Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。 管理者∶No Name 七氏−1.0

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ハッ! Σ('▽') 

そ、そういえば、”彼の時計”が5気圧以上の防水機能時計だったらシャワーの時にもはずさないかもしんないじゃんっ!!(今頃かっ)

うむ、やはり「貸して見して~♪」のほうが自然だな。

・・・ん~、、、

でも、”そういう時”にはやっぱり時計も外して欲しいような気もする!?

けどでも、、、腕枕してもらって耳元で「チッ チッ チッ・・・」って針が進む音が聴こえるのもいいかもしれない・・・

と、シチュエーションのリアルはいいとして(汗)。


一緒にいられる幸せな時間を計るのか、
おやすみbyebyeするまでのタイムリミットを計るのか、
どんな気持ちでいたらいいのやら・・・

そのキモチを言葉にできない彼女は、ずっと彼の腕にピッタリ装着されている腕時計にヤキモチ焼いたのかな?それとも「時計くん、彼に私のキモチ伝えて」と想い託したのかな。

。、、、、、

『小さな約束』がリリースされたときに、曲紹介などで「『ほんの短い夏』にも通じるような」と引き合いに出ていましたが、『ほんの短い夏』と『小さな約束』のシチュエーションは全然似て非なるものと私は個人的に思っています。

・・・おっと、寝る前に急に思いついた断片でした。
考え出すとキリがないのでひとまずこれでまた追々!

※日本で電波時計が市販されるようになったのが1993年だそうだ。彼女がコッソリ遅らせても自動で時刻が訂正されてしまったらどうしよう!?
 (/ω\)

時計の話題はキリがありません♪
(*´▽`*)
”曙”とは?

ほのぼのと夜が明けてゆくさま。

だが、Shoyanの(風の)『曙』という歌の情景はどうやら夕暮れっぽい?
そこが面白い。

夜明けならば「月が出るまで」ではなく、「おひさまが昇るまで」ではないのか?と。
でもそれが月だからよいのだ。

(それとも明け方の白む空に出る月なのか?ひとまずそれは置いておきます)

キラキラの元気な朝陽ではなく、柔らかな象牙色の月が薄暮に浮かぶような安堵が欲しい、そんな”心の夜明け”を満喫したい感じなのかなと思う。

♪影を残して西へと流れてゆく 
 今日の終わりを愛する人へ

月の出を待つ夕暮れの安堵感は、せわしない日常の中の”リアル”、夜明けの曙の光明は”理想”としてこれから先にある未知なるものなのだと想う。この混在・攪乱がこの歌の高みを感じさせてくれる。ホントに渋くて、でも身近に置ける近しさも感じる暖かい歌だ。


悲しみと幸せ

夜明けと日の入り 

終わりと始まり

東京とそっとした暮らし

雪と大きな流れ(河)

みな、背中合わせのようであるが同じものだと、当時のShoyanの陰陽思想のようなものを感じる。それは40年以上前のShoyanの”気付きの季節”のイントロダクションかもしれなくて、これからこの後ずっとShoyanはご自身のその気付きを掘り下げて具現化されていくのだけれども、この『曙』のほんのり感はとても優しく、軽やかに今現在の哀しい時代を癒してくれている。

この歌も実は隠れレゲエ調なのかな?
(今”レゲエ”って言わないみたいですが^^;)
アルバムの中どんどん進んでいく各曲の中で、こういう曲調の歌って、フっと自分の椅子に座って寛いでいるような楽な気持ちになれていいのです。

後半の転調の部分の立ち止まりが”やり直せる感・再出発感”を持たせてくれる。それは鼓舞や激励じゃなくて、週末休みの終わる日曜夜のショートドラマのようなひとときであります。

・・・

夕暮れのホッとする気持ちと、心の闇が明けてゆく新しい気持ちと、同時に包み込んである優しい歌、一年の終わりにもピッタリで、こんな頃合いに歌われたのがとても素敵だったなと想う。

ちなみに、先述の『悲しくなるほど』にもあるように、朝の明るくなった空の思わぬところにまだ白い月が残っている時がある、私はそれがとても好きです。星や月や色や雨をもたらしてくれる”空”はShoyanの歌の大切なスケッチ帖なのですね。

「悲しくてもイイヨ」と
優しく添ってくれる、
今の満ちたShoyanの寛い愛。

♪悲しみなんて幸せの前触れ

そうあるために、この歌を聴く時は自分を諦めないでいようと思えるのだ。

・・・

今までShoyanの歌からもらったたくさんの愛を、逆に全部お返しして届けたい・と思う一年の終わりの月です。 LIVEラスト一本!熱い大阪で楽しく最高盛り上がりますように☆

いつも想像を絶する1000%で全力投球してくれるShoyanに、感謝と、ここに持ち得る最大限の愛を込めて!(届)



※LIVEでは確かに“東京日暮れ歌シリーズ”な『冬京』と被る感じがある?かもなので、どちらかだけでよいのかもしれません♪
今年はもう庭にジョウビタキが来て火を焚く音が響いている。むしろいつもより早く冬が来るのかもしれない。ついこの間まで猛暑だったのに・・・
 
ここのところの自分の時の流れはちょっとおかしくなっていて、この数年の記憶というか出来事の運びがフワフワしていてハッキリしない。Re-bornが出た時の衝撃から心の中が密室になってしまって、ずっとずっと濃密な愛に浸っているパラダイスな自分と、コロナ禍~家業・家族の混乱でシリアスな超現実に圧し潰されそうな自分と、ずっと二重構造で時間が捻じれて(止まって?)いる気がしている。
 
・・・
 
今回『STILL MORE』、一曲目は『ほんの短い夏』。
 
ずっと前、この曲を初めて聴いた時から気になっていたのだけど、
♪君が僕の時計遅らせたと知った~
とあるのは一体どういうこと?と。
 
彼の手首にずっとはまっているはずの腕時計の時刻を彼女はどうやっていじったの?と。
 
初めて聴いた時、(自分にもちょっとした似たような仕業の記憶があったけどそれは置いておいて、汗)
これはせつないイタズラだなぁ・・・彼女、言い出せない分こっそり「帰らないで・もう少し一緒にいたい」ってイジワルしちゃうの可愛いなぁと思っていた。
でもそこから先を考えるのを保留していた。
 
なぜならば、彼が腕時計を外すようなシチュエーションがあるとすれば・・・
そ、それはシャワーかなんか浴びるときじゃない!?と。
そ、それって短い逢瀬のどこかの部屋とか、そういうオトナな時間をこの二人は過ごしたってことだよね、と。そしてそのあとの”後朝”を惜しめない”終電”のせつなさなのか~と、20代半ばであった若き日の自分の妄想がリアルに膨らみすぎちゃいそうで、そこまで考えずに「ほんのり」で留めておこうと思ったのだ。
 
だが、今自分が歳をとってみると、これはきっと待ち合わせてご飯したあと、どこかのカフェで「あ、○○の腕時計、なんかレトロでちょっとカッコよいじゃん、貸して見せて~♪」とか、さり気に彼女が彼の時計を外させて手にとってみたのかな、なんて思ったりしている。この先に「私今日は帰りたくないな」が待っているはずなのに、と。
 
(懐中時計だった場合も同じようだということで)
 
この歌に出会ってからちょうど30年(涙)。あのひどい冷夏から30年の今年は酷暑だった。あまりに違いすぎるアニバーサリー。こんな未来、それでも同じ”ほんの短い夏”、人生の夏はいつでも短い。この恋人たちは果たして二つが一つになれたのかな?それともひとつになった後またふたつに別れちゃったかな?とか、ずっと考えている。その考え続けていることが私の時計の針であって、文字盤はShoyanの歌なのだ。
 
今年初めて聴いた『春の流星』にも♪時計を見る仕草に~とあるように、『STILL MORE』はやはり”時計”の出てくる歌も多い。もちろん、『なごり雪』からして永遠の時計ソングな訳だけれども。

そんな歌たちが何十年もの時を過ごしてる間に、身につける時計はいろんな機能が集約されたスマートフォンになってしまい 、また実体としての腕時計もApple Watch などのスマートウォッチになってみたり、 今の恋人たちは腕時計のリューズを回して時刻を合わせたりずらせたりすることを知らないかもしれない。
 
時計は残り時間を計るものではなく、”今を知るためのもの"だということを今一度噛み締めて、残り少しの未来でも希望を持って過ごしていきたいと思うのだ。
 
砂時計・デジタル時計・(腕時計)・・・時計はShoyanの歌には本当に沢山登場するので、これからも少しづつ何か書けたらいいなと思います。
 
Shoyanの時計ソング、大好きなんだな(涙)。
 
 
・・・
 
追:
 
そうそう、セルフカバーセレクションのShoyan Clock、
 
海~海風
君~置手紙
雪~なごり雪
夏~青い夏
波~渚ゆく
風~スモークドガラス越しの景色
涙~涙憶
花~ささやかなこの人生
雨~雨の物語
水~水の大地
時~想い遥か
駅~なごり雪
 
だけれど、
当時、海と風を反対に考えていた。
私にとっては、やっぱり"海風"は風で
"スモークドガラス越しの景色"は海だった。
 
全部が全部、電波時計のように一斉に同じ時を刻まなくてもいいよね?
日時計のような曖昧な自分でもいいと、今も思っています。


(今見てもカッコ好くて泣けます><)
『春の流星』の

♪ふるさとを愛しているのね・・・

の「アイシテ」の部分だけ残響?がかかっているのが切なくて、この曲の彼と彼女以外の存在(都会とふるさと)の大きさ重要性みたいなものが感じられて心に留まる。

Shoyanの並々ならぬ示しが込められている。

こういったところが”手作り”だなって想うんだ。




※本当ならもっとまとめてからアップすればいいと思うのですが、随時の書き留め投稿ご容赦ください。

※※リバーブとエコーとディレイの違いがよくわかっていないので(汗)「残響」でお許しください。
ポエマー過ぎる前回に引き続き
暴走は止まらず・・・

先日、サザンオールスターズの新曲を聴いたのだが、その桑田さんの悶絶を聴いてやはり書いておこうと想うことがある。
読む人にドン引きされるのを覚悟で書きます(^^;滝汗)。

・・・

『夏純情』を知ってから早4年が経ったけれど、最初に聴いた時から想っていたことだ。

この歌、『純情』のとおり、登場人物二人の間柄は仄かだ。
一番の接近が石段で触れた指のみ。
切ない刹那の純粋なシーンで一貫している。

でも私は感じてしまうのです。
彼の胸のポケットでペンのインクが滲むこと。
彼女の赤い帯が揺れて金魚すくいの薄紙が破れること。

これはある意味、子供時代から大人自分になってしまう通過儀礼のような(やや性的な)ニュアンスが含まれている気がするのだ。ホウセンカの種が弾けるような、生物学的な意味も含めた不随意なオトナへの羽化現象の例えに想えてしまうのです。

(この場合、"紙のハート"は彼の方で、彼女の方が破れるのではないから直接的な意味ではないのだけれど)

純情とは正反対のようなことだけれど、それこそが純情の正体というか、人の心と身体、男女の機微や青春の老成、そんなものの表裏一体に辿り着いた歌なのかもしれないと思う。

自覚スレスレの青春衝動の炎を、やさしく可愛らしく切ないフレーズでそっと教えてくれるShoyanの熟技だなぁと想うのです。

その作者のShoyanがそんな意味を込めたかどうかはわからないし、(たぶん込めていらっしゃらないと思います^^;)これは私の"聴き過ぎ"な妄想なので、ずっと書くのをためらわれたが、やはり感じたことは正直に書き残しておこうと思います。そんな無いことまでを感じてしまうのが『夏純情』の新しさ・到達さ、だと、4年聴いてきて思い直しています。



(追)

これをどこの八幡様だとか、この歌の駅はここだとか、これは誰かのことを歌っただとか、『歌の特定』はしないほうが歌を豊かに聴けると私は個人的に想っている。
(モチロン、尊重されるべき人それぞれの聴き方があって、実際の歌の舞台も多々リアルにあるとは思うのですが)

Shoyanが歌にしてこの世に解き放ってくれた世界を、眺めるだけの『置きもの』にしたくない、音楽の鑑賞法は私にとってはそうじゃない気がする。 自分のものにしてこそ、Shoyan(作者)の胸の中と繋がれるのではないかと想いながら何十年も聴いてきた。

だから、今回のようなイキ過ぎな聴き方も自分なりのアクセスなのだと汗をかきながら胸を張っていたい。


歳をとると脱線妄想が加速します(*´ω`)オユルシヲ

この歌、何故"Yシャツ"なのだろう
そこがイインダケド・・・

夏の海辺なのに・・・
そこは解放的な"遊びの場所"なのに
Yシャツは堅いお仕事の象徴?

ナゼ、そのいでたちでここにいるのだろう
その”帰る人たち”のこと?
それともそこに自分も含まれる?
仕事帰りなのか、仕事の途中なのか・・・
ちょっとだけ日常から寄り道したのかな。
陽やけのあとは遊んだ時間の名残り?
それとも日々の営業仕事の半袖のYシャツ??
それともやっぱり仕事を終えて帰宅する、家路につく人々たちなのかな。

「湘南"へ"帰る人」たちというのも面白く、普通は海で遊んで湘南"から"帰る人が多いのでは?と思うのだけど、この構図が湘南という土地を裏側から見ている感がしていいのだ。少し醒めている心が落ち着いたスポット。そしてこの歌のあやふやさで白昼夢ぽくていいのだ。

「~夕陽に間に合えば」だから白昼ではないのだけど、そういうガラス瓶の中のような心地良い距離感がある。

・・・

鎌倉あたりは駅や海からすぐ近くに住宅街があるし、横須賀線や江ノ電の他の駅から降りてまだ陽の残る路地を家路に着く人々のことかもしれないネ。

そんな"優しい日常"には溶け込めない独りの行き先は、家路を離れて国道134号で境界になっている海。

海辺は自然の一部だから平等なんだ。
マイホームも学歴も営業成績も借金?もそこにはない。そして、黙っていても時間は巡って太陽が沈んでいく。自分が無意識に疲れちゃって動けない時、、自然て優しい。代わりに降ってくれたり吹いてくれたり咲いてくれたりする。

この彼の「もう若くはない」キモチを、慰めて黙ってやり過ごしてくれる。『夏』なのは、次は秋だからなんだね。

※後日追記
最初はなんとなく開けた海が見えて、江ノ電方面かと思っていたけれど、心が落ち着くのだから渋い葉山や逗子のこじんまりとした磯辺で西に開けた海と富士山に沈む夕陽なのかなとも後から想ったり・・・(今頃かよと言われそうですが^^;)自分の中の湘南の位置と少しズレているカモしれない事案です。

・・・

この歌を作られた当時はまだ日本がシンプル?だった頃?スマホを見ながら俯いて歩き回る人もいないし、外国の観光客もそんなにはいなくて、大きな重たい写真機を首から下げたお父さんと麦わら帽子の子供たち、娘さんたちはビキニで日焼けが推奨されていたような、そんな黎明の夏だったかもしれない。

この歌にそんなに具体的に何か意味を深く籠めた訳ではなくて、本当にサクっと、スッと切り取った甘酸っぱいワンシーンなのじゃないかと思う。その甘酸っぱさは色褪せずにここまできましたね、と永い時の波を繰り返しを想う。

 ♪~ただ それだけのこと

この「ただ」という短いサウンドに籠められる重さ。海辺のそよ風にめくられそうになる記憶の薄紙を、そっと押さえる文鎮みたいに、Shoyanは気持ちを籠めて歌う。
このワンフレーズはとても大きい。短い言葉なのに、、日本語って面白いと思うのだ。

・・・

今改めてオリジナルの音源を聴けば、丁寧にストリングスが入っていたり、Shoyanの声はユニゾンになっていたりして本当に柔らかい。

間のアコースティックギターは網戸をツンツンするような夏の音がするし(謎)、エンディングにはエレキギターのノスタルジックなフレーズ。波の音に溶ける白い泡みたいに、聴く人の胸に同化していく終わり方が甘く切ない。

2000年代になって21世紀になってからのほうがこの歌を好きになった。コード進行も超複雑でなかなか馴染み難い印象もあったけど、今はこういう"絵ハガキ一枚"みたいな歌が好きだった。
 ※追記後述

・・・

しかし、何度も言うけど湘南カンケイもまた軽井沢と同じ様に私には痛み甘い場所で・・・苦くて辛くて楽しい色んな想い出がある。

ただこの歌は更に昔過ぎて、自分の想い出は歌の中にはナイ。今聴いても慰められることの方が多い。大好きだった湘南の海の匂いと波の音だけここには残っている・・・こういう歌を作っておいてくれてアリガトウShoyan。今、とても暖かい心の拠り所になっています(感謝)

※そういえば、Shoyanは、Yシャツ着たことあるのかな・・・?(´∀`)


Shoyanご自身にとっても、きっと最初は憧れの地湘南。それをすっかりご自分のホームのようにしっくりと歌にしてずっと大切にされている。なんとなく今、ご自身でも気持ちの拠りどころになっている歌なのではないだろうかと感じるのだ。

せめて同じ海を私も見つめていたいと思う45年後であります(涙)。

・・・

※追記

でも最近、毎回毎回毎回の演奏でチョットしつこいイメージに替わりつつあって、離れそうな気持になりそうだったのだが(汗)、、、でもでも、また更にここに来て、今の年齢とパフォーマンスのShoyanにはピッタリだし、その安定感は今のステージに必須なのかと思うようになった。

これは永久欠番のような、背番号『3』みたいな歌なんだと思うようになりました。

自分もいつかそんな境地になれそうだと想えたので、まだまだ何千回も聴きたい親しい歌です(愛)。

※本当は2022年の大晦日にアップしようと思って書いたのを少し変えて載せました。

・・・・・
押尾コータロー氏の『誰そ彼~黄昏~』を聴きました。
2022年の一曲になりました。
最初聴いた時に、ボーカルクレジットの名前が韓国人アーチストで、どんな方か存じ上げなかったものですから、なんとなくそのまま女性かと思いこんでしまい「なんて中性的な素敵な泣ける歌声なんだ」とやたら感動してしまいました。ですが男性アーチストさんだったのですね。そしてもっと感動してしまいました。

そんなこともあってこの歌は「不思議な」ニュアンスが濃いのであります。

ずっと以前からShoyanが詩をつけた・という話だけでどんな内容なのかわからず、ラジオや押尾氏とのライブをリアルタイムで聴けなかった自分には思いがけない音源化でした。とても嬉しく聴くことが出来ました。

元々、押尾氏のメロディーは語りのようで耳馴染みがよく、どこかサウダージを含んで詩情に溢れていたけれど、今回Shoyanの言葉の一つ一つが必然的で"プレ・Re-born"のような、最初からあるような世界に想えたのです(涙)。

特に好きなのは、間奏のあとの

♪めぐり逢い 不思議なもの
 かりそめの距離「誰そ彼」~

の嵌まり具合。

言葉が先にあったかのように美しい象嵌に嫉妬を覚えるほどの、聴いていて快感を覚えるほどの、非常に官能的なマッチングだと感じます。

・・・

この恋人たち(彼女)は何故
"黄昏"を待つのか?
夜と昼の相差の
はっきりしなくていい時間帯・・・

逢えないと逢える
両想いと片想い
可能と不可能
スキとキライ
過去と未来
生と死
アナタとワタシ
君と僕・・・

そんな"ふたつ"が交わり合える、光と闇の間にあるロスタイムに互いを想えるからだろうか?

「彼にいるは誰?」と、相手の存在があやふやで確認できない時間なのに、時や距離があやふやになるからこそ逆に逢える・・・
あなたはわたし・私は貴方?と、そんなシチュエーションがすごくせつないのだ。

「彼方」と書いて「あなた」とも読む。
あなたは遠いのだ、と、何度聴いても気持ちが溢れて涙が出てしまう。
でもその距離は「かりそめ」なのだと、そう想えるなら救われる。

冒頭いきなり「もしも私が死んでしまっても」とあるのは、これから闇を迎える時間帯だからなのかと思う。

陽のあたる日中を生きて
いずれ迎える闇の世界・・・
でもその闇の前のひとときに
美しい黄昏の夕景が音連れる
そこであなたを想えたらいい

・・・と、
彼女の想いの強さと、また裏腹な欲の無さ"望まない希望"がとても好きだ。

私はなぜかこの歌を聴くと辛い
泣いてしまう
辛いけど
最高にしあわせだった時間を
想ってしまう

心が通じている人に逢えて
少し言葉を交わして
数秒だけ見つめ合えたら
もうそれは永遠なのだ

そのあともう逢うことは叶わず
遠くて、切なくて、苦しくても
それは死なないことと同じだと想う

夕暮れは誰にとってもそんな時間をはらんでいるのかと思う。

Shoyanは"究極のラブソング"を創りたいとおっしゃっていた。
極まった恋ってどうなるのだろう??
片想いとか両想いとか、初恋とか終恋の概念よりもっと大きな、無意識の指先だけが絡み合うような、そんな深いところまで聴いてみたいと今は想いながら待っている。

「誰にも気付かれず抜け出そう」って、自分自身でさえ気付かぬ、意識しない処で魂が逢えているということかな?などと感じている。

・・・

この、押尾氏のギターをリスペクトして「あなたが爪弾くギターを聴いてる」とあるのも素敵だ。

そして暖炉・・・
大好きなシチュエーションが出てきて本当に嬉しくて、Shoyanの生の火に触れられたような愛おしさいっぱいだ。

焚火には間に合わなかったけど、暖炉は私の冬のアイテム。この歌も今の季節にピッタリで、これからも永く聴くことと思う。

・・・

小鳥たちが使う道を通ればどこにいても近い。
だから鍵をかけない。
Re-bornで報われたこの彼女の幸せに今私も救われる気がしている。

せつなくて素敵な愛の言葉たちに感謝を込めての一年の終わりと始まりです。

年の暮れに
空の暮れ色を想う
そして
葉の落ちた新年の雑木林で
薪を拾いながら次の季節のことも想う

そんな素晴しい時間をありがとうShoyan☆
いつか闇が明けるような一年になるように祈っています。


※この歌声ならば、この恋は男女だけに限らず様々な愛の形にフィットするようで、それも素敵なことだと想う。切ない恋は人の心の数だけあるのだから・・・(涙)。




そういえば『3号線を左に折れ』は、1番と2番の歌い出しの音が違うんだよね。 

♪都会に〜 は「ソラ」

♪この海〜 は「レミ」

この二つの音程が出てくる部分は他は一緒なのに歌い出しだけ違う。

この音程の微妙な揺らぎ・違いがそのまま「都会」と「この海」の距離感になって、聴き手に無意識の光景を見せてくれていたのだ、と想うのです。

(あとで書き足しておこう)

プロフィール

HN:
No Name 七氏−1.0
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!

☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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