Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

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テレビで放送された今年のサマピの映像を観ていると、Shoyanとおいちゃんの『22才の別れ』の時に画面が引きになり、バックに海を挟んで博多の港の風景が見えた・・・ずいぶん近いように見えた。でも、自分の記憶の中ではもっと遠くに蜃気楼のように浮かんで見える景色がある。

・・・

中学生の時、レンタルレコード店で『windlessblue』と『時は流れて・・・』を借りた。それはカセットテープに録音して大事に大事に何度も聴きました。(録音してよかったのかどうかはわかりませぬ、時効にしてください^^;)

ちょうど修学旅行で京都奈良に行く頃聴き始めたので、windlessblueの曲たちは何故か私に関西っぽさ、旅先感、関東以外の場所を思い出させる。そしてその頃、非常にムツカシイ思春期心理の真っただ中にいたので、懐かしくて寂しくてタマラナイ気持ちと共に今もあるアルバムなのだ。

その、思春期からの距離感を一番感じるのが『3号線を左に折れ』だ。ずっとずっと、私の胸の中で浮いたり沈んだりしながら漂い続けている一曲。

まず、地図帳を広げた。当時の私にとっての3号線は"首都高三号線"であって、用賀や六本木を通って東京タワーへ分岐するあの、都会の足場のような景色なのだけど、、、そうじゃないだろうって思って一生懸命国道3号線を探した。

「ググる」なんて文明の利器(笑)がない頃は、そんなことから始まった幼い探求心だった。「国道3号は九州にある!福岡か~、スゴイ!10号線と併せてぐるっと一周できるのか!」と興奮した。でも「あの街並みが見える遠くかすんで・・・」ってなんだろう、海を見に行ったのにナゼ街並みが見えるの??って、とても不思議だった。

今となっては、もしくはリアルタイムでファンだった人たちには既出で既存のことでも、追っかけひとりぼっちファンの自分にはわからないことだらけだったのだ(涙)。

だから一生懸命地図を見て、3号線を左折して行ける海で街並みが見える場所・・・と探したときに"海の中道"という場所があると知ってすごく感激した。本当にそこなのかは今もわからないけど、ぐるっと回り込んだ砂洲で、しかもアノ!志賀島に続いているところだと知ってなおさら興奮した。それこそストリートビューもない訳で、地図だけ見て本当に色々空想した。

塩辛い砂交じりの風が吹く
さみしい海
季節はきっと秋から冬?

行ったことのない九州の季節ってどんなだろう。Shoyanの故郷は大分なはずだけど、博多湾てどんなところだろう、海の色や砂の色はどんな色だろうって、想いながら、、独りになりたい自分は何度もこの歌の中で独りになった。

こんなにさびしい曲、他になかなかない。数あるShoyanの歌の中でも極度にさびしい一曲ではなかろうか。

ずいぶん後になって、Shoyanが一年大学浪人して博多にいたことがあると何かで読んだか聞いたかした。その時の気持ちが歌に反映されているのかな。この歌はすごく「当事者的」で、目線とかメッセージとか想いのようなものよりも、ただ自分が本当にそこに立ってるだけ・の砂浜の風の"寒しさ"を感じる。ただそれだけで本当に茫漠とした空っぽの自分になれる。それがすごく好きなんだ。

故・羽田氏のピアノのシンプルな伴奏と侘しささえ漂うトロンボーンの音が案内してくれる、誰もいない”季節はずれの海”。本当は細かくアコギやエレキの一音、ドラマチックなドラムも入って、当時の音楽好きな男性ファンなどは凄く聴きこんだんじゃないかなって思わせる豊かな情景。ラストのフレーズはShoyanのヴォーカルが重なって聴こえる。この頃の音楽はみな演奏のアプローチが豊かで、曲を作ったり歌ったり聴いたりすることがとても楽しかっただろうなと思いを馳せる。

・・・

後年、といってももう30歳も過ぎた頃、ある機会があって、初めて博多の街に行くことがあった。用事を済まして翌日、迷わずレンタカーを借りて海の中道へ車を走らせてみた。リアル3号線だ!って表示板を見て大感動しながら走った。

雁ノ巣というところだったろうか、その先の砂浜だったろうか、何もない砂浜はややオレンジがかった白い美しい浜で、広くて、本当に海を挟んでビルやタワーが立ち並ぶ博多という都会の街並みが見えた。それは東京湾のようにギラギラしているわけでもなく、横浜のように余裕かましているわけでもなく、とても素朴な、人の生活感のある優しい都会だった。西の街は歴史が長いからなのか、東京より景色が柔らかい気がする(個人の感想です)。
本当はいけないのかもしれないけれど、持っていた小さなペットボトルに砂をひとすくい汲んできた。ゴミも不純物もない鳴き砂のように綺麗な砂だった。家に帰ってきてしばらくしてから紙の上にあけてみたら、さらさらの砂の中に小さな貝殻が入っていた。泣けてしょうがなかった。

数少ない旅行の経験の中で、この海の中道を訪ねた記憶は本当に忘れ難く苦しくさみしいもので、靴の中に入った砂のようにくすぐったいものです。
っと、自分語りを延々してしまいました。お許しを。


・・・

砂に埋めた二人の記念写真は・・・いつか時の潮が満ちて来たらまたきっと掘り返されて波打ち際に還ってくる。それとも、沖の深い海溝の底へ還っていくのかな・・・37年聴いてもまだ決められない・・・

波打ち際に立つと、目を閉じてみたくなるのは、つい独りに還ってしまうからだ。『bayside eyed soul』の彼女も、つい、一瞬、横にいるその彼のことチョットだけ忘れたんじゃないかナ。
自分以外の存在と出逢って好き合って、ひとつになりたいと思う時、でもそれは自分が"純粋=個"じゃなくなるコト。「きれいなもの」だけでいられなくなるコト。二人が混じり合うにはまだ若過ぎたのかナ・・・(寂)。

・・・

♪しまっておいたストーブ
 もう出さなければいけない季節です

このワンフレーズですべて語れてしまう凄さなのだ。Shoyanのこの熨斗の水引のような見事な締めくくりは、私の胸の中にも切なさを確実にホチキス留めしていく。バチッバチッて。

ちょうどそこで聴こえるトロンボーンの一節が本当に切なくて・・・秋の"慕わしさ"を引き剥がして冬の"諦め"に持っていく。何気ない喪失感が堪らない。涙。

※このトロンボーンの奏者は私の大好きなheartbeatのあの音と同じ新井氏なのか、クレジットの漢字が違うので謎のままなのだけど、同じ人だったら嬉しいな。

毎年この時期にふわっと浮かび上がってくるこの歌は、一度その"寒しさ"を嚙みしめてから、冬に向けて自分を暖め直そうと想う切り替えSONGなのだ。

聴く度に、せつなさのアルバムが厚くなっていく、そんな歌であります。
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プロフィール

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No Name 七氏
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女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

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