Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。Shoyan的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。 管理者∶No Name 七氏−1.0
やはりオリジナル曲の歌詞ではこの歌が一番短いのかな??
90年代当時、Shoyanの活動大復活に際して用意されていたであろう『海がここに来るまで』と『メガロポリスの錯覚』が一段落して、次の『時のしずく』の発売が決まった時には、Shoyanの復活後のリアルタイムが感じられるだろうという期待で自分的に最高に盛り上がっていた。ドキドキし過ぎて待ちきれなくて色んなところで情報収集に務めた。(ま、単に音楽雑誌チェックと電話問い合わせなんですが(笑))。
収録曲目がわかってくると『さそり座の森』に衝撃を受けて「さそり座の森ってナニ!?さそり座の森ってナニ〜〜〜!?!?」っと字面だけで興奮しすぎて鼻血が出そうになったのであった。
以下また個人的思い入れ羅列の巻ですが、、、
それは私の動機のひとつでもある特別な『あいつが生まれた朝』に”さそり座”が出てくるということと、Shoyanご自身がさそり座の生まれであることと、自分がさそり座だから親近感が・・・というこの自己満足の象徴であった”さそり座”がタイトルの曲があるっという事実に嬉しくて目眩がしそうだったのである。
(実は、Shoyanが11月13日さそり座生まれだということを知ったのは、当時の占い雑誌MyBirthdayのさそり座特集記事にお名前があったからなのです。かぐや姫や風当時をご存知の方々はきっとリアルタイムのプロフィール欄でお誕生日など知る機会もあったかもしれませんが、Wikiなどない時代、貴重な邂逅でありました)
・・・なのですが、
いざ発売になって聴いてみればこのシンプルな最短の歌に足元を掬われたような、急に崖の上に出てしまったような硬直がそこにありました。絶句というそのままです。こ、これだけのことで何を解れというのですか!?楽器の伴奏もなく、最短の言葉に人の声と音階だけでグーパンチされたような衝撃でした。難しすぎるよShoyan、と。
この数行の文字列、
縦(横)読みなのかっ!?
折句なのか!??
どこかを斜め読みなのか??
とか、色々考えましたが、やはりこれはこのままこのままの意味なのか!?と到達して更に興奮したものです。
「言わなくてもわかってるデショ?」
的な、Shoyanのニヤリ顔が悔しいっ(;''∀'')ウヌヌ
それでも具体的に考察してみたくていくつか考えてみた。
◆どこかにある、とある共通認識の森さそり座の森。
そこに忍び込んだ君。
僕も同じくその森に忍び込んで君を探してみる。
追いついたら全力で捉えてもうそこで離さない離れないよっ。
◆さそり座の僕の内なる森(真相?深層?意識)に外からコッソリ忍び込んできた君を発見!>捕捉!>もうここから出さないゾ、覚悟してっ。
◆さそり座の君の、その中にある秘密の森に忍び込んで隠れてしまった君自身を僕は外部から侵入して捉えて、もう隠れてしまわないように離さないっ。
などと、当時は目一杯の解釈を考えたのですが、果たして果たして???
少しづつ違うように見えますが、でもそれはすべて同じことだと永年考えて来て今現在納得しています。やはり、そのまま、一番短い歌が一番深いのだよ・・・ということだと。
>もう離さない、抱き締め過ぎて君の身体や僕の理性が壊れてしまっても離さないぞっ!
これぞさそり座の本質=”互いを壊して一つのものになろうよ”という衝動なのだと思います。
Shoyanの、アンタレスのような熱いまなざしを忘れられないのです(涙)。伊勢正三の感性の大深海に眠る深紅のマグマの中に身を投じて、分子に戻ってしまいたいレベルの”一体感”を感じさせてくれる歌なのであります。
この幾重にも重ねられた豊潤なコーラスと、高い音から低い音までのShoyanの声のスロープが心地良くて、蕩けてしまって何度でも繰り返しその高低を滑り落ちたくなる。クセになる造りが堪りません。
アルバムブックレットのこの曲ページのレトロさ、縦書きの文字、大胆な色使い、何か60年代の雑誌装丁みたいでカッコイイ。凄く好きなデザインです。
もう30年近く経ちますが・・・
あぁ、永久の秋に繰り返される愛の問答なのでありマス。
↓デジタルで撮影したら右半分のデザインが浮かび上がって謎が深まった^^;
(何かの部品のような・・・)
探していたのさ
傍にあるのに
Ringは要らない
柘榴の実のよう
残された色に
戻る想いは
理由もなくて・・・
90年代当時、Shoyanの活動大復活に際して用意されていたであろう『海がここに来るまで』と『メガロポリスの錯覚』が一段落して、次の『時のしずく』の発売が決まった時には、Shoyanの復活後のリアルタイムが感じられるだろうという期待で自分的に最高に盛り上がっていた。ドキドキし過ぎて待ちきれなくて色んなところで情報収集に務めた。(ま、単に音楽雑誌チェックと電話問い合わせなんですが(笑))。
収録曲目がわかってくると『さそり座の森』に衝撃を受けて「さそり座の森ってナニ!?さそり座の森ってナニ〜〜〜!?!?」っと字面だけで興奮しすぎて鼻血が出そうになったのであった。
以下また個人的思い入れ羅列の巻ですが、、、
それは私の動機のひとつでもある特別な『あいつが生まれた朝』に”さそり座”が出てくるということと、Shoyanご自身がさそり座の生まれであることと、自分がさそり座だから親近感が・・・というこの自己満足の象徴であった”さそり座”がタイトルの曲があるっという事実に嬉しくて目眩がしそうだったのである。
(実は、Shoyanが11月13日さそり座生まれだということを知ったのは、当時の占い雑誌MyBirthdayのさそり座特集記事にお名前があったからなのです。かぐや姫や風当時をご存知の方々はきっとリアルタイムのプロフィール欄でお誕生日など知る機会もあったかもしれませんが、Wikiなどない時代、貴重な邂逅でありました)
・・・なのですが、
いざ発売になって聴いてみればこのシンプルな最短の歌に足元を掬われたような、急に崖の上に出てしまったような硬直がそこにありました。絶句というそのままです。こ、これだけのことで何を解れというのですか!?楽器の伴奏もなく、最短の言葉に人の声と音階だけでグーパンチされたような衝撃でした。難しすぎるよShoyan、と。
この数行の文字列、
縦(横)読みなのかっ!?
折句なのか!??
どこかを斜め読みなのか??
とか、色々考えましたが、やはりこれはこのままこのままの意味なのか!?と到達して更に興奮したものです。
「言わなくてもわかってるデショ?」
的な、Shoyanのニヤリ顔が悔しいっ(;''∀'')ウヌヌ
それでも具体的に考察してみたくていくつか考えてみた。
◆どこかにある、とある共通認識の森さそり座の森。
そこに忍び込んだ君。
僕も同じくその森に忍び込んで君を探してみる。
追いついたら全力で捉えてもうそこで離さない離れないよっ。
◆さそり座の僕の内なる森(真相?深層?意識)に外からコッソリ忍び込んできた君を発見!>捕捉!>もうここから出さないゾ、覚悟してっ。
◆さそり座の君の、その中にある秘密の森に忍び込んで隠れてしまった君自身を僕は外部から侵入して捉えて、もう隠れてしまわないように離さないっ。
などと、当時は目一杯の解釈を考えたのですが、果たして果たして???
少しづつ違うように見えますが、でもそれはすべて同じことだと永年考えて来て今現在納得しています。やはり、そのまま、一番短い歌が一番深いのだよ・・・ということだと。
>もう離さない、抱き締め過ぎて君の身体や僕の理性が壊れてしまっても離さないぞっ!
これぞさそり座の本質=”互いを壊して一つのものになろうよ”という衝動なのだと思います。
Shoyanの、アンタレスのような熱いまなざしを忘れられないのです(涙)。伊勢正三の感性の大深海に眠る深紅のマグマの中に身を投じて、分子に戻ってしまいたいレベルの”一体感”を感じさせてくれる歌なのであります。
この幾重にも重ねられた豊潤なコーラスと、高い音から低い音までのShoyanの声のスロープが心地良くて、蕩けてしまって何度でも繰り返しその高低を滑り落ちたくなる。クセになる造りが堪りません。
アルバムブックレットのこの曲ページのレトロさ、縦書きの文字、大胆な色使い、何か60年代の雑誌装丁みたいでカッコイイ。凄く好きなデザインです。
もう30年近く経ちますが・・・
あぁ、永久の秋に繰り返される愛の問答なのでありマス。
↓デジタルで撮影したら右半分のデザインが浮かび上がって謎が深まった^^;
(何かの部品のような・・・)
探していたのさ
傍にあるのに
Ringは要らない
柘榴の実のよう
残された色に
戻る想いは
理由もなくて・・・
※2009年頃に書いた当時の見解載せてみます。
当時はおそらくジョイントLIVEなどがメインになって新しい曲もなく、Shoyanのご活動に安穏と埋没を感じて忸怩たる思いだったのでしょうワタシ^^;。勝手な放言お許しください。
・・・
当時はおそらくジョイントLIVEなどがメインになって新しい曲もなく、Shoyanのご活動に安穏と埋没を感じて忸怩たる思いだったのでしょうワタシ^^;。勝手な放言お許しください。
・・・
☆さそり座の森は枯れたのか
私の個人的見解だけど
私の個人的見解だけど
Shoyanは元々どこか草食系男子を"装って"いて、ほんとにマクロビオテックな仙人バリアーを配備していた時もあるそうだけど、でも、その本質はどうなのか・・・と。
俗にヒット曲と言われる曲たちも色っぽさはメインではない(と思う)。人は普段、素肌同士で触れ合うようなことを公言することを好まない。だからそういう誰が聴いても安心して聴ける歌には安定需要があるのだろう。
でもShoyanのLOVESONGSの多くには、表から見えないところで密やかに指を絡めあっているような二人だけの秘密が匂う無意識があった。
スマートで映画のワンシーンのような時もあれば、情けなさに近いような切実なパッションもあった。だからすごく多彩で混沌として新しい生命さえ発生しそうな力があった。
さそり座の森には遊歩道はなくて
でもShoyanのLOVESONGSの多くには、表から見えないところで密やかに指を絡めあっているような二人だけの秘密が匂う無意識があった。
スマートで映画のワンシーンのような時もあれば、情けなさに近いような切実なパッションもあった。だからすごく多彩で混沌として新しい生命さえ発生しそうな力があった。
さそり座の森には遊歩道はなくて
忍び込んで迷い込んだままの先に
約束もなくアナタはいたはずだった
いつのときも・・・
・・・
Shoyanが草食系男子でいるほうが
物事は安定しているのかもしれない?
・・・
Shoyanが草食系男子でいるほうが
物事は安定しているのかもしれない?
その森は管理されている方が
美しく清くいられるのかもしれない
美しく清くいられるのかもしれない
実際、それだけ広くて深くて
世界自然遺産みたいなかけがえのない森だもの
下草刈りをして余計なものは生やさないほうが
都合がいいのだろうか・・・
本来の熱を隠すために"装って"いただけの
本来の熱を隠すために"装って"いただけの
そんな中性的な王子服を
今はもう脱げないほど着心地がいいのかな
・・・と、こんなことを書くと
「キミの考え方は偏りすぎじゃナイ?」
なんて誰かに苦笑されそうだ。
「校歌が色っぽかったら大変デショ?(笑)」って・・・
ただ、同じM川清氏の他の歌で
♪~そしてほほでも ぶっていいから
今はもう脱げないほど着心地がいいのかな
・・・と、こんなことを書くと
「キミの考え方は偏りすぎじゃナイ?」
なんて誰かに苦笑されそうだ。
「校歌が色っぽかったら大変デショ?(笑)」って・・・
ただ、同じM川清氏の他の歌で
♪~そしてほほでも ぶっていいから
気がすむまで・・・
『CI 008便』
などと、そんなフレーズを聴くと
『CI 008便』
などと、そんなフレーズを聴くと
やっぱりその熱を忘れられないのです。
※この文を書いた当時、M川氏への提供曲『あかり灯して』のことが話題になっていました。
・・・
森は本来、森だけで存在出来るはずなのに・・・
※この文を書いた当時、M川氏への提供曲『あかり灯して』のことが話題になっていました。
・・・
森は本来、森だけで存在出来るはずなのに・・・
そこにはすべてが内包されているハズ
まだ未踏の原生林があって
青い苔も枯れていないのなら
青い苔も枯れていないのなら
奥に仕舞ったもの少しでイイから見せて欲しい
Shoyanの"チラリズム"に期待してみたい
"さそり座の森"は一番奥が深いから
"さそり座の森"は一番奥が深いから
一番短い歌なのではないだろうか・・・
本当は私だって
本当は私だって
こうして言葉を連ねることの
表裏一体の"ゼロ"を痛感する
同じさそり座の森の中で・・・
2009年06月15日
2009年06月15日
※追:さそり座の針
さそり座って
さそり座って
大きなハサミで捉えた相手に
その毒針でとどめを刺そうとして
勢い余って自分のアタマに刺しちゃうような
そんな不器用さがアル
確かにそんなところがアル・・・よね!?
(*´∀`)ノ Shall We Dance♪
2010年04月29日
確かにそんなところがアル・・・よね!?
(*´∀`)ノ Shall We Dance♪
2010年04月29日
※※※
そして今2025年、装っていたものすべて投げ捨ててギラギラに本性スパークしているShoyanが爆誕されていることに感慨深く想います。やっぱり枯れてなかったさそり座のサンクチュアリ!☆(涙)
~続☆さそり座の森につづく
そして今2025年、装っていたものすべて投げ捨ててギラギラに本性スパークしているShoyanが爆誕されていることに感慨深く想います。やっぱり枯れてなかったさそり座のサンクチュアリ!☆(涙)
~続☆さそり座の森につづく
そういえば、N口五郎氏カバーの『涙憶』。もう数年前の発売でしたが今サブスクでも聴けますね。つい先日突然思い出して聴いてみました。
ナゼこの曲を?と当時思いました。
N口五郎氏がカバーされると聞いて、いいかも!?と思ったのですが、実際聴いてみると想ってたのと違ってた〜かも??
いきなりの転調に打ち込みっぽい(今打ち込みって言わないかも!?^^;)アレンジで、後半ギター二種類絡んできても、なんだかもったいないような気がしないでもないような・・・
(五郎氏の歌に関しては全然わからないのでノーコメント♪)
どんな構成でできたものなのか、ブックレットもないのでわかりませんが、N口五郎氏はギターも玄人だと伺ってるので、それこそ弾き語りで聴いてみたかったなぁ〜なんて。
でも、シングル曲扱いなのでそういう渋い作りにはならなかったのかもしれないですね。
で、今思うと、同じ頃のものだけれど、Re-bornの森一美氏の音マジック・特にリズム?はホント凄いなって思います。何の違和感もなくShoyanの歌曲に染み入って底上げをして開花させている。聴手にもわかる華のある説得力!
Shoyanの曲は音楽生活デビュー直後からずっと編曲家の妙にも恵まれてきたのだなって思います。それは他でもない伊勢正三ご本人の真摯な歌づくり姿勢の波及だと思います。
そういうプロフェッショナルの音を聴き続けてこられた私達は幸せ者ですね。
と、なんでも”感触”で感じたままの素人のほざきでありました^^;
※「ほざく」って自分にピッタリの言葉です(笑)
ナゼこの曲を?と当時思いました。
N口五郎氏がカバーされると聞いて、いいかも!?と思ったのですが、実際聴いてみると想ってたのと違ってた〜かも??
いきなりの転調に打ち込みっぽい(今打ち込みって言わないかも!?^^;)アレンジで、後半ギター二種類絡んできても、なんだかもったいないような気がしないでもないような・・・
(五郎氏の歌に関しては全然わからないのでノーコメント♪)
どんな構成でできたものなのか、ブックレットもないのでわかりませんが、N口五郎氏はギターも玄人だと伺ってるので、それこそ弾き語りで聴いてみたかったなぁ〜なんて。
でも、シングル曲扱いなのでそういう渋い作りにはならなかったのかもしれないですね。
で、今思うと、同じ頃のものだけれど、Re-bornの森一美氏の音マジック・特にリズム?はホント凄いなって思います。何の違和感もなくShoyanの歌曲に染み入って底上げをして開花させている。聴手にもわかる華のある説得力!
Shoyanの曲は音楽生活デビュー直後からずっと編曲家の妙にも恵まれてきたのだなって思います。それは他でもない伊勢正三ご本人の真摯な歌づくり姿勢の波及だと思います。
そういうプロフェッショナルの音を聴き続けてこられた私達は幸せ者ですね。
と、なんでも”感触”で感じたままの素人のほざきでありました^^;
※「ほざく」って自分にピッタリの言葉です(笑)
なんとも幻想的で寓話的な、なんとなく先述の『緑の秋』のような女神化ソングかと想う。
というか、こちらの曲のほうが先にあるので、当時のShoyanのチャレンジ的な枝葉を広げようとなさった試みを感じる。
♪涙より冷たい幾つかの季節
その中で君は生まれた
もうイキナリしょっぱなからワカラナイ(汗)。タマラナイっ。
伊勢正三ご本人名義の曲ではナカナカこういったお伽な世界観の歌って少ないような気がして、現実的な社会生活の中のシチュエーションが多かったのでは?と思うのですが、この歌のように絵画的で幻想的な歌は珍しいのかなと思っていた。だがそれが新鮮で、ロマンチックで創話的なひとつひとつのフレーズの繋がりはよくわからないままに、想像と口当たりで聴き続けている一曲なのです。
(これはこの後、Cut&PasteやHIRO氏への提供曲に続き、そしてRe-bornで爆発するのかもですが)
しかしなのに”冬の街東京 抜け出してみると”なんてフレーズもちゃんとあって、そこがShoyanらしくピリッと引き締まった糸で綴じてあると思う。やはり他の曲たちの延長線上にある。
アルバム『時のしずく』発売当時、前後してテレビドラマや映画などで『失楽園』が非常に流行っていて、「Shoyanさすがタイムリーですね(ニヤリ)」などと思ったものです。小説の発表は1995年だそうなので、この数年間は世の中ちょっとそんな感じが漂っていたでしょうか・・・。
(思い出せないくらい時が経ちましたね(遠い眼))
なので、私の中ではこのアダムとイブは”誰もいない島に落ちた”ではなく”堕ちた”なのであります。ちょっとキケンな薫りなのであります。
♪誰よりも遠くで
誰よりも速く
って、どういうこと??
それはいつも常に途切れることなく
”君がこの世に生まれて存在していることに四六時中感謝し続けて祝福しているほど君を愛している”
ということだろうか?
大体、どうして12月?
砂って何?
時計の構成要素?
二人のカンケイと一緒で外気で熱くなったり冷たくなったり?
恋?は暑い砂のようにいつか冷めるけれど、君の胸は冬に包ませちゃイケない、”Summer kisses, winter tears”にしないでっ・・・冷めても覚めたら醒めずに熱いままでいられると?
12月になれば必然的に気候的に砂は冷める。褪めてしまう?12月という寒い季節の底で時節に反逆して熱を持った2人でいよう、と?
それとも12月生まれのどなかに思い入れているとか?? いや、そもそもこの対象はヒトじゃないのかも?とか・・・
・・・と、具体的に考えれば考えるほど野暮になっちゃうので^^;、このカッコイイアレンジとサウンドに身を任せてノッていようと思う。スカッとしたアレンジで切れの良いアドリブ感のあるリズム。色褪せないですね。
(同じ12月でも射手座のノエルと山羊座のフランソワーズではおおいに意味が違ってきますぞ!?←ソレハカンケイナイ^^;)
しかし
♪星達が夜を爪弾く
なんて、シビレます(*´∀`)☆
このアルバムの前後、横浜に住んでいた私ですが、真夜中に車の温度計を見ると−4℃だったこともありました。都内から川一つ渡って抜け出してみると、意外とすぐにそんなマジな”冬の夜”がありました。
郊外の寝静まった住宅街の上に光る冬の星座たちを今も想い出します。
有賀啓雄氏とのご活動は池田聡氏繋がりかと思いますが、この当時の少し下の若い世代のミュージシャンたちと繋がる展開がこのアルバムの魅力でもあったかと思います。(『JUN』のカッコ良さが今日まで先頭集団であるように)
この英語のコーラス部分は有賀氏の手によるものなのかわかりませんが、今となっては11月〜12月と続けて氏を偲ぶ気持ちでも聴いています。
とてもお洒落で垢抜けていて、イキオイのある洋酒入りチョコのような一曲。これを秋冬に忍ばせて気付けにすれば凍えた心も紅潮しそうです。終わりそうな砂時計には、いっそ砂を足してしまえばいいのかもしれません。
というか、こちらの曲のほうが先にあるので、当時のShoyanのチャレンジ的な枝葉を広げようとなさった試みを感じる。
♪涙より冷たい幾つかの季節
その中で君は生まれた
もうイキナリしょっぱなからワカラナイ(汗)。タマラナイっ。
伊勢正三ご本人名義の曲ではナカナカこういったお伽な世界観の歌って少ないような気がして、現実的な社会生活の中のシチュエーションが多かったのでは?と思うのですが、この歌のように絵画的で幻想的な歌は珍しいのかなと思っていた。だがそれが新鮮で、ロマンチックで創話的なひとつひとつのフレーズの繋がりはよくわからないままに、想像と口当たりで聴き続けている一曲なのです。
(これはこの後、Cut&PasteやHIRO氏への提供曲に続き、そしてRe-bornで爆発するのかもですが)
しかしなのに”冬の街東京 抜け出してみると”なんてフレーズもちゃんとあって、そこがShoyanらしくピリッと引き締まった糸で綴じてあると思う。やはり他の曲たちの延長線上にある。
アルバム『時のしずく』発売当時、前後してテレビドラマや映画などで『失楽園』が非常に流行っていて、「Shoyanさすがタイムリーですね(ニヤリ)」などと思ったものです。小説の発表は1995年だそうなので、この数年間は世の中ちょっとそんな感じが漂っていたでしょうか・・・。
(思い出せないくらい時が経ちましたね(遠い眼))
なので、私の中ではこのアダムとイブは”誰もいない島に落ちた”ではなく”堕ちた”なのであります。ちょっとキケンな薫りなのであります。
♪誰よりも遠くで
誰よりも速く
って、どういうこと??
それはいつも常に途切れることなく
”君がこの世に生まれて存在していることに四六時中感謝し続けて祝福しているほど君を愛している”
ということだろうか?
大体、どうして12月?
砂って何?
時計の構成要素?
二人のカンケイと一緒で外気で熱くなったり冷たくなったり?
恋?は暑い砂のようにいつか冷めるけれど、君の胸は冬に包ませちゃイケない、”Summer kisses, winter tears”にしないでっ・・・冷めても覚めたら醒めずに熱いままでいられると?
12月になれば必然的に気候的に砂は冷める。褪めてしまう?12月という寒い季節の底で時節に反逆して熱を持った2人でいよう、と?
それとも12月生まれのどなかに思い入れているとか?? いや、そもそもこの対象はヒトじゃないのかも?とか・・・
・・・と、具体的に考えれば考えるほど野暮になっちゃうので^^;、このカッコイイアレンジとサウンドに身を任せてノッていようと思う。スカッとしたアレンジで切れの良いアドリブ感のあるリズム。色褪せないですね。
(同じ12月でも射手座のノエルと山羊座のフランソワーズではおおいに意味が違ってきますぞ!?←ソレハカンケイナイ^^;)
しかし
♪星達が夜を爪弾く
なんて、シビレます(*´∀`)☆
このアルバムの前後、横浜に住んでいた私ですが、真夜中に車の温度計を見ると−4℃だったこともありました。都内から川一つ渡って抜け出してみると、意外とすぐにそんなマジな”冬の夜”がありました。
郊外の寝静まった住宅街の上に光る冬の星座たちを今も想い出します。
有賀啓雄氏とのご活動は池田聡氏繋がりかと思いますが、この当時の少し下の若い世代のミュージシャンたちと繋がる展開がこのアルバムの魅力でもあったかと思います。(『JUN』のカッコ良さが今日まで先頭集団であるように)
この英語のコーラス部分は有賀氏の手によるものなのかわかりませんが、今となっては11月〜12月と続けて氏を偲ぶ気持ちでも聴いています。
とてもお洒落で垢抜けていて、イキオイのある洋酒入りチョコのような一曲。これを秋冬に忍ばせて気付けにすれば凍えた心も紅潮しそうです。終わりそうな砂時計には、いっそ砂を足してしまえばいいのかもしれません。
先述の『白い時刻(とき)』に
ちょっとだけ追記しました。
ちょっとだけ追記しました。
「しろいとき」と読む、当て字は意外とめずらしいのでは?
このアルバムが出てから三度目の冬に一度書いた内容と、二十年以上経つ今とを混ぜて続けてみる。
・・・
♪外はガラス越しの冬
からからの街から
君をさらってきたよ
恋をするとナゼ移動したくなるのだろう?
からからの街から
君をさらってきたよ
恋をするとナゼ移動したくなるのだろう?
車で遠くまでデートしたり、逃避行したり、助手席に乗せたり乗ったり、二人だけの世界に籠もりたくなる。でも、恋が非日常であるうちは愛ではない。二人の時間が重なり合って何かが生まれそうな時、次の世界が見えそうなとき、こんな甘い凪の時間が訪れるのだろうか。そういう時合いの歌に想える。
雪の日は静かだ。
♪不意に積もる雪の日の
やさしさが好きさ
気付いてもらえなくても置いておく心。
雪の日は静かだ。
♪不意に積もる雪の日の
やさしさが好きさ
気付いてもらえなくても置いておく心。
ない気配こそ曲者。
夜中に窓を開けたらいつの間にうっすら積もる初雪。それはとても女性的だけど、でも男心かもしれない。いつか溶けてしまうなんて意識もしないで、結晶したつかの間の立体を永遠と勘違いしてしまうひととき。
むしろ女は粉雪に隠れるアイスバーン。
夜中に窓を開けたらいつの間にうっすら積もる初雪。それはとても女性的だけど、でも男心かもしれない。いつか溶けてしまうなんて意識もしないで、結晶したつかの間の立体を永遠と勘違いしてしまうひととき。
むしろ女は粉雪に隠れるアイスバーン。
迂闊に走れば定まらずに滑り落ちていく。
強く抱いたらその圧力で溶けてくる。
でも夢を見てしまう。
その刹那の雪を固めて作った雪うさぎが可愛くて仕方ない二人。
第三者からするとアヤウクて、当事者目線と傍観者目線とでは大いに解釈の違う儚い時間に思える。
♪いとしさも 君の弱さも
でも夢を見てしまう。
その刹那の雪を固めて作った雪うさぎが可愛くて仕方ない二人。
第三者からするとアヤウクて、当事者目線と傍観者目線とでは大いに解釈の違う儚い時間に思える。
♪いとしさも 君の弱さも
温もり欲しがる背中も
いつの日かきっと未来へ
たどり着ける気がした
刹那の中に永遠を見る余裕。
たどり着ける気がした
刹那の中に永遠を見る余裕。
俗っぽく言えば「終わりよければすべてよし」?
いや、そんな風に言いたくない。
終わったことを歌うよりまだ見ぬ未来を歌う方が実は切ないのかもしれない。終りは現実だけど、未来は刻一刻と形を変えるから、”白くなくなった時=現実”に戻った時にどうなるのか、未来が幻想の範疇のまま持続していく甘美に囚われ過ぎれば、それは刹那い恋ではなくただの執着。
ただ今はそれを視界には入れたくないのだろう。現実逃避行の甘い道行。
・・・
この歌の中にある"思い出"が何なのかは知らない。
終わったことを歌うよりまだ見ぬ未来を歌う方が実は切ないのかもしれない。終りは現実だけど、未来は刻一刻と形を変えるから、”白くなくなった時=現実”に戻った時にどうなるのか、未来が幻想の範疇のまま持続していく甘美に囚われ過ぎれば、それは刹那い恋ではなくただの執着。
ただ今はそれを視界には入れたくないのだろう。現実逃避行の甘い道行。
・・・
この歌の中にある"思い出"が何なのかは知らない。
でも、
「アイシテルッテ イッタジャナイ」
「アイシテルッテ イッタジャナイ」
これは際どい。
誰が言ってるんだろう?
そして、最初にアイシテルって言ったのは誰なんだろうね。
これはShoyanの"言葉攻め"なのだと思ってる。
これはShoyanの"言葉攻め"なのだと思ってる。
火の熾きた薪の、立ち上がる炎を消そうと思って息を吹きかけたら、余計に燃え上がってしまうような、ナマナマしいチャレンジだ。
あの時キミは
あの時キミは
「あなたをアイシテル」
って言ったじゃない?
あれは嘘だったの??
あの時ボクは
「君をアイシテル」
って言ったじゃない?
その言葉信じてくれないの??
そんなことを熱い時間を中断してふと真顔で言われたらタイヘンですよ。(笑)
って言ったじゃない?
あれは嘘だったの??
あの時ボクは
「君をアイシテル」
って言ったじゃない?
その言葉信じてくれないの??
そんなことを熱い時間を中断してふと真顔で言われたらタイヘンですよ。(笑)
だがしかし、こういう妄想こそ伊勢正三のラブソングを聴く上での必須な醍醐味な訳で、シミュレーションを「実感」にいかに近づけるか・が自分の大切なShoyanの聴き方なのだ。
これは歌を聴くものの特権でもあり、誰からも侵されることのないものだと思う。妄想ありて後ラヴソングあり・なのだ。(本当はこのフレーズがどういう意味で置いてあるのかはわかりませんが)
元々の意味がどうであろうが、
何かに向けてのリアクションであろうが、
聴手の妄想は作り手でさえも干渉出来るものではない神聖なものなのだと、胸を張っていたいと思う。
で、カンケイないけれど、この歌、勝手に信州の佐久とか小諸あたりのイメージです。
これは歌を聴くものの特権でもあり、誰からも侵されることのないものだと思う。妄想ありて後ラヴソングあり・なのだ。(本当はこのフレーズがどういう意味で置いてあるのかはわかりませんが)
元々の意味がどうであろうが、
何かに向けてのリアクションであろうが、
聴手の妄想は作り手でさえも干渉出来るものではない神聖なものなのだと、胸を張っていたいと思う。
で、カンケイないけれど、この歌、勝手に信州の佐久とか小諸あたりのイメージです。
(なんでかはナイショ)
♪そのイントネーションたまらない子守唄
これって同行者が同郷だからってことだろうか?
そのイントネーションに馴染みがあるから安らぎなのか、それとも未知の故郷の純朴さを感じて安らぐのか?ずっと決められずに面白い。
二人が逃げ出してきたのは”からからの街”からだから都会みたい?
でも、それ以前に”夏の君”がいた”遠い町”もある。
そしてこの雪の逃避行先。
舞台は三箇所もあるの?
(これをNAKASHIBETSU現象という!?)
よく、女の子の可愛い方言日本一ってどこ?なんていうランキングがあるけれど、それって結構西の方が多い気がします。この歌ではどんなイントネーションで何をささやいてくれたのだろう。
その”遠い町”の言葉なのだろうか・・・
”ソバカス素敵さ”ということは化粧もしていないすっぴんで、腕の長く見えるノースリーブで、夏の君は少なくともラフでカジュアルな感じなのに、今や”髪をほどいて明かり淡く落とした”なんて、クラクラするような艶っぽさを纏う存在に変化している。このギャップ萌えよ・・・と悶であります。
(ソバカスは露出した肩などにあったのかもしれませんが…)
当時のTOMOKO氏のピアノ、生真面目でとても誠実な音だ。「けんかのあと」でもたゆみないキッチリしたピアノを聴かせてくれた。Shoyanの水モノな感じの音をクリップボードに留める役目があるのかな。この曲の緊張感と色っぽさの振り子の音なのかもしれない。少しだけ先走ってむしろ主導権感じるのが興味深いのです。
あと、Shoyanご自身が一人で全部やっているだけあって、ハモる声までShoyanで、そこに今までにない響きがある。1×1=1000。しかもガットギターが沢山束ねてあって、湯の滴・ツララの雫・ガラス窓の結露、今隠している涙、その他色んなシズクがふんわりと雪に変わって積もっていく。実は当時この曲だけは他の第三者のアレンジでも聴いてみたいと思ったりした。もう少しリズムのはっきりした起承転結が聴こえるような作りで、と。
でも今はコレがイイと想う(涙)。
♪そのイントネーションたまらない子守唄
これって同行者が同郷だからってことだろうか?
そのイントネーションに馴染みがあるから安らぎなのか、それとも未知の故郷の純朴さを感じて安らぐのか?ずっと決められずに面白い。
二人が逃げ出してきたのは”からからの街”からだから都会みたい?
でも、それ以前に”夏の君”がいた”遠い町”もある。
そしてこの雪の逃避行先。
舞台は三箇所もあるの?
(これをNAKASHIBETSU現象という!?)
よく、女の子の可愛い方言日本一ってどこ?なんていうランキングがあるけれど、それって結構西の方が多い気がします。この歌ではどんなイントネーションで何をささやいてくれたのだろう。
その”遠い町”の言葉なのだろうか・・・
”ソバカス素敵さ”ということは化粧もしていないすっぴんで、腕の長く見えるノースリーブで、夏の君は少なくともラフでカジュアルな感じなのに、今や”髪をほどいて明かり淡く落とした”なんて、クラクラするような艶っぽさを纏う存在に変化している。このギャップ萌えよ・・・と悶であります。
(ソバカスは露出した肩などにあったのかもしれませんが…)
当時のTOMOKO氏のピアノ、生真面目でとても誠実な音だ。「けんかのあと」でもたゆみないキッチリしたピアノを聴かせてくれた。Shoyanの水モノな感じの音をクリップボードに留める役目があるのかな。この曲の緊張感と色っぽさの振り子の音なのかもしれない。少しだけ先走ってむしろ主導権感じるのが興味深いのです。
あと、Shoyanご自身が一人で全部やっているだけあって、ハモる声までShoyanで、そこに今までにない響きがある。1×1=1000。しかもガットギターが沢山束ねてあって、湯の滴・ツララの雫・ガラス窓の結露、今隠している涙、その他色んなシズクがふんわりと雪に変わって積もっていく。実は当時この曲だけは他の第三者のアレンジでも聴いてみたいと思ったりした。もう少しリズムのはっきりした起承転結が聴こえるような作りで、と。
でも今はコレがイイと想う(涙)。
互いの心の中で、もやもやと生まれたり沈んだり絡んだり離れたりする”恋の気”の不確かさが漂っていて凄く好きだ。
いつか溶けてしまう雪に、ほんの一瞬だけ地肌のような現実を隠してもらって逢う一夜。
雪の下の方が暖かいから、愛してる気持ちを春まで埋めてみるのもいいのかもしれない。
・・・
Re-bornの中で『二人だけの未来』というフレーズを耳にしたときにまずこの曲が浮かんだ。白い時刻の時点では”気がした”だけで先は吹雪いて見通せない。でもむしろそういうあやふや・無理め・な感じのほうが切なくて、今はこちらの遣る方無さを再度味わってみたいと想っています。
南天の二つ実残して雪うさぎ
いつか溶けてしまう雪に、ほんの一瞬だけ地肌のような現実を隠してもらって逢う一夜。
雪の下の方が暖かいから、愛してる気持ちを春まで埋めてみるのもいいのかもしれない。
・・・
Re-bornの中で『二人だけの未来』というフレーズを耳にしたときにまずこの曲が浮かんだ。白い時刻の時点では”気がした”だけで先は吹雪いて見通せない。でもむしろそういうあやふや・無理め・な感じのほうが切なくて、今はこちらの遣る方無さを再度味わってみたいと想っています。
南天の二つ実残して雪うさぎ
一夜の誓いも儚く解けて
♪
時が行けば
幼い君も
大人になると気づかないまま・・・
なぜ気づかないのか?
それは彼が幼いままだから、、、かもしれない。
というか、
男性が大人になることなんてあるのだろうか。
少年のままに突っ走って
少年のままに恋をして
少年のままに人を傷つけて
少年のままに純粋で・・・
最近特にそう思うことが多い^^;
でもそんな少年の心に憧れ続けている、
男に生まれてこなかった自分です。
♯なごり雪
時が行けば
幼い君も
大人になると気づかないまま・・・
なぜ気づかないのか?
それは彼が幼いままだから、、、かもしれない。
というか、
男性が大人になることなんてあるのだろうか。
少年のままに突っ走って
少年のままに恋をして
少年のままに人を傷つけて
少年のままに純粋で・・・
最近特にそう思うことが多い^^;
でもそんな少年の心に憧れ続けている、
男に生まれてこなかった自分です。
♯なごり雪
そういえばこの唄のことを書いていなかったな、と。
こんな名曲のことを語るのは畏れ多いのですが、このところ”逆身につま”な感じで心に引っ掛かるので少し・・・
で、いきなり話が逸れるのですが、その今井美樹氏の洋楽カバーアルバムの中に『Superstar』も収録されていまして、準氏アレンジではないのですがとても情の深いお洒落アレンジだったので聴き入ってしまいました。
昔、とあるギタリストさんとお話をした時に、私が伊勢正三ファンだと言うと「伊勢正三の『あの唄はもう唄わないのですか』って曲は、カーペンターズの『Superstar』が元になってるよねぇ」なんてシタリ顔されちゃいまして、私はうぬぬっと固まってしまい、どんな反応したらよいのか狼狽えた覚えがあります。(こんなエピソード書くのは勇気が要る ^^;)
自分自身それまでそんな風に思ったことはなくて、言われてみて初めて「そうかぁ〜?」と思ったのですが、それ以降気にしながら聴いてみたものです。
けれどやはり違うものです。
今回改めてサクッとそのSuperstarの曲のことを調べたら原題は『Groupie』だったそうで、なんか怖っ!だったのですね。
Superstarには深いドラマもないし?具体的な場面も想いもない、聴いた人にも得るものが少ない、ただ成就されない失意と美しいメロディーだけがあるように思いますが(そこまで言うか七氏w)、『あの唄はもう唄わないのですか』の作り込まれ感は比ではないと思います。この唄を聴けば聴手はいくらでも自己のStoryを想像することが出来るでしょう。
・・・
私にとってこの歌は70年代の墓標のような存在で、唄のすべてが今はもう無いものに思われるのです。伊勢正三の歌曲の中で最古に分類されるような、非常に時代の距離感を感じる曲であります(それは80年代に聴き始めたときから)。
新聞の片隅も雨も一つの傘もマッチ箱も駅までの帰り道も、すべての風景や小物はもう触れることの出来ない時間だと、虚しささえ感じてしまう哀しい唄に思えます。そこがまた堪らなくて、何度も繰り返し聴いてしまうのかもしれません。特に間奏の部分♪雨が降る日は〜に続く部分、瀬尾氏アレンジでも石川師匠アレンジでも、どちらも重く曇った土曜日の夕方の部屋で、壁のカレンダーをひとりで見つめているような気持ちになってしまいます。
その頃はまだ小学生だった私なのに、恋人を待ちながらずっとこの唄の中に閉じ込められているような気持ちでいる。それは逆に歳をとってからも同じように・・・です。
この唄も『22才の別れ』と並ぶShoyanの作り込まれた物語シリーズだなと思うのですが、聴く人のことを意識して周到に、時にドラマチックに類型を持ち出して、真正面からの哀しいメロディー。誰が聴いてもわかる切なさを唄ってくれるとてもわかりやすい唄ではないでしょうか。
そういうストレートなところが人気なのかもしれないですね。
※でも私はどちらのアレンジが好きかとか決められません。距離感は一緒なんです。
もう届かない気持ち、逢えない断絶。でもあの唄の中には自分が主人公だった時間が活きている気がして、唄ってくれるのなら私とあなたはまだカンケイしあっている・・・と思い込みたい未練。そんな彼女の希望が一方通行で虚しい。
しかしこの彼、実は彼女のために作った唄を唄わなくなったからこそリサイタルを開けるくらいの活動を続けていられるんじゃないかなと思ったりします。
恋人のためだけの唄を唄っているようじゃ芽は出ないと、今になってそう思うのです。ましてや別れた彼女=ダメだった存在が影響している唄をお客さんの前で唄いますか?と。彼女のことを踏み台にして新たな唄を作るくらいの自己愛の自己中でないと、大勢の人の心を動かす歌は作れないのではないかと今は想ったりしています。
(身も蓋もない七氏論)
彼女はまだ彼を支えている気持ちなのかもしれなくて、一番後ろの客席が一番心は近いのかもしれないけれど、”私にとっての思い出”は、”僕にとっては忘れたいこと”なのかもしれない。ステージと客席同じ会場の中だけれど、それこそもう二人の時空は違うものなのでしょう。
・・・
歌は、、、
誰か特定の存在のためだけにあるものではないのだよフフっ・と、強がった気持ちでいたい一般People一消費者の私ですが・・・
そして尚且つ、
”そうじゃなくてもそう想わせてしまう罪深さ”まで会得したのが今のShoyanであると、私は無抵抗でその魔力にただひれ伏すのでありました。
もう何年?
伊勢正三の音楽の、ある一方向の最大振り幅の極みにある唄だと思っています。
※今回(も)言いたい放題書いてしまいました(汗)。
ご容赦願います。
こんな名曲のことを語るのは畏れ多いのですが、このところ”逆身につま”な感じで心に引っ掛かるので少し・・・
で、いきなり話が逸れるのですが、その今井美樹氏の洋楽カバーアルバムの中に『Superstar』も収録されていまして、準氏アレンジではないのですがとても情の深いお洒落アレンジだったので聴き入ってしまいました。
昔、とあるギタリストさんとお話をした時に、私が伊勢正三ファンだと言うと「伊勢正三の『あの唄はもう唄わないのですか』って曲は、カーペンターズの『Superstar』が元になってるよねぇ」なんてシタリ顔されちゃいまして、私はうぬぬっと固まってしまい、どんな反応したらよいのか狼狽えた覚えがあります。(こんなエピソード書くのは勇気が要る ^^;)
自分自身それまでそんな風に思ったことはなくて、言われてみて初めて「そうかぁ〜?」と思ったのですが、それ以降気にしながら聴いてみたものです。
けれどやはり違うものです。
今回改めてサクッとそのSuperstarの曲のことを調べたら原題は『Groupie』だったそうで、なんか怖っ!だったのですね。
Superstarには深いドラマもないし?具体的な場面も想いもない、聴いた人にも得るものが少ない、ただ成就されない失意と美しいメロディーだけがあるように思いますが(そこまで言うか七氏w)、『あの唄はもう唄わないのですか』の作り込まれ感は比ではないと思います。この唄を聴けば聴手はいくらでも自己のStoryを想像することが出来るでしょう。
・・・
私にとってこの歌は70年代の墓標のような存在で、唄のすべてが今はもう無いものに思われるのです。伊勢正三の歌曲の中で最古に分類されるような、非常に時代の距離感を感じる曲であります(それは80年代に聴き始めたときから)。
新聞の片隅も雨も一つの傘もマッチ箱も駅までの帰り道も、すべての風景や小物はもう触れることの出来ない時間だと、虚しささえ感じてしまう哀しい唄に思えます。そこがまた堪らなくて、何度も繰り返し聴いてしまうのかもしれません。特に間奏の部分♪雨が降る日は〜に続く部分、瀬尾氏アレンジでも石川師匠アレンジでも、どちらも重く曇った土曜日の夕方の部屋で、壁のカレンダーをひとりで見つめているような気持ちになってしまいます。
その頃はまだ小学生だった私なのに、恋人を待ちながらずっとこの唄の中に閉じ込められているような気持ちでいる。それは逆に歳をとってからも同じように・・・です。
この唄も『22才の別れ』と並ぶShoyanの作り込まれた物語シリーズだなと思うのですが、聴く人のことを意識して周到に、時にドラマチックに類型を持ち出して、真正面からの哀しいメロディー。誰が聴いてもわかる切なさを唄ってくれるとてもわかりやすい唄ではないでしょうか。
そういうストレートなところが人気なのかもしれないですね。
※でも私はどちらのアレンジが好きかとか決められません。距離感は一緒なんです。
もう届かない気持ち、逢えない断絶。でもあの唄の中には自分が主人公だった時間が活きている気がして、唄ってくれるのなら私とあなたはまだカンケイしあっている・・・と思い込みたい未練。そんな彼女の希望が一方通行で虚しい。
しかしこの彼、実は彼女のために作った唄を唄わなくなったからこそリサイタルを開けるくらいの活動を続けていられるんじゃないかなと思ったりします。
恋人のためだけの唄を唄っているようじゃ芽は出ないと、今になってそう思うのです。ましてや別れた彼女=ダメだった存在が影響している唄をお客さんの前で唄いますか?と。彼女のことを踏み台にして新たな唄を作るくらいの自己愛の自己中でないと、大勢の人の心を動かす歌は作れないのではないかと今は想ったりしています。
(身も蓋もない七氏論)
彼女はまだ彼を支えている気持ちなのかもしれなくて、一番後ろの客席が一番心は近いのかもしれないけれど、”私にとっての思い出”は、”僕にとっては忘れたいこと”なのかもしれない。ステージと客席同じ会場の中だけれど、それこそもう二人の時空は違うものなのでしょう。
・・・
歌は、、、
誰か特定の存在のためだけにあるものではないのだよフフっ・と、強がった気持ちでいたい一般People一消費者の私ですが・・・
そして尚且つ、
”そうじゃなくてもそう想わせてしまう罪深さ”まで会得したのが今のShoyanであると、私は無抵抗でその魔力にただひれ伏すのでありました。
もう何年?
伊勢正三の音楽の、ある一方向の最大振り幅の極みにある唄だと思っています。
※今回(も)言いたい放題書いてしまいました(汗)。
ご容赦願います。
プロフィール
HN:
No Name 七氏−1.0
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
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