Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。
といっても()であります。歌の内容に関しては今日は書かずに・・・
ここでは普段、いかに自分がその曲を想っているかということを書こうと思っていますが、今回は逆に自分で掴めなかったもどかしさを書いてみようと思います。
・・・
この歌を初めて聴いたのは1982年頃だと思うのだけど、1975年の風のシングルヒットから7年しか経っていないのに、その時点でこうした”叙情的なフォークソング”色の歌は私達中学生にとってはすでにとても古い歌に思えた。
それは私個人の問題なのだが、自分が音楽を聴き始めた頃はちょうどアイドル達や荒井由実ではないユーミン、サザン、八神純子氏や寺尾聰氏、すでに垢抜けたオフコースのシングルなどが世を賑わせていた頃だったので、このかぐや姫の三階建の詩や風の長髪ジーンズ&ロンブーのフォークの世界は江戸時代と明治時代くらいの激変に思えたのでした。
(14歳時の素直な印象なんです。風の後期の色っぽさや、ソロでリアルタイムにAORに挑戦していたShoyanに気づくのはまだ先なので、この未熟な第一印象どうぞお許しください 泣)
その頃の世の中は、青春時代はここまで・社会人になったら大人の世界!という明確な境界線というか、大きな線引きがあったような気がする。だからティーンエイジャー(学生時代)の頃に聴いていた曲は社会に出たら卒業しなくちゃいけない・みたいな風潮がなきにしもあらず。子供時代の感性のままのオタク心を持ち続けて表に出している人はまだそんなにいなかったと思うのだ。
(これまた個人の勝手な記憶とイメージですが)
だから、、、
その頃の青春を生きた人たちの想い出の一曲に対する思い入れって凄まじいものがあったのではないだろうかと今思う。それによってまた余計にこの歌に一種の孤高さを私は感じてしまうのだ。
・・・
実は私思うに、伊勢正三ファンの中ではむしろ、『なごり雪』より風の『22才の別れ』に思い入れや思い出が深い人が多いのではないか?という印象がある。だからこの歌は絶対に外せないし、正ヤンのフラッグシップ曲であると常に思っています。
けれど、こんな事を言うとまた真正面から鉄槌を食らわされそうですが、実は、、、
私にとってはこの歌は一番”伊勢正三らしくない”歌のような気がして、いつも聴く度にショーケースの中の特別展示品を拝見している気持ちになっていたのです。代表作なのに遠い気がして・・・
それは私の時間が違いすぎるからなのか、感性が違いすぎるからなのかワカラナイのですが、伊勢正三のコア部分なのに私には通り抜けてしまう感触が長きにわたってありました。
Shoyanの実験的な試みとか、寝かせて仕込んできた言葉とか、独自の角度のカメラワークとか、そうした今現在は完全に熟成された”感性力”のニュアンスが、この歌はまだ未遂な気がして、それまでの作詩だけの曲とも違う、あまりにもストレートな”意識して書いた感”が顕著に思えて、他と一線を画す感じなのであります。
でもだからヒットしたとも言える!?モチロンだ!と。一番最初に作詞作曲した歌ですものね!素直な直球が最強なのかもしれません・・・
2大巨頭の『なごり雪』と『22才の別れ』には、”無意識”と”顕在意識”・”生まれた曲”と”作られた曲”の違いはあるような気がする。
(近年中でも最高生意気な意見、平にご容赦下さい)
・・・と、やっぱりこの歌のことを書くとこんな感じの内容になるということで何度も書いてはいつも途中でやめて引き返してきていたのだけれど、何十年もの葛藤の末に今一回ここに書いておくことにしました。
・・・
・・・
今までコンサート・テレビ出演などなど、あまりにも沢山の機会で聴き続けてきましたが、歌い方の変化やキーの変化、その度にどことなくレコード音源の印象との違和感?やズレ感?を感じることが多々あったけれど、実は最近の演奏・歌唱はものすごく万全な完成形だなって深く想い始めています。
歌や演奏のパフォーマンスももちろんだけれど、LIVE!を聴きに来る今現在のすべての聴手を納得させる感動の深い説得力がこの『22才の別れ』に今凝縮されていると感じるのです。ヒットした時点が最高だったのではなくて、この今こそこの歌は完成したのじゃないだろうか?と、心の底から偽りなく思うようになりました。
だから今この歌がとても好きだし、大切だと真っ直ぐな気持ちで想っています。
40年以上聴いてこられて、今が一番この歌を解れてると思えたし、一番好きな心で聴けています。嬉しいです。
ヒット曲の呪い(時代の呪い)が解けて、今100%伊勢正三ご自身の歌だって堂々と輝いている素晴らしい歌だって想います。
美しいギターの弦の音と、湿っぽくならない弾むシャッフル感、少しだけ不思議な言葉選び、悲しさをキラメキに変えてしまうShoyanの魔法が濃縮された、青春を葬る名曲なり・と今想っている次第です。
今のコンサートでは正座して聴く気持ちで臨む一曲です。早く次のステージで聴きたい、今のShoyanの手漉き和紙のような柔らかいお声で切なく奏でて欲しいと、とても楽しみにしている2025年令和7年の今日このごろです。
※何か自分にも心境の過渡期なのか、思いもよらぬ生意気の極致を書いてしまいました。笑止千万の乱暴な呟きをどうぞ生暖かくスルーしていただけましたら幸いです(汗)。
〜命まで干乾びると
笑いながら掻く汗を
手のひらで払って
へたり込む扇風機・・・(@_@;)
いやいやいや、そうじゃない
猛暑は深刻なのだ
(勝手な替え歌すみません 滝汗)
昨日、2025年7月28日は中標津〜東京羽田間の直行便が就航されて35周年だったそうです。
根室中標津空港ブログ
ということは!?
『NAKASHIBETSU』の頃は道内(丘珠・千歳)便のみだったのですね。
なんてことを今頃気づきました。
ましてや、最初の別れの場面がいつだったのかによって行き先も違う!
でも、イメージはやはりYS-11です。
・・・
『Orange Grove』のコンチネンタル航空も今はなきであります。
自分が子供だった頃に今の自分で旅行して見聞してみたい、などと空想している寝床です☆
今日も明日も何処かへ行きたいな(*´ω`*)。
久しぶりのオヤスミナサイ☆彡
この歌がシングル盤として発売されたことがShoyanの長期休養(と言っても6年ですが)の発端だったのではないかと思っている。
確か収録のアルバム『Out Of Town』の発売は当初1987/4/25の予定だった。
実はこれまた3月に『悲しくなるほど』が発売の予定だったようだが、曲も変更になって出たのがこの歌で、待ちに待ったシングルだ!・・・と、本当に期待していた。(でもスタッフさんの方で『悲しくなるほど』と『悲しくて』を取り違えてお知らせくださったのだったらどうにもしようがないのですが^^;)
唸ってる!Shoyan!
♪限りなき 静けさの中へ
囁くShoyanもいた。
※玉置浩二よりカッコエエ(*´ω`)
その分、余計に惹かれた。
君の声が 聴きたいから・・・
と歌いつつ、当時のShoyanに私のような小さなファンの声は届かずに、、、いつしか情報もなくなり事務所的な窓口もなくなりShoyanには逢えなくなった。これだけ伊勢正三の歌曲に惹かれて感動して得るものが多くて、絶対的にこの世の中に必要であって世界的にも稀有な音楽的世界だ!って心の底から真心100%で思っていたのに、その想いを届けるすべがなくなって、表明する場も無くなって、何より、何よりShoyan御本人がそんなもの不要だと思われて避けてしまわれたのかと感じられて、これは本当に本当に悲しくて悔しい事実でありました。数十年経った今でも痛く引き摺るやりきれなさであります。
この『悲しくて』の「サイアク」というフレーズがすべてだと思う。このShoyanの逆ギレとも思える世の中へのアンチテーゼ色は、聴く者にとっても胸の傷む内容だった。いくらバブルの熟れて爛れた価値観が満ちた都会だとしても、つい数年前までその真っただ中にいらっしゃったであろうShoyanからの全否定のギャップに、聴く者の胸も乱れて、、、そして互いに距離を置いていくことに繋がったのではなかろうか。(私は絶対に食らいついていこうともがきましたが 悲)
また当時、ShoyanはアルバムPRで出演したラジオで"Out Of Town"というフレーズについて、都市と人間の生活の距離感などを色々語ってくれていたけど、Shoyanは六本木が好きなんだろうか?
キライなんだろうか?
発売当時女子大生だった私はこの『悲しくて』の孤独までおそらく届かなかったと思う。なんだか、形にならない不満や不安・ジレンマを感じることは出来ても、我が事として感じるには生きてきた時間が足りなかったと、今想う。
でもしかし、今この2025年、想像もできないほど後の世になって、色んな事が逆転していると思うと感慨深い。永く永く聴き続けてきて、私自身もサイアクで悲しくてむなしいこと沢山得て、”どうにもならないこと”は”どうにもならない”と痛いほど分かって今に至る。
この令和の世ではShoyanは六本木がダイスキでいらっしゃるみたいだし♪、目には見えぬ沢山の”諦めない君たち”の声は確実にShoyanの心に届いたのではないかと思っている。今のShoyanご自身は、きっと”空しくない答え”を体感されている!と思う。そう信じている。
・・・
今でも思うことがある。
♪Don'tStop!
どこかにこんな自分のことを待っている人がいるのではないかと、
己以外に自分のことに興味を持ってくれている人がいるのではないかと、
都会の中で行き交う人達はみんな、少なからずそんな願望を抱きながら暮らしているのではないだろうか。そんな、誰にも受け止めてもらえない孤独な思いが少しづつ滲んでるから都会はどこか切ないんだきっと・・・
この歌の"君の声"は何か悲しい予感なのだろう。
このビートの効いたアレンジは大好きで、いつも聴くたびに理不尽や空しさに克つための気合が入る異色の一曲であります。
(なぜか今、リアルに響くのでした 涙)
※
懐かしいな〜。
すでにCD文化もレコード並みにナツカシいものになったんですね。
下の白い盤の方が1993年に再発売されたもの。
ナゼ帯だけ2枚あるのかは謎ということで(∩´∀`)∩☆
上の1987年当時のCDには違う品番(32SD-13)が記されています。
公式のディスコグラフィーに載っているのは再発売の品番のようです。
(あ、もちろんこの他にLPレコードがあります♪)
なんだかマニアックな締めになってしまった(汗笑)
こういう、ひたすら人の心を暖めるためにあるような優しい歌はShoyanの歌の真骨頂なのではないかと想う。
初めて聴いたときからずっと大好きだ。
gardenのアルバムの中で一番安定していて、まろやかで調和がとれている佳曲だと想う。(モチロンどの曲もShoyanの思い入れをたっぷり感じる濃い曲ばかりですが)言葉の並びは一見脈絡のないようにも聴こえるし?場面がいくつもシャッフルされて実際イミフな前後関係だったりする。けれどそれが終始すると大きな調和なのが凄い。
私の妹もこのアルバムの中でこの曲が一番好き♪と言っていた。なんとなく、その感触わかるような気がする。
「私」と「君」は誰?
きっとひとりの同じもの。
紅と茜みたいに同じ色なのに違う色。
この世のそこここに点在する”さみしがりや同盟”のメンバーたちの眼差しだと思う。
なんとなく、この視点の曖昧さがどこか伝承民謡のようで、辻褄よりも言葉触り・肌触りのほうに説得力がある。
歌い出しからして
♪私は波の上をゆれてキラリと涙
紅燃える海の月になる
今は幻 ホロアロア
と、語り部口調のローカルなお伽噺のような導入がロマンチック。
例えばハワイの伝説や神話など詳しくないので、何かの例えなのかなとも思うのですが、入植した人たちとコーヒー農園の小さな古い町だと聞くとノスタルジックな気持ちになる(例え知らなくても)。
ハワイ島は火山島なのでとても憧れた。(噴火とかマグマとか大好き)ブラックサンドビーチにも憧れて、この歌を聴く数年前に一度、横浜にいた頃にガイドブックを買って読み込んだりした。マウナケアの星空日本語ツアーというのがあると知り、標高4000m超えの夜空を見てみたいなぁと思っていた。でも、そんな夢も個人的な事情で諦めてしまった・・・だからこの歌を聴いてとても慰められたし嬉しかった。そういう意味でもこの歌には私自身の夢も詰まっているのです。
♪想いをくりかえして私は貝になった
ここから星のように見つめてる
ここが一番好きなフレーズ♪
貝は水底や砂の中に棲んでいるはずなのにお空の星のように見つめてる・というのが不思議な可愛い景色。
「貝になる」とは普通は「口を閉ざす」という意味でしょう?
後に出てくる「どこか生意気な君」とは別物のように思えるケド・・・
でも、舌鋒の奥底には言い表せない真心が不器用に潜んでいるのかもしれない。
それが「スキなのはなぜ」の答えなのだと想う。
(君と私は全然別の存在なのだけど、でも同一線上で考えてみても面白いので、ワタシは個人的に混ぜ込んで考えたりしてます)
・・・
海の月って、海面波間に映る月?
この『闇の夜のハネムーン』の闇ってナニ?ハネムーンてナニ?となる。
真っ暗闇=月のない夜、なのに愛し合ってるから蜜の月。
♪闇の中でも もうたじろがないで
と言われても
闇、怖い・・・
自分が闇に包まれてしまうときと
自分の中に闇が渦巻くときと
どちらも怖い。
美しい自分=理想の自分、なんてどこかに雲散霧消してしまう・・・どうしたらいいの、って不安になる。頑なに閉じる二枚貝だろうか、答えの出ない螺旋の中に逃避してしまう巻き貝だろうか・・・それはキミの自由にして♪と、Shoyanの声は優しい。貝の中に隠れて嵐が過ぎるのを待つ、か弱いこの愛をいつか捧げよう。
闇の夜のハネムーンと言いながらgardenの中には闇はなく、美しくてシアワセな真っ白な世界が拡がっていた。むしろ満月が皓々と支配するような”あきらか”な世界だったと思う。
だから当時、ここにおける”闇の中”って
本当の闇なの??ってわからなかった。
でも、眠りにつく時も闇なんだと思う。
あんなに安らぎなのに・・・
あなたの胸に顔を埋めても
目の前は何も見えない
だけど、どんな表情をしてるのか
手に取るようにわかる・・・
自分の見つめたいものだけが見えるのだ。
真っ暗闇の中で眸を凝らすような、そんな強い気持ちもやさしいキモチの裏返しなのかな・・・
新月の中で
あなたに手を引かれたら
それだけで歩いていけると
今は想っています。
・・・
"想い出"という砂の中に埋めた"人恋しさの罪"を掘り起こしてしまうのは、果たして引き潮なのか、満ち潮なのかそれはわからないけれど、Honeymoonの引力の行方はまだまだ研究の余地がある。罪のパワーと反応しちゃったら惹き合うのか、スイングバイしちゃうのか、20年以上経ってもどちらとも想えて無限だ。
”青碧のオーラ”と”闇”は異なるようで実は同じものなのかもしれない。
(結局何が言いたいのか散漫な七氏よ(笑))
Shoyanご自身、自分の作る歌には別れる歌が多いなんておっしゃるけれど、私が伊勢正三の歌を好きな理由はこういうあたたかい歌があるからです。これからもこういった甘酸っぱいホットレモネードみたいな歌を沢山作って欲しいと想いながら待っています☆
好きなキモチを素直に羅列してみました!
追:
南こうせつおいちゃんとの共作『ハネムーンの島』もハワイ島が舞台で”ワイメア”とか出てきますが、こちらはとても明瞭で弾むような曲で、バリバリの新婚賛歌ですね。Hawaiiハネムーンシリーズは日本で小さく暮らしている私にとっての夢疑似体験ソングとして憧れの世界です。
(ハワイというとやはり”憧れ”なのかと思う昭和世代(*´∀`*)♪)
あ、謎の電子音もお忘れなく(笑)!?
以前ここで未発表曲のことを少し書いた際に引用した雪印のCM曲『未来の女神』ですが、YouTubeで”雪印 CM 伊勢正三”と検索しても出てこないのですね。
(例の違法アップロード氏のアカウントにもないみたい?(^^;))
北海道ギフトの宣伝だったので、”北海道”をキーワードに入れると辿り着けるのでした。しかも長いバージョンと短いバージョンがあるのです。長い方が曲も長く再生されています。
https://www.youtube.com/watch?v=qvjA5agNRHA
(懐かしいCMをアップしてるアカウントさん)
↑リンク貼っていないのでコピペしてください
このCM曲をお創りになった時にShoyanは「雪印の会社の担当の方がとても誠意のある方たちだったから受けたんだ」というようなお話をどこかでされていたような気がします(うろ覚え情報)。依頼する方もされる側もそんなスタンスっていいなと思います。そんな風に出来上がった曲だから今でもこんなに大切に想うのかもしれません。
※雪印乳業はその後、例の事件が発覚して雪印メグミルクとなるのですが、この時の対応の真逆のイメージに混乱した覚えがあります。 大きな会社ムツカシイ^^;
・・・と、脱線しましたが、
実はこの曲、編曲は佐藤準氏なのではないかと密かに妄想しているワタシでした。JASRACには編曲まで明記されていないのでワカラナ~イ残念(∩´∀`)∩
(編曲違う方だったらゴメンナサイ 汗)
ってナニ?という人も多いのではないかと思うくらい、伊勢正三の音楽歴史の中で最深部に埋もれてしまっているようなアルバムなのでは?という印象。
・・・
例えば、伊勢正三の曲で無人島に持っていく10曲ってナニ?と言われたらこの歌が5本指に入るのだ。
作詞も他の知らん人(スンマセン)と共作になっているし、発売時はほぼ休養時期の扱いだし、風やかぐや姫のファンたちが一番離れていた時期のアルバムだから、話題にあがることもほとんどなくて、評価すら不明のアルバムなんじゃなかろかと思っている。
けれどけれど、このアルバムがなかったら私はShoyanのファンとしてここまで生きてこなかったかもしれない、と思うほど大事な作品達なのだ。(でもだから私はやはり真の伊勢正三ファンじゃないのかもしれません 汗)
以下、20年前に書いたものに注を加えたものを載せておきたいと思う。
・・・
高校一年生の11月、自分の誕生日のすぐあと(11月5日)に発売になったこのアルバム。初めてリアルタイムで発売に立ち会えた一枚だったので思い入れがとても深い。たしか駅前のレコードショップに予約した・予約!これも初体験!自分で自分への誕生日プレゼントと勝手に決めて、胸躍らせて買いに行ったっけ。
で、タイトル曲『Heartbeat』。
「自宅近くに自作のスタジオを作って、そこで自分で録音したんです」と語るShoyanがすごく楽しそうで、このアルバムはとても暖かいものに思えた。『スモークドガラス越しの景色』や『ORANGE』に比べてもっと個人的というか、伊勢正三ご本人、ひとりのShoyanに近い・そんな感じのこじんまりした世界に思えた。
♪~よりそう二人
An haha…(悶)
と、いう世界は16歳の孤独な自分にはまたとない隠れ家だった。単に誕生日記念に買ったから好きなだけじゃない、なんていうか、この甘ったるい焦がし砂糖のような愛の世界が私は大好きなのだ。私はこういうShoyanが好きで好きで、今までずっと不器用な自分をこの歌に慰めてもらってきた。思えば必ずこの季節には先の『あいつが生まれた朝』とともに毎年ヘヴィーローテーションなのだ。
どうして?
いやもっと懐かしいものへ
・・・
伊勢正三はクールでカッコよくあるべきだ・と思う人には、わからない世界かもしれない。
実際、Shoyanはいつでもすごく素敵だ。
スマートでお洒落で金星が天秤座的で(?)若い頃もお歳を重ねてからもずっとカッコいいし、美しいものがよく似合う。だけど、Shoyanの"ゆらぎの部分"はもっと魅力的だ。
『Heartbeat』は微妙な片想いと恋の成就の過程でウブな気持ちが高揚していて、そこが無性にくすぐったい。こういう気持ってオシャレじゃない。人を好きになる気持ちってカッコ悪いんだ、
でも、それを駆逐する甘さが『Heartbeat』にはある。
近いんだ、Shoyanが(涙)。
・・・
♪~車とばして 夜の湖
Tromboneの間奏がスモーキーでいい。
夜景と流星の軌跡のような一音が煌めく。
このシーン、すごく憧れた。
(2025年時点実行できていませんが^^;)
この歌は三十年(いや四十年以上)近くも私を暖め続けてきてくれた。
Shoyanが弾くラストのエレキギターは最高で、エンドロールのフレーズなんて天使が舞い降りてくるかのように甘い、甘い。キャラメルリボンで絡める~って感じでShoyanの愛情100%の音だ。イントロから最後まで本当に終始甘く切ない。
・・・
当時このアルバム発売に併せたツアーもあった。それが人生で初めて行った伊勢正三のコンサートだった。1984年11月20日の渋谷は寒かったのを覚えている。公園通りの街路樹に何枚もコンサートのポスターが貼られていた。ツイードのジャケットでちょっと斜に構えたShoyanの肖像は
♪今 誰よりも君が好き・・・
これからもずっとそう歌っていて
メロディーの中のふたりの鼓動が聴こえる。
時が流れ去っても
その寄り添った時間はそこで
ずっと、ずっと、誰にも邪魔されずに
刻まれ続けるBEATだから♪
見えなくても・・・
同期している動機のドキドキが
アナタとワタシの永遠だったら
いいなと想うのです。
2005年11月10日(2013年10月改)
2025年7月20日
「歌手が歳をとってから”我が人生が~”とか振り返りソングを歌うようになるけど、あれはあんまりよくない」
的なことを言っているのですが、私もそう思います。
キャリアを積んで大御所になると、そういう歌を集大成的に歌いたくなるのかもしれないけれど、そう歌ったとたんに病に倒れたり一線を退いたり、自分で自分に自己暗示をかけちゃうのではないかと思うほど、なんとなく、言霊的なことがあるような気がします。(変わり者親子の個人的な意見です(汗))
その点Shoyanはスゴイ。
弱冠24、5歳の時に”人生”を歌っちゃった!!
しかも、
♪ふり返るのはやめよう
と!
しかもしかも、
♪喜びとか悲しみとかの
言葉で決めて欲しくはないっ
と!
ここから始まるストーリ~!
Shoyan(とその歌たち)にとっての人生とは、すでに最初から振り返らずに決めつけずに常に傍らに感じて自分自身のど真ん中で進んでいくものだったのだ。Always現役なのだ!
そんな風に、常識にとらわれない角度から芯の部分を教えてくれる。
だから好きなんだ!
Shoyanの音楽は、季節の訪れを告げてからも淋しい人の心にずっと吹き続けて来てくれたその風そのもの。
私たちはその季節でありたい。
Shoyanが導いてくれたその愛の季節を、ずっと一緒に生きていきたいと想っています。
ステージの上のShoyan、客席の私たち、いつも離れていて互いに顔も知らない間柄なのだけれど、でもココロはひとつなのがスゴイ!
壮大な「ささやか」の集合体が深い感動を生み出しているんだなって、噛みしめながら席に座って拍手を送るんです。
ここへきて『ささやかなこの人生』というフレーズが違う印象で再浮上してきました。すごくしっくりくる感じです。もしや自分の心境の変化って自覚していないケド、そういう節目なのだろうか??
と、イミフメイに自分らしく振り返る作業を進めながら海老名当日を迎えられたらと思っています。心の底から楽しみにしています!☆
※先日、ワイナリーの知人がアップしたブドウ畑写真のBGMに、某歌手カバーver.の『ささやかなこの人生』が使われていてタイムリ~♪と思ったのでした。Shoyanのコンサートに誘ってみようと思っているのですが、ナカナカ我が地元ではコンサートがなくて・・・そんな機会が訪れることも祈っています☆
津久見駅の駐車場に桜の実がなっていた。
サクラ&みかん♪(河津桜かな)
ちなみに『海風』は自分で買えたのだけど、ソロアルバムを優先的に買っていたので『風ファースト』と『Moonynight』『古暦』を聴けるのはずいぶん後になってしまうのであった。80年代半ば、当時レコード店からLPも消え始め、そもそも風やかぐや姫、伊勢正三という売り場自体が縮小されて消えつつあったのだ(悲)。
で、この歌にまつわる思い出がある。
高校生になり、少し大人になって?先生方ともずいぶん親しく話が出来るようになってくると、国語や美術の先生方から結構可愛がられるようになり、「伊勢正三が好きだなんて渋いじゃないか七氏」と70年代の音楽の話などするようになりました。
そんな中、風やかぐや姫を知っている若手の国語教諭のS先生から「俺も改めて聴いてみたいな、何かおすすめ曲をテープに録音してくれないか」と頼まれました。Shoyanの歌の話題が通じる他人がいることで嬉しくなり、私は手持ちの音源を集約して46分テープ一本に風・かぐや姫の中で自分の好きな伊勢正三曲(勝負曲)を集めたのであります。
※当時、ダビングとか録音に関して個人で楽しむ範疇だったということで、多々ある録音エピソードお許しください<(_ _)>
そのS先生は「伊勢正三って天才なんだ、特に『冬京』という曲が凄い。一番の名曲だと思う。」と言っていたので「話の分かる先生だな・・・」と思っていたのです。
その『冬京』ももちろん入れて、編集した七氏BESTカセットテープを先生に渡したところ、数日して「七氏、ありがとな、久しぶりに色んな曲聴いてやっぱり良かったわ」と、作った甲斐のあるお言葉をいただけたのですが、
「でもあれ、なんだあの曲、『何かいいことありそうな明日』って、なんであんな曲入れたんだ?? あれはいただけないなぁ・・・」
なんて言われたんです。
Σ(・ω・ノ)ノ!
「えっ、そ、そうですか。。スミマセン、汗汗」
慄く私。
S先生は、
「詩的じゃない・平易だか安易だか、含みもないつまらない曲だ」的なことをおっしゃりまして、ワタクシのShoyan愛をわかってもらえなかったのです。
今こんなことを言葉にして打つのも憚られるようなそのS先生の言葉ですが、私は別にショックではなく、
「国語の先生っつったってもこのShoyanの風のような軽やかな日常視点の必然性を理解してないんだな・・・フフフ」
と、人の感性の多面性を学んだ事件でありました。
そのBESTテープに私がこの『何かいいことありそうな明日』を選んだのは、きっと、もうその頃から独自路線で流浪の根無し草の道をゆきたい自分を、明るく導いてくれる曲だと思って親近感を持っていたからだと思います。
♪君と暮らす毎日も平和過ぎるほど
それが本当はどんなに脆くて不確実なものであるのか、Shoyanの他の曲をちゃんと聴いていればわかることであって、それゆえにこの平易な日常を愛おしむ気持ちも湧くのだと思います。日常を日常だとしか思っていない感性では、歌の裏表まで及べずにもったいないなぁと思いました。
安定したキャリアでエリートであるS先生には、この歌の深い軽みがわからんかったのだろうと、今になっても思います。(なんてエラソな私(笑))
・・・
で、この歌、自分の年齢行けば行くほどもっと好きになりました。
中年を過ぎ、老年に足を突っ込もうとする今になれば、加速的に過ぎていく毎日は絶望的でさえあって、その抗えない刹那の怒涛に対して焦ったり悲しんだり嘆くばかりですし、暗澹たる気持ちになることも増えるでしょう。
でも本当は若い頃と時間の量は同じなのです。
♪明日は明日の風に吹かれて・・・
&
風の行方 誰も知らない・・・
でいいのだと。
何かいいことありそうな来世・なのです(*´▽`*)♪
・・・時が経って、
この歌、”しあわせの歌”であると今でも想っています。
一緒に歌ってみるとわかるこのめっちゃ滑らかなメロディー!
なんと楽しそうなステージなのか。
聴くたびに元気が出るでしょう!
Shoyanの振り幅の広い大感性の一曲、いつかステージで聴いてみたいと今でも想って居ます☆
※しかし、自分が吸うたばこを買い置き忘れた同居人を、咎めて怒鳴りつけるってどんだけ昭和の亭主関白野郎なんだこのオトコは(笑)、といつもモヤっとしていました。
でもおそらく今のShoyanなら歌う前に、
「こんなこと今はありませんよネ、きっと歌中の彼も若気の至りでまだ本当の愛を知っていなかったのでしょう・・・」
とMCで説明してくれそうです。
^^;(*´ω`)♪
プロフィール
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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