Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。 管理者∶No Name 七氏−1.0
〜Then & Now〜の新録音『夜のFM』の最後の最後に微か〜な音で聴こえるガットギターはこれだったんですね。ここ含めてまでがやはりこのバージョンだったんだと。
しかし、ヘッドフォンで聴かないとわからないような遠い音。謎が解けてヨカッタ。
当時を知らず置いてけぼりな私ですが、こうやって少しづつ前進出来て嬉しい。
今日は盆送りの花火を観てきました。
田舎町のささやかな花火もよいものです。
なんだか夏が少し後退りし始めたような、
Hideの秋が訪れたような、
せつなさがいつもより早い気がします。
このささやかな感じが好きな花火
また知らぬ間に姫睡蓮が咲いていました(*´ω`*)♪
と、脱線してはいけない鉄道の話なのですが、先日(8/9)某NHKでとある鉄道番組の再放送がありました。今回は京浜地帯の港湾貨物を運ぶ鉄道路線を取り上げていたのですが、、、
実はその中に私の祖父が映っています。
前回の放送で鉄道オタクの家人が録画していた際に発見しました。
もちろん祖父はもう20年以上前に亡くなっており、現在の映像に映っていたのではないのですが、その路線が開通した時の式典映像に並んでいるのが映っていました。祖父はその港湾貨物鉄道に出向していたのでした。お祖父ちゃんの現役時代を今観られるとは!大好きな祖父だったので嬉しくて、鉄道・港湾・貨物・工場の煙・螺旋の倉庫・・・懐かしい昭和の頃からあまり変わらない物流の景色とともに改めて心に残りました。
時速25kmでゆっくり走るタンク車とディーゼル機関の映像は時の流れが止まっているみたいで、高速道路の高架もタンクローリーの並ぶ国道もなんだかひとつの歌のようでした。涙出そうです。
・・・
Shoyanが以前は時々口にされていた”東神奈川”。それも私はお祖父ちゃんから習いました。1歳から6歳まで住んでいた福島からとうとう上京することになった時、もしも迷子になっても七氏ひとりでも乗り換えてこられるようにと元国鉄職員だった祖父は真面目に教えてくれました。
「福島駅から特急ひばりという列車に乗って上野駅に着いたら、京浜東北線に乗り換えて東神奈川まで行くんだよ。東神奈川駅から茶色い横浜線に乗ればお祖父ちゃんの家がある原町田に来られるからね」と。
幼い私の頭の中は「ヒガシカナガワヒガシカナガワ・・・」という呪文でいっぱいでありました (笑)。
この3連休にShoyanのDVDを観ながら、やはりヨコハマでやってくれた2曲のギターの鳴りがイイな・などと浸っていたのですが、『さよならの到着便』でのShoyanの心籠もった繊細な再現に、”今は更に遠くなりにけり”な昔の東京・川崎・横浜の港湾景色を想い出されて泣けてきました。飛行機だけでなく再放送の祖父の想い出とともに何十年も前の鉄路のことが急に懐かしくなりました。
それにしても、海辺にある工業地帯のあの赤錆色の泣いているような景色は、人工物の極致みたいなのにどこかノスタルジックに感じてしまう不思議です。
私が津久見に興味があるのは、単に伊勢正三生誕の地・歌枕だからだけではなく、そういうところにも感じるものがあるからかもしれません。
船も飛行機も鉄道も、、、”運ばれてゆく”せつなさに惹かれることしきりです。
※その番組、『運転席からの風景』は今週のNHK+でまだ観られます(*´ω`*)。
☆オマケ
祖父の鉄道写真数点。
機関士で乗務していたSLと特急はつかり運行開始記念(これも北国列車ということで♪)
はたまた個人的なつぶやきですが、
その武道館の音源の他にも「この歌も準氏のピアノで聴きたかったぁ」と想うような、以前軽井沢でやってくれた想い出の一曲もあったりします。なぜかとても久しぶりに聴いたようで、多くのことが込み上げて急に運転中に爆泣きです。そういうのってふいに襲ってくるんですよね・・・
でもそれらの歌にこの夏とても癒されています。
哀しいのに癒やされるってどういう現象なんでしょう(*´ω`*)。今の私を待っていてくれたかのような歌です。その歌を聴くとき、私は報われるんです。
もう誰からも忘れられて、、Shoyanご本人からも忘れ去られて、きっと「そんな歌あったっけ?」なんておっしゃるかもしれない。でも私にはとても大切な曲で、聴きまくって聴きまくって静かに沈めたようになっていたのです。武道館音源につられて何気なく再生したCDに入っていてふとかかったりする。歌は優しい旧友であります。
(その歌の題名は載せないでおきます 恥ずかしいから(/ω\))
・・・
今年は蝉の当たり年らしく、
非常に多くの声が聴こえます。
蝉がうるさくて寂しい
体力がなくて寂しい
暑すぎて寂しい
「さみしい・さびしい」の反対語ってなんですか?
辞書など引けば「賑やか」だと出ますが、果たしてそうでしょうか?
あなたに逢えないから寂しい・・・
けれど
あなたに逢えたとき、
私の心は賑わしい・・なんて言うでしょうか?
「寂しい」の反対語は
「うれしい」がいいな
あなたの幸せそうな笑顔を見てうれしく想う自分を、寂しさの裏返しだと自覚出来たらその哀しみを乗り越えられそうな気がする。
・・・
Shoyanの1980年の音源と10年以上前の映像と、去年2024年の映像、そして先日のステージと、、、同時いっぺんに観過ぎて聴き過ぎて、私のココロは少し混乱してるかもしれませんネ(笑)。
・・・
数日前から急に武道館音源のエレキの『夕凪』にハマりまくっています。ひたすら再生しています。
毎年この時期には必ず夕凪にハマるのですが、今年は特にこのスローテンポの極みでエレキギターが絡みまくる武道館の音源が堪りません!エレキの音が野太くて、なのにめっちゃメロウで、、、帰りの車中はリピートしまくりです。世が暑すぎて、こんな風に融けて身動き取れないレベルのほどけた作りが心地好いのかもしれません。今これが最高です。
それに付随して他の武道館ライブ音源も聴いているのですが、このあたりはベースがカッコいいんですよね。『東京日暮れ色』とか聴きどころ満載だし、『Musician』なんか裏ですごく渋く鳴っているし、目で追えるようなバンドのサウンドって聴いていて満たされます。
今もこういうバンドサウンドいいだろうなって思うし、まさに今バンド傾向で嬉しいのだけど、1つだけ大きく違うのはShoyanのエレキの音!今の弾き方と多分全然違うと思えるほどに、80年当時はパワーと自意識優勢の音が興味深いです。(それは抱えているギター・BCリッチ?に依るところも大きいのかもしれないけれど?& もしこれがShoyanのギターじゃなかったらごめんなさい 汗)
それを以前ココで”青々しい指使い”なんて書いたけれど、それからまた数年経って更に、黄金に老成したShoyanの今の”エレキ指”ももっと沢山聴きたいと想うのです。あの歌もこの歌も・・・その、意識的じゃない意識のほとばしりを♪
(そういった意味ではRe-bornは本当に至福の音源でした)
・・・
明日は満月だそうです。
雲がないとイイな。
ベランダに椅子を出して夕涼みだ!
ビールも少し飲もう(*´ω`*)
そんなこと想いながら今日は今からしごおわ露天温泉です。飛行機と蝙蝠の飛ぶ夕焼けに明日のシアワセをお祈りしながら湯に浸かってきます☆
※ベランダは蚊取り線香も忘れずに♪
『ほおづえをつく女』など、GIBSONの音が海風だなとか聴こえてムフフと思ったりしましたが、前回のLIVEセレクションの放送と併せて風ひとり旅の初期の映像がこんなに残っているのは、本当は久保やんとやるはずだった復活・風の映像を撮る準備もされていたからなのでは?などと思いました。普段から記録用に毎回撮影はされていると思いますが、べるがの映像もしかりで、本来なら風復活のドキュメンタリー一本出来ていたのではないだろうかな・・・などと、今ちょっと寂しい気持ちもよぎりました。(勝手な想像ですが)
しかし!!私個人的には前述した『夜のFM@Bossa』の痺れ具合がハンパなくて、悶絶死のあとの覚醒が激しいです(もう生き返った 笑)。これ一曲でこの猛暑吹っ飛びます!この映像の歌うモノクロShoyanが特に渋くてカッコイイですね。
この曲は復活した直後も準氏参加で何度かBossaバージョンで演奏があったと思いますが、2011年の60thアニバの六本木での演奏の音源と寸分たがわぬほどのこの準氏の合いの手を伺うに、2008年時点でこんなに素敵な準ちゃんアレンジが確立していたのですね。
(ここでまた行けていない自分を省みて少し落ち込む(笑))
しかし、なのに、なぜ、新録音の時は細井さん起用だったのだろう。
ナゼ、ナゼ、佐藤準氏本人の鍵盤でレコーディングしてくれなかったのだろうと、いま改めてモヤモヤ!?しておる次第です。なんか悔しい。
字幕で判明した英語歌詞部分の意味も考えてみると、彼女のその目のblue shadeも晴れる未来があったのかな?
thrilling nightとlittle sunが対比なのか同軸なのか、英語に暗い自分にはうっすら考えるにとどめていますが、ここに恋の甘苦さが隠れていたようで今改めてせつないです。
ラストに近づく頃の蕩けるようなフリー演奏に、準チャンらしいミスタッチギリギリのよろめきがあってニヤリ♪その完全無欠じゃない神業が余計に惹き込まれちゃうんだなぁ・・・(*´ω`*)惚
そして懐かしいShoyanのエレガットP-Project AI-N。滴るようなソロフレーズがたまりません。Shoyanがガット・ギターを弾いてくれる映像もあまりないので嬉しいです。
私はガットギターで弾きたい曲があったのでこのギターに憧れて、手が小さくてもネックを握れる!と一念発起して購入したことがあります。でも、、、もう10年以上前に事情があって知人を介して手放してしまった(泣)。なんだか『夜のFM』的に今遠い目で手放したこのギターのことを想っています。
ギターを手放したのも、今自分が手を痛めてしまったのも、自分のせいじゃないのが哀しいのですが、しょうがないのです。。運命とは結局自分が悪いのです^^;(言っていることが矛盾している(笑))
脱線失礼しました。色々なことを想い出してしまった『夜のFM@Bossa』でした。
※でも、私はShoyanが弾かれるのなら、やはりエレガットではない普通のカラリとした音のガットギターがイイな♪と想っています。モチロン、コンサートでは今の千春氏モデル?のガットギターが素敵ですが、いつかまたカランカランとした音の乾いたサウダージで奏でる音源をレコーディングして欲しいな・・・と待っていたりします。
諦めの悪い贅沢な希望♪
そんなものを喚起させられた歓喜の映像集でありました(*´ω`*)Shoyanサイコー☆
・・・
※東大阪のDVDの方は!?とつつかれそうですが、これまた心の準備が大いに乱れまして足踏み状態ですので、今寝かし中であります(笑)。Shoyanの歌や演奏や映像に対峙するには心の乱れを払拭しなくてはいけないので、『君はベージュ』を聴いて禊中です。
こんな難儀な自分キライじゃないです!(笑)
☆猛暑お見舞いに・・・
*ミニカトレア・Sea Breeze
今年はカトレアの鉢は日除けしてただひたすら水を遣るだけが精一杯だったのですが、なんと、見えないところでこんな立派に花を咲かせていました。
♪海風〜咲いてた!
肥料もなく葉も日に焼けて植え替えもせずに放置なのに、この不屈の生命力に感服です☆
ちょっ、
何の気なしに観始めたらほぼ全編準チャンのPLAYが炸裂する悶絶セレクションではありませんかっ!!!!!!!
といいますか、
この映像達のステージがあった頃は、私は本当に今思い出したくない程の哀しい生活を送っていた頃なので、そんな時に行けなかった数々のステージが、やっぱりやっぱりこんなに素晴らしくて愛おしい最高のステージばかりだったのだなと見せつけられて、今悔しくて血管切れて憤死しそうです(;´Д`)(笑)。
※この頃はとある症状を発症した同居家族の介護の前半期で、自営の店も休めず首都圏のコンサートすら行けずに灰色の目で毎日皿を洗っていた頃でした。(これで一冊本が書ける(笑))
その頃、Shoyanのコンサートのことを”お城の舞踏会”と呼んでいました。今拝見したら本当にそうでした。羨ましすぎます(大涙)。やはり、、、自分はShoyanの音楽生活の大半の何も知らないで、見てこれなかったんだなぁって情けなくて、、、今こんなに知ったかぶったようなことを羅列して書いているのは本当は資格まったくなしのアホ作業なのですが・・・
まぁ、それは置いておいて、、、という厚かましさで続けていく所存であります(笑)。
だがしかし!!
『夜のFM』の英語詩の部分の字幕や準氏の華麗なる鍵盤の悶絶PLAYが記録に残って確認できるなんて最高であります。ギリ行けたNHKホールの映像2つもあって嬉しかったし、そして何より、その時々のShoyan御本人の細やかなパフォーマンスの変遷が良く判って、とても興味深い映像集だと思いました。ナゼかPART1より自分的には見どころが増し増していた気がします。
何故かちょうどこの前に『22才の別れ』のことを書いたのと同じくして、また同じことを感じました。
十数年も前のこれらのShoyanは、声は伸びるしギターもメタメタ色っぽいし、フットワーク軽いし、余裕や貫禄もあって、オンエア冒頭の22才の別れもとてもストレートに歌われているし、凄く素敵なのですが・・・
でも、でも、やっぱり今現在のShoyanのステージに臨む時の気合の込め方・熱量の重さ・届けよう!という気概の厚さは、あの頃の比ではなく、空前絶後なのじゃないかなって思いました。(もちろんあの当時も誠心誠意100% 込めて歌ってくれていたのは間違いないのですが)
それはきっとあの当時のコンサートに通っていた人たちも今同じように思っている事実ではないかと思います。こんなふうに幾千幾万ものステージを積み重ねてきて今が在るShoyanの、中身のぎゅっと籠もった実存音楽人生の一片を心の底からの憧れの気持ちで拝見しました。
・・・
頭に昇った血もすべて涙に変わって出尽くしたので(笑)、さて心預けて蕩けるような気持ちで改めて拝見いたします。もう最高〜な週末です(*´Д`)♪何度も観ちゃう!
想うこともあるので以降また続けます☆
※『夜のFM』の英語歌詞部分は既にラジオか何かでご説明があったとのことですが、今回字幕が読めて改めて嬉しかったです☆
といっても()であります。歌の内容に関しては今日は書かずに・・・
ここでは普段、いかに自分がその曲を想っているかということを書こうと思っていますが、今回は逆に自分で掴めなかったもどかしさを書いてみようと思います。
・・・
この歌を初めて聴いたのは1982年頃だと思うのだけど、1975年の風のシングルヒットから7年しか経っていないのに、その時点でこうした”叙情的なフォークソング”色の歌は私達中学生にとってはすでにとても古い歌に思えた。
それは私個人の問題なのだが、自分が音楽を聴き始めた頃はちょうどアイドル達や荒井由実ではないユーミン、サザン、八神純子氏や寺尾聰氏、すでに垢抜けたオフコースのシングルなどが世を賑わせていた頃だったので、このかぐや姫の三階建の詩や風の長髪ジーンズ&ロンブーのフォークの世界は江戸時代と明治時代くらいの激変に思えたのでした。
(14歳時の素直な印象なんです。風の後期の色っぽさや、ソロでリアルタイムにAORに挑戦していたShoyanに気づくのはまだ先なので、この未熟な第一印象どうぞお許しください 泣)
その頃の世の中は、青春時代はここまで・社会人になったら大人の世界!という明確な境界線というか、大きな線引きがあったような気がする。だからティーンエイジャー(学生時代)の頃に聴いていた曲は社会に出たら卒業しなくちゃいけない・みたいな風潮がなきにしもあらず。子供時代の感性のままのオタク心を持ち続けて表に出している人はまだそんなにいなかったと思うのだ。
(これまた個人の勝手な記憶とイメージですが)
だから、、、
その頃の青春を生きた人たちの想い出の一曲に対する思い入れって凄まじいものがあったのではないだろうかと今思う。それによってまた余計にこの歌に一種の孤高さを私は感じてしまうのだ。
・・・
実は私思うに、伊勢正三ファンの中ではむしろ、『なごり雪』より風の『22才の別れ』に思い入れや思い出が深い人が多いのではないか?という印象がある。だからこの歌は絶対に外せないし、正ヤンのフラッグシップ曲であると常に思っています。
けれど、こんな事を言うとまた真正面から鉄槌を食らわされそうですが、実は、、、
私にとってはこの歌は一番”伊勢正三らしくない”歌のような気がして、いつも聴く度にショーケースの中の特別展示品を拝見している気持ちになっていたのです。代表作なのに遠い気がして・・・
それは私の時間が違いすぎるからなのか、感性が違いすぎるからなのかワカラナイのですが、伊勢正三のコア部分なのに私には通り抜けてしまう感触が長きにわたってありました。
Shoyanの実験的な試みとか、寝かせて仕込んできた言葉とか、独自の角度のカメラワークとか、そうした今現在は完全に熟成された”感性力”のニュアンスが、この歌はまだ未遂な気がして、それまでの作詩だけの曲とも違う、あまりにもストレートな”意識して書いた感”が顕著に思えて、他と一線を画す感じなのであります。
でもだからヒットしたとも言える!?モチロンだ!と。一番最初に作詞作曲した歌ですものね!素直な直球が最強なのかもしれません・・・
2大巨頭の『なごり雪』と『22才の別れ』には、”無意識”と”顕在意識”・”生まれた曲”と”作られた曲”の違いはあるような気がする。
(近年中でも最高生意気な意見、平にご容赦下さい)
・・・と、やっぱりこの歌のことを書くとこんな感じの内容になるということで何度も書いてはいつも途中でやめて引き返してきていたのだけれど、何十年もの葛藤の末に今一回ここに書いておくことにしました。
・・・
・・・
今までコンサート・テレビ出演などなど、あまりにも沢山の機会で聴き続けてきましたが、歌い方の変化やキーの変化、その度にどことなくレコード音源の印象との違和感?やズレ感?を感じることが多々あったけれど、実は最近の演奏・歌唱はものすごく万全な完成形だなって深く想い始めています。
歌や演奏のパフォーマンスももちろんだけれど、LIVE!を聴きに来る今現在のすべての聴手を納得させる感動の深い説得力がこの『22才の別れ』に今凝縮されていると感じるのです。ヒットした時点が最高だったのではなくて、この今こそこの歌は完成したのじゃないだろうか?と、心の底から偽りなく思うようになりました。
だから今この歌がとても好きだし、大切だと真っ直ぐな気持ちで想っています。
40年以上聴いてこられて、今が一番この歌を解れてると思えたし、一番好きな心で聴けています。嬉しいです。
ヒット曲の呪い(時代の呪い)が解けて、今100%伊勢正三ご自身の歌だって堂々と輝いている素晴らしい歌だって想います。
美しいギターの弦の音と、湿っぽくならない弾むシャッフル感、少しだけ不思議な言葉選び、悲しさをキラメキに変えてしまうShoyanの魔法が濃縮された、青春を葬る名曲なり・と今想っている次第です。
今のコンサートでは正座して聴く気持ちで臨む一曲です。早く次のステージで聴きたい、今のShoyanの手漉き和紙のような柔らかいお声で切なく奏でて欲しいと、とても楽しみにしている2025年令和7年の今日このごろです。
※何か自分にも心境の過渡期なのか、思いもよらぬ生意気の極致を書いてしまいました。笑止千万の乱暴な呟きをどうぞ生暖かくスルーしていただけましたら幸いです(汗)。
プロフィール
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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