Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

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なんと、物騒なタイトルのままで5月に突入していました(汗)。

モチロン、不要なんてことは伊勢正三ファンにはあり得ないのだっ

今こそ、これからこそ、ファンの真心が大切になってくるのではないかと自負しています。たとえそれが届かぬものであったとしても・・・


さて、渋公のチケットが発券できました!!
こんな、20日前にならないと発券できず、一般売りより後の発券??なんだかいつもと様子が違うけど、なんとかチケットが手元にきてようやく実感がわいてきました。

ただ、やっぱりトーキョーに行くのはためらわれるというか、なんか嫌なんだなぁ・・・いやというより余計な緊張感があるのが嫌で、目下の悩みは駐車場です。また車で行こうと思うのですが、都心の駐車場べらぼうじゃん??コンサート終わったらチケット代と同じくらいとられたらどうしようとか(笑)、行って空きがあるのか??と、それが一番の悩みです。でもあの公園通りから入る懐かしい地下駐車場に行ってみたいなとか・・・ストリートビューとにらめっこをしています。

妹に訊いたら妹はいつもヒカリエの駐車場を使うよ、とのことだったけど、日曜の渋谷の街の人出がどんな感じなのか今では想像もつかず・・・葛飾とはわけが違うねん。完全にわからない街です(笑)。

東横人間の私は住んでいた街も乗る電車もバスも買い物するデパートも通う学校まで全部東急だったので(^^;)、渋谷はほんとに生活と青春の一部だったのに、、、そういう風景が壊れて今はないのだなと痛感するのが情けなくてサミシイのかなと思います。

時間があったら本当は宮益坂や公園通りの半地下のカフェや青山通りの方も散歩してみたいものであります。

渋谷という街は私には非常に複雑な想いのこみ上げる街であります。
そこで正やんの歌を聴くのはシアワセなのか辛いのか・・・

それでも胸を張って参加したいなと想うのです。


※とりとめなきご容赦~
おかげさまで父の手術や入院は順調に経過して少し心が軽くなりました。


おっとご無沙汰をしております。

ちょっとここのところ親の入院+手術などのことがありまして、動ける自分が色々やること満載で時間が取れずにおりました。

その間に、Shoyanのインタビューがちょこっとあったのが嬉しかったです。この何気ないインタビュー記事、自分的には「おお!」とキモチ震える箇所がありまして、めちゃ元気が出ております。

その一方で、某東京新聞の吉田拓郎氏のロングインタビューも読んだのですが、伊勢正三と吉田拓郎、正反対のことを言っていて面白いなと思った次第です※。両極端=同じことなのかもしれませんが、Shoyanの心境とタクローさんの心境・生きざまって同じ場所に裏と表から辿り着いているみたいで非常に興味深かったです。

イルカさんの"フルコース"とか、タクローさんの"面白かった"とか、そういった辿り着きとは違う、そうじゃないShoyanはやっぱり"俺たちのイセショウゾウ"なんだなって嬉しかったです。

究極ってどんなんなんなんなんなん!!!!と
すんごい楽しみにしている時間が戻ってきて、今非常に幸せなのでありました。

・・・

というわけで、もう少しメドがつくまで頑張ってきます。
やっぱRe-bornだぜっ!



※あんな風に言われちゃったらさみしいよねファンは・・・(;´∀`)
何も考えずにただ好きでいたい。
思いつめて絡まった気持ちから離れて、ふと還ってみたくなるような柔らかい曲だ。

その"シャワー・ルーム"とは?
彼が独りで過ごす部屋の日常の一部。
水滴の音は去った彼女が使ったあとのものではなく、、、今はやはり彼の生活の音でしかない。

二人でいる時には、何気ない会話やテレビや食事をとる音に隠れて聞こえなかった、"静けさ=孤独"からのノック音なのだ。

昔、思春期に聴いて始めの頃は、「シャワー=肉体関係の証だった?」などと、スゴク単略的に思ったりもしていたが(汗)、それにしては薄いリレイションだなって、大人になるにつれ視点が移っていった。

ここでの過ぎ去った想い出は「むなしい」ものなのが哀しい。美しく甘い永遠には出来なかったのだ。一度きりのものか、生活と呼ぶほどの長い期間かわからないけど、過ぎてしまうとどんな時間も一瞬と変わらない。

どこかでふいに遇っても、本心を言わないではぐらかすような女性。なのに、そのやさしさと気まぐれですぐに翻弄されてしまう。その「やさしさ」は曲者なのだと思えない、『小さな約束』と同じ?男の持つある種の"役に立たない純粋さ"がここにすでにアル。残り火にまだ追加したい男心と、吹き消そうと尖らせるクチビルでそれを粉々にしてしまう女の残酷さが潜んでいる気がする。

・・・

「今、誰かといるの?」
「戻って来る気ない?」

と、問うてみたい心を強がりだけで我慢してしまう、スルー体質がもどかしいけれど、それが優柔不断ではなく、Shoyanの甘いメロディーの筆致と声で、切なく感じるからタマラないのだ。登場人物のほろ苦いありさまを、聴き手は甘く感じてしまう。ORANGEらしい一曲であります。

※その彼女"あんな奴"は、"そんな奴"なんだからとっとと切り替えればいいのに、と、同性としては傍で想うのですが・・・そうはいかないオトコゴコロ(^^;)。

・・・

この頃1980年代の伊勢正三の楽曲を好きな人・親しんでいる人は、きっと自分だけのShoyanの歌と個と個の対話をしていて、とても親密で濃密な想いを抱えているんじゃないかな。

特にこの『シャワー・ルーム』は、そんな静かな対峙を持つことが出来る歌だと思う。片手掛けのクラシックなカウチソファにもたれて眠るような心地よさがある。

ORANGEという動静のハッキリしたアルバムの中にあってこそ、より一層の凪スポットになっている。このような孤独の風景はラブソングの影のようなもので、そこからも沢山の名曲が生まれてくる。むしろ私がシンパシーを感じるのはそちらが源流な気もするのだけれど、『シャワー・ルーム』は『冬京』や『水槽の街』『さよなら以外に』などの濃度まで煮詰める一歩手前の、このライトな口あたりも大好きだ。それこそ"書きかけの小説"のようで、せわしない日常のふと立ち止まった時に触れたいと思う。

『マイタイ・ラララ』『シャワー・ルーム』『色褪せた日々』の"宵闇アンニュイ三部作"は伊勢正三ソロ曲の原風景のようで、何十年も経った今でもどこか遠い憬れだったりする。

イントロから佐藤準氏が弾くピアノは銀食器をテーブルセッティングをするような、丁寧なタッチで胸の中の水面を揺らす。後半のストリングスの重なりが、増してゆく夕闇のように包んで美しい。伊勢正三の曲の中で一番美しいストリングスアレンジなのじゃないかと思えるほどで、エレガントで宝物の音がする。ラスト、転調で終わる際に我に還る感もいい。今聴けば懐かしく、十代の迷える自分の想い出と共に、抱えているものをちょっと置いて一息入れる感じて聴ける曲だ。


こんな・・・心が荒びそうな昨今、穏やかだったあの時代を懐かしく振りかえることで、自分を暖めていけたらと想う。


※このアルバムのインナースリーブには、若きShoyanのドアップのポートレート写真が使われていて衝撃なのだけども、その目ヂカラの真っ直ぐさに気押されて容易に近づけない。 いつかその頬に・・・と思いつつも、直視できなくて赤面で終始してしまうのであった(*´▽`)ワー 妄想捗る~♪
先日1月に国際フォーラムホールAで開催の

 イルカ50周年
 イルカミュージックハーモニー30周年
 青春のなごり雪コンサート

の、CATV局放送を、友達の好意で観ることが出来ました。11月12月の好いコンディションのShoyanの動画が全然アップされず、しかもこのコンサートには行けずさみしかったので、最新のShoyanのお姿を映像で観られて嬉しゅうございました。
(未参加未視聴の方ゴメンナサイm(_ _"m))

だがしかし、Shoyan以外のみなさまの元気さにやや一歩下がって、Shoyanご本人の活発なシーンは少ないように思えました。イルカさんやおいちゃんとのトークも半端なところでカットされていたような感じで、終始Shoyanの印象は謎のまま(笑)終わった感じでありました。(いつものことか!?(笑))ギターの音もチョット小さかったよね・・・

なんかまたキレがない的な・・・歌もトークも発音がハッキリしないし、モソモソしてるし、ギターももうひとこえ!と思う感じに見えました。去年の暮れにかけての方が元気だったなぁ。マスク生活で普段あまりおしゃべりしないのかな?とか。

でも、いいか自分が観に行ったリアルShoyanは確実に素敵だったので♪映像でお姿をゆっくり観られて嬉しい、と思うことにしました。(70歳を迎えられてからの貴重な映像だし)

※たぶんやはり現地に行っていないから画面越しじゃわからないものが多いのかなと思います。編集で元気な場面カットされていたのかも!?

・・・

しかし、それ以外の出演者さまたちのお元気なご様子がスゴくて、イルカさんの左手の小技とかフトモモとか、おいちゃんの海岸通とか、ジローさんのふわふわ安定感とか、亜美夫妻のシャレオツなユニット演奏(かなり良かった)が息ピッタリで、「これがホントの夫婦ミュージシャンの妙味か~」などと、家人と楽しんで観ることが出来ました。

※あれ、まっさんは??w

と、そんな感じでひととき楽しい気持ちになれました。
おいちゃんのコンサートにも行きたくなったかも・・・

・・・

そういえば、津久見の中学校校歌の話題に続いて、大分舞鶴高校甲子園出場へのメッセージがありましたが、こうせつおいちゃんご夫妻作の明豊高校校歌も全国区だし、大分県はスポーツが盛んなイメージです。私の知っている方も駅伝に携わっておられるし、別大マラソンもありますね。

ご当地スポーツっていいよね、"故郷"を如実に感じられて・・・。

おっと、脱線しましたが、「音楽って楽しいな」という基本的なことに触れて、もっともっと!と思えるキモチを取り戻しつつある昨日今日でした。


と、実は今朝まで寝込んでおりました。
月曜日に3回目のワクチン接種をして、やはり発熱と身体の痛みに苦しみました。いわゆるモモファですが、ファイザーもキツい(^^;)。高熱こそ出ませんでしたが、2日間熱があり、今も脇のリンパが腫れて激痛です。

と、そんな中で下書きしておいた分を投稿したりしていたのですが、昨晩の地震などもあいまってどうも重苦しい気持ちでいがちです。

が、どうやら津久見の新しい中学校の校歌を伊勢正三作詞作曲で作られるみたいなので、とても嬉しい気持ちです。本匠小学校も明桜中学校もどちらも本当に素晴らしい校歌なので、きっと津久見の中学校の校歌も素敵なものになるだろなって期待しています。

津久見の庁舎も新しく建て替えられると聞きました。そこに伊勢正三の記念コーナーを組み込んで作ったらいいのにと思うのです。Shoyanの功績は津久見市の財産でもあるのだから、しかるべき管理がなされて、きちんと後世に繋げられる状態で資料が公開されることを望みます。一部が私物化して利用するような状態は避けて欲しいと伊勢正三ファン一個人として思うのです。

最近の率直な気持ちであります。


以前ここで"魂の帰還"を『あの人の手紙』に絡めて書いたけれど、あれはこの歌を引用させてもらっただけなので、改めて歌に想うことを書いてみる。

「私たち二人には何の罪があるの?」
「殺されるかもしれない私の大事なあの人」

このふたつに想うことが多い。
罪がない=無関係=戦に駆り出される理由はない、ということなのだろうか。
兵隊さんたちは誰かの代わりに罰ゲームをやらされているのか?
兵士は上官の命で動く、上官は国の命で動く、では国は何の使命で動くのだ?戦争の動機はなんだろう。

『原罪』という言葉がある。
難しくて無責任に引用するものではないかもしれないが、人は他の人・知らない遠くの人や、自分じゃない赤の他人の欲望や弱さ狡猾さの余波に巻き込まれてしまうことがある。私たち二人に罪がなくても、この世に生きている以上他の影響から逃れられないのだなと思うのだ。

この世で起こることは、始まりが誰かにとっての正当でも、経過で捻じれて理不尽な結果として着地することが多々ある。

無心で泳ぐ魚の群れに投げられる石だって、空腹の漁師が魚を捕るために投げた石か、逃げる様子が愉快だからと残虐な動機で戯れに投げる石か、それとも何かしないと悲しくて、自分のやるせなさを石に乗せて投げた行為なのか、こっち側の世界にも千差万別の"理由"がある。

かたや、直前まで石が落ちてくるなんて知らずに目の前の餌を待つ、生きるためだけに生きている魚たちは確かに罪がなさそうだ。

逃げる魚たちも自分、石を投げてみたのも自分。この矛盾が戦争の複雑な哀しさ愚かさなのか・・・(私みたいな小さい人間が考えても出る答えではないとは思うのですが)

・・・

「殺されるかもしれない私の大事なあの人」

"あの人"はきっと普通の優しい恋人だ。どうして、悪いことをしたわけでもないのに(罪もないのに)死地に赴かなくてはいけないのか。あの人が死んでしまうかもしれないという最大級の恐怖。大切な人を失う底無しの悲しみ・・・それは幻さえ現実にしてしまうほど。

けれど、これは裏を返せば

「殺すかもしれない誰かの大事な人を」

でもあるわけだ。
これがこの歌の一番怖いところなのだと思う。

自分の大切な愛おしい人が誰かを殺す、恋人が人殺しをする。夫が、兄さまが、父が、、、他の誰かの家族を殺すんだ。殺人犯だ。

こんな事実、普段考えられない。想像もできない。でも、戦争で「殺されるかもしれない」ということは、「殺すかもしれない」と同量なんだ。そんな風にはみ出した部分を想いながらずっと聴いてきた。しかし、いざ大きな侵略戦争が今実際に起きたら、やっぱりそれははみだしではなく、この歌の中にあることだ、中心にあることだと思った。

・・・

この歌はとても美しくて哀しい。
毎日かかさず飾っていたあの人が好きな白百合。でもそれは葬送の花、戦場へ行くことは死ぬこと前提な象徴のようで、彼があの世に旅立つ前に、ひとときだけ恋人のもとに寄るための香りを放つ哀しき依り代なんだ。

この出来事は戦死の報せを信じたくない彼女だけが見た幻なのか・・・いや、死んでもなお姿を残すほど強く想いあっていた二人。愛しい「あなた」が永遠の「あの人」になってしまう、離れ離れのまま別れるのはあまりに悲しい。別れを告げるためだけの邂逅が心底哀しい。ましてや、もうわかっていた時系列・・・

『あの人の手紙』とはそのまま「あの人からの手紙」と普通思うよね。でもここでは『あの人の死を告げた手紙』のことだったと、最後の最後に聴き手に知らされるこの衝撃感。Shoyanの先天的なセンスで全然技巧的に思わない、ごく自然に慟哭が溢れるドラマチックな歌だと思う。
声高に叫んだり、非難や怒号に走りがちな"反戦"という激しい感情を、こんなに静かに美しくカタチにした当時の若きShoyanの感性。そこに聴く人が我がことのように思える共感がある。初めて聴いてから何十年も経つけれど、やはりいまだに研がれて澄んだ鋼の針のように心に刺さって違和感がない。純粋で、一本筋が通っていて、清潔な歌だからこそ、永年大切に胸に抱えて聴いてこられた。こうせつおいちゃんの素晴らしい歌唱とギターという楽器の懐の深さもよくわかる深い一曲、これからも大切に聴いていきたいと改めて思った。
・・・
・・・こんなことを考えては消し、書いては消し、毎日希望がわからないまま無為に過ぎていく。自然災害や事故ではない、人為的な無差別の殺戮をテレビのニュースで見ながら朝ご飯を食べる気になれない、大災害の時でさえ、食べて元気を出さなくちゃと思っていた自分が、夫と離れ子供を抱えて逃げる人々を直視できずにテレビを消して食事をする情けなさ悔しさ辛さ・・・

でも、今でなければ自分の言葉に出来なかったかもしれない、間違っているのかもしれないけれど、やはり今書いておこう。

ずっと想ってきたこと、今想うこと、書きなぐりですがご容赦下さい。

2022年3月9日 七氏
実は・・・
ここのところ、テンション落ち気味な要因は別にあるのではないかと・・・自己分析をしました。

やはり、Shoyanがあんなに大量の私物断捨離をして(理由はどうであれ)、LAカスタムやgibsonクレストなどのギターたち、楽譜原稿などを手放してしまったことに、私は少なからずショックを受けているのだなと自覚しました。ましてや釣りもやめただなんて・・・。

ゆえに歌を聴いても、私はなんだかココロそこにあらず・なのです今は。

Shoyanの徒手空拳に驚いてしまって、慣れるまでに時間がかかるのかもしれません。

私は伊勢正三の軌跡を感じたいわけではなく、私物に触れたいわけでもなく、誰かと胸の内を共有したいとも思わず、ずっと自分の心の中でその歌と対話して想像するのが楽しかったのです・・・自分はかなり異質なのです。


なごり雪はやはり東京の灰色の空からホームの片隅のコンクリートに黒く消えてゆく刹那のものです。それでいいと想っています。もしかしたらそれはこんな港から旅立った石灰石から出来たコンクリートかもしれないと想像しながら・・・


※この堤防は今はもうないのですがお気に入りです(^^*)



ここで『メガロポリスの錯覚』を再び持ち出すのは、今はやめておく。
あまりにもハマり過ぎて言わずもがな。

"フォークシンガーの真髄"は、何かとシンクロしていたということか。(また"渋谷"で歌ってくれるのかな?)

しかも、以前ここでも『All I Need's Your Love』を書いたときに引用したShoyanのお言葉=「どこかの国の大統領がその時に愛に恵まれていたなら、もしかの時に核のボタンを押さないのではないか・・・」という、そのフレーズが頭をぐるぐるして、ここ数日ずっと心が唸っていた。

「今か~」・・・と。

と、それはひとまず触れずにおいて、、、もう一曲の方に想ったことを今書き始めたのでまとめることが出来たら載せたいと思います。

・・・

疫病に原油高に株暴落?に噴火に戦争(侵略)に値上げに店じまい?に更年期に花粉に?・・・と、凄く大きなことからメチャ小粒な悩みまで、なかなかに気持ちがハードでダウンしてブルーな暗澹たる毎日なのですが、イキったことを言ってもしょうがないし、ともかくも今は

「まず目の前にあることを一生懸命やる」
「近くにいる人と仲良くする」

これを頑張りたいと思います。

今年は今のShoyanに再度問い直したいことが色々あります。過去を大々的に断捨離しても、"今"は次々とまだ押し寄せて来ます。私はそこに興味があります。いつの時も「今からの伊勢正三」でいて欲しいのです。

それらはまた「音」になるでしょうか?
"歌になりたい歌"が順番を待っているのじゃないかしら・・と。

・・・っと、実際にShoyanご本人に伺うすべはもう私にはないのですが(^^;)

とりとめなき呟き失礼いたしました。
またそのうち続きます。

一応生存確認ということで☆

プロフィール

HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!

☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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