Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。
この歌を聴いて去年の秋から何度も泣いた・・・軽井沢のステージで聴いて以来、それは余計に二重に想うことが多くて、聴くたびに泣いた。泣くためにある歌ではないかもしれないけれど、Shoyanのやさしさ・あたたかさ・柔らかさが存分に込められているから、自分は無防備なままこの歌に避難することが出来た。
不思議とずっと昔から知っていた曲のようで、Shoyanのギターと声だけのこのDEMO音源はダイレクトに伝わるものが多くて、幼き日のことを絵本にしたような気がする宝物の一曲だ。
・・・
この歌も東京・都会・ふるさと・彼と彼女の決められない距離、なのかと思うけれど、”繋がってたのに離れていく『渋谷川』”と真逆な、”遠ざかるほど一体化していく二人の無意識”が非常に非常にせつなくて、、、せつないのにあたたかくて、だから何度も確かめたくなって繰り返し聴いてしまう。なんとなくまだこの前後左右に物語が待っている気がして、完成形じゃない可能性も想いながら聴いている。
アルバム『Re-born』を聴いた時、これはShoyanのバックハグだと思った。この歌がその”遠隔抱擁”を実感証明できるものだと思う。Re-bornの出来たあとの今だからこそ、この世に生まれ出てきたのだなって想った。だからこの歌は2011年の歌ではなく、2023年の歌なのだと思っている。
(本当は2011年頃の世情の機微が関係しているような感じもあるのかもしれないし、一部では匂わせインフォメーションもあるみたいだけど、公平な情報じゃないのなら保留でいい。)
・・・
「まだ「彼」とはいえない」間柄だったはずなのに、「そっと抱かれた気がした」とあるのは、この彼女と彼はどこかで繋がったまま進行していて、それは「その日その時」まで消えないのではないかと希望的観測を感じる。ここだけ他に比べて温度が高くてほんのり色っぽい、今はそれが凄くいいと想う。
彼の「そこ」は移動していくけれど、でも彼女の「そこ」はずっと「ここ」にある。
渋谷川がこれから先二人とも分岐して新しく先へ流れていってしまうもの=川なら、春の流星は儚く消えてしまったように見えて誰も知らない砂漠か氷河の上で、ポツンと待っている一粒、かもしれないと想うのだ。
♪春は忘れない~というフレーズが大好きだ。この彼女が「ここ」にいること・彼がいたこと・を忘れない「春」という季節は「永いもの」の象徴。そしてその想いはギベオン隕鉄のように、小さくてもずっしりと重たくて美しいものなのだと思う。そしてそれは彼も遠くの今の居場所で感知していることなのではないだろうか・・・。
Shoyanが昨年秋の軽井沢で歌われた時、「フクシマにいたこと」と聴こえた。もしそれが関係するのであれば、この彼女と彼の離れた理由が抗えない外的要因なのかもしれないと思えて震える。余計にこの二人の絆は深いところで離れないままあると、深層の体温を感じて優しい気持ちになれる。どうかどうか、哀しくない建設的な未来が二人を結び付けてくれることを願う。でもどちらかが、もしくは二人ともまさかこの世にいないのでは・・などと、とても悲しいこともよぎったりして、軽井沢のステージ以降は少しだけ複雑な気持ちで聴いている。やはり私には「ふくしま」という単語は特別だから気になってしまう。「流星」という一方通行の戻れないもの・でも一方で願いを叶えてくれるもの・という二面性に複雑なせつなさを感じたまま聴き続けていくことでしょう。
この歌のShoyanのギターも大好きだ。とてもさりげなく180%の音がキッチリ隅々まで詰まっていて、こんなに綺麗な音を出せるギタリストは他にいない!って心の底から想う。DEMO音源だからこそ余計にシンプルにわかるのだろうか。上手いとか技術以上の、Shoyanの音拾いの意識の広さ深さを存分に感じる。そして倍音?終始鳴っている音以上の音、それを足して200%だ♪
飾らない優しい声とギター一本、それだけですべて物語ってくれるのだなと、本当に心の底からの尊敬の気持ちでいっぱいなのだ(涙)。誰か他の歌い手への提供曲だったのだろうか、それともご自身で歌われようとした曲だったのだろうか、今になって色んな錘が解けてフワっと水面に浮かび上がってきたようなこの歌が愛おしくて堪らない。
・・・
去年の後半から今まで、私個人の生活は言葉にできないほど辛かった。その間、この歌がずっと傍にいてくれて励ましてくれた。「がんばれ」とか「君ならできる」とか、そんな薄っぺらい言葉だけの言葉などとは全く違う「歌の本領・寄り添い」を最高濃度で感じた。
DEMO=仮音源だとしても、聴く者の中で完成されるってことがあるかもしれないじゃん♪と、歌の不思議を実感しながら聴いている。
・・・
春の流星群ってなんだろう、こと座流星群? また巡るその時とは、一年後など決まった周期じゃなくて、、、やはり二人で見た"その時そのもの"にまた還れる現象なのかもしれないと想う。
不思議とずっと昔から知っていた曲のようで、Shoyanのギターと声だけのこのDEMO音源はダイレクトに伝わるものが多くて、幼き日のことを絵本にしたような気がする宝物の一曲だ。
・・・
この歌も東京・都会・ふるさと・彼と彼女の決められない距離、なのかと思うけれど、”繋がってたのに離れていく『渋谷川』”と真逆な、”遠ざかるほど一体化していく二人の無意識”が非常に非常にせつなくて、、、せつないのにあたたかくて、だから何度も確かめたくなって繰り返し聴いてしまう。なんとなくまだこの前後左右に物語が待っている気がして、完成形じゃない可能性も想いながら聴いている。
アルバム『Re-born』を聴いた時、これはShoyanのバックハグだと思った。この歌がその”遠隔抱擁”を実感証明できるものだと思う。Re-bornの出来たあとの今だからこそ、この世に生まれ出てきたのだなって想った。だからこの歌は2011年の歌ではなく、2023年の歌なのだと思っている。
(本当は2011年頃の世情の機微が関係しているような感じもあるのかもしれないし、一部では匂わせインフォメーションもあるみたいだけど、公平な情報じゃないのなら保留でいい。)
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「まだ「彼」とはいえない」間柄だったはずなのに、「そっと抱かれた気がした」とあるのは、この彼女と彼はどこかで繋がったまま進行していて、それは「その日その時」まで消えないのではないかと希望的観測を感じる。ここだけ他に比べて温度が高くてほんのり色っぽい、今はそれが凄くいいと想う。
彼の「そこ」は移動していくけれど、でも彼女の「そこ」はずっと「ここ」にある。
渋谷川がこれから先二人とも分岐して新しく先へ流れていってしまうもの=川なら、春の流星は儚く消えてしまったように見えて誰も知らない砂漠か氷河の上で、ポツンと待っている一粒、かもしれないと想うのだ。
♪春は忘れない~というフレーズが大好きだ。この彼女が「ここ」にいること・彼がいたこと・を忘れない「春」という季節は「永いもの」の象徴。そしてその想いはギベオン隕鉄のように、小さくてもずっしりと重たくて美しいものなのだと思う。そしてそれは彼も遠くの今の居場所で感知していることなのではないだろうか・・・。
Shoyanが昨年秋の軽井沢で歌われた時、「フクシマにいたこと」と聴こえた。もしそれが関係するのであれば、この彼女と彼の離れた理由が抗えない外的要因なのかもしれないと思えて震える。余計にこの二人の絆は深いところで離れないままあると、深層の体温を感じて優しい気持ちになれる。どうかどうか、哀しくない建設的な未来が二人を結び付けてくれることを願う。でもどちらかが、もしくは二人ともまさかこの世にいないのでは・・などと、とても悲しいこともよぎったりして、軽井沢のステージ以降は少しだけ複雑な気持ちで聴いている。やはり私には「ふくしま」という単語は特別だから気になってしまう。「流星」という一方通行の戻れないもの・でも一方で願いを叶えてくれるもの・という二面性に複雑なせつなさを感じたまま聴き続けていくことでしょう。
この歌のShoyanのギターも大好きだ。とてもさりげなく180%の音がキッチリ隅々まで詰まっていて、こんなに綺麗な音を出せるギタリストは他にいない!って心の底から想う。DEMO音源だからこそ余計にシンプルにわかるのだろうか。上手いとか技術以上の、Shoyanの音拾いの意識の広さ深さを存分に感じる。そして倍音?終始鳴っている音以上の音、それを足して200%だ♪
飾らない優しい声とギター一本、それだけですべて物語ってくれるのだなと、本当に心の底からの尊敬の気持ちでいっぱいなのだ(涙)。誰か他の歌い手への提供曲だったのだろうか、それともご自身で歌われようとした曲だったのだろうか、今になって色んな錘が解けてフワっと水面に浮かび上がってきたようなこの歌が愛おしくて堪らない。
・・・
去年の後半から今まで、私個人の生活は言葉にできないほど辛かった。その間、この歌がずっと傍にいてくれて励ましてくれた。「がんばれ」とか「君ならできる」とか、そんな薄っぺらい言葉だけの言葉などとは全く違う「歌の本領・寄り添い」を最高濃度で感じた。
DEMO=仮音源だとしても、聴く者の中で完成されるってことがあるかもしれないじゃん♪と、歌の不思議を実感しながら聴いている。
・・・
春の流星群ってなんだろう、こと座流星群? また巡るその時とは、一年後など決まった周期じゃなくて、、、やはり二人で見た"その時そのもの"にまた還れる現象なのかもしれないと想う。
"その時"って、ずっとそこにあるんだと想う。
春の流星は時の断片を縫い合わせていく一本の縫い針のようなものなんだきっと・・・。
春の流星は時の断片を縫い合わせていく一本の縫い針のようなものなんだきっと・・・。
アリガトウ Shoyan☆彡
※
♪また巡るその時まで~
♪また巡るその時まで~
のメロディがちょっとだけ不思議で大好きです(´ー`*)♪
この歌のことは想えばキリがないし無限だ。
ずっと保留のまま仕舞っておいた。
まだ想い足りないことは多い、けれど5年聴いて今時点でのこととして、後悔の無いように一度投稿しておこうと思う。これから足したり引いたりするかもしれないけど・・・♪?
・・・
斬新なイントロからShoyanのセクシーさ満載のこなれたエレキギターでグルーヴ感最高!!ここでは弾き過ぎないエレキの音がメッチャかっこ好い!Shoyanのエレキギターを聴きたくて堪らなかった私にはホントに胸躍る一曲目だった。
左・右と代わる代わる聴こえる刻みの音は二人の呼応みたいで、歌の中に本当に二人いる!と思わせてくれる。森一美氏の不思議なタイミングで入る鍵盤の音やブラス音もミューオンとかニュートリノみたいに刺激的に通過してゆく。AOR的・とかスティーリー・ダン的とかそういう音楽的なことだけじゃなくて、このテレポーテーションの"空間感"が新しいなぁって、Shoyanは今回またひとつの穴を開けたんだ!って思った。
例えば・・・
ずっと保留のまま仕舞っておいた。
まだ想い足りないことは多い、けれど5年聴いて今時点でのこととして、後悔の無いように一度投稿しておこうと思う。これから足したり引いたりするかもしれないけど・・・♪?
・・・
斬新なイントロからShoyanのセクシーさ満載のこなれたエレキギターでグルーヴ感最高!!ここでは弾き過ぎないエレキの音がメッチャかっこ好い!Shoyanのエレキギターを聴きたくて堪らなかった私にはホントに胸躍る一曲目だった。
左・右と代わる代わる聴こえる刻みの音は二人の呼応みたいで、歌の中に本当に二人いる!と思わせてくれる。森一美氏の不思議なタイミングで入る鍵盤の音やブラス音もミューオンとかニュートリノみたいに刺激的に通過してゆく。AOR的・とかスティーリー・ダン的とかそういう音楽的なことだけじゃなくて、このテレポーテーションの"空間感"が新しいなぁって、Shoyanは今回またひとつの穴を開けたんだ!って思った。
例えば・・・
逢いたい人に逢えないとき
ずっと傍にいたいとき
どうすればいいの?
究極の愛し方、ってどんなものだろう?
極論で言うと、罪になる恋さえ罪にならないほどの愛の在り方は?
・・・まで、
この数十年の人生のほぼでずっと考えてきた。
誰にも言わない、わからない、知られないように、露見しない恋、そしてそれは誰をも傷つけることのない真実の愛であるように・・・と、私にはそれが必要な謎で、いつも考えてきたことだった。
今の世の中、好き合って愛し合っているのに"不確かさ"に負けて壊れてゆく恋の多さ。不倫とか浮気とか裏切りだとかストーカーだとか、、、そんな呼び方しかされない可哀想な事案。触れ合わないと確かめられないと思い込み、確かめないとアルと思えず、束縛しないと得られない・と思う、、そんな堂々巡りで人の心が愛そのものを見失っていることが多いような気がしていた。
でも、自分の"愛の圧"に負けなかった時、その想いの水底では本当に愛しい人に逢えるのだよって、この歌が教えてくれた。
どんなに熱い恋でも、離れていたらさみしいのだけれども、その先には確かめ合うことさえ不要なほどの深い愛があるんだよって。それは自分では自分の顔を見られないようなもので、自分が笑えば彼も笑っているのだ・とわかったからさみしくなくなった。それほどの凄い導きの一曲なのだ。
・・・
♪宇宙の仕組みとは 愛なのかな…
究極の愛し方、ってどんなものだろう?
極論で言うと、罪になる恋さえ罪にならないほどの愛の在り方は?
・・・まで、
この数十年の人生のほぼでずっと考えてきた。
誰にも言わない、わからない、知られないように、露見しない恋、そしてそれは誰をも傷つけることのない真実の愛であるように・・・と、私にはそれが必要な謎で、いつも考えてきたことだった。
今の世の中、好き合って愛し合っているのに"不確かさ"に負けて壊れてゆく恋の多さ。不倫とか浮気とか裏切りだとかストーカーだとか、、、そんな呼び方しかされない可哀想な事案。触れ合わないと確かめられないと思い込み、確かめないとアルと思えず、束縛しないと得られない・と思う、、そんな堂々巡りで人の心が愛そのものを見失っていることが多いような気がしていた。
でも、自分の"愛の圧"に負けなかった時、その想いの水底では本当に愛しい人に逢えるのだよって、この歌が教えてくれた。
どんなに熱い恋でも、離れていたらさみしいのだけれども、その先には確かめ合うことさえ不要なほどの深い愛があるんだよって。それは自分では自分の顔を見られないようなもので、自分が笑えば彼も笑っているのだ・とわかったからさみしくなくなった。それほどの凄い導きの一曲なのだ。
・・・
♪宇宙の仕組みとは 愛なのかな…
僕らの胸の中 限りなく
古い話なのだが、私が高校生だった頃、
「宇宙の果てってアルのだろうけれど今は目に見えない、人の胸の中も自分の中に確実にアルけれど目に見えない、だから、宇宙の果てと人の心の中って実は同じところにあるのではないだろか?」
なんてことを思いついた。
(なぜそんなことを考えていたのか自分???)
そして数年後に『レミングの街』を聴いたときに、「!私の感じていたことは間違っていないかもしれない」って、Shoyanから「そのまま僕についておいで!」と導かれたような気がして、余計にShoyanの音楽に惹かれていった。
そして今また、Re-born発売時から5年聴き続けて来て、また今回の連載『クリエイター人生・最終回』を読んで、ひとつのことをずっと考え続けてきてヨカッタ・と思ったのだ。なので、今珍しく、少しの安堵の中にいます。
・・・
♪その時同じこと 同じ素振り
古い話なのだが、私が高校生だった頃、
「宇宙の果てってアルのだろうけれど今は目に見えない、人の胸の中も自分の中に確実にアルけれど目に見えない、だから、宇宙の果てと人の心の中って実は同じところにあるのではないだろか?」
なんてことを思いついた。
(なぜそんなことを考えていたのか自分???)
そして数年後に『レミングの街』を聴いたときに、「!私の感じていたことは間違っていないかもしれない」って、Shoyanから「そのまま僕についておいで!」と導かれたような気がして、余計にShoyanの音楽に惹かれていった。
そして今また、Re-born発売時から5年聴き続けて来て、また今回の連載『クリエイター人生・最終回』を読んで、ひとつのことをずっと考え続けてきてヨカッタ・と思ったのだ。なので、今珍しく、少しの安堵の中にいます。
・・・
♪その時同じこと 同じ素振り
まばたく間さえ ないくらい
どんなに離れても その瞬間
どんなに離れても その瞬間
二人は一つだと 気付いてる
こんな現象あるわけない、と言う人はたくさんいるかもしれない。でも実は母親と子供の関係はこれにとても近いのではないだろうか。私は子供を持てなかったので、逆にそれがよくわかる気がするのだ(気がするだけ(笑))。
どこにいても常に想っていて、心配して全身全霊で、子のためには自分の命さえ・・・と、それは子供は自分の分身、自分そのものだから・・・という部分で。
本当は母と子とか関係なくて、人は皆そういう心を持っているのだと思う。男女でも、他人同士でも、同じ深さで愛し合えるはずだ・と。
そういう風にあなたを愛しているのだと気付けば、苦しい恋はせつない愛に昇華するのでは・・と思う。そしてまた愛されていることにも気付けるのだと・・・。
でも、、どうして人はみな「証明されないと嘘」だと思うのだろうか。
母と子は物質的にも「超確実」だけど、恋人同士はまったくの「ゼロ・無・他」から始まる。でも「超不確実」こそ「愛の最深部」なのだよ・って。 「決まっていないこと」こそ愛なのかもしれない、だから、Shoyanはそれを"宇宙の仕組み"とおっしゃったのではないかな、なんて想っている。
・・・
「二つの隙間」はきっと、二人の口唇。
こんな現象あるわけない、と言う人はたくさんいるかもしれない。でも実は母親と子供の関係はこれにとても近いのではないだろうか。私は子供を持てなかったので、逆にそれがよくわかる気がするのだ(気がするだけ(笑))。
どこにいても常に想っていて、心配して全身全霊で、子のためには自分の命さえ・・・と、それは子供は自分の分身、自分そのものだから・・・という部分で。
本当は母と子とか関係なくて、人は皆そういう心を持っているのだと思う。男女でも、他人同士でも、同じ深さで愛し合えるはずだ・と。
そういう風にあなたを愛しているのだと気付けば、苦しい恋はせつない愛に昇華するのでは・・と思う。そしてまた愛されていることにも気付けるのだと・・・。
でも、、どうして人はみな「証明されないと嘘」だと思うのだろうか。
母と子は物質的にも「超確実」だけど、恋人同士はまったくの「ゼロ・無・他」から始まる。でも「超不確実」こそ「愛の最深部」なのだよ・って。 「決まっていないこと」こそ愛なのかもしれない、だから、Shoyanはそれを"宇宙の仕組み"とおっしゃったのではないかな、なんて想っている。
・・・
「二つの隙間」はきっと、二人の口唇。
歌うShoyanと同じように同じフレーズ同じメロディーを口ずさめば・・・歌は一粒の愛だなと思うのだ。そしてその重なり合うヴァイブレーションを、私たちは今迄何度も経験してきた。量子力学とか二重のスリットとかの先にある!?この歌テレポーテーションの概念は、こんな私の中にもきっと在る"自然なこと"だと、勝手に自己満足している☆
この二人、気付いてる・感じてる、けど、互いに確かめ合っている訳ではない。こんなに通じ合っている間柄なのにナゼ逢えない??? 確かめ合うことさえ不要な深い愛なんだ!って感じながらずっと「そのままでいるね」って。そこがチョットだけ切なくもどかしい、本当に素敵なカンケイだ。
誰にも気付かれない=自分でも気付いていないうちに私はアナタと逢っている・そういうことかなと想いながら慰めに似た気持ちで聴いている。
・・・・・
雨音に乗せる想いは不滅だ。
巡り巡って、いつも、分身のように傍らに・・・
この二人、気付いてる・感じてる、けど、互いに確かめ合っている訳ではない。こんなに通じ合っている間柄なのにナゼ逢えない??? 確かめ合うことさえ不要な深い愛なんだ!って感じながらずっと「そのままでいるね」って。そこがチョットだけ切なくもどかしい、本当に素敵なカンケイだ。
誰にも気付かれない=自分でも気付いていないうちに私はアナタと逢っている・そういうことかなと想いながら慰めに似た気持ちで聴いている。
・・・・・
雨音に乗せる想いは不滅だ。
巡り巡って、いつも、分身のように傍らに・・・
逢えない時間だけ強くなる、というならこの二人は最強なのだ!
今迄沢山のパワフルな歌が生まれてきたけれど、この『テレポーテーション』はぶっちぎりの"伊勢正三が凄まじい!"一曲だと思う。
凄い愛の歌、私の生涯の生き甲斐にしてこれからもまた聴き続けていきたいと改めて想っている。ワクワクしかないのだ!(愛)
2019年にRe-bornを手にしたとき、「絶対にまた35年聴くぞ!!」と誓った。すでに5年聴いた。この分ではあと30年もあっという間だと思う。 ☆
※ラストのフレーズ、
今迄沢山のパワフルな歌が生まれてきたけれど、この『テレポーテーション』はぶっちぎりの"伊勢正三が凄まじい!"一曲だと思う。
凄い愛の歌、私の生涯の生き甲斐にしてこれからもまた聴き続けていきたいと改めて想っている。ワクワクしかないのだ!(愛)
2019年にRe-bornを手にしたとき、「絶対にまた35年聴くぞ!!」と誓った。すでに5年聴いた。この分ではあと30年もあっという間だと思う。 ☆
※ラストのフレーズ、
♪n誰にも気付かれず 抜け出そう~
の「n」の部分は、キスする前に思わず鼻先が触れる感じですね キャー☆
の「n」の部分は、キスする前に思わず鼻先が触れる感じですね キャー☆
※既に投稿してあるとばかり思いこんでいた一文。
10年以上前に書いたものに追記して載せておきます。
・・・・・
数あるShoyanの楽曲の中で一番刺さるフレーズ
♪君はなぜ 男に生まれてこなかったのか
とは、なんという残酷な言葉・・・
・・・・・
数あるShoyanの楽曲の中で一番刺さるフレーズ
♪君はなぜ 男に生まれてこなかったのか
とは、なんという残酷な言葉・・・
女性が一番言われたくない言葉じゃないだろうか。
だがしかし、この彼女がたとえ男に生まれてきていたとしても、この二人は上手くいっただろうか? やはり、いつか別れる運命だったのではないかしら。
たぶん、この別離の原因は男だとか女だとかは本当は関係なく、何か別の根本的なコトだったのではないだろか・・・
でも・・・
だがしかし、この彼女がたとえ男に生まれてきていたとしても、この二人は上手くいっただろうか? やはり、いつか別れる運命だったのではないかしら。
たぶん、この別離の原因は男だとか女だとかは本当は関係なく、何か別の根本的なコトだったのではないだろか・・・
でも・・・
この"二人の時間=青春"を良い想い出にするために、間に「If」を挟んで、破壊のエッジを丸く・柔らかくしているのがShoyanマジックなのだと思う。
・・・
男と女の一番のベストな関係って、本当は"友情"なのではないだろうか。
生まれも育ちも違う二人。
・・・
男と女の一番のベストな関係って、本当は"友情"なのではないだろうか。
生まれも育ちも違う二人。
身体も脳の働きも役割も能力も違う異質・・・
そして時々、年齢(過ごしてきた時間)さえも違う二人。
男女のカンケイには
「俺を男として立てろ」
男女のカンケイには
「俺を男として立てろ」
「私には女の幸せを頂戴よ」
なんて、役割の損得みたいなものが発生しがちだけど(そう思っているのは世知辛い私だけかもしれないけど・汗)、友情は"平等な思いやり"で構成されてると思うんだ。
なんて、役割の損得みたいなものが発生しがちだけど(そう思っているのは世知辛い私だけかもしれないけど・汗)、友情は"平等な思いやり"で構成されてると思うんだ。
恋人同士でも、夫婦でも、もし、互いに親友と呼べるほどの心の通い合いがあったなら、"相手に何かしてあげよう"という気持ちは持続するんじゃないのかな。
彼は自分が求めていたものの正体を無意識ではわかっていたのに、愛や恋がすべてだと思って彼女の"女な枠"しか見れなかったのかな・・・
それとも、彼はわかっていたのに彼女がそれに応えられなかったのかな・・・
「幸せにできなかった」
彼は自分が求めていたものの正体を無意識ではわかっていたのに、愛や恋がすべてだと思って彼女の"女な枠"しか見れなかったのかな・・・
それとも、彼はわかっていたのに彼女がそれに応えられなかったのかな・・・
「幸せにできなかった」
「男に生まれてこなかった」
というフレーズに、すでにこの二人の関係には最初から"制限"が付きまとっていたように思う。
幸せにならなくてもいいのに・・・
というフレーズに、すでにこの二人の関係には最初から"制限"が付きまとっていたように思う。
幸せにならなくてもいいのに・・・
男も女も関係ないのに・・・
彼も彼女もきっと
彼も彼女もきっと
何かを求め過ぎていて
何かが少し足りなかったんだ
もしかして、そこが"若い"ということだったのかもしれない。
・・・
自分が幼い聴き始めの頃は
「なんだか言い訳がましい男の歌だな」
って思っていた。
だけど、今日は全然別の
「この"彼女は彼を"幸せにしてあげようとは思わなかったのかな」
なんて思っている。
彼はきっと自分のキャパでは"彼女が望む幸せ"をあげられないって悟ったから別離に同意したのではないか。だから、彼女が自立した男だったら対等に付き合えたのに、などと思ったのではないだろうか。
この女性はなんのために彼と一緒にいたのだろう。
幸せにしてもらうために?
『ほおづえをつく女』も、『少しだけの荷物』も『通り雨』も、このアルバムの頃の女性像はどこか生活感のないお人形さんのような、儚いニュアンスもあるような気がしてる。
(それはネガティブな意味ではなくて)
・・・
果たしてこの青春、幕を閉じたけど、彼は演者だったのか、観客だったのか。
ヒロインの途中降板がとても残念なカーテンコールのない、若さの終劇・・・
なんだか、夕焼け雲のピンクと青ばかりが胸に焼き付いて忘れられない『君と歩いた青春』。
・・・
追:
私にはこの歌のような、純粋な美しい青春はなかったけれど、21世紀にもなって40代の中年になった今は、若さや青春の先にあった現実の重さも尊いものだって思えるようになった。
気付かないことが美しさであることが青春? 何でもアルと思っているのが若いということ?
でも、青春が過ぎてゆくことは何かを失うことなのではなくて、謎や疑問が解けてゆくことなんだなって、意外にも緩やかな気持ちになれている今の自分。
ト イウコトハ・・・
謎があるうちはまだ青春なのかもしれない☆
2011年02月
・・・・・
追追:2024年3月記
ここのところの過去のライブ音源ラッシュで、この『君と歩いた青春』も複数バージョンがリリースされているけれど、私は正直なこと言ってしまうと今のステージで聴く『君と歩いた青春』のほうが段違いに別物的にイイ!!と思っている。
『THE伊勢正三』収録の1977年風当時のものは別として、『~風が聴こえる~』や『stillmore』や『garden』に収録されているプレイは、どこかShoyanは内なる自分・自己完結・過去・結果・みたいなものを対象にして歌っている気がしてならないのだ。そこが物足りなくて私個人には遠いものに思われるのだ。
だけど、ここ数年・特にRe-born以降~更にコロナブランク以降で、倍々にこの『君と歩いた青春』の相互感が増したと思う。腹の底、胸の最深部から出てくる命の声に「この青春、君と歩いたし、今でも君と歩いている」という絆を感じるのだ。 私個人いつも、この歌を聴くときは疎外感を持っていたことは常々ここに書いてきたけれど、今はそう思わない。
今のShoyanは同窓会のつもりでこの歌を歌っているわけではないと感じるのだ。今は一緒に歩いていると確信出来ているから冒頭に書いた「君はなぜ男に生まれてこなかったのか」の残酷さは消えて、甘い伴侶の証に昇華した気がする。もう、オトコとかオンナとか関係ないっしょ♪と思えるんだ。
去りたいものは去ればいい、また還ってきてもいい、青い春は確かに過ぎたかもしれないけれど、でも不変な"春の色"そのものは誰もみな自分の中にあると思う。置いていかなくていいのだ、共にそこにある者同士で各々の春を謳歌しようよって、満開の桜の下での宴のような気持ちで聴いている。
相手のしあわせを想ってあげられることがオトナなのかな、そんな者同士の、"本当の心の春"の野辺を想う今の『君と歩いた青春』であります。
もしかして、そこが"若い"ということだったのかもしれない。
・・・
自分が幼い聴き始めの頃は
「なんだか言い訳がましい男の歌だな」
って思っていた。
だけど、今日は全然別の
「この"彼女は彼を"幸せにしてあげようとは思わなかったのかな」
なんて思っている。
彼はきっと自分のキャパでは"彼女が望む幸せ"をあげられないって悟ったから別離に同意したのではないか。だから、彼女が自立した男だったら対等に付き合えたのに、などと思ったのではないだろうか。
この女性はなんのために彼と一緒にいたのだろう。
幸せにしてもらうために?
『ほおづえをつく女』も、『少しだけの荷物』も『通り雨』も、このアルバムの頃の女性像はどこか生活感のないお人形さんのような、儚いニュアンスもあるような気がしてる。
(それはネガティブな意味ではなくて)
・・・
果たしてこの青春、幕を閉じたけど、彼は演者だったのか、観客だったのか。
ヒロインの途中降板がとても残念なカーテンコールのない、若さの終劇・・・
なんだか、夕焼け雲のピンクと青ばかりが胸に焼き付いて忘れられない『君と歩いた青春』。
・・・
追:
私にはこの歌のような、純粋な美しい青春はなかったけれど、21世紀にもなって40代の中年になった今は、若さや青春の先にあった現実の重さも尊いものだって思えるようになった。
気付かないことが美しさであることが青春? 何でもアルと思っているのが若いということ?
でも、青春が過ぎてゆくことは何かを失うことなのではなくて、謎や疑問が解けてゆくことなんだなって、意外にも緩やかな気持ちになれている今の自分。
ト イウコトハ・・・
謎があるうちはまだ青春なのかもしれない☆
2011年02月
・・・・・
追追:2024年3月記
ここのところの過去のライブ音源ラッシュで、この『君と歩いた青春』も複数バージョンがリリースされているけれど、私は正直なこと言ってしまうと今のステージで聴く『君と歩いた青春』のほうが段違いに別物的にイイ!!と思っている。
『THE伊勢正三』収録の1977年風当時のものは別として、『~風が聴こえる~』や『stillmore』や『garden』に収録されているプレイは、どこかShoyanは内なる自分・自己完結・過去・結果・みたいなものを対象にして歌っている気がしてならないのだ。そこが物足りなくて私個人には遠いものに思われるのだ。
だけど、ここ数年・特にRe-born以降~更にコロナブランク以降で、倍々にこの『君と歩いた青春』の相互感が増したと思う。腹の底、胸の最深部から出てくる命の声に「この青春、君と歩いたし、今でも君と歩いている」という絆を感じるのだ。 私個人いつも、この歌を聴くときは疎外感を持っていたことは常々ここに書いてきたけれど、今はそう思わない。
今のShoyanは同窓会のつもりでこの歌を歌っているわけではないと感じるのだ。今は一緒に歩いていると確信出来ているから冒頭に書いた「君はなぜ男に生まれてこなかったのか」の残酷さは消えて、甘い伴侶の証に昇華した気がする。もう、オトコとかオンナとか関係ないっしょ♪と思えるんだ。
去りたいものは去ればいい、また還ってきてもいい、青い春は確かに過ぎたかもしれないけれど、でも不変な"春の色"そのものは誰もみな自分の中にあると思う。置いていかなくていいのだ、共にそこにある者同士で各々の春を謳歌しようよって、満開の桜の下での宴のような気持ちで聴いている。
相手のしあわせを想ってあげられることがオトナなのかな、そんな者同士の、"本当の心の春"の野辺を想う今の『君と歩いた青春』であります。
先年、LINECUBESHIBUYAのコンサートに行って以来、渋谷ブームとなっていた自分には今回のDEMO音源の『渋谷川』を、凄く好きな曲として聴くことが出来た。いいタイミングだったと思います。
実は、やなわらばー氏たちの音源は当時なかなか聴き進めることが出来ず(個人の生活事情でお披露目のステージなども行けず)何故か遠い存在のままだった。
当時は「渋谷駅」「渋谷川」「東京湾」「ウージ」などのとても限定的な固有名詞が突き出ていて、なんとなく自分が部外者のような気持ちがしたのかもしれない。「あぁ、これはやなわらばーさんたちのものなのだな」と。
他の提供曲でそんなことを感じたことはないのですが、、、半分はヤキモチで、あと半分は直感?でなんとなく近寄れなかったのだった(謎)。
でも今回、Shoyanご本人が歌詞の順番を替えて歌っていらっしゃるのを聴いて、ものすごくしっくりとストレートな物語が感じられたので、改めて聴き進める事ができた。
・・・・・
やなわらばーバージョンの歌を聴いた時は、この歌の彼女は都会に出て来て自分の生活が出来てしまって、南の島の故郷とは乖離してしまって、まだそこにいる「あなた」と昔の自分を切り捨てていく話だと思っていた。戻れない時間=幻だと。
けれど、今回Shoyanが歌うバージョンを聴いたら、この彼女、都会に出てきたはいいけれど、もしかして一瞬立ち止まり(前に進めなくなり)、ふと故郷を想ったとき、還れる場所=「あなた」がもう無いのかな、と想うようになった。
地元で何かアクションを起こして夢を叶えようとしている彼には、同じ夢を追いかける別のパートナーが出来たりとか、、、。 だから都会の彼女は還る居場所が失くなってしまったのではないかと。彼の傍ら=幻だと。そんな風に感じた。ずっと、「繋がっているもの」の例えとしての海だと思っていたものが、裏を返せば「隔てているもの」だと。
実は、やなわらばー氏たちの音源は当時なかなか聴き進めることが出来ず(個人の生活事情でお披露目のステージなども行けず)何故か遠い存在のままだった。
当時は「渋谷駅」「渋谷川」「東京湾」「ウージ」などのとても限定的な固有名詞が突き出ていて、なんとなく自分が部外者のような気持ちがしたのかもしれない。「あぁ、これはやなわらばーさんたちのものなのだな」と。
他の提供曲でそんなことを感じたことはないのですが、、、半分はヤキモチで、あと半分は直感?でなんとなく近寄れなかったのだった(謎)。
でも今回、Shoyanご本人が歌詞の順番を替えて歌っていらっしゃるのを聴いて、ものすごくしっくりとストレートな物語が感じられたので、改めて聴き進める事ができた。
・・・・・
やなわらばーバージョンの歌を聴いた時は、この歌の彼女は都会に出て来て自分の生活が出来てしまって、南の島の故郷とは乖離してしまって、まだそこにいる「あなた」と昔の自分を切り捨てていく話だと思っていた。戻れない時間=幻だと。
けれど、今回Shoyanが歌うバージョンを聴いたら、この彼女、都会に出てきたはいいけれど、もしかして一瞬立ち止まり(前に進めなくなり)、ふと故郷を想ったとき、還れる場所=「あなた」がもう無いのかな、と想うようになった。
地元で何かアクションを起こして夢を叶えようとしている彼には、同じ夢を追いかける別のパートナーが出来たりとか、、、。 だから都会の彼女は還る居場所が失くなってしまったのではないかと。彼の傍ら=幻だと。そんな風に感じた。ずっと、「繋がっているもの」の例えとしての海だと思っていたものが、裏を返せば「隔てているもの」だと。
そして♪夕暮れの街はさみしさをまといながら~
のあとに続くフレーズが違うのも、やっぱりそんな風に全く違う意味の表れなのかと思う。
「なぜかわたしを招き入れた」の方が私は断然好きだ。
「なぜかわたしを招き入れた」の方が私は断然好きだ。
ここが一番気になる箇所だ。
一番Shoyanらしいのではないかと思っている。
『東京1975』の♪そんな時東京はきっとぼくの肩をたたき~ に通じるような・・・・。
都会は・・他所から来た者にとってはいつもひとりぼっちの場所なのに
都会は・・他所から来た者にとってはいつもひとりぼっちの場所なのに
「一人で泣ける場所もない」
なんて、捻じれ現象が起きているのかもしれない。
なんて、捻じれ現象が起きているのかもしれない。
「見上げれば道よりも狭い空」
なんて、そんなはずないのに狭く見える理由は、物質的なビルディングの容積よりも、自分の心のキャパが反映されているのだろうと思う。
なんて、そんなはずないのに狭く見える理由は、物質的なビルディングの容積よりも、自分の心のキャパが反映されているのだろうと思う。
”圧迫感と閉塞感”がそう見せるのではないかと、東京はモノがありすぎて逆に自分が空っぽになっていくことが同化なのかもしれないと思うのだ。
「今頃か」とお叱りを受けそうだけど、きっと私にとっては今わかるようになっていたのだなぁと面白く想っている。
・・・
全編パリッとしたギターが際立っていて、淡々とシンプルな中にもShoyanの思い入れが優しく刺さってくる。たゆみないアルペジオの中に時折変化するストロークは、Shoyanのその時思わず指が動いてしまった心の発露なのかと、とても生生しくてdemo音源ならではと嬉しく聴くのだ。思い入れたっぷりのソロ部分などは、都会の街並みや人の流れが影絵のようになって見えるようで本当にせつない(涙)。やはりこういった素肌な音源はいい。
またほかにも機会があるのなら・・・ぜひ聴いてみたいし待っている。
「今頃か」とお叱りを受けそうだけど、きっと私にとっては今わかるようになっていたのだなぁと面白く想っている。
・・・
全編パリッとしたギターが際立っていて、淡々とシンプルな中にもShoyanの思い入れが優しく刺さってくる。たゆみないアルペジオの中に時折変化するストロークは、Shoyanのその時思わず指が動いてしまった心の発露なのかと、とても生生しくてdemo音源ならではと嬉しく聴くのだ。思い入れたっぷりのソロ部分などは、都会の街並みや人の流れが影絵のようになって見えるようで本当にせつない(涙)。やはりこういった素肌な音源はいい。
またほかにも機会があるのなら・・・ぜひ聴いてみたいし待っている。
今回この『渋谷川』をShoyanご自身の声で聴かせてもらえたのはとても重要なことだった。自分の中でひとつ氷解したものがあった。
暗渠の蓋を取り払って、都会の薄い日差しが浅いコンクリの水底で光るような、さみしい安らぎが堪らない一曲だと想いながら聴いています。
暗渠の蓋を取り払って、都会の薄い日差しが浅いコンクリの水底で光るような、さみしい安らぎが堪らない一曲だと想いながら聴いています。
少し余計なことから・・・
”シティ・ポップ”なんて造語を持ち出したリバイバル商法?が台頭している昨今。今頃になってやっとやっとやっと!『スモークドガラス越しの景色』や『ORANGE』の真価が表立って評価されるようになったのだと、それは素直に喜ぼうと思う。
がしかし、Shoyanの”その頃”のアルバムや楽曲が現在再評価されているのは、それがシティ・ポップど真ん中!ではなかったから・ではないかと思うのだ。Shoyanは単に最先端の都会のサウンドを掴まえたわけではなく、人の心の機微を都会と鄙の距離や対比に託して歌にしていたのだと思うのだ。だからそれが今でも聴く人の「寄り添い」となって響くのだと思う。単なる懐かしさや新鮮さで終わらずに真の評価に繋がっているのだと、個人的に思っている。
Shoyanがなさってきたことは間違っていなかったんだ!と、ナゼか私まで胸を張ってしまいたくなるのだ。(*´ω`)v
(サブスクで気軽に昔の歌も一曲から再生できるというのはすごく大きなキッカケだと思うのです>知ってる人も知らない人も)
音楽は本当は「好きな人だけ好きでいればいい」とは思うけれど、やはり「あぁ、君も?」という同意も良いものなので、Shoyanが永きにわたって同じ濃さでお創りになって来た歌たちが今昔沢山の人に愛されているのは本当に素敵なことです。
・・・・・
先日、12月も半ばになって改めて海に行ってきた。
”シティ・ポップ”なんて造語を持ち出したリバイバル商法?が台頭している昨今。今頃になってやっとやっとやっと!『スモークドガラス越しの景色』や『ORANGE』の真価が表立って評価されるようになったのだと、それは素直に喜ぼうと思う。
がしかし、Shoyanの”その頃”のアルバムや楽曲が現在再評価されているのは、それがシティ・ポップど真ん中!ではなかったから・ではないかと思うのだ。Shoyanは単に最先端の都会のサウンドを掴まえたわけではなく、人の心の機微を都会と鄙の距離や対比に託して歌にしていたのだと思うのだ。だからそれが今でも聴く人の「寄り添い」となって響くのだと思う。単なる懐かしさや新鮮さで終わらずに真の評価に繋がっているのだと、個人的に思っている。
Shoyanがなさってきたことは間違っていなかったんだ!と、ナゼか私まで胸を張ってしまいたくなるのだ。(*´ω`)v
(サブスクで気軽に昔の歌も一曲から再生できるというのはすごく大きなキッカケだと思うのです>知ってる人も知らない人も)
音楽は本当は「好きな人だけ好きでいればいい」とは思うけれど、やはり「あぁ、君も?」という同意も良いものなので、Shoyanが永きにわたって同じ濃さでお創りになって来た歌たちが今昔沢山の人に愛されているのは本当に素敵なことです。
・・・・・
先日、12月も半ばになって改めて海に行ってきた。
鎌倉のLIVEの時には車で通り過ぎて行ったところを歩いてみたくなったからです。
やっと晴れた海と海岸に降り立ってちゃんと潮風を嗅ぐことが出来た。嬉しかった。
♪海が見たくなると
いつでも出かけた週末に~
自分が幼いころからあこがれていた一曲『Sea Side Story』は、とてもゆったりとしたメロディ。よく聴いてみると言葉は短く・簡潔だ。凄く深いフレーズや凝ったアレンジや色っぽいリアクションがあるわけでもなく、日常の中のフトした剥がれの始まり・が置いてある。
けれど、この歌もまた普遍のShoyanマインド=「♪言い訳しながら心では醒めてる」という、渚ゆく症候群的な心の機微がある。すっごくShoyanらしい一曲。初めて聴いたアルバムにこういった曲があったから、私は伊勢正三という人の歌を好きになってそのあと何十年も一番好きでいたのかもしれない、そういう大切な曲の一つです。何気ない歌ほど大切なことがアルのです。
中学生当時、何故かもの凄く海に行きたくて、それは当時の若者がワイワイと楽しく遊びに行く感覚ではなく、その頃個人的に湘南の海に縁の深い人に興味を持っていたからで、幼いころに行った三浦の油壷の景色と相まって、思春期の戸惑いと家庭内の面倒(^^;)で潰れそうな自分は、光あふれる明るい海の景色に独りでとても憧れていました。中学生が一人で海に遊びに行けるわけもなく、孤独なままSEに波の音が入っているこの歌を何度も聴いて、自分だけの海を心の中に構築しました。そこに退避したり泣いたり癒されたりしてたのです。Shoyanの歌はこの頃から・最初から私のシェルターでした。興味を持った人と一緒に出掛けたい海ではなく、自分だけの海を構築できたから今でもそこに還ることが出来るのだなと想うのです。
・・・
♪当然許してくれるなんてこと
♪海が見たくなると
いつでも出かけた週末に~
自分が幼いころからあこがれていた一曲『Sea Side Story』は、とてもゆったりとしたメロディ。よく聴いてみると言葉は短く・簡潔だ。凄く深いフレーズや凝ったアレンジや色っぽいリアクションがあるわけでもなく、日常の中のフトした剥がれの始まり・が置いてある。
けれど、この歌もまた普遍のShoyanマインド=「♪言い訳しながら心では醒めてる」という、渚ゆく症候群的な心の機微がある。すっごくShoyanらしい一曲。初めて聴いたアルバムにこういった曲があったから、私は伊勢正三という人の歌を好きになってそのあと何十年も一番好きでいたのかもしれない、そういう大切な曲の一つです。何気ない歌ほど大切なことがアルのです。
中学生当時、何故かもの凄く海に行きたくて、それは当時の若者がワイワイと楽しく遊びに行く感覚ではなく、その頃個人的に湘南の海に縁の深い人に興味を持っていたからで、幼いころに行った三浦の油壷の景色と相まって、思春期の戸惑いと家庭内の面倒(^^;)で潰れそうな自分は、光あふれる明るい海の景色に独りでとても憧れていました。中学生が一人で海に遊びに行けるわけもなく、孤独なままSEに波の音が入っているこの歌を何度も聴いて、自分だけの海を心の中に構築しました。そこに退避したり泣いたり癒されたりしてたのです。Shoyanの歌はこの頃から・最初から私のシェルターでした。興味を持った人と一緒に出掛けたい海ではなく、自分だけの海を構築できたから今でもそこに還ることが出来るのだなと想うのです。
・・・
♪当然許してくれるなんてこと
わがままに うぬぼれてた
とあるけれど、これ一般的な傍若な”わがまま”ではないと思う。
とあるけれど、これ一般的な傍若な”わがまま”ではないと思う。
”うぬぼれ”を漢字で書くと”自惚れ”、ちょっと角度の違う、ある意味本来の”自己愛”。自分優先していいじゃないか、と思うんだ。我の儘、自分のそのままの心で海が見たくなったこと優先していいと思うんだ。
約束してたのに無断で破ったのならアカンと思うけど、「週末だから当然私と遭うでしょ、予定空けておいて」と思っている相手に合わせなくてもいいのだと思ってしまう。
本当に心通う相手なら
「〇〇ならきっとココだと思った♪」
って、独りを堪能して帰るころになって、海辺の駐車場から手を振るような笑顔があるだろうと思う。ヘッドフォンを外して歯を見せる彼の口角まで見えるようです。
(40年越しの妄想(笑))
そんな風にお付き合い出来たらイイナと想う。
♪どんなせつなさにも
きっと潮風を嗅ぐように
約束してたのに無断で破ったのならアカンと思うけど、「週末だから当然私と遭うでしょ、予定空けておいて」と思っている相手に合わせなくてもいいのだと思ってしまう。
本当に心通う相手なら
「〇〇ならきっとココだと思った♪」
って、独りを堪能して帰るころになって、海辺の駐車場から手を振るような笑顔があるだろうと思う。ヘッドフォンを外して歯を見せる彼の口角まで見えるようです。
(40年越しの妄想(笑))
そんな風にお付き合い出来たらイイナと想う。
♪どんなせつなさにも
きっと潮風を嗅ぐように
浮かんでくる景色がある
「せつなさ」とは苦しいだけでなく、くすぐるようなニュアンスがあるということだろうか。
「せつなさ」とは苦しいだけでなく、くすぐるようなニュアンスがあるということだろうか。
またそれが癖になって抜け出せず・・・恋人と過ごす週末より優先してしまう、自分ラブソング。別れやすれ違い・剥がれの始まりのような歌なのに、どこか明るく軽やかな感じがするのは、この歌が自分自身の充実の歌だからかな。
この頃、ヒット曲の時代が過ぎて、Shoyanが改めてご自分の音楽・言葉を底上げしようと取り組まれてからは、聴き手も想うことがさらに増えていっただろうと想像する。想えない人は遠ざかったかもしれない、でもそこを諦めないで自分の感性を丁寧にカタチにして揃えて並べて組んでいったShoyanの音楽生活の結果が今、大きなモザイク画のようになって、遠目にもわかる美しい景色になったのだなと思っている。何で出来ているかわからなくても(専門的な知識や特異な感性がなくても)「誰もが一目でわかる美しさ」を今のShoyanは手に入れられたのだと感じているのです。どんな聴き手にもわかる自然の造形のような本当の美しさ・です。
こういった、始まりの頃の何気なさそうな歌を聴くと尚更に想うのです。
この頃、ヒット曲の時代が過ぎて、Shoyanが改めてご自分の音楽・言葉を底上げしようと取り組まれてからは、聴き手も想うことがさらに増えていっただろうと想像する。想えない人は遠ざかったかもしれない、でもそこを諦めないで自分の感性を丁寧にカタチにして揃えて並べて組んでいったShoyanの音楽生活の結果が今、大きなモザイク画のようになって、遠目にもわかる美しい景色になったのだなと思っている。何で出来ているかわからなくても(専門的な知識や特異な感性がなくても)「誰もが一目でわかる美しさ」を今のShoyanは手に入れられたのだと感じているのです。どんな聴き手にもわかる自然の造形のような本当の美しさ・です。
こういった、始まりの頃の何気なさそうな歌を聴くと尚更に想うのです。
幼いころから憧れていた海と防波堤とお気に入りの歌の世界を、、、今年は特にそんな風に『伊勢正三の海』を再認識する気持ちが深かったです。
・・・・・
相手は許してくれなさそう、
でも経ってゆく”時”は許してくれる。
・・・・・
相手は許してくれなさそう、
でも経ってゆく”時”は許してくれる。
だから、つい、”時”に甘えてみたくなる。
他人の心より時の流れの方が確実で正確無比なのだ。
この頃の”偶然”は有り得なくなくて、”偶然未満”だったのかなって思う。通じ合うまでに至らず別れてゆく彼女の物語は全然別冊だったのだ・・・と。
「電話かけてきたんだってね」
「電話かけてきたんだってね」
「カセットに詰め込んで」
今になれば、そのフレーズはノスタルジー。音声電話さえ今は希薄。これから人はどうやって自分の気持ちを誰かに伝えていくのだろう。
言葉とか要らなくて、波の寄せる音のように永遠に聴いていられる世界に二人で在れたらいいなと想う。
ずっと聴いてきたからずっと聴いていける、そういう歌をたくさん作ってくれてありがとうShoyan。
また来年も色々なメロディに出逢えることを祈っています。
海が見たくなるといつでも出かけたい年末に☆
今になれば、そのフレーズはノスタルジー。音声電話さえ今は希薄。これから人はどうやって自分の気持ちを誰かに伝えていくのだろう。
言葉とか要らなくて、波の寄せる音のように永遠に聴いていられる世界に二人で在れたらいいなと想う。
ずっと聴いてきたからずっと聴いていける、そういう歌をたくさん作ってくれてありがとうShoyan。
また来年も色々なメロディに出逢えることを祈っています。
海が見たくなるといつでも出かけたい年末に☆
七氏
@Chigasaki Kaigan
『どこまでもSilentNight』を聴いた当初、実は長いこと『背伸びのプレゼント』とは、彼女が履いてきたその、雪に塗れた細いヒールのハイヒール(靴)のことなのだと思っていた。
彼がそこに至るまでのいつかの日に(誕生日などに)、今の自分のステイタスには見合わないような金額を奮発して、海外ブランドなどのすごく素敵なハイヒールを彼女にプレゼントしてあって、それを彼女がこの特別な日(初めて一緒に過ごすクリスマスの夜)に履いてきたのだ~♪とばかり思いこんでいたのであった。彼、あぁ俺があげたハイヒール履いてきてくれたんだ♪wktk♪と嬉しくて、さっきまでのサミシサもどかしさはどこへ・・・というHappyな気分なのだと・・・。汗
(幼き十代の日のヘンテコな思い込み妄想お許しください)
がしかし、実際の歌の舞台は急き込んでTAXIから降りてきた逸る気持ちの彼女が、これまたちょっとお洒落の気合が入っていて、いつもより高めのピンヒールを履いて、つま先をスッと雪に差し込むような姿勢で彼へのプレゼントを抱えてる・というシチュエイションなのではないかと思います。きっと普段から履き慣れて見えるような雰囲気ではなく、ツンっと本当に背伸びをしてハイヒールを履いた新鮮な彼女のシルエットだったに違いない。
・・・
と、こんな小さなことを今年のクリスマスに置いておきます。
彼がそこに至るまでのいつかの日に(誕生日などに)、今の自分のステイタスには見合わないような金額を奮発して、海外ブランドなどのすごく素敵なハイヒールを彼女にプレゼントしてあって、それを彼女がこの特別な日(初めて一緒に過ごすクリスマスの夜)に履いてきたのだ~♪とばかり思いこんでいたのであった。彼、あぁ俺があげたハイヒール履いてきてくれたんだ♪wktk♪と嬉しくて、さっきまでのサミシサもどかしさはどこへ・・・というHappyな気分なのだと・・・。汗
(幼き十代の日のヘンテコな思い込み妄想お許しください)
がしかし、実際の歌の舞台は急き込んでTAXIから降りてきた逸る気持ちの彼女が、これまたちょっとお洒落の気合が入っていて、いつもより高めのピンヒールを履いて、つま先をスッと雪に差し込むような姿勢で彼へのプレゼントを抱えてる・というシチュエイションなのではないかと思います。きっと普段から履き慣れて見えるような雰囲気ではなく、ツンっと本当に背伸びをしてハイヒールを履いた新鮮な彼女のシルエットだったに違いない。
・・・
と、こんな小さなことを今年のクリスマスに置いておきます。
しかも自分の勘違いエピソードですが(;^ω^)。
でも、去年もこの『どこまでもSilentNight』のことをちょっと書いたのでしたっけ。一年あっという間です。まさか一年後こんな状況とは思わなんだ。・・・ここ数日ちょっとだけ心身色々あって、心定まらずで間が空きましたが、今日もここでこんな風に愛おしきShoyanの歌のことを数行でも書けることをしあわせに想います。
少し遅れましたがメリー・クリスマス☆
綺麗なカードも美味しいお酒も暖かいソファもありませんが、今年一年のShoyanの最高のパフォーマンスに真心の底の底から愛と感謝を届けたい一夜です。
今年も残すところあと少し・・・
でも、去年もこの『どこまでもSilentNight』のことをちょっと書いたのでしたっけ。一年あっという間です。まさか一年後こんな状況とは思わなんだ。・・・ここ数日ちょっとだけ心身色々あって、心定まらずで間が空きましたが、今日もここでこんな風に愛おしきShoyanの歌のことを数行でも書けることをしあわせに想います。
少し遅れましたがメリー・クリスマス☆
綺麗なカードも美味しいお酒も暖かいソファもありませんが、今年一年のShoyanの最高のパフォーマンスに真心の底の底から愛と感謝を届けたい一夜です。
今年も残すところあと少し・・・
静かに残りの宵を過ごしましょう。
☆LIVEセレクション、再放送も観ましたが
やはり思うことは同じ、
☆LIVEセレクション、再放送も観ましたが
やはり思うことは同じ、
「名演多々あれど、やっぱり今のShoyanが一番凄い!」です。
今のShoyanが一番スキです(憧)

今のShoyanが一番スキです(憧)
ハッ! Σ('▽')
そ、そういえば、”彼の時計”が5気圧以上の防水機能時計だったらシャワーの時にもはずさないかもしんないじゃんっ!!(今頃かっ)
うむ、やはり「貸して見して~♪」のほうが自然だな。
・・・ん~、、、
でも、”そういう時”にはやっぱり時計も外して欲しいような気もする!?
けどでも、、、腕枕してもらって耳元で「チッ チッ チッ・・・」って針が進む音が聴こえるのもいいかもしれない・・・
と、シチュエーションのリアルはいいとして(汗)。
一緒にいられる幸せな時間を計るのか、
そ、そういえば、”彼の時計”が5気圧以上の防水機能時計だったらシャワーの時にもはずさないかもしんないじゃんっ!!(今頃かっ)
うむ、やはり「貸して見して~♪」のほうが自然だな。
・・・ん~、、、
でも、”そういう時”にはやっぱり時計も外して欲しいような気もする!?
けどでも、、、腕枕してもらって耳元で「チッ チッ チッ・・・」って針が進む音が聴こえるのもいいかもしれない・・・
と、シチュエーションのリアルはいいとして(汗)。
一緒にいられる幸せな時間を計るのか、
おやすみbyebyeするまでのタイムリミットを計るのか、
どんな気持ちでいたらいいのやら・・・
そのキモチを言葉にできない彼女は、ずっと彼の腕にピッタリ装着されている腕時計にヤキモチ焼いたのかな?それとも「時計くん、彼に私のキモチ伝えて」と想い託したのかな。
。、、、、、
『小さな約束』がリリースされたときに、曲紹介などで「『ほんの短い夏』にも通じるような」と引き合いに出ていましたが、『ほんの短い夏』と『小さな約束』のシチュエーションは全然似て非なるものと私は個人的に思っています。
・・・おっと、寝る前に急に思いついた断片でした。
そのキモチを言葉にできない彼女は、ずっと彼の腕にピッタリ装着されている腕時計にヤキモチ焼いたのかな?それとも「時計くん、彼に私のキモチ伝えて」と想い託したのかな。
。、、、、、
『小さな約束』がリリースされたときに、曲紹介などで「『ほんの短い夏』にも通じるような」と引き合いに出ていましたが、『ほんの短い夏』と『小さな約束』のシチュエーションは全然似て非なるものと私は個人的に思っています。
・・・おっと、寝る前に急に思いついた断片でした。
考え出すとキリがないのでひとまずこれでまた追々!
※日本で電波時計が市販されるようになったのが1993年だそうだ。彼女がコッソリ遅らせても自動で時刻が訂正されてしまったらどうしよう!?
(/ω\)
時計の話題はキリがありません♪
(*´▽`*)
※日本で電波時計が市販されるようになったのが1993年だそうだ。彼女がコッソリ遅らせても自動で時刻が訂正されてしまったらどうしよう!?
(/ω\)
時計の話題はキリがありません♪
(*´▽`*)
”曙”とは?
ほのぼのと夜が明けてゆくさま。
だが、Shoyanの(風の)『曙』という歌の情景はどうやら夕暮れっぽい?
ほのぼのと夜が明けてゆくさま。
だが、Shoyanの(風の)『曙』という歌の情景はどうやら夕暮れっぽい?
そこが面白い。
夜明けならば「月が出るまで」ではなく、「おひさまが昇るまで」ではないのか?と。
夜明けならば「月が出るまで」ではなく、「おひさまが昇るまで」ではないのか?と。
でもそれが月だからよいのだ。
(それとも明け方の白む空に出る月なのか?ひとまずそれは置いておきます)
(それとも明け方の白む空に出る月なのか?ひとまずそれは置いておきます)
キラキラの元気な朝陽ではなく、柔らかな象牙色の月が薄暮に浮かぶような安堵が欲しい、そんな”心の夜明け”を満喫したい感じなのかなと思う。
♪影を残して西へと流れてゆく
今日の終わりを愛する人へ
月の出を待つ夕暮れの安堵感は、せわしない日常の中の”リアル”、夜明けの曙の光明は”理想”としてこれから先にある未知なるものなのだと想う。この混在・攪乱がこの歌の高みを感じさせてくれる。ホントに渋くて、でも身近に置ける近しさも感じる暖かい歌だ。
悲しみと幸せ
夜明けと日の入り
終わりと始まり
東京とそっとした暮らし
雪と大きな流れ(河)
みな、背中合わせのようであるが同じものだと、当時のShoyanの陰陽思想のようなものを感じる。それは40年以上前のShoyanの”気付きの季節”のイントロダクションかもしれなくて、これからこの後ずっとShoyanはご自身のその気付きを掘り下げて具現化されていくのだけれども、この『曙』のほんのり感はとても優しく、軽やかに今現在の哀しい時代を癒してくれている。
この歌も実は隠れレゲエ調なのかな?
♪影を残して西へと流れてゆく
今日の終わりを愛する人へ
月の出を待つ夕暮れの安堵感は、せわしない日常の中の”リアル”、夜明けの曙の光明は”理想”としてこれから先にある未知なるものなのだと想う。この混在・攪乱がこの歌の高みを感じさせてくれる。ホントに渋くて、でも身近に置ける近しさも感じる暖かい歌だ。
悲しみと幸せ
夜明けと日の入り
終わりと始まり
東京とそっとした暮らし
雪と大きな流れ(河)
みな、背中合わせのようであるが同じものだと、当時のShoyanの陰陽思想のようなものを感じる。それは40年以上前のShoyanの”気付きの季節”のイントロダクションかもしれなくて、これからこの後ずっとShoyanはご自身のその気付きを掘り下げて具現化されていくのだけれども、この『曙』のほんのり感はとても優しく、軽やかに今現在の哀しい時代を癒してくれている。
この歌も実は隠れレゲエ調なのかな?
(今”レゲエ”って言わないみたいですが^^;)
アルバムの中どんどん進んでいく各曲の中で、こういう曲調の歌って、フっと自分の椅子に座って寛いでいるような楽な気持ちになれていいのです。
後半の転調の部分の立ち止まりが”やり直せる感・再出発感”を持たせてくれる。それは鼓舞や激励じゃなくて、週末休みの終わる日曜夜のショートドラマのようなひとときであります。
・・・
夕暮れのホッとする気持ちと、心の闇が明けてゆく新しい気持ちと、同時に包み込んである優しい歌、一年の終わりにもピッタリで、こんな頃合いに歌われたのがとても素敵だったなと想う。
ちなみに、先述の『悲しくなるほど』にもあるように、朝の明るくなった空の思わぬところにまだ白い月が残っている時がある、私はそれがとても好きです。星や月や色や雨をもたらしてくれる”空”はShoyanの歌の大切なスケッチ帖なのですね。
「悲しくてもイイヨ」と
優しく添ってくれる、
今の満ちたShoyanの寛い愛。
♪悲しみなんて幸せの前触れ
そうあるために、この歌を聴く時は自分を諦めないでいようと思えるのだ。
・・・
今までShoyanの歌からもらったたくさんの愛を、逆に全部お返しして届けたい・と思う一年の終わりの月です。 LIVEラスト一本!熱い大阪で楽しく最高盛り上がりますように☆
いつも想像を絶する1000%で全力投球してくれるShoyanに、感謝と、ここに持ち得る最大限の愛を込めて!(届)
※LIVEでは確かに“東京日暮れ歌シリーズ”な『冬京』と被る感じがある?かもなので、どちらかだけでよいのかもしれません♪
夕暮れのホッとする気持ちと、心の闇が明けてゆく新しい気持ちと、同時に包み込んである優しい歌、一年の終わりにもピッタリで、こんな頃合いに歌われたのがとても素敵だったなと想う。
ちなみに、先述の『悲しくなるほど』にもあるように、朝の明るくなった空の思わぬところにまだ白い月が残っている時がある、私はそれがとても好きです。星や月や色や雨をもたらしてくれる”空”はShoyanの歌の大切なスケッチ帖なのですね。
「悲しくてもイイヨ」と
優しく添ってくれる、
今の満ちたShoyanの寛い愛。
♪悲しみなんて幸せの前触れ
そうあるために、この歌を聴く時は自分を諦めないでいようと思えるのだ。
・・・
今までShoyanの歌からもらったたくさんの愛を、逆に全部お返しして届けたい・と思う一年の終わりの月です。 LIVEラスト一本!熱い大阪で楽しく最高盛り上がりますように☆
いつも想像を絶する1000%で全力投球してくれるShoyanに、感謝と、ここに持ち得る最大限の愛を込めて!(届)
※LIVEでは確かに“東京日暮れ歌シリーズ”な『冬京』と被る感じがある?かもなので、どちらかだけでよいのかもしれません♪
プロフィール
HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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検索窓的な♪
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