Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

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最近、お天気アプリやニュースアプリで、「どこそこに雨雲が近づいています」なんてプッシュ通知が来るよね。

♪静かな雨音に目覚めるように・・・の前に、通知音で目が覚めてしまうがな!(>▽<)w

「〇〇ミリの強い雨」とか、丁寧に報せてくれる。

通り雨も『ゲリラ豪雨』になっちゃったりして、色々とあやふやなことがなくなっていって、風情も無くなっていくのかな。

一昨年2019年の夏、「こんなに楽しい気持ちの夏はもう二度と来ないような気がする」なんて思っていた。なんかホント、そんな感じ・・・。人間の営みは色々なしがらみや物質的なことに左右されがちだけれど、自然の営みは変わらないでいて欲しい。厳しくても、過酷でも、自然や季節の変化に自分の身を委ねて暮らしていたいと思うのだ。

で、これから半日かけて各検査に行ってきます。



#テレポーテーション
 

と、一転中止のお知らせが出ました。

安堵。

開催できないのは残念だけれど、安堵。

寒い風に震えなくていいんだ(T_T)。
昨日書いたことが全部裏返ってヨカッタ(涙)。

Shoyanには楽しい気持ち全開で逢いたい、だから今はこれでいいのだと、そう思う。
と、ここまで何度も書いては消しをしてきたけれども、、、

渋谷っ(^^;)
やるんか~

それにしては何も注意喚起とかないよね。希望者への払い戻しもないみたいだし、フル着席で売ってるし、普通のコンサートとなんも変わらない。コロナのない世界で開催されるみたいな錯覚。トーキョーの、メガロポリスの錯覚か。ホールまで行く人帰る人の動きとかも関係ないのかな。それともまだ協議中なのかな?

「来たい人だけ来ればいい」
「こういう時こそついてくるのが真のファン」
「お金は返しませんけどね」

と、ハッキリ明示されたような気がして、ちょっと寒い心持ちであります。

イヤ、これが普通なのかな?
私だけが神経質になりすぎかもしれなくて、、、またこの投稿もあやふやです。


その16日に入院して17日に手術することになりました。入院は二泊ですが、一週間くらいは仕事出来なさそうです(^^;)。

トーキョーのことは置いておいて、自分の身体を直すことに専念します。(外科的事案なので日が経てば治ります)


あの頃ではない今、を歌ってほしいなんて思っているくせに、自分は過去ログに潜行格闘しとるわけですが(笑)。


私が伊勢正三の歌を聴き始めてからずっと、高校生ぐらいの時からずっと、心にとどめていることがある。

「自分以外の存在に対しての愛を忘れないで行動できる人になろう」と。

そしてそれは、

「他を愛するには、まず自分を愛する」

ということにもなるのですが、

でもそれは「自分さえ気持ち良ければいい」ということではないのです。他人に迷惑をかける自我では本末転倒なのであります。「愛」って「相」だから・・・

伊勢正三の愛の歌を聴いて育ってきた自分が、誰かのためになれる存在になれたら、それは最大のShoyanの歌の評価になると思うんだ。だから私はここで頑張る。


今年も五月雨の季節ですね。
雨が降るだけでいいです。
それだけで繋がっていられる気がしますから☆
・・・
『涙憶』で上着を脱いで、赤いシャツに黒いパンツルックがサイコーにカッコ良い!ボトムの膝上あたりにファスナーが着いていて、さりげなくオシャレだった。

食器の音がカチャカチャと響き聴こえるほど静かでフラットな演奏の中で、御供クンのコントラバス?の弓が出てきた。手の汗をジーンズで拭く御供氏に萌える。間奏から始まって、ずっと沈殿していくBassの重低音がシブくて、恋の行方の、"不安感の安定感"、その最下層の、まさに"基"な重い部分が良く聴こえた。

そこに準氏のピアノが乗っかると音はより具体的になり、"想いの細胞分裂"だったり、"打算の死滅"みたいなものだったりして、細井さんのピアノとは違う層にあることが良くわかる
(どちらが良い悪いではない)。魚群探知機みたいな感じで聴こえてきたこの夜の『涙憶』のセッションだった。

この頃からShoyanもノッてきてギターソロも硬度が増す。演奏中に時折、グッと天を仰ぐ瞬間、Shoyanの"感性の手"は高く空(くう)へ伸びて何かを掴んで来る。肉体は弦を押さえているのだけど、天へ伸びているShoyanの感性の指先・手のひらが、上の席から良く視えた気がした。あの一瞬の集中力!そこに聴き手はヤラレてしまうワケ・・・

この『涙憶』を歌った後、
MCの中で何気に、

「僕が43歳くらいの時のかな・・・」

なんておっしゃっていて、そのコメント嬉しいでしょう(涙)と、思い、また1994年当時の日記を見返してみた。

夏の渋谷公会堂LIVE(メガロポリスの錯覚のツアー?)で、「マーチン一本のメガポリで震えが来るほど感激したっ!」とか大きな字で書いてあったのだが、

「佐藤準氏と二人だけの『少しだけの荷物』がすごく良かった!」なんて書いてあって、この頃から"佐藤準独り愛好会"だった自分。今から、あの頃のことを想うとそう遠くない気がする。まるで、ほんの前の出来事だと想えるの・・・

ということは、やはりShoyanと私の17年は、本当は"隔たり"ではないのではないか・・・と
いつも遠い背中を追いかけているようなサミシサを、これからは感じなくてもいいのじゃないかって、なんだかそんな発見をした2011年11月13日だった。


追:
「Shoyan、とても60歳に見えないぃ~!!やっぱり若くてカッコよくてステキ~」と頬を紅潮させているファンの人たちが多かったように思うけれど、私にはこの日のShoyan、スゴク歳相応に見えて「60歳ってこういうコトかぁ(憧)」って、心の底から納得のいく感動を覚えたんだ。やっと蠍座の芯にキタな?って。オトナって素敵・・・って☆

何の違和感もない60歳って本当は凄いことと想うんだ。やっぱり憧れのヒト!今度は私がそこを目指してまた17年間生きていかなきゃ・・・ネ!

・・・

弾き終って素に戻ってハニカミShoyan。グレッチを抱えて椅子に座る。また傍らのマグカップを手にとって、「(お酒)飲んじゃおうかなぁ~・・・・みたいな♪」と茶目っ気も出す。(後で思えば、第一部では乾杯はなかったのか?)

早く乾杯したいなぁ~(^^*)と思いながら、段々会場内もほぐれてきた。いい雰囲気になってきた♪
MC

「この頃あの、夏が終わってから めまい症に悩まされまして…」
と、突然に心配なことをおっしゃっていたので、この瞬間はドキっとした。ホントに血の気が引いた ←ソコマデ?
検査もして素敵な女医さんに病名を付けてもらって?ニコッと「もう、そういうお年ですネ(はぁと)」と言われ安心した。なんて・・・どうやら重篤ではないようなことを訊いて安心する。

*加齢に起因する耳石のはがれによる平衡感覚の乱れ=良性発作性頭位目眩症 だそうです。

でもこの話の締めくくりに

「マァ、ソンナカンジデース(=´ω`)」
と、トボトボっと他人事みたいにつぶやいたShoyanが可笑しくて可愛くて、病気の話題だったのに妙に和んでしまった(笑) スミマセン

・・・

と、そこから急に場面転換したようにアダルトな香りが漂い始めて、

「雰囲気に合うかな? どうぞグラスを傾けて…」と、"オトナコード"のイントロが始まる。
私が一番弱い音ではないか・・・
『夜のFM』@Bossaが始まった。

夢のように・・・たゆみなく刻まれるShoyanのOldな音。それに乗ってコメットのように煌めくピアノ。闇に金粉の舞う様な、蒔絵のような、艶っぽい演奏がたまらなかった。

オリジナルの疾走感あるバージョンも良いけど、やはりBossaバージョンは良い。若き日の、滾る夏の夜の夢が秋の夜の琥珀の想い出に変わるまで、大切に暖めてきたShoyanの歌の寝かせ方に感激する。

夜の幕をはがしてゆく準氏のピアノとコーラス。後半から随所に置かれるその色っぽいアクセントと、Shoyanのモフモフっとしたギターが絡んで、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのステップみたいに踊る。

準氏の指がタップシューズのつま先みたいに切り込むと、Shoyanのセミアコの優しい音が
ドレスの裾みたいに翻って、それは美しいペアダンスだった。(たとえが逆かもしれないが)
こんな不肖な私でも、もう何年もこのお二人のステージを観てきたけど、今宵の『夜のFM』は最高に美しく、60歳を迎える夜にふさわしい大人のステージだった。

最上階の席から見下ろすと、お二人の指と指がシンクロして動くのが良く観えて感激した。掌の中の宝石箱のように、贅沢な時の宝物だった。この会場セッティングがピッタリだった☆

・・・

"景色を見せて終わる"という手法のフェイドアウトに続いて『moonlight』。
ここでギブソンJ-50登場。
「月が射す夜」じゃないのか・・・と思いつつ、その、鑿で音を削りだすようなイントロでテンションがあがる! 音の一木彫り! なんというか、"円空仏"みたいな ?荒くとも密な、パワーのある音がするこのギター。私は大好きです。

ここでも、磨いた赤御影石のような準氏のピアノは、パーカッションよりも更に"打楽器的"で強く、この歌に詠われる"時の流れの儚さ"とは裏腹の、"時の流れの永遠"を提示してくれる。聴く者に「確かなもの」を届けてくれるアーチスト。そのあたりがShoyanの音楽との相性の良さなのだろうなって、ナマイキながらに想い、感激していた。

前奏の『夜のFM』とは反対のベクトルの、打ち合いのような駆け引きがまたヨカッタ(^^*)。血が沸騰するような演奏だった。

・・・

ここでメンバー紹介。
sax、パーカッションの春名さん。
ベースの御供クン←イメージ変わってて更に萌えw

と、油断していたら続いて私個人的今年のテーマ『月が射す夜』が始まり興奮。

やってくれて嬉しいな・と、JUNちゃん参加で聴きたかったんだ・と本当に嬉しかった。しかも、間奏のギブソンの音がホンモノだー!と至極当たり前のことに感激していた。これは何故か夏の軽井沢ひとり旅ではあまり意識しなかったことで、その時その時で発見とか感じ方って違うんだなと後で改めて思った。

ここで御供氏のE・Bassがやっと大活躍するのだけど、ベースソロが超カッコイイのにこれ一曲とはもったいない。やっぱりこの倍のステージやってくれないと!と思った。

その惜しい気持ちのまま、少ない曲数ながらも会場がイイ雰囲気になってまとまってきたところで一度Shoyanは袖に帰ってしまった。

え~・・・もう?
拍手で再登場を待ちながら・・・


~Happy Birthdayの乾杯&アンコール

そうこうしているうちにShoyanが戻ってくると、暖かい拍手と歓声の中にどよめきが起きた。こうせつおいちゃんとイルカさんと大野さん裕美さんの4人が一緒に登場。

ここで会場のスタッフたちがLansonのマグナムボトルとグラスを用意。とっても上手に栓が抜かれて乾杯タイムになった♪

わ~、私たちにも注いで~~
シャンパン飲みたいぃ~~~
と、身を乗り出しつつ、準氏のピアノでHappy Birthday to Shoyan!を会場一同で斉唱♪♪♪ステージ上も客席も歌いながらみんな良い顔してた☆

嬉しかったなぁ。
やっとこの日が来たのだなぁ。
こんな素敵な場面に同席できて本当に嬉しかった。Shoyan、心からオメデトウ&尊敬の気持ちでいっぱいです。

以下、おいちゃん語録

(脇のシャンパンを指さして)
「あれは・・・"森伊蔵"でいいの???」(一同爆)

「22才の別れのテンポがいつもより速かったのは、早く終わらせてお酒を飲みたかったからだな?(笑)」

「Shoyanはワインに関してはウルサクて、レストランで僕が飲もうとするワインが合わないとかってその店のソムリエとケンカするんだよ(笑)」

「3月4日のLIVEは・・・タイトル"めまいの頃"!(笑)」

「僕がShoyanを音楽の世界に引っ張り込んでしまったのだけど、その時にShoyanがご両親に宛てて自分で書いた手紙がすごく感動的で・・・まぁ、内容は全部忘れましたけど(笑)」

「Shoyanを支えてきた家族が一番スゴイ!トモちゃん(知子夫人)がスゴイ、リハーサルなんかでも、これがうるさい女房でね(爆)」←モチロン冗談

※すかさずShoyanが「(彼女は)耳がイイから♪」とフォローされて、舞台袖に控えてらっしゃるご夫人に賞賛と感謝のグラスを掲げてニコリ♪・・・だったそうだ。(私、そのシーンをメモに夢中で見逃した(笑))

「今朝、大分の自宅で庭仕事をしていたら、珍しい蝶々のアサギマダラが飛んできて、『コウセツ オハヨウ! キョウハ ショウヤンノ カンレキダネ!』って言うんですよ(笑)」

などなど、
もう、この日のおいちゃんのコメントは最高に面白かった。しかも、バックのイルミネーションを振り返って呆れながら「何を考えているやら( ̄_ ̄)」と、冷静に批判的だったのが良かった。 ナカナカ イエナイコトデス

イルカさんは、Shoyanがこの誕生日の前の晩に、大分のご両親に電話して「産んでくれて有り難う」と言った話を聞いて、

「ウチの息子に聞かせたい・・息子が60になったら言ってくれるかしら」
などとおっしゃっていた。 

またイルカさんは
「さっき歌ってるShoyanの声を聴いたら、久しぶりに胸のトキメキ感じちゃった(はぁと)恋したいって感じヨ♪」

なんて、とても乙女な気持ちを代弁してくれて、客席(聴き手)にも気を回してくれているようなフォローが嬉しかった。さすがイルカさんだ!って思った。

・・・

和気藹々で盛り上がっているうちに
「そろそろアンコールだよね?」と
イルカさんが振るとShoyanは
「今、何やってたんだっけ??」
と、マジボケしてて一同(笑)

みんなの話が面白すぎてライブということを忘れ?完全にトークショーになっていたのでした(笑)。

ここでみなさん袖にお帰りになる。

・・・

シャンパンで乾杯してご満悦のShoyan?

「よし、飲んだぞー!( ̄ー ̄)v」
と、気合の入るアンコール!

「海風いこうか・・・」
と、Shoyanの生涯の基の歌『海風』!
粘りのあるT'sTの音が会場内の空気をひとつに束ねて、みんなの想いを寄せ合う演奏が始まると丁度後ろのイルミネーションも青や緑の優しい色から真っ赤に変わり、炎のような演出になったのがタイムリーで面白かった。(連携してたのかな?)

バックの全面ガラスに映るShoyanの演奏後姿は、普通は観られないものなので感激する。しかも角度によって3つの影分身になって映り、揺れるのがとても幻想的で良かった。紅いシャツが補色の緑色の照明に光って、玉虫色のように見えて綺麗だった。 
良い『海風』だった・・・

・・・

「この日(還暦)がスペシャルだということがよくわかりました」
「ナカナカ良いものです♪」
「月並みですが、また生まれ変われるかな・・・」
と、マイクを手に持って『お前だけが』。

この歌の時、たぶん・・・
多分にShoyanご自身こみ上げるものがあったと想う。
途中で少し声が詰まったような気がして、聴いているこちらがブワッと涙こぼれそうになって慌てた。その分、間奏のギターで言葉にはならない想いを十二分に詠ってくれた。こんなに涙なShoyanに、初めて逢う気がする。産まれる時も泣き顔だけど、生まれ変わる時もチョットだけ涙?

自分も感極まって泣きそうになったので、周りをキョロキョロしてごまかしてみる。あたりを見渡せば・・・カジュアル席にも結構見知った顔が沢山いる。皆、私よりもずっと前からの
真面目で奥ゆかしいファンの方たちばかり・・・。男性も女性も、みんなとっても優しいまなざしで、そのステージのShoyanを遠くから強く見つめていた。それは一様に"母のまなざし"だった。

ウットリとかキャーキャーを超えて、舞台を真っ直ぐ見守っている。静かだけど、とても誠実な想いを抱いて、今までのShoyanを支えてきた人たちだ。Shoyanは、そういう愛され方をするアーチストなのだ。

それがとても良くて、そんなファンの人たちに囲まれて、お祝いの中心ではにかんでいるShoyanがまた素敵だった。この時、心底「今日ここに来てヨカッタ」と想った(涙)。


~あとがき

Shoyanがすべて歌い終わっても拍手は鳴り止まなかった。それはいつものことだけど、この日の拍手の濃さと長さはやはりスペシャルで、今回の拍手ほど長い"要求"は今まで体験したことがない。

ほとんどの人が席を立たずにずっと手を叩き続けていた。実際は5~6分くらい?だったと思うけど、15分にも20分にも感じられた。すごく長い間、鳴り止まなかった。でも結局、2度ほどの場内アナウンスをされて、総員拍手は強制終了させられてしまった。

Shoyanは出てきてはくれなかった。時間も相当押しているようだし、キリがないからそれはしょうがないかなって思ったけど、正直、ほんの数秒の一投げキッスだけでも出てきてくれたらヨカッタのに・・・なんて欲張りなファン(笑) チョットサミシカッタヨ Shoyan
みんなとても残念そうだった。

でも、もしかしたら楽屋のShoyanには、このロングコール、知らされてなかったのかもしれない!そう思って 次回に期待♪

・・・

今回、時間も短く曲数も半分で、しかもキャパ的に来たくても来れなかったファンも沢山だったけど、でも、やはりShoyanのお誕生日はとても佳い一日で、その日にまで"歌ってる"Shoyanは最高に光ってた。

歳を重ねれば好きなことだけしたい、楽しいことだけ選ってわがまましたい、と思うのが普通ではないかと思うのだけど、そんな妥協が一切なくて、キレキレの還暦という新たな境地を体現してくれたShoyanはサイコーにカッコ良くて、やっぱり永遠の憧れの人だった。

思えば去年のセルフカバーアルバムから続いて、一年かけてのスペシャルだった。きっと、Shoyanご自身の中に、色んな刺激や材料が投げ込まれた年になったのでは?と想う。

還暦の還は還元の還♪
このお祝いムードが落ち着いてひと段落した頃に、新しいShoyanの中から醸し出されて来るものをひっそり待っていたいと想う。お祝いの夢の一夜は、ずっと胸の中で大切にしまって・・・☆
いつまでも私の導であるShoyanへ
最大限の愛を込めて!!
アニバーサリーの想い出をここにHoldしておきます。

※次は還暦の私と七七の喜寿のShoyan!
 イイトシマワリ♪

やっぱり、今と変わらず愛し合って?いると想う(^^*)
いや、キット今以上に・・・☆


2011年11月30日
 
※と、『夜のFM』で思い出したので、2011年の還暦ビルボードライブのことを再載してみようと思う。もうこれから10年も経つのかと思うと、世の中様々なことが思いもよらぬ方向に変わってしまったり、壊れたり、生まれたりしてるなぁと、深い感慨に浸ってしまう。でも、自分は全く何も変わっていないことに苦笑したりして・・・

さて、当時のまま載せています。


■2011年11月13日 
 六本木Billboard Live TOKYO

☆伊勢正三
 60th Birthday Anniversary Live

*1st stage:開場/15:30 開演/16:30
*2nd stage:開場/18:30 開演/19:30
※2ndStage カジュアル席参加

1.バルコニーの休日
2.あの頃の僕は
3.わかれ道
4.なごり雪
5.22才の別れ
6.ほんの短い夏
7.涙憶
8.夜のFM
9.moonlight
10.月が射す夜
~アンコール
11.海風
12.お前だけが

※当時、『あの頃の僕は』と漢字表記してしまっていたが、あとになってShoyanがセルフカバーなされた際にもナゼか漢字表記だったので(?)そのままで載せておきます(^^)。

・・・

あの夜は、本来ならご家族肉親とお過ごしになるような、とても大切な一日であるだろうに・・・そんな人生の大切なその日ズバリにファンも同席させてもらって、同じ時間を共有させてもらえるんだもの、本当に出席できて嬉しかった。

Shoyanご自身の静かな感激と、祝福の渦の中での照れ笑いの華やかさ。その両方がすごく良くて、六本木という縁の場所もあってShoyanの"金星は天秤座"♪な、華やかで豊かな夜だった☆

*前述
新宿へ向かう特急の窓はすでに西日。
秋の早い入日が寂しくて、晩秋の東京の景色に浸ろうと思いきや様子が変だ。

春の震災後、初めての上京だった。車窓から見る景色が違っていた。街が暗い、如実に暗い。沿線の広告や看板の電気が消されていて、すごく暗い東京だった。それは初めて見る、とても恐ろしいもので、節電とかエコではなく、それまで作ってきてしまったモノの"本来じゃない姿"が不気味だったんだ。これではむしろ、ネオンギンギンの方が安心できるのでは?なんて想った。
(不謹慎かもしれないけど)

駅と、ビルと、通路と、店舗と、夢と現実の境目がない造りに呆れてみる。土なんて一切なくて、自然が皆無の街が面白かった。改めて"都会の機構"を体感することができて、これはここで日常を送っていたら気付かないことなんじゃないかって思った。(以前の自分がそうであったように・・・)

案内のデスクでビルボードLiveの場所を訊いて、色んなSHOPの合間を歩いて到着。「Shoyanはどうしてここで60th誕生日ライブをしようと思ったのかな?」と、少し問いかけの気持ちも感じつつの到着だった。11月だというのに暑かったなぁ都会のビルの中は・・・。

中へ入ればステージの背景のガラス越しの外に、これまた恐ろしいイルミネーションの光が渦巻いていた。クリスマスの飾りは大好きだけど・・・、コンピューターで制御されたLEDのショーは・・・無口になる。Shoyanはこういう時でも色んな問いかけを用意しておいてくれるなぁと思った。欲する気持ちと忌避は表裏一体だって・・・

美し過ぎて哀しいような都会の綺麗なイルミネーションを観ながら、1Drinkはクランベリージュースとジントニックで席に着く。真上席からステージ上はすごく良く観えて、アコベがある!とか、あんなところにギターアンプが!?とか、開演前からとてもワクワクする材料が見えて良い気分だった。・・・そうそう、開演前も、演奏中も、一番上のカジュアル席には階下のサービス卓からハーブやオイル系のいい匂いが立ち昇ってきていました。酷デスガナ(笑)

・・・

で、Liveの幕開けは・・・
去年の夏の軽井沢大賀ホールのように、佐藤準氏のふんわりしたピアノから始まった。Shoyanは初っ端から久しぶりのセミアコグレッチ?のギターを抱えて、はにかみながらいつもの片足だけ軽く曲げたシルエットで歌いだした『バルコニーの休日』。
お、まずはご家族への感謝から?♪アットホームな感じの出だしがとても好かった。

一曲目歌い終わって、
「朝から色んな人からメールとかもらって♪」
と、さすがに嬉しそうなShoyan。
60回目の誕生日を素直に受け容れる照れくささ。
そんな柔らかい笑顔の中で、
「今日こんなスペシャルな日にここに来てくれてホントにアリガトウ」
なんて、まず客席に挨拶してくれてとても嬉しかった。
こちらこそ、呼んでくれてアリガトウShoyan♪

元YAMAHAのあのギターを抱えるとじっとうつむいて、小さく小さくアルペジオを始め・・・そっと『あの頃の僕は』を歌いだす。この日もShoyanはその場に動かず、スローにそっと、そっとその場に声を置くように熱唱する。

歌い終わってこの歌のことを、
「懐かしい歌でしたが 自分の心境にピッタリな気がしたので…」
と、おっしゃっていた。

どんな心境?
許せなかったものが
許せる…と?

この歌を作った時の"あの頃"と、今歌う"あの頃"とでは、時間の距離はまったく違うだろうけど、でも、今になってあの頃のあの頃にShoyanご自身の"今のあの頃"がピッタリ重なったのかもしれない。当時、歌が汲みあげた"あの頃"の底に、今、やっと本当に辿り着いたのかもしれないなと・・・。そうなろう・と思って歩んできたわけじゃないけど、未来の心境を過去の若い自分が先に予感していることってあるんじゃないかな・・・
(コレデモカ トイウホド あの頃 連発シテミマシタ)

・・・

傍らのテーブルに置いてあるマグカップを手にとって、「まだお酒じゃありませんケド♪」とニコリ。

「ここは六本木!!!かぐや姫っぽくないんですが(笑)」

と、また照れながら『わかれ道』キター!
御供氏のE・Bassが良い。先日の軽井沢でこなれてるラインナップでいい感じ。

♪あぁ 六本木の街に降る雨が・・・

にかぶさる準氏のピアノが、ガツンと潰れた低音で歴史を語る。単なる"時の流れ"とか"懐かしい"じゃなくて、すでに歴史を刻んでいる歌・音というものを実証してくれた。胸の中で大きな岩同士がぶつかって砕け散るみたいな切なさを感じた(涙)。

そのピアノが、エンディングの煌めくShoyanのギターを誘う。でも、もっと弾いてもっと・・・と想う内に、サクっと終わってしまってイヤ~ン(´Д`*)残念

・・・

「え~・・・・・・・・・・お世話になりました(´∀`)」

と、『なごり雪』。
ワンフレーズ歌ったらニヤリ。
男声コーラスがフレッシュで良い♪この特別な日だからこそしみじみと丁寧にスタンダードに・・・という感じだった。ギターソロも激しくではなく厚みを持たせて、堂々のなごり雪だったように思う。

・・・

黒いシャツとパンツのJUN氏。黒いジャケットに赤い襟を開けたシャツのShoyan。"Adult Brothers"の息はピッタリ♪

続いてシブイWahのかかったエレピ?が聴こえてきて、色っぽいイントロの中でピンスポットを浴びたShoyanがやたらとセクシーに見えてドキドキする。

ぉぉ、何が始まるの(;゚∀゚)=3????と思いきや、『22才の別れ』だった (´∀`)ヤラレター(笑)この歌にSexyさを感じてしまったギャップが収拾つかなくなって、自分でちょっと照れた。
準氏のエレピがもやもやっと優しく締めくくる。これは軽井沢の時も同じことを感じて記していた。この時代感イイナ♪

・・・

ここまでまだ演奏曲は青春のラインナップ。
少し緊張感も残る。

Shoyanは相変わらずまだそこを動かない。歌い終わってギターを回してマイクスタンドにぶつけてガンッ☆と音を出したりして、お茶目で可愛かった。

「やっぱりコレを歌わなきゃ♪という歌を歌いました」

と、ニコニコしながら・・・
ミュージシャン仲間からのお祝いメールの「ハタチが3回で60th」の話。やっぱり「成人式さあど」だったんだね♪

お嬢さんからのカードの「60歳になっても"アヤウイパパ"ステキです」に、「コレって誉められてるのかな?」と笑うShoyan。
私もお嬢さんに激しく同意します(笑)。実際、色んな意味でアヤウイShoyanに・・・萌え(*´∀`*)

実際の20歳の頃、

「(謙遜で)何の苦労もなくこの世界に入れて、 そのあとKAZEとかやって、見た目老けていって"じいさん"と呼ばれて(笑)んで、休んで、二回目のハタチ=40歳の頃に"復活"して
もうそれから20年経つと思うと・・・早いナ」と、ちょっと振り返りモードだった。

何度も想うけど私は正味半分の20年分くらいのShoyanのことしか知らないのだよな。でも、Shoyanが歌作りに込めてきてくれたことは、ちゃんと隅々まで聴き汲もう!と想っている
それはこれからも出来ることだから・・・

・・・

沢山もらったプレゼントがほとんどお酒で、「またしばらくの間、イイ曲書けるかもしれません♪」なんて言ってくれて嬉しかった。

やはりShoyanは上気してるようで、とても丁寧だけどやや、浮ついているというか、どこか落ち着かないというか、、でもそれがいいのだケド♪(いい意味の引用なのでお許しを)

ここでその「フッカツの曲」と『ほんの短い夏』。
D28のアコギな間奏・エンディングがとっても良かった。優しくて・・・短かったけど涙出そうだった。開演前に観たステージのバックのガラス越しの過剰なイルミネーションと、暗い節電の街を想いながら聴く。なんだか、色んな意味で泣けてくる。今年は色んなことがあったなぁって。

都会の底で聴くマチの唄・・・だった。


~2に続く
※これまた昔書いたものに加筆。

・・・

『夜のFM』という歌は、ちょっとだけ可哀想な曲かもしれない。

いや、"可哀想"は不適な言葉だ。だけど、今・現在は他の曲より一歩下がって、仄かな蔭があるような、特殊な位置の歌に思われる。

BEST盤のWORKSやソロ・シングルス・プラスには何故か収録されていなくて、チョット寂しい。一時期(大昔)、この歌はLIVEの華的存在で、その頃のShoyanの傍にいつも居た。ステージの盛り立て役だった。

その後、休養してたShoyanが復活してからはBossaスタイルにドレスアップして、数々の新曲たちの中で時折アダルトな色を添えてくれた。けれど、知らず知らずのうちに段々と有名曲オンパレードのジョイントライブやKAZEひとり旅などが増え、ソロの曲が演奏される機会が減るにつれ、この歌に遭う機会が減っていったように想う。

(これも私が聴きにいけていないだけかもしれないが)

でも、だから、それを60thのアニバーサリーライブに持ってきてくれたのは嬉しかった。この歌は、なんだか"昔の恋人"みたいな、どこかに置いてきたもの・みたいな、止まっている時を含んだ曲だ。

・・・

♪はりさけそうな心 打ち明けられないままで・・・
♪渡したくない気持 君を誰の手にだって・・・

この歌を知った当時は、情熱的な部分が印象に強くて、恋の中にいる時間のことばかり聴いていた。歌と一緒に軽い興奮をいつも感じていた。

だけど、、、最近はやっと、「突然思い出して」の前後の機微を深く感じる。
ソレガマタ セツナイ

2011年11月13日の佐藤準氏との色っぽい演奏でRealizeしたように、この歌の本当の切なさに近づけたような気がして今また違う感じ方で聴いている。たぶん、自分も歳をとったのだろうと想う。

当日のShoyanのヴォーカルも"はりさけそうな心"よりは、聴き流している夜更けのラジオ越しのベルベットVoiseみたいに静かに沁みた。そんな経年が愛おしかった。


「抱きしめるより 見つめて欲しい」

そんな感じで昔の恋人が言う。
少しだけ、想い出してくれる時もあるンだね・・・と。

・・・

初めて聴いた当時は、恋の翻弄ばかりに気が向いて、長い髪や細い肩・など、絵的な事ばかり考えていたのだけど、きっとこの歌の彼女、ワケアリの女? 口説いてはいけないヒトだったのかもしれない・・・

だから、彼の願いがかなっても、彼女的には"blue shade"だったのか・・・と。


♪そう言えばあの日 
君が見つめていたのは
沖行く船の灯り・・・

これもただの景色ではなくて、彼女の"束縛"の象徴だったのかも・と想う。

沖行く船の行く先。 水平線の向こうへ旅立ってゆける自由な心。 籠の鳥のような彼女のまなざしを今、想うと凄く切ない。
デモソレハ安穏・・・

「帰さないよ」というフレーズをもしも彼が口に出していたら、彼女は自由になったのだろうか・・・。この彼の"内部完結"癖はShoyanの歌の基本色。ゆえに過去と現在の層が出来ている顕著な例だと想う。

しかし、夜のFMからは何が流れていたんだろう。何か歌がかかっていたのか、誰かのトークだろうか、自分的にはボズ・スキャッグスやNed DohenyのValentineがかかっていたら胸キュンだろうなと想ってたけど(ストレート過ぎるかな?) 今は、ヴォーカル(言葉)のないメロディーだけの曲だったかもしれない・なんて想ってる。

・・・

人も歌も、近づいたり離れたりしながら時の流れを身につけていくんだ。

♪ふっと現われる時・・・

まさにそんな感じで在るのがイイ。
常に一緒にいて常に盛り上がっているなんて・・・そんな"サイコーの持続"なんて不自然なことかもしれない。そういう点でこの『夜のFM』は翳りを帯びながらも、とても自然にShoyanの一部になっていたのだと想う。

この歌を聴くとき、旧友に遭えて嬉しいような気がする。あの六本木の夜のことはこれからもずっと忘れ難い(涙)。出来ればまたいつか聴きたい。

※Shoyanの歌はリバーシブルになっていて、裏と表の多重構造になっている歌が多い。色んなアレンジでそれを紐解くのも楽しいと想うのだ。

2011年12月

・・・

で、その後『オールタイムベスト・Then&Now』のボーナストラックとして、近いアレンジでスタジオ録音されたのだが・・・、やはり私は佐藤準氏のピアノとShoyanご自身のエレアコで収録して欲しかったと今でも密かに想っているのだ。(岩井さんや細井さんの演奏がどうこうではなく) お二人の演奏はなんとも他に代えがたいものがあるのです。

そのあたりはせっかくなので、六本木のアニバーサリーライブの感想を再アップしてみようと思う。Shoyan&JUNちゃんの演奏に関してはそこにて・・・つづく。

最近ではエレガットで立ったまま、片膝を軽く曲げて刻むShoyanがメチャカッコよかった。84年ころにNHKFMか何かのスタジオライブでやった、バンドでバリバリの『夜のFM』もカッコよかった。あのエアチェック音源は死ぬほど聴いた。(高校生の時、本屋でバイトしながら隠し持ったラジカセで必死に録音したものだ(笑))

君焚きのラジオ番組内でラストの英語歌詞の説明があったと聞くが、私は君焚きをあまり聴きこんでいないので(個人の事情)いつかそのうちに、、とは思っているけど、「ふっと現れる時派」の自分はずっと放置のままでいくかもしれない。
(でも六本木音源をオンエアしてくれたのは嬉しかったですが)

・・・

夜更けにふと聴くFMの、ちょっとチリっとした音に大人の時間を感じていた懐かしさ。私は想い出す方だろうか、それとも想い出される方だろうか・・・

新音源のラストのラストのほんの消え際に、うっすら聴こえる唯一のガットギターの幽かなフレーズは、遠い昔の面影からの問いのようだ。
さて、ここのブログも年額を払い込んで有料バージョンを更新しました。まだまだやる気なのか自分!?(笑)


で。明日の富山公演、なんと、凄く楽しみにしていたはずの現地の知人が、友人数人ともども参加を見合わせることにしたとのことで、変異株のこの昨今の状況はやはり真剣に対応しないといけないなと改めて思いました。

でもその一方で、他県(首都圏)から行く気満々の人たちもいて、すごく楽しみしているらしくて、聴き手・ファンのスタンスは完全に二分化しているなぁと改めて実感しました。

しかし、富山公演に関して公式からは何もアナウンスがないということは、普段のコンサートと特に変わりないということかいな?(座席も全席だし)

コンサートに行く人、行けない人、その両方にもう少し丁寧な対応をして欲しいと願います。

キモチで補えること、まだ沢山あると思うから。

プロフィール

HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!

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