Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

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そう、この歌は某ロッテGREENガムのTVCFイメージソングだったのだ。こんなにいい歌がCMソングだったのだ。贅沢な時代だった。1998年、Shoyanももう復活の枷から解き放たれて新たな展開を始めた頃だったように思う。

白州のべるがでの野外ライブが始まったり、この歌を歌う山本潤子さんとのユニット活動が始まったり(その前に池田聡氏とISというユニットも一瞬ありましたね)、アルバムも三枚出して、フライフィッシングという趣味にまで勤しみ、なんというか、落ち着きだしたというか、Shoyanの"整い"を感じる時期だった。

べるがという場所のことも忘れ難い。
私はこの歌は前年のべるがの野外コンサートがあってこそ出来た歌だと思っている。Shoyanはそれまで、都会・街を舞台に歌を作ることが多かった。故郷もそれは都会との距離を測る片翼で、都会と故郷はいつもセットになっていたのではないかと思う。

『緑の季節』は人の縁のない、ただの自然との対峙を舞台にして、しがらみのない"原初の場所"で今何を想う?という問いかけの歌だと思う。

♪この星に降りてきた頃の
 森の記憶がささやいてる

誰が・何が、いつ?
いやそうじゃなくて、生命がこの星に宿った頃・・・酸素を吸って息をする=生き始めたころのことかな?その頃から植物の葉緑素いっぱいの緑の葉が、サワサワと頭上でこすれてそよぐ様子はそのままで今もある。

♪緑の季節は変わらない

って、そういうこと?

そして、、二人が出会って結ばれて維持されていくこの過程においても、その"原初"は変わらないのよ・って彼女は彼に伝えたいのだろうか。

忙しさとは「心を亡くす」と書くもの。
週末の遠出の誘いが「無理」に思えるほど、今の彼、身辺が立て込んでいるみたい。ちょっとだけ冷たかったり、八つ当たりとか、あったかもしれない。だけど、パートナーの彼女は彼の原初である「やさしさ」をKeepしていてくれる。素敵なカンケイだ。口でとやかく言うよりも「不変の象徴」である大自然に連れ出す方が効果的だって解っている彼女は知的でロマンチストだ♪

※そうそう、「彼」と書いてしまったけれど、最初に聴いたときは男女とは関係なく、同性の友達でもイイナと思っていたのだった。そしてもちろん自分自身へのこととしても。

潤子さんのキャラクターにはそういう性差を超えたものがある気がして、それを見越してShoyanはこの歌をお作りになられたのかと思う。

・・・
「川の中に立ち入ると、すぐ隣にいる人の声も聴こえないほど流れの音は大きい。でも、ちっともうるさく感じないのは何故なのでしょう?」

そんな問いの答えが何気なく・・・Shoyanのこの歌の中にある。

せせらぎが静けさだと思えるか、ノイズだと思うか、それとも何も感じないか?それを決めるのは人の心なのだと。しかもほぼ無意識に・・・。実際、せせらぎの音は耳に入っている、でも聴こえているのに心が"そばだたない"時、それがふたりのナチュラル。この自然・天然の境地ってマニュアルや説明書はないのだ。森の言葉に気付ける人だけが辿り着けるものなのかと思う。

♪なぜか都会のざわめきは聴こえない
 僕はまだ独りじゃない・・・
 @『秋の葉の栞』

こちらは緑じゃなくて秋の葉だけれど、これは本当に聴こえないんだと思う。都会の喧騒を凌駕する君と過ごした時間の安らかさ・そして笑い声という彩り。今の彼には「都会どころじゃない」のだ。『緑の季節』と似ていることだけど行方が違う、切ない季節。

『もしかして二人は』には

♪夏の蝉の声がうるさく聴こえるのは 
 きっと自分の方が違う場所にいるだけ

ともある。

けれど、

♪都会の中の孤独な僕らに
 蝉の声が痛みすぎて分かる
 @『夏の沈黙』

と、都会の中でも自然や季節の無常を感じることができるなら、とShoyanは提示してくれる。

これらの曲は「二人と独り」「ナチュラルと不自然」そんな問いのニュアンスが濃いように思う。そのことはこの後『garden』に至るまでねじれ現象を起こしながら撚られていくのだけれど・・・garden以降なんとなくShoyanはその件について保留になさったというか、引き出しにいったん仕舞われたような気がしている。

(もはや自分で何を言っているのかわかっていない^^;)

そしてソレハ、Re-bornで超新星爆発した(と思う)のだけど、またそれはいつかそのうちに・・・

・・・

人の膝くらいの流れでも、もう充分に歩けないほどそれは強いチカラ。川は、源流のその一滴から河口の海に至る場所まで、上から下まで同じパワーで動いている。

若い頃だって、歳を重ねてからだって、時の流れの抵抗は同じなはずだ。22年も経って今年もまた聴いているこの歌に「変わることと変わらないことは同じなのよ?」と励ましてもらっている。

本当は変化に富んだ大自然。嵐で荒れた山、崩れた崖、朽ちた遊歩道。空き缶の埋もれた源流の岸辺。美しいばかりではない現実もそこにある。だからこうやって互いに互いの心の静けさに向き合い・ケアしあえる関係を持続更新しながら築いていけたら素敵だな。


何億枚もの新芽も落ち葉も、みんな一つの山になるんだ。その中に一体何万色の緑色を見つけられるか・・・毎年そんなことを想いながら聴いている一曲です。


追:
そういえば、復活後のShoyanがあの真っ黒サングラスをはずして、初めて素通しの眼鏡でステージに立ったのはあのべるがのコンサート初回ではなかったかと、、、そんなこと思い出したのだけれど定かではない(;´∀`)。(もうほかの地方ライブなどでそうだったかもしれないし)

Re-bornでは皆無なこの"土の匂い"(それがまたいいのだけれど)。『緑の季節』とは今一番離れた極に来ている気がする。もう少しで背中合わせになりそうな・・・Shoyanの中の自然と不自然?が混然一体となるその時を私は感じたい。Shoyanが歌を作り歌い始めてからこんなに年月が経って、こんなにも先が見えない今。

♪何気なく過ごす毎日が
 とても大切な時が来るわ

本当に、そんな毎日が今この時だ

だけど、だから、、私は今、伊勢正三の歴史の底から水面を見上げるような気持ちで待機しているのだ。



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No Name 七氏
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飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
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林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

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