Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。Shoyan的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。 管理者∶No Name 七氏−1.0
軽井沢、なんとか無事に行ってこられた。
色んなことに感謝です。
でも、前日は遅くまで仕事が長引き、当日は往復運転で帰宅が0:00になり、やはりちょっとしんどかった。ユンケル飲んで頑張った。
何よりお義母さんの具合が気がかりすぎて・・・
で、そのお義母さんですが、小康状態というか、ジュースくらいは飲むので、今、桃をスムージーにして持っていってあげてるような具合です。まるっきり食べなくなるかと思いきや・・・手を変え品を変え・・・がんばってます。施設と家族で全力で試せることしてる感じです。
・・・・
と、そんな私的なことは置いておいて・・・
軽井沢か~・・・
ちょっと複雑な思いというか、想うことが色々あったステージだった。
去年が"神回"だったので、それと比べることはできないのだが、6月の東京りぼーんと何かが違う正やんだった・・・気がするのは気のせい??
だが、
「あぁ・・・(*´ω`)LOVE♪」と思うコトもあり、
「ふぉ、、、(;´∀`)詰息(汗」と思うコトもあった。
気持ちの上下があったなぁ。
でも最近一番気になるのはギターソロの印象。
ギターの音がちゃんと出ていない。
しかもすぐに終わる。
これだけはここ最近いつも思う。
正やんご自身が「それでいい」と思っているのか、
全力なのに「そう」なのか(悲)、
私はむしろ楽器の鳴りに違和感を感じる。
アコギしか弾かないんならそのアコギは100%でいて欲しい訳。
数年前の軽井沢で聴いていた音には程遠い。
ギターが息切れしてる。
楽器のコンディションが気になる。
そして、
何か・・・出し切れていないものがあるのでは?と思う。
正やんご自身にも「これだけは必ず届ける!」という押しの強さがちょっと薄かったような・・・何か、自分のことで手いっぱいのような・・・・謎。
それでも客席は熱狂だし、正やんの声が埋もれちゃうようなバラバラの演奏でも、盛り上がってる。もうみんな「それでいい」って思ってるのかな。
妥協?
波風立てないのがオトナ?海風なのに?
ステージ上にいてくれたらそれでいい?
正やんのナニがそこにあればそれでいいのサ??
命削って参加した自分なので
「今日もまぁこんな感じ」
なんて思いたくないわけです。
なので、命かけてまた思ったことは書くと思います。
毎回見ているわけでもなく、最前列で観ているわけでもないので、今の正やんのコト何もわからない自分だけど、今聴いた音だけは正直に反応したい。
・・・また追々書きます。
少し休もう自分(*´ω`)。goodnight☆
『汐風』の肌触り思い出しながら・・・
https://mainichi.jp/articles/20190814/ddf/012/200/007000c
※毎日新聞有料版
謎なのである。
先日も公式サイトやFacebookに告知もないまま、読売新聞の夕刊関西版のエンタメ欄に写真入りで『君歩』の告知&インタビューが掲載されていたのである。で、今回のこの毎日新聞も告知がなくて残念なのである。
私はこの催しものには一度も行かず(行けずぅ)、また世代的にチョットお呼びでない感もあるので(汗)いいのですが(いいのか!?)、お写真入りのインタビュー記事なんて見たいじゃん!読みたかったじゃん!!(>_<)やはりお知らせはしてもらいたいなと思うのであります。(そういえばメルマガ会員登録とかってあったよね??配信されているのかな?私には来ていませんが^^;)
やはり謎なのである。
しかし、この続く大阪推し感、、、(*´ω`)
大阪には何かイイコトがあるのかな♪
古くは『大阪のお嬢さん』から(笑)・・・
『君焚』『君歩』どんな『君』?
・・・・・
と言っている間に、こちらでは軽井沢の雰囲気が漂ってまいりました。お盆を過ぎたら秋です。フェーンで暑くても、すでに夕暮れが早くなってきてなんとなくキモチがざわめくのであります。あの、9月のひっそりした避暑地と秋の花々が呼んでいるように・・・。
大賀ホールもRe-bornなのかな?それともまた少し違うのかな?西から強く吹いてくる雨風に、予定を尋ねてみようか・・・
インタビュー記事の夏毛のShoyanがメチャ素敵で眠れずに、また少しキョリを想う台風の夜です。
※毎日新聞有料版
謎なのである。
先日も公式サイトやFacebookに告知もないまま、読売新聞の夕刊関西版のエンタメ欄に写真入りで『君歩』の告知&インタビューが掲載されていたのである。で、今回のこの毎日新聞も告知がなくて残念なのである。
私はこの催しものには一度も行かず(行けずぅ)、また世代的にチョットお呼びでない感もあるので(汗)いいのですが(いいのか!?)、お写真入りのインタビュー記事なんて見たいじゃん!読みたかったじゃん!!(>_<)やはりお知らせはしてもらいたいなと思うのであります。(そういえばメルマガ会員登録とかってあったよね??配信されているのかな?私には来ていませんが^^;)
やはり謎なのである。
しかし、この続く大阪推し感、、、(*´ω`)
大阪には何かイイコトがあるのかな♪
古くは『大阪のお嬢さん』から(笑)・・・
『君焚』『君歩』どんな『君』?
・・・・・
と言っている間に、こちらでは軽井沢の雰囲気が漂ってまいりました。お盆を過ぎたら秋です。フェーンで暑くても、すでに夕暮れが早くなってきてなんとなくキモチがざわめくのであります。あの、9月のひっそりした避暑地と秋の花々が呼んでいるように・・・。
大賀ホールもRe-bornなのかな?それともまた少し違うのかな?西から強く吹いてくる雨風に、予定を尋ねてみようか・・・
インタビュー記事の夏毛のShoyanがメチャ素敵で眠れずに、また少しキョリを想う台風の夜です。
※2023年に途中追記
・・・
この歌には二つの雨が出てくる。
・・・
この歌には二つの雨が出てくる。
君のいない朝に窓を叩く現実の小雨と、乾いた砂に沁み込む夏のにわか雨。
いつまでも終わらないような孤独の歴史年表。あっという間に過ぎ去ってしまう季節。対比が切ない。
・・・・・
少し前になるが、ある化粧品ブランドの新しい口紅のラインナップに、昔の色がリバイバルされて、その中に1970年代に一世を風靡したというオレンジ色の口紅があった。それを見た時、この歌のことを想い出した。当時、外国で流行っていたその口紅を、この歌の彼女が使っていたか?というリアルは抜きにして、70年代のシンプルでペタっとした色を想う・・・
この"電車道に沿って咲いてる名も知らぬ花"って何だろう?淡いオレンジ色・・・想い出す君の唇。
この頃植わっていた町の花って、カンナ、マリーゴールド、マツバボタン、ダリア?もしくは土手などに咲く野の花ノカンゾウやオニユリ・・・この頃は外来植物も少なくて素直な植生だったろうか。マルバルコウソウはすでに帰化植物か、オレンジ色の花って実は少ない?
案外、"陽に焼けた君"から逆算した色ではなかっただろうか・・・
※ちなみに、オレンジ色のノカンゾウやヤブカンゾウは別名『ワスレグサ』と言うそうな。淡くはないが意味は合いますね。
※ちなみに、オレンジ色のノカンゾウやヤブカンゾウは別名『ワスレグサ』と言うそうな。淡くはないが意味は合いますね。
この歌を知ってから何十年も経つけど、未だかつてオレンジ色の口紅を買ったことは無い。いかな色黒の私でも似合いそうもなくて・・・(落)可愛くないとダメそうで・・・。
きっと、夏だけ陽に焼けた黒目がちのキュートな女性を想う。
『NEVER』の"♪いつか君に合わせ縮めたゴーグル"みたいに、身に付ける物から別れた人の表情を想い出すシチュエーションがたまらなく、たまらなく切ないのだ。
・・・・・
"電車道"、"踏切の音"、、、鉄道好きにはグッとくるフレーズもあって、ただのセンチメンタルじゃないShoyanらしい空間認識を感じるんだ。
恋人と過ごした夜。特別な夜がいつしか日常になり、日常が更なる現実となって明けてゆく朝。それでもまだこの頃は二つの心を溶かしあって一つの音を聴くくすぐったさがあったのだろうか。…今はきっと空っぽのその心に、現実だけがカラカラと音を立てて転がっているのだろう。
この小雨は満たしたり潤したりしてくれるものではなく、
想い出を遮ってゆく無情なカーテンなのだろうと思う。
想い出を遮ってゆく無情なカーテンなのだろうと思う。
・・・・・
同じアルバムに入って、同じようにマイナー調な『あの唄はもう唄わないのですか』などに比べると、この『忘れゆく歴史』はより"個人的"だ。
『あの唄はもう唄わないのですか』『22才の別れ』『海岸通』などの"読みきり劇画"系と違って、こういった、地味だけど個人的な想い出に入り込んでくる歌は、"あとからジワジワくる長期連載"なのだと思う。
長い時を経て、経験や感情の幅や他人との関わりが増えて、それだからこそ味わえるせつなさと気付きがある。
編まれる物語がある。
編まれる物語がある。
『忘れゆく歴史』は私にも今は"痛みソング"。十代で聴くのと四十五十越えてから聴くのとでは、今の方が数段色鮮やかに淋しさを視ることが出来る。
こういう古い写真のような歌、イイナ。
しかし、雨は切ない…
絆のようで、距離でもある。
絆のようで、距離でもある。
今聴けば、私も乾いた砂が恋しい・・・
なんて素敵な歌だろう!!
こういう歌があるから私はShoyanの音楽が好きなのだ。
こういう歌があるから私はShoyanの音楽が好きなのだ。
Shoyanのお茶目セクシーなヴォーカルと、スキップしているような曲の雰囲気が相まって、ミュージカルを観ているような、本当に甘酸っぱい一曲だ。この歌のShoyanの声はこのアルバムの中で最高柔らかく、サックリチェリーパイ☆みたいに甘く心がほぐれる
(*´ω`)。
(*´ω`)。
♪君のほっぺにご飯粒・・・
ほんとはいつかそっとキスしてみたかった君の柔らかいほっぺ。あどけない彼女の「ん?どしたの?」的な表情がアリアリと見えて、めっちゃ可愛い最高のシーンだ。そしてこの彼女の描かれ方から、なんとなく、この恋のその後も想像出来るようで、安堵するのだ。
この彼女、その後の展開にきっとビックリ戸惑って
「〇〇、なんで今ソレ言うかな~?も~ぅ知らないっ、明日私行っちゃうしー、、、、困るぅ・・・でも、アリガト(下を向く)・・・(頬染)」
みたいなシーンを思ってしまい、この彼女、いつかこの町にまた帰ってきそうで、サバサバっと彼とうまくいきそうで、なんだか勝手に嬉しがっている近所のオバサン目線で聴いている♪
「〇〇、なんで今ソレ言うかな~?も~ぅ知らないっ、明日私行っちゃうしー、、、、困るぅ・・・でも、アリガト(下を向く)・・・(頬染)」
みたいなシーンを思ってしまい、この彼女、いつかこの町にまた帰ってきそうで、サバサバっと彼とうまくいきそうで、なんだか勝手に嬉しがっている近所のオバサン目線で聴いている♪
桜吹雪と春風のカンケイが少しの陰影を与えて緊張感もあり、シリアスと和みのコマ割りが本当に素敵で、なんて鮮やかな曲なのだろうと思う。
・・・・・
幼馴染みの彼の、精一杯の素直なキモチ、背伸びして、でも委縮して、でもやっぱり・・と「幼馴染みの季節に知らず咲いてた花をそっと・・・」という本当にデリケートな彼の純粋な心が愛おしくて堪らない。歌詞カードには薔薇の大きな花束がレイアウトされているけれど、二人の間に咲いた花を実際花束にして送るなら・・・きっとフリージアやパンジーのような懐かしい何気ない花かもしれないと思っている☆
♪そのわけも知らず唇あてた暖かい春の日・・・
が、少し成長するとこんな感じで恋の自覚が生まれるのかなぁって思ってキュンとする。
心底キュンとする・・・(涙)。
心底キュンとする・・・(涙)。
『秋の葉の栞』は後から気付いた男のストーリー。
でもこの歌の彼は先に気付いたのかもしれない。
でもこの歌の彼は先に気付いたのかもしれない。
ガンバレ彼!
これからの人生でいくつかある"曲がり角"。
その最初の最初はこんなピュアなものであったのだ。
その最初の最初はこんなピュアなものであったのだ。
Shoyanの"永遠少年"らしさ、が最高に輝いている一曲。この今聴かされてタマラナイ気持ちになる。
"春"という季節が"SPRING"だという、弾むココロを忘れないでいたい。
"春"という季節が"SPRING"だという、弾むココロを忘れないでいたい。
※聴きながらいつも「イエイエチガウンデス」で、ついジェスチャーつけちゃうんだよね(笑)。
2016年11月発売
『伊勢正三45周年 ALL TIME BEST-Then & Now』より
・・・・・
この『さよなら以外に』では本当に久しぶりに 「君」に逢えた。
garden以降の提供曲・映画音楽や校歌に「君」はいなくて、Shoyanの中からそんな存在はもう消えてしまったのかなと、長いこと、永いこと寂しく思っていた。正直な気持ちを言えば、garden以降というよりは、時のしずくのあとずっと待っていた歌だったのかもしれない。
garden以降の提供曲・映画音楽や校歌に「君」はいなくて、Shoyanの中からそんな存在はもう消えてしまったのかなと、長いこと、永いこと寂しく思っていた。正直な気持ちを言えば、garden以降というよりは、時のしずくのあとずっと待っていた歌だったのかもしれない。
(gardenはShoyanの老荘思想なのだ!?)
『さよなら以外に』は私が伊勢正三の歌を好きになった理由が全部入ってると思っている。
暖かい声、部屋、季節、後悔、エロス、距離、分岐したタイムライン、雨、グッズと景色の切り貼り、そしてあの頃ではない「今」。
台所の蛇口の水滴の音さえ聞こえてきそうな「孤-single」のシーンが、逆に思いの果てしなさを感じる。この切なさは、なんだか野菜スープの上澄みみたいで、とても清らかで優しいものだ(涙)。 切なさは極まると無に近いものになるのだと思った。
台所の蛇口の水滴の音さえ聞こえてきそうな「孤-single」のシーンが、逆に思いの果てしなさを感じる。この切なさは、なんだか野菜スープの上澄みみたいで、とても清らかで優しいものだ(涙)。 切なさは極まると無に近いものになるのだと思った。
・・・・・
この歌をCDで聴けば、まるでくちづけしながら歌うような距離感に赤面してしまい、聴く度にこそばゆいものがこみ上げる。
Shoyanご自身は出演番組などで「自分は歌があまりうまくない」などとおっしゃるけど(本心からではないと思いますが)、この歌のヴォーカルは、的に当てる銃や弓矢のシューティングではなく「罠」だと思うのだ。罠!さそり座の森のハンティングだ・・・
Shoyanご自身は出演番組などで「自分は歌があまりうまくない」などとおっしゃるけど(本心からではないと思いますが)、この歌のヴォーカルは、的に当てる銃や弓矢のシューティングではなく「罠」だと思うのだ。罠!さそり座の森のハンティングだ・・・
「ワスレナクチャ、イケナイヨネ」の最高に甘い囁きは、忘れる気なんて無さそうに思えるほどで、寂しさを超えてうろたえてしまう。
だがしかし、聴き込むごとにリアルな苦味もアル。
何かしてあげたくて、思い続けると言いながら、実際は"自分が忘れられないから"なのかもしれないと。
恋は自分の中でコントロール出来ないまま生まれ続けてくる、過ちだとわかったあとでも湧き続ける恐ろしい泉なのだ。いつまで続くのか、わからないのもオソロシイ。恋の渦中にあるその時の笑顔は、泣き顔の裏返しだったのだという事。失敗したものに対する女性の態度って極端で、聖母のような赦しの笑顔かと思えば、ヒステリックに罵倒する時もあり、、末期には無言。。。
恋は自分の中でコントロール出来ないまま生まれ続けてくる、過ちだとわかったあとでも湧き続ける恐ろしい泉なのだ。いつまで続くのか、わからないのもオソロシイ。恋の渦中にあるその時の笑顔は、泣き顔の裏返しだったのだという事。失敗したものに対する女性の態度って極端で、聖母のような赦しの笑顔かと思えば、ヒステリックに罵倒する時もあり、、末期には無言。。。
何を境にしてそれが分かれるのか、恋が裏返る時の痛みはやはり苦いものと思う。身につまされて激しく苦い・・・
ライナーノーツで「過ぎた時間も「今」という時間と同じところに在るのではないか」と言うようなことが書かれていた。
私もそう思う。「流れない時」があると。
流れていない時点で時間ではないのかもしれないが、時間の一種だ。何十年経っても減りもせず、磨耗もしないものがある気がする。甘い事・苦しい事の区別無く、その「流れない時」の水底は、最終的にはどうなるのか・・・
このあたり、Re-bornでも所々で触れられていて、とても興味深い顛末なのだ。
このあたり、Re-bornでも所々で触れられていて、とても興味深い顛末なのだ。
・・・・・
「さようなら」って「左様ならば」=「そういうことならば、仕方がない」という諦めの意味がありそうで、英語の「Good-Bye」や中国語の「再見」のように前向きじゃない。
過ごしてきた時間と、これから襲い掛かってくる時間、を受け容れる、というのが生きていくことなのかなと思うのだが、"でもそれ以外に何か抗えることはあるのだろうか?ともがくのだ"。
そんなやるせなさにShoyanの歌たちが寄り添ってくれる。
『さよなら以外に』は相手のあるラブソング以上の、自分自身と向き合うラブソングでもあるんだなって思いながら聴いている。
『さよなら以外に』は相手のあるラブソング以上の、自分自身と向き合うラブソングでもあるんだなって思いながら聴いている。
その年の夏、軽井沢のライブで初披露してくれたバージョンとはラストの歌詞が変更になった。
その時は
♪まだ今でもひとりなら
すぐにでも迎えに行けること以外に・・・
すぐにでも迎えに行けること以外に・・・
だったと思う。
(手元でメモっただけなので違うかもですが)
ラストのフレーズが変わって、余計に、更にもう一歩距離がリアルになった。
思い続ける、ということが、何かしてあげてるってことと同じなら、報われないことも尊いのかもしれない。
本当に暖かくて切ない歌、今聴くことが出来て嬉しかった(涙)。
Re-bornはここから始まっていたのかもしれないと思う。ベスト盤の中のボーナストラックのような、不思議な立ち位置の歌だけど、私には肝心要の、想いの底のような大切な歌なのだ。
時々取り出してきて、そっと独りで聴きたい歌だ。
今日は仙台Re-bornなんだな。
イイナァ・・・
おそらく私の生霊(笑)が雨の宮城野に出没しているでありましょう。
イイナァ・・・
おそらく私の生霊(笑)が雨の宮城野に出没しているでありましょう。
こう見えて本当は"追っかけ"とかしてみたいんですヨ。
以前はライブを観に九州にも行ったし、大阪や北海道にも行ったりして、Shoyanのおかげで楽しくて苦しい(謎)旅が出来たことは、今はかけがえのない大切な想い出です。
以前はライブを観に九州にも行ったし、大阪や北海道にも行ったりして、Shoyanのおかげで楽しくて苦しい(謎)旅が出来たことは、今はかけがえのない大切な想い出です。
でも今は、何故か遠ざかるようなことばかりの自分ですが。
さて、、、
・・・・・・
『Musician』を聴く時、いつも謎に思うことがある。
「ひとりだった頃」っていつ?・・・と、リアルに考えてしまうとわからない。
だけど、今の自分だと思い当たる節もある。
そんな心境、私にもあるよ・・・って思う。
そんな心境、私にもあるよ・・・って思う。
歳を取ってからこの歌がすごく好きだ。
変な(亜流な)聴き方かもしれないけど、自分のことのように想う部分と、そんな愛が欲しい共感がうまく調和してる気がする。
"いいフレーズが弾けた自分"のことより、"今夜のpotato saladの出来=パートナーの作業"をまず気に懸ける優しさ、そのフェミニストぶりが、この歌のなんともこそばゆい隠し味になっている。
変な(亜流な)聴き方かもしれないけど、自分のことのように想う部分と、そんな愛が欲しい共感がうまく調和してる気がする。
"いいフレーズが弾けた自分"のことより、"今夜のpotato saladの出来=パートナーの作業"をまず気に懸ける優しさ、そのフェミニストぶりが、この歌のなんともこそばゆい隠し味になっている。
この世のわずらいに単身切り込んでゆくオトコと、我慢といなしでそれを待つオンナ・・・と、そう歌っている?けど、その実は・・・女性という鏡があってこそのオトコの強さだと、だからそんなカンケイを大事にしようヨ・という当時のShoyanの"気付き"がここにあるような気がする。
(この頃、外見は真っ黒Shoyanだったけど、中身はかなりSweet&Whiteダヨネ^^*)
『Bye Bye』あたり、カラーは全然違うようだけど、表裏一体の対SONGな気がする。
・・・
少し脱線するけど・・・
Shoyanの歌が女性の心を掴んで離さないのは、いわゆるその"癒し"とか"優しさ"だけじゃなくて、歌作りの根底に"女性の母親としての役割を尊重してる"というニュアンスがあるからではないかと最近思う。
それは子供がいるいない・結婚しているしていない以前の、女性の生まれながらの"存在理由"に触れることではないだろうか。
食べるもの・着るもの・嫌なこと・楽しかったこと、眠る場所・叱られる場所・還る場所・旅立つ場所。みんな"お母さん"とともにある。
Shoyanの歌の"女"という引用には、
「お母さんていつも色んなこと抱えて大変だナ」
という、労わりの目線がある気がする。
女性のダメな部分も、強い部分も、母親にはすべてある。
そしてそれは女性なら誰でも内に秘めている可能性でもある。
そしてそれは女性なら誰でも内に秘めている可能性でもある。
そこにShoyanの歌はダイレクトに触れてくる。だから聴けばドキッとするし、ふいに後ろから抱きかかえられるような安堵を感じたりもする。
『Musician』だけでなく、他にも沢山そういうことを感じる歌がある。それが男女夫婦のラブソング、あるいは衝突やすれ違いの歌だとしてもだ。
小さな子供がエプロンに突進してくる無心。
反抗期を乗り越えて成長の矛盾を卒業する頃の、「母さん、僕も手伝うよ」という、そのオトナっぽい思いやりの心と、その反面の客観的分析能力・・・
反抗期を乗り越えて成長の矛盾を卒業する頃の、「母さん、僕も手伝うよ」という、そのオトナっぽい思いやりの心と、その反面の客観的分析能力・・・
それを感じるんだ。
Shoyanご本人のリアル人生がどうとかいうことは別にして、Shoyanの"女性に対する優しさ・労わりの心"は世の母親へ対する純粋な愛から始まっている部分が大きいのではないかと想う。(一休さんみたいかも!?謎)
モチロン、"マザコン"なんて安易なニュアンスとはかけ離れて、もっと暖かくて深い信頼と尊敬という根源的な意味で・・・ってコト♪
これは今の年齢になってしまった自分の、ある意味、今のひとつの到達点でもあるのだ(謎)。こんなにも年齢年代がShoyanとはかけ離れているのに、何か実感するものがあるのは不思議なことです(*´Д`)。
♪~幼い頃の同じ想い出にあわせて・・・
と、誰もが想うおさなごころ。
それを感じられるパートナーと出逢えたら、最高の人生になるだろうと思う。そして子供が出来たら本当の"ひとり"は消え去っていく。"縦ラインの幸せ"と"横糸の幸せ"を織り込んだ人生、愛に充たされるってそういうことかなって思う。
それを感じられるパートナーと出逢えたら、最高の人生になるだろうと思う。そして子供が出来たら本当の"ひとり"は消え去っていく。"縦ラインの幸せ"と"横糸の幸せ"を織り込んだ人生、愛に充たされるってそういうことかなって思う。
・・・
この歌の完成度とバランスの取り方って、すごく高いものではないかしら。職人技の極み・檜や欅のしなやかで硬い素材を組み合わせたような、シンプルな木造建築のようだ。数奇屋造りとか書院造りとかみたいな!?
間奏のビブラフォンとかすごくシャレていて、この頃のアレンジって変な小細工もなく、それこそMusician達の腕の見せ所・裸の音だよね。こういう感じの造り・・・好きだナ。今はあまり聴くことのできない、手仕事ニッポン・・・今回音源化された武道館の『Musician』もすごく良くて、意外と?今よく聴いています。
・・・
あの頃、コンサートが終わった後、本当に自分で車にギターケースを詰め込んで帰る独りのShoyanがいた。
座席にではなくトランクだったけど、オフホワイトのXJがカッコよかった。懐かしいナ・・・
座席にではなくトランクだったけど、オフホワイトのXJがカッコよかった。懐かしいナ・・・
1980年代半ばのある2月、出待ちなんて言葉すら知らない高校生の私だった。
「ずっと待っていて 寒かったでしょう?」
って・・・
もうその一言が『Musician』だった。
あの時もらった温もりと、30年以上経って想う今の温度は少しの誤差もなく同じ歌の中にある。そして一番新しい歌の中にも・・・
あの時もらった温もりと、30年以上経って想う今の温度は少しの誤差もなく同じ歌の中にある。そして一番新しい歌の中にも・・・
この夏、そんなこと想い直して何度も何度も好きになることを繰り返す幸せを噛みしめた。ホントにきっとこれからもShoyanの歌大好きなまま生きていくんだな☆
しつこい自分にカンパイ(´∀`)♪
『海辺にて』の勘違いをちょっと書き足しました(^^;)。
♪ぼくから ぼく宛の手紙
運んだのは 君だけど・・・
運んだのは 君だけど・・・
この一節の"気付き"がこの歌を作った動機かな?
非常に鋭いワンフレーズ。これを24歳の時に書いちゃうShoyanの感性の管の太さ・・・スゴイ。
でも、このままの感じ(どんな感じ?)で歌作りを続けていったのならば、徐々に案外アーチスト・創作者としての活動が先細りになったりはしなかっただろうか・・・?などと今思う。
私はリアルタイムを知らないから、レコードの曲たちの変遷と、ほんの少しの写真で知るShoyanご本人の見た目の変化くらいしか想うコトの材料はないけれど、『風』というユニット・現象が、栓の抜けたバスタブの大きな渦のように最後の方で急加速して、底の方へ沈んで姿を隠したのは、実は、結果的にはとても"良いこと"だったのではないかと生意気を承知で想像してみる。
伊勢正三という創作者・表現者が"本当のオトナの歌"を作るために必要な、"闇"を得るための蛹化の時期があったのでは?と思う。
Shoyanのような深い感性を持っている人は、それまでにも幼い頃から身の回りにある小さな哀しみや矛盾、疑問や無力さ・に気付きながら歳を重ねられてきたのではないかと思う。でもそれだけ深いということは、それだけ"純粋"でもあったということだと思うんだ。そんな若さの美しさの中で『かぐや姫』の名曲たちは生まれて、『なごり雪』のような凄まじい歌も出来たのだと思う。
かぐや姫や風の初期の頃の歌たちはグラニュー糖みたいなまっさらの白さがあって、クセのないそのストレートさを好む人も多いかもしれない。だけど、それだけで終わらなかったから、Shoyanの歌は息が長く世紀を越えて愛されているのではないだろうか・・・。この『はずれくじ』のような萌黄色の歌から、『夕凪』のような薄暮色へのグラデーションがある。それが今のShoyanの歌の土台・基礎なのかもしれないと思うのだ。
・・・
拒絶とか逃避とか
沈黙とか不遜とか
真摯に生きれば生きるほど
避けられない汚れがこの世にはある
沈黙とか不遜とか
真摯に生きれば生きるほど
避けられない汚れがこの世にはある
「白いシャツさえ色褪せてゆく」
って言うその後のShoyan。
"不純物"は聴く人の悩みや憂いと惹き合える大切な伝達物質なんだと思う。Shoyanの"その後"の歌にはそんな"強さ"が加わったような気がする。だからこそ、永く聴ける歌がまた沢山生まれて残ってきたのではないかと思うのだ。
La Perrucheのコーヒーシュガー。
不揃いで茶色のキューブ。
不揃いで茶色のキューブ。
カフェオレに入れると白い砂糖とはあきらかに味の余韻が違う。
Shoyanの歌が胸の中で溶けた時、その陰翳が後味になって永く寄り添ってくれるのがわかる。それがとても大切なLOVESONGの理由・・・
・・・
『はずれくじ』は石川鷹彦師匠アレンジで、軽妙でカワイイから、余計にファーストアルバムらしい初々しさを感じる。間奏のシンセ?の音が右左に行ったりきたりして、そういうの、手作り感と遊び心の昔の音作り現場っぽいいナァ(´∀`)と思う。
♪ほら そこにも ほら あそこにも
複数枚が「舞ってる」ってことは、ボク以外にもはずれくじを散らした哀しい人が沢山いるってことなのかな。
"ぼくからぼく宛"とは、恋はやはり自己満足から始まるのだろうか?"君だらけの厚い日記"だけど、日記に記してあったのは本当は"君を好きな僕自身"のことばかりだったのかもしれないよね・・・
"ぼくからぼく宛"とは、恋はやはり自己満足から始まるのだろうか?"君だらけの厚い日記"だけど、日記に記してあったのは本当は"君を好きな僕自身"のことばかりだったのかもしれないよね・・・
・・・
恋の貧乏くじを引くのは得意な私(汗)。はずれたくじはパァっと投げ散らして紙吹雪にもなるけど、貧乏くじはどうにも一生抱えていかなくてはいけないようで・・・(汗汗
でもめげませんヨ。
お楽しみスクラッチはまだ削ってないと思うから♪
お楽しみスクラッチはまだ削ってないと思うから♪
何事も日々、勝負!!
プロフィール
HN:
No Name 七氏−1.0
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
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