Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。 管理者∶No Name 七氏−1.0
"地平線の見える街"って、どこのことだろう。
"地平線の見えるところ"とは、単なる場所ではない気がする。
・・・・・
とても印象的なイントロ。
12弦ギター?それがとても軽やかで、男同士の・友同士の別れの場面を明るく透かして見せてくれる。別れではなく、旅立ちなのだ・と。
12弦ギター?それがとても軽やかで、男同士の・友同士の別れの場面を明るく透かして見せてくれる。別れではなく、旅立ちなのだ・と。
この歌の「カリフォルニアの歌」ってどんな歌なのだろう?西海岸系、昔の歌・洋楽に詳しくないので雰囲気しか推し量れないけど、こういう歌が流れてくる男の部屋なんてイイジャナイ。
"男の気まぐれ"で旅に出るシリーズ。やはりあとに残るほうは切ないね。
でもちゃんとお別れの挨拶が出来て、それがいつかまた未来に繋がる気がする。
でもちゃんとお別れの挨拶が出来て、それがいつかまた未来に繋がる気がする。
きっとこの見送る彼は地元の人で、生まれた場所から出たことのない、長男か跡取りみたいな真面目な人なんだろうと思う。そして旅立っていく彼もまた自由人でありながら、誠実で情に篤い男なのだろうと思う。
「酒と涙の味が同じだった」
「あの頃はとても よかったね」
「あの頃はとても よかったね」
って、「あの頃」と言うほど以前からここに居たのだろうか・・・
「いつもの気まぐれ」と言うほど旅慣れているようで、でもそれほどこの街は居心地が良かったのかもしれない。
「いつもの気まぐれ」と言うほど旅慣れているようで、でもそれほどこの街は居心地が良かったのかもしれない。
・・・恋もしたのかな・・・?
まるで、古い時代の中国シルクロードの関所や出城で西の方に旅立つ友を送る一編の漢詩のようで、こういう別れの場面に私は非常にグッと来てしまう。
勧君更盡一杯酒
西出陽關無故人
西出陽關無故人
君に勧む 更につくせ 一杯の酒
西の方 陽関を出れば 故人なからん
西の方 陽関を出れば 故人なからん
みたいな・・・
同じアルバムの『君と歩いた青春』とは逆の、"君が男だった"から訪れた素敵な関係。いつ聴いても憧れる。
車好きのようだけど汽車で旅立つ彼は、きっと乗りたい車は外車かなにかで、旅をしながら貯金中なのかな(´∀`)。次に再会する時はこの街にその大きな車で寄るのかな。隣に誰かを乗せて・・・♪
・・・・・
"地平線の見えるところ"というのは、どこか決まった場所のことではなくて、きっと、リミッターのない自由な心のことではないだろか。
制約と、しがらみの多いこの国で・・・遮るものがない清清しい果てしなさ。そんな景色を胸に展開できる人が棲む街が、"地平線の見える街"。
制約と、しがらみの多いこの国で・・・遮るものがない清清しい果てしなさ。そんな景色を胸に展開できる人が棲む街が、"地平線の見える街"。
イメージでは地平線が見えるほど広いところって「町」なのではないだろうかと思うのだけど、(ラスベガスとかなら街でもアリだろうか・・・行ったことないけど^^;)この歌はすべて「街」だ。この歌を作った頃からShoyanは「町」と「街」を意識されていただろうか・・・?『遠い街』『アビーロードの街』からKAZEの曲では引用はほとんど「街」だ。(なぜか『ほおづえをつく女』は「町」)この頃は「街」という字が気に入っていたのかナ。
目の前に居るのに「あいつ」と呼ぶのも面白く、でもそれがこの照れ臭さを感じさせてイインだ。以前も書いたけど、この男同士の別れは男女のラブソングよりもある意味キュンとして、Shoyanの情愛の豊かさを想わせてくれる一編だ。
・・・・・
聴けば聴くほど好きになる曲。
聴くほうは残るほうか、旅立つほうか。
どちらに寄り添っても気持ちの良い切なさを味わえる
素敵な歌だと想う。
聴くほうは残るほうか、旅立つほうか。
どちらに寄り添っても気持ちの良い切なさを味わえる
素敵な歌だと想う。
KAZEのイメージにぴったりで大好きな一曲だ。
さわやかで それでいてセツナイの♪
2011年10月02日 記
※本当はもう少し寒くなったらと思っていたのだが、今載せておこうと思う。2010年のセルフカバーアルバムを聴いて当時想ったことです。
・・・
・・・
元のかぐや姫LIVEに収録の『置手紙』が歌われて録音された頃は、私にとっては前世くらいの遥か昔で、まだ幼稚園か小学校一年生の頃のことだから100%想像で受け止めるしかない世界だった。
初めて聴いたのは10代半ばで、確かにハタチ前の身に合わない一大決心をして苦しんで迷ったこともあった。そして飛び込んではみたものの、壊れたり破れたり結ばれたり・・・そのこともこの歌と共に長い事一緒にあったのだけれど・・・そのことは、、もう、いいのかなと思う。
・・・・・
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今回、この新しい『置手紙』を聴いていると自分が二つに分裂してしまいそうだ。色んな情報と比較してキッチリ分析しようとする背伸びな自分と、フレーズひとつひとつに自分の個人的な想い出を掘り起こしてしまう妄想ギリギリの自分と・・・二つに分裂して混乱中。だから、上手く書けるかわからないけど、まずは思いつくまま残していきたい。
今回収録された『置手紙』は、最近のライブで演奏・構築されてきたShoyanの、いい意味での"こだわりをうまく漉き込んだ軽やかさ"が良くコーティングされて録音されていると思う。その心音直結のギターフレーズに、細井さんのピアノの結び目が良いアクセントになって、とっても懐深いセルフカバーになったと思う。この歌は単なるカバーではなく、全くの"オリジナル・新曲"として聴いてもいいのでは?と思うほどだ。
歌詞やメロディーは同じでも、何十年!もの月日が流れていれば技術や携わる人間や聴き手の環境の変化は大きい。そしてShoyanご自身の心と肉体とテクニックの進化・変化もおおいにあっただろうと思う。それがどう影響して具現化してくるのか、とても興味があった。
歌詞やメロディーは同じでも、何十年!もの月日が流れていれば技術や携わる人間や聴き手の環境の変化は大きい。そしてShoyanご自身の心と肉体とテクニックの進化・変化もおおいにあっただろうと思う。それがどう影響して具現化してくるのか、とても興味があった。
改めて今、スタジオで録音して、Shoyanがイチから歌いなおした時点でそれはもう別の人格(歌格?)を持った第二の音源だと思うんだ。それほどパワフルだもの。そこまで出来る・と確信したから今回こういうカタチに踏み切ったのだろうなって、心の底から納得&感激している。
かぐや姫LIVEフォーエバーのLiveバージョンも、ベストドリーミンのLiveバージョンも、最初の「かぐや姫LIVE」の音源以上にはなっていないような気がしてる。オリジナルの「かぐや姫LIVE」の『置手紙』はとっても良く出来ていて、石川さんのマンドリンとShoyanご自身の哀愁のある若さが軸となって、とても完成度が高いと思うのだ。すでに一応の完結をしている音源だったのじゃないだろうか・・・(LIVEフォーエバーのスキャット部分は今でもスキだけど♪)
だから、その後のライブの音源は"なぞっている範疇"を超えることが難しく、そのまま時間が過ぎてしまったのではないだろうか。
モチロン、いつも全力投球のShoyanのその時その時の思い入れはちゃんと込められてはいると思うけど、2000年ベストドリーミンの音源などは、今回のセルフカバーと比べるとずいぶん音の角度が浅いように思う。
・・・
2010年のこの『置手紙』は濃い。
Shoyanの歌がリアルで近い。
近い・ってどういうこと?
近い・ってどういうこと?
昔の、硬質な透明感のある声も素敵だけれど、ラリックやガレのガラス工芸みたいな柔らかな琥珀色の今の歌声は、聴き手の魂が吸い込まれるような甘い響きを湛えている。Shoyanがこちらに近づく以上に聴き手の魂もそこにスゥっと引き寄せられるからグッと近くなるんだね。
近いというより"一体"と言ってもいいんじゃないかしら・・・
今までの、長い永い時間を経て来ての"本当の大人の男"な感じがとても寛くて切ないのだ。そしてあのギターの弦と指(爪?)が作り出す新しい音・メロディーは、歌詞以上の意思をも伝えてくれる。
だからココが新しい。
新曲と同じ意味を持つんだと思う。
置手紙の"追伸"の部分がここにあるのだと思う。
新曲と同じ意味を持つんだと思う。
置手紙の"追伸"の部分がここにあるのだと思う。
あのラストのギターは
「今、君はどこにいるの?」
「あの日の僕はどこにいったのだろう」
「そう回顧している間にも時は流れていくのだね」
「ゴメンヨ、今になって好きだよ」
「もう逢えないけど、どこかで許しておくれね」
「あの日の僕はどこにいったのだろう」
「そう回顧している間にも時は流れていくのだね」
「ゴメンヨ、今になって好きだよ」
「もう逢えないけど、どこかで許しておくれね」
と聴こえる訳(>_<)・・・
当時の曲は
「何かが巡るならまた逢えるかもしれないけど、さようなら・・・」
「二人でいることは、今の僕にとっては不自然なんだ」
「二人でいることは、今の僕にとっては不自然なんだ」
って、そんな一方的な決別の歌だった気がする。
まったくもって置いていかれてる彼女が可哀想過ぎる。
男だけが先へ先へ旅立ってしまう別れだ。
まだ未来に沢山の時間がある、若さの残酷さがそこにあったと思う。
男だけが先へ先へ旅立ってしまう別れだ。
まだ未来に沢山の時間がある、若さの残酷さがそこにあったと思う。
だけど、今回の『置手紙』はその長い旅さえも通り越して時間の果てに辿り着いた者の、振り返りのニュアンスもセッティングしてあるように思う。(それがShoyanご本人の意識的なものか・無意識なものかはわからないけど)
"最後の男の気まぐれ"と言いながら、まだきっとこの彼の物語は先があったに違いない。この時点でこの彼もまだ自分の未来を知らずにこの部屋を出たのだと思う。
"最後の男の気まぐれ"と言いながら、まだきっとこの彼の物語は先があったに違いない。この時点でこの彼もまだ自分の未来を知らずにこの部屋を出たのだと思う。
「旅の始まりには君がいた」という、やっと今になって振り返ることが出来る、そんな、一巡した恋しさ・懐かしさをこの『置手紙』に想う。
一粒のラムレーズンをギュッと噛んだ時みたいな、甘酸っぱくて鼻に抜ける恋心の揮発を感じるのだ。
セツナイ~・・・
・・・
・・・
ギターのトレモロは想い出の街角に転がり舞う落ち葉の行方かな。師走の風に吹かれてクルクルと去るフェイドアウト・・・マンドリンの二本の弦のように垢抜けていないけど、その分、最後のフレットの一本の弦にこの後姿の不器用な愛が滲む。
Shoyanらしい暖かい音だと思う。
しかし何故かこのアルバム、LPレコードを聴いているような気分になるのが不思議な心地良さ♪
ザラっとして天然素材っぽいセンチの演奏。パチッパチっと針の弾ける音が聴こえるような気さえするこの『置手紙』。
2011年01月07日 記
※セルフカバーセレクション発売時に書いたものです。
・・・・・
もう何年前になるか、このものろーぐの元のデータで一番最初に書いたのが『夏は知ってる』なのだけど、セルフカバーセレクションをずっと聴いていたら、なんだか無性~にCrosby, Stills&Nashが聴きたくなり、2枚しか持っていないアルバムを発掘してきた。(今まで実家をいくら探してもなかったのに、壊す直前に箱ごと出てきた!)
もう10年近く聴いていないのに、あの頃ピンと来なかったとこまでなんだか今チョット泣ける。
「あれ、こんなに良かったっけかな・・・」って。
『Just A Song Before I Go』 好きだな。
『青い目のジュディ』なんて、私がゼロ歳の頃の音源なのか・・・この、今のShoyanのすべても40年後、50年後まで聴いていたい(涙)。
・・・・・
♪海辺はとても汚れてしまった
あの頃の二人には 戻れなくて・・・
あの頃の二人には 戻れなくて・・・
♪あの頃君と歩いた海辺は埋め立てられて
砕ける波の 自由さえも 奪い・・・
砕ける波の 自由さえも 奪い・・・
この歌が世に出た頃=30年前には「戻れない」と思ったその"海"も、もしかしたら、こんな現在は時が一巡して自浄作用みたいなものが働いて、意外と、思っているよりきれいな波打ち際が還って来ているのじゃないかしら・・・
二人はもう、今一緒にはいないかもしれない。
でも"二人の海"はそこで、そのままあの日のままの波を寄せて、反してを何十年も繰り返していたんだ。
でも"二人の海"はそこで、そのままあの日のままの波を寄せて、反してを何十年も繰り返していたんだ。
こんなに時が経って、その間に様々なものが浄化されて、いつしか澄んだ海辺が戻ってきていたのではないかと、このShoyanの声を聴いていてそんなことを想うのだ。それほど時は流れたのだと、しみじみと想う。
賑わい、発展を遂げて、充ちて満ちて、いけるところまで行った時、得たものも多かったけれど、一番大切なものを汚して・・・去っていく時間。その後に残るのはなんだろう?
たぶん、美しいだけで人生は済まない。
甘い思い出ばかりじゃない。
甘い思い出ばかりじゃない。
『スモークドガラス越しの景色』は、歌の中に何か具体的なやりとりがあるわけでもなく、ただ、ほんの少しのアイコンが置かれるだけで、車でハイウェイを移動してゆく様と、過ぎた夏の日が歌われているだけなのに、その、経過とともに浮かぶ想い出=あの頃の二人の、そのほんのりした景色が切ない。ハッキリ見えないから切ないのだ。(だから"スモークド"なのかしら)
記憶はスモークドガラスの向こうにあるように、いつしかシルエットだけになってゆくようで・・・
・・・・・
今は誰も座っていない助手席の空間
その夕映えのドアガラスには
運転する自分が映り込んでいる
その夕映えのドアガラスには
運転する自分が映り込んでいる
明かりの灯り始めた海辺の街並みは
スピードを上げれば流れて去っていき
外が暮れれば暮れるほど
黒くなった窓ガラスに独りの自分の姿だけ映る
スピードを上げれば流れて去っていき
外が暮れれば暮れるほど
黒くなった窓ガラスに独りの自分の姿だけ映る
そんな本当の"ひとり"に戻ってしまうまで
夕陽が沈んでしまうまでのもう少しの間
君との想い出にしばし浸っていたいのだ
夕陽が沈んでしまうまでのもう少しの間
君との想い出にしばし浸っていたいのだ
・・・と
Shoyanの紗がかかったような声の重なりが美しくて、その甘い熟した香りと比べると、81年バージョンはまだ青いパパイヤのサラダのようだ♪(あの丁寧さもタマラナイのだけども)今回、この曲が一番原曲と変わらないような気がして、それだけにShoyanご自身に絞ってのアプローチの経年変化が良く比較できると思う。どちらが良い悪いじゃなくて、1981年と2010年がユニゾンで聴こえるのが掛け算の贅沢♪
原曲はもう何回聴いたろうか?
一番最初に買ったソロアルバムだから、きっと生涯一番多く聴いていると思うけど、でも、この2010年のバージョンも全然違和感がなくて正直、驚いているくらいだ。どちらもまさにShoyan!!!81年のいい意味でのソフトネスな輪郭を、今回はシャープネス効かせた感じで、強いタッチ、強いコントラストになったのが少し違うくらいで、陽の色味・潮風の匂い・加速の踏み込み感、それはどちらも同じShoyanの音楽の心地良さそのままだ。それはとても良い事だと思う。最初は「どれだけアレンジが変わったのかな?♪」と、新しいアレンジを楽しみにしていたのだけど、これだけ変わらないのも面白い。だから、時が一巡したような感じを覚えるのだな。
一番最初に買ったソロアルバムだから、きっと生涯一番多く聴いていると思うけど、でも、この2010年のバージョンも全然違和感がなくて正直、驚いているくらいだ。どちらもまさにShoyan!!!81年のいい意味でのソフトネスな輪郭を、今回はシャープネス効かせた感じで、強いタッチ、強いコントラストになったのが少し違うくらいで、陽の色味・潮風の匂い・加速の踏み込み感、それはどちらも同じShoyanの音楽の心地良さそのままだ。それはとても良い事だと思う。最初は「どれだけアレンジが変わったのかな?♪」と、新しいアレンジを楽しみにしていたのだけど、これだけ変わらないのも面白い。だから、時が一巡したような感じを覚えるのだな。
・・・・・
間奏のギターの音がスゴク好き。
アオサギのような大きな水辺の鳥のはばたきと、車線変更のドキドキ感が縒り合わさって2コーラス目へ続く。
アオサギのような大きな水辺の鳥のはばたきと、車線変更のドキドキ感が縒り合わさって2コーラス目へ続く。
♪体預けて 沈んでゆくサスペンション・・・
時折、低い声のときに開く快感がある・・・
Shoyanの歌唱というと、昔から高音に話題が行きがちな気がするけど、今回のアルバムではポイントは低音だと思うんだ。その辺は・・・『渚ゆく』ででも書こ♪
Shoyanの歌唱というと、昔から高音に話題が行きがちな気がするけど、今回のアルバムではポイントは低音だと思うんだ。その辺は・・・『渚ゆく』ででも書こ♪
しかし・・・
バンド演奏・編成というのは本当にいい(´∀`)。
音の羅列が音楽なのではなくて、肉体が奏でるバイブレーションが音楽なんだ。そういう音を私は聴きたいんだ・って改めて思わせてくれた今回のセルフカバーだった。
バンド演奏・編成というのは本当にいい(´∀`)。
音の羅列が音楽なのではなくて、肉体が奏でるバイブレーションが音楽なんだ。そういう音を私は聴きたいんだ・って改めて思わせてくれた今回のセルフカバーだった。
本当に、「歌は人」なのだと思う。
伊勢正三という人の感性と身体を透過して聴こえてくる景色は天然の美しさがある。それは私にとっての故郷でもあるし、そしてどこか自分の胸の中とも同じ景色なのかもしれない・・なんて、今ちょっと子供のように都合良く想っていたりする☆
伊勢正三という人の感性と身体を透過して聴こえてくる景色は天然の美しさがある。それは私にとっての故郷でもあるし、そしてどこか自分の胸の中とも同じ景色なのかもしれない・・なんて、今ちょっと子供のように都合良く想っていたりする☆
・・・・・
Shoyanの海は、
やっぱり何年経っても変わらないと思う。
やっぱり何年経っても変わらないと思う。
その海岸を走るICのない"時間のハイウェイ"
制限速度は自分で決めていいのかもしれない。
制限速度は自分で決めていいのかもしれない。
2011年01月29日
※2012年5月~数回分をまとめたものです
・・・・・
「戦争は嘘かもしれない・嘘だろう」
って、誰が言ったんだろう?
某所のインタビューでShoyan自ら
"でも一番伝えたかったのは
「戦争は嘘(うそ)じゃない 本当のこと」
という歌詞"
「戦争は嘘(うそ)じゃない 本当のこと」
という歌詞"
とおっしゃっていた。
だから一番気になる。
だから一番気になる。
NASAのアポロ月面着陸映像を嘘だ・という説を信じる若者が多いというけど、そんな話のレベルとはワケが違う・・・
どこから"戦争は嘘"という前提が出てきたのだろう?
どこから"戦争は嘘"という前提が出てきたのだろう?
この"戦争"というものがひとつではなくて、また始まりも終わりもないものだと。そう想いながら聴いているけれど、これらの断定的な言い回しが少し、、ほんの少しだけ「らしくない」ような気がする。
一番大切な部分だと言うのに?
それが"新しい"ということ?・・・否否?
それが"新しい"ということ?・・・否否?
この部分のメロディがとても好きだから、とってもShoyanらしいメロディだと想うから、本当にキニナルヨ・・・「知らない」ことと「嘘だと思う」ことは随分と違うことのように思える。「嘘」という単語、響き、その前提にほんのりとした違和感を覚える。
夫婦喧嘩だって争いだ。
人は、人と争ったことを、そう簡単になかったことには出来ない。たとえ体験していなくても、大勢の人が争い・亡くなった事象を「嘘」だなんて思うだろうか・・・
人は、人と争ったことを、そう簡単になかったことには出来ない。たとえ体験していなくても、大勢の人が争い・亡くなった事象を「嘘」だなんて思うだろうか・・・
それと、ホタルの光に戦の火花を重ね、爆撃機を鈍色の鳥と呼び、若い兵士と母、戦争、傷み、胸が千切れる・・・という、非常にストレートというか、類型というか、戦争っぽい単語を置いて静物画スケッチをしたかのような、そんな印象も少し"らしくない"気がする。
Shoyanがセッティングするフレーズはいつも、針の先のような鋭い言葉や、暖かい陽射しのような親近感に溢れたものだったりする。でもそれは決して他の言葉と差し替え出来ない唯一の合致だったはずだ。だけど今回の詞はフレーズとフレーズを編む接着剤が希薄で、脈絡が感じられない部分があるようで、だから、どこか散漫な気がしてしまう。そこが腑に落ちない=Shoyanらしくないのでは?と。
これらが聴き手の胸の中で少しの軋みを感じるのなら、やはりその動機・嵌めこみ方に何らかの"外的要因"がある気がしてならない。
これらが聴き手の胸の中で少しの軋みを感じるのなら、やはりその動機・嵌めこみ方に何らかの"外的要因"がある気がしてならない。
シツコイネ ワタシモ (汗)
部分的に何度も消して、そしてまた足して、凹んだ元の言葉の消し痕に鉛筆がひっかかるような、何故かそんな感じがするのだ。
・・・・・
映画本編も観ず、舞台挨拶も見に行っていないのにこんな問いを起こすのはすごく失礼なことかもしれない。でも、勇気を出して書いておく。いつか、Shoyanに(歌を通して)具体的に伺ってみたいことだ。
~戦闘機の爆音 今も未来は遠い
~泳ぐ魚の群れに石を投げてみた
逃げる魚たちには何の罪があるの?
逃げる魚たちには何の罪があるの?
そう、歌った人の、今の言葉なのか・と。
(「紛れもなく僕の言葉だよ」とおっしゃるかもしれないが)
・・・・・
"映画の主題歌"とは、まず映画ありきだと思う。歌の聴き手としてはそこが難しいところ。ましてや、O林監督のような"映像権力者"なら歌にまで・・・などと思ってしまう。
(「100%俺の歌ですが何か?」ってShoyan怒るだろうな^^;)
戦争という事象は非常にナイーブでデリケートな事柄だ。本当に、一個人が一概に決め付けたり"利用"したり出来るものではないと想う。今回Shoyanがご自身名義の歌の中でそういった単語をお使いになったことに私はこだわりたい。
・・・・・
一方、
~望まないまま 急いで早く運びたくなる
ここが、すごくShoyanらしいと想う。
「そんなもの」って何?
空を飛ぶ自由さと、思いがけない身に不相応なチャンス。それらを手に入れても、もてあまして扱いに困って投げ出すか、勘違いして傍若無人に振り回したくなる。むしろこの一節が争いの矛盾と人の愚かさを匂わしているのじゃないか・・・って、Shoyanの意図か意識か、無意識か・・・それはわからないけど、でも、聴き手への確実な一石であると感じる。胸に正しい波紋が広がる。こういった表現がArtistの仕事だなって想う。
※ものを産み出すことと、どこかから持ってきた材料をディスプレイ(虚飾)すること、この二つは、まったく違うことだ。
そしてそのメロディーは本当に自由で軽やかで、まさに今のShoyanの一本足打法!どこかが奇数になっている不安定さが更に大きな安定感を産む。
私が小さい頃から大好きだった、
~睡蓮の花のベッドの上で~♪
に通じる切ない暖かさの曲だって・・・
まずメロディーに委ねてみる♪
詞よりも先に曲の心地良さがキュンとくる。
詞よりも先に曲の心地良さがキュンとくる。
不思議だ。
メロディーを楽しむために歌詞を覚える感覚・・・
ワルツの、すくい上げるような曲調は、沈む心やうつむく泣き顔をそっと持ち上げてくれる。全神経が集中した柔らかいShoyanの手の温もりを感じる。キスする前に顎に添える手みたいに・・・
メロディーを楽しむために歌詞を覚える感覚・・・
ワルツの、すくい上げるような曲調は、沈む心やうつむく泣き顔をそっと持ち上げてくれる。全神経が集中した柔らかいShoyanの手の温もりを感じる。キスする前に顎に添える手みたいに・・・
「でも今はしないヨ みんなが見ているからネ♪」
と、ウィンクされて未遂に終わるのがイイ。
戦争モチ-フの歌なのに、そんな部分に色っぽいことを感じる私は"耳がerosなタイプ"なのかもしれない・・・スミマセン(汗
だから、この歌の具体的な言葉の表現よりも、メロディーの"香り"や"ニュアンス"・"起伏"に「Shoyanの本当のこと」を感じるのだ。絵本の読み聞かせのような丁寧な歌声とギター、これだけで充分なんだ。
・・・・・
その歌の、根底に流れている不変のメッセージに触れた時、一切の雑音が消える。
「まず、自身が愛に満たされること」
平和の源はそこにあるのだと教えてくれる。
その愛の音に気付けるか?
聴き手の大切なミッション、これからもこの歌を聴きながら遂行していきたい。
聴き手の大切なミッション、これからもこの歌を聴きながら遂行していきたい。
ShoyanがLOVESONGを歌われる根拠に私たちがなれたらイイナと想いながら・・・
「伊勢正三(の歌)は色っぽい」
などと言い出したのは誰だろう?
(ワタシ?(笑)チガーウ)
(ワタシ?(笑)チガーウ)
実はそう見えて、ShoyanのLOVESONGたちに直接的な表現て案外少ない(と想う)。
>細い肩のあたりに
>泣く君のおでこに
>泣く君のおでこに
くらいで・・・
濃密なLOVESONGなのにソレが少ないのは何故か?
行為そのものは、それだけでもう終始してしまうから・ではないかしら。Shoyanが歌に込めたいものって"容れ物"に収まるようなものではなくて、もっと自由で、触れたり見たり出来るものだけではないと想うんだ。だから、肉体の作業だけでは容量が足りない・・・
などと妄想してみる。
行為そのものは、それだけでもう終始してしまうから・ではないかしら。Shoyanが歌に込めたいものって"容れ物"に収まるようなものではなくて、もっと自由で、触れたり見たり出来るものだけではないと想うんだ。だから、肉体の作業だけでは容量が足りない・・・
などと妄想してみる。
「夜が短すぎて愛を語り尽くせない」
の方が果てしないよね。
・・・
でも、やはり時々は直球もよいのだ。
『人魚の誘惑』の
~そっと抱きしめて くちづけ交わした
などの部分は非常に珍しく、その分リアルでドッキリする(この頃の歌は共作なので、どこまでがShoyanの作詞なのかわからないけど)。でもこの歌の中で一番好きなフレーズだ。
水谷豊氏のカバーバージョンでは、この部分の詞が変更されていてちょっと残念だ。けれども、、、その分、Shoyanご本人の歌の方がニュアンスが濃くてドキドキする。
HEARTBEATのアルバムの曲たちは"抱き加減"が濃くて、9曲中4曲に「抱」が出てくるのだけど、もっと濃密な「くちづけ」が出てくるこの部分はある意味、かなり特殊なHotSpotだと想う。
同じくちづけでも、北斗七星『サンルームの鍵』の、
~「おはよう」とくちづけるひとときに
のような、鞘に収まった安寧とは正反対の、アヤウイくちづけである。
非常にアヤウイ・・・(悶
非常にアヤウイ・・・(悶
しかし、
よくShoyanの歌たちに出てくる男たちの「夢」って何だろう?
"恋心"かしら・・・
いや、"恋心を抱く行為"のことだろうか。
その『サンルームの鍵』で処分したはずの"今まで見たすべての夢"が、またこの頃やしのばれむ・・・?
その『サンルームの鍵』で処分したはずの"今まで見たすべての夢"が、またこの頃やしのばれむ・・・?
~とどかぬ(かなわぬ)愛とわかっても
と『夜にまぎれて』あたりと同じ様な欲求をこの頃の前後に感じるのは、何かブームがあったのかなとか、自分がオトナになった今、ヒッソリと想ってみたりする。
・・・
時を湛えた都会の海の、その人波に漂い、まぎれて消えるから人魚なんだね。ひとたび関われば、その肉を食して不老不死になり(怖っ)死ねなくなった八百比丘尼のように、永遠に成就しない想いを抱えていかなくてはならないのかと想う。
その誘惑に勝てるのか否や!?
男の夢が恋することなら、
女の夢は愛されること。
その水深の違いが絶妙なセツナサを生む。
女の夢は愛されること。
その水深の違いが絶妙なセツナサを生む。
恋の海に引きづり込まれて溺れてみるか?足(現実)のない彼女を抱きかかえて陸の上で生きていくのか・・・楽な方を選ぶのがオトコ。
もてあそばれて悦に入るもの・・・。
・・・・・
歌を歌うはクチビル
ギターを弾くは指
それは愛の交歓のイントロのようだ
ギターを弾くは指
それは愛の交歓のイントロのようだ
楽器を演奏しながら歌を歌う、という行為は、そもそも非常に色っぽいことなのだ。
同じ言葉を同じ音でなぞる時
その唇の動きはあなたと一緒
歌を歌うことは
無限のくちづけなのだ
その唇の動きはあなたと一緒
歌を歌うことは
無限のくちづけなのだ
それは終わらないローレライ♪
・・・と、
そんな妄想は泡になって水面に光り
空に昇ってゆきました
空に昇ってゆきました
(´∀`) 。o○
『テレポーテーション』を聴いていたら、このことを思い出したので投稿しておく~♪@2011年
確かに!昔の信号機の青の色は緑だった。今はLEDに替わってしまって、形容しがたいギラギラした色になってしまったケド・・・。でも、いずれにしろ青信号はそのまま進んでいいんだよ・という安心の色なんだと思うと、この歌の歌いだしからして「肯定」だ!と嬉しくなるのであった。
こんな歳になって、まだ先の人生があるとは段々思えなくなってきて、壁にぶつかったまま脚を動かし続けているおもちゃのロボットのような自分。Shoyanからしたら「それくらいの歳で何を言ってるんだ、ボクの今の"活き様"をよく見てご覧?」と笑われるくらいだと思うのだけど、、、(汗)
そんな私の情けない昨日と明日を
♪まっすぐな一本道だと わざわざ決めつけなくてもいいから
って、横から袖を引っ張って振り向かせてくれたこの歌。
「老成」しなくてもいいんだ、「築き」や「完成」よりも、「気付き」や「感性」で行こうよって。
失う&足りる、負けても楽しい、色んなことが裏表・共にあるんだと諭してくれている。
失う&足りる、負けても楽しい、色んなことが裏表・共にあるんだと諭してくれている。
水鳥は浮かんでいるように見えて、でも水面下の脚は流れに対してメチャ頑張って掻きつづけているわけで、逆らうまでには至らなくても、むしろそれでやっと自然に見えるのだって。
結果の出ないことの方が多い努力、いや、努力が足りない自分、きっとフツーに出来ていない自分は欠陥品だと、そう自問自答しながらいることを「未完成はしなやかさというパワーでもあるんだよ」って、いい方へ言い換えてくれるShoyanのMagicで気持ちが本当に楽になった(涙)。
・・・・・
サビに入る部分で雪印CM曲だった♪未来の女神たち~の歌を思い出す。「初めて逢った頃」と「未来」もなんだか一緒のようで、風の日の少年だった誰もがは、もちろん女のコも含まれるなぁって思うのだ。だって女のコも少年ですから!!
(でも「俺たち」は「俺たち」なのかもしれないケドケド・・・後日別記)
(でも「俺たち」は「俺たち」なのかもしれないケドケド・・・後日別記)
そして何となく、、あるひとつの時代のpioneer~開拓者・だったShoyanたちの、誰かほかのアーチストたちへのエールのような"煽り"のようなキラメキをも感じるのだ。今のShoyanの現役感は突出しているからっ!(>▽<)
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「負けても楽しいジャンケンみたいに」と言うフレーズが大好きで、親しい間柄で盛り上がる楽しい時間をリアルに思い浮かべて、これもShoyanだからチョイスできた言葉だ、と思う。
そういった弾むココロそのままのベースラインはこれまた独特で、軽やかでバネの効いたウサギ年的な?縦横無尽さを感じる。
最初にプロモーション音源を聴いたとき、「この曲のベースいいな!!」ってすぐ思った。Shoyanご本人の演奏と知ってグッときて、音が生きていてカッコいいと思った。Shoyanの音は他の何にも代えがたい豊かさを持っていて、聴けば知らなくても必ず耳に残る。
Re-bornの曲たちのShoyanの演奏はどれもみな今まで以上に濃くて質量を増している!と思った。いつも進行形なのが凄いのだ!!
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今はもう、なびくほどの髪が無い"元少年"も多いことだろう。私もまた哀しきショートヘアだ。ただ、時の風はいつでも吹いているのだと、風を知りたい・と思う心は忘れずに、これからも生きていたいと思うのだ。この歌のように青いままで!!
正やん大好き!ずっと!!と思う、『青春』から続いているスッゴク伊勢正三らしい一曲だと思った。☆
※そうそう、"視点の角度"って本当に面白いフレーズ。そこからももっと掘り下げてみたいと思う。
※そうそう、"視点の角度"って本当に面白いフレーズ。そこからももっと掘り下げてみたいと思う。
HIRO氏のソロアルバム
『Midnight Sun』より
作詞:伊勢正三 作曲:HIRO『鏡の中の君』
http://www.lacrymachristi.jp/HIRO_MidnightSun.html
『Midnight Sun』より
作詞:伊勢正三 作曲:HIRO『鏡の中の君』
http://www.lacrymachristi.jp/HIRO_MidnightSun.html
今までShoyanの歌を出来るだけ色々聴き続けてきたけれど、この
「♪いつものように濡れた髪を乾かしてあげる」
の衝撃は凄くて、聴くたびに心で小さく悲鳴を上げるのだ。去年夏の発売日以降、カーステレオで聴きながら何度悶絶したことか・・・。
源氏物語の光源氏と幼い紫の上の戯れのように、あまりにも精神的にエロティックで、この"性的でないエロス"が深すぎて、21世紀の今、Shoyanの中からこういった敏感なフレーズが出てきたことに、もうほんとに興奮してしまって眩暈がする。、、、何度も赤面してしまうのであります。
「いつものように」ってナニ!?
事前なの?事後なの?
いつなの???って。
→考えすぎ(汗)
事前なの?事後なの?
いつなの???って。
→考えすぎ(汗)
今回の他の提供詞たちもそうだけど、今まで匂わせたり包んだりしていたものがどんどん開かれてきてる!Shoyanの直球来たー!って、言葉が弾んでいるなって思うのだ。この開放感が特に嬉しいのかもしれない。
そして、
「♪二人出逢った季節哀しくない落ち葉踏みしめ君と行こう」
は、まさにShoyanの世界の真ん中で、恋人たちの普遍の道行風景だ。『夏の沈黙』などにもあるような、私の大好きな二人の旅路なのだ。
恋人たちはナゼいつも道を探しているのだろう?
人生の道って道幅が決まっていて、歩き方を間違うとはぐれたり滑落(!)したりするのかな、とか、一人しか歩けない道をどうやったら二人歩けるのか・・・あの方法しかないのか、、とか、現実的なことを思ったりもする。
でもこういったフレーズが心の底でそっと時の流れを留めてくれるようで、疾走感のある曲の中での大切な錘の役目をしていると思う。オトナっぽくて、切ない隠し味だ。
「哀しくない落ち葉」ってとてもロマンのある言葉で、Shoyanならではの視点、すごく惹かれる。時を経ることが美しいのだと思わせてくれる優しいものだ(涙)。
そして、また次は一転
「♪それは眩しいくらい
僕だけのものじゃないと思わせ
それは・・・僕のものだよ」
僕だけのものじゃないと思わせ
それは・・・僕のものだよ」
の、決めフレーズが超~~さそり座的で本当に悶絶なのだ!一瞬だけのあどけなさで彼女が腕をスルリと抜けてしまうと、彼はまるで翻弄されているように見えるけど、
その実、
「たとえ君がどんな化粧をしようが、いつどこへ誰と遊びに行こうが、君は僕が育てた(Makeした)オンナなのだからね」
その実、
「たとえ君がどんな化粧をしようが、いつどこへ誰と遊びに行こうが、君は僕が育てた(Makeした)オンナなのだからね」
という、JOKER的にカードを裏返すような含みがあってこれぞ伊勢正三の毒針の一撃!なフレーズだと思う。
君は僕に背を向けて、ただ自分自身のことだけを見つめているから”鏡の中の君”も僕を見てはいないけど、僕にはキミの後ろ姿ではなく、鏡の中の君が見えている。鏡の中のボクがまたその横にいて・・・
と、合わせ鏡で永遠に縫い合わさっていくのかもしれないなと想うのです。本当は「鏡の中のボク」なのかもしれない・と。これは本当にShoyanにしか出来ないことで、Shoyanにしか創れない言葉の針だと思う。永い・・・永い物語なのだって思うのだ。男女の関係が一つだけではない・ということがわかる歌だと思う。
新しくもあり王道でもある歌なのだ。
HIRO氏のメロディーがまた耳馴染みがいいのだけど、唯一無二なノリがあって、忘れられなくなる。ギターが最高にカッコ良いので相乗効果が濃いぃぃ!!!
HIRO氏のこのアルバムを聴いて「エレキエレキエレキ!!!!」とムズムズしていた私は、年が明けてRe-bornを聴いて本当に嬉しかった。メッチャ熱いShoyanご本人のエレキギターが聴けたので本当に感激した。
HIRO氏の曲とShoyanの詞のコンビは今までにない世界が構築されて本当に素晴らしかったので、また機会があればもっともっと、と思う。
ホント、この企画は目が覚める思いで、去年の夏に突然頬を強く張られたような衝撃だった。Re-bornの前走はこの頃すでに始まっていたのだなと、今また思い直すのであった。
※歌詞の引用が多すぎたかもしれませぬ(汗。
ゼヒHIROさんのアルバムを買ってお聴きくださいまし。
ゼヒHIROさんのアルバムを買ってお聴きくださいまし。
歌いだしの景色はまるで、和紙の切り絵かちぎり絵のような、彼の指のフレームの中のスケッチかなと思う。
イントロ&間奏のエレキギターの柔らかいセピア色な感じがすごく好きで、奥行きがあって、この歌の景色が今より遠いものだって教えてくれる。少し、gardenの頃のセミアコの音色のようなギターがノスタルジック。それだけでなく、続けてガットギターも絡んでくるのが贅沢で押せ押せなShoyan♪
そしてよく聞くとくるくる回るようなギターやストリングスのアルペジオ?、これがどうにもはやる心を煽るようななだめるような絶妙なニュアンスを感じる。
合間の可愛い鼓の音、最初からすごく気になっていたけど、鼓とは思わず、なんだかピホッピホッ♪って可愛い音に萌えていた。まるで夜のアオバズクの声のような・・・そして大太鼓は、遠雷の音かなって・・・。
この曲のアレンジは綺麗な懐石料理の重箱のような、各音の味付け盛り付け配色が美しくて、聴く耳に豊かさが残る。甘酸っぱい「うぶ」な感じと、オトナの余裕のような「伝統」が同居していて、ほんにこれは今のShoyanが作った歌だなぁって思うのだ。こういった歌の誕生に立ち会えて嬉しい!
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♪制服胸のポケットペンのインク滲むハートになるんだ
♪すぐに破れて紙のハートになるんだ
♪すぐに破れて紙のハートになるんだ
この二つは最強胸キュンアイテムで、Shoyanの歌が視覚に訴える代表例だと思うわけで、彼の青々しさと彼女の自覚のない誘惑がすごく素敵なフレーズだナ(*´ω`)。
♪君を知って夏が過ぎてゆくなら
♪君を知って夏が過ぎてゆくなら
切なさとはそのすべてが君です
この言葉のねじれ現象も、Shoyanにしか出来ないレイアウト!恋が理屈じゃなく、恋は始まってから前兆に気付くのだと。特にこんな仄かなイントロダクションならなおさらに、遠くなるほど後々ハッキリ見えるのかもと思うのだ。
「ずっと好き」だったのに、今「君を知って」とは?
たぶん夏より前から好きだったのかな、でもこの夏とうとう知ってしまった「更なる君」を。戸惑いながらももっと欲しくなって、でもまた言えないキモチが増えていく、彼はホントに燃えるだけの篝火なのかもしれない。ポツリ・と来た恋の雨粒でこの炎、燃え盛るのか、鎮火してしまうのか・・・。
たぶん夏より前から好きだったのかな、でもこの夏とうとう知ってしまった「更なる君」を。戸惑いながらももっと欲しくなって、でもまた言えないキモチが増えていく、彼はホントに燃えるだけの篝火なのかもしれない。ポツリ・と来た恋の雨粒でこの炎、燃え盛るのか、鎮火してしまうのか・・・。
・・・でも彼は恋の石段を転がり落ちていきそうで、登っているのに踏み外してしまいそうなおぼつかない足元で、恋の靴紐がほどけそうな純情~(*´ω`)だなって思うのだ。
彼女の方はこの彼と待ち合わせて、いったいどんな風に想っているのだろう、女の子ってワカラナイ!(女子に「純情」という感情はあるのだろうか・・・)
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風の音とはなんだろう?
この季節この時この今、心が動いた・恋をした証だろうか。はやる心が風を切るのかな、、、モスキート音みたいに、若いからこそ聴こえる恋の音域があるのかもしれない。。今となってはもう、自分の胸の中でしか聞こえないケド・・・
この季節この時この今、心が動いた・恋をした証だろうか。はやる心が風を切るのかな、、、モスキート音みたいに、若いからこそ聴こえる恋の音域があるのかもしれない。。今となってはもう、自分の胸の中でしか聞こえないケド・・・
Shoyanのハモニクスの音には聴こえない音がいっぱい入っている。遠い昔のことも今のことも、、、そして、きっと何百年もまだ先まで鳴り続けているのではないかと思うから、私は何度も生まれ変わってまたその音を聴きたいと想うのだ。
今年の夏は何度も聴くことだろう。そしてまたこれからの想い出もこの歌に沁み込んでいくと思う。
懐かしいけど白紙のノート、なのだ。
※後記
なんとなく、、、最後の二節
♪風を切れば 風の音が聴こえる
♪夢ひと夏 空蝉鳴く・・純情
の部分だけあとから追加されて完成したのではないかと、ナゼかフト想った。理由や根拠は全然ないのだけれども・・・
なんとなく、、、最後の二節
♪風を切れば 風の音が聴こえる
♪夢ひと夏 空蝉鳴く・・純情
の部分だけあとから追加されて完成したのではないかと、ナゼかフト想った。理由や根拠は全然ないのだけれども・・・
プロフィール
HN:
No Name 七氏−1.0
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
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