Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。 管理者∶No Name 七氏−1.0

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そういえばこの唄のことを書いていなかったな、と。
こんな名曲のことを語るのは畏れ多いのですが、このところ”逆身につま”な感じで心に引っ掛かるので少し・・・


で、いきなり話が逸れるのですが、その今井美樹氏の洋楽カバーアルバムの中に『Superstar』も収録されていまして、準氏アレンジではないのですがとても情の深いお洒落アレンジだったので聴き入ってしまいました。

昔、とあるギタリストさんとお話をした時に、私が伊勢正三ファンだと言うと「伊勢正三の『あの唄はもう唄わないのですか』って曲は、カーペンターズの『Superstar』が元になってるよねぇ」なんてシタリ顔されちゃいまして、私はうぬぬっと固まってしまい、どんな反応したらよいのか狼狽えた覚えがあります。(こんなエピソード書くのは勇気が要る ^^;)

自分自身それまでそんな風に思ったことはなくて、言われてみて初めて「そうかぁ〜?」と思ったのですが、それ以降気にしながら聴いてみたものです。
けれどやはり違うものです。

今回改めてサクッとそのSuperstarの曲のことを調べたら原題は『Groupie』だったそうで、なんか怖っ!だったのですね。
Superstarには深いドラマもないし?具体的な場面も想いもない、聴いた人にも得るものが少ない、ただ成就されない失意と美しいメロディーだけがあるように思いますが(そこまで言うか七氏w)、『あの唄はもう唄わないのですか』の作り込まれ感は比ではないと思います。この唄を聴けば聴手はいくらでも自己のStoryを想像することが出来るでしょう。

・・・

私にとってこの歌は70年代の墓標のような存在で、唄のすべてが今はもう無いものに思われるのです。伊勢正三の歌曲の中で最古に分類されるような、非常に時代の距離感を感じる曲であります(それは80年代に聴き始めたときから)。

新聞の片隅も雨も一つの傘もマッチ箱も駅までの帰り道も、すべての風景や小物はもう触れることの出来ない時間だと、虚しささえ感じてしまう哀しい唄に思えます。そこがまた堪らなくて、何度も繰り返し聴いてしまうのかもしれません。特に間奏の部分♪雨が降る日は〜に続く部分、瀬尾氏アレンジでも石川師匠アレンジでも、どちらも重く曇った土曜日の夕方の部屋で、壁のカレンダーをひとりで見つめているような気持ちになってしまいます。

その頃はまだ小学生だった私なのに、恋人を待ちながらずっとこの唄の中に閉じ込められているような気持ちでいる。それは逆に歳をとってからも同じように・・・です。

この唄も『22才の別れ』と並ぶShoyanの作り込まれた物語シリーズだなと思うのですが、聴く人のことを意識して周到に、時にドラマチックに類型を持ち出して、真正面からの哀しいメロディー。誰が聴いてもわかる切なさを唄ってくれるとてもわかりやすい唄ではないでしょうか。

そういうストレートなところが人気なのかもしれないですね。

※でも私はどちらのアレンジが好きかとか決められません。距離感は一緒なんです。


もう届かない気持ち、逢えない断絶。でもあの唄の中には自分が主人公だった時間が活きている気がして、唄ってくれるのなら私とあなたはまだカンケイしあっている・・・と思い込みたい未練。そんな彼女の希望が一方通行で虚しい。

しかしこの彼、実は彼女のために作った唄を唄わなくなったからこそリサイタルを開けるくらいの活動を続けていられるんじゃないかなと思ったりします。

恋人のためだけの唄を唄っているようじゃ芽は出ないと、今になってそう思うのです。ましてや別れた彼女=ダメだった存在が影響している唄をお客さんの前で唄いますか?と。彼女のことを踏み台にして新たな唄を作るくらいの自己愛の自己中でないと、大勢の人の心を動かす歌は作れないのではないかと今は想ったりしています。

(身も蓋もない七氏論)

彼女はまだ彼を支えている気持ちなのかもしれなくて、一番後ろの客席が一番心は近いのかもしれないけれど、”私にとっての思い出”は、”僕にとっては忘れたいこと”なのかもしれない。ステージと客席同じ会場の中だけれど、それこそもう二人の時空は違うものなのでしょう。

・・・

歌は、、、
誰か特定の存在のためだけにあるものではないのだよフフっ・と、強がった気持ちでいたい一般People一消費者の私ですが・・・

そして尚且つ、

”そうじゃなくてもそう想わせてしまう罪深さ”まで会得したのが今のShoyanであると、私は無抵抗でその魔力にただひれ伏すのでありました。

もう何年?


伊勢正三の音楽の、ある一方向の最大振り幅の極みにある唄だと思っています。




※今回(も)言いたい放題書いてしまいました(汗)。
 ご容赦願います。
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飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

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