Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

2025/08    07« 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  »09
風、の歌の中でたぶん一番好きだ、
と特に想うようになった。

もちろん、『海風』と双璧なのだけど、この切なさ極まりない胸の締め付け感&エロティシズムは『海風』とは背中合わせの受け持ちパートなので、どうしてもどちらか一方になんて絞れない。

一見シンプルなように見えるこの歌はしなやかな豊かさを持っていて、後々の数々のLOVESONGの原点になっていったように思う。この歌からどれだけの歌が派生しただろう。これこそ「ジャンルは伊勢正三」な曲だと思う。

ギターも凄くナマな感じでジャリジャリと絡んで、手作り感のまだあったあの頃の東京の街をこの歌に縫い付けているのが切ない。

古暦のアレンジも渋くて大好きだけど、この二パターンは赤と青の立体画像の原画みたいに胸のうちで重ねて聴くと、その時代の空気感が浮かび上がって、過ぎ去ったセツナサを今も肌で感じることが出来る気がする。

"あの頃"に戻る、ということは、"今"との距離が測れるということだ。イントロや間奏のギターのフレットの移動、スライドの音がそんな風を感じさせるのかな・・・


私は勝手に

♪~ぼくの胸に顔をうずめて潮の香りがすると・・・

の「潮の香り」は、汗の匂いの中にあるのではと想っている。

すべてが溢れている街の片隅の、何もない部屋の何気ない時間の中で、寂しさを重ねて抱き合った二人。その熱さと淡さの混じった愛の営みの、男の汗の匂いの中に 女は気付いたんだと思う。

本当は "去った"のは 男の方なのではないだろうかと。潮の香りは街との"距離の香り"だ。ふるさとのない街の女はきっと、それに気付いてしまったのかもしれないって・・・


すれ違い
欲するものの違い
生まれ育ってきた時間の違い

赤の他人と求め合う愛は、肉親が与えてくれる"暖かい愛"とは違うもの。独りと独りが"ふたり"になるために必要なのは、身体の触れあいとか、部屋という空間や、ステイタスではなくて、互いの「時間」を溶かし合うことなのでは、と想う。

それには自己犠牲も含まれる。
自分の内なる時間に相手の時が溶けこんでくることを避けて拒んでいるうちは暖かい愛をみつけることは難しい。その愛の暖かさとは、実は互いにぶつかり合い・傷つけあって発生する苦しい摩擦熱の還元の一部だ。それは恋人同士に限ったことではなく、友人間や、隣近所や、仕事仲間などの「他」全てに同じことだと想う。

喧嘩や欲求・束縛・依存は良くないものと思われがちだけど、人と人は、埋められない溝・越えられない壁を無理にでも破壊して、再構築してゆく手間に本当の愛を見つけるのだと思う。

しかしまたそれに気付かず去ってゆくのも引き潮の法則・・・都会の中の人の営みの天然。陽が沈んだり、秋の深まりに葉が落ちるようなことと同じ無常で、どっちが正しいのかなんて答えが出ない。


いつか、自分の胸の中からその町の潮の香りがしてくる日が、きっとくると・・・そんな予感をはらみつつ何十年も聴いている。

そんな愛しさ、それが冬京。

追:

♪~そんな サ・み・シ・サ・ソ・れも東京

の「S」の羅列がすごく好きだ。
木枯らしが吹き始めそうな音だよね。

※次の曲について書く前に
 ちょっと数年前のものをば・・・

・・・・・

よく、お香(香木)を嗜む時に
「香を聞く」
というよね

香りを聞くことが出来るなら
逆に"音の香り"みたいなものがあっても
いいのじゃないかしら・・・とか
考えたりして・・・

今までよく
Shoyanのギターの音色や声に
光りや彩りを視る事はあったけれど
最近なんだかその音たちが"香る"気がするんだ

観たものは記憶の中で二次元的に甦るだけだけど
聴いたことはフト、何かの拍子に漂うことがある
音感や音楽知識の乏しい私でも
音程は取れていなくても
ぶり返しかたがフレグランスのように
脳の奥でなのか・・・胸の中でなのか・・・
そんなところで、今聴こえない音が香るときがある

香りを
"トップ・ノート、ミドルノート、ラストノート"と
"ノート~note"で表現するのは
そういうことなのかと思う

ここまで書いて
あ、Shoyanは

「時はジャスミンの様にほのかに漂う」

って、すでに教えてくれていたって想い直して
時が薫るっていうのもスゴイなって
改めて感激している
時間も音も目に見えない分
感じる器官は近いものなのかもしれない

・・・・・・

以前、"BEIGE~ベージュ"というタイトルの香りを
嗅ぐ機会があったのだけど
最初は落ち着いていて大人しく爽やかな・・・
鏡のような湖を見下ろす
山のホテルの庭の花時計みたいな香りで(謎)
時間が経つと少し素肌に甘く残って
本心が見えるような
なんとも想い出をくすぐる香りだった・・・
香水に色の名前が付いているのも面白いんだ♪

ん~・・・
Shoyanの歌の源氏香図は・・・
たぶんタブ譜だね!(´∀`)

つづく
先行予約で申し込んでおいた
"立川りぼーん"のチケットを発券してきた

涙のヒトケタ番台GET!
( ;∀;)久しぶり!
端っこだけど、肉眼で正やんの胸元の☆見えるかな♪


もうここのところマジでずっと20番台とか
壁際に寝返りうって背中で聴いているレベルの席だったので
ホントに嬉しいな・・・


って、それはもう来年の話なんですね
今年ほど矢の如く時が流れた一年はない
Re-bornが出てから時は同じところをグルグル@@@して
個人的な身の回りでも慌ただしく変化があり
ほぼ一年経ってもキット
Re-bornの興奮は収まっていないだろうな

さて、その前にかつしかです
当日は皇居で嵐の祝賀ステージがあったりするので
東京駅近辺は狂乱かもです
うまく迂回して行かなくちゃ・・・

楽しみだな♪秋のTOKYO(*´▽`*)


あれから毎日考えてはいるんです。
想ってもいるんです。
そしてそのうちFacebookに素敵な溌溂とした表情ばかりのお写真などUPされると、自分の感じたことはおかしかったんじゃないか?全然おkじゃないか、なんて揺らぐのです。

今一番、私と正やんは遠い。
中途半端な年代のギャップがある。
それが一番引き離れている年齢に来たなと思う。
コンサートの会場で若い人というと、ファンのみなさんの娘息子世代で、私と同年代の人はほとんどいない。私はずっと何十年もマイノリティなのだ。

だから、そんな少数派の意見や感性は、伊勢正三的世界には不要で、私はほんとにトンチンカンなことを言っているのだと思う。何も知らないくせにほぼほぼ想像で生意気な妄想をこじつけているだけだ。

これはいじけているわけではなくて(笑)、本当に毎回そう思うんだ。だから、自分が想うことをカタチにすることって勇気が要る。
(これだけ書いておいて何をいまさら感アリマスガ(笑))

・・・

今日になって、裕美さんの闘病告知のニュースがあった。今週末にはShoyanと裕美さんが主役の大きなイベントがあるね。きっと、さぞかし、ご心配だろうと思う。Shoyanご本人の喉のこともあるし、本当に楽しく元気に盛り上がって開催されることを祈ってる。

何故かこのごろさみしくて、なかなか軽井沢のことに浸りきれない。どっちから書こうかな・・・って。ちょっと以前に書いたものを引用しつつ、また次回・・・

今でも指を出すととまってくれる赤トンボに、自分の純粋さを託してみたい。
 


軽井沢、なんとか無事に行ってこられた。
色んなことに感謝です。

でも、前日は遅くまで仕事が長引き、当日は往復運転で帰宅が0:00になり、やはりちょっとしんどかった。ユンケル飲んで頑張った。

何よりお義母さんの具合が気がかりすぎて・・・

で、そのお義母さんですが、小康状態というか、ジュースくらいは飲むので、今、桃をスムージーにして持っていってあげてるような具合です。まるっきり食べなくなるかと思いきや・・・手を変え品を変え・・・がんばってます。施設と家族で全力で試せることしてる感じです。

・・・・

と、そんな私的なことは置いておいて・・・

軽井沢か~・・・
ちょっと複雑な思いというか、想うことが色々あったステージだった。

去年が"神回"だったので、それと比べることはできないのだが、6月の東京りぼーんと何かが違う正やんだった・・・気がするのは気のせい??

だが、

「あぁ・・・(*´ω`)LOVE♪」と思うコトもあり、

「ふぉ、、、(;´∀`)詰息(汗」と思うコトもあった。

気持ちの上下があったなぁ。



でも最近一番気になるのはギターソロの印象。
ギターの音がちゃんと出ていない。
しかもすぐに終わる。
これだけはここ最近いつも思う。
正やんご自身が「それでいい」と思っているのか、
全力なのに「そう」なのか(悲)、
私はむしろ楽器の鳴りに違和感を感じる。

アコギしか弾かないんならそのアコギは100%でいて欲しい訳。
数年前の軽井沢で聴いていた音には程遠い。
ギターが息切れしてる。
楽器のコンディションが気になる。
そして、
何か・・・出し切れていないものがあるのでは?と思う。
正やんご自身にも「これだけは必ず届ける!」という押しの強さがちょっと薄かったような・・・何か、自分のことで手いっぱいのような・・・・謎。

それでも客席は熱狂だし、正やんの声が埋もれちゃうようなバラバラの演奏でも、盛り上がってる。もうみんな「それでいい」って思ってるのかな。

妥協?
波風立てないのがオトナ?海風なのに?
ステージ上にいてくれたらそれでいい?
正やんのナニがそこにあればそれでいいのサ??



命削って参加した自分なので
「今日もまぁこんな感じ」
なんて思いたくないわけです。


なので、命かけてまた思ったことは書くと思います。
毎回見ているわけでもなく、最前列で観ているわけでもないので、今の正やんのコト何もわからない自分だけど、今聴いた音だけは正直に反応したい。

・・・また追々書きます。


少し休もう自分(*´ω`)。goodnight☆
『汐風』の肌触り思い出しながら・・・
















https://mainichi.jp/articles/20190814/ddf/012/200/007000c
※毎日新聞有料版

謎なのである。
先日も公式サイトやFacebookに告知もないまま、読売新聞の夕刊関西版のエンタメ欄に写真入りで『君歩』の告知&インタビューが掲載されていたのである。で、今回のこの毎日新聞も告知がなくて残念なのである。

私はこの催しものには一度も行かず(行けずぅ)、また世代的にチョットお呼びでない感もあるので(汗)いいのですが(いいのか!?)、お写真入りのインタビュー記事なんて見たいじゃん!読みたかったじゃん!!(>_<)やはりお知らせはしてもらいたいなと思うのであります。(そういえばメルマガ会員登録とかってあったよね??配信されているのかな?私には来ていませんが^^;)
やはり謎なのである。

しかし、この続く大阪推し感、、、(*´ω`)
大阪には何かイイコトがあるのかな♪

古くは『大阪のお嬢さん』から(笑)・・・
『君焚』『君歩』どんな『君』?

・・・・・

と言っている間に、こちらでは軽井沢の雰囲気が漂ってまいりました。お盆を過ぎたら秋です。フェーンで暑くても、すでに夕暮れが早くなってきてなんとなくキモチがざわめくのであります。あの、9月のひっそりした避暑地と秋の花々が呼んでいるように・・・。

大賀ホールもRe-bornなのかな?それともまた少し違うのかな?西から強く吹いてくる雨風に、予定を尋ねてみようか・・・

インタビュー記事の夏毛のShoyanがメチャ素敵で眠れずに、また少しキョリを想う台風の夜です。




※2023年に途中追記

・・・

この歌には二つの雨が出てくる。
君のいない朝に窓を叩く現実の小雨と、乾いた砂に沁み込む夏のにわか雨。

いつまでも終わらないような孤独の歴史年表。あっという間に過ぎ去ってしまう季節。対比が切ない。

・・・・・

少し前になるが、ある化粧品ブランドの新しい口紅のラインナップに、昔の色がリバイバルされて、その中に1970年代に一世を風靡したというオレンジ色の口紅があった。それを見た時、この歌のことを想い出した。当時、外国で流行っていたその口紅を、この歌の彼女が使っていたか?というリアルは抜きにして、70年代のシンプルでペタっとした色を想う・・・
この"電車道に沿って咲いてる名も知らぬ花"って何だろう?淡いオレンジ色・・・想い出す君の唇。

この頃植わっていた町の花って、カンナ、マリーゴールド、マツバボタン、ダリア?もしくは土手などに咲く野の花ノカンゾウやオニユリ・・・この頃は外来植物も少なくて素直な植生だったろうか。マルバルコウソウはすでに帰化植物か、オレンジ色の花って実は少ない?
案外、"陽に焼けた君"から逆算した色ではなかっただろうか・・・

※ちなみに、オレンジ色のノカンゾウやヤブカンゾウは別名『ワスレグサ』と言うそうな。淡くはないが意味は合いますね。

この歌を知ってから何十年も経つけど、未だかつてオレンジ色の口紅を買ったことは無い。いかな色黒の私でも似合いそうもなくて・・・(落)可愛くないとダメそうで・・・。
きっと、夏だけ陽に焼けた黒目がちのキュートな女性を想う。

『NEVER』の"♪いつか君に合わせ縮めたゴーグル"みたいに、身に付ける物から別れた人の表情を想い出すシチュエーションがたまらなく、たまらなく切ないのだ。

・・・・・

"電車道"、"踏切の音"、、、鉄道好きにはグッとくるフレーズもあって、ただのセンチメンタルじゃないShoyanらしい空間認識を感じるんだ。
恋人と過ごした夜。特別な夜がいつしか日常になり、日常が更なる現実となって明けてゆく朝。それでもまだこの頃は二つの心を溶かしあって一つの音を聴くくすぐったさがあったのだろうか。…今はきっと空っぽのその心に、現実だけがカラカラと音を立てて転がっているのだろう。
この小雨は満たしたり潤したりしてくれるものではなく、
想い出を遮ってゆく無情なカーテンなのだろうと思う。

・・・・・

同じアルバムに入って、同じようにマイナー調な『あの唄はもう唄わないのですか』などに比べると、この『忘れゆく歴史』はより"個人的"だ。
『あの唄はもう唄わないのですか』『22才の別れ』『海岸通』などの"読みきり劇画"系と違って、こういった、地味だけど個人的な想い出に入り込んでくる歌は、"あとからジワジワくる長期連載"なのだと思う。

長い時を経て、経験や感情の幅や他人との関わりが増えて、それだからこそ味わえるせつなさと気付きがある。
編まれる物語がある。


『忘れゆく歴史』は私にも今は"痛みソング"。十代で聴くのと四十五十越えてから聴くのとでは、今の方が数段色鮮やかに淋しさを視ることが出来る。
こういう古い写真のような歌、イイナ。
しかし、雨は切ない…
絆のようで、距離でもある。

今聴けば、私も乾いた砂が恋しい・・・
なんて素敵な歌だろう!!
こういう歌があるから私はShoyanの音楽が好きなのだ。

Shoyanのお茶目セクシーなヴォーカルと、スキップしているような曲の雰囲気が相まって、ミュージカルを観ているような、本当に甘酸っぱい一曲だ。この歌のShoyanの声はこのアルバムの中で最高柔らかく、サックリチェリーパイ☆みたいに甘く心がほぐれる
(*´ω`)。

♪君のほっぺにご飯粒・・・

ほんとはいつかそっとキスしてみたかった君の柔らかいほっぺ。あどけない彼女の「ん?どしたの?」的な表情がアリアリと見えて、めっちゃ可愛い最高のシーンだ。そしてこの彼女の描かれ方から、なんとなく、この恋のその後も想像出来るようで、安堵するのだ。

この彼女、その後の展開にきっとビックリ戸惑って
「〇〇、なんで今ソレ言うかな~?も~ぅ知らないっ、明日私行っちゃうしー、、、、困るぅ・・・でも、アリガト(下を向く)・・・(頬染)」
みたいなシーンを思ってしまい、この彼女、いつかこの町にまた帰ってきそうで、サバサバっと彼とうまくいきそうで、なんだか勝手に嬉しがっている近所のオバサン目線で聴いている♪

桜吹雪と春風のカンケイが少しの陰影を与えて緊張感もあり、シリアスと和みのコマ割りが本当に素敵で、なんて鮮やかな曲なのだろうと思う。

・・・・・

幼馴染みの彼の、精一杯の素直なキモチ、背伸びして、でも委縮して、でもやっぱり・・と「幼馴染みの季節に知らず咲いてた花をそっと・・・」という本当にデリケートな彼の純粋な心が愛おしくて堪らない。歌詞カードには薔薇の大きな花束がレイアウトされているけれど、二人の間に咲いた花を実際花束にして送るなら・・・きっとフリージアやパンジーのような懐かしい何気ない花かもしれないと思っている☆


♪そのわけも知らず唇あてた暖かい春の日・・・

が、少し成長するとこんな感じで恋の自覚が生まれるのかなぁって思ってキュンとする。
心底キュンとする・・・(涙)。


『秋の葉の栞』は後から気付いた男のストーリー。
でもこの歌の彼は先に気付いたのかもしれない。

ガンバレ彼!

これからの人生でいくつかある"曲がり角"。
その最初の最初はこんなピュアなものであったのだ。

Shoyanの"永遠少年"らしさ、が最高に輝いている一曲。この今聴かされてタマラナイ気持ちになる。
"春"という季節が"SPRING"だという、弾むココロを忘れないでいたい。

※聴きながらいつも「イエイエチガウンデス」で、ついジェスチャーつけちゃうんだよね(笑)。

プロフィール

HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!

☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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