Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。 管理者∶No Name 七氏−1.0
「雪が積もり始めたら 暖かいのはなぜ?」
もしもそう尋ねてくれたら
「さよならの街の悲しい景色を雪が塗りかえるから・・・・・」
ぼくはそう答えたくて 空を見上げた
・・・って、
・・・って、
先に「答え」を用意しているその時点で、すでにそれは「答え」ではないよね?
「問い」がなければ「答え」として成り立たない。
「答え」が先に在るなんてことは有り得ない。
「問い」がなければ「答え」として成り立たない。
「答え」が先に在るなんてことは有り得ない。
だから、もしも本当に彼女からの問いがその通り提示されたとしても、用意しているその言葉は彼女のためのものではなく、彼自身のためのもの・ということだ。そこから考えてみても、やっぱり、これは、もう、終わっているんだ・・・
"隠し合ってもすぐに見つかる"理由によって、去ってゆく彼女の方が心変わりしたかのようだけど、すでにこの二人の「さよなら」は必然だったように思われる。相手の心の機微ではなく、自分の機微が時を流し始めている。彼がそれに気付けるのは、彼女が去ってからどれくらい後のことになるのか・・・
人の「さびしさ」との付き合い方、それは自分自身が自立することなのではないかと思うんだ。当事者として自分で受け止め、自分で埋めなくては・・・
その後に、やっと本当に相手を想う気持ちが満ちてくるのではないだろうか。誰かに埋めてもらおうとすることが恋心だと、どうして人は錯覚してしまうのか。
その後に、やっと本当に相手を想う気持ちが満ちてくるのではないだろうか。誰かに埋めてもらおうとすることが恋心だと、どうして人は錯覚してしまうのか。
いつまでも埋められることがないから、
それが 遠いロンリネス。
それが 遠いロンリネス。
※だけど、"欠けている"というのも悪くはないヨ (´∀`)
2011年12月17日
もうずっと前から好きな歌なのに、突然にもっと好きになることがある。『想い出の駅前広場』は小粒でピリリなとても存在感のある歌だ。曲は短いけど、よくまとまっていて、年齢や時代に関係なく、永く聴ける良い歌だと思う。
何か特別深い言い回しがあるわけでもなく、淡々と、ある普通の街の日常風景が切り取られて、そこに二つの時間のトレースがあるだけだ。でもこの良質のessayのような平坦な語り口調が、逆に乾いたせつなさを匂わせていて、とってもグッとくる。
元新聞部部長のkちゃんいわく、
「日常を綴るのに難しい言葉や引用は要らないんだ。 なるべく普通の言葉でなんでもないようなことを書くのがエッセイなんだ」
と・・・。
これはエッセイではなく"歌"だけど、Shoyanの歌が聴く人にいつも寄り添ってくれる理由はそこにある。
以前私も、
「Shoyanの歌は机の上の鉛筆立ての横にそっとあるカンジ」
と、どこかで書いたけど、この歌は特にそんな感じが濃い。
「悲しい」とか「辛い」、「好き」「キライ」などという感情はなく、ただ「なつかしい」という一言だけが詞の中にある。だけど、この彼女の今の気持や別れた当時の彼の事情みたいなものまでこの風景の中に塗り重ねられていて、それを音(言葉と演奏)で視るのが胸に沁みる。若きイルカさんの落ち着いた歌い方がクサくなくて、素直に歌の風景の中に聴き手も入っていけるのが親近感を感じてイインだ。
東京や新宿みたいな大きなターミナル駅ではなく、銀座や渋谷のような繁華街でもなく、ちょうど都会と郊外の中間のような文教地区の瀟洒な駅舎。吉祥寺とか池上線沿線とか小田急とか?・・・きっと付き合っている当時の彼女は都心を挟んで、やや遠い郊外などに住んでいて、帰る最終電車の時間を気にしていたのではないかしら・・・などと想ってみたりする。きっとその頃どこにでもあった普通の風景。1975年の原町田の駅なんかもとても良かった。
(まだ跨線橋が木造で・・・噴水はなかったかもだけど)
(まだ跨線橋が木造で・・・噴水はなかったかもだけど)
今、自分が地方都市に住んでみれば、こうした昭和な駅前はまだリアルに感じることもできる。
※実際にどこの駅か既出だったらゴメンナサイ
※実際にどこの駅か既出だったらゴメンナサイ
・・・
ここに青春を送ったリアル世代の人たちとも違い、私にとってみればこの歌のリアルタイムは子供の頃であって、その時分のことを想い出すと楽しかった幼い記憶が蘇って、その還らない日のことに泣けてくる訳だけど、これからずっと時が経って1970年代のことや21世紀の今さえも知らない人たちがこの歌を聴いたら何を想うのだろう。
作者のShoyanや演者のイルカさんがこの歌に留めたモノや、一緒に聴いていた人たちの心のせつなさなどは後の世の人たちの胸でどんな風に感じられるのか・・・出来る事なら生まれ変わって、何度でもこの歌に巡り会ってまた考えてみたいと想う。
・・・
彼女の声にならない"何か"で白く曇った窓は『なごり雪』の汽車の窓とは違って、普通の電車の出入り口のドアの窓だったかと思う。故郷と都会の壮大な距離ではなく、ほんの日常にあるちょっとした乗換えの・・・私鉄と国鉄くらいの乗り換えの別れが何気なさ過ぎて、ここではかえってせつない。
"映画のポスター"というほんの少しの小道具。ただのローカルな駅ではなくて、ある程度の規模の乗降客が多い駅。その人々の往来と、動かないあの日の彼の立ち姿。
この二人、ナゼ別れ際まで彼のポケットに彼女の手を入れるような、そんな親しげな動作をしているのだろう?最終電車を気にするような時間まで一緒にいた深いカンケイだったら・・・この淡い別れってなんなのだろう?
って。
って。
久しぶりに用があって来たこの街に、でももう今、彼は暮らしていない気がする。彼は、自分が去るから彼女と別れたのかなって想う。
きっと、この彼女、最後に
「ありがとう」
って言いたかったんだよね。
今はそんな風に想いながら聴いている。
2012年01月11日
たとえ、もう逢えずとも季節は変わりなく訪れるし、私の中のそう言った気持ちも毎年繰り返し湧いてくる・・・
止められない。
それがちょっと哀しいケド、この秋の曲たちを聴いている限り、あの日の自分と一緒にいられる気がしている。
それがちょっと哀しいケド、この秋の曲たちを聴いている限り、あの日の自分と一緒にいられる気がしている。
・・・・・・・
ニューヨークどころか、外国にはまったく行く機会がなかった私でも、この歌の景色は意外とリアルに視えたりする。
それは、聴き始めた当時にはわからなかったことで、1981年から何十年も経とうという今だからこそ歌に降り積もった時間が視える・ということかもしれない。大人になってからの方が好きになって解かるようになったかな。しかも、特にここ数年の秋に急にクッキリ炙り出てきた歌。40歳過ぎたほうが感じやすい事ってある。この歌が生まれた頃、出会った頃、その頃の世の中は比較的穏やかで平和だった・・・。
今の世のようにすべて把握しなくてもいい、曖昧な時間が沢山あった。そんな過ぎ去った時代を今懐かしく想う。
・・・・・・・
まさに"ニュアンス"って言葉がピッタリの光と蔭と少しの情報だけで構成された安らかな歌。カードを切るように変化していくメロディと、思いついたように連なっていく歌詞。
歌いだしの
「始めから僕は悲しくて見てた」
なんて、ほとんどイミフメイ。
(Shoyanの歌では歌いだしのフレーズが特徴的なものが多いが)
だけどそれが非常に幻想的で、一瞬登場する"絵を手に取った君"の印象と「美しい」というほんの一言だけが色づけされて視える。
もしかしたらこの手に取った"絵"は額縁じゃなくて、どこかの建物から見る窓の景色なのかなと想ったりもする。窓の桟に手をかけて外の景色(絵)を眺める君、それを眺める僕。その絵の中にはまた無数の窓があって・・・と、合わせ鏡のように、シーンが続く。
もしかしたらこの手に取った"絵"は額縁じゃなくて、どこかの建物から見る窓の景色なのかなと想ったりもする。窓の桟に手をかけて外の景色(絵)を眺める君、それを眺める僕。その絵の中にはまた無数の窓があって・・・と、合わせ鏡のように、シーンが続く。
TOKYOとNewYorkという単語に、そのビル群の無限のガラス窓ひとつひとつが絵のようで、味気ない街と美しい街、それを決めるのは人の言うこと・・・そして、目を落とせば欧州的な?公園や街路樹の色づく都会の樹々の色。鈴懸の大きな黄色い葉、つかの間の秋・・・人の心の移ろいやすさと巡る年月の裏表を感じるのだ。
※ヨーロピアンもNYも私は本当のことは知らないケド(´∀`)
・・・・・・・
「うち寄せる波」が、そのBlueな気持ちの原因なのだとしたら・・・ひと晩だけのものだとしたら・・・こんな交わり方、なんと粋な触れ合いなのだろう。
「暗黙の了解 目くばせもしないで」って、そんな、とても大事なことを何気にこういう歌に持ってくるShoyanのそのレイアウトこそがまた暗黙の了解なのでは?
と
密かに
熱く想う
密かに
熱く想う
目くばせもしないのだから・・・
それは相当曲者なのだ
それは相当曲者なのだ
ソコニキヅケバ オトナ カナ ?
しかもこの、♪目くばせもしないで~の部分の音階が本当に変わっていて美しくて、干渉色・イリデッセンスのような色合いに眩暈がしそうだ。ISESHOZO Bestメロディ上位にアル。『スモークドガラス越しの景色』のアルバムは、全体的にそういう感じのノビノビとした自由で美しいメロディが多いように想う。
・・・・・・・
以前、一度だけステージで歌ってくれたのを聴いたことがある。その時は嬉しかった。良い選曲だなって想った。このアルバムからの歌は表題曲以外、ほとんどステージで聴いたことがない。発売当時のツアーにも13歳の私じゃ間に合わなかったのだ(残念)。大好きな「二人の周期」にしたって、復活後のShoyanからは一度も聴いたことがなかった。だから品川での演奏は心底嬉しかったのだけど、その後また封印されてしまったのだろうか・・・
※軽井沢大賀ホールでのライブ初回に『軽井沢のキリギリス』、またその後今年2018年『SeaSideStory』『星の足跡』が聴けた。これはキセキ的♪成仏気味の私(*´Д`)。
※軽井沢大賀ホールでのライブ初回に『軽井沢のキリギリス』、またその後今年2018年『SeaSideStory』『星の足跡』が聴けた。これはキセキ的♪成仏気味の私(*´Д`)。
・・・・・・・
秋が一番「遠くへ来たなぁ」と想う季節。
ホンモノの美しく移ろう豊かな自然や、何気ない街路樹の輝く葉に青く澄んだ空を見れば、自分が今、都会にいないということがわかる。自分が今暮らしている町が美しければ美しいほど、あの日は遠くなったのだと想う。この歌は絵葉書ほどのフォトグラフ。そんな感じで時々引き出しから取り出して眺めるのがいい。風のない穏やかな秋の夕暮れに、いつかまたそこへ旅に出たいと想いながら・・・
2012年11月11日記を改
あれから何度目かのShoyanのお誕生日
今日も誰よりも遠くでお祝いします☆
Happy Birthday to SHOYAN
WITH LOVE♪
・・・
"星の足跡"ってなんだろ?
今日も誰よりも遠くでお祝いします☆
Happy Birthday to SHOYAN
WITH LOVE♪
・・・
"星の足跡"ってなんだろ?
流れる星の軌跡?
星に足がある?
それとも「そくせき」って読むの?
星に足がある?
それとも「そくせき」って読むの?
いや・・・
それは"○○な星の下に生まれた"
というような、人の命の波打ち際の
引き潮の湿った砂にポツリポツリと記された
小さな私たちの足跡のことかな・・・
というような、人の命の波打ち際の
引き潮の湿った砂にポツリポツリと記された
小さな私たちの足跡のことかな・・・
・・・
実はこの歌の"ai"に気が付いたのはShoyanが復活してからの90年代に入ってからだ。アルバム『スモークドガラス越しの景色』は(いつも書くように)自分にとって最古のアルバムで、本当に良く永く聴いてきたと思うけど、やっぱりこういう曲って控えめなイメージで、血気盛んな?十代の頃はなんとなく聴き流してしまっていた気がする。
でも、それから時が経って自分が壊れたり傷ついたりしてくると、こういう柔らかい歌の優しさに気付いたりする。
・・・
"いつもひとりでいたアノ頃"の"ちょっと哀しい時間"。その頃、"愛の在り様"みたいなことを深く考えさせられた。
あるとき、私がとても若いころ、その当時の特殊な立場(詳細省く)ゆえに嫌がらせとか、からかいみたいなことをある職業の年上の人たちからずっと受けていた。
(普通はそういうことを抑制しなきゃいけない立場の連中なのだ)
(普通はそういうことを抑制しなきゃいけない立場の連中なのだ)
具体的なことは省くからよくワカラナイ文章になってると思うけど、私はいつも部屋で独り待っているばかりだった。でも当時は幼いからどうしていいかわからないでいたし、そのうちに自分自身が複雑になってすべて考え過ぎて、答えを出せないことが絶望なんだと思っていた。
自分はどんどん嫌な奴になっていって、みっともない自分に更に嫌気がさして自分を放置していた。もうどうしようもなくなっていた時に、Shoyanが再び歌い始めてくれたんだ。
『冬京』を弾くShoyanがもの凄くカッコ良くて目が覚めるようだった。自分が昔買ってほとんど弾けないままだったギターを実家から持ってきて、弾けないなりにコードを追ってみた。難しいコードばかりだった。
でも、、、そんな中で、沢山ある歌、楽譜のある歌を自分なりに弾いて歌ってみて、
でも、、、そんな中で、沢山ある歌、楽譜のある歌を自分なりに弾いて歌ってみて、
「なんてシンプルな愛の歌だろう!」
って気付いたのがこの『星の足跡』だった。
こんな好い歌あったんだ♪って、心がほどけていくような気がした。複雑過ぎる嫌なキモチを丁寧に手作業でほどいてくれる歌だった。
そうやって、突然歌が咲く時がアル・・・
「具体的じゃなくていいんだよ」って、
新しいShoyanと懐かしいShoyanがタッグを組んでサポートしてくれるような気がした。Shoyan(の歌)は、私の一番近くに居てくれるんだ・って、気付いたんだ。だから、その日から寂しくなくなった。
新しいShoyanと懐かしいShoyanがタッグを組んでサポートしてくれるような気がした。Shoyan(の歌)は、私の一番近くに居てくれるんだ・って、気付いたんだ。だから、その日から寂しくなくなった。
案外、何気なく、さりげない歌が
本当は"最深部"なのかもって想う
本当は"最深部"なのかもって想う
男女の色っぽいやりとりの歌や、練りに練ったSTORY仕立ての歌が目立つのは当たり前かもしれないけど、こういう優しい愛のまなざしの歌があるから私はShoyanのことが好きなんだ。
でも、この歌どんな歌なのか・・・?
それは実は今でもよくわかっていない
でも、それでいいんだと思ってる
それは実は今でもよくわかっていない
でも、それでいいんだと思ってる
「答えのないコトが答えだヨ」
って、とても大きな世界に気付かせてくれたんだもの。今でも、そっと椅子にかけてあるブランケットみたいに私の傍にある歌なんだ☆日々は辛いことと嬉しいこと色々だけど、いつもこの歌から始めたい。丁度そんな頃の自分に戻って新しい自分と懐かしい自分で歩き出したいと想っている。
・・・追・・・
Shoyanは意外と?
Gutギターの人だ
Gutギターの人だ
この歌(アルバム)のクレジットにはギターはA.Guitarとしか書いていなくて、Shoyanの他に故T氏の名前があるだけだ。でも、私はこの間奏のギターってShoyanだと想ってる。
(フツーそう思うよね♪)
チョット弾き過ぎる、一目盛り多い音が好き(^^*)。
(フツーそう思うよね♪)
チョット弾き過ぎる、一目盛り多い音が好き(^^*)。
あと、英語が弱い私には全部は聴き取れなくてそれがちょっと悔しい(´∀`)
(※後年、ラジオで説明されたようだけど)
(※後年、ラジオで説明されたようだけど)
・・・
二度とは読めない運命は
引き返せない人生の記憶たち
波が洗ってくれたから
嫌な想い出はもう粉々になって溶けていった
引き返せない人生の記憶たち
波が洗ってくれたから
嫌な想い出はもう粉々になって溶けていった
でも、Shoyanの歌と一緒に築いてきた(気付いてきた)
愛おしい想い出はずっとずっと変わらない
砂で書いた文字ではなく・・・
潮溜りに取り残った小さな魚みたいに
ひっそりそこに在る
愛おしい想い出はずっとずっと変わらない
砂で書いた文字ではなく・・・
潮溜りに取り残った小さな魚みたいに
ひっそりそこに在る
またいつか、生まれ変わる時の満ち潮の波で
二人の海に還れたらいいと想う
その時は、浜辺の星砂が舞い上がって
とても綺麗な景色だろうと想う
二人の海に還れたらいいと想う
その時は、浜辺の星砂が舞い上がって
とても綺麗な景色だろうと想う
その時もそっと歌ってくれるだろう
~やさしく おやすみ......
って☆
@2012年書いたものに加筆
※2018年9月 軽井沢大賀ホールで聴けて本当に嬉しかった。
嬉しすぎてあんまりよく覚えてないから、もう一度聴きたいよShoyan。またどこかで歌って欲しいものです。(*´ω`)
嬉しすぎてあんまりよく覚えてないから、もう一度聴きたいよShoyan。またどこかで歌って欲しいものです。(*´ω`)
何年ぶりだろうこの悶絶は・・・(涙
提供曲、というのはこの何年かおきに何曲かあったわけだけど、garden以降、新曲『さよなら以外に』まで『君』が不在だった。
Shoyanの傍らから『君』が消えていたのだ。
女性アーチストへの提供や映画の主題歌、そして校歌などだったこともあり、キミの存在は必然ではなく・・・またそれ以外の以上の理由もあったのか・・・トモかく、『さよなら以外に』と『あの頃の僕は~セルフカバー』『夜のFM~新録音』でやっと、劇的に、Shoyanのもとに『君』が還ってきたのだ!
提供曲、というのはこの何年かおきに何曲かあったわけだけど、garden以降、新曲『さよなら以外に』まで『君』が不在だった。
Shoyanの傍らから『君』が消えていたのだ。
女性アーチストへの提供や映画の主題歌、そして校歌などだったこともあり、キミの存在は必然ではなく・・・またそれ以外の以上の理由もあったのか・・・トモかく、『さよなら以外に』と『あの頃の僕は~セルフカバー』『夜のFM~新録音』でやっと、劇的に、Shoyanのもとに『君』が還ってきたのだ!
そしてこのHIRO氏ソロアルバムの4曲の歌詞提供。
聴いて読んで腰が砕けた、へたりこんでしまった。
その言葉の圧と、心地よいカオスが懐かしくて、こなれた香りと温度が堪らないのだ。
いっぺんに4曲は語れないので、今はまず手触りの第一声だけだけど、HIRO氏のギタリストらしいメロディーや声、アレンジも最高マッチしていて今手放せなくなっている。
聴いて読んで腰が砕けた、へたりこんでしまった。
その言葉の圧と、心地よいカオスが懐かしくて、こなれた香りと温度が堪らないのだ。
いっぺんに4曲は語れないので、今はまず手触りの第一声だけだけど、HIRO氏のギタリストらしいメロディーや声、アレンジも最高マッチしていて今手放せなくなっている。
Shoyanのこの寓話的な世界、多くの歌にあるような映画や小説的なアプローチとはちょっと違う、絵本・紙芝居的な世界はとてもスパイシーで夢を魅させてくれる。それらの歌も私は大好きだった。
『12月の砂』や『月に咲く花』『星と月のピアスと君の夢』『さそり座の森』『JUN』『南の魚のミステリー』『Cut&Paste』『カムイの詩』など、Shoyanの"謎"は虹色で深くてセクシーなのだ。
解ろうとしないことが分かること・という、ボタンを掛けないシャツのような自由な逍遥があったのだ。
そして『メガロポリスの錯覚』『Junk Food』のような示唆的な愛と哀のirony・・・それは実はモノスゴク”伊勢正三的”な本来のアプローチで、私はそれに喚起されて歓喜するのだ。
『12月の砂』や『月に咲く花』『星と月のピアスと君の夢』『さそり座の森』『JUN』『南の魚のミステリー』『Cut&Paste』『カムイの詩』など、Shoyanの"謎"は虹色で深くてセクシーなのだ。
解ろうとしないことが分かること・という、ボタンを掛けないシャツのような自由な逍遥があったのだ。
そして『メガロポリスの錯覚』『Junk Food』のような示唆的な愛と哀のirony・・・それは実はモノスゴク”伊勢正三的”な本来のアプローチで、私はそれに喚起されて歓喜するのだ。
ご自身名義の曲よりも、実は提供曲の方がナマナマしいことがある。
実験的であったり、歌う人のキャラクターに合わせて誘引してみたり、枠を意識しながらも実は無意識の裸の言葉だったりして・・・油断できないのが醍醐味なのだけど、今回の4曲は詞だけなのに濃いぃ濃いぃ、、、張り倒されたような気持ちで安堵の中にいる。
実験的であったり、歌う人のキャラクターに合わせて誘引してみたり、枠を意識しながらも実は無意識の裸の言葉だったりして・・・油断できないのが醍醐味なのだけど、今回の4曲は詞だけなのに濃いぃ濃いぃ、、、張り倒されたような気持ちで安堵の中にいる。
風一色、これでもかというほど、今年に入っても風・・・あぁ風!!!な中で、私の孤独が吹き飛ぶようなShoyanの新しい吐息!もう本当に生きる源の言葉をたくさんもらって生き返ったような気がしてる。
新しい伊勢正三、だけどこれぞ伊勢正三、な、コレ久しぶりの正がある奴だ・ということはマチガイナイ!
新しい伊勢正三、だけどこれぞ伊勢正三、な、コレ久しぶりの正がある奴だ・ということはマチガイナイ!
今年後半一気に甦った私ですよっ。
素晴らしい機会を構築してくれたHIRO氏たちに感謝。
そしてShoyan、これを待っていました。
まだ、まだまだ、もっと聴く喜びを・・・
素晴らしい機会を構築してくれたHIRO氏たちに感謝。
そしてShoyan、これを待っていました。
まだ、まだまだ、もっと聴く喜びを・・・
ここのところの急な猛暑で激しく体力を消耗して、仕事中もずっと頭がグルグルしている。でも一番暑い時に聴きたい歌は『夕凪』。この歌もレコードがずっと手に入らなかったので知ったのは随分後だけど、とっても好きな歌だ。毎年、夏のある時期に必ず聴く。
(数奇が高じてカクテルまで作ってしまった)
アルバムを手に入れられるまで歌詞だけはギター譜で読んで知っていたけど、どんな歌だろうって思っていた。普通に一編の詩のように諳んじていた。
タイトルが"夕凪"で、KAZEラストアルバムの本当のラストの一曲。Shoyanは「KAZEは解散していない」とおっしゃっていたけど、どう考えても"停止"はしたんだ。そして一抹の砂塵を残して去った・・・(見えなくなった)。
・・・
何故か漠然と悲しい歌かと思っていた。でも、実際はとっても甘い歌だった。ベッドルームの天蓋が幕を下ろすように暮れる夕日の杏色。隔絶のような宵闇のブルーブラック。ギリギリしたギターの、そのスライドの渦の中にその頃のShoyanの姿が吸い込まれて消え隠れゆくようで、置いていかれる側は切ない。
その先の世界が甘そうなのが非常に切ない。一見"たおやめぶり"なこの歌、だけど、その実は別れ際まであどけなく惚気る"罪作りなオトコ"みたいな歌・・・?
「KAZEラストという意味でショックだったけどこの歌は好き」という人は結構多い。「寂しいんだけど、悔しいんだけど好き」という複雑な想い入れがあるらしい。当時を知らない私はこの麻薬のようなスライドギターの撫で心地が好きで、"たゆとう感"に浸りまくっていた。幾重にも重なるヴェールの中を彷徨うような、ちょっと絶望的な導きが好きだ。追うものが絶対に辿り着けない夢の国へ、一足先に旅立ってしまったアナタの音だ。
「KAZEラストという意味でショックだったけどこの歌は好き」という人は結構多い。「寂しいんだけど、悔しいんだけど好き」という複雑な想い入れがあるらしい。当時を知らない私はこの麻薬のようなスライドギターの撫で心地が好きで、"たゆとう感"に浸りまくっていた。幾重にも重なるヴェールの中を彷徨うような、ちょっと絶望的な導きが好きだ。追うものが絶対に辿り着けない夢の国へ、一足先に旅立ってしまったアナタの音だ。
地上人の心を忘れて月世界に還る、天の羽衣を纏ったKAGUYAHIMEを見送る心地かな。
(KAZEなのに(笑))
自分がこの時、リアルタイムでファンだったらどう思っただろう。
やっぱり"素敵な曲だなぁ"って憧れて、あとで少しだけ寂しく思ったかもしれない。
やっぱり"素敵な曲だなぁ"って憧れて、あとで少しだけ寂しく思ったかもしれない。
(イマモチョット ソンナキモチ・・・)
・・・
この歌の、ほんの五分の間は暑さも忘れる。"凪"を楽しむためにクーラーも消して部屋の灯かりも消して東のベランダで月の出るのを待った夕刻を想い出す。究極の節電ソング♪
あまりに暑いとむしろ無抵抗になり、なすすべもなく無風に理由をつけたがったりして・・・。風が止まることに美しさを見出す日本人の感性はある意味、マゾヒスティックなニュアンスもあるのでは?なんて想う。
今年はまた特にこの歌が愛おしい。
夏の終わりの美しい歌。
夏の終わりの美しい歌。
数年前はもうステージでは聴けないのかな・・・と思っていたけど、近年軽井沢のライブなどでやってくれて本当に嬉しかった。本来の甘さを味わいなおすかのように、思い入れたっぷりに演奏してくれたステージは、当時を知らない私にも同じ官能をわけてくれました。寂しさは去っていきました。がしかし・・・
・・・
凪の前後では風向きがまったく変わる。
それをどんな風に感じるのかは聴き手の自由で、どちらに頬を向けていれば心地良いか?それは各々で決めればよいこと。再び吹き始める風がほんの微風でも、すぐにわかるほど今の私の頬は熱い。
それをどんな風に感じるのかは聴き手の自由で、どちらに頬を向けていれば心地良いか?それは各々で決めればよいこと。再び吹き始める風がほんの微風でも、すぐにわかるほど今の私の頬は熱い。
懐かしい日のあの軒先で、いつまでもその風を待っている。今年だって、あの日と同じ月・・・だから、直近のまるで嵐のような極端なリバイバル風の外でも、私は自分の凪の中で待っているのだ。
今のShoyanはまたあの頃と逆の扉の向こうへ戻っていった。
それはあの頃したように、ゼロから100への篩かけなのかもしれなくて、私はふるい落とされたのかもしれないけれど・・・それでも、酷な暑さを楽しむような気持ちで待っている。
今のShoyanはまたあの頃と逆の扉の向こうへ戻っていった。
それはあの頃したように、ゼロから100への篩かけなのかもしれなくて、私はふるい落とされたのかもしれないけれど・・・それでも、酷な暑さを楽しむような気持ちで待っている。
Shoyanが目の前から消えるのには慣れているからね(笑)!
追:
追:
夕涼み中に本当にコガネムシが飛び込んできたら、大抵の女性はその羽音に拒否反応で大騒ぎするんじゃないかな(´∀`)。
でも、この色白のキミの笑顔は冷静で余裕・・・お人形さんみたいで、だからなんとなくこの歌はお伽話の一場面みたいに思えるのかもしれない。
でも、この色白のキミの笑顔は冷静で余裕・・・お人形さんみたいで、だからなんとなくこの歌はお伽話の一場面みたいに思えるのかもしれない。
この猛暑も今日の夕立で数時間だけ収まっている。
一昨日からほんの一匹だけ、どうやらコオロギが鳴き始めた。昼間は毎日37度なのに、、、蝉は音が割れるくらい大きな音で鳴いている、暑過ぎてヤモリがいなくなっちゃった!?コオロギ君暑くないの?
一昨日からほんの一匹だけ、どうやらコオロギが鳴き始めた。昼間は毎日37度なのに、、、蝉は音が割れるくらい大きな音で鳴いている、暑過ぎてヤモリがいなくなっちゃった!?コオロギ君暑くないの?
また台風が近づいているけど、前回の風、今回もこちらはたいしたことはなくて、植木鉢ひとつ転がらなかった。南風コンニチワ♪って感じだった。
♪君を抱いたそのあとで~
君の寝顔 横にして~
君の寝顔 横にして~
実はこのフレーズ、最高に色っぽいのに誰も言及しない。何気なさ過ぎて、この生々しさがスルーされてる感。あなどれない若き日のShoyanのリアル?・・・どうも、初めて聴いたアルバムで中学生頃のことなので、過敏に反応した若き日の自分をひきずっている。マセテタネ。だってドキドキするっしょ?何この二人ナニしてたの!?って14歳では過剰反応してしまいますよ(笑)。
でももうその頃(1982年?)には、実際の世の中にはこういった恋人たちの風景は少なくなっていたような気がする。若者はどんどん垢抜けていって、リッチになって、クルマやバイクやマンションやラブホ(!?)や避暑地や海外・・・と、二人の時間を過ごす場所やアイテムは激変していたと思う。
この歌には鉢植えの朝顔とか、風が窓をたたく木枠のサッシと薄いガラスとか、路地裏の質屋の看板とか、なんとなく、まだシンプルな同棲の風景が見えるんだ。それだけに、若い二人の素肌が香るようで、初々しくてチョッピリ切ない感じがイイんだ。普通、男が先に寝ちゃうでしょ?とか想いつつも、無防備に寝ている事後の彼女の寝顔からふと目を遠くに向ける彼の"我に還った感じ"がホントの色っぽさ・・・と。
そこにこうせつおいちゃんのカラリとしたメロディーが嵌って、石川鷹彦師匠のトロピカル風味なアレンジで、フルーツガムみたいな不思議な感触の歌になる。すごく深い訳ではないけど、スナップ写真みたいな日常感がいい。
今みたいに遠く、時間の経った後で聴いた方が"何気なさ"がいかに貴重なことだったかよくわかるだろうと想う。
今みたいに遠く、時間の経った後で聴いた方が"何気なさ"がいかに貴重なことだったかよくわかるだろうと想う。
この声、今のShoyanでも違和感ない♪(たぶん)
サクっと歌ってみて欲しいな。
今のShoyanならとても可愛く歌ってくれそうだ(´ー`*)
サクっと歌ってみて欲しいな。
今のShoyanならとても可愛く歌ってくれそうだ(´ー`*)
※でもそんな機会いつどこに?(笑)
・・・
今はもういないカゲマル君の声。
のちに歌のタイトルになったlalaちゃんと子犬たち。
Shoyanは意外と自分の愛したものたちを歌の中に残すことも多いのでは?と今更に想う。(このSEはShoyanのアイディアではないかもだけど)その時その時に愛したものたちを、後々想い出すことは悪いことじゃないネ。
のちに歌のタイトルになったlalaちゃんと子犬たち。
Shoyanは意外と自分の愛したものたちを歌の中に残すことも多いのでは?と今更に想う。(このSEはShoyanのアイディアではないかもだけど)その時その時に愛したものたちを、後々想い出すことは悪いことじゃないネ。
擬人化した南風は時の流れのようで、こちらが何か問いかけても、待って!といっても知らん顔で去ってゆく。愛した時間が去ることも、それも季節が変わってゆくことと同じ様なことなんだね。
アレ 荒木一郎的なオチになってしまった(´∀`)
と、そんな4~50年前の歌たちの手触りを懐かしむまた今年の夏でありました。
と、そんな4~50年前の歌たちの手触りを懐かしむまた今年の夏でありました。
今年もまた台風12号が来た。
少し変な進路で・・・
もう24年前とは違うのよ・って改めて言い聞かせに来たような未来の台風。あの頃から変わったものは、部屋の眺めと私の時間。あれほどひとりだったのにね、今はほんのひと時だけの台風情報。やることが沢山あるし迷いもない。
・・・
「送ってゆくよ」と 僕に言わせたのは・・・
少し変な進路で・・・
もう24年前とは違うのよ・って改めて言い聞かせに来たような未来の台風。あの頃から変わったものは、部屋の眺めと私の時間。あれほどひとりだったのにね、今はほんのひと時だけの台風情報。やることが沢山あるし迷いもない。
・・・
「送ってゆくよ」と 僕に言わせたのは・・・
それは
「帰れなくなるヨ」
なんて、慣れないからかい言葉を思わず言ってしまった僕自身。
自爆・・・(´Д`;)
ナゼ、「いいじゃん、泊まっていけば(キリッ)」
って言えなかったか。
自分で逸らしてしまった自己完結のジャンクション。恋のドロップアウト・・・すでに溢れてるコップと最後の一滴が注がれていないカップ。彼と彼女の目盛りの微差が切ない。
果たして、"君の唇に届いた永遠"もまだどこかに在るのだろうか?
そちらの未来に進めなかった迷走台風が、今は温帯低気圧になって、ほろ苦く、あの洋上でため息ぐらいの風になっているのかな・・・
・・・
今日の台風、山にも少し来ている。
山を越えて海を落としていく。
この町には慣れない湿気。
だけど、どこか懐かしい。
山を越えて海を落としていく。
この町には慣れない湿気。
だけど、どこか懐かしい。
東向きのあの街は、こんな日には少しは潮の香りがしただろうか。
今の私ならわかるだろうにな、と音を消したテレビのニュース画面を眺めている。
雨が打ち付けるあの窓の中を想いながら・・・
さて、そろそろ寝なくっちゃ。(*´ω`)オヤスミナサイ
今の私ならわかるだろうにな、と音を消したテレビのニュース画面を眺めている。
雨が打ち付けるあの窓の中を想いながら・・・
さて、そろそろ寝なくっちゃ。(*´ω`)オヤスミナサイ
プロフィール
HN:
No Name 七氏−1.0
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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