Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。Shoyan的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。 管理者∶No Name 七氏−1.0
ちょっ、
何の気なしに観始めたらほぼ全編準チャンのPLAYが炸裂する悶絶セレクションではありませんかっ!!!!!!!
といいますか、
この映像達のステージがあった頃は、私は本当に今思い出したくない程の哀しい生活を送っていた頃なので、そんな時に行けなかった数々のステージが、やっぱりやっぱりこんなに素晴らしくて愛おしい最高のステージばかりだったのだなと見せつけられて、今悔しくて血管切れて憤死しそうです(;´Д`)(笑)。
※この頃はとある症状を発症した同居家族の介護の前半期で、自営の店も休めず首都圏のコンサートすら行けずに灰色の目で毎日皿を洗っていた頃でした。(これで一冊本が書ける(笑))
その頃、Shoyanのコンサートのことを”お城の舞踏会”と呼んでいました。今拝見したら本当にそうでした。羨ましすぎます(大涙)。やはり、、、自分はShoyanの音楽生活の大半の何も知らないで、見てこれなかったんだなぁって情けなくて、、、今こんなに知ったかぶったようなことを羅列して書いているのは本当は資格まったくなしのアホ作業なのですが・・・
まぁ、それは置いておいて、、、という厚かましさで続けていく所存であります(笑)。
だがしかし!!
『夜のFM』の英語詩の部分の字幕や準氏の華麗なる鍵盤の悶絶PLAYが記録に残って確認できるなんて最高であります。ギリ行けたNHKホールの映像2つもあって嬉しかったし、そして何より、その時々のShoyan御本人の細やかなパフォーマンスの変遷が良く判って、とても興味深い映像集だと思いました。ナゼかPART1より自分的には見どころが増し増していた気がします。
何故かちょうどこの前に『22才の別れ』のことを書いたのと同じくして、また同じことを感じました。
十数年も前のこれらのShoyanは、声は伸びるしギターもメタメタ色っぽいし、フットワーク軽いし、余裕や貫禄もあって、オンエア冒頭の22才の別れもとてもストレートに歌われているし、凄く素敵なのですが・・・
でも、でも、やっぱり今現在のShoyanのステージに臨む時の気合の込め方・熱量の重さ・届けよう!という気概の厚さは、あの頃の比ではなく、空前絶後なのじゃないかなって思いました。(もちろんあの当時も誠心誠意100% 込めて歌ってくれていたのは間違いないのですが)
それはきっとあの当時のコンサートに通っていた人たちも今同じように思っている事実ではないかと思います。こんなふうに幾千幾万ものステージを積み重ねてきて今が在るShoyanの、中身のぎゅっと籠もった実存音楽人生の一片を心の底からの憧れの気持ちで拝見しました。
・・・
頭に昇った血もすべて涙に変わって出尽くしたので(笑)、さて心預けて蕩けるような気持ちで改めて拝見いたします。もう最高〜な週末です(*´Д`)♪何度も観ちゃう!
想うこともあるので以降また続けます☆
※『夜のFM』の英語歌詞部分は既にラジオか何かでご説明があったとのことですが、今回字幕が読めて改めて嬉しかったです☆
といっても()であります。歌の内容に関しては今日は書かずに・・・
ここでは普段、いかに自分がその曲を想っているかということを書こうと思っていますが、今回は逆に自分で掴めなかったもどかしさを書いてみようと思います。
・・・
この歌を初めて聴いたのは1982年頃だと思うのだけど、1975年の風のシングルヒットから7年しか経っていないのに、その時点でこうした”叙情的なフォークソング”色の歌は私達中学生にとってはすでにとても古い歌に思えた。
それは私個人の問題なのだが、自分が音楽を聴き始めた頃はちょうどアイドル達や荒井由実ではないユーミン、サザン、八神純子氏や寺尾聰氏、すでに垢抜けたオフコースのシングルなどが世を賑わせていた頃だったので、このかぐや姫の三階建の詩や風の長髪ジーンズ&ロンブーのフォークの世界は江戸時代と明治時代くらいの激変に思えたのでした。
(14歳時の素直な印象なんです。風の後期の色っぽさや、ソロでリアルタイムにAORに挑戦していたShoyanに気づくのはまだ先なので、この未熟な第一印象どうぞお許しください 泣)
その頃の世の中は、青春時代はここまで・社会人になったら大人の世界!という明確な境界線というか、大きな線引きがあったような気がする。だからティーンエイジャー(学生時代)の頃に聴いていた曲は社会に出たら卒業しなくちゃいけない・みたいな風潮がなきにしもあらず。子供時代の感性のままのオタク心を持ち続けて表に出している人はまだそんなにいなかったと思うのだ。
(これまた個人の勝手な記憶とイメージですが)
だから、、、
その頃の青春を生きた人たちの想い出の一曲に対する思い入れって凄まじいものがあったのではないだろうかと今思う。それによってまた余計にこの歌に一種の孤高さを私は感じてしまうのだ。
・・・
実は私思うに、伊勢正三ファンの中ではむしろ、『なごり雪』より風の『22才の別れ』に思い入れや思い出が深い人が多いのではないか?という印象がある。だからこの歌は絶対に外せないし、正ヤンのフラッグシップ曲であると常に思っています。
けれど、こんな事を言うとまた真正面から鉄槌を食らわされそうですが、実は、、、
私にとってはこの歌は一番”伊勢正三らしくない”歌のような気がして、いつも聴く度にショーケースの中の特別展示品を拝見している気持ちになっていたのです。代表作なのに遠い気がして・・・
それは私の時間が違いすぎるからなのか、感性が違いすぎるからなのかワカラナイのですが、伊勢正三のコア部分なのに私には通り抜けてしまう感触が長きにわたってありました。
Shoyanの実験的な試みとか、寝かせて仕込んできた言葉とか、独自の角度のカメラワークとか、そうした今現在は完全に熟成された”感性力”のニュアンスが、この歌はまだ未遂な気がして、それまでの作詩だけの曲とも違う、あまりにもストレートな”意識して書いた感”が顕著に思えて、他と一線を画す感じなのであります。
でもだからヒットしたとも言える!?モチロンだ!と。一番最初に作詞作曲した歌ですものね!素直な直球が最強なのかもしれません・・・
2大巨頭の『なごり雪』と『22才の別れ』には、”無意識”と”顕在意識”・”生まれた曲”と”作られた曲”の違いはあるような気がする。そして、そのどちらにも『春』と『さようなら』が出てくるのが意味深いのです。
(近年中でも最高生意気な意見、平にご容赦下さい)
・・・と、やっぱりこの歌のことを書くとこんな感じの内容になるということで何度も書いてはいつも途中でやめて引き返してきていたのだけれど、何十年もの葛藤の末に今一回ここに書いておくことにしました。
・・・
・・・
今までコンサート・テレビ出演などなど、あまりにも沢山の機会で聴き続けてきましたが、歌い方の変化やキーの変化、その度にどことなくレコード音源の印象との違和感?やズレ感?を感じることが多々あったけれど、実は最近の演奏・歌唱はものすごく万全な完成形だなって深く想い始めています。
歌や演奏のパフォーマンスももちろんだけれど、LIVE!を聴きに来る今現在のすべての聴手を納得させる感動の深い説得力がこの『22才の別れ』に今凝縮されていると感じるのです。ヒットした時点が最高だったのではなくて、この今こそこの歌は完成したのじゃないだろうか?と、心の底から偽りなく思うようになりました。
だから今この歌がとても好きだし、大切だと真っ直ぐな気持ちで想っています。
40年以上聴いてこられて、今が一番この歌を解れてると思えたし、一番好きな心で聴けています。嬉しいです。
ヒット曲の呪い(時代の呪い)が解けて、今100%伊勢正三ご自身の歌だって堂々と輝いている素晴らしい歌だって想います。
美しいギターの弦の音と、湿っぽくならない弾むシャッフル感、少しだけ不思議な言葉選び、悲しさをキラメキに変えてしまうShoyanの魔法が濃縮された、青春を葬る名曲なり・と今想っている次第です。
今のコンサートでは正座して聴く気持ちで臨む一曲です。早く次のステージで聴きたい、今のShoyanの手漉き和紙のような柔らかいお声で切なく奏でて欲しいと、とても楽しみにしている2025年令和7年の今日このごろです。
※何か自分にも心境の過渡期なのか、思いもよらぬ生意気の極致を書いてしまいました。笑止千万の乱暴な呟きをどうぞ生暖かくスルーしていただけましたら幸いです(汗)。
一昨日からすでにツクツクボウシが鳴いているのです!私が感じている秋っぽさを蝉も感じているのかな・・・それはやはり地球の自転が速くなったからかな?(・・;
身も心も文句無しにお婆ちゃんになりつつある自分は「夏」という季節をいつまで夏として感じられるのか・という大きな課題に直面しているので、このひと夏が愛おしすぎます。
お金のかかるレジャーや楽しみからはとっくに遠ざかりましたが、花火や夏野菜や夕涼みなど感覚で得る夏を失いたくないなって思っています。
・・・
で、関係ないですが、夏うた!などとこの季節の音楽をカテゴったりしますが、昨今の音楽の聴き方としてのサブスクを利用して、よくアーティスト公式サイトやファンクラブなどの『オフィシャルプレイリスト』なんてコンテンツがあったりして羨ましく思います。
Shoyanほど楽曲の多いアーティストだったらそういうコンテンツがあっても面白そうだなと。
夏歌に限らず、
・泣きたい時
・おやすみなさい
・ギターに寄り添う
・海〜
・月が篝るラブソング
・ドライビングラブソング
・雨、雨、雨の歌
・季節を辿るとき
・珠玉の提供曲たち
などなどなど
色んな括りで色んなプレイリストが出来そうではアリませんか。
でも、、、それ誰が選曲するの?となった時に事案は頓挫しそうですね^^;
伊勢正三ファンはコダワリの深い人が多いから、生半可なプレイリストを作成してもすぐにダメ出しされそうです(笑)。
・・・でも、たまには他人の作った流れに身を任せてみるのも新しい発見があるかもしれないし、また楽な気持ちになれるかもしれない。そんなふわっとした試みがあってもよさそうだなって想います。
※でもここでいう他人とは、やはり心底伊勢正三の音楽を愛してる人であることが最低条件であります。上っ面の評論家とか音楽ライターの案件だったら要らないです。
あ、、、でもそんな感じのコンピレーションアルバム売り出してたな(笑)。
そう、そうやって企画はすぐに”売る”とかいう事になっちゃうから、誰にも平等なおカネの絡まない公式コンテンツを・と思うのです。
と、今日も静かな寮をいいことに、猛暑の中妄想はつづくのでありました (*´∀`)♪
※その前にホームドラマチャンネルで録画したプレミアムLIVEセレクションpart 2を観なくてはと思うのですが、なんだか心づもりがまだできなくて(*´Д`)・・・ドキドキ)))
実は、甲子園出場を決めた子達なので密かに応援しています。できたら勝ち進んでほしいけれど、とにもかくにも精一杯!この激暑い中での練習の成果を出し切って欲しいと願うばかりです。
午前中の夏の雲と午後からの雷雨、まさに♪真夏の午後はクレイジーですが、午後の掃除の際にメールボックスの下にキリギリスを発見しました!Σ・ω・ いつまでキミはそこにいたのかい!?どうやらメスのキリギリスらしいです。まだ元気だったので、ちりとりで外の植え込みに放してあげました。海には連れて行ってあげられないけれど、無事に仲間と合流出来ますように。
なんとなく、年々キリギリスの声が増えている気がします。猛暑で土地が乾いてバッタ類が生息しやすくなっているのかも!?
って、なんでこんなこと昼間から打っているのか・・・夏休みで生徒が帰国しているので掃除が少し楽だからです(笑)。この春からの狂気じみた繁忙のささやかな反転、いいんです少しくらいサボっても(*´∀`)。
自分を解放してやるんです!
※↓以下、虫画像注意^^;
最近、週末がちょっとさびしい・・・
土曜寅さんを観て泣いている・・・
土曜日は仕事がなくて嬉しいはずなのに、仕事がないと我に還ってしまって考えなくてもいい憂鬱が襲ってくる。(え~、七氏に憂鬱なんて縁がなさそう!と思われると思いますが(笑))
魂の置き場所がないというか、自分がどこにいるのか定まらず、蝉の声が辛い・・・
猛暑過ぎて少し風が吹くだけで秋のような気持ちになります。胸が苦しくなります。体調が拍車をかけているのかな・・・
テレビの名曲アルバムでリオデジャネイロの海や路面電車の古い街並みを見ていたら、あまりにもサウダージに溢れていて、憧れが強すぎて、いつかすべて終わったら全財産はたいてブラジルまで行ってもう帰ってこないでリオで客死してしまいたい、とか想いました。海辺のジョビン先生の像に逢えたらもう思い残すことはないでしょう。これは私の前向きな夢であります。
・・・
寅さんつながりで?昨日葛飾のチケットを発券してきましたが(今度は2ケタホール真ん中あたり♪)、今日は N 響のチケットを申し込んだり、山田パンダさんの秋のライブの予定が出たりで稼ぎはすべて音楽に費やしている感じであります。生活は苦しくても(笑)これはシアワセなことであります。
目に見えない傷は
音楽で癒す
そういうことなのだと思います。
なんと、軽井沢と全く同じ列と席番号でした。。
(*´ω`)。ドユコト
ま、それはいいとして、
こんなにたくさん軽井沢妄想しちゃって、それでも結局こうやって私が聴きたい曲ってやってくれないっていうのが通常パターンなので、これ以外のところで期待しています(笑)。というか、この一連のささやかなこの人生ツアーのままで本当にいいんだけどな、って心の底からそう思います。それほど渋谷・新潟のShoyanスゴク良かったです。
この何十年にも渡るShoyanLOVE生活ですが、私とShoyanの音楽は磁石の S 極と S 極のようにいつも寄ることがありません。世代もズレているし、Shoyanの充実は私のリアルとは疎遠になって乖離してしまうのです。好きになったらいなくなっちゃうし、100回以上のステージに一回しか行けなかったり、解ったと思ったら違う正解が発表されたり、同じ極なのに(同じ極だからこそ? )いつも離れているし逆行しています。
でもずっと一緒に進んでるんです。
それはリニアモーターカーみたいなものかもしれません。
浮いていて接触していないのに進んでいる。
なんだかそんな気がしています。
(*´∀`*)それもまたよしです。
※でもリニアって現実的には当分開通しないですよね(笑)。
一昨日辺りからジジ、ジジッとアブラゼミっぽい気配があって、今朝は寮の周りでとうとうミンミンゼミの声を聴きました。
あやふやだった梅雨も雨の輪郭をくっきり残して去っていきますね・・・
今、Shoyanの歌は私に何を示してくれるだろう?と、ヒリヒリするような気持ちで秋からのライブのことを想っています。常に四六時中絶えることなく考えています。
これから私はShoyanの歌をどう聴けばいいのだろうかと。
・・・
今年の軽井沢大賀ホール、今、自然な気持ちで聴きたいな・と想うのがこんな曲たちです。
(今のギラギラしているShoyanご自身のアプローチとは逆行してるかもしれませんが(*´ω`*))
☆My Favorite
闇の夜のハネムーン
遠ざかる雨
海は遠いのかい
Hideの秋
マリンタワーの見える街
涙を連れて旅に出ようか
堤防のある町
夕凪
あたりで、
軽井沢ならこんな変化球どうかな?というのが、
キッチン
(丸山さんのチェロが合いそう)
おはようおやすみ日曜日
(そろそろセルフカバーもいいんじゃない?)
今はちがう季節
(なんとなく初心に戻ってみてほしい)
けんかのあと
(ギター1本の弾き語りでまた聴きたい)
忘れゆく歴史
(数年前からずっと思っています)
そしてwith準ちゃんとくれば、
夏の沈黙
夜のFM@Bossa
NEVER
色褪せた日々
アフタヌーン通り25
わかれ道
有り得ない偶然
リアス式の恋
(カモン・ラブ&SaveOldMe)
などなど、なのですが、『わかれ道』など従来音源で聴いていてフト、これSLOWな感じで途中の歌詞をまたまた語り口調にしたりしてメリハリつけて再構築したら渋くていいんじゃないかな、なんて想っています。なんだったら、全編語りでもいい感じ♪
と、勝手な素人妄想とまらないです。
(そもそも準氏いないかもしれないのに 汗)。
ここまで考えてみて、全体的になんかどこか寂しいような選曲ですが、きっと実際寂しいのでしょう自分^^;。
そしてもちろん毎回聴きたい、
汐風
君はベージュ
秋の葉の栞
テレポーテーション
海辺のジャパニーズ・レストラン
スモークドガラス越しの景色
あいつ
夏この頃
通り雨
夜汽車は南へ
などもなのですが、
個人的に書き出せない曲もある。
凄く大切で好きなのに、痛いような・自分の手を離れてしまったような曲がある。それらは今はほんのり思っておくことにしよう。そして、もっと超個人的に聴きたい曲もアルけれど、それはずっと内緒にしておきます(思わせぶり七氏笑)。
なんか結局好きな曲のことばかり書いてしまいました。こんなに勝手にツラツラ書き連ねて、だからナニ??ですし、むしろかえってこんなラインナップは無いんだろうとは思うのですが、こうやって妄想するのが楽しくて、また生き甲斐なのでどうぞお許しください(汗)。
でも、、、この夏を無事に越して、お元気で幸せなShoyanにひと目だけでもひと声だけでもお目もじ賜ればそれで十二分に有難いことです。
この今を奇跡だと思わねば!
・・・
この数ヶ月で私は”愛の先にあるもの”に気付いたので、今はそれゆゑにわれは仆れず・なのであります。この夏、自分が伊勢正三ファンとしてワンランク深くなったような気がしています。早くこの新しい自分で軽井沢を迎えたいと想っております。
(それがイイ事なのかどうなのかはよくわからないのですが(笑))
明日から本格的な猛暑ですね。
がんばりましょう☆
この春から友達になった留学生事務局の職員さんを連れて、自分の好きな海に行ってきた。先日新潟で日本海を見られたので、今度は太平洋!お天気はしっとりしていたけれどひと月のうちに二つの海を見られて嬉しかった。
遠い沖には地球深部探査船 ちきゅう号が浮かんでいました。
(軽井沢関係ないですね、お許しを(*´∀`*))
自分的には思っていたよりも良い席だったので、とっても楽しみになってきました。
(もちろん最前列とかじゃないですよ笑)
今年の大賀ホールは特別です。
準氏が参加されるのかどうかの"どんな曲やってくれるのかな"のドキドキと、聴く曲によっては"自分は耐えられるのかな?"というドキドキと、もう今からインパクトに備えておかねばという感じです。
自分が今年漠然と考えていることは、
"いろんなアレンジで聴いてみたい"
なので、
どんな曲をどんなアレンジで、と言う妄想が捗っています。勝手に自由に妄想している時が一番楽しいです(*´∀`)。
今学期は今週いっぱいで終わり、来週からは夏休みなのであっという間に生徒ちゃんたちは帰国してしまいます。寮はガラガラになりますから、そんな静けさの中で色々想うのがいいでしょう。
寮の玄関に来たゴマダラチョウ☆
