Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

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今回、かつしかのステージでのサワリだけ〜関内ホールの弾き語り、でそのパフォーマンスがあまりに切なくて心震えてしまい、暫く茫然自失でさみしさの渦の中にいたのですが、、、

※ゆえにフリーズしてしまいました(汗)。

改めて想いまくって考えまくって、その先にフトこの歌の不思議さを再認識したりする。

つい最近まで”新曲”だったけれど、もう31年の時が流れていた。

1993年『海がここに来るまで』で初めて聴いた時、なごり雪の派生曲なのかなと思った。汽車で去ったキミは飛行機で還ってきたのかと・・・

その感触は今でも変わらない

ただ、君の指を見て=指輪がない、ということは=この彼女、住む場所も変えたし他の誰かと結婚もしてた〜更に離婚までしてきた〜しかも東京に戻ってきた〜しかも元カレに連絡しておる!←イマココ

ということが今聴くと改めて生々しい。

なごり雪は”僕と別れて東京ではないところへ去る”という事実だけなのに、この歌の場合、「時はなぜ過ぎてしまったの」の「時」の中身が盛り沢山過ぎて有り余るくらいなのだなと改めて思った。

・・・

とその前に、、、

♪冬の桟橋は灯り消えたクリスマスツリー

って、どんな情景なんだろう。

船も着岸していない、人影もない、きっと観光用の桟橋ではない荷下ろしや海上保安関連の閑散とした業務用桟橋なのかな。もう30年も前の羽田のことを思い出せないくらい時が経ってしまった。だから、史実は詳しい人に任せるとして・・・当時私はこういった言い回しにガツンと心掴まれた。後の「ストロボの電車」「ステンレスの湖」みたいな、アタマじゃなくて感覚的にわかる光景がさすがShoyanのフレーズだなって思ったっけ。

♪ 工場の煙 螺旋の倉庫 淀む運河 を見て
ふっと懐かしいため息が出るなら・・・

これは、彼女と再会した今、フト空港の外を眺むれば目に入る現在の景色?普通では味気ない景色。リクリエーションの欠片もない。でも彼女が目の前にいると途端に意味のある景色になる。

♪貨物船ばかり浮かべた港だって 
君とならいつまでも
ロマンティックな夜だった・・・

本来なら無骨な・風光明媚ではない京浜地帯の工業的な眺めや、化学的な人工物ばかりの風景が想い出のデートシーンだという部分は、Shoyanが逆説的に(天邪鬼に?)セッティングした技なのかと思うけれど、私はこんなところに連れて行ってくれる彼氏イイナと想っていた。

工業地帯の灯りや倉庫の建物群の眺めや夜景がエモいと人気が出てツアーまで組まれるようなご時世より以前に、ここに着目してロマンティックだと言い切ったShoyanの目の付け所にグッときた。

しかし、、、

彼の方は彼女さえそばにいればどんな景色だっていつまでもロマンティック、と思っていたかもしれないけれど、彼女の方はその時どう思っていたのかな。。ここに一抹の不安が隠れている気がする。

その後の「さよなら」を言わされてしまった彼女。今せっかく再会したのに、彼が運転する車に乗らないかと誘ったのに、モノ=monoの一本レールでいいという彼女。しかも笑顔で・・・

「私は東京に還ってきたけれど、アナタのもとに還ってきたのではないのよ」と念押しするために到着便の時刻まで教えて彼を呼んだのかな?その有り余るほどの”過ぎてしまった時”の先に・・・

その思惑やいかに・・・

彼が示す当時の思い出語りの無機質風景があまりに個人的想い出で切なく、また今の複数の交通機関の無機質な物質運びが人の心を置いていくようで、

ラストの

♪君はまだ気付いてくれない・・・

と締めくくるから、メチャもどかしく煩悶する。届かない想い、伝わらない気持ちが我が事のようで哀しい。

しかも、あまり現実的ではない(ある意味劇画チックとも言える過剰演出の)首都高で並走するほど粘着質ギリギリな彼。だけど彼女の方は「気付いてくれない」のではなくて「気付く気がない」のだから・・・やっぱり無理なのだこの恋は・・・泣

モノレールと首都高は平行世界なのではなく、未練の別次元なのかなと思う。

※でも、彼女チョットやり過ぎじゃない?
彼、期待しちゃってたよ?^^;


彼の言う♪忘れたはずの言葉〜とは「一緒にいたい・離れたくない」というコトだったのだろうか、けれどそれは贈ることが出来ない未遂未満の贈り物だから”悲しい贈物”なのだきっと。それは今、彼の助手席のシートにちょこんと置き去られて彼の横顔を見つめながら首都高の継ぎ目で揺られているかもしれない・・・(哀)。

・・・

この曲を聞いた当時は

『モノレールはこの先芝公園のところで首都高と交差するではありませんか』

と思って、少しはこの二人の未来が重なる目もあるのかな・なんて希望的観測もしてみてた。だがしかし、それは未来ではなく今現在のこの到着便のロビーラウンジの邂逅の一瞬だけのことだったんだと、あとから気づいてまた哀しい。

31年経って、人の心のどうしようもなさを感じる身としては、こんな彼女とっとと諦めて、もっとマニアックな恋人探しなヨ(*´ω`*)と、彼の肩を叩いてやりたいし、彼女の方にも都会で自分のやりたいこと探して貫いてくださいっ、って激励したい気持ちだ。

・・・

窓の外の駐車場に降りる粉雪は、冬の初めの儚いイントロダクションとして降りてきていた。だから、やり直しできるのかなと思っていたのだけれど・・・そうじゃなかった。粉雪はほんの一瞬見えたあの頃の幻だったのかもしれないと今は想う。

エンディングアウトロの最高艷やかなShoyanのファルセットのスキャットに続いてギターソロもダントツの美しさを放っていて、煌めいて儚くてそして強い。アルバムの歌詞スリーブにはMartinD45のヘッドの写真があって、その印象がとても濃い(実際のレコーディングで使用されたのはどのギターか知りませんが)。そして全編またメロディーが美しい。サビなどその長く伸ばす部分が本当に無理なく言葉にフィットしていて、そのフレーズが尾を引いて連なりあってるみたいだ。濃灰色の都会の上空に吹雪く真っ白な粉雪が、閉じたまぶたに冷たく沁みるようなその感覚でずっと聴いていたいと想う曲なのだ。

「淀む運河」や「駐車場」など、この曲は美しいアイテムや風景は一切出てこないのに美しいと想う不思議な曲。美しいから印象が変わらないし色褪せない。聴くものがまるでその歌の中に入って追体験している臨場感が変わらないのだ。


Shoyanがよくおっしゃる”映画のように・カメラワーク的に”ということが如実にわかる一曲です。


空港と首都高とモノレールと・・・人々は行き交っているのに心が行き交えない切ない二人の行く末を、またこれからも想い巡らせながら聴いていく今年の冬です。




※この彼の行動や、いつまでも思い切れないもどかしさ切なさに、私は個人的にとてもシンパシーを感じていました。そういう部分が自分にもあるとそう思いながら長いこと聴いてきました。

聴いた当初は到着した(帰ってきた)のに「さよなら」なんだと思って悲しかったけど、そもそも最初から「さよなら」が搭乗していて到着した(トドメを差しにきた)=『さよならの到着便』ということなのだと今になって思う。


哀しすぎる。


当事者の気持ちになるとやはり辛すぎる。
傍観者として聴くのが一番良いような気がしています(*´ω`*)タメ息。


1990年代に自分で撮影した唯一残っている羽田空港の写真を古いパソコンから発掘してきたので載せておく。


いくら古っぽく加工しても
写っているものは2024年(@_@。

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飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
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自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

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