Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

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たとえ、もう逢えずとも季節は変わりなく訪れるし、私の中のそう言った気持ちも毎年繰り返し湧いてくる・・・
止められない。
それがちょっと哀しいケド、この秋の曲たちを聴いている限り、あの日の自分と一緒にいられる気がしている。

・・・・・・・

ニューヨークどころか、外国にはまったく行く機会がなかった私でも、この歌の景色は意外とリアルに視えたりする。
それは、聴き始めた当時にはわからなかったことで、1981年から何十年も経とうという今だからこそ歌に降り積もった時間が視える・ということかもしれない。大人になってからの方が好きになって解かるようになったかな。しかも、特にここ数年の秋に急にクッキリ炙り出てきた歌。40歳過ぎたほうが感じやすい事ってある。この歌が生まれた頃、出会った頃、その頃の世の中は比較的穏やかで平和だった・・・。
今の世のようにすべて把握しなくてもいい、曖昧な時間が沢山あった。そんな過ぎ去った時代を今懐かしく想う。

・・・・・・・

まさに"ニュアンス"って言葉がピッタリの光と蔭と少しの情報だけで構成された安らかな歌。カードを切るように変化していくメロディと、思いついたように連なっていく歌詞。

歌いだしの
「始めから僕は悲しくて見てた」
なんて、ほとんどイミフメイ。

(Shoyanの歌では歌いだしのフレーズが特徴的なものが多いが)

だけどそれが非常に幻想的で、一瞬登場する"絵を手に取った君"の印象と「美しい」というほんの一言だけが色づけされて視える。

もしかしたらこの手に取った"絵"は額縁じゃなくて、どこかの建物から見る窓の景色なのかなと想ったりもする。窓の桟に手をかけて外の景色(絵)を眺める君、それを眺める僕。その絵の中にはまた無数の窓があって・・・と、合わせ鏡のように、シーンが続く。

TOKYOとNewYorkという単語に、そのビル群の無限のガラス窓ひとつひとつが絵のようで、味気ない街と美しい街、それを決めるのは人の言うこと・・・そして、目を落とせば欧州的な?公園や街路樹の色づく都会の樹々の色。鈴懸の大きな黄色い葉、つかの間の秋・・・人の心の移ろいやすさと巡る年月の裏表を感じるのだ。
※ヨーロピアンもNYも私は本当のことは知らないケド(´∀`)

・・・・・・・

「うち寄せる波」が、そのBlueな気持ちの原因なのだとしたら・・・ひと晩だけのものだとしたら・・・こんな交わり方、なんと粋な触れ合いなのだろう。
「暗黙の了解 目くばせもしないで」って、そんな、とても大事なことを何気にこういう歌に持ってくるShoyanのそのレイアウトこそがまた暗黙の了解なのでは?

密かに
熱く想う

目くばせもしないのだから・・・
それは相当曲者なのだ

ソコニキヅケバ オトナ カナ ?

しかもこの、♪目くばせもしないで~の部分の音階が本当に変わっていて美しくて、干渉色・イリデッセンスのような色合いに眩暈がしそうだ。ISESHOZO Bestメロディ上位にアル。『スモークドガラス越しの景色』のアルバムは、全体的にそういう感じのノビノビとした自由で美しいメロディが多いように想う。

・・・・・・・

以前、一度だけステージで歌ってくれたのを聴いたことがある。その時は嬉しかった。良い選曲だなって想った。このアルバムからの歌は表題曲以外、ほとんどステージで聴いたことがない。発売当時のツアーにも13歳の私じゃ間に合わなかったのだ(残念)。大好きな「二人の周期」にしたって、復活後のShoyanからは一度も聴いたことがなかった。だから品川での演奏は心底嬉しかったのだけど、その後また封印されてしまったのだろうか・・・

※軽井沢大賀ホールでのライブ初回に『軽井沢のキリギリス』、またその後今年2018年『SeaSideStory』『星の足跡』が聴けた。これはキセキ的♪成仏気味の私(*´Д`)。

・・・・・・・

秋が一番「遠くへ来たなぁ」と想う季節。
ホンモノの美しく移ろう豊かな自然や、何気ない街路樹の輝く葉に青く澄んだ空を見れば、自分が今、都会にいないということがわかる。自分が今暮らしている町が美しければ美しいほど、あの日は遠くなったのだと想う。この歌は絵葉書ほどのフォトグラフ。そんな感じで時々引き出しから取り出して眺めるのがいい。風のない穏やかな秋の夕暮れに、いつかまたそこへ旅に出たいと想いながら・・・

2012年11月11日記を改
こんな記事を今頃見つけたわさ。

“ボサノバの父”とブラジルで共作 伊勢正三さん思い出の1枚 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/229757 … #日刊ゲンダイDIGITAL

実は普段、WEBでShoyanのことを検索したりはあんまりしないのだ。ナゼならば、私はひねくれているので、何でも情報が溢れれば溢れるほど勘が鈍るような気がするからだ。だから、たまに、なんとなく気が向いたときにイセサーチしてみるだけなのだが・・・

これは、これは告知あったっけ?
これは絶対に知りたかったぞ。
(´;ω;`)ウゥゥ
これはすごく大事なことで、重要なことなんだ。
そう思っているのは私だけかもしれないけど(笑)、JobimとShoyanは同じ処にいるアーチストなんだ。ほんとにね、このことすごく大事。

またこの記事のShoyanがたまらなく愛おしいショットじゃありませんか(*´Д`)萌え死にそうです。あー、なんかザワザワして眠れない(笑)。
あれから何度目かのShoyanのお誕生日
今日も誰よりも遠くでお祝いします☆
Happy Birthday to SHOYAN
WITH LOVE♪

・・・

"星の足跡"ってなんだろ?
流れる星の軌跡?
星に足がある?
それとも「そくせき」って読むの?
いや・・・
それは"○○な星の下に生まれた"
というような、人の命の波打ち際の
引き潮の湿った砂にポツリポツリと記された
小さな私たちの足跡のことかな・・・

・・・

実はこの歌の"ai"に気が付いたのはShoyanが復活してからの90年代に入ってからだ。アルバム『スモークドガラス越しの景色』は(いつも書くように)自分にとって最古のアルバムで、本当に良く永く聴いてきたと思うけど、やっぱりこういう曲って控えめなイメージで、血気盛んな?十代の頃はなんとなく聴き流してしまっていた気がする。

でも、それから時が経って自分が壊れたり傷ついたりしてくると、こういう柔らかい歌の優しさに気付いたりする。

・・・

"いつもひとりでいたアノ頃"の"ちょっと哀しい時間"。その頃、"愛の在り様"みたいなことを深く考えさせられた。

あるとき、私がとても若いころ、その当時の特殊な立場(詳細省く)ゆえに嫌がらせとか、からかいみたいなことをある職業の年上の人たちからずっと受けていた。
(普通はそういうことを抑制しなきゃいけない立場の連中なのだ)

具体的なことは省くからよくワカラナイ文章になってると思うけど、私はいつも部屋で独り待っているばかりだった。でも当時は幼いからどうしていいかわからないでいたし、そのうちに自分自身が複雑になってすべて考え過ぎて、答えを出せないことが絶望なんだと思っていた。

自分はどんどん嫌な奴になっていって、みっともない自分に更に嫌気がさして自分を放置していた。もうどうしようもなくなっていた時に、Shoyanが再び歌い始めてくれたんだ。

『冬京』を弾くShoyanがもの凄くカッコ良くて目が覚めるようだった。自分が昔買ってほとんど弾けないままだったギターを実家から持ってきて、弾けないなりにコードを追ってみた。難しいコードばかりだった。

でも、、、そんな中で、沢山ある歌、楽譜のある歌を自分なりに弾いて歌ってみて、
「なんてシンプルな愛の歌だろう!」
って気付いたのがこの『星の足跡』だった。
こんな好い歌あったんだ♪って、心がほどけていくような気がした。複雑過ぎる嫌なキモチを丁寧に手作業でほどいてくれる歌だった。

そうやって、突然歌が咲く時がアル・・・

「具体的じゃなくていいんだよ」って、
新しいShoyanと懐かしいShoyanがタッグを組んでサポートしてくれるような気がした。Shoyan(の歌)は、私の一番近くに居てくれるんだ・って、気付いたんだ。だから、その日から寂しくなくなった。

案外、何気なく、さりげない歌が
本当は"最深部"なのかもって想う

男女の色っぽいやりとりの歌や、練りに練ったSTORY仕立ての歌が目立つのは当たり前かもしれないけど、こういう優しい愛のまなざしの歌があるから私はShoyanのことが好きなんだ。

でも、この歌どんな歌なのか・・・?
それは実は今でもよくわかっていない
でも、それでいいんだと思ってる

「答えのないコトが答えだヨ」
って、とても大きな世界に気付かせてくれたんだもの。今でも、そっと椅子にかけてあるブランケットみたいに私の傍にある歌なんだ☆日々は辛いことと嬉しいこと色々だけど、いつもこの歌から始めたい。丁度そんな頃の自分に戻って新しい自分と懐かしい自分で歩き出したいと想っている。

・・・追・・・

Shoyanは意外と?
Gutギターの人だ
この歌(アルバム)のクレジットにはギターはA.Guitarとしか書いていなくて、Shoyanの他に故T氏の名前があるだけだ。でも、私はこの間奏のギターってShoyanだと想ってる。
(フツーそう思うよね♪)
チョット弾き過ぎる、一目盛り多い音が好き(^^*)。
あと、英語が弱い私には全部は聴き取れなくてそれがちょっと悔しい(´∀`) 
(※後年、ラジオで説明されたようだけど)

・・・

二度とは読めない運命は
引き返せない人生の記憶たち
波が洗ってくれたから
嫌な想い出はもう粉々になって溶けていった
でも、Shoyanの歌と一緒に築いてきた(気付いてきた)
愛おしい想い出はずっとずっと変わらない
砂で書いた文字ではなく・・・
潮溜りに取り残った小さな魚みたいに
ひっそりそこに在る
またいつか、生まれ変わる時の満ち潮の波で
二人の海に還れたらいいと想う
その時は、浜辺の星砂が舞い上がって
とても綺麗な景色だろうと想う
その時もそっと歌ってくれるだろう
~やさしく おやすみ......
って☆

@2012年書いたものに加筆

※2018年9月 軽井沢大賀ホールで聴けて本当に嬉しかった。
嬉しすぎてあんまりよく覚えてないから、もう一度聴きたいよShoyan。またどこかで歌って欲しいものです。(*´ω`)
そうだ、なんか、シャンソンみたいだったかも!?
うおっ、知らぬ間に一か月放置じゃないか!
でもローカルでは正やんの歌に関することをチマチマ書き綴っているんだけど、でもここにアップするものではないのだよね。。うまくまとめられたらいいな。

で、こういう時は画像アップなどしてみていくのもいいかもなと。
1984年ころの音楽雑誌のインタビュー記事に正やんの左手の写真が載ってたんだよ~
不思議な企画(*´Д`)でも嬉しかったね。


あまりにヒドイ落書きだったので参考画像を改めて貼っておく。(;^ω^)



なんだこの落書きは(^-^;。

マーチンのギターには、ネックの裏(ヘッドの付け根)にダイアモンド・ボリュートと言う装飾があるんだけど、今回はステージ脇に控えで立ててあるギターたちが目の前にあったので、正やんのマーチン(D-45)のダイアモンド・ボリュートがめちゃよく見えて感激!!

見えないところにキラリと隠されている正やんのダイアモンド♪☆彡

ボディにベルトのバックルでついた傷とかもカッコ良いよね(●´ω`●)。

そういえば、今年の軽井沢ライブ、
お色直しがなかったわ?!

あと、やや体型の変化を感じたわ(/ω\)キャ。
正やんのお尻ばかりが見えた最端の席でした☆



いつにもまして秋めいていた大賀ホール。

水面に映る雲がきれいだ。

正やんは聴く人それぞれの
『あの頃のままにここにいる』
のだなあと納得。

ある意味の、曲作りの原点みたいな今日のステージは、自分が感じてきた正やんの歴史そのもののようでとてもよかった。(バックの演奏がもっとシンプルだったらなお良しなんだけどナ♪)

また未来へ続く!

@ Karuizawa Ohga Hall

プロフィール

HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!

☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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