Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

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そういえば、5月からハマっている『雨の物語@1996年日清パワーステーション』ですが、この音源、後半リフレインの前の間奏の途中で、Shoyanが「ハッ」と瞬間大きく息を吸う音が収録されていて、それが堪らなく切ないのであります。“逆ため息”とでもいいたいような・・・

普通、発売されているオリジナル音源に息継ぎの音なんてそんなに明確に録音されていないだろうし、LIVEでは客席からは聴き取れないし、編集段階で消すこともできたのでは?と思うのですが、これがそのまま聴こえるというところに、あの時の一生懸命な、身一つでMusicianとしての御自身と対峙されていたShoyanの生身の空気を感じるのです。

実はこれ、この4枚組の中で一番好きな音源かもと今現在想っています。

あんなにこんなに豪華なミュージシャン参加のバンド演奏や、色とりどりアレンジの今昔の演奏音源の中で、何故コレ?と思われるかもしれませんが、『雨の物語』は伊勢正三の曲だよ・と改めて思わせてくれる、存在の底のような音源だからかもしれません。
(なので、古暦のバージョンもコッソリすごく好きです)

本当は最近のイルカバージョンありきのステージの演奏はオリジナル感薄いな・なんて思いながら聴いてしまいます(生意気)。

万民に耳馴染みのあるギター名フレーズが満載だから、演奏し易いし親切なのかなと思うのですが、私はもっとShoyanを独占したいっ( >д<)! 歌い手と聴き手の間に何も無い世界を望んでいるのかもしれません。石川鷹彦御大の名アレンジだというのに!?

自分がその時その場にいられた音源だからという思い入れもあるけれど、やっぱりギター一本の演奏は聴く方の心も裸になってしまうということです。究極的なことを言えば、LIVEに行くという行為も本心はそんな動機なのかもしれません。(たとえ何千人の客席の中に埋もれていても)

・・・と、また呆れられてしまうような勝手を書きました。ご容赦下さい♪

(♪です(笑))

軽井沢が近づいてくるにつれ、なんだかあまり具体的なことを言葉にするのが怖くなってきまして(どんだけ〜汗)、昔のことや遠いことから想ってみようかな・という次第です。

どうしても、寝ながらヘッドフォンで聴くと涙が出てしまう。いくつかのハーモニクスに想い出が揺さぶられてしまう。それはどんな涙なんだろう。自分でもワカラナイのがもどかしいまま、涙に任せて眠りに落ちるのであります。
写真投稿でごまかしているわけではないのですが、、、

今まで軽井沢でやってくれて嬉しかった曲などを思い起こしたりしていたら、 先日見つけたこの写真を思い出しました。

もう20年ぐらい前に作ったカクテルでしょうか 、写真がよく撮れたので嬉しくて保存していました。

カクテル『夕凪』

ブルームーンをアレンジして、レモン果汁の代わりにカボスの果汁を使い、干しあんずを甘く煮て沈めてあります。

我ながらとても気に入っている出来栄えです。
(*´ω`*)d


(以前もどこかにアップしたことがあると思いますが 汗)

だがしかし!

私も家人も今はお酒をやめてしまったので、 ノンアル(モクテル)バージョンの『夕凪』を考えたいと思っています。(ハーブティーなんかもいいかもしれません)

でも、酔えない夕凪なんてな〜!?(・_・;)(笑)

・・・

今日、仕事終わりで買い物に寄ったスーパーの屋上駐車場から空を見たら、 半月で上弦の月でした。懐かしい人を想いました。帰り道、 所々の家の玄関先で迎え火を焚いている人たちを見かけました。 何もしないけど、お盆ですね。

毎日毎日すごく暑いのに、生の火がゆらゆら揺れてるのをいくつも見たら、とても優しい気持ちになりました。

なごり雪 50のツアーが終わってなんとなく、私のようなものまで凪の気分なのかもしれません。昨日は 軽井沢のステージのことを夢にまで見てしまいました(汗)。なぜかホールの中に入れてもらえずに、外で漏れ聴こえる歌に感激しているというシーンでした。

この時期に聴く名曲があまりにもたくさんあるので、ひたすらそれらに浸っていようと思います。あまりリキまずに 、それこそほろ酔い加減で♪

某A新聞宇宙部のチャンネルで、Hawaiiマウナケアのすばる天文台からのLIVE中継をやっているのです。 これで今夜のペルセウス座流星群を見てみるのも良いのではないでしょうか☆彡

https://www.youtube.com/live/q3rvDXn7e18?si=cPb9oiEraxwvEXRz



これなら遠く離れたところにいても同じ流星を眺めることができる・・・かもしれない(*´∀`)♪   
ド-レ-ガ-Wダ 

今夜はそんなこと考えながら寝床にスマホを持ち込みましょう。イヤフォンで『NEVER』を聴きながら(涙)。

(でも、 横になるといつも秒で寝てしまう私なので、 一つも流れないうちに意識を失っているかもしれません(笑))

※最近空の写真多いですがお許しを^^;

コロナ規制明け一発目の軽井沢で、一曲目がこの歌だった時、とても嬉しかった。一人のあいつが死んだ切なくて悲しい歌なのに、そこには無常という平和があるような気がして、とても好ましい気持ちになったことを覚えている。


人から借りたレコードのかぐや姫の『妹』B面だった。ゆえにこれが初めて聴いたShoyanの歌声だったように思う。14歳の私には詞の内容・メロディよりも「声」が第一だった。この歌のShoyanの声が大好きになったから、私は伊勢正三の歌を聴くようになったのだと思う。その気持ちは今でも変わらない、地球上いや宇宙で一番好きな声はShoyanの声です。

そして、深い詞の世界に心奪われた。
特別な言い回しや装飾がなく、平凡な善人の日々の暮らしそのものなのに、その中に折り紙の折り目のように二度と消えない痛みがうっすら隠れているという、淡い切なさと、、新しい命の誕生という力強い時の流れの流心も同時にそこにはあるんだよ、という人生の交錯を感じたのだ。

人が一人死んだら
人が一人生まれる

とは、世の中には本当は偏りはなくて、愚痴は悼みでもあり、嫌いは可愛い・不成就は救いだったのかもしれず(でもやっぱり可哀そうな妹(涙))、、、あいつが山に還っていった日は、この暑い盛りと真逆の冬山だったのかもしれない。そんな風に、何気ない日々も本当は裏表二色で折り重ねられていく積み重ねなのだなと、人生を俯瞰で見られるキッカケの歌だった。その同じ日は二度と還らないという無常を、幼いながらに感じられたことは自分をひとつ大人にしてくれた歌でもあった。

こういう歌を素直に、スッとてらいもなくカタチにした当時のShoyanの感性の太さを今でも凄いなって思う。こういう(家族の)歌ってどうしても”狙った感”が出がちな気がするけれど(某シンガーの大ヒット提供曲とか 汗)、このイヤらしさの微塵もないイノセントなShoyanの詞の世界は、家族愛を超えて人間愛や生命愛を示してくれるわけで、そこが他のアーティストの仕事とは数歩抜きんでて高いのだ。長いことアルバムに収録はされていなかったけど、この歌を好きな人は実はかなり多いと思う。私もきっとずっと好きです。

・・・

山に還っていった彼がここに残した時間・関わった日々のことは、これもまた出来上がった折り紙のように、この家族みんなの心の片隅に置かれているのだろうと思う。

これからの日々それは変わりなく、その窓の向こうで庭の木々が芽吹いたり葉が落ちたりして季節が移ろってゆく、この頃とあの頃の距離を測りながら・・・


もうお盆休み~盆の入りですね。
トンボや蝶々の背に懐かしい人の面影を視るかもしれません。
暑くても少し遠くを眺めてみようと思います。




追記:

全然関係ない話題で恐縮なのですが、少し追記を。

先日全国ニュース(世界でも)で報じられた、とある日本の登山家お二人の滑落~安否不明事故がありましたが・・・

実はそのお二人が関わった番組や映像作品が私と家人はとても好きで(もちろん一視聴者として)、そのうちのH氏は地元のスポーツ用品店などによく来訪されてトークショーなどなさっていたので、何度かお話させていただいたことがありました。イベント後は一組づつ対面でテーブルに座り長い時間丁寧にトークされて、私たちが鉱物観察のために山に入ると言ったら「僕らがよく行く”カラコルム”って”黒い石”って意味なんですよ!」なんて話を合わせてくれる優しい方でした。前回会ったことや話したことを覚えていてくれて、今遺跡発掘で身体を使う仕事をしてますと言ったらグッズにサインと一緒に「ガンバ!」って書いて励ましてくれました。この3月のことでした。

SNSのご様子から、K2未踏ルートのチャレンジは無理しないでお帰りになるとばかり思っていました。なのに、、、もうお会いできないなんて、ショックすぎてここのところ心のどこかはポッカリと穴が開いています。命まで懸けてはいないですっておっしゃっていたのに・・・

だから、今年は、、、いえ、これからはこの大好きな歌を聴くときは、やはりどこかでちょっとだけ胸が痛くなることでしょう。

山に行って、そのまま山にいるなんて、、、そこで時を止めたお二人のことを、小さく生きている私の中で想っていくのは不思議なことだと想いながら、私はこれからもガンバるのです。

毎日車で通勤する途中に、とても古い八幡さまがある。

こじんまりとしているけれど、戦国時代からある由緒ある場所だ。毎日前を通るたびにチラっと横目で石の鳥居の奥を眺めて想いを馳せる。

狭い住宅街の中、何故かそこだけ道が広くて時空が違う不思議な場所なのだ。境内に続いて木立に囲まれた広場があって、ぽっかりあいた空間でみんながゲートボールをしていたり、夏休みに入ってからは野球帽の少年たちが自転車を数台停めてキャッチボールをしていたり、蝉の声の下で老婦人が談笑していたり、全くもって昭和なまま時が止まっている。その一瞬の絵がなんとも懐かしくて、ここのところ毎朝『夏純情』を聴きながら出勤しているのです。

もう立秋を迎えてしまったけれど、お盆くらいまでは夏祭り宵祭り感ということで、また少し思うことを・・・
・・・

またもやこの歌を最初に聴いた時から・なのだが、どことなくジャパンアニメーション的だなって思っていた。(というか、アニメの方が伊勢正三の歌に追いついてきたのだ)

計算しつくされて、どんな動きにどんな評価や反応があるのか見据えたうえでのはずし技・王道のセンチメンタル・・・そして美しい精細な描写。それを視覚の一切ない、音だけですべて上映してしまえるShoyanの真骨頂を痛感していました。

なので、聴くときはいつも脳内で絵が動いていくのを追っていたのですが、ここのところまたいくつか新しく想うことが発生。覚え書きしておきます。

・・・

♪紅い帯・・ゆらり(・・ユラリ)

の帯だけれども、これってもしや兵児帯(へこおび)なのだろうか? ちょっと前までは女性だと兵児帯は子供の装いというイメージがあったので、「この歌の彼女は何歳くらいなのだろう!?」とフト思ってしまった。兵児帯なら小学生?かと思って「んんん???」と悩んだのだけど、今はオトナ向けのオシャレな大ぶりの兵児帯が普通にあるそうで、中学 高校生でもおしゃれに着こなしているのでしょう。そっちかーと納得しました。

でも、薄紅の浴衣に更に紅いユラリ帯だなんて、彼女の自己演出ならナカナカの直球!?それとも母親かおばあちゃんか、「こっちのほうがカワイイよぉ」って可愛がられているのかな・・・誰が選んだ浴衣かなと。母や祖母の地味な紺の浴衣を着ていた自分をフト想い出し・・・

しかしその一方で彼は制服なのだ!
こんな勝負場面で制服とは?

部活を早く切り上げてそのまま直行で待ち合わせたのか?
いえいえ、きっとこれには「♪着てゆく服選んで迷う時ほど・・・@傘の雫」という事案があったのではないかと思うのです。どちらかというと彼だってキメて行こうと思うほどのお祭りデートなはずなのに、、、自分を意識しすぎて特別な自分になるのがためらわれて、結局、見た目いつもの自分でいくことになっちゃったのかな~と、フフフと思ったのです。

♪制服 胸のポケット 
 ペンのインク 滲むハートになるんだ

胸のポケットに慌てて挿した万年筆のキャップも、カチっと締めないから外れてインクが滲んじゃったのか、”心ここにあらず”なここ最近の彼の様子が伺えて、ただ彼女へのキモチが胸元に滲むだけでなく、彼の小さな混乱が可愛いと思うのです。

ノック式の水性ゲルインキペンの芯が出たままだったのか 、とも思いましたが、やはりここは少しノスタルジックに万年筆で想像してみました。

♪風を切れば 風の音が聴こえる
♪夢ひと夏 空蝉鳴く ・・純情

以前も書いたのですが、ここからひとつ場面が違うようで、後から追加されたのではないかと思うようなニュアンスを感じるのですが、それはひとつではなくふたつ、いやみっつある。

この大人世界への仄暗いトンネルをくぐるような宵祭りを、初めて君と過ごして後日、何があったわけでもないのに、新しい自分が産まれた彼の、その滾る心・逸る心の疾走を感じるのです。夏空の下、白い入道雲より白いシャツに太陽の光をものともせず、何も恐れず自転車のペダルを無心に漕いで風を切ってゆく、その青春の最初のページを吹き抜けてゆく風の音かと思うのです。その場面転換に、聴く者は伊勢正三の歌の世界の大きさ寛さを感じてまた心委ねられるのです。

そのハモニクスの風の音はやむことなくそこで響き続けているのだけれど、、でも、年月はそれを遠ざける。そこから遠く離れて今現在、 青春は手元でその想い出という脱殻となってカラカラ音を立てる。それが空蝉の鳴き声なのだと、近頃になって想うようになった。

赤トンボはツツーっと飛び立ってすぐに見えなくなったかもしれない、でも羽化して長い人生という空に揉まれ傷つき汚れて強くなった自分の、握りしめた拳の中で、今も壊れずある夏の蝉の抜け殻は、”不変の純情”の容れ物として、誰でも死ぬまで密かに持っているものなのかもしれない。

エンディングのギターソロはまだ今からの未来。人は生きなくてはいけない、純粋だけでは進めなかったとしても、いつかきっとまた同じ風の音に出遭えるよ・というラストの再びのハモニクスがとても切なくて、暖かい目的地の音なのです。
純情~♪

・・・・・

『冬の恋~』『夏純情』『秋の葉の栞』とあるのに、『春』がなくてさみしいと思っていたけれど、『春の流星』で四季が揃った気がして嬉しい。

Re-bornからアッという間に早5年も経ってしまったのに、毎日聴いて毎日想うことが湧いてくる。Shoyanが超絶的な集中力で、限界以上に込められるだけ込めたその想いの量を、改めて今痛感しているのです(憧)。


2024年の暑過ぎて震えるこの夏に。 

七氏


※軽井沢大賀ホールのライブ映像などで岩井さんのエレキギターを聴くと、普段Shoyanご本人のギターはどれだけタメて引っ張って込めて弾いておられるかがわかる。岩井さんはきっちり100%の職人技、でもShoyanのギターは100個のマスに130個の音が入っている。そんなの不可能?
いえいえ、それが二つのスキマなのであります。
(*´ω`)v


長い石段はないですが♪
実はこの八幡さまの敷地横の地下には黒曜石の鏃がビッシリ埋まっていました。何千年も居心地のいい場所だったのかもしれません。
なっ・・・・・・!(〃∇〃)

なんというカッコ良さっ!
これは呟かずにはいられないっ

管理人室で小さく声が出てしまうではないですか、仕事中もニヤけてしまう、涙が出るくらい(T_T)。

集合写真じゃなくて 主役のお2人だけっていうのが良いですね。 これはなごり雪レコーティングエピソードの時によく引用される、昔のお二人のツーショット写真を意識されてのことなのかな。
とってもいいお写真ですね♪

・・・


今日は立秋。
空が近いです。

Shoyanのこんな素敵なお姿を見たら少し寂しくなったりして・・・

イベントなどがなくてお姿が見えなければ寂しいし、こんなにも 今年はたくさんのお写真拝見できて嬉しいはずなのにまた寂しくなったりして、ただひと時を弄んでおります。

どんだけ寂しいんだ自分(笑)。

さて 昼休みもそろそろ終わりです。
今日は夕立ちがあるかしら・・・

もうひと働きしてきます。



空蝉ってどんな声で鳴くの?

もしや、胴体ではなく肩を震わせて“泣いて”いるのでは?

古の人は蝉を引き合いに出して、恋しいあなたを想って泣き過ぎて脱殻になってしまった・・・なんて歌を詠んでいた。誰も咎めたて出来ないほどに一途な恋をして泣いたのだと。

でも、この歌『夏純情』の”その時”は、まだそこまで至らずもう少し平和な感じ?だから、まだ「鳴く」なのかな・・・

この話まだ続けたいので後日改めて!

・・・・・

XにはShoyan御本人の充実の一言に加えて、イルカ氏からの打ち上げのご様子まで。

『楽しかった。』なんてお言葉で締めくくられたのがとても素敵で、私まで嬉しくなってしまった。ヨカッタ本当に。

で、本音は「おかえりなさい」なのだ。
”今現在“におかえりなさい、というキモチなのだ。
この振り幅が本当の凄さなんだ!
Shoyan(なごり雪)は50年間も現役なんすよ!!!

50年以上、絶えず最新の音に更新し続けてきた伊勢正三と言う音楽家の最最新がまた始まるのかと想うと、如何な萬年脱け殻の私でも心が震える。

でも、あんまりリキミ過ぎていてもなんなので(笑)、大人しく夏バテを養生しながら想い続けてみます。



イルカ氏の早速のX投稿を拝見して、あぁ、ホントウにファイナルだったんなぁと深く安堵しました。何故だか涙がちょっとじわっとしてしまい・・・(何故お前が泣く(笑))無事にツアーの締めくくりをされたようで、ちっとも行けていないのに、遠くで、”遠隔感動”しています。

でも、Shoyan本当に素敵な笑顔で良いお顔されていますね(尺ヤマメ釣った時みたいな♪)。後光まで射しているみたいです(涙)。絶対好いオーラ出てる!チカラになる積み重ねがおありになったのかなと思います。

あ~・・・本当にヨカッタ(*´ω`*)♪


・・・昨日の朝、なんと私の家の庭で初めてクマゼミが鳴いてしまいました。熊本ファイナル公演を祝うように!?いよいよ私の住むところも九州や大阪と同じエリアになるのでしょうか。

夏の行方やいかに・・・


ともかくも、本当~に凄まじい猛暑なので、Shoyanもまずはツアーの疲れをとことん癒していただいて、ゆっくりご休息をとっていただきたいと思います。

私も何となく・・・心置きなく?謎に挑むぞという感じです。
軽井沢で答えが見つかるといいのですが、答えが見つかるのがこわいような気もして、、自分のこころの行方もいかに・・・

と、放っておくととりとめのないひとりごとになってしまうので、今日は深い安堵とツアーのFINISHをお祝いする気持ちで寝ようと思います。

ほんとに、Shoyan!なごり雪50周年おめでとうございます。この貴重な歴史・時代の何十年かを生きてお供できて幸せです。このツアー初日の感想でも書きましたが、なごり雪100年、なごり雪千年も、私はきっとどこかで聴いていると思います。そしてその時伊勢正三というMusicianもまたそこにいてくれると思います。

やっぱりそれが永遠!?♪

ずっと歌っていてくれてありがとうShoyan!

オヤスミナサイ☆彡


※今回このツアーでは今日のお写真の(初日も)シャツが一番印象に残りました(GUCCIじゃないケド)。やっぱりブラックベースとっても素敵(//∇//)。しかも、よく見たらいつもの謎のハーフイン?してないっ、だから余計に?!


やっぱり眠れませんね(笑)。



プロフィール

HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!

☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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