Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

2025/08    07« 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  »09
 
>季節が過ぎても、それでも飛んでいかないホタルもいる。
>光らなくなったから見えないだけで、
 
とは書いたものの・・・
光らなくなったらそれホタルの意義がない(T_T)。
そう想って哀しい・・・
 
つい先日偶々聴いたラジオで、某御大拓郎さんが中止延期になった数々のコンサートについて言及されていたのだけど、やはり氏は「ツアー会場でお客さんを目の前にして反応を見ながらステージを演りたい」というようなことをおっしゃっていた。
 
その一方で、無観客ライブをやったサザンのことも褒めてらした。
 
「伝える」ということを改めて問う今の事態。目の前に在るものの反応が一番確かではあるけれど・・・それが不可能なら一体どうすれば??非常に興味深い事態。聴き手としても発信する側に何か"伝え"たい・と思うのだけれど、、、でも、手段がない(泣)。ライブがないとお手紙さえ持っていけない。(今どき手紙なんてアナログなものは迷惑で、デリートされて絶滅しているかもですが^^;)
  
コンサートがない今、じかに持っていけないから・・・妄想はもう手元に置いて、ココで残しすしかないのかもしれない。デジタルの虚しさはこの際考えないでおこう。やらないよりやることが大事?こんな妄想、ココだけでとどめておく方が世界平和かもしれないし・・・。
 
モチロン、いつか、、コンサートが再開されたら、、、再度スタッフさんに迷惑がられても(笑)よく消毒した袋に入れて、いつか凄まじく下手な字で(汗)アナログなお手紙を持っていきたいと思うけど、それがいつの日かわからないままはサミシイ・・・
 
話は初めに戻ってしまって、、、
となると
今の事態、この先何か月・何年かかるかワカラナイ。もうシステムも変更になって、宛先ももう存在しないのかもしれない。でも、だから、最後のアナログお手紙をいつかやっぱり一度郵送してみるのもいいかもしれない。何十年か経ったらどこかで音楽の神様に受け取ってもらえるかもしれない♪。行方の分からない手紙なんて面白いじゃないか・・・・
 
でも「宛先不明」で帰ってきたら現実を受け止めて、おとなし~くココでデジタル呟きに専念します(笑)。
 
 
聴き続けている限り、感じ続けていて、想い続けて溢れ続けている訳で、何も中断してはいないのだ!ってそれだけは強いキモチでいたいのだ。それだけは、もう伝わらなくても、残していきたいって、見えない波長で光るホタルがこの胸の中にいるんです。
 
・・・
 
秋冬の楽しみが何一つないこの夏をどうやって乗り越えようか、心は上がったり下がったりしながらあだこだと想い散らかしております。今こそShoyanが今までにくれた愛を・・・どれだけ殖やせるか!チャレンジの夏ですよ!!(気合)
 
 
 
※いつにもまして個人的な独りよがりの内容失礼しました(;´∀`) 
 ッテ イツモノコトデショ(笑)
抜け殻が空蝉なら、鳴いている実体の方は何蝉と呼ぶのだろう?

ニイニイゼミに続いて昨日とうとうアブラゼミが鳴いた!今日はミンミンゼミも鳴き始めた。寝込んでいるうちに夏が来てしまう。蚊も湧くしカミキリムシもヨトウムシもアオスジアゲハもイトトンボも、ありとあらゆる虫が庭を往来しているが、今年もホタルを見にいかずに季節が過ぎてしまった、、、


何十年も昔、ホタルの話をしたこと、その人はもう忘れてしまっただろう。あれは小さな平家蛍のことだったのですよ。季節が過ぎても、それでも飛んでいかないホタルもいる。光らなくなったから見えないだけで、葉の裏で待っている。五つ目の季節を止めて待っているのだ。

、、、

昨日今日は丸一日仕事をしてみた。まだ痛みはあるが、椅子に座って食事できる位にはなった。無理をすると痛みがぶり返すけれど、長時間のパソコン作業も出来るように早く良くなりたい。

やはり、想うことはせめてキーボードでないと。


痛み寝転びながらスマホをいじるだけの時間の中で、何気なく調べてみた花言葉に慄く。

夕顔の花言葉は「罪」。

…こわっ

いや、怖がる必要はないのだが、夜顔を育てた時に怖い思い(謎)をしたことがあるので、混同しているのかも。

カンピョウだと思えばいいんだカンピョウだと!(汗)

夕顔のことはまた改めて。


今頃そんなことを知って、40年も出遅れている自分なんなん!(笑)




メダカ鉢の姫スイレンが今年も咲いた。
去年は二つ咲いたのに、今年はまた一つでした。やはり鉢で沈めるだけではなく、中に土を入れて植えなくちゃダメかな?

でですね、子供の頃(7歳!)から聴いていた『おやすみマーヤ』のことをフト想い出したのですが、、、なんと!今んたら気が付いたことが・・・(遅すぎる自分(笑))



スイレンって、夜になると花を閉じるよね 。
とすると、マーヤはどこで寝ている??
アニメのエンディングでは普通に花の上にいてクルクルしていたように思うけど・・・

絵的にはこのまま「♪ベッドのうえで~」の方が詩的だけど、夜が更けたらきっと「ベッドの中で~♪」なんだなキット(*´∀`*)。この写真は姫スイレンだから小さいけれど、大きな普通のスイレンの花の上ならば、閉じた花びらの間でちょうど良いサイズ感でミツバチが守られて眠れるのかもしれない。そして朝になったら開いて起こしてくれるネ☆

普段観察していると、蜂は意外と水辺が好きで、暑いときは一日に何度も何度も来てスイレンの葉の上に着地(着葉?)して水を飲んでいる・・・と、思っていたが、、ただ飲んでいるだけではないのだ!!口いっぱいに表面張力で水滴を含んでキラキラさせながら運んでいるんだ。追跡してみると巣に持って行ってその水をかけて冷やしているのだ。なんて可愛い奴!>蜂!

※私はいつも蜂の巣をあんまり大きくならないのならそのままにして観察しているのです。ミツバチではなくてアシナガバチですが。

蜂は時々店の中にも入ってきてしまうけど、ほとんどの場合「ハイハイ出て出て~」と促すとちゃんとドアから出て行ってくれる。アタマ良いんだな~って感心する。(アブやハエは心が通じません^^;)

マーヤは今から大忙しな季節だね。
蜂は暑さに強くてうらやましい。
小さな生き物に慰められて今年の暑さを乗り切ろう。

・・・

『入り江』を聴いたとき、このマーヤの歌たちをチョットだけ想い出した。夢二の子供の絵のように、ラブソングの帝王である艶っぽいShoyanの中にも、若き日から今の今まで持ち続けている"おさなごころ"がある。その視線の柔らかさが大好きだ。大人が上から見下ろす世界ではない。星が流れる夜空と月明かりが揺れる水面は同じ高さにあるものだ・って知っている人のやさしいまなざしを、こんな歳を取ってしまった今の自分でも感じることが出来るのは幸せだ。


・・・っと、全然違う曲のことをシビアに考えていたのに、何故か急に書いてみました。

明日明後日は予約の会食座敷があって、内心かなり緊張感です・・・(怖)。
無心だった幼い日の自分に、少し逃げたくなったのかもしれません(;´∀`)。
シェルターソング万歳♪

セッコクの『イセ』に続き、ミディカトレアの『海風』が咲きました!


本当の名は『C.See Breeze~カトレア.シー・ブリーズ 』。
薄いブルーと紫の涼しやかな花で本当に癒されます。
(植え替えしていなくて根っこがはみ出しているけど^^;)

   

メダカ鉢の上でギボウシも咲いた。

植物育てを"卒業"出来ないまま、でも”庭"も持てないまま、ずっと放浪園芸している自分です。"Abandoned"なGardenでいいじゃないか、と思うわけです。庭を自分の投影と想えば、庭は植物のもの・と気付いたときに自由になれる気がする。

梅雨の雨降らしの脱線お許しを・・・
"アビーロード"とはなんぞや?

モチロン!ビートルズの"アビーロード"ということは当時から知っていてのことだし、歌を作ったご本人のニュアンスは、あのレコードジャケットやスタジオのある場所と、青山通りや表参道の景色などを重ねたものだったのかと思うけど・・・

高校生の私は当時もう少し深読みしたくて、そのまんま辞書を引いて「Abbey Road」=「修道院通り」=「参道」=「表参道でおk」という結論に達した。

笑止!・・・(=´ω`)ソンナお年頃。

そういう風に発展?脱線?させて妄想するのを、楽しいと気付き始めた最初の歌だった。

・・・
この歌、本当は、、、私にはとても痛い歌。
ナントイウ コトダロウ
すごく好きだったのに・・・

以下、とても個人的なことを書くけれどお許しください。そろそろ人生もだいぶ過ぎて、いつ何があるかわからないこんなご時世だし、イタイことを書くのも私という人間とShoyanの歌の歴史なのだと、そんなスタンスでこれからは進めようと思っています。

・・・

その昔、なごり雪で縁が始まった、とある人がすごく好きな歌だった。その人は出先にもかぐや姫のLP歌詞カードまで持ってきて「いい歌なんだ」って歌ってくれた。だから必然的に私も大好きな歌になった。その人との記憶(思い出ではない)の歌は、なごり雪と22才の別れ以外ではこの『アビーロードの街』ということになる。

声が、似ていた・・ような気がした。
ヒゲの生えていないメガネ男子のショウヤンに似ていた・・ような気がした。
この歌を私だけにプレゼントしてくれた・・と思っていた。

でも、そういう思い込みは思い込みのまま、現実には何も生まずに時は過ぎて、私もその人もいつかそれらを全部捨ててしまった。そしてこの歌は"思い入れの錯覚"の悲しい画鋲になってしまった。

※ちなみに今はソノコトは逆に「私が正やんに遇うためのきっかけ」だったのだと想っていマス。きっとそれが正解です。

しかーし、更にそのことに追加して別件の、ビートルズやかぐや姫に関する苦い躓きが発生し(汗)、ひどい火傷の引き攣れみたいに残る私の愚か過ぎる脱輪事故もあって・・・(ハゲしく欝)。知らぬうちに遠ざけて・辛くて・苦くて、去年くらいまではほとんど聴けていなかった。アルバムさえ、かぐや姫の歌さえ、聴けてなかった。

 Shoyanごめんなさい・・・

この歌を聴くと、湯船で膝小僧の擦り傷が沁みるみたいな、とっても苦しい気持ちになっていました。でも今こうしてこんなことをここに書けるのは、もう大丈夫になった証拠だと思いたい。
今、自分で、

「もう、痛くないよね?」

って確認してみたくて恐る恐る書いてみている。自分語りなんて、とても野暮でみっともないものだけれども・・・

・・・

ここ最近のライブではなんだかすごく賑やかで明るい歌になっちゃった。合いの手の♪ショーヤーン!は黄色い歓声で楽しそう。(もちろんそれは盛り上がるしイイコトだと思うけど)

だから余計私には辛い。
寂しくて甘酸っぱい哀愁のある歌だった頃が懐かしい。
歌のバリエーションとして、客席の片隅でこんな寂しい聴き方をしていてもどうか許してください(*´ω`)。

・・・

体言止め?な

♪地下鉄駅まで帰る道 青山通り 雨通り 

のラストは、本当に繊細なこの彼の淡い純粋さを受け止めていて、素晴らしいズームアウト&フェイドアウトだと思う。

おいちゃんの曲もスゴクしなやかで、コーラスもアレンジもギターも垢抜けていて、かぐや姫の中の超級名曲だと思っている。

私が幼かった頃の"東京色"の濃い歌がすごく好きだ。あの頃まだ私の馴染みの地下鉄は通っていなくて、このあたりじゃきっと銀座線とか千代田線くらいしか通ってなかったんじゃないかな?
駅に着く前に一瞬電気の消える旧い銀座線懐かしいな・・・

街に哀愁があったあの頃。
雨が優しかったあの頃。
若者がシャイだったあの頃。

♪  公衆電話だから 
 大きな声で言えないけれど 
 好きなんだ・・・

こういう 線香花火の瞬きのような、細やかな叙景を抱き締めるように大切に聴きたい歌だと思うんだ。

楽しそうな他のカップルの様子が、さみしい自分の胸にチクチク刺さる、その頃は連絡手段が限られていて、やっとの思いの10円玉とちょっと重いダイヤル。"想い"の質感が感じられる素敵な描写だ(涙)。

・・・

『さよなら以外に』から『Re-born』の曲たちが現れてくれたことによって、私は最近こういう痛みな歌もよく聴けるようになりました。

たぶん、きっとこれからもずっと好きでいると思います!

国道246は私が一番好きな国道。
青山通り雨通り・・・
都会は苦手なはずなのに、今でも自分がそこにいるような気がしています。
『夏は知ってる』
作詞:伊勢正三
作曲:南こうせつ

ずいぶん昔に一度この歌のことを書いた。
セルフカバー『スモークドガラス越しの景色』の際にも引用した。南こうせつおいちゃんの1983年発売のアルバムの曲なのだけど、隠れ名曲というか、知ってる人は多くないのでは?と思うようなマニアックな年代の曲だ。

私が知ったのも、さだまさし氏のラジオ深夜番組においちゃんがゲスト出演して新曲としてオンエアされたものを聴いたからだ。(当時、さだ氏の三国志語りを聴きたくて録音してたのだ(笑))

でも自分にとっては岐路というか、伊勢正三に目覚める大きなきっかけの歌なので、何かにつけ想い出します。

昨日、そのサザンのライブ配信で『朝方ムーンライト』という懐かしい曲が歌われた。それを聴いてフト、この『夏は知ってる』をまた想い出した。
※他のアーチストの歌を引用してゴメンナサイ(汗)


サザンのその歌には、

♪吐息のあい間に雨の音がする・・・

という色っぽいフレーズがあるのだけど、

『夏は知ってる』では、

♪midnightの通り雨に気付かないほどfall in love・・・

と、同じようなシチュエーションでも180度違う機微があって興味深いのだ。
クワタさんの言う「吐息」は、きっと愛し合う相手が連続的に漏らす声かと思う。でもその合間に部屋の外に降る雨の音に耳がシフトしてしまう、この"隙"が、愛に混じるCoolさを感じさせるのだけど、Shoyanの描く場面は愛し合う時間の中では一切の外部が遮断されていて、部屋の外で降る真夜中の通り雨の気配に気付かないほど、ひたすらに夜通しfall in loveしてるというタフさ、そして一途さ。この♪さらけ出してたパッション!という熱が堪らないのだ。

この情熱、只者ではないと。さみしがり屋同士が求め合うから、それはとてもDeepなものになってしまうのか・と聴いた当時から思っていた。

しかも、それは40年近くの時を経て、

♪静かな雨音に目覚めるように
 誰にも気付かれずそばにいて・・・

と、ソコに肉体さえ不要な深いラブシーンに昇華した。

さみしがり屋同士の求めあいは接触を通して様々な摩擦や破壊を経ただろう。しかし、その先でやっと「さみしさ」の理由に気付いたとき、自分たちこそがその真夜中の雨だったのだとわかるのかもしれない。(ちょっとイミフメでスミマセン)

人を愛することは、雨が降ることに似ている。

(おっと、♪君をつたう雫になる・・までいってしまった。汗)

『夏は知ってる』は、そこにまだ辿り着けない、過渡期の振り返りが切ない歌だと思う。

・・・

「肩紐と水着の痕が別々に君を包んで」
「無邪気に落ちた細い肩紐を白く残して灼けた痕が」
「君の水着の痕、それは夏の日の消印」

少しづつ、同じところで揺れている"君"の面影が好き。
君の肌の手触りは、その日焼けの痕と同じようにいつか薄れ・消えてゆくもの。しかも、その"肌"があるからこそ、人は互いを重ねても重ねてもひとつになれないのだ。ならばどうすれば・・・?

・・・

♪若さゆえ愛と思った・・・

なんて、歌を聴いた当時の14歳の自分には通俗的なフレーズに聴こえた。
「その時愛と思えば愛でいいじゃないか」と生意気に。

でも何十年もの時間が経ってみると、実際"若さゆえ"と思えることが自分自身にも多々あった。結果を生まない愛は、本当は純粋な"欲"だったのかもしれない。それが良いとか悪いではなくて、愛には必ず裏地があるのだということだったかと思う。

(おっと、♪きっと同じ哀しみも愛も・・まで。汗汗)

この歌を知った14歳の頃、歌詞カードなんてないからラジオのエアチェック音源を何度でも聴いた。この頃は自分も身にそぐわない思春期以上の気持ちが昂ぶっていた。激しい気持ちを抱えて、誰も知らない苦しさと格闘していた。だから余計に今でもこの歌が忘れられないのかもしれない。

最初は作詞もこうせつ氏だと思っていたが、それから少し時間が経ってから作詞が伊勢正三だと知って「やっぱり伊勢正三って人の歌はいいなぁ、自分こういうのすごく好きだ」と思った。

伊勢正三の歌は他の歌手のどの歌よりもいつも必ず一歩深い。一歩深いということは聴き手の心の中まで一歩近いということだ。そういうところに私は激しい興味を持ったのだろうと思う。

それが一番新しい歌でもまったく同じように感じる。Re-bornの曲たちなどは特に、Shoyanの息遣いが近くて近くて・・・くすぐったいほど近い、ここまで来たか・・・と。

14歳前後に出会う歌ってすごく大切。
その大半が伊勢正三の歌であったことは私の大きな幸せであったと、再認識している永い歌なのだ。

・・・

(追)
※実際に『青い目のジュディ』という歌があることを知ったのは、だいぶ後になってから。もっと調べてみたらその"ジュディ"は実在の女性歌手だったのですね。どの部分をくちづさんだの?と今でも思う。

独りくちづさまないで・・・
ハモりのないメロディーは寂しすぎる・・・と?

自分が産まれたころの歌だなんて、、想像するのもなかなか難く、ここでも及ばない自分がうらめしい。Shoyanの引用の空気感がわからないのが悔しい・・・

夏は何を知ってるのだろう?

何度か前のあの遠い夏の、苦くて熱かった自分の胸の内を・・・かな。

『入り江』の歌詞の文字を目で追ってみる。

夕、(凪)、山、端、 夕映、光、海 、梢、舞、暮、水面、街、灯、行、舟(船)、航跡、揺・・・

漢字だけ抜き出して追ってみる。全編追えば、なんと美しいピースの数々。サウダージな秩序で組み合わさる一枚の壮大なパズル画だ。

始まりから終わりまで、Shoyanの目線の美しさ・出力の素直さに感じるものが深くて、これまた一つのチャートの到達点なのかもしれないと思い始めた。

いや、到達点じゃなくて出発点の歌なのだけれども・・・それらはまたやはり"同じもの"なのだということがわかる。

先日の公開時、最初に聴いたときは安堵に微笑みがこぼれた。けれど、今寝る前にイヤホンで聴けば涙がこぼれる。暗闇で目を閉じて聴けば、あまりの懐かしさに涙が出る。悲しくて泣くのではない、やさしくて、あたたかくて胸がいっぱいになって涙が出るのだ。

言葉だけではない、メロディーも柔らかなのにドラマチックで、こちらの手をとって引き上げてくれるような気がする。

♪星がひとつまたひとつ生まれて輝く時~

の箇所などスゴク好きです(*´ω`)。

合唱団のみなさんの透き通った力強い声も素晴らしくて、美しさと強さが同梱されている素敵な歌だ。タロットカードの「STRENGTH/力」のカードのように・・・。(個人の見解です)


Shoyanがどんな想いで、どんなおキモチでこの歌をおつくりになったのか、、それを想うのは外野の私には畏れ多いことなので、まだ色々考えるのはよそう・と思っている。よそよそしい予想はよそう。

ただ、その潮の匂いと低い海の景色の中で、時間の経った堤防のコンクリートの滑らかな手触りを想うだけだ。

津久見の入り江は、年代を経て少しづつ幾度も埋め立てが進んだはずだ。私が見た景色でさえ一度目と二度目で随分変っていた。ましてやShoyanのRootsな海岸線は、、、きっと今はもう見えない・・・。

時が経てば経つほど、心の中の入り江の方が”リアル”に近づいていく。上げ潮でチャプン♪と堤防にあたる波の音がする。それは誰にでもどこにいても・・・

Shoyanはここへきて本当に素晴らしい歌の眺望をカタチに残されたなぁ、ってその大きさと寛さに抱かれる気持ちでいっぱいだ(涙)。相手を想うラブソング~自分を愛するラブソング~それを更に突き詰めていくと"自分以前”の、自分の命が発生したことと還る処を愛することになっていくのかな。

それはやはり大きな安堵なのだなと思う。

・・・

・・・あ~~、一言だけ書いておこうとおもったのに、、結局色々書いてしまいました(汗)。私の胸の中もリアス式であります。いつかもっとちゃんと書きます。

Shoyan、もっともっと音の波、言葉の斜面を教えてくださいまし。ずっとずっと待っていますから!この大きな安心の中で。





※『山の端』というフレーズが好きなので、このShoyanTributeAgainのサブドメインにしたのだけれど、、、なので、ちょっと嬉しいのであった(*´ω`)♪

プロフィール

HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!

☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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