Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。 管理者∶No Name 七氏−1.0
ここのところ少々時間が出来たので、前述のとおり引き続き自らをえぐるような作業をしておるところですが・・・
10~20数年ぶりに開けた段ボールなどもありまして、エグいものも出てきてビリビリに破いてこっそり捨てたり、吐きそうになったり(^^;)していたのですが、恥ずかしいものがほとんどでした。
全部忘れてた・・・
まともなところでは、
1994年の『日本をすくえ'94』のパンフとか
メガポリの時のポストカードとか
ポストカードなどはいつの世もいいグッズですよね、手元に飾れるし♪
※勝手に写真載せてスミマセン。問題ご指摘いただけましたらたらすぐ削除します。
他にも未開封の大林映画グッズ『大吟醸なごり雪』とか、津久見の旧堤防の破片(笑)とか、つま恋2006の花火の燃えカス(!?空から降ってきた)べるがのチラシとか、微妙なものが色々出てきました。(もっと良いものないんかい!(笑))
けれども、、、私の手元には風やかぐや姫のリアルタイムはほとんどありません。思い出もありません。それはとても残念ですが・・・。
しかし、モノ=物質は、、、資料以外の何物でもなく、想いやトキメキは人それぞれの中にあるものだと、20数年ぶりに物質に触れて改めて思いました。封印したならしたで、ソレ(モノ)は別に目の前になくても、時の流れに必要はなかったんだなぁって。
こんなタイミングでこんなこと言ったら不適切なのかもしれないけど(汗)、何故かそんなこと想った今日この頃です。
♪
愛しい君 ここへおいでよ
ここからは 約束の未来
そう、私はやはり、ずっと冒険のお供をしていたいです。
10~20数年ぶりに開けた段ボールなどもありまして、エグいものも出てきてビリビリに破いてこっそり捨てたり、吐きそうになったり(^^;)していたのですが、恥ずかしいものがほとんどでした。
全部忘れてた・・・
まともなところでは、
1994年の『日本をすくえ'94』のパンフとか
メガポリの時のポストカードとか
ポストカードなどはいつの世もいいグッズですよね、手元に飾れるし♪
※勝手に写真載せてスミマセン。問題ご指摘いただけましたらたらすぐ削除します。
他にも未開封の大林映画グッズ『大吟醸なごり雪』とか、津久見の旧堤防の破片(笑)とか、つま恋2006の花火の燃えカス(!?空から降ってきた)べるがのチラシとか、微妙なものが色々出てきました。(もっと良いものないんかい!(笑))
けれども、、、私の手元には風やかぐや姫のリアルタイムはほとんどありません。思い出もありません。それはとても残念ですが・・・。
しかし、モノ=物質は、、、資料以外の何物でもなく、想いやトキメキは人それぞれの中にあるものだと、20数年ぶりに物質に触れて改めて思いました。封印したならしたで、ソレ(モノ)は別に目の前になくても、時の流れに必要はなかったんだなぁって。
こんなタイミングでこんなこと言ったら不適切なのかもしれないけど(汗)、何故かそんなこと想った今日この頃です。
♪
愛しい君 ここへおいでよ
ここからは 約束の未来
そう、私はやはり、ずっと冒険のお供をしていたいです。
加山雄三氏のラストショーの話題を坂崎幸之助氏のSNSで知り、色々見ていたらチケットの即完売に感嘆し、全国映画館でのライブビューイングが最高羨ましいなとか、スペシャルチケットってどんなん!とか、密かにShoyanやおいちゃんはゲスト出演しないかな、とか、Shoyanの旧ブログをまた読みに行ったりしてました。
先程、Shoyan御本人のメッセージ拝読しました。涙出ました。そこに書かれていた横須賀の加山さんとShoyanのステージを私は観ることは出来なかったけれど、その前年の加山氏とのステージはテレビ放送で観ました。エレキなShoyanがメチャ素敵でエレキももっと弾いてほしい!!と激しく思ったものです。そしてそれはRe-bornに繋がったと私は思っておるのですが・・・
その横須賀での共演の一夜を最高潮としても、そこに至るまで〜またそれからの、歌のlaladox、音楽のlaladoxってあると思うんです。
私が今Shoyanの音楽に感じる高揚の源流のひとつが、加山雄三氏のキャラクターの中にあるのは揺るぎない事実!とわかることができます。
実は加山雄三氏の音楽も諸事情により沢山聴きました(察)。キライになれない大好きな曲も今昔あります。私にとってはエグる存在なので、若大将の動向はどうしても切り離せません。
今回、コンサート活動引退の報はひとつの区切りであって終止符じゃないところが素敵だしカッコいいなと思います。永遠は自作自演ではなく、自然体で天然で、と。
江ノ島の港に泊まっていた光進丸カッコよかったな。海風が吹くと帆柱にロープが当たるあのマリーナの音。
次にShoyanのステージで『湘南 夏』を聴くときは加山さんのことを想うでしょう。
、、、ということは、
Shoyanもひとまずあと15年はヤッてくれますネ!?(*´∀`)☆♪
先程、Shoyan御本人のメッセージ拝読しました。涙出ました。そこに書かれていた横須賀の加山さんとShoyanのステージを私は観ることは出来なかったけれど、その前年の加山氏とのステージはテレビ放送で観ました。エレキなShoyanがメチャ素敵でエレキももっと弾いてほしい!!と激しく思ったものです。そしてそれはRe-bornに繋がったと私は思っておるのですが・・・
その横須賀での共演の一夜を最高潮としても、そこに至るまで〜またそれからの、歌のlaladox、音楽のlaladoxってあると思うんです。
私が今Shoyanの音楽に感じる高揚の源流のひとつが、加山雄三氏のキャラクターの中にあるのは揺るぎない事実!とわかることができます。
実は加山雄三氏の音楽も諸事情により沢山聴きました(察)。キライになれない大好きな曲も今昔あります。私にとってはエグる存在なので、若大将の動向はどうしても切り離せません。
今回、コンサート活動引退の報はひとつの区切りであって終止符じゃないところが素敵だしカッコいいなと思います。永遠は自作自演ではなく、自然体で天然で、と。
江ノ島の港に泊まっていた光進丸カッコよかったな。海風が吹くと帆柱にロープが当たるあのマリーナの音。
次にShoyanのステージで『湘南 夏』を聴くときは加山さんのことを想うでしょう。
、、、ということは、
Shoyanもひとまずあと15年はヤッてくれますネ!?(*´∀`)☆♪
もう何週間も書きながら・・・
打っては消し、コピってはデリート
昔書いたことも再引用
どうにもまた独りよがりの駄長文になってしまった
結局何が言いたいのかよくワカラナイ(汗
でも、キリがなくて、今じゃないとまたずっとアップ出来ないままになってしまいそうだから、勢いで載せておく。あとでカットしたり追記したりするかもですが。
数日に分けて読んでいただくこともお勧めします(笑)。
打っては消し、コピってはデリート
昔書いたことも再引用
どうにもまた独りよがりの駄長文になってしまった
結局何が言いたいのかよくワカラナイ(汗
でも、キリがなくて、今じゃないとまたずっとアップ出来ないままになってしまいそうだから、勢いで載せておく。あとでカットしたり追記したりするかもですが。
数日に分けて読んでいただくこともお勧めします(笑)。
gardenのアルバムの中でこの歌は他より少し距離感が近くて、そのことをずっと大切に想ってきた。けれど、当時のgardenのあまりの眩しさに、深く考えるのを遠慮しながら月日が経ってしまった。
Re-bornの後である今は、この歌の前後が解るようになった(と思う)ので、改めて裸の心で堂々と抱きしめたいと思う。この歌も"恋の海抜ゼロメートル"な、伊勢正三の多彩なラブソングの基準点にあるような一曲だと思っている。
・・・・・
♪君と初めてのデートは
こんなボードウォークの街もまだなかった頃の・・・
私は、自分が横浜に長年住んでいたものだから、つい、みなとみらい21や金沢八景あたりの商業港湾風景を想像してしまうのだけれども、海国日本は国中に大小の湾があって、観光や漁業・交易の港があるから、どこででもこの歌を想うことが出来る。
その昔、山下公園中華街マリンタワー以外の場所は戦後から放置された裏寂れた倉庫や埋め立て地が多かったように思う。(これを機に調べたら大きな造船所の存在もあったようだ)
それがみなとみらい21構想という再開発ですさまじい変貌を遂げた。その数年の間はまるで魔法のようだった。今あるものすべて無かったのだから・・・
※赤レンガ倉庫群や大桟橋は綺麗になって残っていますが。
人の心も何度も移り変わる。
この歌の恋人未満の二人にはどんな月日の変遷があったのかな。
そんなことも今は考えてみたりする。
・・・
目を閉じてる君が見えている「遠く」とは、彼が見ることのできない時間。彼女が欲しかった未来や手放した過去、もしくは胸の中の真っ暗闇の空っぽ。この彼女はもしかして、今=現実を直視したくないのかもしれない。
本当に辛い時、目をあいていても周りの景色は雑音のようで、新しい情報なんか要らない・と動けない時がある。
でも彼が冗談ぽく思えるような過去の一場面を引っ張り出してきたために、彼女は悲しい自分の過去ラインを分岐できたのではないかと思う。そしてちょっと気付いた、「あれ?こっち楽しい」って・・・
「え、あれ"デート"だったの??」と、
そして
「悲しい物語ってナニよ~!?」
と、苦笑いしたことと思う。
シリアス気分な彼を冗談ぽく思う、すでに食い違っておる。
相手を想うことと、想われることは全然違うもので、それが同じものになるための気付きはこんな何気ないところから始まるのかもしれない。そしてその食い違いが"昔の笑顔"を取り戻したりする。
そもそも「妹みたいな気持で」接したいと思っているのに「好きだ」と告げてみようとする彼の方だって自己食い違いの矛盾を持っている。それこそ「生きがいと余計なもの」が同義なように・・・恋の始まりは違っていていいのだ。
※「肩を抱いたり髪を撫でたりしたい」ってホントはメチャerosですよ。伊勢正三作品中一番エロスなフレーズと思います。だから一番好きなフレーズです(*´ー`)。このあとに続くセミアコエレキの音は、すでに彼女の髪が鼻先をくすぐるような、ためらいがちに宙をなぞる彼の指が視えるのであります。この"ちょっと人目を気にするような"Shoyanのエレアコの音が全編でもどかしく鳴っていて、それもまたgardenらしいなと思うのであります。
・・・
♪戦闘機の爆音 今も未来は遠い
そんな時代に僕等は 何を守って
何をなくして来たの?
唐突に思えるこの数行。
※実際、横浜だと厚木基地などがあるので戦闘機はよく飛んでいます。墜落するのを見たこともあります(^^;)。
この二人には荷が重いような大きな問いがポンと載せられている。戦闘機は過去からの使者、けれど未来への案内者ではない。過去は替えられないけれど、未来は自分で選んでいくもの・ということだろうか。
未来は今は見えない。
見えないと遠いのだ。
すぐ目の前にいる彼女の胸のうちが見えない、だから自分の心の行く先が遠い・・・海と陸の狭間に立っている彼女を、横から弓なりの波打ち際に重ねて眺める彼、二人はまだ交差しているだけ。
"BaysideEye"は水平線を見る果てしなさと、渚のボーダーな横並びをもどかしく思う交差のダブルなまなざしだ。雑然として空き缶が転がっていた昔の波打ち際を上書きしたボードウォークや桟橋さえも、すぐに錆びて傷んで変化していく。抗えない潮や波と言う大きな作用で、結ばれるのか?剥がされるのか?この後の二人の波打ち際の何十年が知りたい、と想いながら聴き続けてきた。
・・・と、それがRe-bornに続くと思うのであります。セットで聴くとわかるものがあると気付いたのです。16年ずっと考えていたら、gardenでのモヤモヤ(具体的に出来なかったもの)がちゃんと答えになって実体になった!と本当に歌の時間の凄さを感じたのです。
もちろん往年の名曲たちを当時から知っている人たちはすでに経験済みな事象かもしれないですが、一曲を永く聴くと、歌には命があって枝が伸びたり枯れたり掘り起こしたりすることがあるのだとわかるのだ。今更ながら感激しているところです。
・・・
♪そのペットボトル 君の
リップバーム・ミントの香り
今でもまだ 僕の心が駆け足になる
って、この彼女、リップバームだけのすっぴんなのかな?
唇に色を乗せていないということは、目や肌などの他の部分はモチロンほぼ素肌に近いはず。
口紅は最初で最後の砦なハズ・・・!?
この二人、きっと子供ではない。
そんな彼女が男性と会うのに化粧をしない。
自分が口付けたペットボトルを預ける。
そこにこの彼に対する彼女の無意識の"信頼"を感じる。
※だかしかし、無意識の"無防備"なのだとしたらひじょうなる罪なのだが・・・(汗)
そのすっぴんの彼女の方が二人の先にあるものに気付いているのかもしれない。
妹のようで本当は姉のように・・・
傷ついて還ってきた女は彼よりも少しだけ成長している。「遠くまで見える」ってそういうことも含まれている気がする。
しかし、彼にとってこの香りは、「今でも」といいつつ、記憶ではなく未知なのだ。そんな間接Kiss(懐!)なんてことでさえドキドキしてしまう、なんという初歩の初歩!恋の花だ。
彼このあと玉砕覚悟で未来を始めようとする。自分で自分の未来に彼女を巻き込もうとしている。振り払われて傷ついて完全に剥がれ落ちるかもしれない。でも、彼も彼女と一緒に傷付きたかったのではないだろか・・・友達のまま取り残された自分の想いを、みっともなくてもいいから捧げ尽くしたかったのだ。自分の純粋な一途さに殉じる覚悟。そして、自分が傷付くことで君の傷も引き受けたいと、無意識に心が動き出してしまったのではないかと思う。
好きな娘の唇や髪や肩を想ってドキドキとする気持ち良さは大いなる利己だ。そして、自分が傷付いてもいい・と思うことも、それは犠牲ではなく実際はエゴだ。
でもそのエゴアクションは、もしかしたら彼女の傷を埋める可能性もあるのだ。やらないよりやることが大事な時がある。そんな年頃なのだ今は・・・。人を愛する利他の気持ちと、自分の気持ちを尊ぶ利己が同じことなら、それは最高の恋愛だと思う。
※この二人、すでに友達である。時を経て恋が醒めても、きっと友情という一番の絆で仲良しさんでいられるのではないだろうか。今はそんな希望的観測聴きをしている。男女間の友情はきっと何よりも強いと思うから・・・
・・・
Re-bornの後である今は、この歌の前後が解るようになった(と思う)ので、改めて裸の心で堂々と抱きしめたいと思う。この歌も"恋の海抜ゼロメートル"な、伊勢正三の多彩なラブソングの基準点にあるような一曲だと思っている。
・・・・・
♪君と初めてのデートは
こんなボードウォークの街もまだなかった頃の・・・
私は、自分が横浜に長年住んでいたものだから、つい、みなとみらい21や金沢八景あたりの商業港湾風景を想像してしまうのだけれども、海国日本は国中に大小の湾があって、観光や漁業・交易の港があるから、どこででもこの歌を想うことが出来る。
その昔、山下公園中華街マリンタワー以外の場所は戦後から放置された裏寂れた倉庫や埋め立て地が多かったように思う。(これを機に調べたら大きな造船所の存在もあったようだ)
それがみなとみらい21構想という再開発ですさまじい変貌を遂げた。その数年の間はまるで魔法のようだった。今あるものすべて無かったのだから・・・
※赤レンガ倉庫群や大桟橋は綺麗になって残っていますが。
人の心も何度も移り変わる。
この歌の恋人未満の二人にはどんな月日の変遷があったのかな。
そんなことも今は考えてみたりする。
・・・
目を閉じてる君が見えている「遠く」とは、彼が見ることのできない時間。彼女が欲しかった未来や手放した過去、もしくは胸の中の真っ暗闇の空っぽ。この彼女はもしかして、今=現実を直視したくないのかもしれない。
本当に辛い時、目をあいていても周りの景色は雑音のようで、新しい情報なんか要らない・と動けない時がある。
でも彼が冗談ぽく思えるような過去の一場面を引っ張り出してきたために、彼女は悲しい自分の過去ラインを分岐できたのではないかと思う。そしてちょっと気付いた、「あれ?こっち楽しい」って・・・
「え、あれ"デート"だったの??」と、
そして
「悲しい物語ってナニよ~!?」
と、苦笑いしたことと思う。
シリアス気分な彼を冗談ぽく思う、すでに食い違っておる。
相手を想うことと、想われることは全然違うもので、それが同じものになるための気付きはこんな何気ないところから始まるのかもしれない。そしてその食い違いが"昔の笑顔"を取り戻したりする。
そもそも「妹みたいな気持で」接したいと思っているのに「好きだ」と告げてみようとする彼の方だって自己食い違いの矛盾を持っている。それこそ「生きがいと余計なもの」が同義なように・・・恋の始まりは違っていていいのだ。
※「肩を抱いたり髪を撫でたりしたい」ってホントはメチャerosですよ。伊勢正三作品中一番エロスなフレーズと思います。だから一番好きなフレーズです(*´ー`)。このあとに続くセミアコエレキの音は、すでに彼女の髪が鼻先をくすぐるような、ためらいがちに宙をなぞる彼の指が視えるのであります。この"ちょっと人目を気にするような"Shoyanのエレアコの音が全編でもどかしく鳴っていて、それもまたgardenらしいなと思うのであります。
・・・
♪戦闘機の爆音 今も未来は遠い
そんな時代に僕等は 何を守って
何をなくして来たの?
唐突に思えるこの数行。
※実際、横浜だと厚木基地などがあるので戦闘機はよく飛んでいます。墜落するのを見たこともあります(^^;)。
この二人には荷が重いような大きな問いがポンと載せられている。戦闘機は過去からの使者、けれど未来への案内者ではない。過去は替えられないけれど、未来は自分で選んでいくもの・ということだろうか。
未来は今は見えない。
見えないと遠いのだ。
すぐ目の前にいる彼女の胸のうちが見えない、だから自分の心の行く先が遠い・・・海と陸の狭間に立っている彼女を、横から弓なりの波打ち際に重ねて眺める彼、二人はまだ交差しているだけ。
"BaysideEye"は水平線を見る果てしなさと、渚のボーダーな横並びをもどかしく思う交差のダブルなまなざしだ。雑然として空き缶が転がっていた昔の波打ち際を上書きしたボードウォークや桟橋さえも、すぐに錆びて傷んで変化していく。抗えない潮や波と言う大きな作用で、結ばれるのか?剥がされるのか?この後の二人の波打ち際の何十年が知りたい、と想いながら聴き続けてきた。
・・・と、それがRe-bornに続くと思うのであります。セットで聴くとわかるものがあると気付いたのです。16年ずっと考えていたら、gardenでのモヤモヤ(具体的に出来なかったもの)がちゃんと答えになって実体になった!と本当に歌の時間の凄さを感じたのです。
もちろん往年の名曲たちを当時から知っている人たちはすでに経験済みな事象かもしれないですが、一曲を永く聴くと、歌には命があって枝が伸びたり枯れたり掘り起こしたりすることがあるのだとわかるのだ。今更ながら感激しているところです。
・・・
♪そのペットボトル 君の
リップバーム・ミントの香り
今でもまだ 僕の心が駆け足になる
って、この彼女、リップバームだけのすっぴんなのかな?
唇に色を乗せていないということは、目や肌などの他の部分はモチロンほぼ素肌に近いはず。
口紅は最初で最後の砦なハズ・・・!?
この二人、きっと子供ではない。
そんな彼女が男性と会うのに化粧をしない。
自分が口付けたペットボトルを預ける。
そこにこの彼に対する彼女の無意識の"信頼"を感じる。
※だかしかし、無意識の"無防備"なのだとしたらひじょうなる罪なのだが・・・(汗)
そのすっぴんの彼女の方が二人の先にあるものに気付いているのかもしれない。
妹のようで本当は姉のように・・・
傷ついて還ってきた女は彼よりも少しだけ成長している。「遠くまで見える」ってそういうことも含まれている気がする。
しかし、彼にとってこの香りは、「今でも」といいつつ、記憶ではなく未知なのだ。そんな間接Kiss(懐!)なんてことでさえドキドキしてしまう、なんという初歩の初歩!恋の花だ。
彼このあと玉砕覚悟で未来を始めようとする。自分で自分の未来に彼女を巻き込もうとしている。振り払われて傷ついて完全に剥がれ落ちるかもしれない。でも、彼も彼女と一緒に傷付きたかったのではないだろか・・・友達のまま取り残された自分の想いを、みっともなくてもいいから捧げ尽くしたかったのだ。自分の純粋な一途さに殉じる覚悟。そして、自分が傷付くことで君の傷も引き受けたいと、無意識に心が動き出してしまったのではないかと思う。
好きな娘の唇や髪や肩を想ってドキドキとする気持ち良さは大いなる利己だ。そして、自分が傷付いてもいい・と思うことも、それは犠牲ではなく実際はエゴだ。
でもそのエゴアクションは、もしかしたら彼女の傷を埋める可能性もあるのだ。やらないよりやることが大事な時がある。そんな年頃なのだ今は・・・。人を愛する利他の気持ちと、自分の気持ちを尊ぶ利己が同じことなら、それは最高の恋愛だと思う。
※この二人、すでに友達である。時を経て恋が醒めても、きっと友情という一番の絆で仲良しさんでいられるのではないだろうか。今はそんな希望的観測聴きをしている。男女間の友情はきっと何よりも強いと思うから・・・
・・・
そうそう、この歌はアルバムが発売される前に渋谷のライブスペースで弾き語りギター一本でお披露目してくれたことを覚えている。※古川昌義氏との対談ライブだったか。
はにかみながら新曲紹介してShoyan独りだけで歌ってくれた。
自分語り恐縮だが、私はこの時、壁際の席で泣いた。
周りの人たちに気付かれないように、まっすぐ前を向いて泣いた。大粒の涙がぽたぽた出てしまった。歌詞もないままにShoyanの声だけで聴く初めての歌だった。
その歌に至るまでの数年間、自分の私生活は人を傷つけ傷つけられ、気持ちは荒んですべて無くして、ゼロから始めなおした頃だった。
「許せないんだ 君が傷付いてしまうのは・・・」
このひとつのフレーズが、嫌なもの悲しいものを一瞬ですべて葬り去ってくれた。
悪いのは私なのに、この歌だけは味方をしてくれた。この歌の恋人たち(未満)とは違うストーリーではあるけれど、この時伊勢正三の歌の中にこんな真っ直ぐな言葉があったことで私は救われたのだ。それは完全な独りよがりだけれども、歌が時として寸分違わず誰かの痛みに作用して抱きしめてくれる瞬間がある。慰めなんかじゃない慰め、理由の要らない、純粋な肯定を歌は聴き手に与えてくれる時がある。
そんな風に"自分事"として聴いても許してもらえたらと思う。あの辛い時間も、この歌とこの恋人たちのおかげで、綿でくるんでそっと記憶の底に仕舞っておけるようになった。
愛は寂しい・・・
だから、誰かが作る歌や詩にかりそめの道を示してもらいたいんだ。そしてそれがいつしか自分の未来に辿り着いていたなら、歌と聴き手がひとつになれる素敵なことだナって想う。
歌は永い・・・
伊勢正三というアーチストはご自身の一生を使い尽くして、命を込めた渾身の歌をお創りになっているのだなと、今改めて強く感じている。
この歌のことを書くのに19年かかってしまった。
海の香りも港の賑わいも今は遠くなってしまった。
泣きながら歩いたあのボードウォークの靴音をこの歌に預けたまま・・・
私の人生の谷折り線のような大切な歌、これからも折に触れ少しの涙を伴に聴き続けていきたいと思う。
懐かしい歌をありがとうShoyan
※・・・一度「好き」と言いかけたのだから
「****」は伏字のままでもよかったのでは?
なんて想ってる。
はにかみながら新曲紹介してShoyan独りだけで歌ってくれた。
自分語り恐縮だが、私はこの時、壁際の席で泣いた。
周りの人たちに気付かれないように、まっすぐ前を向いて泣いた。大粒の涙がぽたぽた出てしまった。歌詞もないままにShoyanの声だけで聴く初めての歌だった。
その歌に至るまでの数年間、自分の私生活は人を傷つけ傷つけられ、気持ちは荒んですべて無くして、ゼロから始めなおした頃だった。
「許せないんだ 君が傷付いてしまうのは・・・」
このひとつのフレーズが、嫌なもの悲しいものを一瞬ですべて葬り去ってくれた。
悪いのは私なのに、この歌だけは味方をしてくれた。この歌の恋人たち(未満)とは違うストーリーではあるけれど、この時伊勢正三の歌の中にこんな真っ直ぐな言葉があったことで私は救われたのだ。それは完全な独りよがりだけれども、歌が時として寸分違わず誰かの痛みに作用して抱きしめてくれる瞬間がある。慰めなんかじゃない慰め、理由の要らない、純粋な肯定を歌は聴き手に与えてくれる時がある。
そんな風に"自分事"として聴いても許してもらえたらと思う。あの辛い時間も、この歌とこの恋人たちのおかげで、綿でくるんでそっと記憶の底に仕舞っておけるようになった。
愛は寂しい・・・
だから、誰かが作る歌や詩にかりそめの道を示してもらいたいんだ。そしてそれがいつしか自分の未来に辿り着いていたなら、歌と聴き手がひとつになれる素敵なことだナって想う。
歌は永い・・・
伊勢正三というアーチストはご自身の一生を使い尽くして、命を込めた渾身の歌をお創りになっているのだなと、今改めて強く感じている。
この歌のことを書くのに19年かかってしまった。
海の香りも港の賑わいも今は遠くなってしまった。
泣きながら歩いたあのボードウォークの靴音をこの歌に預けたまま・・・
私の人生の谷折り線のような大切な歌、これからも折に触れ少しの涙を伴に聴き続けていきたいと思う。
懐かしい歌をありがとうShoyan
※・・・一度「好き」と言いかけたのだから
「****」は伏字のままでもよかったのでは?
なんて想ってる。
Blue~Yellow~Bayside~・・・
次はどんなEyeのSoulかな?(*´ω`)
次はどんなEyeのSoulかな?(*´ω`)
土曜日に軽井沢公演のチケットを無事発券してきました。
そして、その前後してアニメの『パリピ孔明』にドはまりして一気に全話観ちゃったりして(自分曹操推しなのに笑)、また渋谷に行きたくなったりして、今年は渋谷リバイバルな私です。妙に里心ついてしまったようです。
・・・
しかし、ここのところ時間が出来たのをいいことに色んな妄想に浸ったり、録りためたDVDを見返して整理したりしていると書きましたが、ここ10年~20年くらいのShoyanに関してはその時一度観て封印していたものがほとんどでした。自分で見返してショックでした。
昨日などはスゴクイイ感じのスタジオ収録の音楽番組で、50代のShoyanが白いシャツにジーンズで歌っている姿を観て悶絶していたのですが、良過ぎて哀しくて何度も観る気になれなかったんだなと。そんなことに気が付きました。
随分と長い間、介護や仕事の制約で自由な心が持てなかった。特に介護では身体の制約ではなく心の傷みがハンパなくて、好きなものや慰めが逆に辛い・という状況でした。(この頃のことで本一冊書けます)
今になって、どんだけ自分が好きなものを遠ざけていたのか痛いほどわかるようで、数年前までの自分を可哀そうに思っています。しかも、ちょっと前のShoyanがトークしている表情アップ映像など観た晩には、私個人の暗黒昔のことが夢に出てきて激しくうなされたり(^^;)、今聴きまくっている曲をキーボードとギターだけで歌っているShoyanがアルバムのオリジナルより好かったりして爆泣きしたりしました。
Shoyanの歌と向き合う時、それは本当に自分の心が裸に剥かれて雨風に晒されるような気持ちになります。その歌のことを書こうと想い始めたら色んな哀しい自分の歴史が次々と出てきて邪魔をする。邪魔と言うか、どうしても切り離せない。歌というものは無限の容れ物だなぁと思うのです。
さて、もう少しイタイ自分とも向き合ってみますかね(^^;
そして、その前後してアニメの『パリピ孔明』にドはまりして一気に全話観ちゃったりして(自分曹操推しなのに笑)、また渋谷に行きたくなったりして、今年は渋谷リバイバルな私です。妙に里心ついてしまったようです。
・・・
しかし、ここのところ時間が出来たのをいいことに色んな妄想に浸ったり、録りためたDVDを見返して整理したりしていると書きましたが、ここ10年~20年くらいのShoyanに関してはその時一度観て封印していたものがほとんどでした。自分で見返してショックでした。
昨日などはスゴクイイ感じのスタジオ収録の音楽番組で、50代のShoyanが白いシャツにジーンズで歌っている姿を観て悶絶していたのですが、良過ぎて哀しくて何度も観る気になれなかったんだなと。そんなことに気が付きました。
随分と長い間、介護や仕事の制約で自由な心が持てなかった。特に介護では身体の制約ではなく心の傷みがハンパなくて、好きなものや慰めが逆に辛い・という状況でした。(この頃のことで本一冊書けます)
今になって、どんだけ自分が好きなものを遠ざけていたのか痛いほどわかるようで、数年前までの自分を可哀そうに思っています。しかも、ちょっと前のShoyanがトークしている表情アップ映像など観た晩には、私個人の暗黒昔のことが夢に出てきて激しくうなされたり(^^;)、今聴きまくっている曲をキーボードとギターだけで歌っているShoyanがアルバムのオリジナルより好かったりして爆泣きしたりしました。
Shoyanの歌と向き合う時、それは本当に自分の心が裸に剥かれて雨風に晒されるような気持ちになります。その歌のことを書こうと想い始めたら色んな哀しい自分の歴史が次々と出てきて邪魔をする。邪魔と言うか、どうしても切り離せない。歌というものは無限の容れ物だなぁと思うのです。
さて、もう少しイタイ自分とも向き合ってみますかね(^^;
らんらら~ん♪
かつしかのチケットとれてました~
ヽ(^▽^)丿ヒャッホー
・・・と、変なテンションですが、軽井沢とかつしかしか行ける予定が無いので集中してはしゃいじゃいます。(この二つ行けるだけでもどれだけ尊いことか)
でもどちらもまたフタケタ席かも?先行で良席は期待しないのだ。
でもでも、大賀ホールの二階立見席(簡単な腰かけはある)なども本当は好いのですヨ。いつかの5月にこうせつおいちゃんとShoyanのジョイントがありまして、そのときは取れたチケットが二階立見だったのです。ステージが手に取るように見えて凄く素敵な経験でした。
でもでもでも、やっぱり先行で申し込んでおかないと気が気でない、ということで毎年結局一階の席になるのだけど、一階平面席の後ろから二列目や壁際などは音がボワボワして歌の声が聴こえづらかったな。
なんて、今はほんとに、どこでもいいです。あの空間にいられるならホントに(涙)。
・・・
最近曲のこと書いていませんが、Shoyanの世界改めて広すぎちゃって広すぎちゃって、大海原で浮いている気分です。
ここでコロナがまた急にアゲてきて、不安も消しきれないもどかしさですが、今はこのコンサート妄想のシアワセにしばし浸りたいと思います。こんなに嬉しい気分、何年ぶりだろうって。そう思うとこんなことも本当に貴重な私のヨロコビであったと、ひとつひとつ噛みしめたい今であります。
(同じような繰り返しお許しを。こんな駄文でもエンジンかけるのにイイデショウ(;´∀`)♪)
かつしかのチケットとれてました~
ヽ(^▽^)丿ヒャッホー
・・・と、変なテンションですが、軽井沢とかつしかしか行ける予定が無いので集中してはしゃいじゃいます。(この二つ行けるだけでもどれだけ尊いことか)
でもどちらもまたフタケタ席かも?先行で良席は期待しないのだ。
でもでも、大賀ホールの二階立見席(簡単な腰かけはある)なども本当は好いのですヨ。いつかの5月にこうせつおいちゃんとShoyanのジョイントがありまして、そのときは取れたチケットが二階立見だったのです。ステージが手に取るように見えて凄く素敵な経験でした。
でもでもでも、やっぱり先行で申し込んでおかないと気が気でない、ということで毎年結局一階の席になるのだけど、一階平面席の後ろから二列目や壁際などは音がボワボワして歌の声が聴こえづらかったな。
なんて、今はほんとに、どこでもいいです。あの空間にいられるならホントに(涙)。
・・・
最近曲のこと書いていませんが、Shoyanの世界改めて広すぎちゃって広すぎちゃって、大海原で浮いている気分です。
ここでコロナがまた急にアゲてきて、不安も消しきれないもどかしさですが、今はこのコンサート妄想のシアワセにしばし浸りたいと思います。こんなに嬉しい気分、何年ぶりだろうって。そう思うとこんなことも本当に貴重な私のヨロコビであったと、ひとつひとつ噛みしめたい今であります。
(同じような繰り返しお許しを。こんな駄文でもエンジンかけるのにイイデショウ(;´∀`)♪)
ここへきて、ある一定の世代(時代的に)のアーチストの動向が随分両極端になってきた気がします。たくろーさんの自己演出完結リアクションとか、陽水さんの「ぼくのゴールより地球・人類のゴールを考える時」とか、達郎さんのロングインタビューとか、永ちゃんのやる気まんまんインタビュー&弾き語りとか、拝見しているとアーチストの70歳前後の数年てすごく色とりどりなんだなぁと感嘆しております。
その某たくろーさんのラストアルバム?新譜&メイキングDVD拝聴しました。
「オレはオレ」を貫いたたくろーさんの「音楽に愛を見つけた」というそのたったひとつだけの愛のカタチがよくわかるアルバムでした。
・・・結局、音楽とは、自分を愛して甘やかすだけのアイテムなのだとわかってはいるけれど(そうなのか!?)、「ボクはキミ、キミはボク」というタイムラインならば、そこに”我がこと”というHappyな事象が起こるのに・・・とちょっとメラメラしてみたりして。。
何が言いたいかワカラナイひとりよがりなつぶやき失礼しました。
猛暑で茹った脳みそがすこし醒めたので書いてみました。
あ~、、、しかし、Shoyanがここ近々で大復活をしてくれて、私は本当に安堵しています。愛は不確かでいいのだ・・・♪
その某たくろーさんのラストアルバム?新譜&メイキングDVD拝聴しました。
「オレはオレ」を貫いたたくろーさんの「音楽に愛を見つけた」というそのたったひとつだけの愛のカタチがよくわかるアルバムでした。
・・・結局、音楽とは、自分を愛して甘やかすだけのアイテムなのだとわかってはいるけれど(そうなのか!?)、「ボクはキミ、キミはボク」というタイムラインならば、そこに”我がこと”というHappyな事象が起こるのに・・・とちょっとメラメラしてみたりして。。
何が言いたいかワカラナイひとりよがりなつぶやき失礼しました。
猛暑で茹った脳みそがすこし醒めたので書いてみました。
あ~、、、しかし、Shoyanがここ近々で大復活をしてくれて、私は本当に安堵しています。愛は不確かでいいのだ・・・♪
プロフィール
HN:
No Name 七氏−1.0
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
このブログサーバーが落ちて表示されない場合は↑に避難しています。
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