Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。Shoyan的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。 管理者∶No Name 七氏−1.0

2026/06    05« 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  »07
ソロの曲でまず最初の最初、一番に初めてに聴いたのがこの曲だと思う。非常に意味深い出遭いであった。

かぐや姫・風の曲を知って伊勢正三という個人に大興味を持った私が”ソロアルバム”という存在を知り、『スモークガラス越しの景色』のLPジャケットの美しさに惹かれて最初の購入を決意、レコードの針を落とした第一発目の曲がこの曲なわけです。それはとても幸せなことだった。

・・・

以前から時々言っていますが、この歌は特別好き過ぎて人事不省なまま聴き続けてきたので、深く考えずに毎回良いな・カッコイイな・好きだなの気持ちだけで聴いてきてしまった。なので、実はずっと変な覚え方をしていた部分がある。

♪せめて言葉だけは慎んでくれと
 勝手に男は”やさしさ”それを
 女に押し付けていたような気がするよ
という冒頭部分、幼き14才の私はヘンな受けとり方をしていて、

♪勝手に男は”(自分の)やさしさ ”
   それを女に押しつけていた

のだと思っていた^^;
中学生の時、前後の歌詞何も考えないでその行だけ聴いて何故かそう思いこんでしまったのだった。
本当は"女はやさしく慎み深い存在であれという要望”を押し付けていた気がする・というニュアンスだよね?

そういうことを実感としてわかるようになるのは
やはり結婚して他人と暮らすようになってからの
ことだったのですが・・・

男の人って自分の優しさを「いいものだろう?」と女の人に押し付けて自己満足しているのかな、なんていう勘違いだったのでした。

ナンナンソレ(汗)

・・・

自己満足とか要望とか2人の人間がいると毎日のすり合わせが必要になってくる。

"他者と己"はひとつになれるのだろうか?
と、今でも想う。

(Re-bornの後の今現在でもそう想う)

この二人の心から生まれたそれぞれの星は結局、衛星にはなれなくて、よその宇宙の影響で軌道を外れていったのだろうか、それに気づいた時には2人の時は流れていて繰り返しのつかない地点まで分岐してしまったのだろうか。愛し合っていない今ではその二つの星はいずこへ・・・

月は元々地球を含めたいくつかの星のカケラであったらしい。それが互いに何度もぶつかり合って衝突を繰り返し、いつかまん丸の球になって惑星のパートナーになっている。

月という星に、地球に見せない裏の顔があったとしてもそれはそれでいいじゃないか。
いつも一緒で、いつも一定の距離に在って愛し合ってる心の、お互いのその周りで優しく光っていれば大安心じゃないのかな。そもそも月は地球の衛星ではなく、月と地球は連星であるという説も濃厚らしい。触れ合わずとも同じことを想えるふたつでひとつの連星もイイ☆

だがもしくは、流れ星になって離れていってどこかの星で果てるのと、どんな結末がいいのだろうか・・・


♪いやす傷ほど愛しくて ひろげてしまう

このフレーズがすごく好きだ。

これはひどい傷を負ったことがないとわかりにくいフレーズではないだろうか。
きっと「(傷を)どの程度までひろげても大丈夫か」
を知っているから痛みを楽しめるのだ。

深い傷が癒える時ほど快感が深いってことをかつて経験したことがあるから、"さめるほどしみ込んだ甘美"を味わいたい欲求にかられてしまうのではないだろうか。

だがしかし、やはりそれは健康的な解決ではなく・・・どちらかが疲れ始めてしまえば、いつか癒えなくなって言えなくなってしまうのかもしれない。

その辺の、ノッてる時の、ちょっと加虐的なShoyanの表現力に幼き私は早熟な自分を開発されてしまったような気がする。この曲はサウンド的にも歌詞においてもオトナの世界の導きであった。


この曲のイントロ・間奏のブラス系の音がShoyan自らのギターシンセ?であるというのだけど、もしそうなら、これや『Heartbeat』のエンディングの演奏等と共にShoyanのPlayって本当にキャッチー(>_<)!
(もし間違っていたらごめんなさい)

スタジオミュージシャンや専門職は多々あれど、やっぱりShoyanご本人の音は何にも代え難い。歌声とまったく同じ筆遣い♪どう聴いても必ず胸に残る。

『THE 伊勢正三』収録のLIVE音源などでも合間のエレキがメチャ格好イイ。どうかShoyanご本人の演奏であって欲しい。
『二人の周期』のエレベのチョッパーっぽい躍動や余計なもののないドラムスの確実なグルーブ、フルートの効果的な風通しの良さ、そしてチョットだけ不思議な高低差の続くメロディ。ほんっとにメチャお洒落で程よい力の抜け加減。いつ聴いてもいつも堪りません!

風・かぐや姫で纏っていたある意味”アイドル”的なニュアンスを全力で振り払って大人のオトコに脱皮した当時のShoyanの充実が濃縮されていると想うのだ。

今想うに『二人の周期』との出遭いと『テレポーテーション』の降臨は私にとって同じタイプの重要なインパクトでありました。ポジションが一緒・という感じかな。

伊勢正三はいつでもカッコイイ(*´ω`*)
それを象徴する2曲であります。


・・・・・

その大昔、Shoyanは『バイオリズム』ということをちょっと気にしてたみたい?
それは自身一人称の体調・気分みたいなことだと思っていたけれど、今考えるとそのサイクルは『色んな他存在とのかかわりの巡り合わせ』であったかと思う。

"二人の周期"って
最初からあるもの?
後から構築するもの?

周期ということは、留まっていないで動いて巡っているカンケイかもしれない。
この歌はその決めつけない感じがとてもお洒落だと想う。

オトコとオンナも二人でいる時は互いに違うものなのだけれど、物質的な身体を剥いて心が剥き出しになったとき、”二人の同期”が起こるロマンもあるかもしれないのであります☆



☆蛇足

♪あの頃は出来たてのマッシュポテトに似て〜

それは国生み神話のオノコロ島のように、Shoyanの感性の矛先から滴り落ちた、熱い生まれたての”アノコロ”。

Shoyanの永きにわたる"歌造り神話"は"あの頃島"から始まるのかもしれない。
数々の歌を聴いていてそんな風に感じていた。

(それは以前ここで少し述べたが)
アノコロ 参照

自分の好きな歌に”あの頃”が多いのも自然なことだ。
だけれども、何度も何度も年月が巡り、いつしか”あの頃”さえ通り越しての、時の逆行がいよいよ始まっているとここ数年で感じるようになった。伊勢正三の現在の音楽活動は未来行きと過去の遡りとを同時に発生させるLOVESONGを体現されているような気がしてならない。それがまた深まっている。

そんなShoyanの進化の機微を私もリアタイでまだまだ感じたい。肉体が消えて魂だけになった100年後だって私は大好きなShoyanの歌を聴き続けていると想う。生まれ変わっても私の感性とShoyanの音楽の巡り合わせは必ずあると、神話級に好きなんだなと、今改めて想っている。
お名前
タイトル
メール(非公開)
URL
文字色
絵文字 Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメント
パスワード   コメント編集に必要です
管理人のみ閲覧

プロフィール

HN:
No Name 七氏−1.0
Webサイト:
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!

☆コンタクトはこちらまで
→七氏X

☆ミラーサイト(予備)
→jugemブログ
このブログサーバーが落ちて表示されない場合は↑に避難しています。


検索窓的な♪

☆曲目や記事の内容単語など、ここから検索できます

フリーエリア

P R

フリーエリア

フリーエリアすますまほ

<< Back  | HOME Next >>
Copyright ©  -- Nanashiのものろーぐ --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by もずねこ / powered by NINJA TOOLS /  /