Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

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今回、Re-born発売に関したインタビューでShoyanご自身が「ラブソングを書けるのはもう最後という気持ちで」とおっしゃったその言葉が本当にショックで、前々回のかつしかのバースデイLIVEで聴いた「"足りない"冬の恋」を思い起こして、アルバム発売直前まで胸が痛み過ぎていた。

「さよならは言わないでこのままお別れしましょう」って、そんな・・・って苦しくて、どうして・って気持ちでいっぱいだった(泣。

でも発売されたRe-bornを聴いたらそのお言葉の真意がよくわかって、Shoyanの今の自然なお気持ちが伝わってきたような気がしている。本当にそう思って曲作りに臨まれていたんだなって。そう思えるフレーズや演奏が沢山あった。

でもでも、いざparallelを聴けば、「これは別れ歌じゃないんだ」とわかったので、今は悲しくはない。すごく納得しながら聴いている。

また逢うために別れるのだ・・と、
それは本当に切ないことだ・・・

「ボクラハきっと また アエル」

って、、、この優しい囁きは、でも本当は今生ではもう逢えないから、小さな甘い嘘をついてくれたのではないか、と思うほどだ(泣。

だが、このparallelにおいては、左様ならば仕方ない・という諦めではなく、「さよならは言わない」ということに、それは「別れる」ではなく「離れる」なのだと思うのだ。だから「オヤスミgoodnight」なのだなって。そしてちゃんと次の『テレポーテーション』に繋がるのだと。
「また逢える」ってそういうことかもしれないと・・・

・・・

去り際が"男らしい"彼女、元は軍服だったトレンチコートに自分を律する哀しき潔さが見えて、その後ろ姿に泣きそうだ。その踵はおぼつかないハイヒールではなく、ブーツの確かな足取りなのだ。間奏のShoyanの美しい言葉の数々が、その彼女の孤独を甘いオブラートに包んで和らげる。そこで少し救われる(涙。

でも、「晴雪の空」ってすごくせつない。真っ青な青空に白く輝く雪の頂きはやはり遠いものだ。くっきり見えすぎて哀しきものだ。

哀しくない方に辿ればいい・・と言うならば、ではナゼ「哀しい方」の世界はあるのだろう?哀しみは悲しみではない、哀しみがないと悦びも生まれないからつづれ織りになっている・と、わかっていても、でも、哀しい世界の二人が可哀想で、導きが欲しいと思った。合間に挟んであるShoyanのリーディングとラップはその闇に紡がれた「声の鎖」だ。それを頼りにして、手探りで辛い恋を生きていけばいいのだろうか。ここでは「抱きしめなくても心は奪えるのだ」と、カタチもなく目にも見えない声が諭してくれる。Shoyanはそういうことを実践されているのだなって想うのだ。

返す「踵」は肉体だけれど、彼女の心は目に見えない分身になって、これまた目に見えない彼の残心に寄り添って、ずっとソコにいるのだ。夜空が深い海ならば、別離が一心同位の始まりで、この二人がまだ重なっている・という安堵も感じたりする。

間奏のエレキギターはそこでくちにしなかった彼女の本心・真心なのかなって想う。言葉より重いもの・また逢う時の待ち合わせのための、石のケルンのようなものだ。。ラストのスパニッシュギターは水面に投げ込む石礫みたいで、乱暴な癒しだ。それもまた許される。これらのギターの音は最高に切なくて哀しくて、聴く度にいつも涙が滲む。息が止まりそうなくらいに切ない。

ラストに何か不思議な音が入っているけど、終わったフィルムが空回りするような余韻を感じる・・・

暖かな空虚、みたいな。

・・・・・

2曲目の『冬の恋』はこのparallelがあってこそ安穏に聴けるようになった。ずっとギターだけのシンプルな曲をレコーディングして欲しい!と思っていたので、この熟成極まった今のShoyanのギターが沢山聴けるバージョンは非常に贅沢だ。すべての色がある墨絵のようで、人を好きになる気持ちはシンプルでよいのだ・と言うこともわかる。低めのストリングスがエンボスの下地になって、Shoyanの声は浮き彫りに聴こえる。都会の雑踏も風の音も駅のアナウンスも何も聴こえない、今の彼女の胸の中のがらんどうの響きが痛いほどだ。

コンサートのステージなどでは、このシンプル版が『冬の恋』という一曲になっているけれど、やはり私は『~parallel』こそが完成形だと思っている。でもどうしても2曲収録したかったというのが非常にShoyanらしいな・と思っていつも「ウンウン」と頷きながらCDをリピート再生している私であった。

・・・

さて、このShoyanのチャレンジは本当に聴き手にオイシく、Shoyanの囁き声が大好きな私には宝物な訳だけど、「無常の恋」の「koi」の部分がもの凄く官能的で、"ヴォイシスト"なShoyanの本領にゾクゾクする。スゴク好い!(震)。病みつき!(赤面)。

「晴雪」「紺青」「寂寥」「余儀」「間断」、単語のチョイスのシブさに緊張感があるけど、今のShoyanの声には水に落としたインクのように開くものがあって、渋さ・硬さに官能が加わるのが絶妙なのだ(また赤面)。

ラップ部分のフレーズは「恋は決めつけられないものだよ」という開放的な救いなのだと思いながら「また逢えるときめき」を所持しているこの冬の恋の二人を羨ましく思うのだった。
♪いつか君と過ごしたあの部屋の窓
 雪は 下から上に舞ってた・・・

いつかの"落ちてはとける雪"が、ここでとうとう逆行を始めて、下から上に還り始めたのだと、雪は砂時計の砂だったんだと。ひっくり返された砂時計の最初の一粒は、最後に落ちた一粒でもあったのだ。

”青い春”の「なごり雪」から”玄い冬”の「冬の恋」で何かの季節が一巡したのかもしれない。春夏秋冬一巡りして、Shoyanは”仕舞いの恋”として”冬の恋”をお書きになったと思う、当初の予定では・・・

(歌作りに予定なんてないと思うケド)

でも、実際にアルバムになって完成したら、終わらずに生まれ変わっちゃった!

Re-bornには春夏秋冬全ての歌が同時に在った。だから四季はすべてクリアして、Shoyanはもう次の五つ目の季節を旅されているに違いない。そしてそれをまたいつか歌にして私達に聴かせてくれることを待っていたい、と思わせる今現在だ。

『冬の恋』は不思議な歌だ。メビウスの輪のような、砂時計の一番くびれた部分のような、全てであり・何にも属さない、"伊勢正三の塊"みたいな歌だと思いながら聴いている。
しかしあっという間に11か月聴き続けてしまった。きっとまた次の35年もあっという間だと思います(*´Д`)!wow
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飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
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自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

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