Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

2025/08    07« 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  »09
明日までは営業するので
足りなくなった酒類を買い出しに
師走の道を走っていたら
駅へ向かう大阪ナンバーの近鉄バスが
隣の車線にいた
駅で折り返して夜には大坂へ戻るのね

 ふおっ、大阪に行くのね!キミ・・・
 もし正やんに遭ったらよろしくネ


って、よくわからない念を送り(笑)
慌ただしく買い物ミッションを終えた

高速バス、乗りたいなぁ・・・

ここは全然遠くの街なのに
大坂ナンバーを見ただけでなんか嬉しい
そんな子供じみたことをしている
私でありました(;´∀`)

魂が無賃乗車してるかもしれないです(笑) 

おお!Re-bornグッズでパーカー登場!
いいかも!


なんとなく、、、
Shoyanはいつもフード付きのパーカーやベストをお召しになっているイメージ♪ 33年前もスウェットのパーカー着てた!(*´ω`)夏なのに(*´ω`)!

フードを被ると自分の世界に籠れる安心感があるからかな?そういう理由で私もフード付きベストとか好きだ。

色もブラックで素敵
お姿も入ってるし
フレーズもナイスだし
欲すぃな~・・・♪

・・・

いよいよ大阪りぼーんも近づいてきて
怒涛の今年が終わってしまう
いいなぁ大阪・・・
大阪さん特別羨ましい

大坂でKBDがあった時に
一度だけ行きました
その時アメリカ村?の中古レコード店で
銀のフォーエバー(謎)を発見して
驚喜したゲンの良い大阪さん
またいつか伺いたいヨ

楽しくアツいライブになりますように
祈っています☆
 ☆   Merry
 |\ Christmas!
   ∴∴∴
 (*^ー^*)
 (;;つ□O;
 L,,,,[:],,」
 (__)_)
で、意外かもしれないが、私にとっての生涯一番の癒しSONGは

『もう泣かないで』

だったりする。

※いやホントはもっとたくさん癒しソングはあって、どれって決められないのだけど、最古ということで(*´▽`*)

・・・

私が一番弱虫だった頃。小さくて非力で、悲しくて孤独だった頃。最初の最初から一番近くで寄り添ってくれた歌。HEARTBEATのアルバム自体がそういう存在なのだけど、この歌は不思議とその中でも特に当時の私の気持ちに吸着した。

優しいラブソングだけれども、特に色っぽい言葉が出てくるわけではなく、具体的な風景もなく、"メリー・クリスマス"と"雪"という単語が少しだけ温度を感じさせてくれるのみで、実際はどんな設定の歌なのか今も決められないままだ。

「なのになぜ?」と自分でもわからないけど、悲しい時に真っ先に聴きたくなるんだ。

だけど・・・何も考えなくてもいいほど、このShoyanは純粋にただ、ひたすらに慰めてくれるのだ(歌詞はどこまでが共作なのかわからないから・・・)。

人を励ましたり癒したりするのに、具体的なことなど要らないのかもしれない。強い指示や奮起はなくていい。

ただ、"寄り添い"があればいいのでは?と想うのだ。

・・・

「もう、泣かないで」

というフレーズは別記の『海辺にて』にある

「君らしくないから泣かないでくれ」

という言葉とは大きく違う

「君は今まで散々泣いたんだよね?」

「だからもう、これ以上泣かないで…ネ?」

とか、

彼女の

「ゴメン、還ってきちゃった…」

という、嬉しい謝り涙かもしれないと思うんだ

いずれにしろ、涙を遠ざける"泣かないで"ではなく、流す涙まで愛おしく拭ってくれる"泣きの収拾"だから癒されるのだと思う。

また、JUN氏の可愛いアレンジが今でもたまらなく愛おしいのデス。螺旋を描いて空から落ちてくる雪の結晶の結集みたい♪
・・・

 愛ははかなく 
 こぼれ落ちる雪
 ひとりで歌うさ 
 君へのメリークリスマス

ここが一番好き(涙)

「ぼくもひとりだよ」
「だからキミと一緒だよ」

って、慰めてくれる。
熾火のようなShoyanの愛が視える。

「僕のために、僕のためだけに存在していてくれ」って、熱い想いを提示されるのって永遠に嬉しいことと思う。それが例え歌の中の一つのフレーズでも・・・

はじめは寄り添っていただけのものが、いつしか私の"中"で存在しているようになる。最初は愛の代用だったはずなのに、いつしか愛の源になっている。

誰よりも永く好きでいられる存在。私の人生の色んな愛憎を超えて"愛スタイル"のBASICになってくれたShoyan。

そんな人と歌に出逢えたことは
本当に幸せなことだと思う

こんな、時代や世紀や年齢などみんな超えて、今でもずっと毎回クリスマスを迎えるごとに抱きしめる想いだ(愛)

・・・

しかし、いつまでもこの歌に頼っていていいのだろうか。もっと大人になって自立しなくてはと思うのだけど、ラブソングが不要になるほどの大量の愛は、生涯通じてもナカナカ得ることは出来ない。でも、それが普通であって、誰も皆きっと、サミシクていいのでは?と思う。

伊勢正三のLOVESONGは不思議。歌はタイムマシンだと思っていたけど、積載量無限の"カーゴ"でもあるんだね♪

幼い日の私の一途さが、歳を経て疲弊した今の私を励ます。そして、出逢った頃のキモチがいつまでも・と優しい心に戻れる。

今年もアリガトウShoyan☆
(*´▽`*)

この小さな恋の歌、折りたたみの携帯フォトフレームみたいに・・・ポケットの中でこれからもずっと大切にする☆(涙)

Shoyanの、この切な歌声は 
私の永遠なのだ
夜中の0:00になろうかという頃
外の雨は雪になった

イルカさんがなごり雪を歌ったであろう日に初雪なんて♪

けれど、30分ほど降ってうっすら積もった頃に、元の雨に戻って白い景色は解けてしまった

つまんないの・・・((+_+))


息子の冬馬氏はこのクリスマスの頃の初雪を『初恋雪』なんて歌っていたけれど、自分だったらどんな風に呼ぼうかな・なんて、、不遜なことを考えてる(*´ω`)フフフ

・・・

実は、冬ってとても短い
11月はまだ晩秋で
12月も上旬はまだ暖かい日があったりして、街路樹に黄色い葉が残っていたりする。だがちょうどこの冬至の頃、一斉に山や街路樹の葉が落ちて透けた眺めになり、道の草は枯れ田や畑は土色一色になる
それが冬だ

けれど、年が暮れて新年が来ると
急に"新春"になってしまう
梅の花が咲いたイラストや
やたらめでたい縁起物で
無理やり雰囲気を作らされるのが
ホントにイヤだ(笑)

テレビのCMなんて如実で
もうそういうのが嫌でテレビ観たくないので、このほんの半月ぐらいの”真冬”が今、とても愛おしいのであります

と、脱線しましたが

この数日メチャクチャ忙しくて
過労死しそうなほどしんどくて
気が付いたらもうあと10日くらいで
今年が終わっちゃう
こんなに激しい一年もなかったであろうくらい、今年は色んな感情が押し寄せた一年だった

Re-bornの曲の感想を今年のうちに載せようと思っていたのに、なんかまだ全然です・・・(汗
2月20日発売だったのに、まだ昨日のようで、毎日毎日毎日聴いているので全然時が進んでいない。
あっという間に一年経ちそうです

気付いたら雪降ってるし・・・
窓ガラス曇るし・・・涙

・・・

猫や犬は"一年"なんてことを
考えて生きてはいないだろうな・・・
何歳だとか
西暦元号何年だとか
男だとか女だとか
ひとりとかふたりとか
そんなこともう考えないで
雪が降るように
ただひたすらにその時を
過ごせていけたらと思うのだけど・・・
ボーッと生きていくのはムツカシイ

降る雨や雪を視るのが好きな理由は、自分がそこに無くてもいいっていう安心だ。雨や雪が降ってくれる、風が吹いてくれる、日が暮れてくれる・・・って。

大きな自然が動いてくれると
小さな自分は安心するのだ

さて、外はまた雨が雪になったみたい
窓の外白くなった・・・
この、静かな雪音に眠ることにします

雪の名前、寝ながら考えよう♪



※まとまりのない長文失礼しました(;´∀`)
♪都会は 恋のあぜ道~

ふぬ!?
あぜ道!?

何故、急にそんな土の匂いがするようなフレーズが・・・

♪恋すれば別のタイムライン

それってそんな野の花の揺れる小径なのでしょうか?

この都会のど真ん中なシチュエーションに、ナゼ"あぜ道"なのか、、、ここ、本当に面白いなって想いつつ、Shoyanの虹色の感性に憧れるのだ。


で、話はチョット逸れるけれども、三国志でお馴染みの?魏の政治家・曹操の詩にも"あぜ道"が出てくるのです。曹操は詩人でもあるのです。

「越陌度阡」
 =
「東西のあぜ道(陌)を越え、
 南北のあぜ道(阡)を度(わた)り」
 =
「いくつもの苦難の道を重ねて乗り越えて辿って」

と。

自分の好きな人の詩、両方ともに出てくる"あぜ道"!
気になりすぐる!

曹操の詩では志を遂行するにあたっての紆余曲折・人と人の出会いのための本当の"距離"、がそこにあるのだけれど、Shoyanのあぜ道って何だろう?

※SOUSOUとSHOUZOU、チョット似てるね(笑)
 >それは私の超妄想(^^;)シツレイシマシタ

・・・

都会があぜ道、って面白い
それは本来、相反するものだ
本当ならアヤウイ二人の歩む道
"道を外れた"道徳外のカンケイ?
生き馬の目を抜く刹那な構造である都会の中で
セツナい恋を歩んでいる二人・・・
そこに長閑な"あぜ道"というフレーズを嵌め込んだ
Shoyanの柔らかさが好きだ

心は区切りない空・・というのなら
そんな窮屈な街
いっそ抜け出してしまえばいいのに!

と思うのは、田舎暮らしでのんびり屋の私が想うことであって、流行の靴にキャッシュレス決済で一週間遅れの誕生日をシャンパンで祝うようなヒミツの恋にココロ燃やしたいと思う都方人の彼氏と彼女かもしれなくて・・・

これ以上の野暮は言うまい(´ー`)フフフ。

ただ、その"あぜ道"に少しの救いを得られたらいいなと思う。恋はやはり、あたたかいもの・であって欲しいから・・・(涙)。

・・・

曹操の作った詩も楽府と言って、当時はメロディーをつけて歌われるものであったそうだ。ある意味、同じだなって♪

そのメロディーは伝わっていないけれど、幸いにも漢字のおかげで、1800年後のこんな私にも作者の心情を伝えてくれる。紛れもない曹操という政治家詩人のその時のその心のうちに触れることが出来るのだ。

どんな伝記も記事も物語もその人の本当を伝えることは出来ない。けれどその人の作品は紛れもなくその人の一部なんだなって思う。

ただの文字の羅列でも
そこにあなたはいるのだと
たった三文字にどれだけの謎と答えがあるのか
今日も明日も私は想う

♪とこしえの見果てぬ夢
 いつまでも 
 いつまでもずっと・・・

なのだ☆
ちょっと思いつくまま書き散らかしてみた
我願ご容赦(*´ー`*)
風・かぐや姫とソロ・・・と、年次だけでスッパリ分けて考えてしまうのは短絡的だと思うのだけど、ひとつだけ、如実にハッキリ変化したのでは?と思うことがある。

『北斗七星』の『五月雨』から始まる"ドライビングSONG"たちだ。

私がShoyanの歌を聴き始めた時は、色んなアルバムをごちゃ混ぜに「せーの」で聴いていたので、あまり意識しなかったけど、風やかぐや姫の頃の歌は車が出てくるシチュエーションはほとんどない。

『地平線の見える街』で友が車好きというくらいで、地下鉄だったり、自転車だったり、街のカフェでお茶したり・・・『3号線を左に折れ』が唯一・一番具体的かもしれない。(実は今この『3号線を左に折れ』が自分の中で再大ブームになっておる>また後述)

昔の提供曲はどうだろうか、把握できないけど、少ないのでは?と思う。

当時は意識の中に"車の運転"がなかったのかな。風の頃のスナップ写真に、停めた車の中でハンドルを握るショットがあったような気がするけど、それも撮影の演出だったのだよね。(そもそもレコードジャケットが車上ではあるが)

・・・・・

私はShoyanの車の歌がすごく好きだ。
ドライブのシチュエーションがすごく好きだ。
単独行でも二人連れでも・・・

『五月雨』『グレー通りの灯り』『スモークドガラス越しの景色』『渚のロコボーイ』 『二人の周期』『Rain Into Your Heart~愛のために』『青い10号線』『リアス式の恋』『Tonight Tonight』『色褪せた日々』『Heartbeat』『11月・ロマンス』『有り得ない偶然』『さよならの到着便』『海は遠いのかい』『白い時刻』などなど、、そして『小さな約束』も・・・
と、1980年以降は車が関係してくるシーン様々で色んな名曲たちがある。モチロン、この頃に(渡米先で?)自動車の運転免許を取得されたそうなので、それが反映されるのは極自然な流れと想うケド・・・

・・・

♪僕は夜の高速道路 君を送った帰り
 はみ出せないセンターライン 
 心の中でもひいて・・・


なんてフレーズにグッと、ググッと来るわけで(>_<)。反対に、ジグザグに車線変更して最終のフライトに間に合わせたい・離れないでいたい・抱きしめたい!と思いつめてるような、熱情極まるドライビングのシーンもあったりして、"車内妄想"の色んなパターンにShoyanの車好き(運転好き)な感じが匂ってとても良いのだ。

『NEVER』のPVのドライブシーンは最高に好きなShoyan映像のひとつだけど、車でドライブすると目の前も横も景色が流れるから、運転はシナリオのない映画を観ているみたいで、その自然なアプローチがShoyanはお好きなのじゃないかしら・・・と想っている。

車内では外界と遮断されて独りになれるし、スピードの爽快感も得られるから、そういう用途にも重宝されているのでは?などとも想う。(どんな用途!?=勝手な妄想w)

"アクティブなヒキコモリ"だものね
>車の運転(´∀`)

 ダカラ 私モ車ノ運転 スキデス

Shoyanの歌において、クルマの効用って大きいと思うので、それが登場する1980年からというのは、やっぱりひとつ、季節が違うのではと想っている。

と、そんなこと茫洋と考えるときもあるのダ。


・・・
※私にとっては、"古いアイボリー"って
 "XJ"のことなんだ(´ー`*)懐)
冷たい雨の一晩が過ぎて
朝に晴れて雲が流れたら
高い山々は半分くらいまで
雪に覆われていた
紅葉の山に白く粉砂糖のように
青空の中で朝日に光って
それはとても美しいものです


私の住む町は周囲を高い山に囲まれている。3000m級のガチな山々だ。それがあまりにも急にそこに在るので、人の暮らす町と大自然の境目が無くて本当に不思議な風景だと思う。台風さえ避けてしまう巨大な物質がそこに在る。

なので、町中にある最新設備の県病院などに防災ヘリで山岳遭難者が運ばれてくる。一刻を争う速さで屋上にヘリが降りてくる様子はいつ見ても緊張するものです。

この、風の『あいつ』という歌が作られた当時は、2019年の今とは全然違う登山環境だっただろうと思う。化学繊維の高機能性ウェアもなかっただろうし、スマートフォンもGPSもない、雪崩ビーコンもない、登山靴やロープの品質だって全く違うものだっただろう。食品だって今みたいな多彩なインスタント・レトルト食もなかったよね。

この歌の彼は、どのようにして「山に還っていった」のかはわからないけれど、当時は救助の様子だって全然違っただろうと思う。とても些細なことで遭難が成立してしまっただろうし、捜索も救助も困難だったはずだ。今はその3000mの山頂からほんの数分でヘリで病院の屋上に運ばれてくるというのに。

現代だったら助かっていたかもしれない・・・
だけど、だから、彼の存在はそのまま山の一部になって、そこでそのまま"そっちの世界の者"になったのだ。もちろん今だって収容されず行方不明のままの人もいる。でも、この頃は大自然の中での死が、今よりもっともっと身に近いものだったのろう。
そんな、環境の変化・移り変わりを最近はこの歌によく感じるのです。

※還っていったのはこの彼の身体なのか、魂だけなのか、それはわからないけれど。

・・・・・

ウチの店によく来てくれる近所の年配男性がいる。私の父と同じ世代の方で、今はおひとりでお住まいでいらっしゃるので外食もよくされるのである。仮にYさんとお呼びする。

その来店時にはいつも色んな武勇伝を聞かせて下さるのだが、先日、海外の高峰で遭難死したある若者の話をしてくれた。
(当時、全国ニュースにもなった)

亡くなったのはそのYさんの旧友の息子さんで、第一線の登山家だったのだ。その彼はYさんも小さい頃から一緒に遊んだり、可愛がりつつ成長を見守り続けた若者だった。その法要が最近あったと話してくれた。

その彼のことをYさんは思い出話の中でしきりに「あいつは」「あいつが」と呼んでいた。『夏この頃』でも"山で死んだ"のは"あいつ"だったよね。

"あいつ"って言うフレーズは悲しい。
その当の本人はそこにいない・ってことだものね。誰かと誰かがそこにいない人のことを話す時に使うフレーズ・・・しかも、かなり遠い何か隔たりがある人のこと。

もう死んで会えない人のことを、恋人や友人はどんな思いで語ればいいのか・・・しかも若くして亡くなったりして"ただそれだけのはなし"と淡々と捉えなければ、どこまでも底のない悲しみに引き込まれ続けてしまいそうだ。距離を置かねば、、、そのやるかたのなさに後を追ってしまいたくなる場合もあるのではないか。

"あいつ"という言葉の"距離感"を具体的に気付いた今日この頃。
この歌のイントロは雪解け水の小さなせせらぎみたいで、人の命を奪う山と、誘う山の眩しさが綺麗だ。

「忘れちまえよ」と言いながら「また山で迎えよう」と、忘れきれない大切な友人、知人、恋人・・・一人の人間の死は、大自然の中ではひとつの事象にすぎないけれど、生きていく人間にとっては本当に深くて抜けない心のくさびだ。しかも、登山はある意味当人が積極的にそこへ近づく作業だから、どこか、否定しきれないその別離なのだ。♪山男にゃ惚れるなよ(山男の歌)という歌があるけれど、そのリアルな答えがここにある。

私は個人的にはこの恋人だった彼女は、本当にちゃんと忘れることが出来ると思うのだ。忘れるということは「なかったことにする」わけではない。その、距離を受け入れるってことだ。「思い出一つ何も残さない」なんて、でもそれはやはり「愛」ならば残っていると思うのだ。彼女はそれをちゃんとわかって忘れて、先の人生を生きていくのだと思う。

・・・・・

歌を作った当時のShoyanの身近にそういう人がいたのか、どこかで目にしたニュースからなのか、それとも純粋にShoyanの編んだ物語なのか今の私にはわからないけれど、Shoyanが永い間かけて色々な場面で計って(測って)きたもののうちの、"死んでしまった存在との距離"を想う歌だ。物質がない・時間もない・距離と言えない距離を表す言葉かもしれない「あいつ」。

・・・・・

今この山深い町に住んで高い山に囲まれていると、毎日のように登山関連のニュースも目にするし、周りに登山を日常の趣味にしている人が沢山いる。遭難のリアルを事細かに知ることが出来ると、人の生命と運命と大自然が同時に存在してるのがよくわかる。

生きることと死ぬことは表裏一体なのだと
確認したくてみんな山に登るのかな?
昔も今も・・・

こちらからその雪の頂はよく見えるけど
そちらからこの小さな私が見えますか?


山を見るたびに、いつもそう想います

2009年09月25日記に加筆
 

※※「あ・い・つ」の意味って、私思うに「あそこに いる やつ」のこと、ってことにしておきたい(*´ω`)。
ここじゃない、あそこにいる人のコト。


或る雨の日のこと~

九州あたりに強い雨雲があるからなのか
関東の太平洋側に雨雲があるからなのか
背中が痛い、痛すぎる(;´Д`)

中学生の頃から
お天気が体のコンディションに影響してると
実感していた

雨が近づくと
部活では膝が痛くて
20代で交通事故に遭ってからは
アスファルトに打ち付けた左の腰が痛んで
中年を過ぎてからは
胃や背中が痛くなるようになった

雨が降り出すとむしろ軽減するのだ
近づくと痛み出すのだ
遠い雨が(低気圧が)影響するのだ
だから私は雨に敏感なのだ
それはロマンチックなもの以前に
身を守るための、身構えの意識なのだ(悲


♪静かな雨音に目覚めるように
 誰にも気づかれずそばにいて・・・

と、その、もう少し前の気配を私は感じている

誰にも気づかれない逢瀬は
実は自分自身も気づいていなくて
アナタも気付いていない

そんな、無意識下で繰り広げられる
魂のフ・レ・ア・イを
想像するのが楽しい雨の日であります

だから、背中が痛くても
日がな雨を視るのが好きなんだ

プロフィール

HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!

☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
このブログサーバーが落ちて表示されない場合は↑に避難しています。

検索窓的な♪

☆曲目や記事の内容単語など、ここから検索できます

フリーエリア

P R

フリーエリア

フリーエリアすますまほ

<< Back  | HOME Next >>
Copyright ©  -- Nanashiのものろーぐ --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by もずねこ / powered by NINJA TOOLS /  /