Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。
Shoyanの歌を聴く上で"東京"ははずせない。私がShoyanの歌を好きな理由のひとつでもある。
そもそも『なごり雪』からして座標軸の片一本は"東京"だ。『東京1975』の「あの頃」っていつのことだろう? 1970年頃のことかな・・・
この歌を知ったのはすでに1985年頃。オリジナルのLPレコードを買う余裕もなく、物心付いた頃にはレコード店の店頭にはもうレコードそのものが無くなっていた。ちょうどレコード盤からCDに移行する頃で、今と違って少し前の作品はもうすでに廃盤扱いで店頭に無かったように思う。
だから長いことギター譜の歌本の歌詞だけだった。どんな歌だろう?とずっと想像してた。とても伊勢正三作らしい良い歌だなって想っていた。
でも90年代に入ってやっと耳に出来たクボヤンのメロディーは、、、私の勝手な想像とはだいぶ違って、しかも途中、ノッキングのような難しい節回しとテンポがあって(それをクボヤンテンポという?(笑))最初に聴いた時はしっくりせずに、想像していたイメージと遠かった。
だけど、何十年も経って聴くと、今はなんだかホッとできる不思議な感じがする。若い頃より今のほうがクボヤンのメロディーを好ましく思っている自分がいる。そして、ベースラインのお洒落さとか、肩の力の抜けた演奏とアレンジが実はもうすでにファーストアルバムからして"フォーク"じゃなかったんじゃないか・とか、面白さも見つけてみる。
・・・
きっと、今勝手に想像するに、この詞はShoyanご自身の中でずっと後を引いて、無意識に熟成され、確信を経て『冬京』で"成人"したのではないだろうか。
そしてその後、更にその"冬京"をも通り過ぎて"都会・街"の正体の探求という大きな括りへと移行していったのではないだろうか・・・
ShoyanとTOKYOの対峙は単なる距離を表現することではなくて、さみしさと人恋しさの容れ物を吟味する作業なのでは?と思う。
・・・
西岸良平の漫画『三丁目の夕日』に出てくる地方出身の自動車整備工の六さんは、コーヒーの飲み方を知らなかった。背伸びして喫茶店に行っても同席の水商売のお姐さんに教えてもらうまで、ミルクを入れることも知らなかったように思う(単行本を失くしたのでうろ覚えである)。その漫画の舞台は昭和30年代だけど、1970年代半ばはそろそろ次の小洒落たモードに移行するまでの、最後の純朴が残っていた時代だったかなと思う。
慣れたふりして飲むコーヒー
合挽きのコーヒー
そして二杯目のコーヒー
コーヒーポットの湯気・・・
合挽きのコーヒー
そして二杯目のコーヒー
コーヒーポットの湯気・・・
コーヒーでさえこんなささやかなステイタスだったあの頃、確かに大きくて、淋しくて、愉快な場所だけど、まだ東京に血が通っていた頃1975年・・・
♪…誰にでもあるけれど
淋しがり屋な僕です
淋しがり屋な僕です
意外と、Shoyanご本人も本当に"さびしがりや"なのだと思う。親の愛いっぱいで育ったって、豊かな暮らしをしていたって、誰でも子供の頃はどこかさびしい。
そして苦しい若き日・・・
そして苦しい若き日・・・
その感覚を街や季節、海や恋人の存在と反応させて"せつなさ"に変換していく。そんなことが出来るShoyanの詩作はKAZEの頃に沢山種蒔きされていたように思う。
雨や、街や、独り、あの頃、淋しがり屋なぼく・・・ここからいくつもの歌が生まれてきたと思う。
クボヤンが曲をつけて歌っているから、普段はShoyanの歌だとの認識は薄いかもしれない。でも、ホントはとてもShoyanらしい大切な歌だと思っている。
"東京"はみな憧れるシンボルだけど、でも誰のものでもない不思議な街だ。その謎解きをShoyanが歌にしてくれるのをまだこれからも待っている
・・・
※我が家の家人は
「"東京が肩をたたく"なんてフレーズは
やっぱりShoyanにしか書けないなぁ」
やっぱりShoyanにしか書けないなぁ」
と言っていた。
ホント、私もそう想います(敬)
ホント、私もそう想います(敬)
※2011年ころ書いたものに加筆
今日のラジオ、短い時間だったけど、Shoyan元気そうで楽しそうだった♪
季節柄、タイムリーに釣りの話が出て、やっぱりちょっと遠ざかっていたのかなと、自分の感じ方そんなに外れてなかったナと、でもそれが今のShoyanのナチュラルなのだと思えば、非常に納得なのであった。
とある郊外の実家を処分して、私の近くに越してきた父母は70代の今も渓流に・アユ釣りに出かける。じいさんばあさんが竿を出している姿、ある意味凄いのですが(;´∀`)。
膝が痛くても、腰が痛くても、どこか具合が悪くても、釣りに行きたい!川に行きたい!!!というキモチは本当は止められず、キット無理をしても出かけてしまうものなんです。
デモ、今現在のShoyanが"リハビリ"中とおっしゃっていたのは、視点の角度を変えるとキット、やはりリアルのクリークよりも、某所の"源流"への探訪に忙しい・ということなのだろうな、と勝手に解釈している。それは去年、Re-bornを聴いていて真っ先に思ったことだった。今のShoyan、フィールドよりも"feel"にシフトしてるのかなって・・・。
ただ、私は自然というものの真実が好きなので、"都会=恋のあぜ道"な、Shoyanのその多角度的な現在の歌創りにこれからももっと自然を見出したいと思っている。源流の一滴からコンクリの暗渠まで・・・なんかそんな感じを今のShoyanの歌に感じたいって想った今日でした。
なんか、散漫に脱線してしまった(;´∀`)♪オヤスミナサイ
季節柄、タイムリーに釣りの話が出て、やっぱりちょっと遠ざかっていたのかなと、自分の感じ方そんなに外れてなかったナと、でもそれが今のShoyanのナチュラルなのだと思えば、非常に納得なのであった。
とある郊外の実家を処分して、私の近くに越してきた父母は70代の今も渓流に・アユ釣りに出かける。じいさんばあさんが竿を出している姿、ある意味凄いのですが(;´∀`)。
膝が痛くても、腰が痛くても、どこか具合が悪くても、釣りに行きたい!川に行きたい!!!というキモチは本当は止められず、キット無理をしても出かけてしまうものなんです。
デモ、今現在のShoyanが"リハビリ"中とおっしゃっていたのは、視点の角度を変えるとキット、やはりリアルのクリークよりも、某所の"源流"への探訪に忙しい・ということなのだろうな、と勝手に解釈している。それは去年、Re-bornを聴いていて真っ先に思ったことだった。今のShoyan、フィールドよりも"feel"にシフトしてるのかなって・・・。
ただ、私は自然というものの真実が好きなので、"都会=恋のあぜ道"な、Shoyanのその多角度的な現在の歌創りにこれからももっと自然を見出したいと思っている。源流の一滴からコンクリの暗渠まで・・・なんかそんな感じを今のShoyanの歌に感じたいって想った今日でした。
なんか、散漫に脱線してしまった(;´∀`)♪オヤスミナサイ
♪心の気がかりな結び目
ほどきたくない夜・・・
ほどいたらどうなっちゃうの?
終わってしまうの?
二人のことは無かったことになってしまうの?
終わってしまうの?
二人のことは無かったことになってしまうの?
♪二人があの日巡り逢うために
ほどき過ぎた心の糸絡みつかせて
ほどき過ぎた心の糸絡みつかせて
コノ場合の結び目は、縁結びの結び目でもあり、気がかりな固結びでもあるのかもしれない。そもそもこの糸、一本?二本?
彼と彼女の二本の糸なら、風のイタズラで結ばれたら、誰のせいでもない"自然"な出来事。歓迎すべきことだよね。でも、どうやら一本の"タイムライン"でもあるようだ。上手くスルリとほどけるような結び目なら、後腐れ?もなくていいのだけど、ほどくのが怖い=後戻り出来ないほどの結び目だったらどうしよう・・・
ときめく結び目と悲しい結び目、両方あるのかな?
しかしこの場合の風って冷たくて、イタズラで、結局この二人どうするのだろう?と、ここに明確な答えはない。ただ、野分の風が吹く~♪という感じで、ホントに風まかせ・・・。花びらが散ったあとの桜=昨夜の花火の燃え殻。材料は寂しいものばかりなのが気がかり。
せっかく巡り逢ったのに、それはただの「惑い」だったの?明日を想ってはいけないのだろうか。自分で結わいた結び目ならほどけるはず。だけど、知らぬ間に出来た糸の絡みは、ほどけたためしがない。川原でいくら格闘してもムリ・・・予備の仕掛けに付け替えるのみ(悲)。
(でも、突堤でリールならテンビンを外してみて♪)
山本潤子さんと二人で爽やかなデュエットだけど、ホントはちょっと寂しい歌だな。
キラキラのアルペジオが糸縒りみたいで、歌自体が美しい一本の組紐になっている。この頃はShoyanも潤子さんも軽やかだった。更にお歳を召した後にステージで聴いたら案外ドキっとするかもしれないと思っていたのだけど、、でも今は、もう叶わないのが寂しい・・・
・・・
手元にある潤子さんのソロアルバムを何枚か聴いてみる。当時は普通に思えていたこと、今になって凄く凄いなと思う。潤子さんの歌の"確かさ"が凄いんだ。音程も、身体(喉)の使い方も、声のオリジナルさ、今これに匹敵する実力のあるヴォーカリストっているのかな?みんなキンキンして、潤子さんのような練りの濃い声で歌える人、他にいないのじゃないかと思ったら、また寂しくなった。つい先日、懐かし歌番組で他の女性歌手があるユーミン曲を歌っているのを聴いてチョット(かなり?)不満に思った。ユーミンの難しいメロディを歌いこなせていたのは潤子さんだったからなんだって痛感した。それほど潤子さんのヴォーカルは神の御使いだったんだね。
Shoyanのギターの"確かさ"と丁度均衡のとれる技量のヴォーカリストだったのだと、あの頃のオシャレで素敵なステージ、本当に贅沢でした。
・・・
♪心のシャツのボタンどこまではずすのがいいのか
なんて、Shoyanにしか書けない~~~(>_<*)!
こんなに軽やかに激色っぽいことを歌うので、このお二人は曲者ナノダ☆
こんなに軽やかに激色っぽいことを歌うので、このお二人は曲者ナノダ☆
ある意味サバサバ系の山本潤子さんと、フニフニ系の伊勢正三(謎)というコンビは、一見あっさり関西風のお出汁?みたいに思えるけれど、実はその味わいはとても深くて、クセになる、旨味たっぷりの濃い音楽だったと今改めて思う。
この頃は外す方が先だった胸のボタン、今は独りなら・・・掛け違えてしまうもの。取れてしまったボタンを付け直すその糸さえ風に煽られて針の穴に通らない・・・最近はなんとなく、釣りをしているShoyanのお姿が遠いような気がしている。リールに待機中のそのラインを、Shoyanは今、違う岸辺に投げている。風の気まぐれというよりは、サクランボの軸をクチの中で結ぶような、そんな確信的な結び目を今のShoyanに感じている今日この頃♪
そういえばこの曲の頃はShoyan、必ずアンダーシャツを着ていて、鎖骨見せてくれませんでしたね。今は開いた胸元がスゴク素敵です。
『もしかして二人は』や『好き』『緑の季節』もちろん『青い夏』。この頃潤子さんが絡んだ提供(デュエット)曲はどれも珠玉のLOVESONGばかり♪
潤子さん効果でShoyanご自身のココロのコンディションも良かったのかな?当時はチョット妬けたりしたけれど?今想うと、とても素敵なことだった。
潤子さん効果でShoyanご自身のココロのコンディションも良かったのかな?当時はチョット妬けたりしたけれど?今想うと、とても素敵なことだった。
"ナチュラル"なお二人のステージ、今でも時々べるがの放送の録画を観たりして懐かしく想う。その邂逅は、今はほどけてしまったけれど、聴いた者の記憶の結び目というものは永遠にほどけないのだ。素敵な音楽を残してくれた山本潤子さんに感謝して、そしてこれからのShoyanにはまだまだ新たなキャストを求めていきたい。
このキモチ、もつれたって、絡んだってイイのだ!
今日は立春です。
私が一番やる気の出る日です(謎。
でも、ダラダラととりとめもないことをリハビリ投稿をしてみる。
※ライブリポではないです(;´∀`)
でも、ダラダラととりとめもないことをリハビリ投稿をしてみる。
※ライブリポではないです(;´∀`)
1/25、あまりにも”僕だめ”的なタイミングでサーバーが落ちて不安なまま、私たちは病み上がりのよぼよぼの体力で東京に向かったのでした。途中の高速道は路肩に雪があったり、山も真っ白で緊張感がありました。
それでも無事に会場に着き、コンサートが始まり元気なShoyanのお姿に興奮しながらメモを執っていると、なんと!途中で愛用のボールペンがインク切れを起こし、ホールの暗闇の中で愕然とする事案が発生。代わりになるもの何も持っていない!もう、あとから鉛筆でこすって判読しよう(笑)と強行的にペン先を動かすことになった。2ページくらいは鉄筆で書いたみたいに透明文字になっている。ただでさえ判読不能な字なのに、インクがないなんて!
曲の合間に隣の家人に言いましたら、赤いボールペンを持っていたので借りることができ安堵。赤い字で興奮しながらメモ書きを続けることが出来た。
立川RISURUホールは思ったよりもこじんまりとしたホールで、一桁台の席からすでに傾斜がついていてステージが見やすく、あんなにShoyanのお姿をしっかり見ることが出来たコンサートなんて何年ぶりだろうって涙が出た。ホントに、いつも端っこ壁際で音がボワボワとか、13列とか21列とかShoyanの表情もワカラナイ席ばかりだったので嬉しかった(涙。Shoyanの白いボトムから覗く”ナマくるぶし”が見えちゃった♪萌えるぅ~(*´∀`*)ワー
(でも普段はちゃんと長い靴下履いて足元冷やさないで下さいネShoyan☆)
(でも普段はちゃんと長い靴下履いて足元冷やさないで下さいネShoyan☆)
もう最前列や真ん中の席はガチファンのみなさんにお任せするとしても、たまには一桁台の席に座ってみたいと、珍しく思い直したコンサートだった。もう最近は老眼がひどいのでほどほどのキョリで良いけれど、Shoyanが笑ってる・目を閉じてる・それくらいがわかる席で観られれば最高です(願。
・・・
今回数えたらキッチリ22曲?!スゴイな~。36歳の友人が子供をご主人に預けて7年ぶりに参戦したのだが、彼女もShoyanのパワフルぶりに驚愕していました。そして少女のように頬を紅潮させておりました。去年の東京リボーンの規模は今回と300席くらい違うみたいなのですが、それ以上に、めちゃ濃いい白色矮星みたいなライブ空間になっていた。国際フォーラムの時は・・・なんとなく、”ファン”のキモチは今より「そっとしていた」ような気がする。ステージの上のShoyanご自身の愛がフワフワして華やか過ぎて・・・
で、ですね、よく考えたら国際フォーラムの東京リボーンの感想書いてない自分(^^;)。ナゼだろう、やはり、なんかちょっと遠いかったからかな。なんでだろう、今気が付いた・・・
立川のRe-bornライブ、私の人生の中でも記念になるような圧倒的な熱量のLIVEだった。全編夢中になっちゃって、メモはろくすっぽ執っていない☆やっぱり、一年くらい聴き込んでやっと始めるんだなRe-born!!!!
さて、ちょっと、その例の解読困難なメモを読み返してみます。
歌の通りにこれからむしろ寒くなるという陽気。街は今冷たいオーラに包まれ・・・と、2月はフト我に返るような季節。熱いステージを想い出して、体温上げて血流良くして頑張る!
つづく・・・
つづく・・・
今更ですが・・・
やっと左のメニューのところに検索窓を設置しました。(今までよくわからなかったんじゃよ(;´∀`))このブログの過去ログの中から単語や曲名など検索できます。スマホでご覧の方もTOPページに検索窓があるのでお使いになってみてください。
検索窓が必要なほど投稿が増えたってことだ。。よく書いてきたな自分。自画自賛(笑)。何故か急に再開しようと思い立った2018年3月!まさかShoyanが16年ぶりに新アルバム出すなんて夢にも思っていなかった・・・。
この調子でまたダラダラと続けられたらいいなと思います( ̄▽ ̄)。ホームページのhtmlなどをいじっての更新は多分無理かもですが、このブログぐらいはチマチマやっていたいと思います。
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この調子でまたダラダラと続けられたらいいなと思います( ̄▽ ̄)。ホームページのhtmlなどをいじっての更新は多分無理かもですが、このブログぐらいはチマチマやっていたいと思います。
ゆ、ゆ、ゆきっ!?(´θ`llll)
26日は電車で行こうか、車で行こうか、迷うところでしたが、体調的に外気にふれない方がいいのでは、と車で行くことにしました。行き帰りの運転も不安ですが、なんか、時節柄、不特定多数の人がいる空間も怖い(どんだけ臆病やねん自分(笑))ので。
がしかし!週間予報では雪とか言ってます(;´Д`)ヤバイ。スタッドレスタイヤには替えてあるけど、帰りの山道ヤバイ!通行止めなるかも!
ま、通行止めになったらもういいや、そのまま旅に出たるわっ
ステージの正やんに逢えて、その帰り道に雪が降っていたら最高です。さみしすぎて、哀しくって最高です(涙)。
楽しみな日曜日、少しでも元気になれるよう頑張るゾ(´▽`)ノ
26日は電車で行こうか、車で行こうか、迷うところでしたが、体調的に外気にふれない方がいいのでは、と車で行くことにしました。行き帰りの運転も不安ですが、なんか、時節柄、不特定多数の人がいる空間も怖い(どんだけ臆病やねん自分(笑))ので。
がしかし!週間予報では雪とか言ってます(;´Д`)ヤバイ。スタッドレスタイヤには替えてあるけど、帰りの山道ヤバイ!通行止めなるかも!
ま、通行止めになったらもういいや、そのまま旅に出たるわっ
ステージの正やんに逢えて、その帰り道に雪が降っていたら最高です。さみしすぎて、哀しくって最高です(涙)。
楽しみな日曜日、少しでも元気になれるよう頑張るゾ(´▽`)ノ
今回、Re-born発売に関したインタビューでShoyanご自身が「ラブソングを書けるのはもう最後という気持ちで」とおっしゃったその言葉が本当にショックで、前々回のかつしかのバースデイLIVEで聴いた「"足りない"冬の恋」を思い起こして、アルバム発売直前まで胸が痛み過ぎていた。
「さよならは言わないでこのままお別れしましょう」って、そんな・・・って苦しくて、どうして・って気持ちでいっぱいだった(泣。
でも発売されたRe-bornを聴いたらそのお言葉の真意がよくわかって、Shoyanの今の自然なお気持ちが伝わってきたような気がしている。本当にそう思って曲作りに臨まれていたんだなって。そう思えるフレーズや演奏が沢山あった。
でもでも、いざparallelを聴けば、「これは別れ歌じゃないんだ」とわかったので、今は悲しくはない。すごく納得しながら聴いている。
また逢うために別れるのだ・・と、
それは本当に切ないことだ・・・
それは本当に切ないことだ・・・
「ボクラハきっと また アエル」
って、、、この優しい囁きは、でも本当は今生ではもう逢えないから、小さな甘い嘘をついてくれたのではないか、と思うほどだ(泣。
だが、このparallelにおいては、左様ならば仕方ない・という諦めではなく、「さよならは言わない」ということに、それは「別れる」ではなく「離れる」なのだと思うのだ。だから「オヤスミgoodnight」なのだなって。そしてちゃんと次の『テレポーテーション』に繋がるのだと。
「また逢える」ってそういうことかもしれないと・・・
・・・
去り際が"男らしい"彼女、元は軍服だったトレンチコートに自分を律する哀しき潔さが見えて、その後ろ姿に泣きそうだ。その踵はおぼつかないハイヒールではなく、ブーツの確かな足取りなのだ。間奏のShoyanの美しい言葉の数々が、その彼女の孤独を甘いオブラートに包んで和らげる。そこで少し救われる(涙。
でも、「晴雪の空」ってすごくせつない。真っ青な青空に白く輝く雪の頂きはやはり遠いものだ。くっきり見えすぎて哀しきものだ。
哀しくない方に辿ればいい・・と言うならば、ではナゼ「哀しい方」の世界はあるのだろう?哀しみは悲しみではない、哀しみがないと悦びも生まれないからつづれ織りになっている・と、わかっていても、でも、哀しい世界の二人が可哀想で、導きが欲しいと思った。合間に挟んであるShoyanのリーディングとラップはその闇に紡がれた「声の鎖」だ。それを頼りにして、手探りで辛い恋を生きていけばいいのだろうか。ここでは「抱きしめなくても心は奪えるのだ」と、カタチもなく目にも見えない声が諭してくれる。Shoyanはそういうことを実践されているのだなって想うのだ。
返す「踵」は肉体だけれど、彼女の心は目に見えない分身になって、これまた目に見えない彼の残心に寄り添って、ずっとソコにいるのだ。夜空が深い海ならば、別離が一心同位の始まりで、この二人がまだ重なっている・という安堵も感じたりする。
間奏のエレキギターはそこでくちにしなかった彼女の本心・真心なのかなって想う。言葉より重いもの・また逢う時の待ち合わせのための、石のケルンのようなものだ。。ラストのスパニッシュギターは水面に投げ込む石礫みたいで、乱暴な癒しだ。それもまた許される。これらのギターの音は最高に切なくて哀しくて、聴く度にいつも涙が滲む。息が止まりそうなくらいに切ない。
ラストに何か不思議な音が入っているけど、終わったフィルムが空回りするような余韻を感じる・・・
暖かな空虚、みたいな。
・・・・・
2曲目の『冬の恋』はこのparallelがあってこそ安穏に聴けるようになった。ずっとギターだけのシンプルな曲をレコーディングして欲しい!と思っていたので、この熟成極まった今のShoyanのギターが沢山聴けるバージョンは非常に贅沢だ。すべての色がある墨絵のようで、人を好きになる気持ちはシンプルでよいのだ・と言うこともわかる。低めのストリングスがエンボスの下地になって、Shoyanの声は浮き彫りに聴こえる。都会の雑踏も風の音も駅のアナウンスも何も聴こえない、今の彼女の胸の中のがらんどうの響きが痛いほどだ。
コンサートのステージなどでは、このシンプル版が『冬の恋』という一曲になっているけれど、やはり私は『~parallel』こそが完成形だと思っている。でもどうしても2曲収録したかったというのが非常にShoyanらしいな・と思っていつも「ウンウン」と頷きながらCDをリピート再生している私であった。
・・・
さて、このShoyanのチャレンジは本当に聴き手にオイシく、Shoyanの囁き声が大好きな私には宝物な訳だけど、「無常の恋」の「koi」の部分がもの凄く官能的で、"ヴォイシスト"なShoyanの本領にゾクゾクする。スゴク好い!(震)。病みつき!(赤面)。
「晴雪」「紺青」「寂寥」「余儀」「間断」、単語のチョイスのシブさに緊張感があるけど、今のShoyanの声には水に落としたインクのように開くものがあって、渋さ・硬さに官能が加わるのが絶妙なのだ(また赤面)。
ラップ部分のフレーズは「恋は決めつけられないものだよ」という開放的な救いなのだと思いながら「また逢えるときめき」を所持しているこの冬の恋の二人を羨ましく思うのだった。
♪いつか君と過ごしたあの部屋の窓
雪は 下から上に舞ってた・・・
雪は 下から上に舞ってた・・・
いつかの"落ちてはとける雪"が、ここでとうとう逆行を始めて、下から上に還り始めたのだと、雪は砂時計の砂だったんだと。ひっくり返された砂時計の最初の一粒は、最後に落ちた一粒でもあったのだ。
”青い春”の「なごり雪」から”玄い冬”の「冬の恋」で何かの季節が一巡したのかもしれない。春夏秋冬一巡りして、Shoyanは”仕舞いの恋”として”冬の恋”をお書きになったと思う、当初の予定では・・・
(歌作りに予定なんてないと思うケド)
でも、実際にアルバムになって完成したら、終わらずに生まれ変わっちゃった!
Re-bornには春夏秋冬全ての歌が同時に在った。だから四季はすべてクリアして、Shoyanはもう次の五つ目の季節を旅されているに違いない。そしてそれをまたいつか歌にして私達に聴かせてくれることを待っていたい、と思わせる今現在だ。
Re-bornには春夏秋冬全ての歌が同時に在った。だから四季はすべてクリアして、Shoyanはもう次の五つ目の季節を旅されているに違いない。そしてそれをまたいつか歌にして私達に聴かせてくれることを待っていたい、と思わせる今現在だ。
『冬の恋』は不思議な歌だ。メビウスの輪のような、砂時計の一番くびれた部分のような、全てであり・何にも属さない、"伊勢正三の塊"みたいな歌だと思いながら聴いている。
しかしあっという間に11か月聴き続けてしまった。きっとまた次の35年もあっという間だと思います(*´Д`)!wow
そういえば、アイヌ語ではウサギのことを『イセポ』と言うそうです。
☆アイヌと自然デジタル図鑑より
http://www.ainu-museum.or.jp/siror/book/detail_sp.php?book_id=A0284
なんか可愛い(●´ω`●)。
だがしかし、海辺のアイヌさんたちからは海を荒らして大波を呼ぶ存在だと畏れられていたそうです。
北海道に限らず、船に乗る人や港湾施設関係のお仕事をされている人たちも、風が強くて海に白波が立つことを「ウサギが跳ねる、飛ぶ」と言うそうですし、和の模様には『波兎』と言うモチーフもあるし、で、
波を呼ぶイセポ!
波に乗るイセポ!
波と戯れ跳ねるイセポ!
なので、Shoyanがステージでピョンピョンされているのを拝見すると、「正やん、今日も良い波にノッてるナ♪」とニンマリしてしまうのです(´▽`)ノ
☆アイヌと自然デジタル図鑑より
http://www.ainu-museum.or.jp/siror/book/detail_sp.php?book_id=A0284
なんか可愛い(●´ω`●)。
だがしかし、海辺のアイヌさんたちからは海を荒らして大波を呼ぶ存在だと畏れられていたそうです。
北海道に限らず、船に乗る人や港湾施設関係のお仕事をされている人たちも、風が強くて海に白波が立つことを「ウサギが跳ねる、飛ぶ」と言うそうですし、和の模様には『波兎』と言うモチーフもあるし、で、
波を呼ぶイセポ!
波に乗るイセポ!
波と戯れ跳ねるイセポ!
なので、Shoyanがステージでピョンピョンされているのを拝見すると、「正やん、今日も良い波にノッてるナ♪」とニンマリしてしまうのです(´▽`)ノ
プロフィール
HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
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検索窓的な♪
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