Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。Shoyan的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。 管理者∶No Name 七氏−1.0

2026/02    01« 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  »03
先日また偶然つけたカーラジオから、ビートルズのアコースティックギターナンバー特集がかかっていました。

それで今頃改めて思い出したのですが、昔からビートルズの『Girl』を聴くと、『アビーロードの街』を想ってしまうのであります。ド直球すぎるかな^^;

リズムが似てるから??
歌い出しがなんとなく色が一緒みたいな気がして、なんかこのやるせない感じが自分的には合ってるのでイイナと思っているのです。


♪ビートルズの歌がきこえてきそうと
  二人で渡った交差点・・・

これは別に具体的な歌ではなく、あの横断歩道を渡る的なシチュエーションと被せて・・という意味だと思うのですが、『Abbey Road』のアルバムにはこの『Girl』は入っていないから関係薄い。でも年代的にはこのも曲もアビー・ロード・スタジオでレコーディングされていたみたいなのでお許しを。

・・・

♪好きなんだ

これは、恋を始めたいのか確認したいのか、

「私もよ」って彼女は言うのかな?
「え、そうなの?」って戸惑うのかな?

何故、今日水曜日は逢えないのか?
普段は意識しない二人のままで行動している時間も多いみたい。
無理して笑わせるくらいだから二人の心はまだ別みたい。
喫茶店や交差点、日常の延長。
この二人、学生か何かで取っているゼミの時間割が違うのだろか。彼女は電話が通じる実家か下宿先にいる水曜日。

彼もきっと今日は用事(講義)がないのに、部屋に一人いても図書館に行っても原宿あたりをぶらぶらしても、モチロン彼女がいるわけもなく・・・
でも逢いたくて、いつもの風景に身を置きたくて雨の中来ちゃった。

彼女の存在が欠けている日常を再確認しちゃって、余計に寂しさ募らせて、それを埋めたくて賭けてしまうその十円玉。
吉と出るかどうなのか・・・(悶)。


♪ガールフレンドと気軽に呼べば
 君はいつだって腕を回した

        『地下鉄は空っぽ』

地下鉄つながりの後年のこの曲では、”あんなこと言わなきゃよかった”と後悔やぎこちなさが先にたっていて恋のゆくえが切実なのだけど、アビーロードの街では聴く者にはその顛末は知らされないまま♪青山通り雨通り~でフェイドアウトになってしまう。だからロマンチックな気持ちで歌を置いておける。

「うん、ありがと」

って言われたのかなぁ・・・

などとこちらも考えながら外苑あたりの雨の遠景に想いを馳せるわけです。


一周回ってまたビートルズを聴いてみようかな。
同じアルバムの『Michelle』なんかもいいですネ♪
(むしろコッチ?)

独りの休みがとれたので、東大阪と横浜のLIVE2024DVDをここでちょっと気合入れて観てみた。

買った当初はひとりで弾き語りの2曲以外はもうほぼ全部大阪なんじゃん!と僻んだ気持ちで萎えていたのですが(萎えるのかオイオイ^^;)、ここのところの心の変化もありまして、また正面から向き合ってみようと挑んでみたのであります。

心を鬼にして!?Shoyanのパフォーマンスにポォ~っとならないように(笑)冷静にひたすらピックの様子を観察してメモをとってみました。

そうしたらば・・・
めっちゃ細かく横浜(関内ホール)の数秒のショットが多数差し込んである!!!(@_@) これでもかというほど、変態的とでも言えそうなくらい^^;のこだわりの強い編集がしてある!
しかも・・・自分的にはとても大切なフレーズだったりして涙出てきました。
あぁ、横浜のステージは切り捨てられたんじゃなくて逆に丁寧に吟味されたんだなって想えて幸せな気持ちになれました。今頃なのですが心が温かくなっています。Shoyan監督アリガトウ♪って想えます。

見分けるコツは

・マイクのピックホルダーのピックの配置
>大阪=白いピックが上から3枚、オレンジのピックが下に3枚。主にオレンジのピック使用。
>横浜=オレンジのピックが上に3枚(一番上の向きが替わったりする)、白いピックが下に3枚。

・シャツの胸元の黒いインナーがチラ見えするのが横浜、大阪は見えない。
・ヘアスタイルが横にポヤポヤ広がっているのが大阪、横浜は暗めでまとまってタイト。
 横向きでもサイドの髪の流れが違う、大阪はクルン@となっている。
・照明のニュアンスが違う?
・マイクのポチ?の位置。

で、各曲見ていくと

『Moonlight』
♪訪れる時を見ている~、の部分。
・ユタさんのエンドの演奏からのShoyanニヤリ顔、ラストの弾きフレーズ。

『地平線の見える街』
・なし
※途中の笑顔や良く歌えている感じが納得のベストテイク。

『ほんの短い夏』
♪送ってとは言わないの~の横向きショット。
♪最後の地下鉄が街の下くぐり抜けて君が僕の時計遅らせたと知った~、の正面テイク?
♪こんなに好きなのはわかってるくせにいつものように送ってとは言わないの~、のマイク持った横向きテイク。

『夜汽車は南へ』
・ほぼ大阪。

『テレポーテーション』
・イントロの手でクラッピングしている一瞬。
♪光より速く走る?君への想い こんな時アインシュタインも~、まで。(涙)

『あの唄はもう唄わないのですか』
♪今も信じてるあの唄を~、からのエレキのフレーズ部分。

『星空』
♪彼の写真入れてた~、の正面テイク?

『暦の上では』
・イントロの一瞬と
間奏♪下りの汽車の~、の直前のShoyanのスゴクいい顔しているテイク。

『冬京』
♪わかるのだろう~、直後のギターのフレーズ(イントロも少しアヤシイ!?)
・ラストフリーギターソロのぼかしからのアップ+ピック咥える胸元の一瞬のショット。
※「横浜ではピックを咥えて爪で弾いてた」と自分のメモに書いてあった(笑)

『雨の物語』
♪窓の外は雨、雨が降ってる~、の横顔から手元まで。

『湘南 夏』
・なし

・・・

てな感じで、ここまで観てきました。
後半『ペテン師』などでもピックの違いでわかる箇所があったはずです。止めたり戻したりしながらDVDのプレイヤーが壊れそうなほど確かめてみました。続きはまた後日の楽しみにします。

DVDのブックレットもよく見たら表紙のShoyanのお姿はもしかしたら関内ホールなのかもしれません。客席は大阪のようですので、うまく混ざっているんですね(*´ω`)♪
差仕込んである譜面が『夜汽車は南へ』と『テレポーテーション』なのが、今となってはとても嬉しくて、やっぱり買ってよかったと想っています。

見返してステージの様子・プレイのご様子に想うことも発生しました。また続きを書けたらと思います。(オフステージのショットもありますしネ)


コンサートなどの予定は全然ないのに想う時間は足りないぞ!!!

自分が5人くらいいたらいいのになと想う今日この頃です(*´▽`*)。



白いmen'sのシャツに
せつなく包まれ
崩れそうに 壊れそうに
眠りに就くひとときも・・・


この歌イキナリ色っぽい。
”男物のシャツ”をつけて眠る彼女はきっと
素肌にそれだけなのだろう・・・
なんと絵になる光景!
映画やドラマのワンシーンのようだ。

けれど、独り寝なのが哀しい。
ということは、
目覚めた時もまだ切ないということか。

借りたままのフリースと違って
もうあなたの匂いはしない
わかっているのに
自分の後悔の抜け殻を
再び羽織っては
何度も 何度も
何度も・・・
切り替えられない哀しい方のタイムラインで目が覚める・・・
いっそ消えてなくなってしまいたいという眠り。
色っぽいのに虚しくて
そして彼女の顔は見えなくて
止まったままの時間のシーツにくるまれて眠る
=時を止めている様子が手に取るように解って温度が低い。だから一層ぬくもりが欲しくなる(涙)。

去ったパートナーが残していったシャツなのか?
愛し合っていた日々に自らせがんで欲したものなのか?
それとも、”男らしく”自分を鼓舞するために自ら纏ったものなのか?
あの頃暮らした街から離れて棲む彼女の、傍らにまだあるそのシャツが不変に白くて苦しい。

♪風が吹き荒れた夕暮れの街は
 水槽のようにどこまでも見えて・・・

とはいかに?
水槽ってガラスなどで囲われている限られたエリアというイメージだけど、なぜここではどこまでも遠く視えるのだろう?

街はどこまでも見渡せるようでいて彼女の意識はまだ”あの頃”に囚われた水槽の中にある。遠く見渡せる街並みが果てしなければ果てしないほど、彼女の時はここで留まったままで哀しい。


夕暮れの
独りの部屋の
後悔と
喪失と
逃避を

ため息ひとつのような静かな切り取りで額に収める。
たゆみないBossaのリズムが揺れてそれを運ぶ。

閉め切った窓の外
街並みを見おろすベランダ
遠い高速道路の高架
ビルの隙間の小さな公園
点滅する信号機
行き交う車、人、流れる雲・・・

動いているのは景色の方で、自分はそこから動けない。置いていかれた時間。もうこれ以上考えたくない程、思考停止するほど囚われた愛(と思っていた)の時間。もう届かないのに、それを葬るまでの哀しい凪の時間をひとりいる彼女をずっと痛ましくも親しく想ってきた。

今書いていても涙が出る。

・・・

つもり・が積もって
気にしながら見過ごす

そんなに激しい衝突じゃないから、アスファルトに沁みた水が凍ってひび割れる路面のように、微細に進行する哀しい瑕(キズ)が表面下で広がっていたことに人は気付けない。だって、自分自身の心の中のダメージだって自覚出来ない時がある。ましてや他人の心の中なんて・・・人の心が何層にもなっていると気付くのは、こんな哀しい時間を幾度ももがいた後のことなのだろう(涙)。

二人過ごした時間が崩れて、壊れて粉々になって、 砂時計の粒になる 。
それをひっくり返しては戻し、また返しては戻しを繰り返すばかりで動けない。
まるで水槽の中に閉じ込められた魚のように・・・

いつかそのインフィニティのガラスを割って哀しい時間の粒子を解放する時、幾度目かの季節の風が彼女の意識を吹き抜けて時の本流に戻してくれることを祈っている。

・・・

Shoyanのガットギターは熱帯魚水槽のエアレーションの泡のように柔らかくたゆみない。差し込んで伸びる西陽のような準氏のエレピとシンセが背景を作り、斎藤ノブ氏の色っぽいパーカッションで胸の鼓動が時を穿つ。

イントロはまるで水鳥の着水のようで、曲が始まれば水中を縦横に泳ぐ魚の翻り、枯れた穂がたなびく荒野のような侘びたアレンジにオトナのオトコ極まったShoyanの声で切ない言葉が乗っていく。なんというハンサムなサウンドなのだろう。至高です。

繰り返しになるけれど、その昔ShoyanがA.C.Jobimがお好きだとおっしゃっていたのを聞いた時からいつかBossaNovaテイストの曲を作って歌って欲しいと想っていた。単に編曲の形態としてだけではなく、そのスピリットな部分・サウダージとして・・・ということ。

それが叶ったのですから、この歌の登場は本当に嬉しかった。
せつない愛の粒をパンニングするのにBossaの揺らぎはとてもマッチする気がして、時にはそんな容れ物もいいなと思うのです。


~時は

いつまで流れる?
何処から流れる?
何処まで流れる?
ここから流れる
そこから流れる
何処まで流れる?
ここまで流れる
ここまで流れる・・・

ここに時の正体が散りばめられている。ただ一方向に流れてゆくだけではない、時を経て飴色になった象牙のように曖昧な出処と行方とが陰陽のようで非常に美しい。この歌の真意なのだと想うのです。この頃、Shoyanはその”時の本質”にお気づきになられたのではないだろうか。そんなひとつの到達を感じる一曲でもあるのです。


ジャスミンの、官能と癒しのふたつの意味。
忘れられない甘い想い出と
忘れたい自棄な汚れた日々
現実は歌のように美しくはなく、とても醜い。
だけど、人の孤独と言うものはみな
穢れのないものなのではないだろうか・・・


いつかの軽井沢大賀ホールで佐藤準氏と歌ってくれたあの数分が私の一生の想い出です。ステージで歌われることはほとんど無いけれど、いつか自分の時が止まるその刹那までずっと聴いていたい宝物の一曲であります。
 



※追
『水槽の街』は私にとって伊勢正三の音楽と自分の心の中とをダイレクトに繋ぐ臍の緒のような存在で、時間と想いの行方を何十年も共に見つめてきた大切な曲だ。1994年当時アルバムに収録されたこの歌を聴いた時、私の心は寸分たがわずShoyanの歌の世界と嵌って離れなくなった。

歌の重力が聴く者の人生の軌道を引き込んだりすることがあるだろうか?
この歌は私の顕在意識と潜在意識のどちらにも深く入り込んで、きっと何かを少しづつ動かした。辛いことも奇跡も伴って今ここに在る。実際は全部自分自身の責任なのだけれども、この歌はどこか聴く者の行方をも孕んでいた気がしている。
(私事余文ご容赦下さい)

もう何年前になるだろう、Shoyanが大久保氏と風を再び始めたいと願いながらチケットまで発売済だったのに実現されなかったあのツアー。それが不可能になった時にShoyanが選んだ”ひとり旅”というスタイルのことを想うとこの曲がまず浮かんでくる。
平成・2000年代の伊勢正三が”風”をまた始めるのならば、絶対に歌って欲しい曲があった。

時の流れ』がそれです。



果たして、そこまでの何十年の間にこの歌がコンサートで歌われたことがあったのだろうか?

もちろん、風のオンタイムではステージで歌われていたと思うけれど(1977年の音源がありますね)、ソロ〜フッカツ以降は個人的にはこの歌の印象ってほとんど無くてずっともどかしかった。

示唆的なフレーズが沢山あってメロディーも演奏もめっちゃカッコイイこの歌、ブラスとギターの風通しのいいサウンドがアニキっぽくて憧れた。こういう歌があるから風は深いんだ、と独りで息巻いていたし、ステージ映えするだろうなぁ〜とずっと想って待っていた。

だから、風ひとり旅で演奏されるようになって感激した。永き時間を重ねられたShoyanの中でこの歌の存在感が濃くなってきたのかもしれないと感じた。この今も一線で演奏されることを尊く想う。

・・・

♪目の前の砂時計をうら返せば
 時はすぐに流れてゆく

この砂時計の砂は物質だ。
昔、”アレとコレ(物質)の距離があるからソコからココまでの時間が発生する”というようなことをどこかで聞いて、なるほどと思いながら歌を聴いてきた。砂も上から下に移動するから時間を計れるのですよね。



そしてこの歌も基本的に”時は流れてゆくもの”という前提だ。この頃のShoyanの歌の中ではまだ時は留まったり重なったり共時したりしない。自分では干渉できない運命のような不可避なもの・そんな存在として歌われていたように思う。

それがこの後解釈が広がっていき、様々な歌が生まれていくことに繋がっていく。これは”時間”というものの考え始めな、出発点の曲だと思うのだ。


どんなに遠くに離れても
季節の風が追いかけてくる
どこかでぼくが立ち止まらないように


時は流れてゆく

この彼の立場は言い換えると

「時が流れてゆくから
ボクは立ち止まらないで前に進むのだ」

てなふうに聴こえる。
自分でも何十年も前に聴き始めた頃は、四季や時間の流れって絶対的で不変だと思っていた。だから、”時”は自分を立ち止まらせないように分岐・別れの直後から強制的に先に運んでくれる単純明快な存在だと思っていた。

サラッとカラッとひとつの別れのあとの再出発のようで、少し”空元気”とも思える内容に若さを感じるのです。


でもこの何十年も聴いてきて歳を重ねると、実はそうとも言えないんじゃない??と想う気持ちも並行して湧いてきた。時間も季節も実はあやふやで、そして流れない時もあるのではないか?と。

タバコも砂時計も”反映”に過ぎない。
目に見える物質だから時が流れていくを感じることが出来るのだけれど、でも、自分の意識がそんな物質の変化と添えなくて独り動けなくなってしまったらどうする?

実際のところ時間は手を掴んで連れて行ってはくれない。
自我が傍観者であるうちはその時の流れは目の前の通行人だ。
この”僕が立ち止まらないように”と思えるようになるまでの苦悶はこの歌ではまだ埋もれて語られてはいない。

その時全てだと思った”君”が目の前から消え去ったあと、”君がいたから”こそ流れていた時間が欠落してしまって自分が空っぽになってしまう。そんな時、時間の本流はどこにあるのだろうか?

この歌の内容からは少し脱線するかもしれないけど、
弱い人間は時の流れに置いてけぼりにされることも多々あると近頃では思うのです。


そして物質のない世界=心の中・意識の世界では時間はどんな風に在るのだろう?そのあやふやな”時の真実”の部分をShoyanご自身もその後何十年も歌の中で考証されて来たのではないかと思っている。


♪いつになれば ずっと前の出来事だと想えるの?
♪今でもまだ ほんの前の出来事だと思えるの
              
               (水槽の街)
そして

♪その時 同じこと 同じ素振り
 瞬く間さえないくらい

           (テレポーテーション)
まで。

それが興味深くてずっとShoyanの歌たちを追ってきた私なのですが、物質的に離れていてもソコとココで同じ時間が流れているという最近のLOVEタイムラインの到達点は納得の極みなのだ。

と、そこに行き着いて今振り返ると、この『時の流れ』はすべての根本にあるはじめの一歩な曲だと思っているわけです。

・・・・・


♪君はわかっていたのかもしれない

を想うに、
それこそが自分と他人(愛した存在)はそもそも”別タイムライン”だったのだ・という前提が虚哀しい。

♪壊すためにつくる積木のように時は流れてゆく

という凄まじい特級フレーズの意味は、密かにShoyanの歌たちに潜む虚無を如実に語っている。

伊勢正三の歌たちのそこここに潜んでいる冷徹なリアルの象徴。恋人たちの甘い時間や、努力や思いやりという心尽くしや、子どもの成長や仲間との信頼関係なども、みないつかは色褪せてしまうのだという、人間不信とも思える虚しさをはらんでいるようで震えるのだ。

嫌なことを忘れられるのも時の流れだけれど、良いことすらも劣化して風化していくのだと言う。このクールな虚しさ、堪らんのです。伊勢正三って凄いなぁ・・・と平伏するこの至高フレーズです。

別れの直後から、君がいたさっきまでの時間はもう別のタイムラインで、分岐したらもう一切交わらないよ・振り向きもしないよ・無かったことレベルだよ、、、という”理想”みたいなものがここにあるけれど、そうもいかない剥がれきれない現実もあり。それをまたその後追求していくShoyanの二重スタンスが興味深いと思っている。

・・・

(そしてまだ続く^^;)


♪別れることが終わりならば
  別れることが始まりだと言えないだろうか

この逆説引用はある意味、別れを認めたくない強がり理論なのかもしれないけれど、十代の自分にはモノ凄く大切な導きとなった。

この後、

「想い出すなら忘れよう」
「寒さの中にかくれているのは暖かさ」
「悲しさは楽しさにも似て」
「悲しみなんて幸せの前触れ」
「遠ざかるほど君は近づく」
「気にしながら見過ごしてたの」

などなどなど、物事の表裏や多角的な視方を示してくれるShoyanの歌の黎明だったと思う。失恋して哀しい寂しいこの世の終わりだ・じゃなくて、そもそもの
「”別れ”って何よ!?」という考え方が本当に面白くて興味を惹かれた始まりでした。

※『夏この頃』の"山で死んだあいつ〜今朝早く男の子が生まれた"もその類かもしれない。


季節の風が吹いてきたことでやっと自分の胸の中の風車が回りだした。それが自分時間の再開。
季節の風は”他”や”偶然”みたいなものだろうか。
もしくは”縁”みたいなものかもしれない。
また春が巡るように
人は本当はひとりではなくて、
孤独だけれど一人ではないのだよって、
時の流れに漕ぎ出すための帆を張れたなら、
そこに感じられる季節の風がある。

何かを壊すために時は流れていくけれど、
でも・・・


時計の針が時を流しているわけではないって、Shoyanの歌の中でさえその意味は彩りを増していくから、聴手だって自分時間のバリエーションを増やして行けばいいのだ。


この歌をステージで聴く時は、歌をお作りになった時のちょっとツッパった感じの若き日のShoyanと、熟成に熟成を重ねた今の熟れ旨味マシマシのShoyanとを同時に感じて考えてみたりします。

これからも”新しい時の流れ”を感じられるように、そして自分がそこを吹き抜ける季節の風でいられるように、これからの時間、一音たりとも聴き逃がさぬようにと想う2026年の幕開けです。


またもやのとりとめなき、ご容赦。





♪冬の恋 温もりで滲む窓
 冷たく 透き通る前に・・・

温もりで滲む・とは
きっと暖かい息
寄り添いの体温
カップから立ちのぼる湯気
二人だけの部屋の
現在進行形が包み込む密室の曇りガラス

けれどそれがいつしか、立ちはだかる現実の前で冷たく透き通る=すべてがあらわになって我に還ってしまう時が訪れてしまう。

そうなる前に
愛し合っているまま
あたたかい苦しみのままで
二人のことを永遠にしてしまいましょう

という別離なのだよなと。

何年経っても涙する。


真冬の黄昏時、日没に背を向けて
奈落のような暗い空に想うのは
いつも同じこと・・・


#冬の恋~parallel

今朝の富士山&御日様パワー☆

昨年中はこのような独白にお付き合いくださり
ありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

年が明けたと言うだけでもうすでに未来に来た感じです。始まった感じがします。
”宇宙の辻褄合わせ”というものがあるそうなので、気持ちから入ろうと思っています(笑)。

みんなでShoyanの歌を沢山聴いて豊かに楽しく生きていこうではありませんか。
LOVESONGsの恵みに感謝☆

2026年 元旦

 七氏@仕事中(*´∀`)♪
こんな大晦日も極まった頃にShoyanから年末のご挨拶だなんて☆

https://www.ise-shozo.com/contents/1031622

と言っても、ご本人からというよりは運営事務局からって感じだけど?ファンのこと気にかけてもらえて素直に嬉しいです。

Shoyan、今年も歌を通して色々な刺激を届けてくれてありがとう!哀しみと愛でまたひとつ自分が深くなりました。

あと1時間ちょっと。
さようなら2025年(*´ω`*)
Welcome 2026年!

どうも、なんだか腑抜けて放心しておりました。
気づけば激動?の今年も残すところあと一日になってしまいましたね。

・・・

そうです、今年はステージで想い入れのある曲が沢山取り上げられて、本当に一曲に絞れないです。

・夜汽車は南へ
・忘れゆく歴史
・堤防のある町
・JUN
・テレポーテーション
・海岸通

そしてステージではナゼか演奏されなかった
・青い10号線

などなどなど・・・

って、一曲に絞る必要はないのですが、、、
やっぱり筆頭は『JUN』かなって想いました。

聴いた当初からず〜〜っと絶え間なく好きで大切に聴いてきた曲が今年、最高の形でステージで花開いたことはやはり一番の感動でした。『JUN』は永遠のハンサムSONGです(*´ω`*)♪

噂に違わぬ?最高にカッコ好いサウンドとグルーヴで、伊勢正三の音楽クオリティの豊かさここにあり!なステージでした。これだよこれっ!(*´Д`)と、夢のような時間を過ぎせて本当にしあわせでした。


で、実は今年、本当によく聴いたJUNが他にも3つあります。

(少し他の音楽に脱線します)

佐藤準氏の演奏・編曲そのものズバリの数々と、
山本潤子さん(ハイ・ファイ・セット)の『荒涼』
八神純子氏の『夜間飛行』

です。

ハイ・ファイ・セットの『荒涼』はサブスクでオススメに出てきてハマってしまい、何度も聴いて何度も泣きました。ユーミン作だからという以上に、山本潤子さんのヴォーカルここに極まれリという音が胸を刳りました。
何故、人はわざわざ寂しい歌を聴いて泣こうとするのか・・・
山本潤子さんが歌から離れてしまわれてもうだいぶ経ちます。それがまた寂しくて、甘い喪失も感じる一曲でした。

もう一曲、八神純子氏の『夜間飛行』。これはライブ盤の方であります。錚々たるバンドメンバーの垢抜けた演奏が良きな1枚ですが、そのメンバーに佐藤準氏が参加されていて色っぽいエレピが堪らない一曲なのです。指先まで見えちゃう音源です。それを目当てで聴いてハマってしまいました。なんだか、胸がグサグサしたからですね・・・

ご本家の『JUN』もヘヴィロテでした。雨の季節が終わっても嬉しくてずっと聴いていました。6月の新潟のステージの完成度の高い熱演は一生忘れないでしょう(涙)。


それと脱線ついでに、
その『JUN』の中に♪Jobimの音〜と出てきますネ。

今までに私が自分で揃えた他のアーティストの曲にもJobim先生の名前などが出てくるものがあります。(Jobim・Antonio・TOMなど)

マイケル・フランクス
『Antonio’s Song』
『Abandoned Garden』

イヴァン・リンス
『Rio de Maio』

アンリ・サルバドール
『Jardin d'hiver』
※歌詞が入れ替わっているver.

セルソ・フォンセカ
『Slow Motion Bossa Nova』

そして
ロン・カーター
『Mr.Bow-tie』
※このBow-tieとは蝶ネクタイのことであります。確か当時このタイトルのMr.はJobimのことを指すのだと解説されていたのです。


・・・などでありますが、偶然に聴いていた私のCD棚の中だけでこんなにある!!世界中のアーティストの中にはどんだけ〜なJobim大先生への想い溢れているのだろう、と感慨ひとしおです。(STINGのカバーなどもありますね)

その中にJAPANの伊勢正三の『JUN』が加わっているところがムフフであります。さすがShoyanであります。



音楽の難しいことはさっぱりわからない私ですが、好きだなと感じるものを辿っていくとこうして納得のリンク先に辿り着いたりする。

今年は♪誰も知らない木星〜ホルストの『木星』、柴又の寅さん記念館の撮影セット〜大船の撮影所跡、偶然訪れた津久見の網代島、などなど。

湖面を漂っているだけの木の葉のような私の毎日ですが、Shoyanの歌という風に吹かれて色んな面白い岸辺に寄ることも出来ました。

今年のJUNは”巡”だったかなと、年の瀬になって想っています。喜びも哀しみも巡るんだなって。

来年はどんな曲が私を導いてくれるのだろう・・・?

師走の風も極まってきましたが、心の潤い・来年も楽しみにしていましょう☆色んな音楽を聴きながら次のShoyanを待っています!




プロフィール

HN:
No Name 七氏−1.0
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!

☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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