Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。
蝉で想うことも多くなったので、とうとうこの曲に着手してみる。いつにもまして個人的だがお許しを。
・・・
この歌は自分の中ではかなり重要な位置づけにある一曲なのだ。当時の本当に新しいShoyanの強烈な"鉤爪"だったと思う。今でも私の心臓にガッチリ食い込んで緩むことはない。
6年の無断欠席休養クンを経て、93年に復活して『海がここに来るまで』という凄いアルバムをひっさげて還ってきたShoyan。どの曲も凄かった。全部の曲がエッジが効いていて、濃くて雲の上に見上げるようで貴かった。伊勢正三の歌を聴き始めてからの期間も浅く、中身の伴わないファンだった自分は「こんなに凄いミュージシャンのことを私は好きだったのだ」って畏れ震えるくらい衝撃のアルバムだった。
・・・のだが、しかし、
『夏の沈黙』は逆に凄く個人的に愛されているような、「感じる」部分が近しくて、一対一で面と向かって愛を説かれているような胸の熱さを感じた。当時の、あまりに哀しい孤独を認めたくなくて幸せぶって誤魔化していた私に、「君だけの誰も知らない町を探しに行こう」って手を差し伸べてくれた解放の歌だった。
この歌がなかったら『バルコニーの休日』などの眩しさにこのアルバムの印象は全然違っていたかもしれなくて、その後の私の想い方も違っていたと思う。私が伊勢正三の歌に惹かれる理由はこういう『夏の沈黙』のような一対一の胸が触れ合うような歌から始まっているのだ。
この歌がなかったら『バルコニーの休日』などの眩しさにこのアルバムの印象は全然違っていたかもしれなくて、その後の私の想い方も違っていたと思う。私が伊勢正三の歌に惹かれる理由はこういう『夏の沈黙』のような一対一の胸が触れ合うような歌から始まっているのだ。
・・・
いくつかの比喩、「まるで幼い少年」と「雨上がりすぐにおろすような白い靴」は、きっと同義で、同じ"白い"シーツの森で互いの"違い"を確かめ合うような交わり方をする男女のカンケイとは逆行している。そんな強めのウブさから始まるのがすでに心揺さぶられる。
七つも涙があったのなら、それだけの時の流れ=付き合ってきた期間の長さもかなりあるわけで、恋がずっと恋でいられないことなのかと想像する。互いの存在が日常に近づくと・・その分の特別感は薄れて、傷つけることや放置することにも無頓着になってゆく。
でもそんな澱み始めた現状に、男は初心に戻りたいと想い、女はあどけなさを外部に預けてしまう。ここではすでに互いの向かう方向は正反対に思える。なのに彼女が「旅行しよう…」って提案する。一縷の救いに思えるが、それは積極的じゃない「つぶやく」というところがまた強くなくてたまらない。もうぶつかり合いたくない彼女の脱力を感じる。
「も一度~二人の」と言うが、旅に出て二人は新しい二人になれるのか?むしろ別離の決定打を見つけてしまうようなことにもなるかもしれない。それでも二人は恋の新陳代謝に向き合わなくてはいけない。こういうことを繰り返していくといつしか達観して「愛したくて好きにはなれない」という境地に辿り着くのだろうか? ?否や?
・・・
でも肝心の"ふざけた夏の沈黙"って何だったのだろうと今でも思う。
「わからないで聴いているのかねキミは」
と呆れられてしまうかもしれないが、なごり雪の"ふざけすぎた季節"だって私は具体的には考えていない。安易に定義してしまったら歌が狭くなってしまうような気がして、置いておいていいのではと思っている。
楽しいことが当たり前の夏、盛り上がってはしゃげる夏、それが沈黙してしまうのは、新鮮な楽しい材料が尽きたから・・・
楽しいことが当たり前の夏、盛り上がってはしゃげる夏、それが沈黙してしまうのは、新鮮な楽しい材料が尽きたから・・・
そんな夏の抜け殻・恋の抜け殻はもう捨ててしまおう、そして新しくまた"二人の"時間をゼロから作ろう見つけようと言う彼は、この第一段階の恋の終わりの際でいくつかのことが「分かる」ようになった。果たして彼女の方はどうなのか?二人は"誰も知らない町"に辿り着けたのだろうか・・・
その"誰も知らない町"ってきっとこの二人にとっての"並行世界"なのかもしれない。二人一緒の哀しくない方へ乗り継ぐのか、それとも互いが知りえない分かり合えない隔絶の道を辿るのかは描かれていない。
その、映画のラスト20分を見逃したようなもどかしさが聴き手に在って、更にShoyanの無二のスキャットで曖昧なまま終わるから後を引く。この色っぽさが"新しいShoyan"の強力な武器だと思った。年齢も40代を迎えて、堪らない色気を醸し始めたShoyanの最初の一撃だった。
当時24歳だった私は「オトナの歌だなぁ」って嘆息した。でも、こういう機微をわかるようになりたいと思った。四半世紀以上の時間が流れて、毎年毎年毎年聴き続けてきて去年、Shoyanがちゃんと学力試験のようなRe-bornを出してくれて、ひとつの答えを見つけることが出来た気がする。
当時24歳だった私は「オトナの歌だなぁ」って嘆息した。でも、こういう機微をわかるようになりたいと思った。四半世紀以上の時間が流れて、毎年毎年毎年聴き続けてきて去年、Shoyanがちゃんと学力試験のようなRe-bornを出してくれて、ひとつの答えを見つけることが出来た気がする。
もちろん歌の答えは一つではなくて、正解もないのだけれど、沈黙や孤独の中に在る豊かな虚しさも大切なものだと思えるようになったのだ。
・・・
以前どこかで書いたかもしれないが、この歌の頃、毎年軽井沢に遊びに行くような暮らしをしていた(単に近場に滞在する用があったので)。この歌もそこでよく聴いた。冷涼な森の空気と哀しい都会からの避暑客の賑わいをいつも重ねて思いだす。道端のギボウシやワレモコウの花の可憐さと、この歌『夏の沈黙』のサウダージがセットになって、今でも伊勢正三というアーチストへの深い思慕を湧きたたせる。
今年は軽井沢のライブがなくて本当に寂しいが、そんな遠い昔のことからまた想いなおしてみるのもいいかと思っている。駆け抜けてしまうだけではもったいないShoyanの歌と過ごしてきた日々を、改めて愛おしみたいこの沈黙の夏に・・・。
この大好きな歌、いつかまたステージで聴ける日が来ますように(祈)。
※しかし93年の夏はもの凄い冷夏だった。お米の収穫量が激減で、タイ米などが店頭に並んだ年でしたね。本当に暑い夏は沈黙していたことを思い出します。
※※ナゼ涙が「七つ」なのだろう。「七つのなでしこ」みたいに「な」のつくものは「七つ」なのかな(*´ω`)。と、七氏は喜ぶのであった♪
※※※ベースのイントロとトロンボーンの余韻・・・
※しかし93年の夏はもの凄い冷夏だった。お米の収穫量が激減で、タイ米などが店頭に並んだ年でしたね。本当に暑い夏は沈黙していたことを思い出します。
※※ナゼ涙が「七つ」なのだろう。「七つのなでしこ」みたいに「な」のつくものは「七つ」なのかな(*´ω`)。と、七氏は喜ぶのであった♪
※※※ベースのイントロとトロンボーンの余韻・・・
大好きな『Heartbeat』にも通じるようなJunchan仕様のアレンジで、本当に私の好きな色の歌なんだ>『夏の沈黙』。
プロフィール
HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
このブログサーバーが落ちて表示されない場合は↑に避難しています。
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
このブログサーバーが落ちて表示されない場合は↑に避難しています。
検索窓的な♪
☆曲目や記事の内容単語など、ここから検索できます