Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

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思いつくままにバラバラな文章でお届けします。どうかご容赦ください<(_ _)>。

・・・

この曲はイルカ氏がカバーしたのではなく、イルカ氏のために書き下ろした歌ということで女性が歌うことを意識しての柔らかな表現「ぼく」と平仮名なのかと思っている。

しかしそれを近年Shoyanご自身がセルフカバーされるようになって、「僕」と漢字にして音源にして発表してくれたことで、歌の素顔にまで届いた気がしてとてもとても嬉しかった。

聴き比べるとわかること・・・

イルカ氏の歌は往年の少女雑誌の読み切り連載を読む心地で

「この漫画短編凄く切ないのよ、、、」
「そうなの、この彼と彼女どうしてケンカしちゃったの?」
「なにも飛び出していくことないのにねぇ」
「私も髪伸ばそうかしら」

などと、放課後に部室で読みまわすような雰囲気があるようで、それが優れたストーリーテラーとしてのイルカ氏のキャラと相まって親しさを感じるのかもしれない。

※この頃のベースラインの贅沢さよ・・と思います(T_T)。編曲は『神田川』と同じ木田高介氏とのことで、この少し速いテンポもシングル化を意識してのものだろうか。

いま改めてイルカ氏バージョン音源を聴き返したら、Shoyanご自身が歌うものとは全く別物の曲に聴こえるほどだ。先日の関内ホールのなごり雪でも感じたことだけれど、Shoyanが歌うと音と音の間にある想いの音が多くて、想像もつかない情報量だと思うのだ。

(どちらが良い悪いではないですヨ)

Shoyanバージョンの場合は”我が事”として聴いてしまうのです。

見え方が全く違うからかな。
飛び出していった側か、独りコーヒーを沸かす側か、いずれにしろ同じような心の擦り傷を持つ者が感応してしまうものがあるような気がする。

Shoyanの歌はそうやって聴く者の心と一体化するから、深く永く好きになってしまうのだ・  ・・

※それはまた最近のいくつかの歌でも始まったような気がしています。

一方で
この歌をよく聴くと本当は謎が多いかもしれない。特に「君」の行動を具体的に考え始めると実はまとまりがないような・・・?

「君の気まぐれ」ってどんなことだったの?
それを許せない僕に対しての
「君のやさしさ」って?

彼女の行動が原因だったのに、それを謝る訳でなく逆のような「やさしさ」で、とは?

これは伊勢正三の歌に時々あるねじれ現象フレーズ・何も決めないフレーズシリーズ?の特徴的な部分かと思う(単に私の理解が足りないだけかもしれませんが^^;)。
それこそ、カタチは嵌るのに絵柄が違うジグソーパズルのピースのような? 遠目に視ればちゃんとわかるモザイク画のように。音源だけで完成させないShoyanの無意識の高度なテクニックだなと思うのだ。

(「テクニック」というとちょっと具体的すぎる・・・もっと、なんか、 神の領域とかルーレットの出目的なこと!?先出の『ぴあ/クリエイター人生』の最終回でも語られていましたが)

こういう、カッチリと組んでしまわない保留部分があるので、永~くフレキシブルに聴けちゃうんだなぁと、いつも想っている。現に、Then&Nowの音源が確定ではなく、歌われるその時々その度に”その頃”が反映されて、その場で都度違うカタチになってゆく不思議な歌なのだと思っています。

※でも井上陽水氏のような”絶対無理なルービックキューブ”までいくとついていけなくなるので(笑)、そこが伊勢正三曲の絶妙な匙加減であると思っています。

・・・

想い出すことって甘い・・・
コーヒーのほろ苦さと言いながら、美味しいコーヒー豆がそうであるように、そのブレンドには甘みやフルーティーさも隠れている。

苦いだけじゃコンビニコーヒーのようで、距離は測れないから色々な味が混ざってこそだと思う。
(※コンビニコーヒーも好きですが (´ω`*)

実際、「君の長い髪はとても素敵だった」「ひとつの甘いフレーズとして」と、いいことばかりがふるいにかけられて今は残っているようで、そうしないと後悔を荷下ろしできないのかもしれないと想ったりする。

♪別れの言葉が夢の中でこんなにきれいに響いてます

も、自己完結している節があると。
彼女を傷つけて泣かせて部屋から去らせたのに、その時に取った態度や、発した言葉とは違う、都合の良い後付け甘さ増し増しフレーズなのだろうか?と。

去っていった者はもう関わりのない存在。
だから、自分の中で都合よく・自然なふりをして・美しく・忘れるふりをする、そんな自己免疫みたいな歌なのかな、などと、この歌を好き過ぎて突き放して第三者的に解釈したりする私をお許し下さい。

※そんな言い方をしたら身も蓋もないではないか七氏よ・・・自分がそんな別れしかしてこなかったからって、、、

イエイエ、当事者ならではの ”切り離されてはいないあの頃から繋がっているもの” も知るからこその第三者的・なのです。
(謎過ぎスミマセン)

きっと作者の中にも他の誰にもわかりえない時間がある。Shoyanが時々おっしゃる「引き出し」の中身。ご自身でさえ意識されない無意識の引き出しと、聴く者それぞれの心の引き出しの中身(それを想い出というのか)、その両方が交じり合って誰にも書けない自分だけの癒しになるのかなと思っている。

きっとそれも”合挽”のコーヒー。
時間というミルが挽いてくれた豆を蒸らす薫り、彼女も忘れてはいないはず。
今はシングルの豆かもしれない、でも味を忘れてもフトしたことで蘇ってしまうブレンドの香りのように、時間にも消せないものがあると思ってる。

・・・

などと、1974年から半世紀経ってこの歌の息の永さを深く感じている。

歳をとったって、若すぎたって、人の心の中は案外変わらないもので、その時寂しかったことは今でも寂しいんじゃないかな、と最近感じているのだ。

これもまた、ひとつになれなかった”片心”の歌なのか、と近しく想う一曲だ。



※”長い髪”は伊勢正三ファンの嗜みとして(!?)、高校生の時から30歳過ぎまでずっと背中まであるロングソバージュだった自分を懐かしく思う。本当は長い髪をずっと続けたかったけれど、それは大好きだった人との想い出と一緒に”あの頃”に置いてきた。今はShoyanより短い髪で毎日頑張っている。長い髪の私は”あの頃”で今もきっとあの人に愛されているだろう。それでいいのだ。

今の短い髪だって(白髪だって!?)愛されているかもしれないし♪ (*^^*)b
・・・と、せめて前向きに(涙)。
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No Name 七氏
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飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

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