Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

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※本当はもう少し寒くなったらと思っていたのだが、今載せておこうと思う。2010年のセルフカバーアルバムを聴いて当時想ったことです。

・・・

元のかぐや姫LIVEに収録の『置手紙』が歌われて録音された頃は、私にとっては前世くらいの遥か昔で、まだ幼稚園か小学校一年生の頃のことだから100%想像で受け止めるしかない世界だった。

初めて聴いたのは10代半ばで、確かにハタチ前の身に合わない一大決心をして苦しんで迷ったこともあった。そして飛び込んではみたものの、壊れたり破れたり結ばれたり・・・そのこともこの歌と共に長い事一緒にあったのだけれど・・・そのことは、、もう、いいのかなと思う。

・・・・・

今回、この新しい『置手紙』を聴いていると自分が二つに分裂してしまいそうだ。色んな情報と比較してキッチリ分析しようとする背伸びな自分と、フレーズひとつひとつに自分の個人的な想い出を掘り起こしてしまう妄想ギリギリの自分と・・・二つに分裂して混乱中。だから、上手く書けるかわからないけど、まずは思いつくまま残していきたい。

今回収録された『置手紙』は、最近のライブで演奏・構築されてきたShoyanの、いい意味での"こだわりをうまく漉き込んだ軽やかさ"が良くコーティングされて録音されていると思う。その心音直結のギターフレーズに、細井さんのピアノの結び目が良いアクセントになって、とっても懐深いセルフカバーになったと思う。この歌は単なるカバーではなく、全くの"オリジナル・新曲"として聴いてもいいのでは?と思うほどだ。

歌詞やメロディーは同じでも、何十年!もの月日が流れていれば技術や携わる人間や聴き手の環境の変化は大きい。そしてShoyanご自身の心と肉体とテクニックの進化・変化もおおいにあっただろうと思う。それがどう影響して具現化してくるのか、とても興味があった。

改めて今、スタジオで録音して、Shoyanがイチから歌いなおした時点でそれはもう別の人格(歌格?)を持った第二の音源だと思うんだ。それほどパワフルだもの。そこまで出来る・と確信したから今回こういうカタチに踏み切ったのだろうなって、心の底から納得&感激している。

かぐや姫LIVEフォーエバーのLiveバージョンも、ベストドリーミンのLiveバージョンも、最初の「かぐや姫LIVE」の音源以上にはなっていないような気がしてる。オリジナルの「かぐや姫LIVE」の『置手紙』はとっても良く出来ていて、石川さんのマンドリンとShoyanご自身の哀愁のある若さが軸となって、とても完成度が高いと思うのだ。すでに一応の完結をしている音源だったのじゃないだろうか・・・(LIVEフォーエバーのスキャット部分は今でもスキだけど♪)

だから、その後のライブの音源は"なぞっている範疇"を超えることが難しく、そのまま時間が過ぎてしまったのではないだろうか。

モチロン、いつも全力投球のShoyanのその時その時の思い入れはちゃんと込められてはいると思うけど、2000年ベストドリーミンの音源などは、今回のセルフカバーと比べるとずいぶん音の角度が浅いように思う。

・・・

2010年のこの『置手紙』は濃い。
Shoyanの歌がリアルで近い。
近い・ってどういうこと?

昔の、硬質な透明感のある声も素敵だけれど、ラリックやガレのガラス工芸みたいな柔らかな琥珀色の今の歌声は、聴き手の魂が吸い込まれるような甘い響きを湛えている。Shoyanがこちらに近づく以上に聴き手の魂もそこにスゥっと引き寄せられるからグッと近くなるんだね。
近いというより"一体"と言ってもいいんじゃないかしら・・・

今までの、長い永い時間を経て来ての"本当の大人の男"な感じがとても寛くて切ないのだ。そしてあのギターの弦と指(爪?)が作り出す新しい音・メロディーは、歌詞以上の意思をも伝えてくれる。

だからココが新しい。
新曲と同じ意味を持つんだと思う。
置手紙の"追伸"の部分がここにあるのだと思う。
あのラストのギターは

「今、君はどこにいるの?」
「あの日の僕はどこにいったのだろう」
「そう回顧している間にも時は流れていくのだね」
「ゴメンヨ、今になって好きだよ」
「もう逢えないけど、どこかで許しておくれね」

と聴こえる訳(>_<)・・・

当時の曲は

「何かが巡るならまた逢えるかもしれないけど、さようなら・・・」
「二人でいることは、今の僕にとっては不自然なんだ」

って、そんな一方的な決別の歌だった気がする。
まったくもって置いていかれてる彼女が可哀想過ぎる。
男だけが先へ先へ旅立ってしまう別れだ。
まだ未来に沢山の時間がある、若さの残酷さがそこにあったと思う。

だけど、今回の『置手紙』はその長い旅さえも通り越して時間の果てに辿り着いた者の、振り返りのニュアンスもセッティングしてあるように思う。(それがShoyanご本人の意識的なものか・無意識なものかはわからないけど)


"最後の男の気まぐれ"と言いながら、まだきっとこの彼の物語は先があったに違いない。この時点でこの彼もまだ自分の未来を知らずにこの部屋を出たのだと思う。

「旅の始まりには君がいた」という、やっと今になって振り返ることが出来る、そんな、一巡した恋しさ・懐かしさをこの『置手紙』に想う。
一粒のラムレーズンをギュッと噛んだ時みたいな、甘酸っぱくて鼻に抜ける恋心の揮発を感じるのだ。

セツナイ~・・・

・・・

ギターのトレモロは想い出の街角に転がり舞う落ち葉の行方かな。師走の風に吹かれてクルクルと去るフェイドアウト・・・マンドリンの二本の弦のように垢抜けていないけど、その分、最後のフレットの一本の弦にこの後姿の不器用な愛が滲む。

Shoyanらしい暖かい音だと思う。

しかし何故かこのアルバム、LPレコードを聴いているような気分になるのが不思議な心地良さ♪
ザラっとして天然素材っぽいセンチの演奏。パチッパチっと針の弾ける音が聴こえるような気さえするこの『置手紙』。

2011年01月07日 記
 
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伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

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