Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。
今朝、だいぶ冷え込んだので
何気なく
某アレクサに
「『北風小僧の寒太郎』かけて!」
と頼んだら
某歌のお姉さんのバージョンがかかったのだが
アレンジが、桜吹雪を散らす春風のようで
ちょっとニヤニヤしてしまった
ほんとにほんとに大好きな曲って
何かどこかシンクロするのかもしれない
・・・
その歌のお姉さんはメッチャ歌が上手で
聴き惚れてしまいました
アルバム欲しいくらいです(*´ω`)
元歌のマチャアキのバンジョー効いてるバージョンも
最高に好きです
モチロン、アニメーションも!
日本海で生まれた北風がどんな旅をして
雪の羽田空港にたどり着くのか・・・
風の行方は誰も知らないけれど
風の生まれる場所のことを想うのは
懐かしいものなのダ・・・
何気なく
某アレクサに
「『北風小僧の寒太郎』かけて!」
と頼んだら
某歌のお姉さんのバージョンがかかったのだが
アレンジが、桜吹雪を散らす春風のようで
ちょっとニヤニヤしてしまった
ほんとにほんとに大好きな曲って
何かどこかシンクロするのかもしれない
・・・
その歌のお姉さんはメッチャ歌が上手で
聴き惚れてしまいました
アルバム欲しいくらいです(*´ω`)
元歌のマチャアキのバンジョー効いてるバージョンも
最高に好きです
モチロン、アニメーションも!
日本海で生まれた北風がどんな旅をして
雪の羽田空港にたどり着くのか・・・
風の行方は誰も知らないけれど
風の生まれる場所のことを想うのは
懐かしいものなのダ・・・
そういえば昨日は
季節のエアポケットのような
なごみーず@岐阜多治見!
だったのだな・・・
賑やかなイベントが終わって
どんなShoyanだったのかな
去年のレコーディングの際の
「乾燥して声が枯れて悩んだ」
なんて、今年はどうですか?って
キニナルヨ
・・・
で、関係ないですが
ワタシはやっと久しぶりに
千曲川の源流に行ってきました
何をしに?というわけではないのだけど
今日もまたかくてありなむ・・です
今年一度も行けなくて寂しかった・・・
もうこんなに美しい流れなのに
海が遠すぎて
海まで行けずに溢れた水を想います・・・


車で入れる道なのに、山からの大水で路面がえぐれて
沢に向かって崩れて切れ込んでいた
歩くことすら困難なので引き返してきた
美しくて畏ろしい自然はやはり
"そのままでらしくある"ということの
本当の姿を教えてくれるのです
来年は釣りに来られればいいのだけれど・・・
季節のエアポケットのような
なごみーず@岐阜多治見!
だったのだな・・・
賑やかなイベントが終わって
どんなShoyanだったのかな
去年のレコーディングの際の
「乾燥して声が枯れて悩んだ」
なんて、今年はどうですか?って
キニナルヨ
・・・
で、関係ないですが
ワタシはやっと久しぶりに
千曲川の源流に行ってきました
何をしに?というわけではないのだけど
今日もまたかくてありなむ・・です
今年一度も行けなくて寂しかった・・・
もうこんなに美しい流れなのに
海が遠すぎて
海まで行けずに溢れた水を想います・・・
車で入れる道なのに、山からの大水で路面がえぐれて
沢に向かって崩れて切れ込んでいた
歩くことすら困難なので引き返してきた
美しくて畏ろしい自然はやはり
"そのままでらしくある"ということの
本当の姿を教えてくれるのです
来年は釣りに来られればいいのだけれど・・・
・・・
何か書こうとは思うのだけど
台風19号以降、気持ちが重くて
思うように動きませぬ
台風19号以降、気持ちが重くて
思うように動きませぬ
私が今住んでいるところは
普段の台風と同じくらい・または
いつもより静かに過ぎていったので
大した被害はなかったのだけど
普段の台風と同じくらい・または
いつもより静かに過ぎていったので
大した被害はなかったのだけど
けれど、県外に出る道は土砂崩落で寸断
高速道も同じく一週間通行止め
電車の線路も土砂崩落で
やはり一週間近く不通
同じ県内でも土砂崩れや橋の崩落があって
山に入ればもちろん
登山道は土砂流出と倒木で壊滅的だ
高速道も同じく一週間通行止め
電車の線路も土砂崩落で
やはり一週間近く不通
同じ県内でも土砂崩れや橋の崩落があって
山に入ればもちろん
登山道は土砂流出と倒木で壊滅的だ
・・・
今回各所で溢れた川たちは
みんな私の大好きな川だったので
静かにショックが大きいのです
みんな私の大好きな川だったので
静かにショックが大きいのです
幼稚園の頃は、福島市内の阿武隈川の
すぐそばに住んでいました
庭から出て、裏の道を行くと土手があり
その土手に登ればサイクリング道路があって
広い阿武隈川があった
よく散歩した、懐かしく愛おしい風景
すぐそばに住んでいました
庭から出て、裏の道を行くと土手があり
その土手に登ればサイクリング道路があって
広い阿武隈川があった
よく散歩した、懐かしく愛おしい風景
私の幼い日の、物心ついて知った初めての川が
阿武隈川でした
阿武隈川でした
狩野川は父がよく鮎釣りに行った川だ
「狩野川のアユは他の川のアユと香りが違う」
父がそういっていました
本当に味も香りも豊かで清廉とした鮎だった
バックグラウンドの山や森が素晴らしいのだなと
幼いころから実感させてくれた川でした
伊豆の国市のあたりの平坦な風景も
のんびりしていて好きだった
心休まる優しい川だと思ったけれど
狩野川台風の被害など
厳しい過去もあったんだね・・・
本当に味も香りも豊かで清廉とした鮎だった
バックグラウンドの山や森が素晴らしいのだなと
幼いころから実感させてくれた川でした
伊豆の国市のあたりの平坦な風景も
のんびりしていて好きだった
心休まる優しい川だと思ったけれど
狩野川台風の被害など
厳しい過去もあったんだね・・・
伊勢湾台風の時の富士川などもそうだけど
自然は「今」だけを見て判断してはいけない
自然は必ず変わるもので
「恒常的」ということがない
私はそう思う
自然は「今」だけを見て判断してはいけない
自然は必ず変わるもので
「恒常的」ということがない
私はそう思う
津波を防ぐために防潮堤を作ったら
今度は逆に山からの水が海に出ないで家を沈めた
今度は逆に山からの水が海に出ないで家を沈めた
人がすることだけに「無限の可能性」があるわけではない
世の中のことすべてみな「無限の可能性」がある
だから、備えても対策しても闘っても逃げても
それ以上のことが起こる・・・
世の中のことすべてみな「無限の可能性」がある
だから、備えても対策しても闘っても逃げても
それ以上のことが起こる・・・
島崎藤村や戦国時代が好きな私には
千曲川は十代の頃から特別な川で
小諸上田善光寺平~数年前は信濃川まで
何度か訪ねた
その後、某フライフィッシング的に
特別な場所になり
そして今は・・・
千曲川は十代の頃から特別な川で
小諸上田善光寺平~数年前は信濃川まで
何度か訪ねた
その後、某フライフィッシング的に
特別な場所になり
そして今は・・・
近頃は林道歩きが趣味になって
鉱物や植物の観察などで
源流部を訪れることが多くなり
(冒頭写真参照)
去年は道が通れる間は何度か通った
鉱物や植物の観察などで
源流部を訪れることが多くなり
(冒頭写真参照)
去年は道が通れる間は何度か通った
もちろん、夏の正やんの軽井沢のライブに行くために
ここのところ夏は毎年千曲川沿いに下って
車を走らせていたので
本当に近しい川になっていた
ここのところ夏は毎年千曲川沿いに下って
車を走らせていたので
本当に近しい川になっていた
・・・
どの川も
人の生活に根差している
でも人の生活にコントロールされている訳ではない
人の生活に根差している
でも人の生活にコントロールされている訳ではない
都市部の荒川や鶴見川が氾濫しなかったのは
莫大なお金をかけて遊水施設や放水路を整備して
水の流れを征服しているから・・・
とニュースで解説していたけど
順番が途中でタイムアップになっただけで
きっといつか水は溢れる
莫大なお金をかけて遊水施設や放水路を整備して
水の流れを征服しているから・・・
とニュースで解説していたけど
順番が途中でタイムアップになっただけで
きっといつか水は溢れる
状況は常に変化する・・・
そう、川は教えてくれるんだ
~自然は怖いもの
それでいいのだと思う
そう、川は教えてくれるんだ
~自然は怖いもの
それでいいのだと思う
だからつい、どうしても、沈黙してしまう
でも、知恵と無力って背中合わせじゃなくて
肩を並べるものだよね
・・・
でも、知恵と無力って背中合わせじゃなくて
肩を並べるものだよね
・・・
今回の様々な哀しい出来事の被害に遭った人が
どうか、少しづつでも元の暮らしに戻れるように
いつも祈っていたいと思う
そして自分は自分のできることを精一杯しようと思う
どうか、少しづつでも元の暮らしに戻れるように
いつも祈っていたいと思う
そして自分は自分のできることを精一杯しようと思う
なんだかうまく書けないけれど
季節や時代の変わるこの今思うことを
ここに残しておこうと思う
季節や時代の変わるこの今思うことを
ここに残しておこうと思う
できるならまた秋晴れの中静かな森を歩きたい
穏やかに明日がくればいいなと思います
穏やかに明日がくればいいなと思います
※次の曲について書く前に
ちょっと数年前のものをば・・・
・・・・・
よく、お香(香木)を嗜む時に
「香を聞く」
というよね
というよね
香りを聞くことが出来るなら
逆に"音の香り"みたいなものがあっても
いいのじゃないかしら・・・とか
考えたりして・・・
逆に"音の香り"みたいなものがあっても
いいのじゃないかしら・・・とか
考えたりして・・・
今までよく
Shoyanのギターの音色や声に
光りや彩りを視る事はあったけれど
最近なんだかその音たちが"香る"気がするんだ
Shoyanのギターの音色や声に
光りや彩りを視る事はあったけれど
最近なんだかその音たちが"香る"気がするんだ
観たものは記憶の中で二次元的に甦るだけだけど
聴いたことはフト、何かの拍子に漂うことがある
音感や音楽知識の乏しい私でも
音程は取れていなくても
ぶり返しかたがフレグランスのように
脳の奥でなのか・・・胸の中でなのか・・・
そんなところで、今聴こえない音が香るときがある
聴いたことはフト、何かの拍子に漂うことがある
音感や音楽知識の乏しい私でも
音程は取れていなくても
ぶり返しかたがフレグランスのように
脳の奥でなのか・・・胸の中でなのか・・・
そんなところで、今聴こえない音が香るときがある
香りを
"トップ・ノート、ミドルノート、ラストノート"と
"ノート~note"で表現するのは
そういうことなのかと思う
"トップ・ノート、ミドルノート、ラストノート"と
"ノート~note"で表現するのは
そういうことなのかと思う
ここまで書いて
あ、Shoyanは
「時はジャスミンの様にほのかに漂う」
って、すでに教えてくれていたって想い直して
時が薫るっていうのもスゴイなって
改めて感激している
あ、Shoyanは
「時はジャスミンの様にほのかに漂う」
って、すでに教えてくれていたって想い直して
時が薫るっていうのもスゴイなって
改めて感激している
時間も音も目に見えない分
感じる器官は近いものなのかもしれない
感じる器官は近いものなのかもしれない
・・・・・・
以前、"BEIGE~ベージュ"というタイトルの香りを
嗅ぐ機会があったのだけど
最初は落ち着いていて大人しく爽やかな・・・
鏡のような湖を見下ろす
山のホテルの庭の花時計みたいな香りで(謎)
嗅ぐ機会があったのだけど
最初は落ち着いていて大人しく爽やかな・・・
鏡のような湖を見下ろす
山のホテルの庭の花時計みたいな香りで(謎)
時間が経つと少し素肌に甘く残って
本心が見えるような
なんとも想い出をくすぐる香りだった・・・
本心が見えるような
なんとも想い出をくすぐる香りだった・・・
香水に色の名前が付いているのも面白いんだ♪
ん~・・・
Shoyanの歌の源氏香図は・・・
たぶんタブ譜だね!(´∀`)
たぶんタブ譜だね!(´∀`)
つづく
先行予約で申し込んでおいた
"立川りぼーん"のチケットを発券してきた
涙のヒトケタ番台GET!
( ;∀;)久しぶり!
端っこだけど、肉眼で正やんの胸元の☆見えるかな♪
もうここのところマジでずっと20番台とか
壁際に寝返りうって背中で聴いているレベルの席だったので
ホントに嬉しいな・・・
って、それはもう来年の話なんですね
今年ほど矢の如く時が流れた一年はない
Re-bornが出てから時は同じところをグルグル@@@して
個人的な身の回りでも慌ただしく変化があり
ほぼ一年経ってもキット
Re-bornの興奮は収まっていないだろうな
さて、その前にかつしかです
当日は皇居で嵐の祝賀ステージがあったりするので
東京駅近辺は狂乱かもです
うまく迂回して行かなくちゃ・・・
楽しみだな♪秋のTOKYO(*´▽`*)
"立川りぼーん"のチケットを発券してきた
涙のヒトケタ番台GET!
( ;∀;)久しぶり!
端っこだけど、肉眼で正やんの胸元の☆見えるかな♪
もうここのところマジでずっと20番台とか
壁際に寝返りうって背中で聴いているレベルの席だったので
ホントに嬉しいな・・・
って、それはもう来年の話なんですね
今年ほど矢の如く時が流れた一年はない
Re-bornが出てから時は同じところをグルグル@@@して
個人的な身の回りでも慌ただしく変化があり
ほぼ一年経ってもキット
Re-bornの興奮は収まっていないだろうな
さて、その前にかつしかです
当日は皇居で嵐の祝賀ステージがあったりするので
東京駅近辺は狂乱かもです
うまく迂回して行かなくちゃ・・・
楽しみだな♪秋のTOKYO(*´▽`*)
"地平線の見える街"って、どこのことだろう。
"地平線の見えるところ"とは、単なる場所ではない気がする。
・・・・・
とても印象的なイントロ。
12弦ギター?それがとても軽やかで、男同士の・友同士の別れの場面を明るく透かして見せてくれる。別れではなく、旅立ちなのだ・と。
12弦ギター?それがとても軽やかで、男同士の・友同士の別れの場面を明るく透かして見せてくれる。別れではなく、旅立ちなのだ・と。
この歌の「カリフォルニアの歌」ってどんな歌なのだろう?西海岸系、昔の歌・洋楽に詳しくないので雰囲気しか推し量れないけど、こういう歌が流れてくる男の部屋なんてイイジャナイ。
"男の気まぐれ"で旅に出るシリーズ。やはりあとに残るほうは切ないね。
でもちゃんとお別れの挨拶が出来て、それがいつかまた未来に繋がる気がする。
でもちゃんとお別れの挨拶が出来て、それがいつかまた未来に繋がる気がする。
きっとこの見送る彼は地元の人で、生まれた場所から出たことのない、長男か跡取りみたいな真面目な人なんだろうと思う。そして旅立っていく彼もまた自由人でありながら、誠実で情に篤い男なのだろうと思う。
「酒と涙の味が同じだった」
「あの頃はとても よかったね」
「あの頃はとても よかったね」
って、「あの頃」と言うほど以前からここに居たのだろうか・・・
「いつもの気まぐれ」と言うほど旅慣れているようで、でもそれほどこの街は居心地が良かったのかもしれない。
「いつもの気まぐれ」と言うほど旅慣れているようで、でもそれほどこの街は居心地が良かったのかもしれない。
・・・恋もしたのかな・・・?
まるで、古い時代の中国シルクロードの関所や出城で西の方に旅立つ友を送る一編の漢詩のようで、こういう別れの場面に私は非常にグッと来てしまう。
勧君更盡一杯酒
西出陽關無故人
西出陽關無故人
君に勧む 更につくせ 一杯の酒
西の方 陽関を出れば 故人なからん
西の方 陽関を出れば 故人なからん
みたいな・・・
同じアルバムの『君と歩いた青春』とは逆の、"君が男だった"から訪れた素敵な関係。いつ聴いても憧れる。
車好きのようだけど汽車で旅立つ彼は、きっと乗りたい車は外車かなにかで、旅をしながら貯金中なのかな(´∀`)。次に再会する時はこの街にその大きな車で寄るのかな。隣に誰かを乗せて・・・♪
・・・・・
"地平線の見えるところ"というのは、どこか決まった場所のことではなくて、きっと、リミッターのない自由な心のことではないだろか。
制約と、しがらみの多いこの国で・・・遮るものがない清清しい果てしなさ。そんな景色を胸に展開できる人が棲む街が、"地平線の見える街"。
制約と、しがらみの多いこの国で・・・遮るものがない清清しい果てしなさ。そんな景色を胸に展開できる人が棲む街が、"地平線の見える街"。
イメージでは地平線が見えるほど広いところって「町」なのではないだろうかと思うのだけど、(ラスベガスとかなら街でもアリだろうか・・・行ったことないけど^^;)この歌はすべて「街」だ。この歌を作った頃からShoyanは「町」と「街」を意識されていただろうか・・・?『遠い街』『アビーロードの街』からKAZEの曲では引用はほとんど「街」だ。(なぜか『ほおづえをつく女』は「町」)この頃は「街」という字が気に入っていたのかナ。
目の前に居るのに「あいつ」と呼ぶのも面白く、でもそれがこの照れ臭さを感じさせてイインだ。以前も書いたけど、この男同士の別れは男女のラブソングよりもある意味キュンとして、Shoyanの情愛の豊かさを想わせてくれる一編だ。
・・・・・
聴けば聴くほど好きになる曲。
聴くほうは残るほうか、旅立つほうか。
どちらに寄り添っても気持ちの良い切なさを味わえる
素敵な歌だと想う。
聴くほうは残るほうか、旅立つほうか。
どちらに寄り添っても気持ちの良い切なさを味わえる
素敵な歌だと想う。
KAZEのイメージにぴったりで大好きな一曲だ。
さわやかで それでいてセツナイの♪
2011年10月02日 記
で、Shoyanであります。
一曲目の『コートに花束を隠して』も『夜のFM』も、イキナリ千春氏モデルのエレガットを抱えて歌い始めてメチャ素敵だった。非常にテンションが上がった。「完全囁き重低音ヴォーカルが情熱的でイイゾ」なんてメモに書いてある。
♪沖ゆくぅ~船の灯り・・・
なんて、とがらせた口元が(私の大好きな)正やんらしい表情で、堪らなくSexyであった・・・(*´ω`)。
3曲目に突然『緑の季節』が始まって、おおお!!っと内心ガッツポーズが出た。これは嬉しい~、Shoyanの歌で聴きたかった~、と喜んだのだが、、、、前日の飲み会の余波なのか!?この歌の時のShoyanの声はある一定以上の高さが全く出ずに、ちょっと残念なパフォーマンスであったように思う。これは本当にもったいなかったと思う。
いつも、ほぼほぼ毎回、ソロライブなどでは5曲くらい歌う頃から本調子になるというか(汗)、こんなことシロウトが言及することではないのかもですが、Shoyanのヴォーカルはエンジンがかかるのがちょっと遅い傾向があるように思う。(リハーサルとかどうなってんのかなとかそんなむつかしいことはわたしにはわからないのでムニャムニャムニャ・・・汗)
なので、この『緑の季節』はもっと後に持ってきて欲しかったと心底思った。この歌はカバーしてみるとわかるが、結構ムツカシイというか、音程の上下幅があって、山本潤子さんだから歌いこなせた曲なのかなと思う。歌の制作者である正やんご本人でも5カポそのままで歌うのなら万全で臨んで欲しかった。軽井沢の大賀ホールにぴったりの、素敵な歌だっただけに。
でも、Shoyanの気持ちの込め様が痛いほどわかったので、本当に涙が出た。べるがのことも少し想い出した。正やんご自身が歌うってすごく意義深いことだと思って、パフォーマンス云々よりも、今ここで歌ってくれたことが嬉しかった。
※出来たらいつか、リベンジして下さいネ>Shoyan♪
で、前述の『置手紙』に続くのだけど、このあたりで私のテンションは迷走していました。次の『NEVER』は私個人的にも想い入れがある曲なので、去年に引き続きで歌ってくれて嬉しいなと思ったけど、やはりバンドの演奏がちょっと微妙でノリきれていなかった。だがしかし、後半2コーラス目が始まると正やんが歌い方を変えてリーディングっぽく諭すような口調で歌い始めた!これがすごく良かった!
少し微笑みながら・はにかみながら・しみじみとして、この切ない夕暮れ色の恋の歌を嚙みしめるように歌ってくれた。大賀ホールくらいの規模の会場で、こういった歌い方をするのはとてもいいと想う。これからは"ヴォイシスト"な正やんの魅力が発揮されるステージになっていくといいのに・と思いながら聴いていた。
ハミングの♪Fnn~君はどこにいるの~?で正やんのハナ息のスゴさに圧倒されて、テンションがまたグッと増してきた私でした。(*´ω`)鼻息萌え。
次の『ほんの短い夏』で「やっと高音も調子出てきた」なんて書いてある。やはりこの辺りからなのだなと思うのです。この歌もまだ早いのでは?と思ったけど、『NEVER』と繋がっていて自然に思えてヨカッタ。懐かしい夏を想い出しながら聴いていました。涙。
・・・
このあと『夏純情』『冬の恋』『さよなら以外に』『22才の別れ』と続き、『堤防のある町』では本来ブルースハープの間奏をShoyanご本人のD45で弾いてくれてこれもメチャ感激した。『堤防のある町』はやはり正やんご本人のギターが出てきてくれなくちゃ!と思うのだ。大事なことなのだ。故郷の音なのだ。
『さよなら以外に』は今回はとても良く正やんの声が聴こえて、じっくりと丁寧に、その胸元に抱かれながら読み聞かせをしてもらっているようで、非常に心地良かった。やっぱり涙が出ます(泣)。新しい歌は今の正やんに自然に寄り添えるのだなって、とても安心しながら聴いていました。
そして大好きなシリーズが続いて『汐風』の頃になると、本当に正やんの声の伸びもよく、切なく歌い上げる汐風が今年もホールの中に吹き寄せてきた。髪の毛が汐でペタつくかと思うくらいに、Shoyanの中の海が寄せてた・・・もう何十年この海に慰められてきたのだろうと想い起すと切なくて暖かくて、本当にまたもや涙が出た。マイクを握りしめて歌い上げる今も一生懸命な正やんは、Half Shootの頃のマリンルックな正やんそのままで、また今日も同じようにここにいてくれる・って、深く感じながら聴いていた2019年の『汐風』でした。
※当日のマリンボーダーのTシャツ、めちゃ可愛かったですね(*´▽`*)。
ぞうのエルマー&ホエールズ♪
ぞうのエルマー&ホエールズ♪
そして花火と山下清画伯の話を少しして『それは遠い夏』。これはとても良いプレイ&ボーカルでこの日のスペシャルだったように思う。なんとなく、自分もこの夏に思うことがあったので、ナイスタイミングで嬉しかった。やっぱり素敵なメロディ♪
続いての『涙憶』はなんとなく久しぶりな感じがしてじっくり聴いた。やっと濃いめのギターソロが聴けるかな・と思いつつ、でも120%じゃない100%な感じ?なんてちょっと頭がぼーっとしてきていた。座席からはShoyanが遠くて、最近は全然手元が見えないのです。
『イノセント・ノベル』では前述したようにShoyanの声が聴こえずに悶々とする。私の席が平坦なCエリアの後ろの端の壁際だったので、音のバランスが悪かったのかもしれないけど、東京りぼーんのLIVEでもそう思うことが多々あったので、もうそろそろ正やんのヴォーカルと他の楽器の音との兼ね合い・バランスのことをもう一度根本的に構築検討し直してほしいと切に願うのであった。
もう大賀ホールくらいの会場を基本にして、抜けの良い、Shoyanの声が白い平皿に映えるメインディッシュ的な作りにして欲しい。大鉢に肉ジャガみたいな勢いだけのステージや、大きすぎるホールは少し違和感が出てきたなって思うのだ。これは素直な感想なのだ。だって、Shoyanがここまでせっかく作り込んできた"ささやきなこの人生"的な甘いささやきボーカルや、パイ生地のようなサックリヴォイスがちゃんと聴こえないのではもったいないではないか。そう思うのであります。
会場は大盛り上がり(のように見えた)なので、もう、Shoyanと同じ時間のラインにいる同世代の聴き手は「それでいいじゃないか」って気持ちなのかな。Shoyanご自身もいつも同じメンツに同じ拍手同じ声援をもらえれば「それでいいじゃないか」ってスタンスに落ち着かれたのかな?そこをマイノリティな私は第三者的につい眺めてしまう。それが最近の「想いをくりかえして私は貝になった」な感じなのです。ただ、星のようにおとなしく見つめてるのは性に合わないので、こうしてついグダグダ書いてしまうのでありました(汗。
そして『レミングの街』『moonlight』のストロークの手の振り上げが、かぐや姫の頃から全く変わっていない正やん。キッチリと上から下まで振り切る美しいストロークは、音の全部を自分のものにしようとするShoyanの静かな情熱なのだ。そういうところが全然変わらないから、私はやはり今の正やんの音楽のすべてをちゃんとステージでも感じたいと思う。
「こんな感じ?」「これでいい」「いつもサイコー!」・・・私はきっとずっとそんな風に思うことはない。貪欲すぎるままでずっとその時その時の正やんに「今」を求めていきたい。今年はRe-bornという凄まじいアルバムがカタチになって産まれ出たので、ナマモノのライブも少し様子を変えて変化していってもいいのじゃないかと思う。
このあと『なごり雪』で終わり、アンコールには『ささやかなこの人生』や『地平線の見える街』『海風』『君と歩いた青春』などがあったように思う。もう席を立ち上がってメモをとっていないのでよく覚えていませんデス(^^*)。
アンコールが終わって客電もついてアナウンスまで放送しはじめたけど拍手は鳴りやまず、客席のみんなは待っていた。時間を置いて、それでもやっぱり正やんが一人で再度ステージに出てきてくれた。挨拶だけだったけど、やっぱりステージと客席のココロは通じてるなって嬉しいひとときだった。
ステージの途中で開演時間のことをみんなに聴いていたけど、Shoyan来年もこの軽井沢大賀ホールのライブやってくれるかな?
私はモチロン待っている。こんなに自然な気持ちで音に溶け込めるライブは他にあまりない。伊勢正三のキャラクターに一番近い、本当に素敵なフィット感のあるコンサートがこれからも続いて欲しいと思うこの夏の終わりでした。
私はモチロン待っている。こんなに自然な気持ちで音に溶け込めるライブは他にあまりない。伊勢正三のキャラクターに一番近い、本当に素敵なフィット感のあるコンサートがこれからも続いて欲しいと思うこの夏の終わりでした。
・・・・・
今回、ライブ前に急に家族の病状のことなどで自分の気持ちも定まらず、一人だけの参加になってしまったので上手に聴くことはできなかったかもしれません。そしてこの今書いている文章も非常に勝手で思いつくままに記してしまったので、おかしなこと・乱暴な表現があるかと思います。
前述の1の感想に引き続き、勝手言いたい放題を載せてしまいました。訂正やご意見、不適切だと思うところなどありましたらご一報ください。歴史の浅いイチファンのわがままでありますことご理解いただけましたら幸いです。
七氏 ~2019年の終わって欲しくない夏の終わりに
で、その『置手紙』ですが・・・
この2~3年の軽井沢のライブや他のライブで感じていた"演奏の粗さ"を、どうしてもクチに出してしまいそうなほど今年は如実だったような気がするのです。
いつもは、私のスタンスとしては"イイコト"を大きく膨らませて♪、気になったことはサラリと・・を心掛けているのだけど(本当?(笑))、今回はグダグダ書きます(^^;)まじグダです。
・・・
ライブで演奏される曲はどれもいつも大切で大好きだけれど、先述したようにセルフカバーアルバムで再録音された音源が良かったと思うがゆえに『置手紙』への思い入れは結構濃い。なので最近の『置手紙』の演奏の粗さには特に違和感を覚えるのであります。私は年に数度しかコンサートに行けないので、詳しく聴けているわけでもないし、音楽のこともまったくの素人だ。だけど、客席から感じる違和感だけは大切にしたいし、それをクチに出すのはファンにしかできないことだと思っている。
で、まず、正やんご自身の歌や声やギターのことは置いておいて(*´ω`)
・・・オイテオクノヨ。※その2で語ります。
・・・オイテオクノヨ。※その2で語ります。
・・・
ともかくも、バンドとしてのまとまりが、最近は聴く度に緩んでガタついているように聴こえてしょうがない。それは、テンポのばらつき、息が合っていない、音が大きすぎる、互いの音をちゃんと聴いているのか?という、なんかもう「こんなこと言っていいのか」レベルの基本的なことなのだ。(東京りぼーんでも実は薄々思っていたことです)
『置手紙』はそのシャッフル感がとても大事だろうに、キーボードもギターもパーカッションも、相手の足を踏んでるダンスみたいに全然まとまりがなかった。前奏もなんだかおざなりで、Shoyanの優しい低い声は大きな楽器の音に埋もれて聴こえず、ラストのトレモロなんて正やんが弾き始めてもサイドギターがマンドリンをかぶせてきたので正やんは途中で弾くのをやめちゃった(ように見えた)。とても残念な終わり方だった。
それは『置手紙』だけではないのだ。
それは『置手紙』だけではないのだ。
キーボード&シンセも最近はよくコードを間違えるし、『さよなら以外に』でもオリジナルのイントロのような間を読んだキッチリさがないように聴こえたし、『NEVER』の大切なピアノのフレーズをシンセストリングスで弾いたり、丁寧さに欠けているのでは?と思うことがある。(そもそもシンセストリングスの音は、多用しすぎると今の正やんの優しいヴォーカルに被ってしまい、聴こえづらい時が今までに何度もあった)
『夏純情』もテンポが速すぎたように思うし、『イノセント・ノベル』もやはりShoyanが歌う声は埋もれて全然聴こえなかった。だからCD音源のボーカルを脳内再生して聴いていたような感じだ(悲)。
各曲の大事なリードギターの部分も大半はShoyanご自身は弾かず・・・そもそも、最近はアコギの音もお疲れ気味に聴こえる。本来ののびのびした音が聴こえず、艶も薄くボディ感が希薄だ。去年あたりから特にそう感じるのだ。だから、Shoyanが弾いてくれるリードの昇天感を最近感じることが薄くて、欲求不満でさみしい。
それはShoyanのテクニックが疲れているのではなく、楽器の鳴りが・ということなのだけど、メンテナンスや楽器の構造についてはシロウトの私の感じ方なので、実際どうなのかはわからない。ただ、数年前の夢見るような音が出ていない気がするのだ。アコギが生きる軽井沢でアコギに不満を感じるとなると、これはどうなのかな・・・って。
同じメンバーで録音されたRe-bornの音源や、ギターのフレーズがあまりに素晴らしくて色っぽくて最高なので、それをライブに期待しちゃうからこうなってしまうのだけど、このギャップはなんなんだ?って戸惑うわけです。
(東京りぼーんでエレキを一回も弾いてくれなかったことも、チョットカナリ不満デス)
素人がこんなこと言うのは本当に恐縮で、おこがましいのはわかっているけど、いつか一度書かなくちゃと思っていたことなので、この軽井沢を機に書いてみた。
読んで不快になる方もいるかと思います。申し訳ないですが、個人の勝手な意見と思ってご理解いただけたらと思います(恐縮)。
読んで不快になる方もいるかと思います。申し訳ないですが、個人の勝手な意見と思ってご理解いただけたらと思います(恐縮)。
もちろん、Shoyanご自身の年齢的なもの・スタンスの変化などもおありかもしれない、だけど「違和感」がある時は私は素直にクチに出してみたいのです。
・・・
で、で、次は正やんご本人のPlayに関して少し書けたらと思う。
ドキドキ)))(*´Д`)
ドキドキ)))(*´Д`)
その2に続く
※ナゼか記述上、「正やん」と「Shoyan」が混在していますが、、、、
意味はないです。気分です(笑)
意味はないです。気分です(笑)
プロフィール
HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
このブログサーバーが落ちて表示されない場合は↑に避難しています。
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