Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。
今回は感動が凄まじ過ぎて抱えきれないので、それだけを先に書きたいと思う。メモも開かず曲目も書かず、ただ発せずにはいられない今の気持ち残しておきます。
(思い入れ爆発し過ぎていますがお許しを)
各曲やその時思ったことなどは
また後日改めて・・・。
・・・
今、下書きのファイル名に『2023』と言う数字を打って改めて思う。
凄い年月来たなと・・・
こんな数字を見ながら最新の最高のShoyanを聴くことが出来るなんて、、、これは伊勢正三ご本人とその音楽を愛する人たちの真心で、互いに丁寧に築き上げてきた現実の結果なのだ!と、深く感動している。
さて、今回思いがけず初めて経験した前方の席で、燃えるような今のShoyanのステージに添えたことは本当に貴重な経験だった。
(こんなこと一生に一度だと思う)
でも、そんな座席の位置など関係なく、
「もうこのままこの最高の状態で死んでしまいたい・絶頂の幸せのまま人生終らせたい」と思うほどのShoyanのパフォーマンスを感じることが出来た(涙)。それほど新しいShoyan・満ちているShoyan・活きているShoyanだった。
去年の軽井沢で昇られた新しい高みで、それを維持したまま更に堅固な足固めをされているのだ、と期待と安心も感じました。
Shoyan、今モノ凄くご自分と対峙されている。
かつてないほどに・・・。
自分の肉体を細部まで丁寧に物理的にケアして、
内なる精神はすべて結集させて練りあげて、
ご自分の根底のひと粒まで歌に捧げよう!
という真っ直ぐな情熱があったと思う。
会場の隅の隅までそれは届いて、一番後ろの席の聴者の人生何十年にまで食い込むほど強い想いだったと思う。そしてそれは宇宙を一周して伊勢正三ご自身をも背後から強くハグしたのではないかと感じました。
自分を抱きしめることがすべてを抱きしめることになるんだ、ということがよくわかったのです(涙)。
それに近いことは今までも何度もあったけれど、ここ何回かのライブの伊勢正三はもっと違う!
前代未聞のShoyanがキている。
今まで、、、きっと天才的な反射神経で魅せてくれていた神の領域な部分を、今のShoyanはちゃんと事前に吟味して、トレーニングしてストックして把握して、『絶対に確実に聴いている人に届けるぞ!』という"超能動"のもとでライブに臨まれているのではないだろうか。「気がする」とかじゃなくて、これは確信です。
その動機は、肉体的な残された時間だけではなく(そんなこと意識しないけどっ)、激しく哀しい自他の環境の変化、コロナ禍で失われた数々の機会、誰もみな何年も自分100%を生きられなかった・という辛かった日常の事実ではないだろうかと思う。
今まで普通にあったコンサートは本当に本当は凄く貴重な一期一会だったのだということが、演者も聴者も心の底から目が覚めたのかなと思う。
(もちろん普段から誰もが一期一会は大切とわかってはいたけれど)
一期一会を大切にしたものこそが辿り着ける永遠がある、そこに辿り着く扉をShoyanはとうとう開いたのだ、と想った。
今のShoyanは"更に目覚めた人"です。
(シン・ブッダ的な^^;)
この世の激しすぎる永き混沌を我が物にして、それを骨格にして新しい大きなご自分を堂々再生されたと思う。そしてその新しい伊勢正三がすでに歩き出している!と、今回のステージではそんな瞬間を自分の目や耳で感じることが出来て本当に本当に幸せでした。
やっぱり私の幸せはここでいいんだなと想い直して、無に還れた気がしています。
・・・
これだけのステージ、気力体力環境力、すべてにおいてShoyanご自身の影の努力・ケアは凄まじい量なのだと思います。後半、ある曲を弾いて歌い終わった後、肩で息をしていたShoyan、そして最後の曲最後の一音で唇が震えるほど命を振り絞ったShoyanを私は絶対忘れません。
死んでも忘れません。
こんなに熱く・深く・永く音楽を愛している人はいない。
そしてこんなにも聴き手から愛されているミュージシャンも他にいない。
そう想って真っ新な気持ちに完熟したこの日のステージでした。
本当に、私たちまたひとつ新しい日々が始まりましたね、と顔を挙げて澄み切った陽の光を浴びたようなコンサートでした。
パワフルを超越してSTRONG☆なShoyanに、まだまだこれからも逢いに行きたいと想いながらこの稀な興奮を置いてまずは一息♪
独りよがりの爆書きなぐり失礼いたしました。
※今書き終わって、なんだか安心して涙が出てきました・・・やっと・・・。今からひとしきり泣きたいと思います(涙)。
今回ラストに『俺たちの詩』があって良かった、しかもMartinD45で。ギブソンじゃなくMartinだったのが正やんの新しさにピッタリだった。 まだ胸の中で太く鳴っているような気がします(涙)。
・・・・・
※※ で、本当にこのまま死んでもいいと思いましたが、でもでも、ひとつだけ心残りがあるのでやっぱりまだ逝かないことにしました(笑)。
それは・・・ShoyanがMCで度々、前にも増して新曲をご自分で卑下?するフレーズを口にされることです。「新曲ばかりやったら次から聴きに来てくれない・新曲は我慢して聴いて」などと、何故そんな哀しいことを仰ってしまうのか。そんなにも「旧い歌だけ聴きたい・新しい曲要らない」という声が多いのだろうか?
現に終演後、混雑した通路階段で「かぐや姫や風の曲は知ってたけど伊勢正三の曲はよくわからなかったなぁ~」なんて話してる男女グループがいらっしゃいました。それが現実・スタンダードなのだろうか?それが「会場の総意」なのだろうか? でも、それもしょうがない・キャリア長いアーティストアルアルだとしても、、、
新曲(ソロ曲)を好い!と思うのはおかしいことなのか???
それをアーティストご本人が言ってしまう現実、Shoyanご本人が心の底の底の本心からそんな風に「新しい曲を聴いてもらうのは苦痛と我慢」と捉えておられるのだとしたら、なんて虚しくて哀しいことでしょうか。
どうかShoyanお得意のちょっと斜に構えた逆説トークであって欲しいと願うのです。現に私の横からは「そんなことないよー!」という小さな声が沢山聞こえていました。そんな声が届いていないのでしょうか。
Shoyanご自身が発する"お言葉"は、意味が重いのです。好きで聴きに来ているのに「我慢して聴いているのでしょう?苦痛だよね」と言われたらショックだし傷つきます(涙)。冗談だよねって受け流せない、不器用な想いを持っている聴き手もおるのです。
「好き/苦手」「知ってる/知らない」と「新/旧(懐)」は全然違うものです。
Shoyan、私たちは皆『好きな曲・好きな伊勢正三』を聴きに来ているんです。歌は"新しい懐かしい"では分けられないものだと思うので、どの曲も同じ愛でこれからも歌い続けてくれることを信じています。
ダカラ ソンナカナシイコト イワナイデ(祈)
この一つだけ今の私の願いです。
・・・
結局、何度も繰り返し同じようなことを言ってしまうのだけれど、私は『優しい目』にはなりたくないから、届かないとしてもしつこく自分の気持ち記したいと想います。
これまた蠍座的に(*´∀`)☆
(思い入れ爆発し過ぎていますがお許しを)
各曲やその時思ったことなどは
また後日改めて・・・。
・・・
今、下書きのファイル名に『2023』と言う数字を打って改めて思う。
凄い年月来たなと・・・
こんな数字を見ながら最新の最高のShoyanを聴くことが出来るなんて、、、これは伊勢正三ご本人とその音楽を愛する人たちの真心で、互いに丁寧に築き上げてきた現実の結果なのだ!と、深く感動している。
さて、今回思いがけず初めて経験した前方の席で、燃えるような今のShoyanのステージに添えたことは本当に貴重な経験だった。
(こんなこと一生に一度だと思う)
でも、そんな座席の位置など関係なく、
「もうこのままこの最高の状態で死んでしまいたい・絶頂の幸せのまま人生終らせたい」と思うほどのShoyanのパフォーマンスを感じることが出来た(涙)。それほど新しいShoyan・満ちているShoyan・活きているShoyanだった。
去年の軽井沢で昇られた新しい高みで、それを維持したまま更に堅固な足固めをされているのだ、と期待と安心も感じました。
Shoyan、今モノ凄くご自分と対峙されている。
かつてないほどに・・・。
自分の肉体を細部まで丁寧に物理的にケアして、
内なる精神はすべて結集させて練りあげて、
ご自分の根底のひと粒まで歌に捧げよう!
という真っ直ぐな情熱があったと思う。
会場の隅の隅までそれは届いて、一番後ろの席の聴者の人生何十年にまで食い込むほど強い想いだったと思う。そしてそれは宇宙を一周して伊勢正三ご自身をも背後から強くハグしたのではないかと感じました。
自分を抱きしめることがすべてを抱きしめることになるんだ、ということがよくわかったのです(涙)。
それに近いことは今までも何度もあったけれど、ここ何回かのライブの伊勢正三はもっと違う!
前代未聞のShoyanがキている。
今まで、、、きっと天才的な反射神経で魅せてくれていた神の領域な部分を、今のShoyanはちゃんと事前に吟味して、トレーニングしてストックして把握して、『絶対に確実に聴いている人に届けるぞ!』という"超能動"のもとでライブに臨まれているのではないだろうか。「気がする」とかじゃなくて、これは確信です。
その動機は、肉体的な残された時間だけではなく(そんなこと意識しないけどっ)、激しく哀しい自他の環境の変化、コロナ禍で失われた数々の機会、誰もみな何年も自分100%を生きられなかった・という辛かった日常の事実ではないだろうかと思う。
今まで普通にあったコンサートは本当に本当は凄く貴重な一期一会だったのだということが、演者も聴者も心の底から目が覚めたのかなと思う。
(もちろん普段から誰もが一期一会は大切とわかってはいたけれど)
一期一会を大切にしたものこそが辿り着ける永遠がある、そこに辿り着く扉をShoyanはとうとう開いたのだ、と想った。
今のShoyanは"更に目覚めた人"です。
(シン・ブッダ的な^^;)
この世の激しすぎる永き混沌を我が物にして、それを骨格にして新しい大きなご自分を堂々再生されたと思う。そしてその新しい伊勢正三がすでに歩き出している!と、今回のステージではそんな瞬間を自分の目や耳で感じることが出来て本当に本当に幸せでした。
やっぱり私の幸せはここでいいんだなと想い直して、無に還れた気がしています。
・・・
これだけのステージ、気力体力環境力、すべてにおいてShoyanご自身の影の努力・ケアは凄まじい量なのだと思います。後半、ある曲を弾いて歌い終わった後、肩で息をしていたShoyan、そして最後の曲最後の一音で唇が震えるほど命を振り絞ったShoyanを私は絶対忘れません。
死んでも忘れません。
こんなに熱く・深く・永く音楽を愛している人はいない。
そしてこんなにも聴き手から愛されているミュージシャンも他にいない。
そう想って真っ新な気持ちに完熟したこの日のステージでした。
本当に、私たちまたひとつ新しい日々が始まりましたね、と顔を挙げて澄み切った陽の光を浴びたようなコンサートでした。
パワフルを超越してSTRONG☆なShoyanに、まだまだこれからも逢いに行きたいと想いながらこの稀な興奮を置いてまずは一息♪
独りよがりの爆書きなぐり失礼いたしました。
※今書き終わって、なんだか安心して涙が出てきました・・・やっと・・・。今からひとしきり泣きたいと思います(涙)。
今回ラストに『俺たちの詩』があって良かった、しかもMartinD45で。ギブソンじゃなくMartinだったのが正やんの新しさにピッタリだった。 まだ胸の中で太く鳴っているような気がします(涙)。
・・・・・
※※ で、本当にこのまま死んでもいいと思いましたが、でもでも、ひとつだけ心残りがあるのでやっぱりまだ逝かないことにしました(笑)。
それは・・・ShoyanがMCで度々、前にも増して新曲をご自分で卑下?するフレーズを口にされることです。「新曲ばかりやったら次から聴きに来てくれない・新曲は我慢して聴いて」などと、何故そんな哀しいことを仰ってしまうのか。そんなにも「旧い歌だけ聴きたい・新しい曲要らない」という声が多いのだろうか?
現に終演後、混雑した通路階段で「かぐや姫や風の曲は知ってたけど伊勢正三の曲はよくわからなかったなぁ~」なんて話してる男女グループがいらっしゃいました。それが現実・スタンダードなのだろうか?それが「会場の総意」なのだろうか? でも、それもしょうがない・キャリア長いアーティストアルアルだとしても、、、
新曲(ソロ曲)を好い!と思うのはおかしいことなのか???
それをアーティストご本人が言ってしまう現実、Shoyanご本人が心の底の底の本心からそんな風に「新しい曲を聴いてもらうのは苦痛と我慢」と捉えておられるのだとしたら、なんて虚しくて哀しいことでしょうか。
どうかShoyanお得意のちょっと斜に構えた逆説トークであって欲しいと願うのです。現に私の横からは「そんなことないよー!」という小さな声が沢山聞こえていました。そんな声が届いていないのでしょうか。
Shoyanご自身が発する"お言葉"は、意味が重いのです。好きで聴きに来ているのに「我慢して聴いているのでしょう?苦痛だよね」と言われたらショックだし傷つきます(涙)。冗談だよねって受け流せない、不器用な想いを持っている聴き手もおるのです。
「好き/苦手」「知ってる/知らない」と「新/旧(懐)」は全然違うものです。
Shoyan、私たちは皆『好きな曲・好きな伊勢正三』を聴きに来ているんです。歌は"新しい懐かしい"では分けられないものだと思うので、どの曲も同じ愛でこれからも歌い続けてくれることを信じています。
ダカラ ソンナカナシイコト イワナイデ(祈)
この一つだけ今の私の願いです。
・・・
結局、何度も繰り返し同じようなことを言ってしまうのだけれど、私は『優しい目』にはなりたくないから、届かないとしてもしつこく自分の気持ち記したいと想います。
これまた蠍座的に(*´∀`)☆
プロフィール
HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
このブログサーバーが落ちて表示されない場合は↑に避難しています。
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
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検索窓的な♪
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無題
ずっとずっと死ぬまで、死んでからも、永遠に応援していきたいと心の底から改めて思った。
七氏さまの熱い想いが全身に飛び込んできて高鳴っています。感動をありがとうございます(TT)
このまま正やんにも読んでもらいたい!
後半の部分は特にうったえたいですよ。
ありがとうございます
今回こまごまとしたことよりも大きな大きな正やんがデデーンと構えていらっしゃって、その『圧倒』をまず先に残しておきたかったのです。
後半の部分、ホントに正やんご本人にわかってもらいたいなと切に願っています。
nynakoさま、来世でもまた正やんLOVEの道をご一緒させてください☆(たぶん、過去も同じように来た気がしますね(笑))