Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

2025/08    07« 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  »09
確かに!昔の信号機の青の色は緑だった。今はLEDに替わってしまって、形容しがたいギラギラした色になってしまったケド・・・。でも、いずれにしろ青信号はそのまま進んでいいんだよ・という安心の色なんだと思うと、この歌の歌いだしからして「肯定」だ!と嬉しくなるのであった。

こんな歳になって、まだ先の人生があるとは段々思えなくなってきて、壁にぶつかったまま脚を動かし続けているおもちゃのロボットのような自分。Shoyanからしたら「それくらいの歳で何を言ってるんだ、ボクの今の"活き様"をよく見てご覧?」と笑われるくらいだと思うのだけど、、、(汗)

そんな私の情けない昨日と明日を

♪まっすぐな一本道だと わざわざ決めつけなくてもいいから

って、横から袖を引っ張って振り向かせてくれたこの歌。
「老成」しなくてもいいんだ、「築き」や「完成」よりも、「気付き」や「感性」で行こうよって。

失う&足りる、負けても楽しい、色んなことが裏表・共にあるんだと諭してくれている。
水鳥は浮かんでいるように見えて、でも水面下の脚は流れに対してメチャ頑張って掻きつづけているわけで、逆らうまでには至らなくても、むしろそれでやっと自然に見えるのだって。
結果の出ないことの方が多い努力、いや、努力が足りない自分、きっとフツーに出来ていない自分は欠陥品だと、そう自問自答しながらいることを「未完成はしなやかさというパワーでもあるんだよ」って、いい方へ言い換えてくれるShoyanのMagicで気持ちが本当に楽になった(涙)。

・・・・・

サビに入る部分で雪印CM曲だった♪未来の女神たち~の歌を思い出す。「初めて逢った頃」と「未来」もなんだか一緒のようで、風の日の少年だった誰もがは、もちろん女のコも含まれるなぁって思うのだ。だって女のコも少年ですから!!
(でも「俺たち」は「俺たち」なのかもしれないケドケド・・・後日別記)
そして何となく、、あるひとつの時代のpioneer~開拓者・だったShoyanたちの、誰かほかのアーチストたちへのエールのような"煽り"のようなキラメキをも感じるのだ。今のShoyanの現役感は突出しているからっ!(>▽<)

・・・・・

「負けても楽しいジャンケンみたいに」と言うフレーズが大好きで、親しい間柄で盛り上がる楽しい時間をリアルに思い浮かべて、これもShoyanだからチョイスできた言葉だ、と思う。
そういった弾むココロそのままのベースラインはこれまた独特で、軽やかでバネの効いたウサギ年的な?縦横無尽さを感じる。

最初にプロモーション音源を聴いたとき、「この曲のベースいいな!!」ってすぐ思った。Shoyanご本人の演奏と知ってグッときて、音が生きていてカッコいいと思った。Shoyanの音は他の何にも代えがたい豊かさを持っていて、聴けば知らなくても必ず耳に残る。
Re-bornの曲たちのShoyanの演奏はどれもみな今まで以上に濃くて質量を増している!と思った。いつも進行形なのが凄いのだ!!

・・・・・

今はもう、なびくほどの髪が無い"元少年"も多いことだろう。私もまた哀しきショートヘアだ。ただ、時の風はいつでも吹いているのだと、風を知りたい・と思う心は忘れずに、これからも生きていたいと思うのだ。この歌のように青いままで!!

正やん大好き!ずっと!!と思う、『青春』から続いているスッゴク伊勢正三らしい一曲だと思った。☆



※そうそう、"視点の角度"って本当に面白いフレーズ。そこからももっと掘り下げてみたいと思う。
HIRO氏のソロアルバム
『Midnight Sun』より
作詞:伊勢正三 作曲:HIRO『鏡の中の君』
http://www.lacrymachristi.jp/HIRO_MidnightSun.html


今までShoyanの歌を出来るだけ色々聴き続けてきたけれど、この

「♪いつものように濡れた髪を乾かしてあげる」

の衝撃は凄くて、聴くたびに心で小さく悲鳴を上げるのだ。去年夏の発売日以降、カーステレオで聴きながら何度悶絶したことか・・・。

源氏物語の光源氏と幼い紫の上の戯れのように、あまりにも精神的にエロティックで、この"性的でないエロス"が深すぎて、21世紀の今、Shoyanの中からこういった敏感なフレーズが出てきたことに、もうほんとに興奮してしまって眩暈がする。、、、何度も赤面してしまうのであります。

「いつものように」ってナニ!?
事前なの?事後なの?
いつなの???って。
→考えすぎ(汗)

今回の他の提供詞たちもそうだけど、今まで匂わせたり包んだりしていたものがどんどん開かれてきてる!Shoyanの直球来たー!って、言葉が弾んでいるなって思うのだ。この開放感が特に嬉しいのかもしれない。

そして、

「♪二人出逢った季節哀しくない落ち葉踏みしめ君と行こう」

は、まさにShoyanの世界の真ん中で、恋人たちの普遍の道行風景だ。『夏の沈黙』などにもあるような、私の大好きな二人の旅路なのだ。

恋人たちはナゼいつも道を探しているのだろう?

人生の道って道幅が決まっていて、歩き方を間違うとはぐれたり滑落(!)したりするのかな、とか、一人しか歩けない道をどうやったら二人歩けるのか・・・あの方法しかないのか、、とか、現実的なことを思ったりもする。

でもこういったフレーズが心の底でそっと時の流れを留めてくれるようで、疾走感のある曲の中での大切な錘の役目をしていると思う。オトナっぽくて、切ない隠し味だ。
「哀しくない落ち葉」ってとてもロマンのある言葉で、Shoyanならではの視点、すごく惹かれる。時を経ることが美しいのだと思わせてくれる優しいものだ(涙)。

そして、また次は一転
「♪それは眩しいくらい 
 僕だけのものじゃないと思わせ 
 それは・・・僕のものだよ」

の、決めフレーズが超~~さそり座的で本当に悶絶なのだ!一瞬だけのあどけなさで彼女が腕をスルリと抜けてしまうと、彼はまるで翻弄されているように見えるけど、

その実、

「たとえ君がどんな化粧をしようが、いつどこへ誰と遊びに行こうが、君は僕が育てた(Makeした)オンナなのだからね」

という、JOKER的にカードを裏返すような含みがあってこれぞ伊勢正三の毒針の一撃!なフレーズだと思う。

君は僕に背を向けて、ただ自分自身のことだけを見つめているから”鏡の中の君”も僕を見てはいないけど、僕にはキミの後ろ姿ではなく、鏡の中の君が見えている。鏡の中のボクがまたその横にいて・・・

と、合わせ鏡で永遠に縫い合わさっていくのかもしれないなと想うのです。本当は「鏡の中のボク」なのかもしれない・と。これは本当にShoyanにしか出来ないことで、Shoyanにしか創れない言葉の針だと思う。永い・・・永い物語なのだって思うのだ。男女の関係が一つだけではない・ということがわかる歌だと思う。

新しくもあり王道でもある歌なのだ。

HIRO氏のメロディーがまた耳馴染みがいいのだけど、唯一無二なノリがあって、忘れられなくなる。ギターが最高にカッコ良いので相乗効果が濃いぃぃ!!!

HIRO氏のこのアルバムを聴いて「エレキエレキエレキ!!!!」とムズムズしていた私は、年が明けてRe-bornを聴いて本当に嬉しかった。メッチャ熱いShoyanご本人のエレキギターが聴けたので本当に感激した。

HIRO氏の曲とShoyanの詞のコンビは今までにない世界が構築されて本当に素晴らしかったので、また機会があればもっともっと、と思う。

ホント、この企画は目が覚める思いで、去年の夏に突然頬を強く張られたような衝撃だった。Re-bornの前走はこの頃すでに始まっていたのだなと、今また思い直すのであった。

※歌詞の引用が多すぎたかもしれませぬ(汗。
ゼヒHIROさんのアルバムを買ってお聴きくださいまし。
歌いだしの景色はまるで、和紙の切り絵かちぎり絵のような、彼の指のフレームの中のスケッチかなと思う。

イントロ&間奏のエレキギターの柔らかいセピア色な感じがすごく好きで、奥行きがあって、この歌の景色が今より遠いものだって教えてくれる。少し、gardenの頃のセミアコの音色のようなギターがノスタルジック。それだけでなく、続けてガットギターも絡んでくるのが贅沢で押せ押せなShoyan♪

そしてよく聞くとくるくる回るようなギターやストリングスのアルペジオ?、これがどうにもはやる心を煽るようななだめるような絶妙なニュアンスを感じる。

合間の可愛い鼓の音、最初からすごく気になっていたけど、鼓とは思わず、なんだかピホッピホッ♪って可愛い音に萌えていた。まるで夜のアオバズクの声のような・・・そして大太鼓は、遠雷の音かなって・・・。

この曲のアレンジは綺麗な懐石料理の重箱のような、各音の味付け盛り付け配色が美しくて、聴く耳に豊かさが残る。甘酸っぱい「うぶ」な感じと、オトナの余裕のような「伝統」が同居していて、ほんにこれは今のShoyanが作った歌だなぁって思うのだ。こういった歌の誕生に立ち会えて嬉しい!

・・・・・

♪制服胸のポケットペンのインク滲むハートになるんだ
♪すぐに破れて紙のハートになるんだ

この二つは最強胸キュンアイテムで、Shoyanの歌が視覚に訴える代表例だと思うわけで、彼の青々しさと彼女の自覚のない誘惑がすごく素敵なフレーズだナ(*´ω`)。

♪君を知って夏が過ぎてゆくなら
 切なさとはそのすべてが君です

この言葉のねじれ現象も、Shoyanにしか出来ないレイアウト!恋が理屈じゃなく、恋は始まってから前兆に気付くのだと。特にこんな仄かなイントロダクションならなおさらに、遠くなるほど後々ハッキリ見えるのかもと思うのだ。

「ずっと好き」だったのに、今「君を知って」とは?
たぶん夏より前から好きだったのかな、でもこの夏とうとう知ってしまった「更なる君」を。戸惑いながらももっと欲しくなって、でもまた言えないキモチが増えていく、彼はホントに燃えるだけの篝火なのかもしれない。ポツリ・と来た恋の雨粒でこの炎、燃え盛るのか、鎮火してしまうのか・・・。

・・・でも彼は恋の石段を転がり落ちていきそうで、登っているのに踏み外してしまいそうなおぼつかない足元で、恋の靴紐がほどけそうな純情~(*´ω`)だなって思うのだ。

彼女の方はこの彼と待ち合わせて、いったいどんな風に想っているのだろう、女の子ってワカラナイ!(女子に「純情」という感情はあるのだろうか・・・)

・・・・・

風の音とはなんだろう?

この季節この時この今、心が動いた・恋をした証だろうか。はやる心が風を切るのかな、、、モスキート音みたいに、若いからこそ聴こえる恋の音域があるのかもしれない。。今となってはもう、自分の胸の中でしか聞こえないケド・・・

Shoyanのハモニクスの音には聴こえない音がいっぱい入っている。遠い昔のことも今のことも、、、そして、きっと何百年もまだ先まで鳴り続けているのではないかと思うから、私は何度も生まれ変わってまたその音を聴きたいと想うのだ。

今年の夏は何度も聴くことだろう。そしてまたこれからの想い出もこの歌に沁み込んでいくと思う。

懐かしいけど白紙のノート、なのだ。


※後記

なんとなく、、、最後の二節

♪風を切れば 風の音が聴こえる
♪夢ひと夏 空蝉鳴く・・純情

の部分だけあとから追加されて完成したのではないかと、ナゼかフト想った。理由や根拠は全然ないのだけれども・・・
Re-bornの曲はまだまだ・・と思っていたのに、ナゼか突然、この歌から書こうかなと思った。国際フォーラムでのコンサートに行ったから、何か感じてしまって・・・

・・・・・

ずっと前から、こういう自由で懐かしいShoyanの"好み"が知りたいと思っていた。「僕の青春教えてアゲル♪」みたいなジェスチャーが堪らない。
とても暖かいモフモフタオルのような歌、本当に切なくて可愛くて大好きだ(*´ω`)。
個人的にはすぐに浮かんだ風景が東京駅~皇居の周りのビル群とイチョウの並木・・・そもそも東京都の木はイチョウなのだけど、、、今回コンサートのあった国際フォーラムはちょうどそのエリア内なので、空き時間に雨に濡れた日比谷あたりの街並みを歩けてとても嬉しかった。昔は九段下や青山通り方面はよく利用したケド・・・今日は色づく秋ではないけれど、懐かしさもあって雰囲気に浸りまくりのシアワセに肩を濡らして歩いた。

凄まじいビルの林立を抜けると、皇居の上空だけぽっかりと空が自由で、都会の寂しさを想うに十分だった。今回のRe-bornは都会の中のラブソングが多いような気がするネ。


・・・・・

ギター誌で解説のあったウクレレベース、その音がちょっと民族楽器みたいな?響きとボンボン時計のような感じで、昔の柔らかい都会の足元を想う。

水たまりや、雨に落ちた煙草の吸殻、粉っぽいガードレールは排気ガスで煤けて濡れている・・・レトロな街の恋。跳ねる雨粒のようなパーカッション?昔、釣り番組で川辺で雨に打たれながらリズムをとっていたShoyanの姿を想い出す。蕗の葉を雨よけに使ってお茶目なShoyanだった。

・・・・・

「恋のあぜ道」というフレーズが面白くて好きだ。
幅も狭くて、左右にぬかるみ・・・ワケアリの二人がゆく道はちょっと不安定?ボサノバのような、ルンバのような、優しいリズムが二人が寄り添って歩いている姿に見える。

~どうせ二人のために・・ 
 傘に隠れるように
 イチョウ並木を秋に 
 色づける雨よ

雨の配慮(目配せ)で、不思議な二人だけの世界を想う。何百万人も人がいる都会の中で、二人だけの密な世界を作れたら理想だと思うケド、、、
「思いつめた瞳」で「ほんのひと時」なのだと思うと、「ずっと」の意味は重い。だから、「スキ」の範囲内でとどめたまま、その周りを包囲している"現実"に気付かないままでいたい・のだなって(涙)。

後半、雨の大都会の街角から、突然月の砂漠に飛ぶ。
このロマンチックトリップはせめてもの自由な夢で、金の鞍と銀の鞍にゆらり揺られて二人だけでただゆきたいけど、それは"タンデム"じゃないのが切なくて、せめて甕を結んだ紐よ切れないで・・・と想うのだ。

ロマンチックに勢いがあって大好き過ぎるこの展開(^^*)。都会の窮屈さ・刹那さだけじゃない、"救い"を感じて、永遠の恋は遠くに置いて眺めるもの・・・と慰めるのだ(涙)。


その
 
♪二人で埋めに行こおよ~ぅ・・・

って、Shoyanの"語尾ロール"は本当に堪りませぬ!!
愛の念押しに胸の中がキュっとなる。
 
やはり、今のShoyanが作った歌が今のShoyanご本人に一番無理なく自然にフィットしている。その囁きは甘さを増して・・・低い柔らかさだけじゃない、熱いカップを持った指みたいな感触や、時に結晶した蜂蜜みたいにざらつく感じも魅力で、今すごくスゴク素敵だ。

そっとこの恋人たちを見守る気持ちで聴いている。
『小さな約束』と背中合わせのようなこの歌、オトナの恋ってイイナァって夢見る心地でずっと聴いていきたい永遠の憧れだ。


☆降っても行き場のない雨が溜まって美しい水鏡撮影が出来た
不思議なことがあるものだ。

昨日、伊勢正三LIVE2019~Re-born@東京国際フォーラムCに出かけるに際して、駅のショップで友達にお土産を買った。そしたらば、店員のお姉さんから「今、イベントをやっていまして、2000円以上のお買い上げで、スタッフとジャンケンをしていただいて景品が出ることになっております♪」なんて言われた。「勝っても負けても景品が出るのでゼヒ!」と言われて・・・・

チョキを出したら負けました(笑)。

勝つと値引き券100円分もらえるのらしいのですが、負けてもこんな可愛いチョコと飴の詰め合わせがもらえました。

ほんとに「負けても楽しいジャンケン」だった!



やっぱり絡んでくるなぁ正やんの歌は・・・・
(*´ω`)(*´ω`)

と、そんなわけで大雨土砂降りの中ですが、道中はウキウキ気分でトーキョーへ行ってきた。

人大杉で本当に疲れたけど、都会で聴く雨の歌はまた違う切なさを含んでいて、自分の昔の日常をちょっと思い出したりしてフクザツな心境になり・・・どこにも行き場がなくてタイルやコンクリートでビシャビシャの水たまりになっている雨の憐れさを想ったりした。



令和になって初めて皇居の近くまでも行ってみたりして・・・
信号の色は赤ですが(笑)。


で、


森一美氏からの花があるということは・・・
ステージにはいらっしゃっていないってことでしたね
ちょっとそれはやっぱり残念でした(東京公演くらいは顔出してくれないかなとか期待してたんだけど)。

でも正やんのツヤツヤなほっぺは最高でしたぞ!(≧▽≦)肉食すぐる!

それはまた改めて!
とにかく無事に行ってこられた東京リボーンでした。
※『ソロ・シングルス・プラス』の発売後、
2011年の初めころに書いたコト

・・・・・

~何も聞こえなくてもただ
~何も答えなくてもただ
~何気なく流れる時が
~何もない空からこぼれる
~何げない日々の中のどこかで生まれる・・・

"新しい静けさ"って何だろうか?
「安らぎ」のことだろうか
それとも
「諦め」に近いものだろうか

いや・・・
「得心」みたいなことじゃないかな?

"何も聞こえなくて、何も答えない"
と言うことは
指示もなく、支持もない・ということ
普通は避けたい状況ではないか
孤独じゃないか・・・
でも、そういう時にこそ愛は試される
その先に見つけられたものは強い

この歌は、誰と誰がいつどこでナニをしてどうなった・・・というような具体的なことは出てこない。"あなた"とはどんな存在なのか・それも深くて限定し難い大きなものを想う。初めて聴いたころは、実感が湧かなかったこの歌の示すもの・・・
でも、今はまさに"たどり着かない幸せ"に自分の役割を感じている。人はみな、自分や身内が幸せであることを願う。幸せはあればあるだけ良いと思う。でも"幸せ"は永久に有り余ることはない。100%手に入れたら120%欲しくなる。120%の次は200%・・・と。

だから、その幻想を追い求め始めると、いつまでも不足を感じたままで満たされることがない。

幸せは・・・
フト見上げた窓の外の景色とか
鞄の中のポーチにそっとしまって置くような
そんな風に傍に在ればいいのにと思う
もしくは、いつも傍に居る大切な人の
笑顔の中にあるのなら最高だと思う

幸せは自分がなるものではなく
誰かにあげるもの・・・

と思うの

それが本当のフラットな心
~新しい静けさ・なのじゃないだろうか

『Soloシングルス+』だから、両面シングルになったこの歌が収録されているのは、特に変わったことではないけれど、ソロになってからの曲を数曲だけにまとめる際に『レミングの街』『メガロポリスの錯覚』などのラブソングの、一番大きな外郭(重要)のニュアンスを全部この『新しい静けさ』一曲にこめてここにチョイスしたのでは?と思う。

そう思うと、もっともっと感じなくちゃいけないことは沢山ある・って、今、我がことのように聴けるこの歌、今になってまた何度も何度も繰り返して聴いている。

・・・

Shoyanが最近コンサートのMCなどでよくおっしゃる
「辛いことも楽しいこともあるから生きてるってコト」
というようなことが今わかるような気がする

つい最近、妹が
「お姉ちゃんが頑張ってることや我慢してることって、きっといつか報われるものだと思うよ」
なんて言ってくれたことと両方、この歌を聴いていると"それは本当だよ"って確信が溢れ出してくるみたいだ・・・

色んな意味で自分は今辛いこともある
けれど
常に"愛の真ん中"にいる・
ということにも気付く

この歌もまたShoyanからの永い手紙だった
あの時、まだなかった今のこの私の"問い"に
ちゃんと16年後に答えてくれる様に
この歌を作っておいてくれたんだね

『ソロ・シングルス・プラスに入れてくれて、また気付かせてくれたことに、本当に心からの愛を感じる。今この歌を聴けて嬉しい。
"あなたの息吹"は
たどり着かない幸せ

たどり着かないから
離れることもないのだと
わかったからサミシクナイのです


・・・・・
※2011年当時の文そのままで載せました
30ウン年前、中学二年の頃
『グラフィティの部屋』を初めて聴いたその時から
備前焼の花器が欲しかったのに
なんと~・・・


今頃になって買ってみたりしてるワタシ

実は
昔住んでいた街の備前焼の趣味のお店なんて
置いてある花器やお皿が
何千円も何万円もするやつばかりで
全然手が出ない・・・ってなもんで
何十年も経ってしまったのでした(;´∀`)

でもしかし
母方の祖父が岡山出身なので
備前焼は昔から本当に使ってみたかったんだ
とっても渋可愛いこいつらに
これから癒されようと思います

 
大好きなドクダミの花を挿してみた

さて、I.W.ハーパーにはまだ早いので
モカ・ハラー・ロングベリーで一服いきますか!
ちょっと昔を振り返る作業中に
ひっさしぶりに開いてみた
『正三の肖像ひすとりぃ~』





(笑)(;・∀・)うほぉ・・

下手くそながらも勢いがあって面白い!?
ジャグワー懐かしすぎる!(笑)
ゲゲゲの正やんインパクトありすぐる!(笑)

1997年
こんなことをフルカラーで描いてる自分に
今の自分から色々伝えたいことがアルよ

その後何年またひすとりぃ~が降り積もったかな
今年もまた新たなDEEPな歴史が始まっとるぞ!と
凄いなぁ、正やんの歴史!!!!

また今年の正やんも描けたらイイナァ(*´ω`)
早く逢いたいよ~☆

プロフィール

HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!

☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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