Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。
>季節が過ぎても、それでも飛んでいかないホタルもいる。
>光らなくなったから見えないだけで、
とは書いたものの・・・
光らなくなったらそれホタルの意義がない(T_T)。
そう想って哀しい・・・
つい先日偶々聴いたラジオで、某御大拓郎さんが中止延期になった数々のコンサートについて言及されていたのだけど、やはり氏は「ツアー会場でお客さんを目の前にして反応を見ながらステージを演りたい」というようなことをおっしゃっていた。
その一方で、無観客ライブをやったサザンのことも褒めてらした。
「伝える」ということを改めて問う今の事態。目の前に在るものの反応が一番確かではあるけれど・・・それが不可能なら一体どうすれば??非常に興味深い事態。聴き手としても発信する側に何か"伝え"たい・と思うのだけれど、、、でも、手段がない(泣)。ライブがないとお手紙さえ持っていけない。(今どき手紙なんてアナログなものは迷惑で、デリートされて絶滅しているかもですが^^;)
コンサートがない今、じかに持っていけないから・・・妄想はもう手元に置いて、ココで残しすしかないのかもしれない。デジタルの虚しさはこの際考えないでおこう。やらないよりやることが大事?こんな妄想、ココだけでとどめておく方が世界平和かもしれないし・・・。
モチロン、いつか、、コンサートが再開されたら、、、再度スタッフさんに迷惑がられても(笑)よく消毒した袋に入れて、いつか凄まじく下手な字で(汗)アナログなお手紙を持っていきたいと思うけど、それがいつの日かわからないままはサミシイ・・・
話は初めに戻ってしまって、、、
となると
今の事態、この先何か月・何年かかるかワカラナイ。もうシステムも変更になって、宛先ももう存在しないのかもしれない。でも、だから、最後のアナログお手紙をいつかやっぱり一度郵送してみるのもいいかもしれない。何十年か経ったらどこかで音楽の神様に受け取ってもらえるかもしれない♪。行方の分からない手紙なんて面白いじゃないか・・・・
でも「宛先不明」で帰ってきたら現実を受け止めて、おとなし~くココでデジタル呟きに専念します(笑)。
聴き続けている限り、感じ続けていて、想い続けて溢れ続けている訳で、何も中断してはいないのだ!ってそれだけは強いキモチでいたいのだ。それだけは、もう伝わらなくても、残していきたいって、見えない波長で光るホタルがこの胸の中にいるんです。
・・・
秋冬の楽しみが何一つないこの夏をどうやって乗り越えようか、心は上がったり下がったりしながらあだこだと想い散らかしております。今こそShoyanが今までにくれた愛を・・・どれだけ殖やせるか!チャレンジの夏ですよ!!(気合)
※いつにもまして個人的な独りよがりの内容失礼しました(;´∀`)
ッテ イツモノコトデショ(笑)
※超長文ご容赦
「どんな時も~初めての旅」とはいかに?
やはりそれは"他日"なのだろうか。
「どんな時も~初めての旅」とはいかに?
やはりそれは"他日"なのだろうか。
抱きしめてみても、触れ合ってみても、他は他のまま?
「抱きしめてみても 心は奪えない」
「抱きしめてみても 心は奪えない」
「人の心 人は見えない」
この二つのフレーズを初めて聴いたとき、
「この世界が闇になって もしも君とはぐれても、抱きしめるとわかる・・・」
と、言っていたShoyanの歌の中で、この四半世紀近くの時を経て何が移行したのか!?と激しい衝撃を受けた。違和感のように思えたけれど、それはすぐに濃い同感になった。なぜなら自分もこの長い時間の中でそう思うことがあったからだ。"抱きしめるとわかるもの"="君"は、他ではなく自分の中にいたのだ・って。
ナゼ奪えないのか?
ナゼ見えないのか?
ナゼ見えないのか?
それは、人の心なんて初めから「無い」からではないだろうか?
Shoyanは風に例えて「行方 誰も知らない」と歌われているように、人の心は橋の上から見下ろす川の流れのようなものかもしれない。
常に流れているから"川"だけど、その底石の上を流れていった水は一瞬で去っている。固定して存在する時間はナイ。人の心もそんな風に無常なのではないだろうか。心は胸の中をずっと吹き抜けている風なのだ。花が揺れたり、雲を運んでくるから見えるように思うけれど、、、頬の冷たさもぬくもりもKeepは出来ない・・・。
それをとどめたように錯覚させるのが、言葉や誓いのジュエリーや肉体関係だ。人はそれに執着するのが価値観だと思っているかもしれない。けれど、東から吹いていた風が急に北風になることだってある。川の水も干上がることも濁ることもある、そして蒸発して雪になったりコップの雫になったりする。人の心だけが"確かなもの"であるわけはなく、この世の自然の理と同じく、疑問以上の説得力で散ったり凝縮したりしながら存在を移していってしまう。それが"心の正体"なのではないか?と、最近想っている。
無きゃ見えないはずだ。
無いんだから奪いようがない。
無いんだから奪いようがない。
「しかしそれではあまりにも虚しいではないですか?」
とも思うのだ。
そこで、Re-born発売から一年以上経って、毎日毎日何度も聴いて、もう少し考えが進んだ。
キミの心、奪わなくていい
既にココに在る
既にココに在る
と。
だから、抱き締めなくても離れていてもココに在る、と。それがこの冷たい言葉の裏に在るShoyanの提案なのじゃないかと想っている。
(そしてそれは『テレポーテーション』などにも繋がっていくコトなのかもだけど、それはまた別の機会に)
・・・
昨日の二人と今日の二人は違う、今二人は昨日よりもっと愛し合っている。けれど、明日の二人は別のルートに一歩づつ踏み出して薄く小さくちぎれ始めるかもしれず・・・二人の旅プランにはルールがない。ルーツは「混じったっていいジャン」というけれど、逆算のルーツ・・・この歌では過去であるルーツが後から"改編"出来て、不確かなはずの未来が"約束"されている。それがとても面白い。
しかも、「抱き締めてみても心は奪えない・人の心人は見えない」という冷たい"断言"のすぐ裏に「愛しい君ここへおいでよ」という絶大な"甘言"がある。 (※いい意味での甘言)
おそらく、、本当に他人の心が虚しいときがある。奪った=得たと思って信じていた対象に裏切られることもある。キミやお前やあなたという存在が、永遠に"一心同体"であるわけではない・というその虚しさと、哀しさと、表裏一体の甘い「ア・イ・シ・テ・ル」が同時進行して語られるこの曲の凄さを今痛感している。何度聴いてもザワめく両極SONGだ。
コタエハ デマセン
・・・
♪愛したくて 好きにはなれない
スキになってしまうと、キライになる日が来るかもしれない、だから、永遠に愛してるままでいたいから好きにならないでいる!
私にはそう聴こえた。凄い真理だと。
でも・・・
ナゼ、"真心"は存在するのだろう?
音楽は・音は目に見えないけど人の心を捉える。目に見えない者同士感応しあうのかな。私はShoyanの一連の歌詞・メロディ・歌声・楽器のPlayに誠実な真心を感じるのだ。抱きしめてみても奪えないけど、抱かなくても心を奪えるということを、Re-bornでは身をもって悟ることが出来た。なんて素敵なカンケイだろうって、伊勢正三という人の50年近い超絶なキャリアをずっしり感じるのだ(涙)。
音楽は・音は目に見えないけど人の心を捉える。目に見えない者同士感応しあうのかな。私はShoyanの一連の歌詞・メロディ・歌声・楽器のPlayに誠実な真心を感じるのだ。抱きしめてみても奪えないけど、抱かなくても心を奪えるということを、Re-bornでは身をもって悟ることが出来た。なんて素敵なカンケイだろうって、伊勢正三という人の50年近い超絶なキャリアをずっしり感じるのだ(涙)。
前奏間奏のたゆとうエレキギターももちろんだけれど、この歌のShoyanの、饒舌な愛撫のようなベースのPlayは最初から最後まで全部カッコイイ(特に連打!)!ので、全部覚えたくて毎日のように聴いている。(ちなみにドラムスの途中のブレイクなどもカッコイイですね)
モールス信号が被さってくる部分のベースのPlayは大きな大きな上げ潮の波のようで、しかも広い砂浜を「ここまでは来ないだろう」というすぐ足元まで伸びて迫ってきた波にくるぶしをくすぐられて悶絶する。
いつか、、、ひき潮で遠く去った波だろうか・・・。「アイシテル」が溶け込んでいたあの日の波がまた満ちてきた、と。もうその波に掬われて、同じ海に還ろう・と言ってくれているようで、全編本当に素晴らしい演奏だと、心の底から涙が出る。旅の終着と始発にある安寧を感じて「あぁ、やっぱり」と得心するのだ。
「愛しい君 ここへおいでよ
ここからは 約束の未来」
ここからは 約束の未来」
と。この言葉はこのアルバムの中で一番心に触れるフレーズで、聴く度に胸が熱くなる。
gardenの頃は「今も遠い未来」と「いつの日かきっとたどり着ける気がした未来」だった。この歌の未来は"約束の未来”だと。すでに今未来だと、とうとうShoyanは"あの頃"から"未来"にスタンスを移されたのだなって思った。過去と未来は同じ源にアルと二人とも気付いたのだ!って。
『テレポーテーション』の二人は何も確かめ合ってなどいないけれど、こうしてきっとひとつになったのかなって想ったのだ・・・(また涙)。
『テレポーテーション・冬の恋parallel・旅する二人』は、それぞれ前後しながら「愛の過渡」を教えてくれる3つの連書のようだ。カラダはいつか終わってしまう、でも二人の意識は交わえる。ひとつになったり、何か生まれたり、消滅したり?ひきずったり、、、目に見えないところで繰り広げられていく人の心の中の愛の結び目がよくわかる。
その、見えない部分を感じられれば自分自身も愛したい人のこともわかるようになるのだと、そう教えてくれる気がするのだ。
Shoyanのラブソングのお仕事はそういうところにあるのだと思う。やはり、何度も言うようだけど、人の心は見えなくてもいいのだ。
・・・
この歌、凄まじい歌なので(ある意味ナマモノ)、次に聴くときにはまた違うことを想ってしまうかもしれない。粘菌のように?姿を変えたり移行したりするこのDEEPな世界に、多分これからは永遠に迷い込んで出てこられないと思います。
なんという至福でしょうか!!
なんという至福でしょうか!!
この、一曲には永いShoyanの歌作りのボトム(底)のような果てのようなものを特別に感じる。そして伊勢正三のLOVESONGにアセンションきたー!と愛の軸の回転現象を目の当たりにした感です。
聴きどころが満載で、いつも聴き終わると涙と冷や汗が出ます。
まだまだ先は永い・・・
まだまだ先は永い・・・
※以上、イミフメな長文ご容赦(汗)
追:1
余談だけど、車を運転しながら聴くときは低音をMAXにしてドアに腕をもたれる。ブレーキペダルやドアスピーカーからShoyanのベースが全部振動で伝わって身体で感じることができる!耳以外でもShoyanのPlayを感じることが出来るんだ!って、触れているのと一緒だ!と私の密かな愉しみ方を発見した。ベーシストが一番モテる理由もこれでよくわかる?(やはり自分はカナリのヘンタイかもしれない^^;)
追:2
波という字と・彼という字は似ている
色々な愛の波形を想う。
重なり合う波、引いたり満ちたりする波、パルスのような波、留まらぬ波、気を許している波・・・次のテーマは、、波の正体を!
重なり合う波、引いたり満ちたりする波、パルスのような波、留まらぬ波、気を許している波・・・次のテーマは、、波の正体を!
追:3
「チョコ好きな君」が一番ザワめきます(>_<)「ネパーリアン?」よりザワめきます(>_<)(>_<*)タマラン
抜け殻が空蝉なら、鳴いている実体の方は何蝉と呼ぶのだろう?
ニイニイゼミに続いて昨日とうとうアブラゼミが鳴いた!今日はミンミンゼミも鳴き始めた。寝込んでいるうちに夏が来てしまう。蚊も湧くしカミキリムシもヨトウムシもアオスジアゲハもイトトンボも、ありとあらゆる虫が庭を往来しているが、今年もホタルを見にいかずに季節が過ぎてしまった、、、
何十年も昔、ホタルの話をしたこと、その人はもう忘れてしまっただろう。あれは小さな平家蛍のことだったのですよ。季節が過ぎても、それでも飛んでいかないホタルもいる。光らなくなったから見えないだけで、葉の裏で待っている。五つ目の季節を止めて待っているのだ。
、、、
昨日今日は丸一日仕事をしてみた。まだ痛みはあるが、椅子に座って食事できる位にはなった。無理をすると痛みがぶり返すけれど、長時間のパソコン作業も出来るように早く良くなりたい。
やはり、想うことはせめてキーボードでないと。
ニイニイゼミに続いて昨日とうとうアブラゼミが鳴いた!今日はミンミンゼミも鳴き始めた。寝込んでいるうちに夏が来てしまう。蚊も湧くしカミキリムシもヨトウムシもアオスジアゲハもイトトンボも、ありとあらゆる虫が庭を往来しているが、今年もホタルを見にいかずに季節が過ぎてしまった、、、
何十年も昔、ホタルの話をしたこと、その人はもう忘れてしまっただろう。あれは小さな平家蛍のことだったのですよ。季節が過ぎても、それでも飛んでいかないホタルもいる。光らなくなったから見えないだけで、葉の裏で待っている。五つ目の季節を止めて待っているのだ。
、、、
昨日今日は丸一日仕事をしてみた。まだ痛みはあるが、椅子に座って食事できる位にはなった。無理をすると痛みがぶり返すけれど、長時間のパソコン作業も出来るように早く良くなりたい。
やはり、想うことはせめてキーボードでないと。
痛み寝転びながらスマホをいじるだけの時間の中で、何気なく調べてみた花言葉に慄く。
夕顔の花言葉は「罪」。
…こわっ
いや、怖がる必要はないのだが、夜顔を育てた時に怖い思い(謎)をしたことがあるので、混同しているのかも。
カンピョウだと思えばいいんだカンピョウだと!(汗)
夕顔のことはまた改めて。
今頃そんなことを知って、40年も出遅れている自分なんなん!(笑)
夕顔の花言葉は「罪」。
…こわっ
いや、怖がる必要はないのだが、夜顔を育てた時に怖い思い(謎)をしたことがあるので、混同しているのかも。
カンピョウだと思えばいいんだカンピョウだと!(汗)
夕顔のことはまた改めて。
今頃そんなことを知って、40年も出遅れている自分なんなん!(笑)
なんたること、
StayHomeでなまけた身体に土日のハードワークが祟ったのか、火曜日から右の腰と脚に激痛がはしり、まったく動けずに寝たきりになっておりました(*_*)。情けなや〜
坐骨神経痛というものらしいです。歩けないし中腰にもなれない、車にも乗れない、医者に行くにも激痛で悶絶しながらです。今年は初っぱなから胸痛カテーテルやインフルで、痛い一年です。
この続く大雨(低気圧)も影響大です。背中の痛みもMAXです。身体中痛くて仕事も出来なくて情けなくて涙が出ます。
悲しいニュースばかりで胸も痛む。
でも、鎮痛剤を飲んで寝床でShoyanの『入り江』メッセージを読みながらウトウトしてると、何故かいい夢ばかり見る。夢、醒めないで…
…
そんな訳で椅子に座れないのでパソコンに向かえません。トホホ。
明日、整骨院に行ってきます(´・ω・`)。
StayHomeでなまけた身体に土日のハードワークが祟ったのか、火曜日から右の腰と脚に激痛がはしり、まったく動けずに寝たきりになっておりました(*_*)。情けなや〜
坐骨神経痛というものらしいです。歩けないし中腰にもなれない、車にも乗れない、医者に行くにも激痛で悶絶しながらです。今年は初っぱなから胸痛カテーテルやインフルで、痛い一年です。
この続く大雨(低気圧)も影響大です。背中の痛みもMAXです。身体中痛くて仕事も出来なくて情けなくて涙が出ます。
悲しいニュースばかりで胸も痛む。
でも、鎮痛剤を飲んで寝床でShoyanの『入り江』メッセージを読みながらウトウトしてると、何故かいい夢ばかり見る。夢、醒めないで…
…
そんな訳で椅子に座れないのでパソコンに向かえません。トホホ。
明日、整骨院に行ってきます(´・ω・`)。
メダカ鉢の姫スイレンが今年も咲いた。
去年は二つ咲いたのに、今年はまた一つでした。やはり鉢で沈めるだけではなく、中に土を入れて植えなくちゃダメかな?
でですね、子供の頃(7歳!)から聴いていた『おやすみマーヤ』のことをフト想い出したのですが、、、なんと!今んたら気が付いたことが・・・(遅すぎる自分(笑))
スイレンって、夜になると花を閉じるよね 。
とすると、マーヤはどこで寝ている??
アニメのエンディングでは普通に花の上にいてクルクルしていたように思うけど・・・
絵的にはこのまま「♪ベッドのうえで~」の方が詩的だけど、夜が更けたらきっと「ベッドの中で~♪」なんだなキット(*´∀`*)。この写真は姫スイレンだから小さいけれど、大きな普通のスイレンの花の上ならば、閉じた花びらの間でちょうど良いサイズ感でミツバチが守られて眠れるのかもしれない。そして朝になったら開いて起こしてくれるネ☆
普段観察していると、蜂は意外と水辺が好きで、暑いときは一日に何度も何度も来てスイレンの葉の上に着地(着葉?)して水を飲んでいる・・・と、思っていたが、、ただ飲んでいるだけではないのだ!!口いっぱいに表面張力で水滴を含んでキラキラさせながら運んでいるんだ。追跡してみると巣に持って行ってその水をかけて冷やしているのだ。なんて可愛い奴!>蜂!
※私はいつも蜂の巣をあんまり大きくならないのならそのままにして観察しているのです。ミツバチではなくてアシナガバチですが。
蜂は時々店の中にも入ってきてしまうけど、ほとんどの場合「ハイハイ出て出て~」と促すとちゃんとドアから出て行ってくれる。アタマ良いんだな~って感心する。(アブやハエは心が通じません^^;)
マーヤは今から大忙しな季節だね。
蜂は暑さに強くてうらやましい。
小さな生き物に慰められて今年の暑さを乗り切ろう。
・・・
『入り江』を聴いたとき、このマーヤの歌たちをチョットだけ想い出した。夢二の子供の絵のように、ラブソングの帝王である艶っぽいShoyanの中にも、若き日から今の今まで持ち続けている"おさなごころ"がある。その視線の柔らかさが大好きだ。大人が上から見下ろす世界ではない。星が流れる夜空と月明かりが揺れる水面は同じ高さにあるものだ・って知っている人のやさしいまなざしを、こんな歳を取ってしまった今の自分でも感じることが出来るのは幸せだ。
・・・っと、全然違う曲のことをシビアに考えていたのに、何故か急に書いてみました。
明日明後日は予約の会食座敷があって、内心かなり緊張感です・・・(怖)。
無心だった幼い日の自分に、少し逃げたくなったのかもしれません(;´∀`)。
シェルターソング万歳♪
"アビーロード"とはなんぞや?
モチロン!ビートルズの"アビーロード"ということは当時から知っていてのことだし、歌を作ったご本人のニュアンスは、あのレコードジャケットやスタジオのある場所と、青山通りや表参道の景色などを重ねたものだったのかと思うけど・・・
高校生の私は当時もう少し深読みしたくて、そのまんま辞書を引いて「Abbey Road」=「修道院通り」=「参道」=「表参道でおk」という結論に達した。
笑止!・・・(=´ω`)ソンナお年頃。
そういう風に発展?脱線?させて妄想するのを、楽しいと気付き始めた最初の歌だった。
・・・
この歌、本当は、、、私にはとても痛い歌。
ナントイウ コトダロウ
すごく好きだったのに・・・
以下、とても個人的なことを書くけれどお許しください。そろそろ人生もだいぶ過ぎて、いつ何があるかわからないこんなご時世だし、イタイことを書くのも私という人間とShoyanの歌の歴史なのだと、そんなスタンスでこれからは進めようと思っています。
・・・
その昔、なごり雪で縁が始まった、とある人がすごく好きな歌だった。その人は出先にもかぐや姫のLP歌詞カードまで持ってきて「いい歌なんだ」って歌ってくれた。だから必然的に私も大好きな歌になった。その人との記憶(思い出ではない)の歌は、なごり雪と22才の別れ以外ではこの『アビーロードの街』ということになる。
声が、似ていた・・ような気がした。
声が、似ていた・・ような気がした。
ヒゲの生えていないメガネ男子のショウヤンに似ていた・・ような気がした。
この歌を私だけにプレゼントしてくれた・・と思っていた。
この歌を私だけにプレゼントしてくれた・・と思っていた。
でも、そういう思い込みは思い込みのまま、現実には何も生まずに時は過ぎて、私もその人もいつかそれらを全部捨ててしまった。そしてこの歌は"思い入れの錯覚"の悲しい画鋲になってしまった。
※ちなみに今はソノコトは逆に「私が正やんに遇うためのきっかけ」だったのだと想っていマス。きっとそれが正解です。
しかーし、更にそのことに追加して別件の、ビートルズやかぐや姫に関する苦い躓きが発生し(汗)、ひどい火傷の引き攣れみたいに残る私の愚か過ぎる脱輪事故もあって・・・(ハゲしく欝)。知らぬうちに遠ざけて・辛くて・苦くて、去年くらいまではほとんど聴けていなかった。アルバムさえ、かぐや姫の歌さえ、聴けてなかった。
Shoyanごめんなさい・・・
この歌を聴くと、湯船で膝小僧の擦り傷が沁みるみたいな、とっても苦しい気持ちになっていました。でも今こうしてこんなことをここに書けるのは、もう大丈夫になった証拠だと思いたい。
今、自分で、
「もう、痛くないよね?」
って確認してみたくて恐る恐る書いてみている。自分語りなんて、とても野暮でみっともないものだけれども・・・
・・・
ここ最近のライブではなんだかすごく賑やかで明るい歌になっちゃった。合いの手の♪ショーヤーン!は黄色い歓声で楽しそう。(もちろんそれは盛り上がるしイイコトだと思うけど)
だから余計私には辛い。
寂しくて甘酸っぱい哀愁のある歌だった頃が懐かしい。
寂しくて甘酸っぱい哀愁のある歌だった頃が懐かしい。
歌のバリエーションとして、客席の片隅でこんな寂しい聴き方をしていてもどうか許してください(*´ω`)。
・・・
体言止め?な
♪地下鉄駅まで帰る道 青山通り 雨通り
のラストは、本当に繊細なこの彼の淡い純粋さを受け止めていて、素晴らしいズームアウト&フェイドアウトだと思う。
おいちゃんの曲もスゴクしなやかで、コーラスもアレンジもギターも垢抜けていて、かぐや姫の中の超級名曲だと思っている。
私が幼かった頃の"東京色"の濃い歌がすごく好きだ。あの頃まだ私の馴染みの地下鉄は通っていなくて、このあたりじゃきっと銀座線とか千代田線くらいしか通ってなかったんじゃないかな?
駅に着く前に一瞬電気の消える旧い銀座線懐かしいな・・・
駅に着く前に一瞬電気の消える旧い銀座線懐かしいな・・・
街に哀愁があったあの頃。
雨が優しかったあの頃。
若者がシャイだったあの頃。
雨が優しかったあの頃。
若者がシャイだったあの頃。
♪ 公衆電話だから
大きな声で言えないけれど
好きなんだ・・・
大きな声で言えないけれど
好きなんだ・・・
こういう 線香花火の瞬きのような、細やかな叙景を抱き締めるように大切に聴きたい歌だと思うんだ。
楽しそうな他のカップルの様子が、さみしい自分の胸にチクチク刺さる、その頃は連絡手段が限られていて、やっとの思いの10円玉とちょっと重いダイヤル。"想い"の質感が感じられる素敵な描写だ(涙)。
楽しそうな他のカップルの様子が、さみしい自分の胸にチクチク刺さる、その頃は連絡手段が限られていて、やっとの思いの10円玉とちょっと重いダイヤル。"想い"の質感が感じられる素敵な描写だ(涙)。
・・・
『さよなら以外に』から『Re-born』の曲たちが現れてくれたことによって、私は最近こういう痛みな歌もよく聴けるようになりました。
たぶん、きっとこれからもずっと好きでいると思います!
国道246は私が一番好きな国道。
青山通り雨通り・・・
都会は苦手なはずなのに、今でも自分がそこにいるような気がしています。
青山通り雨通り・・・
都会は苦手なはずなのに、今でも自分がそこにいるような気がしています。
プロフィール
HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
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