Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。
何年ぶりだろうこの悶絶は・・・(涙
提供曲、というのはこの何年かおきに何曲かあったわけだけど、garden以降、新曲『さよなら以外に』まで『君』が不在だった。
Shoyanの傍らから『君』が消えていたのだ。
女性アーチストへの提供や映画の主題歌、そして校歌などだったこともあり、キミの存在は必然ではなく・・・またそれ以外の以上の理由もあったのか・・・トモかく、『さよなら以外に』と『あの頃の僕は~セルフカバー』『夜のFM~新録音』でやっと、劇的に、Shoyanのもとに『君』が還ってきたのだ!
提供曲、というのはこの何年かおきに何曲かあったわけだけど、garden以降、新曲『さよなら以外に』まで『君』が不在だった。
Shoyanの傍らから『君』が消えていたのだ。
女性アーチストへの提供や映画の主題歌、そして校歌などだったこともあり、キミの存在は必然ではなく・・・またそれ以外の以上の理由もあったのか・・・トモかく、『さよなら以外に』と『あの頃の僕は~セルフカバー』『夜のFM~新録音』でやっと、劇的に、Shoyanのもとに『君』が還ってきたのだ!
そしてこのHIRO氏ソロアルバムの4曲の歌詞提供。
聴いて読んで腰が砕けた、へたりこんでしまった。
その言葉の圧と、心地よいカオスが懐かしくて、こなれた香りと温度が堪らないのだ。
いっぺんに4曲は語れないので、今はまず手触りの第一声だけだけど、HIRO氏のギタリストらしいメロディーや声、アレンジも最高マッチしていて今手放せなくなっている。
聴いて読んで腰が砕けた、へたりこんでしまった。
その言葉の圧と、心地よいカオスが懐かしくて、こなれた香りと温度が堪らないのだ。
いっぺんに4曲は語れないので、今はまず手触りの第一声だけだけど、HIRO氏のギタリストらしいメロディーや声、アレンジも最高マッチしていて今手放せなくなっている。
Shoyanのこの寓話的な世界、多くの歌にあるような映画や小説的なアプローチとはちょっと違う、絵本・紙芝居的な世界はとてもスパイシーで夢を魅させてくれる。それらの歌も私は大好きだった。
『12月の砂』や『月に咲く花』『星と月のピアスと君の夢』『さそり座の森』『JUN』『南の魚のミステリー』『Cut&Paste』『カムイの詩』など、Shoyanの"謎"は虹色で深くてセクシーなのだ。
解ろうとしないことが分かること・という、ボタンを掛けないシャツのような自由な逍遥があったのだ。
そして『メガロポリスの錯覚』『Junk Food』のような示唆的な愛と哀のirony・・・それは実はモノスゴク”伊勢正三的”な本来のアプローチで、私はそれに喚起されて歓喜するのだ。
『12月の砂』や『月に咲く花』『星と月のピアスと君の夢』『さそり座の森』『JUN』『南の魚のミステリー』『Cut&Paste』『カムイの詩』など、Shoyanの"謎"は虹色で深くてセクシーなのだ。
解ろうとしないことが分かること・という、ボタンを掛けないシャツのような自由な逍遥があったのだ。
そして『メガロポリスの錯覚』『Junk Food』のような示唆的な愛と哀のirony・・・それは実はモノスゴク”伊勢正三的”な本来のアプローチで、私はそれに喚起されて歓喜するのだ。
ご自身名義の曲よりも、実は提供曲の方がナマナマしいことがある。
実験的であったり、歌う人のキャラクターに合わせて誘引してみたり、枠を意識しながらも実は無意識の裸の言葉だったりして・・・油断できないのが醍醐味なのだけど、今回の4曲は詞だけなのに濃いぃ濃いぃ、、、張り倒されたような気持ちで安堵の中にいる。
実験的であったり、歌う人のキャラクターに合わせて誘引してみたり、枠を意識しながらも実は無意識の裸の言葉だったりして・・・油断できないのが醍醐味なのだけど、今回の4曲は詞だけなのに濃いぃ濃いぃ、、、張り倒されたような気持ちで安堵の中にいる。
風一色、これでもかというほど、今年に入っても風・・・あぁ風!!!な中で、私の孤独が吹き飛ぶようなShoyanの新しい吐息!もう本当に生きる源の言葉をたくさんもらって生き返ったような気がしてる。
新しい伊勢正三、だけどこれぞ伊勢正三、な、コレ久しぶりの正がある奴だ・ということはマチガイナイ!
新しい伊勢正三、だけどこれぞ伊勢正三、な、コレ久しぶりの正がある奴だ・ということはマチガイナイ!
今年後半一気に甦った私ですよっ。
素晴らしい機会を構築してくれたHIRO氏たちに感謝。
そしてShoyan、これを待っていました。
まだ、まだまだ、もっと聴く喜びを・・・
素晴らしい機会を構築してくれたHIRO氏たちに感謝。
そしてShoyan、これを待っていました。
まだ、まだまだ、もっと聴く喜びを・・・
ここのところの急な猛暑で激しく体力を消耗して、仕事中もずっと頭がグルグルしている。でも一番暑い時に聴きたい歌は『夕凪』。この歌もレコードがずっと手に入らなかったので知ったのは随分後だけど、とっても好きな歌だ。毎年、夏のある時期に必ず聴く。
(数奇が高じてカクテルまで作ってしまった)
アルバムを手に入れられるまで歌詞だけはギター譜で読んで知っていたけど、どんな歌だろうって思っていた。普通に一編の詩のように諳んじていた。
タイトルが"夕凪"で、KAZEラストアルバムの本当のラストの一曲。Shoyanは「KAZEは解散していない」とおっしゃっていたけど、どう考えても"停止"はしたんだ。そして一抹の砂塵を残して去った・・・(見えなくなった)。
・・・
何故か漠然と悲しい歌かと思っていた。でも、実際はとっても甘い歌だった。ベッドルームの天蓋が幕を下ろすように暮れる夕日の杏色。隔絶のような宵闇のブルーブラック。ギリギリしたギターの、そのスライドの渦の中にその頃のShoyanの姿が吸い込まれて消え隠れゆくようで、置いていかれる側は切ない。
その先の世界が甘そうなのが非常に切ない。一見"たおやめぶり"なこの歌、だけど、その実は別れ際まであどけなく惚気る"罪作りなオトコ"みたいな歌・・・?
「KAZEラストという意味でショックだったけどこの歌は好き」という人は結構多い。「寂しいんだけど、悔しいんだけど好き」という複雑な想い入れがあるらしい。当時を知らない私はこの麻薬のようなスライドギターの撫で心地が好きで、"たゆとう感"に浸りまくっていた。幾重にも重なるヴェールの中を彷徨うような、ちょっと絶望的な導きが好きだ。追うものが絶対に辿り着けない夢の国へ、一足先に旅立ってしまったアナタの音だ。
「KAZEラストという意味でショックだったけどこの歌は好き」という人は結構多い。「寂しいんだけど、悔しいんだけど好き」という複雑な想い入れがあるらしい。当時を知らない私はこの麻薬のようなスライドギターの撫で心地が好きで、"たゆとう感"に浸りまくっていた。幾重にも重なるヴェールの中を彷徨うような、ちょっと絶望的な導きが好きだ。追うものが絶対に辿り着けない夢の国へ、一足先に旅立ってしまったアナタの音だ。
地上人の心を忘れて月世界に還る、天の羽衣を纏ったKAGUYAHIMEを見送る心地かな。
(KAZEなのに(笑))
自分がこの時、リアルタイムでファンだったらどう思っただろう。
やっぱり"素敵な曲だなぁ"って憧れて、あとで少しだけ寂しく思ったかもしれない。
やっぱり"素敵な曲だなぁ"って憧れて、あとで少しだけ寂しく思ったかもしれない。
(イマモチョット ソンナキモチ・・・)
・・・
この歌の、ほんの五分の間は暑さも忘れる。"凪"を楽しむためにクーラーも消して部屋の灯かりも消して東のベランダで月の出るのを待った夕刻を想い出す。究極の節電ソング♪
あまりに暑いとむしろ無抵抗になり、なすすべもなく無風に理由をつけたがったりして・・・。風が止まることに美しさを見出す日本人の感性はある意味、マゾヒスティックなニュアンスもあるのでは?なんて想う。
今年はまた特にこの歌が愛おしい。
夏の終わりの美しい歌。
夏の終わりの美しい歌。
数年前はもうステージでは聴けないのかな・・・と思っていたけど、近年軽井沢のライブなどでやってくれて本当に嬉しかった。本来の甘さを味わいなおすかのように、思い入れたっぷりに演奏してくれたステージは、当時を知らない私にも同じ官能をわけてくれました。寂しさは去っていきました。がしかし・・・
・・・
凪の前後では風向きがまったく変わる。
それをどんな風に感じるのかは聴き手の自由で、どちらに頬を向けていれば心地良いか?それは各々で決めればよいこと。再び吹き始める風がほんの微風でも、すぐにわかるほど今の私の頬は熱い。
それをどんな風に感じるのかは聴き手の自由で、どちらに頬を向けていれば心地良いか?それは各々で決めればよいこと。再び吹き始める風がほんの微風でも、すぐにわかるほど今の私の頬は熱い。
懐かしい日のあの軒先で、いつまでもその風を待っている。今年だって、あの日と同じ月・・・だから、直近のまるで嵐のような極端なリバイバル風の外でも、私は自分の凪の中で待っているのだ。
今のShoyanはまたあの頃と逆の扉の向こうへ戻っていった。
それはあの頃したように、ゼロから100への篩かけなのかもしれなくて、私はふるい落とされたのかもしれないけれど・・・それでも、酷な暑さを楽しむような気持ちで待っている。
今のShoyanはまたあの頃と逆の扉の向こうへ戻っていった。
それはあの頃したように、ゼロから100への篩かけなのかもしれなくて、私はふるい落とされたのかもしれないけれど・・・それでも、酷な暑さを楽しむような気持ちで待っている。
Shoyanが目の前から消えるのには慣れているからね(笑)!
追:
追:
夕涼み中に本当にコガネムシが飛び込んできたら、大抵の女性はその羽音に拒否反応で大騒ぎするんじゃないかな(´∀`)。
でも、この色白のキミの笑顔は冷静で余裕・・・お人形さんみたいで、だからなんとなくこの歌はお伽話の一場面みたいに思えるのかもしれない。
でも、この色白のキミの笑顔は冷静で余裕・・・お人形さんみたいで、だからなんとなくこの歌はお伽話の一場面みたいに思えるのかもしれない。
この猛暑も今日の夕立で数時間だけ収まっている。
一昨日からほんの一匹だけ、どうやらコオロギが鳴き始めた。昼間は毎日37度なのに、、、蝉は音が割れるくらい大きな音で鳴いている、暑過ぎてヤモリがいなくなっちゃった!?コオロギ君暑くないの?
一昨日からほんの一匹だけ、どうやらコオロギが鳴き始めた。昼間は毎日37度なのに、、、蝉は音が割れるくらい大きな音で鳴いている、暑過ぎてヤモリがいなくなっちゃった!?コオロギ君暑くないの?
また台風が近づいているけど、前回の風、今回もこちらはたいしたことはなくて、植木鉢ひとつ転がらなかった。南風コンニチワ♪って感じだった。
♪君を抱いたそのあとで~
君の寝顔 横にして~
君の寝顔 横にして~
実はこのフレーズ、最高に色っぽいのに誰も言及しない。何気なさ過ぎて、この生々しさがスルーされてる感。あなどれない若き日のShoyanのリアル?・・・どうも、初めて聴いたアルバムで中学生頃のことなので、過敏に反応した若き日の自分をひきずっている。マセテタネ。だってドキドキするっしょ?何この二人ナニしてたの!?って14歳では過剰反応してしまいますよ(笑)。
でももうその頃(1982年?)には、実際の世の中にはこういった恋人たちの風景は少なくなっていたような気がする。若者はどんどん垢抜けていって、リッチになって、クルマやバイクやマンションやラブホ(!?)や避暑地や海外・・・と、二人の時間を過ごす場所やアイテムは激変していたと思う。
この歌には鉢植えの朝顔とか、風が窓をたたく木枠のサッシと薄いガラスとか、路地裏の質屋の看板とか、なんとなく、まだシンプルな同棲の風景が見えるんだ。それだけに、若い二人の素肌が香るようで、初々しくてチョッピリ切ない感じがイイんだ。普通、男が先に寝ちゃうでしょ?とか想いつつも、無防備に寝ている事後の彼女の寝顔からふと目を遠くに向ける彼の"我に還った感じ"がホントの色っぽさ・・・と。
そこにこうせつおいちゃんのカラリとしたメロディーが嵌って、石川鷹彦師匠のトロピカル風味なアレンジで、フルーツガムみたいな不思議な感触の歌になる。すごく深い訳ではないけど、スナップ写真みたいな日常感がいい。
今みたいに遠く、時間の経った後で聴いた方が"何気なさ"がいかに貴重なことだったかよくわかるだろうと想う。
今みたいに遠く、時間の経った後で聴いた方が"何気なさ"がいかに貴重なことだったかよくわかるだろうと想う。
この声、今のShoyanでも違和感ない♪(たぶん)
サクっと歌ってみて欲しいな。
今のShoyanならとても可愛く歌ってくれそうだ(´ー`*)
サクっと歌ってみて欲しいな。
今のShoyanならとても可愛く歌ってくれそうだ(´ー`*)
※でもそんな機会いつどこに?(笑)
・・・
今はもういないカゲマル君の声。
のちに歌のタイトルになったlalaちゃんと子犬たち。
Shoyanは意外と自分の愛したものたちを歌の中に残すことも多いのでは?と今更に想う。(このSEはShoyanのアイディアではないかもだけど)その時その時に愛したものたちを、後々想い出すことは悪いことじゃないネ。
のちに歌のタイトルになったlalaちゃんと子犬たち。
Shoyanは意外と自分の愛したものたちを歌の中に残すことも多いのでは?と今更に想う。(このSEはShoyanのアイディアではないかもだけど)その時その時に愛したものたちを、後々想い出すことは悪いことじゃないネ。
擬人化した南風は時の流れのようで、こちらが何か問いかけても、待って!といっても知らん顔で去ってゆく。愛した時間が去ることも、それも季節が変わってゆくことと同じ様なことなんだね。
アレ 荒木一郎的なオチになってしまった(´∀`)
と、そんな4~50年前の歌たちの手触りを懐かしむまた今年の夏でありました。
と、そんな4~50年前の歌たちの手触りを懐かしむまた今年の夏でありました。
今年もまた台風12号が来た。
少し変な進路で・・・
もう24年前とは違うのよ・って改めて言い聞かせに来たような未来の台風。あの頃から変わったものは、部屋の眺めと私の時間。あれほどひとりだったのにね、今はほんのひと時だけの台風情報。やることが沢山あるし迷いもない。
・・・
「送ってゆくよ」と 僕に言わせたのは・・・
少し変な進路で・・・
もう24年前とは違うのよ・って改めて言い聞かせに来たような未来の台風。あの頃から変わったものは、部屋の眺めと私の時間。あれほどひとりだったのにね、今はほんのひと時だけの台風情報。やることが沢山あるし迷いもない。
・・・
「送ってゆくよ」と 僕に言わせたのは・・・
それは
「帰れなくなるヨ」
なんて、慣れないからかい言葉を思わず言ってしまった僕自身。
自爆・・・(´Д`;)
ナゼ、「いいじゃん、泊まっていけば(キリッ)」
って言えなかったか。
自分で逸らしてしまった自己完結のジャンクション。恋のドロップアウト・・・すでに溢れてるコップと最後の一滴が注がれていないカップ。彼と彼女の目盛りの微差が切ない。
果たして、"君の唇に届いた永遠"もまだどこかに在るのだろうか?
そちらの未来に進めなかった迷走台風が、今は温帯低気圧になって、ほろ苦く、あの洋上でため息ぐらいの風になっているのかな・・・
・・・
今日の台風、山にも少し来ている。
山を越えて海を落としていく。
この町には慣れない湿気。
だけど、どこか懐かしい。
山を越えて海を落としていく。
この町には慣れない湿気。
だけど、どこか懐かしい。
東向きのあの街は、こんな日には少しは潮の香りがしただろうか。
今の私ならわかるだろうにな、と音を消したテレビのニュース画面を眺めている。
雨が打ち付けるあの窓の中を想いながら・・・
さて、そろそろ寝なくっちゃ。(*´ω`)オヤスミナサイ
今の私ならわかるだろうにな、と音を消したテレビのニュース画面を眺めている。
雨が打ち付けるあの窓の中を想いながら・・・
さて、そろそろ寝なくっちゃ。(*´ω`)オヤスミナサイ
何故か今、空前のgardenブームが起こっている我が家である。
各曲が、どうしても突っ込みたいところ、確かめたいところが満載で、本当に愛すべき作りこみだなって15年も経ってまた盛り上がっている。
最近また新たな釣りを始めようかと思っているところで『南の魚のミステリー』は再ブレイクの最たるものだ。
この歌はShoyanの音楽の原液みたいなもので、自分の塩梅になるまで丁寧に調整したから、全部聴くのに時間がかかったのも事実(かかりすぎだよ15年(笑)!)。
各曲が、どうしても突っ込みたいところ、確かめたいところが満載で、本当に愛すべき作りこみだなって15年も経ってまた盛り上がっている。
最近また新たな釣りを始めようかと思っているところで『南の魚のミステリー』は再ブレイクの最たるものだ。
この歌はShoyanの音楽の原液みたいなもので、自分の塩梅になるまで丁寧に調整したから、全部聴くのに時間がかかったのも事実(かかりすぎだよ15年(笑)!)。
時の流れとサカナの理由・・・
何故その鱒が棲むのは"湖"なのか、納得がいったあたりから歌の中に入れるようになった。
何故その鱒が棲むのは"湖"なのか、納得がいったあたりから歌の中に入れるようになった。
今までの沢山の歌の中にこの"ミステリー"は少しづつちりばめられ、時には隠され、濃さや香りを変えて施されていた。
それがステキな隠し味になってきたのだと思っていたけど、ここではすべてのフレーズが主力のFW!一切の守りがなく攻めの一手!歌詞やShoyanの声に、いくつあるのか聞き分けが大変なほどの色とりどりの楽器の音たち。まさに溺れるには最高なのだ。そして私はこの曲のとも子氏のピアノが結構好きだったりする。
それがステキな隠し味になってきたのだと思っていたけど、ここではすべてのフレーズが主力のFW!一切の守りがなく攻めの一手!歌詞やShoyanの声に、いくつあるのか聞き分けが大変なほどの色とりどりの楽器の音たち。まさに溺れるには最高なのだ。そして私はこの曲のとも子氏のピアノが結構好きだったりする。
だから、この歌を初めて聴いた時、
「一曲にこんなに盛りだくさんに詰めちゃっていいのかな?」
なんて、ドキドキしたものだ。
数々のスパイスだけで作ったマサラみたいで、それに眩しすぎて・・・
数々のスパイスだけで作ったマサラみたいで、それに眩しすぎて・・・
ただ、今聴くと、このShoyanの胸中に非常に共感共鳴出来そうで(それこそ妄想の王道なのだけど(^^ゞ)自分の汚れた心とか穢れた人生も帷子一枚くらいは禊が出来て、天の川のほとりまで登ってこれたのかなとも思う。Shoyanのいるその"美しい世界"にはまだ及べないけど、カササギの橋の袂でそのせせらぎを眺めて想うことはできる。
♪ここにいるだけで・・・
"解る"ってこういうことなのかな・と
本当は一度、聞いてみたいナ
本当は一度、聞いてみたいナ
・・・
「何も知らなくて 決めなくて」
ということは非常に大切なコトで、"確実にしないことが永遠"なのではないかと思うんだ。それは文字や指輪や約束とは反対にあるもののようだから、つい見過ごされてるようなコトだけど・・・
ということは非常に大切なコトで、"確実にしないことが永遠"なのではないかと思うんだ。それは文字や指輪や約束とは反対にあるもののようだから、つい見過ごされてるようなコトだけど・・・
でも、命に限りがある人間がせめて出来るのは、非時の花を摘んで、愛する人に束の間の香りを捧げるくらいなのかもしれない。その束の間の香りも胸の中の宇宙では永遠のものに出来ると
私は想ってるけど・・・それはその時が来てみないとワカラナイ。
それまでもう少しCoolでいてみようか・・・(ムリムリ?)
私は想ってるけど・・・それはその時が来てみないとワカラナイ。
それまでもう少しCoolでいてみようか・・・(ムリムリ?)
・・・
Shoyanはよく「鱒」って言うけど(サケ科・という意味で?)でも、ヤマメはヤマメでイワナはイワナだと思う。
やっと始まった謎解き。
彗星も来るっていうし、"奇跡の軌道"何周目か数えてみたい季節だ。
彗星も来るっていうし、"奇跡の軌道"何周目か数えてみたい季節だ。
一見、超叙情。
70年代フォークの"和テイスト"ムーブメントの中で、出てくる単語は意識して?王道のジャパニーズアイテム。その頃、急速に失われて行こうとしてた日本の民俗を見直して歌に留めようとした動きがこの頃あったのかな。
(ナカッタカナ(^^ゝ)
『フォークソング』という括りを如実に感じる歌だ。
70年代フォークの"和テイスト"ムーブメントの中で、出てくる単語は意識して?王道のジャパニーズアイテム。その頃、急速に失われて行こうとしてた日本の民俗を見直して歌に留めようとした動きがこの頃あったのかな。
(ナカッタカナ(^^ゝ)
『フォークソング』という括りを如実に感じる歌だ。
清純の原風景のスライド写真・・・
前後のストーリーは具体的ではなくて、「誰と誰がいつ何をしてどうしたのか?」ということは主軸じゃないように思われる。言葉と景色の美しさと、過ぎた日の甘苦さを"通り雨"に託して堪能する歌と思う。
前後のストーリーは具体的ではなくて、「誰と誰がいつ何をしてどうしたのか?」ということは主軸じゃないように思われる。言葉と景色の美しさと、過ぎた日の甘苦さを"通り雨"に託して堪能する歌と思う。
ドラマチックなメロディーの素直さに何度聴いても飽きない系の超スタンダードナンバーだ。ただし、そこに一抹の色気(オトコの)が隠れているのがShoyanらしくてイイんだ♪
~♪赤い鼻緒切らして 上目づかいに笑った
~♪赤い鼻緒切らして 上目づかいに笑った
かわいそうなくらいの 小さな胸元
これってば、シチュエーションを具体的に絵にすると・・・
☆女の子の下駄の鼻緒が切れた
→しゃがんで現状確認
→「困ったナ」
→しゃがんだまま彼に上目づかい(甘えた笑顔)
→しゃがんで現状確認
→「困ったナ」
→しゃがんだまま彼に上目づかい(甘えた笑顔)
↓
☆彼は立ったまま上から何気なく見下ろす
→下駄の足元を見ようとするも
→先に浴衣の胸の袷に隙間が・・・目に入るワケ
→瞬間的に分析・・・モチロン、即素肌なワケで・・・
→下駄の足元を見ようとするも
→先に浴衣の胸の袷に隙間が・・・目に入るワケ
→瞬間的に分析・・・モチロン、即素肌なワケで・・・
着物の場合、豊かで大きな胸より小さな薄い胸の方が隙間が出来やすい。
そこに目がいくShoyanの創作触覚!
タマラナイワケデ・・・
そこに目がいくShoyanの創作触覚!
タマラナイワケデ・・・
しかも、普通に聴いていると意識せずに背景に溶け込んでしまっているのがニクイ♪
たぶん、そのつま先はマニキュア(ペデキュア)もせず、その長い髪も茶髪ではなく、キュッとまとめたりして、うなじが湿っていて後れ毛が素直に肌に乗っている・・・と、
"純"や"うぶ"が幻じゃなかったあの頃、夢のような"リアル"があったんだ。「昭和は遠くなりにけり」かな・・・と平成最後の夏に想う。
・・・
個人見解だけど、地方都市である我が町は今でも夏には町ごとのお祭りがある。
テキヤさんの怪しい屋台
地元歌手の歌謡ショー
夜神楽
石畳
苔むした路地
夜温が下がる夕立の雨・・・
真っ暗な宵闇に電球の灯かり
地元歌手の歌謡ショー
夜神楽
石畳
苔むした路地
夜温が下がる夕立の雨・・・
真っ暗な宵闇に電球の灯かり
そんな祭りの風景がまだ在る。
昭和40~50年代のままのブロック塀の町。
昭和40~50年代のままのブロック塀の町。
Shoyanが今、KAZEの頃の歌を歌うとき、その大都市の街のホールで、地方都市や町のホールで、いつもどんなことをイメージしながら歌うの?と想う。
場所によって違うの?
それともShoyanの胸の中の時間はいつも同じなの?って・・・
場所によって違うの?
それともShoyanの胸の中の時間はいつも同じなの?って・・・
~♪思い出すなら 忘れよう
そういうことなの?って。
遅過ぎたKAZEひとり旅。そして更に遅すぎる今年の風が聴こえるツアー。だけど、何度演奏してもそれは始まったばかりの旅。時が流れ過ぎて、今までの何十年ものことはなかったことになっているのかな。
なんだか最近の私、"時の流れ"に拘らなくてもイインじゃないかって想い始めている。「流れる」ってことは「流れない」ことでもあるんだよネ。今のShoyanは私の知らないShoyanだ。
なんだか最近の私、"時の流れ"に拘らなくてもイインじゃないかって想い始めている。「流れる」ってことは「流れない」ことでもあるんだよネ。今のShoyanは私の知らないShoyanだ。
あの熱い時代だけが伊勢正三なのかなって、中州に一人取り残されたような心持ちで一連の風リバイバルイベントを眺めている。
・・・
しかし、歌に戻れば、指を切断して誓うほどの約束なんて本当は存在するのかな?柔らかな皮膚と皮膚の僅かな面積の触れ合いが切ない"指切り"。縁を結ぶには儚すぎて頼りないもの・・・その行為こそ"通り雨"。
つかの間の雨
夕立ちの短い雨は忘れかけてた夏の香り
通り雨過ぎたあとに残る香りは夏この頃
夏・通り雨・短冊を濡らして
夏雨あと 割れた西瓜 汗の匂い
君の涙の夕立も晴れて・・・
夕立ちの短い雨は忘れかけてた夏の香り
通り雨過ぎたあとに残る香りは夏この頃
夏・通り雨・短冊を濡らして
夏雨あと 割れた西瓜 汗の匂い
君の涙の夕立も晴れて・・・
ぱっと思いついただけでも彩り豊かなその匂い立つ短い雨の景色。
"雨の刹那さ"は時代が移っても変わらないと思う。雪よりも圧倒的に強い場面転換をするくせに、時間的に儚い"雨"のイニシアチブ・・・
『通り雨』は幼い頃大切にしていた絵本のような歌。
『通り雨』は幼い頃大切にしていた絵本のような歌。
純粋無垢な弱き者だった頃の自分で聴いている。
約束の場所に現れない人を待ち続けているような、そんな気持ちで聴いている。
プロフィール
HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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検索窓的な♪
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