Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

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少し余計なことから・・・

”シティ・ポップ”なんて造語を持ち出したリバイバル商法?が台頭している昨今。今頃になってやっとやっとやっと!『スモークドガラス越しの景色』や『ORANGE』の真価が表立って評価されるようになったのだと、それは素直に喜ぼうと思う。

がしかし、Shoyanの”その頃”のアルバムや楽曲が現在再評価されているのは、それがシティ・ポップど真ん中!ではなかったから・ではないかと思うのだ。Shoyanは単に最先端の都会のサウンドを掴まえたわけではなく、人の心の機微を都会と鄙の距離や対比に託して歌にしていたのだと思うのだ。だからそれが今でも聴く人の「寄り添い」となって響くのだと思う。単なる懐かしさや新鮮さで終わらずに真の評価に繋がっているのだと、個人的に思っている。

Shoyanがなさってきたことは間違っていなかったんだ!と、ナゼか私まで胸を張ってしまいたくなるのだ。(*´ω`)v

(サブスクで気軽に昔の歌も一曲から再生できるというのはすごく大きなキッカケだと思うのです>知ってる人も知らない人も)

音楽は本当は「好きな人だけ好きでいればいい」とは思うけれど、やはり「あぁ、君も?」という同意も良いものなので、Shoyanが永きにわたって同じ濃さでお創りになって来た歌たちが今昔沢山の人に愛されているのは本当に素敵なことです。

・・・・・

先日、12月も半ばになって改めて海に行ってきた。
鎌倉のLIVEの時には車で通り過ぎて行ったところを歩いてみたくなったからです。
やっと晴れた海と海岸に降り立ってちゃんと潮風を嗅ぐことが出来た。嬉しかった。

♪海が見たくなると 
 いつでも出かけた週末に~

自分が幼いころからあこがれていた一曲『Sea Side Story』は、とてもゆったりとしたメロディ。よく聴いてみると言葉は短く・簡潔だ。凄く深いフレーズや凝ったアレンジや色っぽいリアクションがあるわけでもなく、日常の中のフトした剥がれの始まり・が置いてある。

けれど、この歌もまた普遍のShoyanマインド=「♪言い訳しながら心では醒めてる」という、渚ゆく症候群的な心の機微がある。すっごくShoyanらしい一曲。初めて聴いたアルバムにこういった曲があったから、私は伊勢正三という人の歌を好きになってそのあと何十年も一番好きでいたのかもしれない、そういう大切な曲の一つです。何気ない歌ほど大切なことがアルのです。

中学生当時、何故かもの凄く海に行きたくて、それは当時の若者がワイワイと楽しく遊びに行く感覚ではなく、その頃個人的に湘南の海に縁の深い人に興味を持っていたからで、幼いころに行った三浦の油壷の景色と相まって、思春期の戸惑いと家庭内の面倒(^^;)で潰れそうな自分は、光あふれる明るい海の景色に独りでとても憧れていました。中学生が一人で海に遊びに行けるわけもなく、孤独なままSEに波の音が入っているこの歌を何度も聴いて、自分だけの海を心の中に構築しました。そこに退避したり泣いたり癒されたりしてたのです。Shoyanの歌はこの頃から・最初から私のシェルターでした。興味を持った人と一緒に出掛けたい海ではなく、自分だけの海を構築できたから今でもそこに還ることが出来るのだなと想うのです。

・・・

♪当然許してくれるなんてこと
 わがままに うぬぼれてた

とあるけれど、これ一般的な傍若な”わがまま”ではないと思う。
”うぬぼれ”を漢字で書くと”自惚れ”、ちょっと角度の違う、ある意味本来の”自己愛”。自分優先していいじゃないか、と思うんだ。我の儘、自分のそのままの心で海が見たくなったこと優先していいと思うんだ。

約束してたのに無断で破ったのならアカンと思うけど、「週末だから当然私と遭うでしょ、予定空けておいて」と思っている相手に合わせなくてもいいのだと思ってしまう。

本当に心通う相手なら

「〇〇ならきっとココだと思った♪」

って、独りを堪能して帰るころになって、海辺の駐車場から手を振るような笑顔があるだろうと思う。ヘッドフォンを外して歯を見せる彼の口角まで見えるようです。

(40年越しの妄想(笑))

そんな風にお付き合い出来たらイイナと想う。


♪どんなせつなさにも 
 きっと潮風を嗅ぐように
 浮かんでくる景色がある

「せつなさ」とは苦しいだけでなく、くすぐるようなニュアンスがあるということだろうか。
またそれが癖になって抜け出せず・・・恋人と過ごす週末より優先してしまう、自分ラブソング。別れやすれ違い・剥がれの始まりのような歌なのに、どこか明るく軽やかな感じがするのは、この歌が自分自身の充実の歌だからかな。

この頃、ヒット曲の時代が過ぎて、Shoyanが改めてご自分の音楽・言葉を底上げしようと取り組まれてからは、聴き手も想うことがさらに増えていっただろうと想像する。想えない人は遠ざかったかもしれない、でもそこを諦めないで自分の感性を丁寧にカタチにして揃えて並べて組んでいったShoyanの音楽生活の結果が今、大きなモザイク画のようになって、遠目にもわかる美しい景色になったのだなと思っている。何で出来ているかわからなくても(専門的な知識や特異な感性がなくても)「誰もが一目でわかる美しさ」を今のShoyanは手に入れられたのだと感じているのです。どんな聴き手にもわかる自然の造形のような本当の美しさ・です。

こういった、始まりの頃の何気なさそうな歌を聴くと尚更に想うのです。
幼いころから憧れていた海と防波堤とお気に入りの歌の世界を、、、今年は特にそんな風に『伊勢正三の海』を再認識する気持ちが深かったです。

・・・・・


相手は許してくれなさそう、
でも経ってゆく”時”は許してくれる。
だから、つい、”時”に甘えてみたくなる。
他人の心より時の流れの方が確実で正確無比なのだ。
この頃の”偶然”は有り得なくなくて、”偶然未満”だったのかなって思う。通じ合うまでに至らず別れてゆく彼女の物語は全然別冊だったのだ・・・と。


「電話かけてきたんだってね」
「カセットに詰め込んで」

今になれば、そのフレーズはノスタルジー。音声電話さえ今は希薄。これから人はどうやって自分の気持ちを誰かに伝えていくのだろう。

言葉とか要らなくて、波の寄せる音のように永遠に聴いていられる世界に二人で在れたらいいなと想う。

ずっと聴いてきたからずっと聴いていける、そういう歌をたくさん作ってくれてありがとうShoyan。

また来年も色々なメロディに出逢えることを祈っています。

海が見たくなるといつでも出かけたい年末に☆ 

七氏


@Chigasaki Kaigan

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No Name 七氏
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職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

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