Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

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※2012年5月~数回分をまとめたものです
・・・・・

「戦争は嘘かもしれない・嘘だろう」
って、誰が言ったんだろう?

某所のインタビューでShoyan自ら

"でも一番伝えたかったのは
「戦争は嘘(うそ)じゃない 本当のこと」
という歌詞"

とおっしゃっていた。

だから一番気になる。
NASAのアポロ月面着陸映像を嘘だ・という説を信じる若者が多いというけど、そんな話のレベルとはワケが違う・・・

どこから"戦争は嘘"という前提が出てきたのだろう?
この"戦争"というものがひとつではなくて、また始まりも終わりもないものだと。そう想いながら聴いているけれど、これらの断定的な言い回しが少し、、ほんの少しだけ「らしくない」ような気がする。

一番大切な部分だと言うのに?
それが"新しい"ということ?・・・否否?

この部分のメロディがとても好きだから、とってもShoyanらしいメロディだと想うから、本当にキニナルヨ・・・「知らない」ことと「嘘だと思う」ことは随分と違うことのように思える。「嘘」という単語、響き、その前提にほんのりとした違和感を覚える。
夫婦喧嘩だって争いだ。

人は、人と争ったことを、そう簡単になかったことには出来ない。たとえ体験していなくても、大勢の人が争い・亡くなった事象を「嘘」だなんて思うだろうか・・・
それと、ホタルの光に戦の火花を重ね、爆撃機を鈍色の鳥と呼び、若い兵士と母、戦争、傷み、胸が千切れる・・・という、非常にストレートというか、類型というか、戦争っぽい単語を置いて静物画スケッチをしたかのような、そんな印象も少し"らしくない"気がする。

Shoyanがセッティングするフレーズはいつも、針の先のような鋭い言葉や、暖かい陽射しのような親近感に溢れたものだったりする。でもそれは決して他の言葉と差し替え出来ない唯一の合致だったはずだ。だけど今回の詞はフレーズとフレーズを編む接着剤が希薄で、脈絡が感じられない部分があるようで、だから、どこか散漫な気がしてしまう。そこが腑に落ちない=Shoyanらしくないのでは?と。

これらが聴き手の胸の中で少しの軋みを感じるのなら、やはりその動機・嵌めこみ方に何らかの"外的要因"がある気がしてならない。

 シツコイネ ワタシモ (汗)

部分的に何度も消して、そしてまた足して、凹んだ元の言葉の消し痕に鉛筆がひっかかるような、何故かそんな感じがするのだ。

・・・・・

映画本編も観ず、舞台挨拶も見に行っていないのにこんな問いを起こすのはすごく失礼なことかもしれない。でも、勇気を出して書いておく。いつか、Shoyanに(歌を通して)具体的に伺ってみたいことだ。

~戦闘機の爆音 今も未来は遠い

~泳ぐ魚の群れに石を投げてみた 
 逃げる魚たちには何の罪があるの? 
 
そう、歌った人の、今の言葉なのか・と。
(「紛れもなく僕の言葉だよ」とおっしゃるかもしれないが)

・・・・・

"映画の主題歌"とは、まず映画ありきだと思う。歌の聴き手としてはそこが難しいところ。ましてや、O林監督のような"映像権力者"なら歌にまで・・・などと思ってしまう。
(「100%俺の歌ですが何か?」ってShoyan怒るだろうな^^;)
戦争という事象は非常にナイーブでデリケートな事柄だ。本当に、一個人が一概に決め付けたり"利用"したり出来るものではないと想う。今回Shoyanがご自身名義の歌の中でそういった単語をお使いになったことに私はこだわりたい。

・・・・・

一方、
~望まないまま 急いで早く運びたくなる

ここが、すごくShoyanらしいと想う。

「そんなもの」って何?
空を飛ぶ自由さと、思いがけない身に不相応なチャンス。それらを手に入れても、もてあまして扱いに困って投げ出すか、勘違いして傍若無人に振り回したくなる。むしろこの一節が争いの矛盾と人の愚かさを匂わしているのじゃないか・・・って、Shoyanの意図か意識か、無意識か・・・それはわからないけど、でも、聴き手への確実な一石であると感じる。胸に正しい波紋が広がる。こういった表現がArtistの仕事だなって想う。

※ものを産み出すことと、どこかから持ってきた材料をディスプレイ(虚飾)すること、この二つは、まったく違うことだ。

そしてそのメロディーは本当に自由で軽やかで、まさに今のShoyanの一本足打法!どこかが奇数になっている不安定さが更に大きな安定感を産む。

私が小さい頃から大好きだった、

~睡蓮の花のベッドの上で~♪

に通じる切ない暖かさの曲だって・・・
まずメロディーに委ねてみる♪
詞よりも先に曲の心地良さがキュンとくる。
不思議だ。

メロディーを楽しむために歌詞を覚える感覚・・・
ワルツの、すくい上げるような曲調は、沈む心やうつむく泣き顔をそっと持ち上げてくれる。全神経が集中した柔らかいShoyanの手の温もりを感じる。キスする前に顎に添える手みたいに・・・

「でも今はしないヨ みんなが見ているからネ♪」

と、ウィンクされて未遂に終わるのがイイ。

戦争モチ-フの歌なのに、そんな部分に色っぽいことを感じる私は"耳がerosなタイプ"なのかもしれない・・・スミマセン(汗

だから、この歌の具体的な言葉の表現よりも、メロディーの"香り"や"ニュアンス"・"起伏"に「Shoyanの本当のこと」を感じるのだ。絵本の読み聞かせのような丁寧な歌声とギター、これだけで充分なんだ。

・・・・・

その歌の、根底に流れている不変のメッセージに触れた時、一切の雑音が消える。

「まず、自身が愛に満たされること」

平和の源はそこにあるのだと教えてくれる。
その愛の音に気付けるか?

聴き手の大切なミッション、これからもこの歌を聴きながら遂行していきたい。

ShoyanがLOVESONGを歌われる根拠に私たちがなれたらイイナと想いながら・・・
「伊勢正三(の歌)は色っぽい」

などと言い出したのは誰だろう? 
(ワタシ?(笑)チガーウ)

実はそう見えて、ShoyanのLOVESONGたちに直接的な表現て案外少ない(と想う)。

>細い肩のあたりに
>泣く君のおでこに
くらいで・・・

濃密なLOVESONGなのにソレが少ないのは何故か?
行為そのものは、それだけでもう終始してしまうから・ではないかしら。Shoyanが歌に込めたいものって"容れ物"に収まるようなものではなくて、もっと自由で、触れたり見たり出来るものだけではないと想うんだ。だから、肉体の作業だけでは容量が足りない・・・
などと妄想してみる。

「夜が短すぎて愛を語り尽くせない」

の方が果てしないよね。

・・・

でも、やはり時々は直球もよいのだ。

『人魚の誘惑』の

~そっと抱きしめて くちづけ交わした

などの部分は非常に珍しく、その分リアルでドッキリする(この頃の歌は共作なので、どこまでがShoyanの作詞なのかわからないけど)。でもこの歌の中で一番好きなフレーズだ。

水谷豊氏のカバーバージョンでは、この部分の詞が変更されていてちょっと残念だ。けれども、、、その分、Shoyanご本人の歌の方がニュアンスが濃くてドキドキする。
HEARTBEATのアルバムの曲たちは"抱き加減"が濃くて、9曲中4曲に「抱」が出てくるのだけど、もっと濃密な「くちづけ」が出てくるこの部分はある意味、かなり特殊なHotSpotだと想う。
同じくちづけでも、北斗七星『サンルームの鍵』の、

~「おはよう」とくちづけるひとときに

のような、鞘に収まった安寧とは正反対の、アヤウイくちづけである。
非常にアヤウイ・・・(悶

しかし、
よくShoyanの歌たちに出てくる男たちの「夢」って何だろう?

"恋心"かしら・・・
いや、"恋心を抱く行為"のことだろうか。

その『サンルームの鍵』で処分したはずの"今まで見たすべての夢"が、またこの頃やしのばれむ・・・?

~とどかぬ(かなわぬ)愛とわかっても

と『夜にまぎれて』あたりと同じ様な欲求をこの頃の前後に感じるのは、何かブームがあったのかなとか、自分がオトナになった今、ヒッソリと想ってみたりする。

・・・

時を湛えた都会の海の、その人波に漂い、まぎれて消えるから人魚なんだね。ひとたび関われば、その肉を食して不老不死になり(怖っ)死ねなくなった八百比丘尼のように、永遠に成就しない想いを抱えていかなくてはならないのかと想う。
その誘惑に勝てるのか否や!?

男の夢が恋することなら、
女の夢は愛されること。

その水深の違いが絶妙なセツナサを生む。
恋の海に引きづり込まれて溺れてみるか?足(現実)のない彼女を抱きかかえて陸の上で生きていくのか・・・楽な方を選ぶのがオトコ。

もてあそばれて悦に入るもの・・・。

・・・・・

歌を歌うはクチビル
ギターを弾くは指
それは愛の交歓のイントロのようだ

楽器を演奏しながら歌を歌う、という行為は、そもそも非常に色っぽいことなのだ。

同じ言葉を同じ音でなぞる時
その唇の動きはあなたと一緒
歌を歌うことは
無限のくちづけなのだ
それは終わらないローレライ♪
・・・と、
そんな妄想は泡になって水面に光り
空に昇ってゆきました 
(´∀`) 。o○

『テレポーテーション』を聴いていたら、このことを思い出したので投稿しておく~♪@2011年
確かに!昔の信号機の青の色は緑だった。今はLEDに替わってしまって、形容しがたいギラギラした色になってしまったケド・・・。でも、いずれにしろ青信号はそのまま進んでいいんだよ・という安心の色なんだと思うと、この歌の歌いだしからして「肯定」だ!と嬉しくなるのであった。

こんな歳になって、まだ先の人生があるとは段々思えなくなってきて、壁にぶつかったまま脚を動かし続けているおもちゃのロボットのような自分。Shoyanからしたら「それくらいの歳で何を言ってるんだ、ボクの今の"活き様"をよく見てご覧?」と笑われるくらいだと思うのだけど、、、(汗)

そんな私の情けない昨日と明日を

♪まっすぐな一本道だと わざわざ決めつけなくてもいいから

って、横から袖を引っ張って振り向かせてくれたこの歌。
「老成」しなくてもいいんだ、「築き」や「完成」よりも、「気付き」や「感性」で行こうよって。

失う&足りる、負けても楽しい、色んなことが裏表・共にあるんだと諭してくれている。
水鳥は浮かんでいるように見えて、でも水面下の脚は流れに対してメチャ頑張って掻きつづけているわけで、逆らうまでには至らなくても、むしろそれでやっと自然に見えるのだって。
結果の出ないことの方が多い努力、いや、努力が足りない自分、きっとフツーに出来ていない自分は欠陥品だと、そう自問自答しながらいることを「未完成はしなやかさというパワーでもあるんだよ」って、いい方へ言い換えてくれるShoyanのMagicで気持ちが本当に楽になった(涙)。

・・・・・

サビに入る部分で雪印CM曲だった♪未来の女神たち~の歌を思い出す。「初めて逢った頃」と「未来」もなんだか一緒のようで、風の日の少年だった誰もがは、もちろん女のコも含まれるなぁって思うのだ。だって女のコも少年ですから!!
(でも「俺たち」は「俺たち」なのかもしれないケドケド・・・後日別記)
そして何となく、、あるひとつの時代のpioneer~開拓者・だったShoyanたちの、誰かほかのアーチストたちへのエールのような"煽り"のようなキラメキをも感じるのだ。今のShoyanの現役感は突出しているからっ!(>▽<)

・・・・・

「負けても楽しいジャンケンみたいに」と言うフレーズが大好きで、親しい間柄で盛り上がる楽しい時間をリアルに思い浮かべて、これもShoyanだからチョイスできた言葉だ、と思う。
そういった弾むココロそのままのベースラインはこれまた独特で、軽やかでバネの効いたウサギ年的な?縦横無尽さを感じる。

最初にプロモーション音源を聴いたとき、「この曲のベースいいな!!」ってすぐ思った。Shoyanご本人の演奏と知ってグッときて、音が生きていてカッコいいと思った。Shoyanの音は他の何にも代えがたい豊かさを持っていて、聴けば知らなくても必ず耳に残る。
Re-bornの曲たちのShoyanの演奏はどれもみな今まで以上に濃くて質量を増している!と思った。いつも進行形なのが凄いのだ!!

・・・・・

今はもう、なびくほどの髪が無い"元少年"も多いことだろう。私もまた哀しきショートヘアだ。ただ、時の風はいつでも吹いているのだと、風を知りたい・と思う心は忘れずに、これからも生きていたいと思うのだ。この歌のように青いままで!!

正やん大好き!ずっと!!と思う、『青春』から続いているスッゴク伊勢正三らしい一曲だと思った。☆



※そうそう、"視点の角度"って本当に面白いフレーズ。そこからももっと掘り下げてみたいと思う。
HIRO氏のソロアルバム
『Midnight Sun』より
作詞:伊勢正三 作曲:HIRO『鏡の中の君』
http://www.lacrymachristi.jp/HIRO_MidnightSun.html


今までShoyanの歌を出来るだけ色々聴き続けてきたけれど、この

「♪いつものように濡れた髪を乾かしてあげる」

の衝撃は凄くて、聴くたびに心で小さく悲鳴を上げるのだ。去年夏の発売日以降、カーステレオで聴きながら何度悶絶したことか・・・。

源氏物語の光源氏と幼い紫の上の戯れのように、あまりにも精神的にエロティックで、この"性的でないエロス"が深すぎて、21世紀の今、Shoyanの中からこういった敏感なフレーズが出てきたことに、もうほんとに興奮してしまって眩暈がする。、、、何度も赤面してしまうのであります。

「いつものように」ってナニ!?
事前なの?事後なの?
いつなの???って。
→考えすぎ(汗)

今回の他の提供詞たちもそうだけど、今まで匂わせたり包んだりしていたものがどんどん開かれてきてる!Shoyanの直球来たー!って、言葉が弾んでいるなって思うのだ。この開放感が特に嬉しいのかもしれない。

そして、

「♪二人出逢った季節哀しくない落ち葉踏みしめ君と行こう」

は、まさにShoyanの世界の真ん中で、恋人たちの普遍の道行風景だ。『夏の沈黙』などにもあるような、私の大好きな二人の旅路なのだ。

恋人たちはナゼいつも道を探しているのだろう?

人生の道って道幅が決まっていて、歩き方を間違うとはぐれたり滑落(!)したりするのかな、とか、一人しか歩けない道をどうやったら二人歩けるのか・・・あの方法しかないのか、、とか、現実的なことを思ったりもする。

でもこういったフレーズが心の底でそっと時の流れを留めてくれるようで、疾走感のある曲の中での大切な錘の役目をしていると思う。オトナっぽくて、切ない隠し味だ。
「哀しくない落ち葉」ってとてもロマンのある言葉で、Shoyanならではの視点、すごく惹かれる。時を経ることが美しいのだと思わせてくれる優しいものだ(涙)。

そして、また次は一転
「♪それは眩しいくらい 
 僕だけのものじゃないと思わせ 
 それは・・・僕のものだよ」

の、決めフレーズが超~~さそり座的で本当に悶絶なのだ!一瞬だけのあどけなさで彼女が腕をスルリと抜けてしまうと、彼はまるで翻弄されているように見えるけど、

その実、

「たとえ君がどんな化粧をしようが、いつどこへ誰と遊びに行こうが、君は僕が育てた(Makeした)オンナなのだからね」

という、JOKER的にカードを裏返すような含みがあってこれぞ伊勢正三の毒針の一撃!なフレーズだと思う。

君は僕に背を向けて、ただ自分自身のことだけを見つめているから”鏡の中の君”も僕を見てはいないけど、僕にはキミの後ろ姿ではなく、鏡の中の君が見えている。鏡の中のボクがまたその横にいて・・・

と、合わせ鏡で永遠に縫い合わさっていくのかもしれないなと想うのです。本当は「鏡の中のボク」なのかもしれない・と。これは本当にShoyanにしか出来ないことで、Shoyanにしか創れない言葉の針だと思う。永い・・・永い物語なのだって思うのだ。男女の関係が一つだけではない・ということがわかる歌だと思う。

新しくもあり王道でもある歌なのだ。

HIRO氏のメロディーがまた耳馴染みがいいのだけど、唯一無二なノリがあって、忘れられなくなる。ギターが最高にカッコ良いので相乗効果が濃いぃぃ!!!

HIRO氏のこのアルバムを聴いて「エレキエレキエレキ!!!!」とムズムズしていた私は、年が明けてRe-bornを聴いて本当に嬉しかった。メッチャ熱いShoyanご本人のエレキギターが聴けたので本当に感激した。

HIRO氏の曲とShoyanの詞のコンビは今までにない世界が構築されて本当に素晴らしかったので、また機会があればもっともっと、と思う。

ホント、この企画は目が覚める思いで、去年の夏に突然頬を強く張られたような衝撃だった。Re-bornの前走はこの頃すでに始まっていたのだなと、今また思い直すのであった。

※歌詞の引用が多すぎたかもしれませぬ(汗。
ゼヒHIROさんのアルバムを買ってお聴きくださいまし。
歌いだしの景色はまるで、和紙の切り絵かちぎり絵のような、彼の指のフレームの中のスケッチかなと思う。

イントロ&間奏のエレキギターの柔らかいセピア色な感じがすごく好きで、奥行きがあって、この歌の景色が今より遠いものだって教えてくれる。少し、gardenの頃のセミアコの音色のようなギターがノスタルジック。それだけでなく、続けてガットギターも絡んでくるのが贅沢で押せ押せなShoyan♪

そしてよく聞くとくるくる回るようなギターやストリングスのアルペジオ?、これがどうにもはやる心を煽るようななだめるような絶妙なニュアンスを感じる。

合間の可愛い鼓の音、最初からすごく気になっていたけど、鼓とは思わず、なんだかピホッピホッ♪って可愛い音に萌えていた。まるで夜のアオバズクの声のような・・・そして大太鼓は、遠雷の音かなって・・・。

この曲のアレンジは綺麗な懐石料理の重箱のような、各音の味付け盛り付け配色が美しくて、聴く耳に豊かさが残る。甘酸っぱい「うぶ」な感じと、オトナの余裕のような「伝統」が同居していて、ほんにこれは今のShoyanが作った歌だなぁって思うのだ。こういった歌の誕生に立ち会えて嬉しい!

・・・・・

♪制服胸のポケットペンのインク滲むハートになるんだ
♪すぐに破れて紙のハートになるんだ

この二つは最強胸キュンアイテムで、Shoyanの歌が視覚に訴える代表例だと思うわけで、彼の青々しさと彼女の自覚のない誘惑がすごく素敵なフレーズだナ(*´ω`)。

♪君を知って夏が過ぎてゆくなら
 切なさとはそのすべてが君です

この言葉のねじれ現象も、Shoyanにしか出来ないレイアウト!恋が理屈じゃなく、恋は始まってから前兆に気付くのだと。特にこんな仄かなイントロダクションならなおさらに、遠くなるほど後々ハッキリ見えるのかもと思うのだ。

「ずっと好き」だったのに、今「君を知って」とは?
たぶん夏より前から好きだったのかな、でもこの夏とうとう知ってしまった「更なる君」を。戸惑いながらももっと欲しくなって、でもまた言えないキモチが増えていく、彼はホントに燃えるだけの篝火なのかもしれない。ポツリ・と来た恋の雨粒でこの炎、燃え盛るのか、鎮火してしまうのか・・・。

・・・でも彼は恋の石段を転がり落ちていきそうで、登っているのに踏み外してしまいそうなおぼつかない足元で、恋の靴紐がほどけそうな純情~(*´ω`)だなって思うのだ。

彼女の方はこの彼と待ち合わせて、いったいどんな風に想っているのだろう、女の子ってワカラナイ!(女子に「純情」という感情はあるのだろうか・・・)

・・・・・

風の音とはなんだろう?

この季節この時この今、心が動いた・恋をした証だろうか。はやる心が風を切るのかな、、、モスキート音みたいに、若いからこそ聴こえる恋の音域があるのかもしれない。。今となってはもう、自分の胸の中でしか聞こえないケド・・・

Shoyanのハモニクスの音には聴こえない音がいっぱい入っている。遠い昔のことも今のことも、、、そして、きっと何百年もまだ先まで鳴り続けているのではないかと思うから、私は何度も生まれ変わってまたその音を聴きたいと想うのだ。

今年の夏は何度も聴くことだろう。そしてまたこれからの想い出もこの歌に沁み込んでいくと思う。

懐かしいけど白紙のノート、なのだ。


※後記

なんとなく、、、最後の二節

♪風を切れば 風の音が聴こえる
♪夢ひと夏 空蝉鳴く・・純情

の部分だけあとから追加されて完成したのではないかと、ナゼかフト想った。理由や根拠は全然ないのだけれども・・・
Re-bornの曲はまだまだ・・と思っていたのに、ナゼか突然、この歌から書こうかなと思った。国際フォーラムでのコンサートに行ったから、何か感じてしまって・・・

・・・・・

ずっと前から、こういう自由で懐かしいShoyanの"好み"が知りたいと思っていた。「僕の青春教えてアゲル♪」みたいなジェスチャーが堪らない。
とても暖かいモフモフタオルのような歌、本当に切なくて可愛くて大好きだ(*´ω`)。
個人的にはすぐに浮かんだ風景が東京駅~皇居の周りのビル群とイチョウの並木・・・そもそも東京都の木はイチョウなのだけど、、、今回コンサートのあった国際フォーラムはちょうどそのエリア内なので、空き時間に雨に濡れた日比谷あたりの街並みを歩けてとても嬉しかった。昔は九段下や青山通り方面はよく利用したケド・・・今日は色づく秋ではないけれど、懐かしさもあって雰囲気に浸りまくりのシアワセに肩を濡らして歩いた。

凄まじいビルの林立を抜けると、皇居の上空だけぽっかりと空が自由で、都会の寂しさを想うに十分だった。今回のRe-bornは都会の中のラブソングが多いような気がするネ。


・・・・・

ギター誌で解説のあったウクレレベース、その音がちょっと民族楽器みたいな?響きとボンボン時計のような感じで、昔の柔らかい都会の足元を想う。

水たまりや、雨に落ちた煙草の吸殻、粉っぽいガードレールは排気ガスで煤けて濡れている・・・レトロな街の恋。跳ねる雨粒のようなパーカッション?昔、釣り番組で川辺で雨に打たれながらリズムをとっていたShoyanの姿を想い出す。蕗の葉を雨よけに使ってお茶目なShoyanだった。

・・・・・

「恋のあぜ道」というフレーズが面白くて好きだ。
幅も狭くて、左右にぬかるみ・・・ワケアリの二人がゆく道はちょっと不安定?ボサノバのような、ルンバのような、優しいリズムが二人が寄り添って歩いている姿に見える。

~どうせ二人のために・・ 
 傘に隠れるように
 イチョウ並木を秋に 
 色づける雨よ

雨の配慮(目配せ)で、不思議な二人だけの世界を想う。何百万人も人がいる都会の中で、二人だけの密な世界を作れたら理想だと思うケド、、、
「思いつめた瞳」で「ほんのひと時」なのだと思うと、「ずっと」の意味は重い。だから、「スキ」の範囲内でとどめたまま、その周りを包囲している"現実"に気付かないままでいたい・のだなって(涙)。

後半、雨の大都会の街角から、突然月の砂漠に飛ぶ。
このロマンチックトリップはせめてもの自由な夢で、金の鞍と銀の鞍にゆらり揺られて二人だけでただゆきたいけど、それは"タンデム"じゃないのが切なくて、せめて甕を結んだ紐よ切れないで・・・と想うのだ。

ロマンチックに勢いがあって大好き過ぎるこの展開(^^*)。都会の窮屈さ・刹那さだけじゃない、"救い"を感じて、永遠の恋は遠くに置いて眺めるもの・・・と慰めるのだ(涙)。


その
 
♪二人で埋めに行こおよ~ぅ・・・

って、Shoyanの"語尾ロール"は本当に堪りませぬ!!
愛の念押しに胸の中がキュっとなる。
 
やはり、今のShoyanが作った歌が今のShoyanご本人に一番無理なく自然にフィットしている。その囁きは甘さを増して・・・低い柔らかさだけじゃない、熱いカップを持った指みたいな感触や、時に結晶した蜂蜜みたいにざらつく感じも魅力で、今すごくスゴク素敵だ。

そっとこの恋人たちを見守る気持ちで聴いている。
『小さな約束』と背中合わせのようなこの歌、オトナの恋ってイイナァって夢見る心地でずっと聴いていきたい永遠の憧れだ。


☆降っても行き場のない雨が溜まって美しい水鏡撮影が出来た
※『ソロ・シングルス・プラス』の発売後、
2011年の初めころに書いたコト

・・・・・

~何も聞こえなくてもただ
~何も答えなくてもただ
~何気なく流れる時が
~何もない空からこぼれる
~何げない日々の中のどこかで生まれる・・・

"新しい静けさ"って何だろうか?
「安らぎ」のことだろうか
それとも
「諦め」に近いものだろうか

いや・・・
「得心」みたいなことじゃないかな?

"何も聞こえなくて、何も答えない"
と言うことは
指示もなく、支持もない・ということ
普通は避けたい状況ではないか
孤独じゃないか・・・
でも、そういう時にこそ愛は試される
その先に見つけられたものは強い

この歌は、誰と誰がいつどこでナニをしてどうなった・・・というような具体的なことは出てこない。"あなた"とはどんな存在なのか・それも深くて限定し難い大きなものを想う。初めて聴いたころは、実感が湧かなかったこの歌の示すもの・・・
でも、今はまさに"たどり着かない幸せ"に自分の役割を感じている。人はみな、自分や身内が幸せであることを願う。幸せはあればあるだけ良いと思う。でも"幸せ"は永久に有り余ることはない。100%手に入れたら120%欲しくなる。120%の次は200%・・・と。

だから、その幻想を追い求め始めると、いつまでも不足を感じたままで満たされることがない。

幸せは・・・
フト見上げた窓の外の景色とか
鞄の中のポーチにそっとしまって置くような
そんな風に傍に在ればいいのにと思う
もしくは、いつも傍に居る大切な人の
笑顔の中にあるのなら最高だと思う

幸せは自分がなるものではなく
誰かにあげるもの・・・

と思うの

それが本当のフラットな心
~新しい静けさ・なのじゃないだろうか

『Soloシングルス+』だから、両面シングルになったこの歌が収録されているのは、特に変わったことではないけれど、ソロになってからの曲を数曲だけにまとめる際に『レミングの街』『メガロポリスの錯覚』などのラブソングの、一番大きな外郭(重要)のニュアンスを全部この『新しい静けさ』一曲にこめてここにチョイスしたのでは?と思う。

そう思うと、もっともっと感じなくちゃいけないことは沢山ある・って、今、我がことのように聴けるこの歌、今になってまた何度も何度も繰り返して聴いている。

・・・

Shoyanが最近コンサートのMCなどでよくおっしゃる
「辛いことも楽しいこともあるから生きてるってコト」
というようなことが今わかるような気がする

つい最近、妹が
「お姉ちゃんが頑張ってることや我慢してることって、きっといつか報われるものだと思うよ」
なんて言ってくれたことと両方、この歌を聴いていると"それは本当だよ"って確信が溢れ出してくるみたいだ・・・

色んな意味で自分は今辛いこともある
けれど
常に"愛の真ん中"にいる・
ということにも気付く

この歌もまたShoyanからの永い手紙だった
あの時、まだなかった今のこの私の"問い"に
ちゃんと16年後に答えてくれる様に
この歌を作っておいてくれたんだね

『ソロ・シングルス・プラスに入れてくれて、また気付かせてくれたことに、本当に心からの愛を感じる。今この歌を聴けて嬉しい。
"あなたの息吹"は
たどり着かない幸せ

たどり着かないから
離れることもないのだと
わかったからサミシクナイのです


・・・・・
※2011年当時の文そのままで載せました
※またそろそろ雨の季節なので、2011年に書いたものを載せておく。

・・・・・

~自由になるんだね きっときっと・・・

果たして・・・
何から自由になるというの?

『Rain Into Your Heart(愛のために)』は、初めて聴いた日からずっと好きな曲。何故か長年にわたって執着してしまう・・・というか、かなり最初の頃に知った曲なので、ローレンツ博士的に言うと、このShoyanの裸の情熱は産まれたての私のShoyan愛に最初に刷り込まれてしまい、以後、絶えることなく熱を供給し続けているんだ。でも、何十年経っても未熟な私はその"自由"の得方がわからないままでいる。自由なんて、知ってはいけない気がして・・・

・・・

風やかぐや姫などの20代の頃の曲に比べて、ORANGEやHEARTBEATあたりは濃いミルクのように熱い。この熱はどこからきているんだろう・・・?

その"熱"は歌のための引用に過ぎないかもしれないけど、ホントは、少しは、Shoyanご自身の元々のデフォルトでもある・と私は想っている。『悲しくて』『夜にまぎれて』『Tonight Tonight』などの"雨の慟哭"に打たれる激情型LOVESONGたちは、『雨の物語』などの 人物の静止画と違って、鼓動で上下する胸のふくらみや、声や、涙や、湿った掌まで感じられるみたいで、それが"リアル"で体温を感じるんだ。
この頃のアヤウイ感じが今でもスゴク好きなのだ・・・(憧)。

以前ここで

>人は普段、素肌同士で触れ合うようなことを
>公言することを好まない
>だからそういう誰が聴いても安心して聴ける歌には
>安定需要があるのだろう

などと生意気書いたけど(そのうちアップします)、恋や心の発露は、綺麗事だけじゃ収まらないと思う。

やるかたのないもどかしさや切なさを、激しい雨の道行で洗い流してしまいたくても、二人の閉じ込められた車中に降る"時間の雨"のほうが激しくて、更に彼女の胸の中の降水確率の方が高くて、身に纏っているシャツも常識もしがらみも、びしょ濡れになって脱ぎ捨てたくなるだろう。

~行きどまりの街で 何もかも忘れ ・・・

と、刹那的な恋に雨はよく似合う。
だがしかし、この「(愛のために)」が、"愛の成就のために"だとしたら、試練という名の雨も、いつかはあがって、その先の希望に辿り着けるということなのかな?この"Rain"の正体が、今でも私をすごく惹きつけるのだ。

・・・

でも、この歌に情報は多くなく、前後のことや登場人物の事情はわからない。また、知る必要もない。

Shoyanの歌作りは歌に故意の物語を創りこむより、"シチュエーションのコラージュ"に重きを置いているように思う。(それはソロのこの時期くらいから余計如実に…)モチロン、念入りな作業によるオリジナリティ溢れる感性で編まれた言葉とメロディなのだけど・・・。そのShoyanセレクトの"シチュエーションの提供"によって、聴き手の胸の中で完成されることが前提にあるのでは?と思う。だから永く聴ける歌が多いのだ・・・きっと。
撮ってきた写真を現像してテーブルに並べて、二人でああだこうだとディスカッションするような、そんな曲がソロになってからは多いように思う。

ソレガイインダ♪ 
(妄想もひとつの手法!?^^;)

・・・・・・・

こういう直情的なShoyanの歌が好きだった。でも今はまたその情熱、チョット隠してるみたい?優しい歌が多くなったかな。

でもでも、
隠せば隠すほど、その"仕草"には顕れてマスShoyan(*´∀`)ワー
歌は詞やメロディだけじゃなくて、アーチストの身体からも発せられるものもあって、それを感じられるほど今も傍にいるような気がする。

これからのShoyanのこれからの雨の歌、まだまだ聴きたい。最近のステージの激しさ・練熟さをみれば、今からの雨のほうが、きっともっと"熱い"はず。ワイパーも効かないような激しい恋の歌、今からのShoyanが歌っても素敵だと想うんだ
ネ(´∀`*)

2011年10月04日記

プロフィール

HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!

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