Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。
もう、何年も聴いているのに、歌詞カードがなかったので、印象がいつもふわふわとして定まらない歌がある。聴くたびに綿飴のように溶けてしまって、甘い名残りだけが・・・
そういう歌って定期的に何度も聴きたくなる。サビから始まる作りも珍しい。そしてまたアヤフヤな印象のまま忘れられないのだけれども・・・
『雨の土曜日』
『なおさらせつなくマリンブルー』
両曲とも、歌い手の幼さ・あどけなさにマッチして、独特のニュアンスがあって、たまらなく好きだ。歌の作りや歌い手が自分のリアルタイム世代なので、(当時は興味なかったのに)今になって"尚更に切なく"、CDで音源を買いなおしてから懐古趣味でまた良く聴いている。
・・・
「ダリの絵に囲まれて過ごしてみたい」
なんて、それは相当の変わり者ではないか>彼。そして、かなり"精神年齢上昇志向症候群"の男性じゃないかしら・・・?この彼女のおっとりさと反するイメージで、それが既にこのふたりの"不毛"を予感させる。
だけど、そういう異質同士ってすごく惹かれあう時期があって、特に芸術肌の感性には、そんな惹かれ合いがぶつかり合いになる過程を痛みながら楽しんだりするキライがあるのでは?と想う。彼女の激情を引き出してしまうのは、この彼の"暖簾に腕押し"な、罪な感性のせい。
でも、女のコはそんな精神的な遊びが苦手だから、もっとリアルに愛して欲しいんだよね・・・キット。
風の星座のような、自由で垢抜けた男心には、雨の土曜日のような物憂さは、ただの束縛でしかないのかもしれない。
・・・
他の女優さんが歌った『転校』もそうだけど、Shoyan"Drawing SONGS"はちょっと特別・・・。最近になってよく美術部の部長云々なエピソードが紹介されるけど、それよりもずっと以前から、Shoyanと絵のカンケイは私には大切な歌の軸なのだ。
『ヨーロピアン・ニューヨーク』『JUN』あたりにチラリと出てくるけど、Shoyanご自身が大切にされている絵の想い出が、どこか深いところにソッと埋められているのではないかって想像してみたりする。(何故なら、、、私もそうだからだ(妄))
「歌の中に感じる色」は合言葉みたいなものだ。
ふたりで聴いていた歌の中に、色を感じられるなら、いつだって恋は出来る・と言うけれど、
そういう歌って定期的に何度も聴きたくなる。サビから始まる作りも珍しい。そしてまたアヤフヤな印象のまま忘れられないのだけれども・・・
『雨の土曜日』
『なおさらせつなくマリンブルー』
両曲とも、歌い手の幼さ・あどけなさにマッチして、独特のニュアンスがあって、たまらなく好きだ。歌の作りや歌い手が自分のリアルタイム世代なので、(当時は興味なかったのに)今になって"尚更に切なく"、CDで音源を買いなおしてから懐古趣味でまた良く聴いている。
・・・
「ダリの絵に囲まれて過ごしてみたい」
なんて、それは相当の変わり者ではないか>彼。そして、かなり"精神年齢上昇志向症候群"の男性じゃないかしら・・・?この彼女のおっとりさと反するイメージで、それが既にこのふたりの"不毛"を予感させる。
だけど、そういう異質同士ってすごく惹かれあう時期があって、特に芸術肌の感性には、そんな惹かれ合いがぶつかり合いになる過程を痛みながら楽しんだりするキライがあるのでは?と想う。彼女の激情を引き出してしまうのは、この彼の"暖簾に腕押し"な、罪な感性のせい。
でも、女のコはそんな精神的な遊びが苦手だから、もっとリアルに愛して欲しいんだよね・・・キット。
風の星座のような、自由で垢抜けた男心には、雨の土曜日のような物憂さは、ただの束縛でしかないのかもしれない。
・・・
他の女優さんが歌った『転校』もそうだけど、Shoyan"Drawing SONGS"はちょっと特別・・・。最近になってよく美術部の部長云々なエピソードが紹介されるけど、それよりもずっと以前から、Shoyanと絵のカンケイは私には大切な歌の軸なのだ。
『ヨーロピアン・ニューヨーク』『JUN』あたりにチラリと出てくるけど、Shoyanご自身が大切にされている絵の想い出が、どこか深いところにソッと埋められているのではないかって想像してみたりする。(何故なら、、、私もそうだからだ(妄))
「歌の中に感じる色」は合言葉みたいなものだ。
ふたりで聴いていた歌の中に、色を感じられるなら、いつだって恋は出来る・と言うけれど、
彼の残したスケッチに果たして彩色はしてあっただろうか?
素描だけで、恋をすべて写したとする彼の、ピリオドがイニシャルだなんて、なんと酷い置き土産なの・・・。本当に子供っぽいのは、そんな彼の方じゃないのかな。
・・・
「風邪をひいたあくる日の朝」
Shoyanのお得意な、リアルなフレーズの引用。愛や恋を歌う中に急に肉体が出てくることで歌が絵空事でなくなる。このワンフレーズはとてもShoyanらしい場面転換Magicだと想う。
歌自体は印象派♪
前後のつなぎ目が、少し不安定な歌詞もShoyanの歌においては言葉という名の絵の具。塗り絵のように型に嵌めなくても"ニュアンス"で感じれば遠めに見て美しい。
離れて眺めたり、近くで見たり、その度に聴こえ方が違っていいじゃない・・・って、どこまでも曇りガラス越しの景色なのが切なくていい。
背伸びして聴かなくていいから私には優しい曲です。
素描だけで、恋をすべて写したとする彼の、ピリオドがイニシャルだなんて、なんと酷い置き土産なの・・・。本当に子供っぽいのは、そんな彼の方じゃないのかな。
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「風邪をひいたあくる日の朝」
Shoyanのお得意な、リアルなフレーズの引用。愛や恋を歌う中に急に肉体が出てくることで歌が絵空事でなくなる。このワンフレーズはとてもShoyanらしい場面転換Magicだと想う。
歌自体は印象派♪
前後のつなぎ目が、少し不安定な歌詞もShoyanの歌においては言葉という名の絵の具。塗り絵のように型に嵌めなくても"ニュアンス"で感じれば遠めに見て美しい。
離れて眺めたり、近くで見たり、その度に聴こえ方が違っていいじゃない・・・って、どこまでも曇りガラス越しの景色なのが切なくていい。
背伸びして聴かなくていいから私には優しい曲です。
※そうそう、当時の伊藤つかさの写真を見ると、もしかして、彼女の雰囲気は案外Shoyanの"隠れ好みのタイプ"なのでは? なんて想った。理由はなくて、何か直感!?
妄想オユルシヲ~☆
妄想オユルシヲ~☆
プロフィール
HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
このブログサーバーが落ちて表示されない場合は↑に避難しています。
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