Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。Shoyan的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。 管理者∶No Name 七氏−1.0

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動画も来たー!
動いている最新のShoyanが理想的にカッコよすぎて熱が出そう(*´Д`)。あの余裕な感じが素敵だし、ギターの音がなんとなく古典的なHz感?でやはり唯一無二。うむ。

あのヘアスタイルにBLACKなシャツにジャケットにジーンズ、ビジュアルも最高か・・・嬉泣

本当マジで嬉しすぎる。
素敵が過ぎますよShoyan!(愛)

ちょっと喉が痛くて仕事を早退してきた私です^^;

(っていうか、肝心の曲のことはどうなんだ自分!? 笑)
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/panam/discography

https://demon-kakka.jp/information/2026/05/22.php

クラウンPANAMでデーモン閣下とコラボ、そしてリードギター??
先日の藤井フミヤ氏とおいちゃんの企画と一緒かな。
メイキングの映像が出ればいいんですけどな〜

最新の音が聴けるの嬉しいな!


(そういえば、デーモン閣下もさそり座だった気がする 笑)

って、うわー!
今検索したら Yahoo!でも取り上げられてたんですね!毎日見てんのに引っかからなかった(笑涙)。
https://news.yahoo.co.jp/articles/831daeaee18a9233a9108f06c8c4f133a5a1382b

って、最新お写真あるやん〜(*´Д`)
ヤバいヤバい!



萌えます、何も変わらず素敵なShoyanに安堵萌え(ノ∀`)

仕事中なのに人事不正になりそうなのでまた後ほど(笑)。





果たしてもう何回この曲と共にこの季節を過ごしただろうか。

40年とちょっと♪
毎年毎年毎年聴いてきた。
中学生の自分と、50代も半ばを過ぎた今の自分と、全く同じように深く聴けていることが無上の幸せです。

・・・

雨の降り出しにトキメイて、しかも車で君を連れて午後の街なかへ・・・何をするでもなくどこへ行くでもなく、雨の中一緒に出かけるだけで嬉しい時間。そんな何気ない瑞々しい新緑の景色と雨に濡れた街の灰色の景色の対比が面白いなって想っていた。


♪街の何処かで今日もまた誰かが生まれ変わった
♪五月雨に洗われるのは汚れた街と耐えられぬ心

幾千年も繰り返されてきた自然の中で
自分が生きている時間て一瞬だ
ましてやキミと過ごす時間はもっと少ない

「キミはこの五月の雨のように
   自然に在ることが出来るかい?」

そんな風に問われているような気がした。
人は自然に憧れてナチュラルであろうとするのだけれど、天然な自発は協調じゃなかったりする。
心待ちの雨の昼下がりも数時間後にはケンカしてたりして^^; 人の幸せって均一じゃない。

でも、五月雨は等しく強制的に降ってくる。
公園の緑や街路樹も高層ビルもアスファルトも同じように圧倒的に濡らしていく。
なのに無衝突だ。
梅雨の雨や秋の雨のように重くなくて、ただひたすらに潤いをもたらす化粧水のような安堵。不確定な日常を一刻忘れたくて無意識に人は心を委ねてしまうのだ。そんな共感をこの曲で得てきた。

一見アコースティックだから風からの流れのように感じるかもだけど、でも、Shoyanの意識はもう次の『渚ゆく』にリンクしていたのではないかと思う。
『北斗七星』のアルバム曲はShoyanがその後携えていくことにしたものと置いていくことにしたものとに分かれる気がしている。
『通り雨』や『雨の物語』『わかれ道』のようなドラマチック深刻さと言うよりは、実生活的と言うか身近な充実を感じるのだ。自分自身が好きな瞬間とよく似ている。雨が降るだけで・木々が芽吹くだけで・アナタが隣りにいるだけで・日々が過ぎて生きているだけで尊い、そんな感触。特別なことはなくてもいい。でも本当はそれが深いことだとサラッと織り込んである。

♪こんな雨の日
  気付くのは
  晴れた日々の素晴らしさ

雨の日には晴れた空を、
晴れの日が続けば雨の訪れを、
人はいつもあっちとこっちを行き来したがるものなのかもしれない。

・・・

アコギの刻みにWahったエレキ、男声のコーラスでザックリと確実なサウンドがカッコイイ(*´∀`)☆
イキナリからしてShoyan自声のハモリにユニゾン、心は静かに鷲掴み(泣)。そういう音の部分でも瑞々しくて、シュッと絞まっていて型くずれしない男前な曲だと思う。ツンツンしたギターソロにフルートの音色もドライで鋭く、勢いが途切れない。

そしてイントロと同じフレーズの繰り返しがまたアウトロで始まる。絶え間ない雨は降り続いていくのだ、時代の匂いを抱き込んだまま・・・


昔はよくコンサートの客席からリクエストの声があがっていた。今でも私もライブで聴いてみたいと想っている。Shoyanご自身が思うより?きっと聴手はこの曲が好きですヨ♪


一時、若い頃、未熟な私はこの緑の季節の生命感と祝福感が苦しくて、新緑や咲き誇る花々に背を向けていた時期があった。子供も持てずに何も産まれず恵まれなくて孤独で空っぽの自分。でもこの歌を聴く時、寂しくはなかった。生まれ変われずに終わってもそれはそれで人生だよと、それくらい自然とは寛容なものだよって、この歌を裏返したら何故かそう感じたから。そんな寄り添いがこの歌には在るのです。

ひと粒だけが雨じゃないって、Shoyanの歌には決めつけがないからずっと好きでいられる(涙)。

その美しい糸で、想い出を織るも良し・縫い合わせるのも良し、なのだ。
この数日で衝動的に思い至りまして、さきほど岐阜長良川のライブのチケットを買ってしまいましたっ
(●´ω`●)むふーヤバイ

昨年の新潟行きの決死の日帰りが今になって愛おしく(笑)、今年も何かチャレンジしたくなったので土曜日なら行けるかも・とチケットぴあで買いました。家族は仕事なので一人で行きます。明宝ハムのお土産を買うのが今からメチャ楽しみです(食い気なのか(笑))。

昨年の新潟はその前にバンド編成や曲目が明らかになっていたので「絶対に行く価値ありっ」と動機と気合十分で臨みました。今回もそうなることを祈ります。

んで、
最初イープラスでS席を申し込みしたら座席の位置がわかったので、ちょっと様子を見ながら他の販売サイトを探検。どこでもいいとはいえ気になる(笑)。
ローソンチケットは座席が分からず却下。チケットぴあは左右反対側の同じようなエリアでした。ぴあの方がやや自分的に好みだったのでそちらにしました。

ちなみに、イープラスで表示された座席は端っこの壁が少しかかるような(いや、凄まじく端っこ笑)エリアでS席10列目46。試しにSS席を選択してみたら11列目23とのことでした。
A席は2階の6列目でした。

おそらく、真ん中エリアがSS席ってことかな??
後ろの方はどんな割振りか分かりませんが。


行こうと思って少し調べたらこの長良川国際会議場は安藤忠雄氏の設計によるものだそうで、その辺りも非常に興味惹かれます。ちかくの競技場まではサッカーを観に行ったことがありますが、夏の長良川と岐阜城も楽しみです。

川口のチケットはまだ来ていません。
知人は昨日届いたそうなので、私のところにも近々来るかな。
きっとまた端っこでしょう(笑)。

もうね、行けるだけで嬉しいからね。
3月4月で余計に身体はボロボロになりましたが、気力が戻って来た気がします。
Shoyanに逢える、この尊い一分一秒を大切にしてがんばろう!


"他の誰かを好きになっていいの"?


またもや彼女のセリフ斬りで袈裟懸けにされる悶絶!
誰よりも愛している彼女からこんなこと言われて(目で訴えかけられて)この彼、どんなリアクションしているのだろう?
ちょっと不機嫌そうに口をへの字に曲げて目線を逸らせても、内心では今すぐ路地の壁に抱き倒したいほどの衝動を熱く握りしめているでしょう。

(これが疑問形なのではなく、もしくは"あなたは他の誰かを好きになってもいいの(よ)"という突き放しの可能性も含めて)

互いに滅茶苦茶愛していて、好き過ぎて思い詰めすぎていて逆に相手に想いが伝わっていないこの状況が、非常にShoyanの歌らしくて好きだ。この悶絶、もどかしさ、キレキレである。彼女の意識していない翻弄もまたShoyanの歌の王道。

♪逢いたくて逢いたくて今日まで
   ずっとこの日を待ち続けた
♪今でも誰よりも君が好き

そんなに久しぶりの邂逅なのに、一旦背を向けて振り向きざまに彼を試すような彼女の態度は・・・

どんな理由でこの二人が離れていたかわからないけれど、未だ熱いフライパンに落ちた水滴みたいに、じれったく一つになれないでジリジリしている感じが当時の歌らしいと想う。彼の方では”逢いたくて逢いたくて”と待ち続けていたこの機会でも、彼女の方ではその時間は”放っておかれた”なんてワザと想ってみたりして、拗ねたような気持ちを手間かけて解いて欲しいと思っているのかな。
互いの一途さが拗れた感じがタマラナイのです。

・・・

1995年、池田聡氏とのISという限定ユニットの曲とは言え、これは伊勢正三が濃ゆい一曲だとずっと想ってきました。

ほぼギターだけの伴奏にShoyanのシリアスな声。
甘いのに冷たい声。
マイナーでそっけないのに畳み掛けるメロディ。

そんなシチュエーションで

♪君の髪が濡れたままで
   冷たいほど愛しさは募る・・・

なんて歌われてしまうと膝から崩れ落ちそうになる。
罪の塊のようなヴォーカルだ。
この頃の熟れて艶のあるShoyanの声でこのシンプルなアプローチは、常識の防弾ガラスさえ突き破りそうなインパクトでした。
池田聡氏の甲高い非日常的なコーラスが入って我に返るけど、そうでなきゃギターのシックなアルペジオにくすぐられてこのShoyanの声の密室から永遠に抜け出せなくなるでしょう。ある意味キケンな歌であります。

・・・

♪愛することの他には何も
 出来なくしてくれてもいい

とは・・・
そもそも私もあなたも、愛することしか取り柄のない者同士なのだ。
もの凄い決意のようだけれど、愛することの他に出来ることに意味があるのだろうか? 歌うことも怒ることも食べることも根底は愛だよ・って匂わせてくれている気がする(愛)。


雨音に包まれているのにまだひとつじゃない二人。
背中や髪や唇、立てる襟は外見だ。
心の中はどうなの?
この後、この恋の雨の中を歩き疲れて静かな褥に倒れ臥す時、そこは果たして独りなの?二人なの?と、またもどかしい。

「君が好き」と意識的に伝える言葉は、眠る=無意識下では自覚出来ないことだから彼は焦っているのかもしれない。本当は焦らなくてもいいのに・・・

いつか
静かな雨音に目覚めたら
心が繋がって同期しているって気付くのに。
振り向いて動いた唇は
声にならない想いの発露だったかもしれず・・・

同じ雨でもこの歌における雨は緊張感と揺らぎの風景だ。

四半世紀経ってみてまたこんな雨の歌が懐かしい。
直情的で色っぽいのにウブな感じもまたShoyanの歌の振り幅の一端だと、毎年新鮮な気持ちで聴いている一曲です。



※蛇足
ISという企画は池田聡氏側主導だった(と思う)ので、当時情弱な伊勢正三ファンの私が知ったときにはもうライブのチケットは売り切れていました。本当に悔しくて、そういう情報の偏りに多々悲しい思いをしたものです。そういうやるせなさもこの歌は含んでいます。

この頃ご出演になったラジオで、Shoyanが使用したギターについて(D45だったか?)
「事務所の倉庫にしまいっぱなしにしてあって、カビだかサビだらけのヤツを引っ張り出してきて録音した」
というようなことをおっしゃっていました^^;
あんなに良い音なのにそんなリアルなの!?と苦笑したものです。

Shoyanらしい放置事案だなと思います。

「他の誰かに弾かれてもいいの?」

と、Martinたちが言っていたかもしれませんね(*´ω`)。
JUNにはまだ早いですが、私の中ではすでに雨の季節は五月から始まっていて、毎年想うことが膨れ上がっていきます。おかげで気持ちもだいぶ潤って来ました。毎年同じようなこと書いていきますがご容赦下さい。

今年は来年の1月に生誕100年を迎えるA.C.Jobim大先生の話題がチラホラ増えて切なくなっております。100年の話が続きますね。


そのショート動画でエリス・レジーナとトム(Jobim)の『三月の雨』のレコーディング映像が出回っていて、メタメタに最高でアヤウクてチャーミングな二人のパフォーマンスに心湧いていたのですが、どうやらそれとともにドキュメンタリー映画が公開される(された)と耳にしました。

ですが、、、
私きっと今は観ないかもと想ったりします。
いつか騒ぎが収まって?自分一人でコソッと時間が出来たら泣きながら観るかもしれませんが、今は観ない。

Shoyanのラジオを積極的に聴かなかったように、何故かあまり”明らかになる”ことには距離を置きたい性分なのかもしれません。

(君焚きはそもそも”聴けなかった”からなのですが(汗))

好き過ぎるものは遠くに在りて想うもの・的な。面倒くさい自分です。

・・・

今になってやっと去年のステージのJUNを想います。あんなに最高なこと、今でも夢のようです。夢だったのか!?

そういえば『雨の物語』が一時、ステージでBossaバージョンで演奏されていたことがあったような気がするのですが、あれも幻だったであろうか・・・私の妄想か?やはり妄想だったかな???

『夜のFM』と共に私はそれを非常に嬉しく想った気がするのですが、もう30年も前ともなると記憶が定かではありません。そんな事実無かったらお許しください^^;


雨とShoyanの音楽を想う時、22才の別れやなごり雪や風やかぐや姫という存在は吹っ飛んでしまって、ただひとつの”伊勢正三”というお姿に対峙する気持ちになります。

果たして未だに風ありき・なステージなのか、それともまた新しいナニかをもたらしてくれるステージなのか、”原因と結果”の見極めを静かな雨音の中で待っていようと想います。
雨のほうがしっくりくるから・・・♪

※つげ義春先生も逝去されてしまいました(寂)。例の『海辺の叙景』のラスト見開きも、海に降る雨一色の忘れ難いワンシーンであります(涙)。

最近、ショート動画などでギターのペグを調節しながらチョーキングする奏法がよく流れてくる。

以前ラジオでShoyanがギターの新しい弾き方の動画を見つけて弟子入りしたいぐらい、と言うようなことをおっしゃってたけど、これだったらどうしよう(*´∀`)ナンテ♪(どうしょうと思うことはなかろう(笑))


ショート動画中毒ってのがあるそうですが、最近疲れすぎていた自分は脳みそを空っぽにしたくて見ハマっていました。

それでも時々、昔の大昔の歌手のとっても素敵なステージなどが流れてきて新しい発見があったりします。そうすると、また好きな傾向の関連動画がどんどん流れてきて・・・永遠ループです(汗。

でも知識の仕入れ先が1つ増えたと思えば、中毒も前向きに捉えられるかも??

・・・

今日は昭和の日だったので(特に100年)、昔の日本のニューミュージックのことを取り上げた番組などもやっていましたが、なぜか私には一切刺さらなかった。

情報や流行はこれからも多岐に渡って周到に消費者の周りに張り巡らされていくのだろうけれど、自分の心に残るものを追って行けば、やはりそれが幸せの目的地に導いてくれるんだろうなって思います。

今現在、伊勢正三の音楽を聴いてる自分、それは紛れもなく自分で選んできた結果なのだと改めて誇りに思っています。

5月の初日までもう1ヶ月じゃないですかっ
Shoyanは今頃すでにもう策(策?)を練っておられるのでしょうか。なんだかソワソワします!(〃ω〃)

心がざわざわしてちょっと由無し事書いてみたりしました。(またこんなのが続きます 笑)
「この街の川の流れには
     まるで自由がないのね」

!!Σ(・_・;)
いきなりのこのシビアなセリフ、
ガーン!と来るわけで、ちょっと体温が下がる。

冒頭は街の中、そう両脇を護岸で固められてソコしか流れない不自由な川の風景。ガッチガチに固められた逃げ場のない強制の景色。

『神田川』にも通じるような、そんな価値観の自縛がある。

でも歌はいつしか山の中のダム建設現場のような環境破壊の場面に移る。大自然と都会ならば本来は非なるものだけれど、その2つを並べれば大自然を大規模に破壊して変えてゆく重機と圧倒の現実に、小さな個人の恋など入り込む余地がない、と、どこか諦めの哀しさを示してくれる。
(ように、当時は思えた)

前作アルバム『海がここに来るまで』の『レミングの街』で酸性雨を歌い、『JunkFood』で地球温暖化にプルトニュウム。そしてこのアルバム『メガロポリスの錯覚』ではこの自然開発環境破壊、タイトル曲のホームレスから育親書まで、この復活2枚組(敢えて2枚組にしちゃう)のシビアでシリアスな新しい伊勢正三の切っ先には当時張り倒された気持ちで痺れまくったものでした。

新しいShoyanの世の中に対する多角的な向き合いを感じて、その本気度に感動していました。


だがしかし、その歌詞のシビアさに反してこの『時が沈む湖』のメロディーはわかりやすく叙情的でロマンチックなのだ。陰りを帯びたマイナーな青緑色の音は聴く者の胸にストレートに来る。そのギャップがShoyanの歌らしくてさすがだなって想っていた。

イントロの重美徹氏の表現力が凄い。岩の合間を高低つけて流れ下る奔流と苔むす源流と森の奥行き、一山超えた平野に広がる人工の街の佇まい、そこにShoyanのやるせなきスキャットが絡んできて、俯瞰と意識の底が同時に顕されていて非常にドラマチックなのである。かなり能動的に創られたのだなって、当時のShoyanとその周りのミュージシャン方の意気込みを感じる。


Shoyanお得意の
コンクリート
ブルドーザー
ダンプ
河口堰・・・
リアル過ぎる言葉の数々、その一方で実はその”森”とは恋をする者の胸の中のことだったりする。その振り幅がまた堪りませんでした。


しかしながら、
恋とはそんなにピュアでなくてはいけないものだろうか?
自由で自然でなければいけないのか?
それが答え?

この歌を聴いた当初、私もまだ20代、純粋で一途で自然な発動こそ至上の恋だと想っていました。もちろん今でもそうあるに越したことはないと思いますが、でも、いつまでも恋がせせらぎのままでは脆弱ではないか・とも思うようになりました。

30年聴いてきたら、もっと強い恋もあると想うようになった。コンクリート護岸を打ち砕いて越水して床上浸水するくらいの暴れ川になれると。

「まるで自由がない」とは、彼女の”逃げ”なのではないか・と今では想う。答えではなく彼女の言い逃れなのかもしれない・・・と。

・・・

ダンプやブルドーザーはなんの比喩なのだろう?
想い出を濁らせるほどの”超現実”のことだろうか。
この表題の”湖”とは、元から自然の中にある湖ではなくてダム湖なのだとしたら、そもそも人の恋心も人工物なのだと想う。せせらぎや自由な流れに幻想を抱いてそのままでいたいとしても、他との関わりは開発であり変化なんだ。

それを受け入れて自然な不自然を自分のものに出来たらホントウの自由が得られるのではないだろうか。


ダンプやブルドーザーじゃなくて
一輪車とスコップとミニユンボくらいで
里山のため池みたいな環境が作れたなら
その恋は長続きしそうな気がする。

そんな、”時が沈むビオトープ”に辿り着きたいものです。

年齢を経てから聴くと柔らかく聴けるようになって、今またこの新緑の季節に好きな歌であります。

プロフィール

HN:
No Name 七氏−1.0
Webサイト:
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

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