地横の地下には黒曜石の鏃がビッシリ埋まっていました。何千年も居心地のいい場所だったのかもしれません。
またもやこの歌を最初に聴いた時から・なのだが、どことなくジャパンアニメーション的だなって思っていた。(というか、アニメの方が伊勢正三の歌に追いついてきたのだ)
計算しつくされて、どんな動きにどんな評価や反応があるのか見据えたうえでのはずし技・王道のセンチメンタル・・・そして美しい精細な描写。それを視覚の一切ない、音だけですべて上映してしまえるShoyanの真骨頂を痛感していました。
なので、聴くときはいつも脳内で絵が動いていくのを追っていたのですが、ここのところまたいくつか新しく想うことが発生。覚え書きしておきます。
・・・
♪紅い帯・・ゆらり(・・ユラリ)
の帯だけれども、これってもしや兵児帯(へこおび)なのだろうか? ちょっと前までは女性だと兵児帯は子供の装いというイメージがあったので、「この歌の彼女は何歳くらいなのだろう!?」とフト思ってしまった。兵児帯なら小学生?かと思って「んんん???」と悩んだのだけど、今はオトナ向けのオシャレな大ぶりの兵児帯が普通にあるそうで、中学 高校生でもおしゃれに着こなしているのでしょう。そっちかーと納得しました。
でも、薄紅の浴衣に更に紅いユラリ帯だなんて、彼女の自己演出ならナカナカの直球!?それとも母親かおばあちゃんか、「こっちのほうがカワイイよぉ」って可愛がられているのかな・・・誰が選んだ浴衣かなと。母や祖母の地味な紺の浴衣を着ていた自分をフト想い出し・・・
しかしその一方で彼は制服なのだ!
こんな勝負場面で制服とは?
部活を早く切り上げてそのまま直行で待ち合わせたのか?
いえいえ、きっとこれには「♪着てゆく服選んで迷う時ほど・・・@傘の雫」という事案があったのではないかと思うのです。どちらかというと彼だってキメて行こうと思うほどのお祭りデートなはずなのに、、、自分を意識しすぎて特別な自分になるのがためらわれて、結局、見た目いつもの自分でいくことになっちゃったのかな~と、フフフと思ったのです。
♪制服 胸のポケット
ペンのインク 滲むハートになるんだ
胸のポケットに慌てて挿した万年筆のキャップも、カチっと締めないから外れてインクが滲んじゃったのか、”心ここにあらず”なここ最近の彼の様子が伺えて、ただ彼女へのキモチが胸元に滲むだけでなく、彼の小さな混乱が可愛いと思うのです。
ノック式の水性ゲルインキペンの芯が出たままだったのか 、とも思いましたが、やはりここは少しノスタルジックに万年筆で想像してみました。
♪風を切れば 風の音が聴こえる
♪夢ひと夏 空蝉鳴く ・・純情
以前も書いたのですが、ここからひとつ場面が違うようで、後から追加されたのではないかと思うようなニュアンスを感じるのですが、それはひとつではなくふたつ、いやみっつある。
この大人世界への仄暗いトンネルをくぐるような宵祭りを、初めて君と過ごして後日、何があったわけでもないのに、新しい自分が産まれた彼の、その滾る心・逸る心の疾走を感じるのです。夏空の下、白い入道雲より白いシャツに太陽の光をものともせず、何も恐れず自転車のペダルを無心に漕いで風を切ってゆく、その青春の最初のページを吹き抜けてゆく風の音かと思うのです。その場面転換に、聴く者は伊勢正三の歌の世界の大きさ寛さを感じてまた心委ねられるのです。
そのハモニクスの風の音はやむことなくそこで響き続けているのだけれど、、でも、年月はそれを遠ざける。そこから遠く離れて今現在、 青春は手元でその想い出という脱殻となってカラカラ音を立てる。それが空蝉の鳴き声なのだと、近頃になって想うようになった。
赤トンボはツツーっと飛び立ってすぐに見えなくなったかもしれない、でも羽化して長い人生という空に揉まれ傷つき汚れて強くなった自分の、握りしめた拳の中で、今も壊れずある夏の蝉の抜け殻は、”不変の純情”の容れ物として、誰でも死ぬまで密かに持っているものなのかもしれない。
エンディングのギターソロはまだ今からの未来。人は生きなくてはいけない、純粋だけでは進めなかったとしても、いつかきっとまた同じ風の音に出遭えるよ・というラストの再びのハモニクスがとても切なくて、暖かい目的地の音なのです。
純情~♪
・・・・・
『冬の恋~』『夏純情』『秋の葉の栞』とあるのに、『春』がなくてさみしいと思っていたけれど、『春の流星』で四季が揃った気がして嬉しい。
Re-bornからアッという間に早5年も経ってしまったのに、毎日聴いて毎日想うことが湧いてくる。Shoyanが超絶的な集中力で、限界以上に込められるだけ込めたその想いの量を、改めて今痛感しているのです(憧)。
2024年の暑過ぎて震えるこの夏に。
七氏
※軽井沢大賀ホールのライブ映像などで岩井さんのエレキギターを聴くと、普段Shoyanご本人のギターはどれだけタメて引っ張って込めて弾いておられるかがわかる。岩井さんはきっちり100%の職人技、でもShoyanのギターは100個のマスに130個の音が入っている。そんなの不可能?
いえいえ、それが二つのスキマなのであります。
(*´ω`)v
長い石段はないですが♪
実はこの八幡さまの敷地横の地下には黒曜石の鏃がビッシリ埋まっていました。何千年も居心地のいい場所だったのかもしれません。
☆カバー・提供曲など二題
・・・
最近は仕事場への行き帰りの車中でまた提供曲集など聴いているのですが、アンディ・ラウの歌う『ほんの短い夏~原來是你最可愛』が急にハマり出して何度も繰り返しておるところです。
はたと、「Σ(・ω・ノ)ノ!!これで中国語覚えよう!」とか短略的に思ったのですが、更によく考えたらこれはもしや”広東語”なのでは!?と、歌詞も繁体字だし、、、なんだか確かに聴いていても妙におおらかで心地よいし・・・
これは『ビートルズで英語覚えよう!』みたいな感じにはいかないナと反省した次第です(汗)。
でも、繁体字の方が漢字の意味がすぐに解って、翻訳アプリを通す前にあれこれ想像できて面白いです。歌詞は中国の方が別の内容でつけていて、どうやら地下鉄や腕時計のような具体的な小道具やシチュエーションは出てこないで、ひたすらに♪人波に消えてく~ 君が一番好きだ覚悟決めた~みたいな??切々とした内容になっているみたいでした(間違っていたら対不起)。
でもでも、ほんとに口触りのいい歌詞なのでいつか覚えたいです。不思議とメロディーに合ってるんです。普段聴いている大好きな歌を新しい角度で聴ける・これも自分の置かれた状況の変化を前向きにとらえる一環であります。
※ そういえば、stillmore1曲目の赤坂BLITZの『ほんの短い夏』、 このラストのギターのフレーズがすっごくすっごく好きで、「 これって LLカスタムじゃないかな?」って思っていたら、映像観たら本当にLLカスタムだった!という自分を褒めてやりたいです(笑)。
・・・
さて、その一環で五十嵐浩晃氏の『昔の彼と呼ばせない』という歌がありまして、ずっと昔から切なくて自分の中では”悶”な萌えSONGだったのですが、ここのところ急に違う想い方をするようになりました。
Shoyan作詞・五十嵐氏作曲の、柑橘の若葉薫るような明るく切ない素敵な曲ですが、昔は
♪灰皿にいつもあふれる
・・・
最近は仕事場への行き帰りの車中でまた提供曲集など聴いているのですが、アンディ・ラウの歌う『ほんの短い夏~原來是你最可愛』が急にハマり出して何度も繰り返しておるところです。
はたと、「Σ(・ω・ノ)ノ!!これで中国語覚えよう!」とか短略的に思ったのですが、更によく考えたらこれはもしや”広東語”なのでは!?と、歌詞も繁体字だし、、、なんだか確かに聴いていても妙におおらかで心地よいし・・・
これは『ビートルズで英語覚えよう!』みたいな感じにはいかないナと反省した次第です(汗)。
でも、繁体字の方が漢字の意味がすぐに解って、翻訳アプリを通す前にあれこれ想像できて面白いです。歌詞は中国の方が別の内容でつけていて、どうやら地下鉄や腕時計のような具体的な小道具やシチュエーションは出てこないで、ひたすらに♪人波に消えてく~ 君が一番好きだ覚悟決めた~みたいな??切々とした内容になっているみたいでした(間違っていたら対不起)。
でもでも、ほんとに口触りのいい歌詞なのでいつか覚えたいです。不思議とメロディーに合ってるんです。普段聴いている大好きな歌を新しい角度で聴ける・これも自分の置かれた状況の変化を前向きにとらえる一環であります。
※ そういえば、stillmore1曲目の赤坂BLITZの『ほんの短い夏』、 このラストのギターのフレーズがすっごくすっごく好きで、「 これって LLカスタムじゃないかな?」って思っていたら、映像観たら本当にLLカスタムだった!という自分を褒めてやりたいです(笑)。
・・・
さて、その一環で五十嵐浩晃氏の『昔の彼と呼ばせない』という歌がありまして、ずっと昔から切なくて自分の中では”悶”な萌えSONGだったのですが、ここのところ急に違う想い方をするようになりました。
Shoyan作詞・五十嵐氏作曲の、柑橘の若葉薫るような明るく切ない素敵な曲ですが、昔は
♪灰皿にいつもあふれる
吸い殻を咎める君も
「おやすみ」と僕の眼鏡を
取り上げる君も
もういない・・・
など、眼鏡と煙草の風景に悶絶していまして、ソファでうたた寝しちゃったメガネ男子のメガネはずして「おやすみ☆」と寝床に誘導してくれる彼女の光景・なんてうらやま!とさえ思っていた。
「んも~ぅ、またいっぱいになってるヨ、ぷんぷん」みたいに可愛く咎める彼女のことばかり想っていた。
けれども・・・
これ、二人の日常で繰り返されている事案なのだとしたら・・・
「ほんっとに、、いくら言っても改善してくれない」
など、眼鏡と煙草の風景に悶絶していまして、ソファでうたた寝しちゃったメガネ男子のメガネはずして「おやすみ☆」と寝床に誘導してくれる彼女の光景・なんてうらやま!とさえ思っていた。
「んも~ぅ、またいっぱいになってるヨ、ぷんぷん」みたいに可愛く咎める彼女のことばかり想っていた。
けれども・・・
これ、二人の日常で繰り返されている事案なのだとしたら・・・
「ほんっとに、、いくら言っても改善してくれない」
「何度言ったらわかるのかな」
「私の言うことやお願い・って軽視してるのかな・・・」
って、マイナスポイントがきっと溜まっていったよね。
彼はその"馴れ合いの触れ合いだらけでしがない連れ合い"状態を「幸せ」だと勘違いしてたのじゃないかと。甘えるのが恋愛・心許してる証だと、勘違いも甚だしいのではないかと!?そう思う様になった。
♪僕は今でも友達じゃない
それってアヤウイよ!と思うのだ。
友達の方がむしろ最低限のリスペクトと自発的な己を律する姿勢があると思う。友達じゃない=恋人=ありのままの自分で伸び伸び暮らし・なのだとしたらなんも進歩してないじゃん!と冷や汗が出る。
35年も前のShoyanの実験的な歌詞なのかと思う。
恋愛の過渡の一例をサンプリングしたこの恋愛の幼虫みたいなフレーズたちが凄くて絶妙だなと思うのです。
正しいものだけが恋じゃないんだと。
(すべてがアヤマチなのかやはり・・・)
この彼、実際「♪僕は今でもあの頃のまま」と言っているのです。しかもラストでは「♪昔の彼ともう呼ばせない」なんて、リターンマッチを仕掛ける気でいるのです。
果たしてこの彼、彼女の最後の優しさ=中庸扱い・に甘えることなく「僕は君の彼ではなく、君が僕の大切な人なんだ」ということをちゃんと理解して伝えることが出来るのだろうか・と、ワナワナしているのです。頼むよ彼。
歳をとって、オバアサン心で若気のラブソングを聴けば、そんな風に解釈するようになるのか・・・と自分の経年を恨むような誇りに思うような・・・複雑な心持ちで通勤したりしている昨今なのであります。
(言葉足らずで勢いでアップしてしまいましたがお許しください 汗)
※しかし「♪ミルク溶けない冷たい紅茶 掻き混ぜるよなわだかまりなの」なんて!こういうShoyanの言葉・シチュエーション選びは本当に堪らないです。
熱い紅茶が醒めたものなのか、それとも最初からアイスティーだったのか?いずれにせよ、今度は綺麗な銀のティースプーンでちゃんと計って、茶葉を蒸らしてカップも温めてから注いでねって。丁寧に最後まで相手の目を見ながら飲み干してねって想うのだ。
美味しく淹れた紅茶を横顔で「ん、ソコ置いといて」なんていう態度とったらブチかましますからねっ!(-_-メ)って・・・・・あ、私感でコメントしてしまいました。失礼しました。(^^ゞ
※※引用歌詞の漢字は原文通りではない可能性があります(汗)。
って、マイナスポイントがきっと溜まっていったよね。
彼はその"馴れ合いの触れ合いだらけでしがない連れ合い"状態を「幸せ」だと勘違いしてたのじゃないかと。甘えるのが恋愛・心許してる証だと、勘違いも甚だしいのではないかと!?そう思う様になった。
♪僕は今でも友達じゃない
それってアヤウイよ!と思うのだ。
友達の方がむしろ最低限のリスペクトと自発的な己を律する姿勢があると思う。友達じゃない=恋人=ありのままの自分で伸び伸び暮らし・なのだとしたらなんも進歩してないじゃん!と冷や汗が出る。
35年も前のShoyanの実験的な歌詞なのかと思う。
恋愛の過渡の一例をサンプリングしたこの恋愛の幼虫みたいなフレーズたちが凄くて絶妙だなと思うのです。
正しいものだけが恋じゃないんだと。
(すべてがアヤマチなのかやはり・・・)
この彼、実際「♪僕は今でもあの頃のまま」と言っているのです。しかもラストでは「♪昔の彼ともう呼ばせない」なんて、リターンマッチを仕掛ける気でいるのです。
果たしてこの彼、彼女の最後の優しさ=中庸扱い・に甘えることなく「僕は君の彼ではなく、君が僕の大切な人なんだ」ということをちゃんと理解して伝えることが出来るのだろうか・と、ワナワナしているのです。頼むよ彼。
歳をとって、オバアサン心で若気のラブソングを聴けば、そんな風に解釈するようになるのか・・・と自分の経年を恨むような誇りに思うような・・・複雑な心持ちで通勤したりしている昨今なのであります。
(言葉足らずで勢いでアップしてしまいましたがお許しください 汗)
※しかし「♪ミルク溶けない冷たい紅茶 掻き混ぜるよなわだかまりなの」なんて!こういうShoyanの言葉・シチュエーション選びは本当に堪らないです。
熱い紅茶が醒めたものなのか、それとも最初からアイスティーだったのか?いずれにせよ、今度は綺麗な銀のティースプーンでちゃんと計って、茶葉を蒸らしてカップも温めてから注いでねって。丁寧に最後まで相手の目を見ながら飲み干してねって想うのだ。
美味しく淹れた紅茶を横顔で「ん、ソコ置いといて」なんていう態度とったらブチかましますからねっ!(-_-メ)って・・・・・あ、私感でコメントしてしまいました。失礼しました。(^^ゞ
※※引用歌詞の漢字は原文通りではない可能性があります(汗)。
※ 少々 追記をば・・・
♪冬の日の薄紅の白鳥
♪愛が涙が海が君が逆光になっても
これって、
『本来あるものがそうじゃないように見える時もある・でも、そうなっても根本は変わらない、それを僕は見失わないよ』
という愛の言葉なのだろうか。
白い象徴の白鳥が、冬の湖畔で横からの夕陽の残照に染まってフラミンゴのように紅い。本当は真っ白なのに、その時は確かに薄紅に見える。どちらの色が本当の”白”鳥なのか?
逆光になるとそこにあるはずの君の表情が真っ暗で見えない、笑っているのか怒っているのか、泣いているのかわからないけれど、、、君は君だから僕は君が好きだよ、と。
愛が憎しみに、涙が旱魃に、海が束縛に、、サイコロ振れば裏と表に・のように、すべて裏がある。わかる時にわかったものが真実なのだと、愛の曖昧な愛憎と相対し方の提示なのかなと想う。
・・・
ちょっとメンタル落ちている間に(落ちていたのか)、ミンミンゼミも出て来て梅の実から桃や李が色づき始めました。毎日季節が進んでいきます。関内ホールも狛江も見事に壁際の席で(笑)またずっとShoyanの横顔を追えます。なぜか私も楽しくなる・・・フシギね♪
今日はもうすでに佐賀!そして沖縄と、西~南のコンサートなのですね。
実は奈良でのShoyanのモノスゴ素敵な最高の笑顔のお写真拝見して、自分が燃え尽きたというか緊張がほどけたというか、安堵してしまって(謎=なぜおまえが安堵する(笑))、Shoyanが青い空高く揚がって安定したカイトのように、遠くへ安堵の彼方へ旅立たれたような気がして、独り土砂降りの雨の中で倒れ臥していたのでした。(体調も良くなかったので 汗)
あのリアルせんとくん(^.^;とご一緒のShoyanの笑顔最高です!ここ最近のShoyanのひとつの到達点なのだと想います。「懐かしい」と想われる奈良の地でShoyanはどこかにお還りになられたのかなと感じます。想い出の底で何かまた新しいご自身に遭えたのなら、またそれを教えて欲しいと待っていたいです。
もしかして、沖縄の方が涼しいのかもしれません。
東京都心の31℃より那覇の35℃のほうが過ごしやすいんじゃないかな・・・なんて、沖縄行ったことない私が妄想しています。
毎日大きなビルの学生寮の、狭い管理人室でチマチマとShoyanの大きな空に想いを馳せさせてもらってます。恋はどこにも管理人室にもあった~♪
奈良では今までで最高のパフォーマンスに到達したと伺っています。この好調子をゼヒ維持なされて残りのステージを駆け抜けていかれることと思います。そんな毎日更新の今のShoyanのこと心から尊敬して、またスムースなことの運びをお祈りしています。
愛は込め過ぎても込め過ぎることはないっ、臥してなお地下水脈の音が聴こえる・・・そんな感じで。どこかに行っても私にも視える・・と想えるように(願)。
・・・
・蛇足
そういえば、氷を齧る病というのがあるそうで(^^;)、貧血の人がその傾向にあるとかないとか・・・いずれにしても、インパクトのある光景です氷を齧る君へ。
♪冬の日の薄紅の白鳥
♪愛が涙が海が君が逆光になっても
これって、
『本来あるものがそうじゃないように見える時もある・でも、そうなっても根本は変わらない、それを僕は見失わないよ』
という愛の言葉なのだろうか。
白い象徴の白鳥が、冬の湖畔で横からの夕陽の残照に染まってフラミンゴのように紅い。本当は真っ白なのに、その時は確かに薄紅に見える。どちらの色が本当の”白”鳥なのか?
逆光になるとそこにあるはずの君の表情が真っ暗で見えない、笑っているのか怒っているのか、泣いているのかわからないけれど、、、君は君だから僕は君が好きだよ、と。
愛が憎しみに、涙が旱魃に、海が束縛に、、サイコロ振れば裏と表に・のように、すべて裏がある。わかる時にわかったものが真実なのだと、愛の曖昧な愛憎と相対し方の提示なのかなと想う。
・・・
ちょっとメンタル落ちている間に(落ちていたのか)、ミンミンゼミも出て来て梅の実から桃や李が色づき始めました。毎日季節が進んでいきます。関内ホールも狛江も見事に壁際の席で(笑)またずっとShoyanの横顔を追えます。なぜか私も楽しくなる・・・フシギね♪
今日はもうすでに佐賀!そして沖縄と、西~南のコンサートなのですね。
実は奈良でのShoyanのモノスゴ素敵な最高の笑顔のお写真拝見して、自分が燃え尽きたというか緊張がほどけたというか、安堵してしまって(謎=なぜおまえが安堵する(笑))、Shoyanが青い空高く揚がって安定したカイトのように、遠くへ安堵の彼方へ旅立たれたような気がして、独り土砂降りの雨の中で倒れ臥していたのでした。(体調も良くなかったので 汗)
あのリアルせんとくん(^.^;とご一緒のShoyanの笑顔最高です!ここ最近のShoyanのひとつの到達点なのだと想います。「懐かしい」と想われる奈良の地でShoyanはどこかにお還りになられたのかなと感じます。想い出の底で何かまた新しいご自身に遭えたのなら、またそれを教えて欲しいと待っていたいです。
もしかして、沖縄の方が涼しいのかもしれません。
東京都心の31℃より那覇の35℃のほうが過ごしやすいんじゃないかな・・・なんて、沖縄行ったことない私が妄想しています。
毎日大きなビルの学生寮の、狭い管理人室でチマチマとShoyanの大きな空に想いを馳せさせてもらってます。恋はどこにも管理人室にもあった~♪
奈良では今までで最高のパフォーマンスに到達したと伺っています。この好調子をゼヒ維持なされて残りのステージを駆け抜けていかれることと思います。そんな毎日更新の今のShoyanのこと心から尊敬して、またスムースなことの運びをお祈りしています。
愛は込め過ぎても込め過ぎることはないっ、臥してなお地下水脈の音が聴こえる・・・そんな感じで。どこかに行っても私にも視える・・と想えるように(願)。
・・・
・蛇足
そういえば、氷を齧る病というのがあるそうで(^^;)、貧血の人がその傾向にあるとかないとか・・・いずれにしても、インパクトのある光景です氷を齧る君へ。
プロフィール
HN:
No Name 七氏−1.0
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
このブログサーバーが落ちて表示されない場合は↑に避難しています。
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