Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

2025/08    07« 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  »09
日照り続きの中、珍しく昨日の朝から24時間以上冷たい雨でした。
日中留守なので全然世話もできずに、枯れてもしょうがないと諦めているAbandonedな庭の草木には恵みの雨でした。

でもやはり、雨の日は想いが流出してしまうので、つい我に還ってしまいます。いくつか冬の雨の歌を聴いていたら一気に我慢できなくなって、『古暦』など二枚とも聴いて、そしてまたstill moreを聴き始めたりして・・・

心折れている時には好きな歌って聴けないものかもしれないです。
辛いときは「心なんてないもん」と、心の存在を忘れるようにしてしまう。でも、何かの拍子に自制が切れて好きな歌を聴くと、からっぽの胸に心が発生してしまう・・・だから今日はなんだか何回も密かに泣いてしまいました。

いい歳をして(普通なら孫のひとりもいそうな年齢で)涙を流したり情けないことですが、慰められて泣く涙なら許してもらえないでしょうか。お正月から悲しいニュースや苦しいニュースが続きました、普段なら距離を置いて考えるのですが、平穏な日常が突然不自由で辛くて寒くて不安なものになってしまうことに感化されてしまって、、、自分のやるせなさと相まって、哀しい一月です。

ガラになく後ろを向いてしまいそうな夜、です。

・・・

でもそんな中フト感じたことがあります。
still moreに収められているちょっと前の最近?の(demo・校歌除く)ソロライブ音源のShoyanの歌声はなんだか今と違う気がします。ほとんどは自分が行けなかったライブだと思うので、当時私がどう思ったかは残っていませんし、日の違う行けたライブでも普通に受け止めていたように思うのですが、、、この今、まとめて聴いていると「今の方が更に更に強い!」と思うのです。良し悪しではなくて、なんというか、Shoyanの厚みが全然違う!と感じます。当時のShoyanの歌声が薄いわけではなく、今が凄く存在感がある!ということ。

still moreの中には”平和”があると思う。
安寧も・・・
でも、今のShoyanは挑戦しているし沸き立っている、そんな気がした。
どちらのShoyanも大好きです。

だから、やはり少し泣きました。(*´ω`)キリガナイ

※そういえば、ナゼ公式のディスコグラフィのstill moreには曲目の掲載がないのだろう???謎

・・・

仕事は明日からの一週間で今の現場を去り、29日からは本来の採用だった別の新しい現場と現実が始まります。
土が悪いとか、日程詰まってるとか脅されています(^^;)。ただでさえ、一輪車石土運び作業ばかり3日連続でボロボロになっているのに、新しい環境人間関係とイチからの作業でどうなるのか不安です。実家の父は「そんなに辛いなら他にいくらでも違う仕事あるだろに」と呆れていますが、愛に不器用な私の挑戦なので、工期が終わるまでは頑張るつもりです。

自由な時間はないけど想うことだけは自由に・・・
今日は久しぶりに手も動かせたので、独りよがりですが想いつくまま打ちました。

からっぽだけど、そんな私にもShoyanの歌はやはり待っていてくれるのかもしれないと、安堵もできた休日でした。

(落ち込みつぶやきお許しください(ヽ´ω`))


なごり雪50ツアーの詳細が出たみたいですが、、、

きゅ、9000円!(@_@;)
私の肉体労働1日分のお給料より遥かに高い(汗)

デザート世代すごっ


本当なら頑張って稼いで行ける限り行くぞ〜と思うところですが、、なんだか、今はどこか一箇所行けたらいいなと思うくらいの情けない気持ちです(笑)。

(ベースやドラムやコーラスがいるバンドでやってくれるならなんとかなんとか、なんとか〜?)


しかし、こうして私のようなものはエンタメからふるい落とされていくのかな〜と実感しております。

でもこれが伊勢正三ソロだったら、 這ってでも行くと情熱も湧いてくるのですが、、、(〃ω〃)サイキンゲンキガナイワタシ。
先年、LINECUBESHIBUYAのコンサートに行って以来、渋谷ブームとなっていた自分には今回のDEMO音源の『渋谷川』を、凄く好きな曲として聴くことが出来た。いいタイミングだったと思います。

実は、やなわらばー氏たちの音源は当時なかなか聴き進めることが出来ず(個人の生活事情でお披露目のステージなども行けず)何故か遠い存在のままだった。

当時は「渋谷駅」「渋谷川」「東京湾」「ウージ」などのとても限定的な固有名詞が突き出ていて、なんとなく自分が部外者のような気持ちがしたのかもしれない。「あぁ、これはやなわらばーさんたちのものなのだな」と。

他の提供曲でそんなことを感じたことはないのですが、、、半分はヤキモチで、あと半分は直感?でなんとなく近寄れなかったのだった(謎)。

でも今回、Shoyanご本人が歌詞の順番を替えて歌っていらっしゃるのを聴いて、ものすごくしっくりとストレートな物語が感じられたので、改めて聴き進める事ができた。

・・・・・

やなわらばーバージョンの歌を聴いた時は、この歌の彼女は都会に出て来て自分の生活が出来てしまって、南の島の故郷とは乖離してしまって、まだそこにいる「あなた」と昔の自分を切り捨てていく話だと思っていた。戻れない時間=幻だと。

けれど、今回Shoyanが歌うバージョンを聴いたら、この彼女、都会に出てきたはいいけれど、もしかして一瞬立ち止まり(前に進めなくなり)、ふと故郷を想ったとき、還れる場所=「あなた」がもう無いのかな、と想うようになった。

地元で何かアクションを起こして夢を叶えようとしている彼には、同じ夢を追いかける別のパートナーが出来たりとか、、、。 だから都会の彼女は還る居場所が失くなってしまったのではないかと。彼の傍ら=幻だと。そんな風に感じた。ずっと、「繋がっているもの」の例えとしての海だと思っていたものが、裏を返せば「隔てているもの」だと。

そして♪夕暮れの街はさみしさをまといながら~
のあとに続くフレーズが違うのも、やっぱりそんな風に全く違う意味の表れなのかと思う。

「なぜかわたしを招き入れた」の方が私は断然好きだ。
ここが一番気になる箇所だ。
一番Shoyanらしいのではないかと思っている。

『東京1975』の♪そんな時東京はきっとぼくの肩をたたき~ に通じるような・・・・。

都会は・・他所から来た者にとってはいつもひとりぼっちの場所なのに

「一人で泣ける場所もない」

なんて、捻じれ現象が起きているのかもしれない。

「見上げれば道よりも狭い空」

なんて、そんなはずないのに狭く見える理由は、物質的なビルディングの容積よりも、自分の心のキャパが反映されているのだろうと思う。
”圧迫感と閉塞感”がそう見せるのではないかと、東京はモノがありすぎて逆に自分が空っぽになっていくことが同化なのかもしれないと思うのだ。

「今頃か」とお叱りを受けそうだけど、きっと私にとっては今わかるようになっていたのだなぁと面白く想っている。

・・・

全編パリッとしたギターが際立っていて、淡々とシンプルな中にもShoyanの思い入れが優しく刺さってくる。たゆみないアルペジオの中に時折変化するストロークは、Shoyanのその時思わず指が動いてしまった心の発露なのかと、とても生生しくてdemo音源ならではと嬉しく聴くのだ。思い入れたっぷりのソロ部分などは、都会の街並みや人の流れが影絵のようになって見えるようで本当にせつない(涙)。やはりこういった素肌な音源はいい。

またほかにも機会があるのなら・・・ぜひ聴いてみたいし待っている。
今回この『渋谷川』をShoyanご自身の声で聴かせてもらえたのはとても重要なことだった。自分の中でひとつ氷解したものがあった。


暗渠の蓋を取り払って、都会の薄い日差しが浅いコンクリの水底で光るような、さみしい安らぎが堪らない一曲だと想いながら聴いています。
少し余計なことから・・・

”シティ・ポップ”なんて造語を持ち出したリバイバル商法?が台頭している昨今。今頃になってやっとやっとやっと!『スモークドガラス越しの景色』や『ORANGE』の真価が表立って評価されるようになったのだと、それは素直に喜ぼうと思う。

がしかし、Shoyanの”その頃”のアルバムや楽曲が現在再評価されているのは、それがシティ・ポップど真ん中!ではなかったから・ではないかと思うのだ。Shoyanは単に最先端の都会のサウンドを掴まえたわけではなく、人の心の機微を都会と鄙の距離や対比に託して歌にしていたのだと思うのだ。だからそれが今でも聴く人の「寄り添い」となって響くのだと思う。単なる懐かしさや新鮮さで終わらずに真の評価に繋がっているのだと、個人的に思っている。

Shoyanがなさってきたことは間違っていなかったんだ!と、ナゼか私まで胸を張ってしまいたくなるのだ。(*´ω`)v

(サブスクで気軽に昔の歌も一曲から再生できるというのはすごく大きなキッカケだと思うのです>知ってる人も知らない人も)

音楽は本当は「好きな人だけ好きでいればいい」とは思うけれど、やはり「あぁ、君も?」という同意も良いものなので、Shoyanが永きにわたって同じ濃さでお創りになって来た歌たちが今昔沢山の人に愛されているのは本当に素敵なことです。

・・・・・

先日、12月も半ばになって改めて海に行ってきた。
鎌倉のLIVEの時には車で通り過ぎて行ったところを歩いてみたくなったからです。
やっと晴れた海と海岸に降り立ってちゃんと潮風を嗅ぐことが出来た。嬉しかった。

♪海が見たくなると 
 いつでも出かけた週末に~

自分が幼いころからあこがれていた一曲『Sea Side Story』は、とてもゆったりとしたメロディ。よく聴いてみると言葉は短く・簡潔だ。凄く深いフレーズや凝ったアレンジや色っぽいリアクションがあるわけでもなく、日常の中のフトした剥がれの始まり・が置いてある。

けれど、この歌もまた普遍のShoyanマインド=「♪言い訳しながら心では醒めてる」という、渚ゆく症候群的な心の機微がある。すっごくShoyanらしい一曲。初めて聴いたアルバムにこういった曲があったから、私は伊勢正三という人の歌を好きになってそのあと何十年も一番好きでいたのかもしれない、そういう大切な曲の一つです。何気ない歌ほど大切なことがアルのです。

中学生当時、何故かもの凄く海に行きたくて、それは当時の若者がワイワイと楽しく遊びに行く感覚ではなく、その頃個人的に湘南の海に縁の深い人に興味を持っていたからで、幼いころに行った三浦の油壷の景色と相まって、思春期の戸惑いと家庭内の面倒(^^;)で潰れそうな自分は、光あふれる明るい海の景色に独りでとても憧れていました。中学生が一人で海に遊びに行けるわけもなく、孤独なままSEに波の音が入っているこの歌を何度も聴いて、自分だけの海を心の中に構築しました。そこに退避したり泣いたり癒されたりしてたのです。Shoyanの歌はこの頃から・最初から私のシェルターでした。興味を持った人と一緒に出掛けたい海ではなく、自分だけの海を構築できたから今でもそこに還ることが出来るのだなと想うのです。

・・・

♪当然許してくれるなんてこと
 わがままに うぬぼれてた

とあるけれど、これ一般的な傍若な”わがまま”ではないと思う。
”うぬぼれ”を漢字で書くと”自惚れ”、ちょっと角度の違う、ある意味本来の”自己愛”。自分優先していいじゃないか、と思うんだ。我の儘、自分のそのままの心で海が見たくなったこと優先していいと思うんだ。

約束してたのに無断で破ったのならアカンと思うけど、「週末だから当然私と遭うでしょ、予定空けておいて」と思っている相手に合わせなくてもいいのだと思ってしまう。

本当に心通う相手なら

「〇〇ならきっとココだと思った♪」

って、独りを堪能して帰るころになって、海辺の駐車場から手を振るような笑顔があるだろうと思う。ヘッドフォンを外して歯を見せる彼の口角まで見えるようです。

(40年越しの妄想(笑))

そんな風にお付き合い出来たらイイナと想う。


♪どんなせつなさにも 
 きっと潮風を嗅ぐように
 浮かんでくる景色がある

「せつなさ」とは苦しいだけでなく、くすぐるようなニュアンスがあるということだろうか。
またそれが癖になって抜け出せず・・・恋人と過ごす週末より優先してしまう、自分ラブソング。別れやすれ違い・剥がれの始まりのような歌なのに、どこか明るく軽やかな感じがするのは、この歌が自分自身の充実の歌だからかな。

この頃、ヒット曲の時代が過ぎて、Shoyanが改めてご自分の音楽・言葉を底上げしようと取り組まれてからは、聴き手も想うことがさらに増えていっただろうと想像する。想えない人は遠ざかったかもしれない、でもそこを諦めないで自分の感性を丁寧にカタチにして揃えて並べて組んでいったShoyanの音楽生活の結果が今、大きなモザイク画のようになって、遠目にもわかる美しい景色になったのだなと思っている。何で出来ているかわからなくても(専門的な知識や特異な感性がなくても)「誰もが一目でわかる美しさ」を今のShoyanは手に入れられたのだと感じているのです。どんな聴き手にもわかる自然の造形のような本当の美しさ・です。

こういった、始まりの頃の何気なさそうな歌を聴くと尚更に想うのです。
幼いころから憧れていた海と防波堤とお気に入りの歌の世界を、、、今年は特にそんな風に『伊勢正三の海』を再認識する気持ちが深かったです。

・・・・・


相手は許してくれなさそう、
でも経ってゆく”時”は許してくれる。
だから、つい、”時”に甘えてみたくなる。
他人の心より時の流れの方が確実で正確無比なのだ。
この頃の”偶然”は有り得なくなくて、”偶然未満”だったのかなって思う。通じ合うまでに至らず別れてゆく彼女の物語は全然別冊だったのだ・・・と。


「電話かけてきたんだってね」
「カセットに詰め込んで」

今になれば、そのフレーズはノスタルジー。音声電話さえ今は希薄。これから人はどうやって自分の気持ちを誰かに伝えていくのだろう。

言葉とか要らなくて、波の寄せる音のように永遠に聴いていられる世界に二人で在れたらいいなと想う。

ずっと聴いてきたからずっと聴いていける、そういう歌をたくさん作ってくれてありがとうShoyan。

また来年も色々なメロディに出逢えることを祈っています。

海が見たくなるといつでも出かけたい年末に☆ 

七氏


@Chigasaki Kaigan

イルカ氏とのなごり雪50周年ツアー詳細が出ましたね。
なかなかの広範囲!!
2箇所くらい行けそうかも、、、
(2箇所?(T_T))

色々思うことがありますが、実は今、体調がすぐれず、明日はギリでお医者さん(胃)に行くことにしたのでまた改めて。

先日は実家の父母妹の療養もあったりで、気持ちも落ち着かず、、、であります。

、、、、、

今回のステージ、イルカ氏が歌うShoyan作の歌を全曲やって欲しいくらいです。

あの頃のぼくは
想い出の駅前広場
なごり雪
初恋
海岸通
雨の物語
あいつ
迎えに行く朝
傘の雫

などなど。(他にもあるやもしれず)

これは聴きたい。
改めてそう想いました。


『どこまでもSilentNight』を聴いた当初、実は長いこと『背伸びのプレゼント』とは、彼女が履いてきたその、雪に塗れた細いヒールのハイヒール(靴)のことなのだと思っていた。

彼がそこに至るまでのいつかの日に(誕生日などに)、今の自分のステイタスには見合わないような金額を奮発して、海外ブランドなどのすごく素敵なハイヒールを彼女にプレゼントしてあって、それを彼女がこの特別な日(初めて一緒に過ごすクリスマスの夜)に履いてきたのだ~♪とばかり思いこんでいたのであった。彼、あぁ俺があげたハイヒール履いてきてくれたんだ♪wktk♪と嬉しくて、さっきまでのサミシサもどかしさはどこへ・・・というHappyな気分なのだと・・・。汗

(幼き十代の日のヘンテコな思い込み妄想お許しください)

がしかし、実際の歌の舞台は急き込んでTAXIから降りてきた逸る気持ちの彼女が、これまたちょっとお洒落の気合が入っていて、いつもより高めのピンヒールを履いて、つま先をスッと雪に差し込むような姿勢で彼へのプレゼントを抱えてる・というシチュエイションなのではないかと思います。きっと普段から履き慣れて見えるような雰囲気ではなく、ツンっと本当に背伸びをしてハイヒールを履いた新鮮な彼女のシルエットだったに違いない。

・・・

と、こんな小さなことを今年のクリスマスに置いておきます。
しかも自分の勘違いエピソードですが(;^ω^)。

でも、去年もこの『どこまでもSilentNight』のことをちょっと書いたのでしたっけ。一年あっという間です。まさか一年後こんな状況とは思わなんだ。・・・ここ数日ちょっとだけ心身色々あって、心定まらずで間が空きましたが、今日もここでこんな風に愛おしきShoyanの歌のことを数行でも書けることをしあわせに想います。

少し遅れましたがメリー・クリスマス☆
綺麗なカードも美味しいお酒も暖かいソファもありませんが、今年一年のShoyanの最高のパフォーマンスに真心の底の底から愛と感謝を届けたい一夜です。


今年も残すところあと少し・・・
静かに残りの宵を過ごしましょう。


☆LIVEセレクション、再放送も観ましたが
やはり思うことは同じ、
「名演多々あれど、やっぱり今のShoyanが一番凄い!」です。

今のShoyanが一番スキです(憧)

ハッ! Σ('▽') 

そ、そういえば、”彼の時計”が5気圧以上の防水機能時計だったらシャワーの時にもはずさないかもしんないじゃんっ!!(今頃かっ)

うむ、やはり「貸して見して~♪」のほうが自然だな。

・・・ん~、、、

でも、”そういう時”にはやっぱり時計も外して欲しいような気もする!?

けどでも、、、腕枕してもらって耳元で「チッ チッ チッ・・・」って針が進む音が聴こえるのもいいかもしれない・・・

と、シチュエーションのリアルはいいとして(汗)。


一緒にいられる幸せな時間を計るのか、
おやすみbyebyeするまでのタイムリミットを計るのか、
どんな気持ちでいたらいいのやら・・・

そのキモチを言葉にできない彼女は、ずっと彼の腕にピッタリ装着されている腕時計にヤキモチ焼いたのかな?それとも「時計くん、彼に私のキモチ伝えて」と想い託したのかな。

。、、、、、

『小さな約束』がリリースされたときに、曲紹介などで「『ほんの短い夏』にも通じるような」と引き合いに出ていましたが、『ほんの短い夏』と『小さな約束』のシチュエーションは全然似て非なるものと私は個人的に思っています。

・・・おっと、寝る前に急に思いついた断片でした。
考え出すとキリがないのでひとまずこれでまた追々!

※日本で電波時計が市販されるようになったのが1993年だそうだ。彼女がコッソリ遅らせても自動で時刻が訂正されてしまったらどうしよう!?
 (/ω\)

時計の話題はキリがありません♪
(*´▽`*)
あれはもしや 鎌倉ライブの時と同じスウェット上下?(*゚∀゚)

(今、スウェットって言わないかな、汗)

しかもまた腕時計キラリン☆素敵。
オータニサンみたいにさり気にカッコヨス☆☆

フフ、 どうせならフードを被ったお姿で写って欲しかったな〜、、、なんてなんて。

今年最後の締めくくりライブを楽しもう感が出ていて、皆さん良い表情されていますね。
(広角モードなのかな?)

、、、って、イルカ氏とツアーとか?
地方にも来てくれたらいいなぁ、と、ほんのり期待したいです。(地元に来てくれなくてもどこかには行きたいです)

ヨカッタ、楽しみは続きそうで(安堵)。

明日は朝は気温マイナスだけど頑張ろう♪
燃えますー!!



プロフィール

HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!

☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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