Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。 管理者∶No Name 七氏−1.0

2025/10    09« 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  »11
そういえばこの唄のことを書いていなかったな、と。
こんな名曲のことを語るのは畏れ多いのですが、このところ”逆身につま”な感じで心に引っ掛かるので少し・・・


で、いきなり話が逸れるのですが、その今井美樹氏の洋楽カバーアルバムの中に『Superstar』も収録されていまして、準氏アレンジではないのですがとても情の深いお洒落アレンジだったので聴き入ってしまいました。

昔、とあるギタリストさんとお話をした時に、私が伊勢正三ファンだと言うと「伊勢正三の『あの唄はもう唄わないのですか』って曲は、カーペンターズの『Superstar』が元になってるよねぇ」なんてシタリ顔されちゃいまして、私はうぬぬっと固まってしまい、どんな反応したらよいのか狼狽えた覚えがあります。(こんなエピソード書くのは勇気が要る ^^;)

自分自身それまでそんな風に思ったことはなくて、言われてみて初めて「そうかぁ〜?」と思ったのですが、それ以降気にしながら聴いてみたものです。
けれどやはり違うものです。

今回改めてサクッとそのSuperstarの曲のことを調べたら原題は『Groupie』だったそうで、なんか怖っ!だったのですね。
Superstarには深いドラマもないし?具体的な場面も想いもない、聴いた人にも得るものが少ない、ただ成就されない失意と美しいメロディーだけがあるように思いますが(そこまで言うか七氏w)、『あの唄はもう唄わないのですか』の作り込まれ感は比ではないと思います。この唄を聴けば聴手はいくらでも自己のStoryを想像することが出来るでしょう。

・・・

私にとってこの歌は70年代の墓標のような存在で、唄のすべてが今はもう無いものに思われるのです。伊勢正三の歌曲の中で最古に分類されるような、非常に時代の距離感を感じる曲であります(それは80年代に聴き始めたときから)。

新聞の片隅も雨も一つの傘もマッチ箱も駅までの帰り道も、すべての風景や小物はもう触れることの出来ない時間だと、虚しささえ感じてしまう哀しい唄に思えます。そこがまた堪らなくて、何度も繰り返し聴いてしまうのかもしれません。特に間奏の部分♪雨が降る日は〜に続く部分、瀬尾氏アレンジでも石川師匠アレンジでも、どちらも重く曇った土曜日の夕方の部屋で、壁のカレンダーをひとりで見つめているような気持ちになってしまいます。

その頃はまだ小学生だった私なのに、恋人を待ちながらずっとこの唄の中に閉じ込められているような気持ちでいる。それは逆に歳をとってからも同じように・・・です。

この唄も『22才の別れ』と並ぶShoyanの作り込まれた物語シリーズだなと思うのですが、聴く人のことを意識して周到に、時にドラマチックに類型を持ち出して、真正面からの哀しいメロディー。誰が聴いてもわかる切なさを唄ってくれるとてもわかりやすい唄ではないでしょうか。

そういうストレートなところが人気なのかもしれないですね。

※でも私はどちらのアレンジが好きかとか決められません。距離感は一緒なんです。


もう届かない気持ち、逢えない断絶。でもあの唄の中には自分が主人公だった時間が活きている気がして、唄ってくれるのなら私とあなたはまだカンケイしあっている・・・と思い込みたい未練。そんな彼女の希望が一方通行で虚しい。

しかしこの彼、実は彼女のために作った唄を唄わなくなったからこそリサイタルを開けるくらいの活動を続けていられるんじゃないかなと思ったりします。

恋人のためだけの唄を唄っているようじゃ芽は出ないと、今になってそう思うのです。ましてや別れた彼女=ダメだった存在が影響している唄をお客さんの前で唄いますか?と。彼女のことを踏み台にして新たな唄を作るくらいの自己愛の自己中でないと、大勢の人の心を動かす歌は作れないのではないかと今は想ったりしています。

(身も蓋もない七氏論)

彼女はまだ彼を支えている気持ちなのかもしれなくて、一番後ろの客席が一番心は近いのかもしれないけれど、”私にとっての思い出”は、”僕にとっては忘れたいこと”なのかもしれない。ステージと客席同じ会場の中だけれど、それこそもう二人の時空は違うものなのでしょう。

・・・

歌は、、、
誰か特定の存在のためだけにあるものではないのだよフフっ・と、強がった気持ちでいたい一般People一消費者の私ですが・・・

そして尚且つ、

”そうじゃなくてもそう想わせてしまう罪深さ”まで会得したのが今のShoyanであると、私は無抵抗でその魔力にただひれ伏すのでありました。

もう何年?


伊勢正三の音楽の、ある一方向の最大振り幅の極みにある唄だと思っています。




※今回(も)言いたい放題書いてしまいました(汗)。
 ご容赦願います。
そう、今の季節・今のこころに如実にフィットするこの曲を聴いて泣こう。

夏終わりのS級名曲。
去年『心のままに』を書いたのが昨日のことのようで、この一年、特に今年に入ってからの自分は心身ともに記憶がないほどつらたんだったなぁと、夏の終わりに我に還って少し自覚できるようになりました。この歌を今想い出してホッとしています。

・・・

この『思案のスクリーン』は、当時持っていた月間明星の付録(ヤンソン!)に載っていたのを覚えています。新アルバム紹介だったのか、、、その頃伊勢正三という人を知らなかったので”柏原芳恵ちゃんの新曲”という認識でした。(当時「思惑」と思ったら「思案」だったので意識に残っていたらしい)

その後、伊勢正三の存在を知り、沢山の曲を後から追いかけていく中で、師と仰ぐ古参ファンの人から提供曲のことを教えてもらい、その中にこの歌がありました。私の好きなBossaテイストの夏終わりの曲、いっぺんで大好きになりました。その時にヤンソンを思い出して「あぁ、知らず知らず目にしていたんだな」って嬉しくも思った想い出の曲です。

よく考えてみれば南こうせつ氏の『夏は知ってる』と同年の作品で、なんとなくまるで裏表・兄弟のような曲だとも思っている。その頃のShoyanの心の海辺が見えるようだ。この頃(前年1982年)サザンオールスターズの『夏をあきらめて』という曲があった。世の中は成長期の真夏の熱い喧騒よりも、フト我に還った夏の陰りに傾いていたのかもしれない。1983年前後のShoyanの中の夏も少しCOOLだったのかなって想像する。


・・・

♪ずぶ濡れの雨の海岸に
 たおれたパラソル夏の日の

場面は夏の終わりだけれど夕景やオレンジなどの暖色系ではなく、全体的に青緑がかった印象派の俯瞰の景色。具体的ではない抒情がすごく好きなのだ。例えば『汐風』や『海辺のジャパニーズ・レストラン』のような暖かサミシイ要素はないけれど、かといって突き放すようなクールさではなくShoyanが一番得意とされる?”独り立ちしている寂しさ”が毅然とあって、そこにすごく共感するのだ。さみしくないさみしさを知る者の視点。だから繰り返し聴けるのかもしれない。

青い夏という単語はあるけれど、どこか海の青さはもっと複雑で、過ぎた海ならなおさらに翡翠のようなグリーンも忍ばせて、、砂浜のベージュ、貝殻の薄ピンク、日焼た肌の褐色、出会いの雨の海岸の鈍色、都会のくぐもった白い青空とシルバーに光るビルディング、沈んでいく心の中の深い藍色・・・その色だけをのせていけばこの歌が視える気がする。

その視え方は言葉だけではなく、むしろメロディーの印象も大きい。この歌のメロディーラインが私には泣けてくる心地なのです。手を伸ばしたり引き寄せたり、縦横無尽にクルクルと回す日傘のように・・・Shoyanのサウダージ極まっています(涙)。

♪バス停~、アドレス~、の箇所なんてとてもShoyanらしい切ない音でグッとくるのだけれど、それはとても難しくて、歌い切っている当時のアイドル歌手さんは偉いなぁって尊敬の念も抱くのであります。またドラマチックかつ洒脱なアレンジが素晴らしくて、キャッチーなイントロからつい全部最後まで聴きいってしまう隙のなさが心憎い。(後日調べたら編曲:服部克久御大であったのに納得。ちなみにさだまさし氏の『推理小説(ミステリー)』にアレンジのテイストがちょっと似てるなって思ってました^^;)


思案とcyan?
この曲は本当にShoyanらしい絵の具で塗られている小さな絵。
質のいいシンプルな額縁の編曲に収まったひと夏分の壁掛け作品。
とても軽やかに垢ぬけた印象の底に、つげ義春の『海辺の叙景』に通じるような静かな移ろう虚があって、そこに自分のさみしさが嵌っていく・・・


♪だけど知らず知らず
♪そして知らず知らず

どうしてしまうというのか?

都会に戻って日常に埋もれても
だけど遠隔地で起きた夏のひとときを知らず知らず想い出してしまう

都会に戻って日常に埋もれてしまえば
そしてそのうちその夏のひとときは知らず知らず忘れていく

・・・と、
それは貝殻の中のアドレスの行方次第ってこと・・・
恋の満ち潮と引き潮、やはり、SO COOLですね(涙)。

毎年この時期、数週間だけ聴く大切な一曲です。




※そうそう、関係ないですが、今検索していたら世のサブスクや販売サイトでは南こうせつ『夏は知っている』と表記されていた。おいちゃん公式では『~知ってる』となっている。そしてJASRACで検索すると・・・ローマ字表記が謎過ぎるのだ(>_<)ワカラヌw

といっても()であります。歌の内容に関しては今日は書かずに・・・


ここでは普段、いかに自分がその曲を想っているかということを書こうと思っていますが、今回は逆に自分で掴めなかったもどかしさを書いてみようと思います。


・・・


この歌を初めて聴いたのは1982年頃だと思うのだけど、1975年の風のシングルヒットから7年しか経っていないのに、その時点でこうした”叙情的なフォークソング”色の歌は私達中学生にとってはすでにとても古い歌に思えた。


それは私個人の問題なのだが、自分が音楽を聴き始めた頃はちょうどアイドル達や荒井由実ではないユーミン、サザン、八神純子氏や寺尾聰氏、すでに垢抜けたオフコースのシングルなどが世を賑わせていた頃だったので、このかぐや姫の三階建の詩や風の長髪ジーンズ&ロンブーのフォークの世界は江戸時代と明治時代くらいの激変に思えたのでした。
(14歳時の素直な印象なんです。風の後期の色っぽさや、ソロでリアルタイムにAORに挑戦していたShoyanに気づくのはまだ先なので、この未熟な第一印象どうぞお許しください 泣)


その頃の世の中は、青春時代はここまで・社会人になったら大人の世界!という明確な境界線というか、大きな線引きがあったような気がする。だからティーンエイジャー(学生時代)の頃に聴いていた曲は社会に出たら卒業しなくちゃいけない・みたいな風潮がなきにしもあらず。子供時代の感性のままのオタク心を持ち続けて表に出している人はまだそんなにいなかったと思うのだ。


(これまた個人の勝手な記憶とイメージですが)


だから、、、
その頃の青春を生きた人たちの想い出の一曲に対する思い入れって凄まじいものがあったのではないだろうかと今思う。それによってまた余計にこの歌に一種の孤高さを私は感じてしまうのだ。


・・・


実は私思うに、伊勢正三ファンの中ではむしろ、『なごり雪』より風の『22才の別れ』に思い入れや思い出が深い人が多いのではないか?という印象がある。だからこの歌は絶対に外せないし、正ヤンのフラッグシップ曲であると常に思っています。


けれど、こんな事を言うとまた真正面から鉄槌を食らわされそうですが、実は、、、

私にとってはこの歌は一番”伊勢正三らしくない”歌のような気がして、いつも聴く度にショーケースの中の特別展示品を拝見している気持ちになっていたのです。代表作なのに遠い気がして・・・


それは私の時間が違いすぎるからなのか、感性が違いすぎるからなのかワカラナイのですが、伊勢正三のコア部分なのに私には通り抜けてしまう感触が長きにわたってありました。


Shoyanの実験的な試みとか、寝かせて仕込んできた言葉とか、独自の角度のカメラワークとか、そうした今現在は完全に熟成された”感性力”のニュアンスが、この歌はまだ未遂な気がして、それまでの作詩だけの曲とも違う、あまりにもストレートな”意識して書いた感”が顕著に思えて、他と一線を画す感じなのであります。


でもだからヒットしたとも言える!?モチロンだ!と。一番最初に作詞作曲した歌ですものね!素直な直球が最強なのかもしれません・・・


2大巨頭の『なごり雪』と『22才の別れ』には、”無意識”と”顕在意識”・”生まれた曲”と”作られた曲”の違いはあるような気がする。


(近年中でも最高生意気な意見、平にご容赦下さい)


・・・と、やっぱりこの歌のことを書くとこんな感じの内容になるということで何度も書いてはいつも途中でやめて引き返してきていたのだけれど、何十年もの葛藤の末に今一回ここに書いておくことにしました。


・・・


・・・


今までコンサート・テレビ出演などなど、あまりにも沢山の機会で聴き続けてきましたが、歌い方の変化やキーの変化、その度にどことなくレコード音源の印象との違和感?やズレ感?を感じることが多々あったけれど、実は最近の演奏・歌唱はものすごく万全な完成形だなって深く想い始めています。


歌や演奏のパフォーマンスももちろんだけれど、LIVE!を聴きに来る今現在のすべての聴手を納得させる感動の深い説得力がこの『22才の別れ』に今凝縮されていると感じるのです。ヒットした時点が最高だったのではなくて、この今こそこの歌は完成したのじゃないだろうか?と、心の底から偽りなく思うようになりました。


だから今この歌がとても好きだし、大切だと真っ直ぐな気持ちで想っています。


40年以上聴いてこられて、今が一番この歌を解れてると思えたし、一番好きな心で聴けています。嬉しいです。


ヒット曲の呪い(時代の呪い)が解けて、今100%伊勢正三ご自身の歌だって堂々と輝いている素晴らしい歌だって想います。


美しいギターの弦の音と、湿っぽくならない弾むシャッフル感、少しだけ不思議な言葉選び、悲しさをキラメキに変えてしまうShoyanの魔法が濃縮された、青春を葬る名曲なり・と今想っている次第です。


今のコンサートでは正座して聴く気持ちで臨む一曲です。早く次のステージで聴きたい、今のShoyanの手漉き和紙のような柔らかいお声で切なく奏でて欲しいと、とても楽しみにしている2025年令和7年の今日このごろです。



※何か自分にも心境の過渡期なのか、思いもよらぬ生意気の極致を書いてしまいました。笑止千万の乱暴な呟きをどうぞ生暖かくスルーしていただけましたら幸いです(汗)。

先日は北海道でも気温が40℃に迫る猛暑だったそうですが、

〜命まで干乾びると
    笑いながら掻く汗を
    手のひらで払って
    へたり込む扇風機・・・(@_@;)

いやいやいや、そうじゃない
猛暑は深刻なのだ
(勝手な替え歌すみません 滝汗)



昨日、2025年7月28日は中標津〜東京羽田間の直行便が就航されて35周年だったそうです。

根室中標津空港ブログ

ということは!?
『NAKASHIBETSU』の頃は道内(丘珠・千歳)便のみだったのですね。

なんてことを今頃気づきました。

ましてや、最初の別れの場面がいつだったのかによって行き先も違う!

でも、イメージはやはりYS-11です。

・・・

『Orange Grove』のコンチネンタル航空も今はなきであります。

自分が子供だった頃に今の自分で旅行して見聞してみたい、などと空想している寝床です☆

今日も明日も何処かへ行きたいな(*´ω`*)。

久しぶりのオヤスミナサイ☆彡
この歌のことを書いていなかった。

この歌がシングル盤として発売されたことがShoyanの長期休養(と言っても6年ですが)の発端だったのではないかと思っている。

確か収録のアルバム『Out Of Town』の発売は当初1987/4/25の予定だった。
アルバム自体は9月発売に延期になったのだけど、その前に7月にシングルカットされたのがこの『悲しくて』だった。

実はこれまた3月に『悲しくなるほど』が発売の予定だったようだが、曲も変更になって出たのがこの歌で、待ちに待ったシングルだ!・・・と、本当に期待していた。(でもスタッフさんの方で『悲しくなるほど』と『悲しくて』を取り違えてお知らせくださったのだったらどうにもしようがないのですが^^;)

『悲しくなるほど』の方はタイトルの”悲”という文字とは裏腹に、悶とした湿り気のあるトキメキがあって、街のざわめきの一刻前の朝空に清々しい気持ちになる曲だと思うけれど、『悲しくて』の方は容赦ない本降りの雨に行き場を失うアスファルトの水溜りのような、乱暴なバシャバシャ感に胸がざわめく。このやりきれなさ・焦燥感、衝撃だった。

唸ってる!Shoyan!
がなってる!!Shoyan!!

♪限りなき 静けさの中へ 
 君の肩を抱いたまま眠れば・・・

囁くShoyanもいた。
これも裸の伊勢正三だった(と思う)。

※玉置浩二よりカッコエエ(*´ω`)

前のアルバム『HEARTBEAT』ではとことん甘い二人っきりの世界をくれたけど、何故かここでは寂しいのが気になった。
その分、余計に惹かれた。

♪Don'tStop!
   君の声が   聴きたいから・・・

と歌いつつ、当時のShoyanに私のような小さなファンの声は届かずに、、、いつしか情報もなくなり事務所的な窓口もなくなりShoyanには逢えなくなった。これだけ伊勢正三の歌曲に惹かれて感動して得るものが多くて、絶対的にこの世の中に必要であって世界的にも稀有な音楽的世界だ!って心の底から真心100%で思っていたのに、その想いを届けるすべがなくなって、表明する場も無くなって、何より、何よりShoyan御本人がそんなもの不要だと思われて避けてしまわれたのかと感じられて、これは本当に本当に悲しくて悔しい事実でありました。数十年経った今でも痛く引き摺るやりきれなさであります。

この『悲しくて』の「サイアク」というフレーズがすべてだと思う。このShoyanの逆ギレとも思える世の中へのアンチテーゼ色は、聴く者にとっても胸の傷む内容だった。いくらバブルの熟れて爛れた価値観が満ちた都会だとしても、つい数年前までその真っただ中にいらっしゃったであろうShoyanからの全否定のギャップに、聴く者の胸も乱れて、、、そして互いに距離を置いていくことに繋がったのではなかろうか。(私は絶対に食らいついていこうともがきましたが 悲)

また当時、ShoyanはアルバムPRで出演したラジオで"Out Of Town"というフレーズについて、都市と人間の生活の距離感などを色々語ってくれていたけど、Shoyanは六本木が好きなんだろうか?
キライなんだろうか?
"東京"は片想いのカノジョだったのかと・・・?

発売当時女子大生だった私はこの『悲しくて』の孤独までおそらく届かなかったと思う。なんだか、形にならない不満や不安・ジレンマを感じることは出来ても、我が事として感じるには生きてきた時間が足りなかったと、今想う。

でもしかし、今この2025年、想像もできないほど後の世になって、色んな事が逆転していると思うと感慨深い。永く永く聴き続けてきて、私自身もサイアクで悲しくてむなしいこと沢山得て、”どうにもならないこと”は”どうにもならない”と痛いほど分かって今に至る。

この令和の世ではShoyanは六本木がダイスキでいらっしゃるみたいだし♪、目には見えぬ沢山の”諦めない君たち”の声は確実にShoyanの心に届いたのではないかと思っている。今のShoyanご自身は、きっと”空しくない答え”を体感されている!と思う。そう信じている。

・・・

今でも思うことがある。

♪Don'tStop!
 君の声が もうそこまで 

どこかにこんな自分のことを待っている人がいるのではないかと、
己以外に自分のことに興味を持ってくれている人がいるのではないかと、

都会の中で行き交う人達はみんな、少なからずそんな願望を抱きながら暮らしているのではないだろうか。そんな、誰にも受け止めてもらえない孤独な思いが少しづつ滲んでるから都会はどこか切ないんだきっと・・・


この歌の"君の声"は何か悲しい予感なのだろう。
聞こえても聞こえなくても、一度何かが終わることは避けられなかったのではないだろうか。それをある意味素直に作品にして、自分の感触を敢えて残そうと実行したShoyanの頑なな意気が尊い。

このビートの効いたアレンジは大好きで、いつも聴くたびに理不尽や空しさに克つための気合が入る異色の一曲であります。

(なぜか今、リアルに響くのでした 涙)



そういえば、公式のディスコグラフィーのページを見て思い出したのですが、昔は大切なCDのケースには中にドーナツ型のクッションシールを貼ったりして特別感を演出していたりしました。(意味があったのかはわかりませんが(笑)) Out Of Townはリアルタイム盤と再発売盤と2種類のCDが発売されていますが、どちらにもクッションシールを貼って保管していました。

懐かしいな〜。
すでにCD文化もレコード並みにナツカシいものになったんですね。



下の白い盤の方が1993年に再発売されたもの。
ナゼ帯だけ2枚あるのかは謎ということで(∩´∀`)∩☆
上の1987年当時のCDには違う品番(32SD-13)が記されています。
公式のディスコグラフィーに載っているのは再発売の品番のようです。

(あ、もちろんこの他にLPレコードがあります♪)

なんだかマニアックな締めになってしまった(汗笑)

こういう、ひたすら人の心を暖めるためにあるような優しい歌はShoyanの歌の真骨頂なのではないかと想う。


初めて聴いたときからずっと大好きだ。


gardenのアルバムの中で一番安定していて、まろやかで調和がとれている佳曲だと想う。(モチロンどの曲もShoyanの思い入れをたっぷり感じる濃い曲ばかりですが)言葉の並びは一見脈絡のないようにも聴こえるし?場面がいくつもシャッフルされて実際イミフな前後関係だったりする。けれどそれが終始すると大きな調和なのが凄い。


私の妹もこのアルバムの中でこの曲が一番好き♪と言っていた。なんとなく、その感触わかるような気がする。


「私」と「君」は誰?
きっとひとりの同じもの。
紅と茜みたいに同じ色なのに違う色。
この世のそこここに点在する”さみしがりや同盟”のメンバーたちの眼差しだと思う。


なんとなく、この視点の曖昧さがどこか伝承民謡のようで、辻褄よりも言葉触り・肌触りのほうに説得力がある。


歌い出しからして


♪私は波の上をゆれてキラリと涙
 紅燃える海の月になる
 今は幻 ホロアロア


と、語り部口調のローカルなお伽噺のような導入がロマンチック。


例えばハワイの伝説や神話など詳しくないので、何かの例えなのかなとも思うのですが、入植した人たちとコーヒー農園の小さな古い町だと聞くとノスタルジックな気持ちになる(例え知らなくても)。


ハワイ島は火山島なのでとても憧れた。(噴火とかマグマとか大好き)ブラックサンドビーチにも憧れて、この歌を聴く数年前に一度、横浜にいた頃にガイドブックを買って読み込んだりした。マウナケアの星空日本語ツアーというのがあると知り、標高4000m超えの夜空を見てみたいなぁと思っていた。でも、そんな夢も個人的な事情で諦めてしまった・・・だからこの歌を聴いてとても慰められたし嬉しかった。そういう意味でもこの歌には私自身の夢も詰まっているのです。


♪想いをくりかえして私は貝になった
   ここから星のように見つめてる


ここが一番好きなフレーズ♪
貝は水底や砂の中に棲んでいるはずなのにお空の星のように見つめてる・というのが不思議な可愛い景色。
「貝になる」とは普通は「口を閉ざす」という意味でしょう?
後に出てくる「どこか生意気な君」とは別物のように思えるケド・・・
でも、舌鋒の奥底には言い表せない真心が不器用に潜んでいるのかもしれない。


それが「スキなのはなぜ」の答えなのだと想う。


(君と私は全然別の存在なのだけど、でも同一線上で考えてみても面白いので、ワタシは個人的に混ぜ込んで考えたりしてます)


・・・


海の月って、海面波間に映る月?
この『闇の夜のハネムーン』の闇ってナニ?ハネムーンてナニ?となる。


真っ暗闇=月のない夜、なのに愛し合ってるから蜜の月。


♪闇の中でも もうたじろがないで


と言われても
闇、怖い・・・
自分が闇に包まれてしまうときと
自分の中に闇が渦巻くときと
どちらも怖い。


美しい自分=理想の自分、なんてどこかに雲散霧消してしまう・・・どうしたらいいの、って不安になる。頑なに閉じる二枚貝だろうか、答えの出ない螺旋の中に逃避してしまう巻き貝だろうか・・・それはキミの自由にして♪と、Shoyanの声は優しい。貝の中に隠れて嵐が過ぎるのを待つ、か弱いこの愛をいつか捧げよう。


闇の夜のハネムーンと言いながらgardenの中には闇はなく、美しくてシアワセな真っ白な世界が拡がっていた。むしろ満月が皓々と支配するような”あきらか”な世界だったと思う。


だから当時、ここにおける”闇の中”って
本当の闇なの??ってわからなかった。


でも、眠りにつく時も闇なんだと思う。


あんなに安らぎなのに・・・
あなたの胸に顔を埋めても
目の前は何も見えない
だけど、どんな表情をしてるのか
手に取るようにわかる・・・
自分の見つめたいものだけが見えるのだ。


真っ暗闇の中で眸を凝らすような、そんな強い気持ちもやさしいキモチの裏返しなのかな・・・


新月の中で
あなたに手を引かれたら
それだけで歩いていけると
今は想っています。


・・・


"想い出"という砂の中に埋めた"人恋しさの罪"を掘り起こしてしまうのは、果たして引き潮なのか、満ち潮なのかそれはわからないけれど、Honeymoonの引力の行方はまだまだ研究の余地がある。罪のパワーと反応しちゃったら惹き合うのか、スイングバイしちゃうのか、20年以上経ってもどちらとも想えて無限だ。


”青碧のオーラ”と”闇”は異なるようで実は同じものなのかもしれない。


(結局何が言いたいのか散漫な七氏よ(笑))


Shoyanご自身、自分の作る歌には別れる歌が多いなんておっしゃるけれど、私が伊勢正三の歌を好きな理由はこういうあたたかい歌があるからです。これからもこういった甘酸っぱいホットレモネードみたいな歌を沢山作って欲しいと想いながら待っています☆


好きなキモチを素直に羅列してみました!


追:
南こうせつおいちゃんとの共作『ハネムーンの島』もハワイ島が舞台で”ワイメア”とか出てきますが、こちらはとても明瞭で弾むような曲で、バリバリの新婚賛歌ですね。Hawaiiハネムーンシリーズは日本で小さく暮らしている私にとっての夢疑似体験ソングとして憧れの世界です。


(ハワイというとやはり”憧れ”なのかと思う昭和世代(*´∀`*)♪)


あ、謎の電子音もお忘れなく(笑)!?

まったく全然関係ないのにフト、、、

以前ここで未発表曲のことを少し書いた際に引用した雪印のCM曲『未来の女神』ですが、YouTubeで”雪印 CM 伊勢正三”と検索しても出てこないのですね。
(例の違法アップロード氏のアカウントにもないみたい?(^^;))

北海道ギフトの宣伝だったので、”北海道”をキーワードに入れると辿り着けるのでした。しかも長いバージョンと短いバージョンがあるのです。長い方が曲も長く再生されています。

https://www.youtube.com/watch?v=qvjA5agNRHA
(懐かしいCMをアップしてるアカウントさん)

↑リンク貼っていないのでコピペしてください

このCM曲をお創りになった時にShoyanは「雪印の会社の担当の方がとても誠意のある方たちだったから受けたんだ」というようなお話をどこかでされていたような気がします(うろ覚え情報)。依頼する方もされる側もそんなスタンスっていいなと思います。そんな風に出来上がった曲だから今でもこんなに大切に想うのかもしれません。

※雪印乳業はその後、例の事件が発覚して雪印メグミルクとなるのですが、この時の対応の真逆のイメージに混乱した覚えがあります。 大きな会社ムツカシイ^^;

・・・と、脱線しましたが、
実はこの曲、編曲は佐藤準氏なのではないかと密かに妄想しているワタシでした。JASRACには編曲まで明記されていないのでワカラナ~イ残念(∩´∀`)∩

(編曲違う方だったらゴメンナサイ 汗)


『HEART BEAT』〜 Heartbeat
ってナニ?という人も多いのではないかと思うくらい、伊勢正三の音楽歴史の中で最深部に埋もれてしまっているようなアルバムなのでは?という印象。

ずっと以前に、いの一番にこの歌のことを書いたことがあるのだけど、大切過ぎて奥底に仕舞い込んでしまった。けれど、ここに載せていないことをこの一連の準ちゃんインパクトで想い出し、今載せないとこれからもう載せることがないかもしれないので突然投げてみようと思います。

・・・

例えば、伊勢正三の曲で無人島に持っていく10曲ってナニ?と言われたらこの歌が5本指に入るのだ。

作詞も他の知らん人(スンマセン)と共作になっているし、発売時はほぼ休養時期の扱いだし、風やかぐや姫のファンたちが一番離れていた時期のアルバムだから、話題にあがることもほとんどなくて、評価すら不明のアルバムなんじゃなかろかと思っている。

けれどけれど、このアルバムがなかったら私はShoyanのファンとしてここまで生きてこなかったかもしれない、と思うほど大事な作品達なのだ。(でもだから私はやはり真の伊勢正三ファンじゃないのかもしれません 汗)

以下、20年前に書いたものに注を加えたものを載せておきたいと思う。

・・・


高校一年生の11月、自分の誕生日のすぐあと(11月5日)に発売になったこのアルバム。初めてリアルタイムで発売に立ち会えた一枚だったので思い入れがとても深い。たしか駅前のレコードショップに予約した・予約!これも初体験!自分で自分への誕生日プレゼントと勝手に決めて、胸躍らせて買いに行ったっけ。
当時「伊勢正三のレコード」を買う女子高生なんていなかった。ましてやこのあと、お年玉をはたいて『ビデオ・かぐや姫フォーエバー』を取り寄せしたりしたものだから、レコードショップからは完全に変わった高校生と思われてたようだ。ちなみに、そのビデオフォーエバーは自宅にビデオデッキがなかったので(ないのに買った)高校の最新設備の視聴覚室を占拠し、少数の理解ある友人と若いフォーク好きな先生たちを招き大画面で上映会をしたのだった。(良い思い出^^b)

・・・

で、タイトル曲『Heartbeat』。
その頃、シンプジャーナルやGBという音楽雑誌があって、それに少しだけどShoyanの記事・最新情報も出ていた。書店でバックナンバーも調べて取り寄せてもらった。だからアルバムの予備知識もあった。

「自宅近くに自作のスタジオを作って、そこで自分で録音したんです」と語るShoyanがすごく楽しそうで、このアルバムはとても暖かいものに思えた。『スモークドガラス越しの景色』や『ORANGE』に比べてもっと個人的というか、伊勢正三ご本人、ひとりのShoyanに近い・そんな感じのこじんまりした世界に思えた。
そんな密室感濃厚な中で

♪~よりそう二人 
  はじける暖炉も燃えつきて
   とけてゆく夜~  
     An haha…(悶)

と、いう世界は16歳の孤独な自分にはまたとない隠れ家だった。単に誕生日記念に買ったから好きなだけじゃない、なんていうか、この甘ったるい焦がし砂糖のような愛の世界が私は大好きなのだ。私はこういうShoyanが好きで好きで、今までずっと不器用な自分をこの歌に慰めてもらってきた。思えば必ずこの季節には先の『あいつが生まれた朝』とともに毎年ヘヴィーローテーションなのだ。

どうして?
人恋しい季節だから?

いやもっと懐かしいものへ
自分が戻れるからだ

・・・

伊勢正三はクールでカッコよくあるべきだ・と思う人には、わからない世界かもしれない。
実際、Shoyanはいつでもすごく素敵だ。
スマートでお洒落で金星が天秤座的で(?)若い頃もお歳を重ねてからもずっとカッコいいし、美しいものがよく似合う。だけど、Shoyanの"ゆらぎの部分"はもっと魅力的だ。

『Heartbeat』は微妙な片想いと恋の成就の過程でウブな気持ちが高揚していて、そこが無性にくすぐったい。こういう気持ってオシャレじゃない。人を好きになる気持ちってカッコ悪いんだ、
苦恥ずかしいんだ。

でも、それを駆逐する甘さが『Heartbeat』にはある。
それって何だろう?

"純粋さ"かな
このアルバム全部に感じられる"素"な感じ、Shoyanの裸な感じ、それが愛しさの素だと思っている。

近いんだ、Shoyanが(涙)。

・・・

♪~車とばして 夜の湖 
 言葉途切れて 街の灯り・・・

Tromboneの間奏がスモーキーでいい。
夜景と流星の軌跡のような一音が煌めく。
二人だけを切り取って包んでくれるような、ステージの転換にぴったり。JUN氏の蕩けるようなアレンジと音も本当に暖かくて滑らかだ。(特にこの準氏のシンセベースはいつも好き☆)

このシーン、すごく憧れた。
いまだに憧れのまま実行に移せていない。
自分の妄想では、16歳で聴いた当初から設定が山中湖で(謎)「いつかオトナになったら独りでこの曲をかけて夜のドライブをしてやろう」なんて思ってたのに、何も出来ずもう人生の後半にきてしまった。

だがしかし、まだチャンスはいくらでもある。
いつかまた昼間でもいいから、山中湖のお気に入りの店の温かいチェリーパイを食べに行きたい。

(2025年時点実行できていませんが^^;)

そんなことを想うだけでも胸が暖まる。

この歌は三十年(いや四十年以上)近くも私を暖め続けてきてくれた。
休みなしにだ。
ShoyanのLoveSongはカシミヤの手触りだ。そして吐息やうっすらかいた汗の生々しさが残る。自分のベッドには誰も寝かせたくない・・・そういう独占的な思い入れを持たせてくれる歌。

Shoyanが弾くラストのエレキギターは最高で、エンドロールのフレーズなんて天使が舞い降りてくるかのように甘い、甘い。キャラメルリボンで絡める~って感じでShoyanの愛情100%の音だ。イントロから最後まで本当に終始甘く切ない。

・・・

当時このアルバム発売に併せたツアーもあった。それが人生で初めて行った伊勢正三のコンサートだった。1984年11月20日の渋谷は寒かったのを覚えている。公園通りの街路樹に何枚もコンサートのポスターが貼られていた。ツイードのジャケットでちょっと斜に構えたShoyanの肖像は
アゴヒゲがなくて鋭いまなざしだった・・・あのペールブルーのまなざしが今でも一番好きだ。

♪今 誰よりも君が好き・・・

これからもずっとそう歌っていて

メロディーの中のふたりの鼓動が聴こえる。
流れてゆく時間はカンケイない
隔てるものも何もないみたいだ
例え、いつの日かラストダンスの時間が訪れても、それは怖くないみたい・・・

時が流れ去っても
ラストダンスがキャンセルになっても
その寄り添った時間はそこで
ずっと、ずっと、誰にも邪魔されずに
刻まれ続けるBEATだから♪

見えなくても・・・
同期している動機のドキドキが
アナタとワタシの永遠だったら
いいなと想うのです。



2005年11月10日(2013年10月改)

2025年7月20日

プロフィール

HN:
No Name 七氏−1.0
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!

☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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