Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

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「♪そんなことがあって~」

って

「どんなことがあったんですかっ!!?」

と、いつも突っ込んでしまう唐突な歌い出しが印象深い。
(モチロンそれは後で説明があるが)

前半は旧い映画のような、最近でいうと韓流ドラマのような(?)ストーリー仕立てだけど、後半"運命を追い越す"あたりから急に具体的なことが薄まり、馴れ合った二人に何があって、何を失って"僕や君"がいなくても時が流れそうになるのだろう?と、そして、どういう再生を経由してそれを修復し"君は僕のたったひとつの惑星"と言えるまでになったのか?

まるっきり縁のなかった二人が、まるっきりの偶然で、ある場所である時出会い、時を重ねてひとつになろうとする・・・
それってものすごいことだ。
余程の理由があるはずだ。

けれど、その理由や縁や運命なんて言葉を意識し始めると、事実はそこから流れを変えてしまうこともある。

同じ川なのに、
枯渇したり
溢れ出して決壊したり・・・

源流の無意識下で降る雨の量を、ほとんどの人は知らないまま日々を過ごしているから、自分の心と相手の心の中で起こることが"偶然"に思えてしまうのだろう。

・・・

"すべてのことは必然"
とはどういうことだろうか?

物事はいつも山登りのようで、山頂で我に返って振り返ると後ろに長い長い山道が続いている。「出会い」という道標に導かれて傾斜の上のほうへ、能動的に登っていくことが恋愛だろうか。
登りきった山を二人で下るか、
独りで下山するか、
滑落するか、
登頂の後がモンダイなのに・・・

運命を追い越したり、運命にほおづえをついたりすることは出来るけど、"必然"はコントロール出来ない。なぜなら、必然は私たちの行動の薄紙一枚"後"からやってくるものだと思うから・・・人生はいつも"後輪駆動"なんだと思う。「これが必然だ」などと、先に意識しながら行動できるものではないのだ。

『有り得ない偶然』の後半が抽象的なのは、きっと聴く人なりの必然を書き込みなさい・というShoyanの余白なのかもと思う。現に私には本当に不思議な"有り得ない偶然"が沢山訪れてくれた。それゆえにこの歌はとても大事な時の画鋲になっている。それは意識して出来ることじゃないから・・・だから、「有り得るのは必然」というのがよくわかる。思い込みや欲望、下心・の一歩外にあるのが必然だと、心の片隅に置いて行動できたらいいのにと思うけど、私はやっぱりまだまだ自分の顕在意識に翻弄される未熟者だ。

しっかし、この佐藤準氏のゴキゲンなピアノが最高なんです。
この演奏も人の縁の妙を感じる素晴らしいものだと思う。
今度のRe-bornの森一美氏とのやりとりもそうだけど、何か事柄がまた新たに転がり始める時って色んなものを巻き込んで動いていくのだなぁと思う。必然の結び目もほどいてゆくと偶然の撚り合わせから成り立っているのだなと思うのであります。

※2010年7月に書いたものを改編
『Re-born』のジャケ写を眺めながらフト想う・・・

♪風の街で 
 帽子を押さえながら 
  ほら 笑ってしまうでしょう?

って、また今そう言われてるみたいに、
フッと口角が上がってしまう。

それは、

♪負けても楽しいジャンケンみたい

に、
「わー!飛ばされなくって良かった~♪」
「わー!負けちゃったよぉおお♪」

の♪なカンジ。
無邪気な、Wow!
その直後を想うワケ。
・・・・・
さて、以下その『笑顔』のこと少し書いたものをまとめて載せておく。発売当初の2011年10月と2012年の5月に書いたものだ。なんとなく今思い出したので掘り起こしてきた。


その1 ☆言葉のベッド

『笑顔』は先にネット上で歌詞が読めたので、知ったのは歌詞が先だったけれど、"歌”って初めて聴く時はメロディーが先に耳に入ってきて、胸の中に言葉(フレーズ)のベッドを作るんだ♪
そうして、歌詞を受け取ってゆく。

何度も何度もこの歌だけ繰り返して、根本的に何かがほどけて、とっても楽になっていく気持ちを覚えた。独りじゃ変えられない気分。Shoyanの音がそっと手を添えてくれて・・・嬉しかった。

音の順序を覚えていくうちにどんどん泣けてきた。予想より遥かに多くの涙が出てくる。こんなに泣けると思っていなかったんだ。

音が、メロディーが心地良くて、言葉はまだ覚え切れないのに何か伝わってくるものが大きくて、心の水位が急上昇して溢れそうだ。

不思議とShoyanご自身が歌ってる声が聴こえてしまい、「ヴォーカルでは参加してないよね?」と確認する。まったくの気のせいなのだけど、何故か聴こえてしまうんだ(妄)。Shoyanの最近のギター、本当にノッてるなぁ(*´∀`*)若草の匂いがするヨ (涙)。

Shoyan・・・
音楽って素晴らしいです。
言葉より先に"音"がまず、私を慰めてくれてる。それってすごいことだ・・・。想像以上の大きな・暖かい愛情にまず"感触"で包まれる。そして心が耕された頃に言葉の種に気付く。

~時がいつか 悲しい景色を選んで 
 塗り変えてくれる

~空が泣きそうな時も
 花には歌が聴こえてる

~風の街で帽子を押さえながら
 ほら 笑ってしまうでしょう

どれも何気ない言葉で出来ているけど、紛れもないShoyanのまなざし!大好きなフレーズ。素材の味だけで楽しめる温野菜のサラダみたい。聴いたあとに心と身体がすべて開くような、優しい寄り添いを感じるんだ。(例えそれを他のアーチストが歌っていても)

この感触がShoyanのラブソングの基本なんだと想う。ダンスの時にスッと伸ばした手をとる相方の呼吸、それをよく感じられるのが『笑顔』なんだ。

2011年10月13日

・・・・・・・・・・

その2 ☆笑顔の下描き

Shoyan・・・
~涙の分だけ 笑顔に会える
と言うことは、やはり

「笑顔の分だけ そのバックグラウンドには涙もある(かもしれない)」

ということですか?
私はそう想うんです。

花にとっては恵みの雨も、やはりもう一度裏返せば、そんな校庭の片隅で、ずぶ濡れで泥ハネに泣く子がいるかもしれないと・・・

そんな、この歌の持つ"白と黒"みたいな部分をわざわざひっくり返して考えてみる。だからこそ、今余計に好きになって・大切になって、発売された頃とは少し違う聴き方を繰り返している。

~時がいつか悲しい景色を"選んで"塗り替えてくれる

ならば、ずっと続いて現在進行形の悲しみはどうなりますか?

"時"というのは、その出来事が後ろに去っていくからある概念で、「時が経つから、流れるから解決に向かう」のだと思う。

"失恋"というクサビから一時間一週間一年十年と時間が過ぎるから、悲しい景色は塗り変わっていける。でも、ずっと継続して降り注いでくる悲しみや苦しみに対して、時は何をしてくれるのだろう? と、そう思うのです。

例えば、ものすごく具体的に言えば、親に愛情をもらえないまま虐待されている子供や、会社の経営が苦しくて逃げ出したい人、でも仕事をしなくては家族と自分を存続できない、働いても働いても身体が傷むばかりで貧しさから解放されず、"生きるために死にそうになっている"人。それこそ、もっと広く目を向ければ、何十年も続く戦争や飢餓が日常になっている人たち・・・。本人がどんなにどんなに頑張って耐えても、他者から流れ込む汚れた波で溺死寸前の人がいる。そういう人たちに"時"は存在するのだろうか・・・。時の流れが止まった世界で、悲しい景色が塗り変わることはあるのだろうか?人一人が生きている一生の間に、間に合うのだろうか・・・と。

そういった"時の解決"は、悩みや苦しみの波を潜り抜けた人だけに訪れるものだとわかってはいるけれど、今、いつまでも限りなく押し寄せる苦しみの波の中で、追いつめられている人は沢山いる。その人たちの笑顔って、どうしたら得られるのだろうと、この歌を聴きながら想うのです。

だから、この歌を何度も聴いていて想ったのは、もしかして、今のShoyanでさえもまだその歌や言葉に託しきれない重い何かが、今の世の中に澱み降り積もり続けているのじゃないかと・・・
そんな"未解決"にも気が向いてしまうのだ。

でも、この『笑顔』という歌は、そこに立ち向かう"基礎体力"を養うための歌なのかもしれない!と、そうも想うのだ。

 希望を忘れずにいるためには
 どうしたらいいの?

ということを、とても優しく、何気なくメモってくれたShoyanの歌だと想う。特別な言葉や凝った言い回しもなく、情熱や甘美なアクションもないのに、ずっとずっと日常の一番奥底で鳴り続けている胸の鼓動のような歌だなって想う。

発売から少し時が経って、日に日に気付くこと、想うこと・・・アル。やはり、ひとつの歌を永く聴くって大切だ。

・・・

「相変わらず君は物事を難しく考えすぎてるネ?」

と、自省もあるけど、『笑顔』は本当にいい歌だ。聴けば聴くほど旨味が増えて聴き手の心が潤ってくる。磨耗するだけの時の中で、悲しくとも・・・でも、人(他者)の笑顔に会えるなのなら、自分が涙を抱える甲斐もあるかもしれない、そんな風に想えば、もう少し楽になるかもヨ?と、ソッと支えてくれる歌。

心の笑顔は自分のためだけでなく・・・

Shoyan、永く聴ける歌をアリガトウ!


※トワエモアは本当に歌が上手くて、 お二人ともとても丁寧に歌われるから、 付加される衣が本当に厚い。 聴いていて心地良い。 大切に歌ってくれて嬉しいと思うのでありました。

2012年5月27日
二大頂点『22オの別れ』と『なごり雪』には「さようなら」と言う共通キーワードがあるんやが、今回正やんが『冬の恋』は特別だと言うのもそのあたりが理由なのかな。(さよなら名曲は他にもあるけれど)

十数年会えなかった「君」が劇的にカムバックした『さよなら以外に』もそう。

しかし、ここで私がウダウダ妄想していることは、ラジオ(君焚)なんかで既出しまくりかもしれないですが、お許しを。全部聴けてないから今更感ハンパないかもです。

まあ、そういうスタンス(知らない自由)を選んだのはいいことだと自分では思っているけれど、ラジオで正やんご本人が全部予告や解説してくれてたのかと知ると、なんかもう何十年も妄想して愉しむのは時代遅れなのかもなあ、とフト思いました(汗。

でも、自力妄想はマジで楽しいから多分やめられないと思います(笑)。



むむ、、
このブログ、スマホ版の広告がエゲツナイ
(;´Д`)。
ひたすら読みにくい。
ちょっと考えなおそう!
あまりにせつなく
あまりにも興奮しすぎて
なんだか、日常生活がフワフワになってしまい
フツーじゃなくなってるので
ちょっと中和するために
今日はRe-bornを聴かないでJobim聴いています
(*´ω`)
オブリガード、じょびん先生




しばらくはなんも語れなさそうです
ハイ
言葉とか理性とか、そんなもの忘れました(笑)


そうそう、今日のフジTVノンストップ!のなごり雪秘話でShoyanがおっしゃっていた"小室等さんみたいな仙人みたいな人"って、それ今かもうちょっと先のShoyanご自身じゃないのかしら?って思いました。若いShoyanと熟成したShoyanの間で『なごり雪』が巡り巡っているのですよきっと。未来の伊勢正三さんから過去の伊勢正三さんへ、、、それは過去は今で、今も過去という螺旋理論でイケそうじゃないかな(*´▽`*)。

私はそう思いマス☆
今回のアルバムRe-bornの全曲を聴いて、本当に想うこと多すぎて、あと何年かかるやら・とたどり着く先はまだまだ見えないのだけれども・・・今回やはり正やんのベースが嬉しくて、そのことを書いたことを思いだしたのでチョット貼っておく。2012年の2月に書いていたものだ。今は渋谷駅そのものが消滅して生まれ変わってしまったし、当時は震災のことなどがあって、その分この文を書いた自分もイキってる感じがあるけど、それはその時の素直な自分の状態なのでほぼそのまま載せておくことにした。
以下、本文。

・・・

で、今更だけど『メガロポリスの錯覚』。

この歌、歌詞を見ると
「忙しくて構えない」
と書いてある。

この場合、渋谷駅の若者も政治家も
※忙しくて「構ってられない・相手にしてられない」
なのか?

それとも
※忙しくて「身構えない・備えない」
って意味なのか?

どちらとも受け取れていつも考えてしまう。何年経っても・・・もしや二段"構え"なのか?
政治家は、今も相も変わらず緊張感がない。忙しいんだか鈍感なんだか、人の命をなんだと思っているのか。こんな地方の食堂のおばちゃんが憤るほどに・・・(悔)。大事な使命を途中で放り出す意気地無しまでいる。やっぱり"戦争を知らない大人たち"でしかなかった・・・と、失望の2012年2月だ。

だけど、若者はどうだろう?
当時より、疲れ果ててるように見える。
(この"当時"とは2つの時期を指す)
ナニを楽しみに生きてるだろう。

手間もかからず、時間も圧縮されて、モノは何でも手に入る世の中で、わざわざ見る夢なんてあるのかな?

今の、シブヤエキの若者は忙しいだろうか?
もしかしたら、何もすることがなくて、構い方・構え方も忘れてしまったかもしれない。孤独だけ、自覚しないままブラックアウトした液晶タッチパネルの奥に深まっていく・・・

・・・

あの頃、私の近くにいた公的な道徳教育のプロジェクトを立ち上げていた人たちのその本棚に、腐るほど積んであった教育評論家の本を思い出す。そんな本、何十冊も何百冊も「木を見て森を見ず」で、いくら読んだって人の心なんてわからないのに・・・今はもうその本棚を見ることが出来ないので、"育親書"が編纂されたかどうか、確かめられないのが残念だ。

そもそも、編める人がいないだろう。
もう、"大人"がほとんど絶滅したんだ。
少子高齢化なのに・・・
分別と覚悟のある大人はもういないのかもしれない。
自分だってそのハシリ・・・

そうそう、その評論家さんは今では面白く化けてTVタレントになってしまった。溶けた蝋のように人の心に入り込んで中で固まる作戦に転じたのだ。なりふり構わない愛と自己顕示欲が紙一重。それを見習ったら賢いオトナになれるのか・・・?
イヤイヤ アキラメナイデ ・・・

・・・

で、曲に戻るけど、
この"バブルの槌音"のような演奏が熱い!
エンディングに向かう部分のヘヴィなベースラインがすごく気に懸かって、演奏者のクレジットを見ると、BassにShoyanの名前がある。1994年に聴いた当時から、この部分がShoyanの演奏だと思っているのだけど、どうかな?(違ったらゴメンナサイ)

この部分の音ってこの曲の肝で、混沌をアメノヌボコで掻き回したらこんな音がするんじゃないか・って思うほどキャッチーだ。(またもや違ったらゴメンナサイ)瀬尾氏のアレンジっていつも大仰だけど!?この歌の場合スゴク効果的で、復活後の一連の中で、この歌の尖り具合ってサイコー!こっちの極まで思い切って作りこんだShoyanの、その覚悟というか心意気が今でも熱い。
この冷めない鉄のような温度は今どこにしまってあるのかな・・・

Shoyanの胸のストーブの扉は鍵つきで、誰にも開けられない。今は吸気口だけで上手に調節されてるみたい?直火はキケンだからかな・・・(・∀・)つFire

次に薪をくべるのは誰!?

・・・

メガロポリスなんて虚構だと、去年イヤと言うほど思い知らされたはずなのに、不安は膨らみ続けてる。大きな会社、大きな組織=MEGASの中にいると"個"は希釈されてしまって、遠まわしな人殺しさえ平気で表明出来るようになる。去年からずっと目の当たりにしてきた日替わり定食のような言い訳、そんなマイクを持つ手にも左の薬指に指輪が光っていて虚しい・・・。

アノコロと同じ軍隊なのに、同じ標的Targetなのに、現場の人は拳じゃなかった。その手を取り合って命を救おうとしていた。愛に目覚める人と、愛のセンサーが壊れた人と、両極端に世の中が軋みだしてる。二つのねじれが進んでいったらどうなるんだろう。地殻の変動より人の心の変動のほうが直に効いてくるはず・・・

大きなものは、本当は小さきものなのだと気付けたら、その錯覚から抜け出せるのじゃないだろうか。
 
~ もう少しで 
   時が行くから 
    そこへ行くから・・・

もうすでに、時は訪れている。

2012年2月16日
イヤ、もう、ホント、、、

赤面しちゃって何も言えない(*´Д`)=3

何か聴く度にその都度紅潮してしまう

ほんとに、ホントニ、本当に

「凄い」を通り越して「凄まじい」よShoyan!

伊勢正三が凄まじいよっ!!!




私はいつまで放心しているでしょうか
正気に還る日来るのか!?(;´∀`)
むむ、、、

最初の一文字は

「ア」

最後は

「ル」

かな?


と、いうことは、、、

、、、なんて、
思わぬところから始めているワタシ(≧∇≦*)。


プロフィール

HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!

☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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