Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。
先年、LINECUBESHIBUYAのコンサートに行って以来、渋谷ブームとなっていた自分には今回のDEMO音源の『渋谷川』を、凄く好きな曲として聴くことが出来た。いいタイミングだったと思います。
実は、やなわらばー氏たちの音源は当時なかなか聴き進めることが出来ず(個人の生活事情でお披露目のステージなども行けず)何故か遠い存在のままだった。
当時は「渋谷駅」「渋谷川」「東京湾」「ウージ」などのとても限定的な固有名詞が突き出ていて、なんとなく自分が部外者のような気持ちがしたのかもしれない。「あぁ、これはやなわらばーさんたちのものなのだな」と。
他の提供曲でそんなことを感じたことはないのですが、、、半分はヤキモチで、あと半分は直感?でなんとなく近寄れなかったのだった(謎)。
でも今回、Shoyanご本人が歌詞の順番を替えて歌っていらっしゃるのを聴いて、ものすごくしっくりとストレートな物語が感じられたので、改めて聴き進める事ができた。
・・・・・
やなわらばーバージョンの歌を聴いた時は、この歌の彼女は都会に出て来て自分の生活が出来てしまって、南の島の故郷とは乖離してしまって、まだそこにいる「あなた」と昔の自分を切り捨てていく話だと思っていた。戻れない時間=幻だと。
けれど、今回Shoyanが歌うバージョンを聴いたら、この彼女、都会に出てきたはいいけれど、もしかして一瞬立ち止まり(前に進めなくなり)、ふと故郷を想ったとき、還れる場所=「あなた」がもう無いのかな、と想うようになった。
地元で何かアクションを起こして夢を叶えようとしている彼には、同じ夢を追いかける別のパートナーが出来たりとか、、、。 だから都会の彼女は還る居場所が失くなってしまったのではないかと。彼の傍ら=幻だと。そんな風に感じた。ずっと、「繋がっているもの」の例えとしての海だと思っていたものが、裏を返せば「隔てているもの」だと。
実は、やなわらばー氏たちの音源は当時なかなか聴き進めることが出来ず(個人の生活事情でお披露目のステージなども行けず)何故か遠い存在のままだった。
当時は「渋谷駅」「渋谷川」「東京湾」「ウージ」などのとても限定的な固有名詞が突き出ていて、なんとなく自分が部外者のような気持ちがしたのかもしれない。「あぁ、これはやなわらばーさんたちのものなのだな」と。
他の提供曲でそんなことを感じたことはないのですが、、、半分はヤキモチで、あと半分は直感?でなんとなく近寄れなかったのだった(謎)。
でも今回、Shoyanご本人が歌詞の順番を替えて歌っていらっしゃるのを聴いて、ものすごくしっくりとストレートな物語が感じられたので、改めて聴き進める事ができた。
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やなわらばーバージョンの歌を聴いた時は、この歌の彼女は都会に出て来て自分の生活が出来てしまって、南の島の故郷とは乖離してしまって、まだそこにいる「あなた」と昔の自分を切り捨てていく話だと思っていた。戻れない時間=幻だと。
けれど、今回Shoyanが歌うバージョンを聴いたら、この彼女、都会に出てきたはいいけれど、もしかして一瞬立ち止まり(前に進めなくなり)、ふと故郷を想ったとき、還れる場所=「あなた」がもう無いのかな、と想うようになった。
地元で何かアクションを起こして夢を叶えようとしている彼には、同じ夢を追いかける別のパートナーが出来たりとか、、、。 だから都会の彼女は還る居場所が失くなってしまったのではないかと。彼の傍ら=幻だと。そんな風に感じた。ずっと、「繋がっているもの」の例えとしての海だと思っていたものが、裏を返せば「隔てているもの」だと。
そして♪夕暮れの街はさみしさをまといながら~
のあとに続くフレーズが違うのも、やっぱりそんな風に全く違う意味の表れなのかと思う。
「なぜかわたしを招き入れた」の方が私は断然好きだ。
「なぜかわたしを招き入れた」の方が私は断然好きだ。
ここが一番気になる箇所だ。
一番Shoyanらしいのではないかと思っている。
『東京1975』の♪そんな時東京はきっとぼくの肩をたたき~ に通じるような・・・・。
都会は・・他所から来た者にとってはいつもひとりぼっちの場所なのに
都会は・・他所から来た者にとってはいつもひとりぼっちの場所なのに
「一人で泣ける場所もない」
なんて、捻じれ現象が起きているのかもしれない。
なんて、捻じれ現象が起きているのかもしれない。
「見上げれば道よりも狭い空」
なんて、そんなはずないのに狭く見える理由は、物質的なビルディングの容積よりも、自分の心のキャパが反映されているのだろうと思う。
なんて、そんなはずないのに狭く見える理由は、物質的なビルディングの容積よりも、自分の心のキャパが反映されているのだろうと思う。
”圧迫感と閉塞感”がそう見せるのではないかと、東京はモノがありすぎて逆に自分が空っぽになっていくことが同化なのかもしれないと思うのだ。
「今頃か」とお叱りを受けそうだけど、きっと私にとっては今わかるようになっていたのだなぁと面白く想っている。
・・・
全編パリッとしたギターが際立っていて、淡々とシンプルな中にもShoyanの思い入れが優しく刺さってくる。たゆみないアルペジオの中に時折変化するストロークは、Shoyanのその時思わず指が動いてしまった心の発露なのかと、とても生生しくてdemo音源ならではと嬉しく聴くのだ。思い入れたっぷりのソロ部分などは、都会の街並みや人の流れが影絵のようになって見えるようで本当にせつない(涙)。やはりこういった素肌な音源はいい。
またほかにも機会があるのなら・・・ぜひ聴いてみたいし待っている。
「今頃か」とお叱りを受けそうだけど、きっと私にとっては今わかるようになっていたのだなぁと面白く想っている。
・・・
全編パリッとしたギターが際立っていて、淡々とシンプルな中にもShoyanの思い入れが優しく刺さってくる。たゆみないアルペジオの中に時折変化するストロークは、Shoyanのその時思わず指が動いてしまった心の発露なのかと、とても生生しくてdemo音源ならではと嬉しく聴くのだ。思い入れたっぷりのソロ部分などは、都会の街並みや人の流れが影絵のようになって見えるようで本当にせつない(涙)。やはりこういった素肌な音源はいい。
またほかにも機会があるのなら・・・ぜひ聴いてみたいし待っている。
今回この『渋谷川』をShoyanご自身の声で聴かせてもらえたのはとても重要なことだった。自分の中でひとつ氷解したものがあった。
暗渠の蓋を取り払って、都会の薄い日差しが浅いコンクリの水底で光るような、さみしい安らぎが堪らない一曲だと想いながら聴いています。
暗渠の蓋を取り払って、都会の薄い日差しが浅いコンクリの水底で光るような、さみしい安らぎが堪らない一曲だと想いながら聴いています。
プロフィール
HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
このブログサーバーが落ちて表示されない場合は↑に避難しています。
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