Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

2025/08    07« 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  »09
私事ですが、8月1日にワクチン接種2回目を受けてきました。  

発熱などを見越して事前から色々準備をしていたのですが、私が接種したメーカーのワクチンは副反応が多いらしく38.4度の熱が丸1日以上でまして、体の痛みも激しくずっと寝込んでいました。ペットボトルの蓋が自分で開けられなかった(^_^;)。

しかしその間に50周年記念の音源発売が連続で発表になり色々思うこともありまして、何を書いていいのかわからず時間ばかりが過ぎておりました。ここでも以前少し書いた1994年渋谷公会堂の『 メガロポリスの錯覚』のことは、改めて書きたいので後ほどまた。(当時のスケッチブック日記など読み返しております)

今回発売される音源のツアーではありませんが、翌年83年のアルバム『ORANGE』発売の頃の広告が出てきたので載せておく〜(*´ω`*)。 これまた当時高校の授業中に下敷きに入れてニヤニヤしていたやつです(笑)。

しかしこうして見ると、風やかぐや姫の頃は本当に無理だとしても、最近のコンサートでも全然参加できていないやつばかりで、私って伊勢正三のコンサートイベント活動とは本当に時期が合わない在家なファンなんだなーって改めて落ち込んだりもしました。

でもそのぶんやっぱりまた曲を聴きこんで行こうと、改めて思い直しもしました。

↓行きたかったね〜このツアー(;´Д`)


お茶目なShoyan大好きです♪

現実逃避〜(*_*)
おっと!関内ライブの写真が多数アップされて非常に嬉しい!!

黒い T シャツとかカッコいいじゃン!(*´ω`*)

んだけど、なんだか、なんとなくヘアスタイルが伸び過ぎ感?コロナで美容院行ってないの?(^_^;)マサカ。そして少しマスク生活の影響が?なんか貫禄ついてきました?

※私は去年1月立川ライブの直前に行ったきり、コロナ収束の願掛けをして、美容院にも行かず髪を伸ばし続けています(笑)。

Shoyanはもう少しスッキリカッチリしたコスチュームで攻めて欲しいんだけどなー。スニーカーじゃなくてブーツで、ちゃんとジャケット的なものを羽織って欲しいのだ。なんてナマイキにいつも求めています。

でもまたスルーネックレス復活してニヤニヤ♪

、、、

もう真っ黒サングラスを外すこともないのかなと、少しそれは寂しい。

でも、またいつか穏やかな夜明けが訪れることを、諦めないで待っている。

あ、明日はかつしかチケット確認の日だ〜

暑中御見舞い申し上げます

書きなぐったまま放置してずいぶん時間が経ちました・・・が、梅雨明けのあまりの暑さに活動が停止していただけであります。毎日、体温より高い外気温で脳みそが茹ってしまい、日常生活や仕事で精いっぱいだったのでした。夜はもうグデグデのダラダラで何も出来ませんでした(^^;)。

で、なに、50周年のアルバム?レコーディング?

また聞きのまた聞きなので仔細不明なのですが、関内でのMCでそんなことが出たとかでないとか、、、もしそんなこと事実なら超嬉しいのだけど、公式でも何もアナウンスないな・・・?

それはのんびり待つとして・・・

そんなわけで、出没低下放置気味の訳は『猛暑』というご報告です。

あとちょっとお絵かき作業もしてみるかもなので、まばらになっていてもご容赦ください。気長にお付き合いいただければ幸いです。

※でも心の中はウズウズしまくりなんですけどねっ
昨日、夜中に書いて勢いで載せたものの、寝る直前になってやはり取り消し、でもやっぱり載せておくことにしたので時系列ちょっとおかしいですが原文のまま再掲します。今日はかつしかの先行予約が突然始まったりして更に思うことはあるのだけど、まずは昨日のワタシから・・・

※以下終始愚痴です。スルー推奨(^^;)。

・・・

本当は今日は、

 「週末色ってどんな色?」
 「明日横浜行けなくて悲しい色やね」
 (それ別の人の歌!)」

って言うのを書こうと思っていたのですが(笑)、なんだか~、今日の公式Facebookの2投稿を見てガックリ来たというか、脱力なのであります。

軽井沢の大賀ホールのライブは、やはり特別な思い入れがありまして、あれこそ今一番Shoyanらしい・ファンも聴きに行きたい・互いの気持ちが通う最たるスタイルだと思っていました。

それが今年もない・・・
サミシサの極みであります。

もちろん、開催されるとなっても行ったかどうかはわかりません。ワクチン接種のメドも立ったので、行こうと思えば行ける距離だから「行けるかな?」と、正直チラリと頭をよぎりはしましたが、やはりまだ怖い・・・会場内というより、現地への移動・接触もです。世の中の明るい兆しはまだ確証もないから(むしろ悪化)、きっと行けても心からは楽しめないだろうって気持ちがありました。だから、今回の開催なし告知はチョットだけ安堵した気持ちもあります。悩まなくていいのですから!

がしかし、その反面で、じゃぁなんで横浜や大阪は開催されるの????というギモンも湧くわけで、ましてや今日の(いきなり前日になっての)仰々しい注意喚起。マスク・体調管理・距離開けて・声を出すな・手紙もプレゼントも受け取らない・車や宿泊施設交通機関での入り待ち出待ち待機不可(そんなのする人いるの?^^;)などなどの事細かい内容に辟易であります。

もう、そんなにもお客さんを遠ざけて注意と要請で負担を強いるイベントってなんなんだ??と思ってしまった。コンサートって何をしに行く場所なんだ??と。

それならもう少しワクチン接種が進んで数字の上でもちゃんと目に見えて落ち着いて来るまでコンサートはやらない・計画しない・という選択肢はなかったのだろうか、と思う。

しかも逆にナゼ、感染者数が多くてホールも満席売っている横浜や大阪はよくて、大賀ホールはダメなのか?大賀ホールだって感染対策をして開催すればいいじゃないかと。

・・・

実は昨年末に某フラメンコギタリスト氏の大賀ホールからの生配信を拝見したのですが、お客さんも入れての中継でしたが、席が一列ごと空けて左右も3~5席おきくらいにしてお客さんが座っていました。会場側のスタンスなのか、アーチストのスタンスなのかわかりませんが、あれでは採算はとれないでしょう。けれど一定の安心感と信頼感はよくわかりました。満席売らないとやる意味がない・そのあたりが理由なのかなとか邪推しております(--)。(払い戻しも不可みたいだし)

でも、、お金が必要なら(リアルなフレーズ^^;)配信でいいのに・・・と、Shoyanが私たちに呼びかけてくれるなら、画面越しだっていいじゃないかって思うし、ちゃんと対価を払って鑑賞したい・参加したいって思います。『安心して楽しめる』それが今何よりも大切なんじゃないのかな。短い横文字動画でやってる感・ではなく、立ち消えにせずちゃんと一本ライブ動画を作ってくれたらいいのに、と。(今回の関内ホールで一縷の望みを!?)

手紙もダメとかいうのなら、ちゃんとファンレターやメール?の宛先くらい告知して欲しい。(不要なのかな)私たちはお金だけで繋がっている消費者なのだろうか・・・ファンてなんだろう?、、、と。

伊勢正三というアーチストが現役の表現者なのならば、理にかなったステージを用意して欲しいと、本当に、本当に心の底から願います。

明日のライブが行った人にとって最高の幸せになることを祈っています。

(こんなことばかり書いて、ブラックファン認定ですねワタシ^^;(笑))


☆そういえばところで、Shoyanご本人は接種されたのかな?それだけはメチャ気になります。とにもかくにもご無事とご健康を遠くから祈っています。

*こんなサンプルEPがあった♪

「リアス式の恋」

なんともShoyanらしいタイトルである。
「それ何?」と思わせてしまうキャッチーな組み合わせ。地理や観光に興味がなければ、そんなに身近な言葉ではなかったかもしれない。しかもその「恋」とは?

普段は穏やかな、細長い奥まった入江。でも一度波が押し寄せてくると津波になって斜面を駆け上がる。その、倍々に掛け算になるパッション。そして、岬~入り江~岬~入り江・・・と凸と凹の連続なワインディング。恋の定まらぬ熱量の象徴かなと思う。

『ORANGE』というアルバムの幕開けに本当にピッタリな、真っ直ぐでワクワクしたこの曲が大好きだ。溌剌とした青い柑橘系のスプラッシュ!もう40年近くも毎年聴くのだけれど、本当に飽きない。もちろんすべての曲が飽きないのだけど、ORANGEの収録曲は特に「今来た」感が褪せない。つい、まだ当時のままの心で聴いてしまう。

好きすぎていつも聴き流しているままだったので、改めて聴き直すとまるで玉手箱のようなアレンジで感激が深まる。モチロン、私は"佐藤準愛好会"(※笑)会員なので、準チャンのやることなすこと大好きなのですが、この歌、Shoyanのヴォーカルひとつとっても、最初の

♪走る景色に重なる~

からのフレーズはディレイ(リバーブ?)が効いていて、抑えた伴奏の表面に浮き上がったShoyanの甘い甘い声が際立ってタマラナイのだけど、更に

♪気分は週末色に~

のところで、「週末色に~」から「~待ち合わせたけど」まで、極限定的にファルセットのような別のヴォーカルが被さっているのだ。歌詞からすると中途半端な箇所なのだけど、前後のメロディ展開の導入や繋ぎに関わるタイミングが絶妙。この限定的な高い声のユニゾンが無意識に働きかけてドラマチックな仕上がりになっていたんだなぁと感銘なのだ。(素人の感銘ですお許しを^^;)

♪このまま遠くへさらってゆくつもりさ~ 

からの♪トゥルル系コーラスも本当に軽快でお洒落でスタンダードで、楽しい気分になる。せつない曲や哀しい曲は印象に残りやすいが、こういったコロコロと転がるようなサックリした恋の歌もShoyanの歌世界では多数輝いている。特にこうした超級ミュージシャンたちの参加もあって、本当に屋台骨のしっかりとした色っぽい永遠の作品群だなぁと今になって思う。

このアルバムの他の曲でもそうだけれど、佐藤準氏の裏メロ仕事がそこココに効いていて、様々なエレピやシンセの音が聴こえる。 最後のリフレインにかかってくるシンセのピコピコした音も超可愛い☆ドラムスやベースはミュージシャンの演奏なのか、準氏の打ち込みなのかは各曲のクレジットが無いのでわからないけれど、この曲、ギター系はほとんど聴こえないので準チャンと正ヤンの声だけで出来ちゃうんじゃないかな?などと思って余計に愛着なのであります。

※佐藤準愛好会とは
準氏の音楽を愛してやまない私が勝手に名乗っているだけのミニマムな団体です(笑)。

・・・

この歌、タイトルに続いて言葉がとても面白くて、「週末色」とか「紅茶も冷めないほんの15分」「高速はジグザクの夜」「マリンハウス」 なんて、Shoyanの実験魂が感じられて、以後そういう「言葉」に敏感になっていく受け手としての自分の出発点だったりもする。
(そういえば、キリンジの歌にも ♪熱い紅茶も冷める距離だね~なんてあるけど、紅茶って"冷める前提"なんですね)

♪走る景色に重なる君の横顔が好きで~

とは?
もしや、時々助手席に乗せながら、運転中にチラ見していましたね? よそ見運転ギリギリですね?(笑) 「うでの中」の君のこと2日間も考えてて、思いつめていて、15分で逃したら言えなくなるとか、切羽詰まっていますね(*´ω`)たまらんですね。『夜のFM』では言えなかった想い、ここでも同じように心の中でグルグルしてるのだけど、今度は違う。言葉以前にある大前提!

「好きになってしまえば 同じ気持ちがかよって」

という、この恋の鍵がこの歌ではガチャっと回されるわけで、待ち合わせてドキドキしながらテーブル挟んで君の顔色を伺っていたら、君がかすかにうなずくのだ。その、ほんのほんの極ちっちゃいリアクションによって劇的にシーンがガラッと変わるのが快感なのだ。「それでどうするの?それでどうするのー?」と、こっちが身を乗り出して聴いてしまう悦びがここにある。

最終のフライトにまだ間に合う・って、飛行機まで使ってどこまで行くんだ!?っていうぐらい壮大な恋愛の幕開け。急に二人の密着した物語が始まって、「思いつめてる」が二人分になって、一気に熱量があがって色々なものが膨らんでしまう。身体が熱くなるような最高潮のクライマックス!

だが・・・それと見せかけて、話はそこでスパッと肉体を通り越して、心の機微にストンと嵌まるエンデイングのリフレイン。

♪秋には さびれてしまう
 マリンハウスの
 そんなせつなさが
 好きな ふたり

これ本当に凄いんだ。

この二人、これからナニすんの?どこ行くの?恋はじまった!!うわーっ(*'▽')!てトキメイた瞬間に、侘び寂びの機微で余韻だなんて・・・寸止めの極みのようで胸の中はずっと巡ったままになる。永久機関のように・・・

この最後のフレーズが私は大好きなのだ。「そんなせつなさ」を知っている者同士はきっと、相手のことを自分のことのように想えるのではないか・と。そして、いつか「恋」が終わっても、その次に在るものを見つけられるんじゃないかなって。

余計なことを何も入れないで、このフレーズですべてを包み上げたShoyanからの珠玉の贈り物だと思う。だからずっとずっと大切にしてこられたと、この可愛い歌が今凄く愛おしいのです。

・・・

☆追

アルバム『ORANGE』は、自分が車の免許さえ持っていなかった頃に聴き始めたアルバムだから、シチュエーションにとても憧れていた曲が多い。国道10号線を北へ走るのは実際にやったケド(笑)、高速でジグザクの車線変更とか、岬を回るドライブや、豪雨の中のドライブなど、今でも憧れる気持ちが強い。その情熱を今でも時々懐かしく思うし、なんとなく自分の中にまだ埋もれてあるような気がする。 この頃ってシートベルトをしなくて良かった頃かな?今より少し自由だった。ハメも外した。情熱に憬れすぎてカラぶったことも多々あるが、『リアス式の恋』は私の青春に添ってくれた大切な一曲であります。

※今ちょっと調べたら、高速道路のシートベルト着用義務化は1985年からだった。本当にこのころはシートベルトもしなくて良かったんだ。バイクのヘルメットもね。 そう考えると結構時間が経っているね笑。


好きになってしまうと同じ気持ちが通うのは、このアルバムでは一つの大事なフレーズ。 フライトも高速道路の逃避行も、夏も旅もいろいろリンクし合っている曲が多い。印象がよくまとまった素晴らしいアルバムだ。当時のギター誌のインタビューで、『ORANGE』とは故郷のみかん畑のオレンジと、夕暮れのオレンジ色、トンネルや高速道のライトのオレンジ色がリンクしている、と語られていたように思う。故郷=ルーツのことはとても大事なことだから、そこを意識して聴いてみてね♪というShoyanからの導きに気付いたアルバムだった。また他の曲のことも考えてみたい。自分にとっては80年代の曲たちこそ"故郷"なのだと最近改めて意識しなおしている。
☆そのインタビュー記事で、自ら運転する車中のShoyanご自身の横顔写真が載っていた。真っ黒サングラスなのだけど、左ハンドルにかけた細長い腕が素敵で・・・下敷きに入れて授業中ずっと眺めていましたわ(*´ω`)=3。ドライビングShoyanは永遠の憬れです☆
突然ですが、実は昨日第1回目のワクチン接種をしてきました。あまりに急な事で自分でも気持ちが整理できていません。

近所に医学部がある大学があるのですが、学生や職員さんたちへの接種が始まりました。その中でどうしてもキャンセルが出るのだそうです。 そこでワクチンを無駄にしないために、接種会場の大学まで15分以内に来れる人ということで声がかかりました。

連絡が入り、急遽家人と行ってきました。1日たって、今のところ、腕に力が入らなくて痛いだけですが、考える余裕もあまりないままの接種だったので不安もあります。

、、、

自治体のインフォメーションではまだ接種券の発送の有無すら未発表で、本当に予想では秋から年末あたりなのではと思っていました。 同世代の友人や知人でもまだ打ってる人はほとんどいません。

いざワクチンの接種をしたらしたで、違う角度からの不安や格差に苛まれています。心がすごく揺れています。

コンサートやイベントだって、やっぱりみんな同じ立場で、せーの!でお祝いしたい、逢いたいという気持ちです。そうじゃないと心の底からの喜びというものに出会えない気がして、、、涙。

とにかく今は自分が置かれている立場を精一杯生きるのみ!まだ事態は何も解決していない、それを念頭において頑張りたいと思います。  

余計なことかもしれませんが、一応のご報告を書かせていただきました。
 
十何年も前に書いたことを今読み返しても、その頃とは違ってしまったものがある。gardenの曲たちは特に、当時ちゃんと聴けていたのか自信がない。自分の感性を今一度見つめ直してまた新たに聴き直さなくてはと思っている。

以下、その10年以上の行ったり来たりを交えながら、脱線しまくり再考再投。イミフメの長文ですがお許しを。

・・・

自分語りから始まるが、この唄を聴いて思い出す風景がいくつかある。想像の景色ではなく実際に昔自分が通っていた川なのだけど、そこは東京から近い神奈川の小さな川。流れ沿いに林道があり、釣りあがっても下ってくるのが楽でヘタレな私でも魚釣りをすることが出来た。両側が少し高くなっていて、ちょっとした谷間になっていた。小さな滝もあった。私はいつも父母・妹など家族で釣りに行っていた。

当時、夢中になって釣りあがっていくとあっという間に夕方で、日暮れ時は一番釣れるので終り際が一番テンションが高い。不思議なことに魚(ヤマメ)は真っ暗に暮れた夜でも釣れた。膝より下の浅い瀬に月の光が飛沫になっている夜の川はすごく綺麗だ。私なんかはロマンチックな気分になりそそくさと竿をしまうのだけど、しつこい父や母が竿を振るとそんな月光の瀬でヤマメが釣れるのだ。川の中はどうなっているのだろう?山の夜は暗い。林道の入り口の小屋&駐車場まで戻らないと灯りはない。流れが浅くて川原が広いから歩いて帰ってこられるけど、その時間になるとさすがに他の釣り人はほとんどいない。そんな真っ暗な中でエサが見えるのか?魚にとっては日没からしばらくの間は夜じゃないのかもしれない。その日は月が綺麗で、山と山の間にぽっかりと光っていて絵のようだったのを覚えている。

そしてもう一つの風景。私が今いる場所の裏の山には本物の夜がある。砂防ダムと林道のアスファルト以外に人工物がないような深い山。実は今の自宅から50mほど下にあるコンビニが山を降りて最初のコンビニだ。ウチから上にはもうコンビニはなくて、標高2000m以上の国立公園の山々を越えて長野県に出るまでないと思う。最近、ちょうどその長野側に行くことがあったが、地元のスーパー以外コンビニはなかった。がしかしなんと!近くの某施設には釣行で訪れたShoyanご本人のサインが飾ってあった!2004年春のもので、まさにgarden直後のものかと思うと感慨深かった。

そこは本当に深い山塊だ。だけど、そんな中で月の光が降り注ぐ川に下りてみたい気もする。自分がオトコだったらきっと野営に出かけたに違いない。水晶が光る夜の川から上を見上げたら宮沢賢治のお話のように美しいものが見えるかもしれないね。・・・と、これを書いた当時は思っていたのだが、実際は・・・>文末に続く(謎)。

・・・

真夏の昼間ってほんとにまったく喰わないヤマメ。アブラハヤやオイカワまで釣れない。Shoyanが擬人化して呼ぶ「君」は誰もが胸の中で泳がせている夢という川に棲んでいるヤマメだ。釣れる時間のことを「朝マズメ」「夕(ゆう)マズメ」なんていうけど、釣れない時間は何だろう?凪というほど止まる訳じゃない。川は流れているんだ。その追い立てられて留まれない時の流れの中で、だけど居眠りをしていたい時もあるよね・・・。

大岩の下だろうか、張り出した緑の枝の下だろうか、、、gardenはその喰いを忘れてうたたねをしてるような、まどろみのようなニュアンスがあったかと思う。サウンド的なことは詳しくないけど、アレンジもエレキかエレピのアルペジオが、アコギとストリングスの透明キラキラ感に纏わりついてしまうようなモワモワ感があって、それがちょっと気になっていた。当時のShoyanご自身の自負は他からの評を許さないものがあったかもしれないけど(汗)、やはりまだ実験的な部分もあったかと思う・・・。ただ、なんとなく、それから10何年もの時を経て、Shoyanご自身の今=未来、はまさに「マズメ」の時間!喰いまくっているなぁ、という感激の中にいる。Re-bornの構成は詞もサウンドも予断のない完成だったと思う。ずっとShoyanは前へ・奥底へ・高みへ・と精進されていたのだなぁとわかる。『夏ヤマメ』は出発点だったのだなと。

夢の着信履歴が残った携帯を置いて、新しい瀬に泳ぎ出した今のShoyan。サイドチェンジのボールをとうとう蹴ったShoyan。今は竿を置いて、フライボックスは閉じたまま、、、釣り人ではなく、自在に泳ぐ魚のようなスタンスなのかもしれない。♪だって真夏の午後はCrazy~ですから。

確か、ランタナや準決勝で夏が終わったくだりはShoyanご自身ではなく、お知り合いのエピソードだったように思うが(うろ覚え)、Shoyanの音楽活動50年の記念になる今この歌を聴けば、その夢の種をとてつもない大株に育てあげて、またバッサリ刈り取って切り倒すような、Shoyanのスケールの大きな人生に感嘆しきりなのだ。その端に自分も触れられるといいなと思っている。

・・・

話がまた戻るが、ちょうどこの歌が発売された頃、釣りをしたいと横浜から若かった妹夫婦と幼い子供たちが遊びに来た。ファミリーで行けるような川で釣るのはハヤとかオイカワなんだけど、妹はすごく嬉しそうだった。学生の時以来、子育てで自分を忘れていた妹の息抜きだった。昼の暑い時でナカナカ思うように釣れないのだけど、竿を離さなかった。そんなママを見て子供たちは最後まで「帰ろう」って言わなかった。

誰も皆、少年なんだろうと思う。
女の子もだ。
少年の心というのは人間の基本的なキモチのような気がする・・・。当時の妹も夏の名残のような蒸し暑い日に、心の三角窓をちょっとだけ開けてみることができたのではないだろうか。男の人ほど大きな旅はできないけど、女のコだってライズしてみたい時があるんだなキット。

おっと、家族の話になっちゃった。
でも、Shoyanの唄は私にとって家族のようなものだから、一緒に語ってもいいのだと思う。

ちなみに、Shoyanご自身が乗られていた車・いすゞ117クーペの三角窓を思い出したりする♪

・・・

『僕と子犬と1月のバス通り』でも「彼」と僕だった。
犬を「彼」、ヤマメを「君」って呼ぶShoyanのその目線が好きだ。ライブのMCなどでは「gardenの中では一番解りづらい唄と言われてるけど」のようなことを言われていたが、色んなシーンが切り貼ってあるからかと思う。多次元中継になってるようで、それらのシーンを行き来するのがとても楽しい。

月が照らす群雲の夜空からランタナが七変化する庭先、携帯電話の液晶から泡立つ冷たい淡水の中。男女のリアルなやりとりがあるわけでもなく、切ない恋がある訳でもないが、なんともキュンとする愛の唄だ。この唄を聴いていると"夢見ることに嘘つきじゃなかった頃の自分"と今現在の自分との距離を辿る過程にキュンとする訳で、その"自分時間"と"草花や川の流れの自然の時間"との対比がなんとも切ないのだ。夢を見ることも叶えることもほとんど出来なかった私にもこの歌は優しい。むしろ今になって余計に距離が縮まったような気がしている。

自然をいとおしむ心も、自分を愛してやることも皆ラヴソングになる。こういうShoyanの胸ポケットの中のような唄が大好きだ。

夏の木陰の緩やかな淵で、水の天井を見ながら私もうつらうつらしてみたい。色んな小さな夢が浮き上がって羽化していくのをボ~っと眺めていたい。今年は釣りに行こう、コロナ禍二年目の七月の最初の日にそんなこと想っている。



・・・


※何年か前、長野県のとある標高の高い源流で、車のキーを急流に落として紛失しました。うかつにも予備を持たず(アホ)、ずぶぬれで探しましたが見つからず(当たり前だ)、保険会社のレスキューを要請して、川の水で冷え切った身体に、真っ暗な森と急流の流れの傍で何時間も過ごしました。満月が木々の間に昇り、川の冷気と鹿の鳴く声・秋の夜温、それはそれは恐ろしいものでした。月の光は自分の無力さを反省する鏡でした。

恐怖と心地良さが完全一致してそこにある、それが原始の森だなと実感する出来事でした。天然が心地良いのは「帰る保証がある」からこそなのだと痛感いたしました。備えあってこそのロマンチックだと・・・。

信州限定キティちゃんのキーホルダーが付いた車のキーをどこかで見かけたら、ご一報ください(^^;)。


※一部加工してあります
※セルフカバーアルバムが発売されたころに書いたものに加筆。

・・・

以前どこかで、アルバム『メガロポリスの錯覚』の頃のShoyanのヴォーカルが好きだと書いたような気がするのだが、そのアルバムの中でも、特に『WRONG TIME』の歌い方が好きだった。こういう歌い方、もっとして欲しいと想っていた。あの、低く底の方を浚っていくような囁きはISE SHOZOの"裏魅力"というか・・・私の密かな発見だと思っていた。

そして、あの頃から随分時が経ったけど、今回、セルフカバーのアルバムが出ると聞いた時やっぱり

>今の正やんには
>優しく、甘く、柔らかく・・・そして時々スパイシーに・・・
>声を置くように歌って欲しいのだけど・・・

と、想った。

今、そんな永かった願いが更に甘さを増して叶った気がしている(涙)。

というか、私の"願い"だなんて不遜だ。Shoyanの現在のNaturalがそうなったのだとしたら、そこに、自分の心が偶然寄り添えた・・ってことなのだろうと思う。

・・・

『渚ゆく』に関しては、思い込み全開でしつこいほどのキモチを書きたいと想う。歌の内容・言葉の意味などは今は置いておいて、感じたことを好き勝手に(ほぼ妄想で)残したい。

手にして以来、毎日毎日聴いているけれど、その歌声はもう、それ以上を望ませないほど最高に、最高に"私にとってのこの世の音の全て"だった!私が伊勢正三のことを何故好きなのか?という、原点が解禁になったような現象が起きている。 ※そしてそれはRe-bornで倍々に開花したのですが、それはまたいつか。

とても独りよがりな受けとめ方だけど、やっと、隅々までのその"Shoyanの音"と一心同体になれた気がしている。こんなに一体感を感じるヴォーカルって今迄他にない。

俗っぽい意味ではなく、本当に・・・素肌や身体さえ通り越して、互いの胸と胸の中が溶け合ってひとつになれる愛のヴォーカルだと思うのだ(涙)。

こんなにも聴き手に寄り添える歌を歌うことが出来る今のShoyanを心の底から尊敬するし、その胸の内をそこまで解放できる潔さ・懐の深さ・愛の深さを想うと、心の芯から熱い震えがくる。どこか、胸の奥の目に見えない遠いところで、奏でるものと聴くものはすべて繋がっているのだと・・・

 ソンナ オモイコミ ユルシテ クダサイ…

クジラが使う海の"サウンドチャンネル"みたいに繋がっているのか?
いや、それ以上にソコとココに"同時発生"しているものを如実に感じさせてくれる。それは眼に見えないしカタチのないものだから、証明するのは普段は困難だけど、同じく目に見えない「声」に「想い」を込めて繋ぐ・という作業を、今回Shoyanは実現したくて、このセルフカバーアルバムを作ったのではないかしら、なんて想ったりする。

目に見えない「声」というものの情報量がいかに多いものなのか・無限かと言うことを、Shoyanは今回の『渚ゆく』で証明してくれたんだ。40年以上も"音楽という悦び"と自らの感性に誠実に向かい合ってきた伊勢正三と言う人の真っ直ぐなまなざしなのだと思う。その動機を思うとこのセルフカバーの音源がどんなに濃くて愛おしいものか・・・感激で胸がいっぱいになって、言葉より先に涙が出る。

・・・

今回、この『渚ゆく』が一番生まれ変わり度が高いようで、新しい情報いっぱいなのが嬉しい。

この骨太なロマンチシズムが新鮮。"Rock Bossa"って感じがイイ☆ 新しい愛の強さを良く示してくれてるこの"ロマンチックにノれる"アレンジがとても素敵。

81年オリジナルは朦朧体ニュアンスが濃くて、当時流行ったリゾート画みたいな少し線の細い優しい色合いだったけど、今回は下地にキラ(雲母)を塗った岩絵の具の発色みたいで、そこに程よく吐息が沁み込んだ筆のようにShoyanの声が言葉を置いていく・・・何度見ても飽きない"永遠の渚"の風景。本当にShoyanらしいと想って憧れる。

2コーラス目からは更にその"囁き筆致"が増して「悪い癖」の「わるい」、「もてあそび」の「あそび」、「海風」の「うみ」、そういったところに痺れるほどの官能が溶けている。これが今回一番の聴き処なの。

この安堵感と一体感はまさに"Shoyanの腕枕"なのだと想っている。

腕が痺れては明日の仕事に障るので一晩中とは言わないけれど♪ この4分45秒・・・それだけ、無心で甘えさせていて欲しい。そんな幸せな妄想は純粋に心の糧なのだ。

もう、テクノロジーとか音楽の理論じゃなくて、裸の心と心の摩擦熱の高さがこの歌の評価だと思う。

ラストのガットギターのフレーズは、このアルバムで一番饒舌な愛の囁き。ずっと待っていた♪

 「その愛が何よりも強く光り始めたら、もうずっと一緒だから」
 「それに気付いたら、これからはもう離れないんだヨ」

って、

いつかきっとこんな風に言ってくれると思ってた。一番欲しかったResponseのような気がしている。私が一生聴いている分のそのすべての答えがここにあるような、Shoyanからの最高のGIFTをこの数秒のギターのフレーズに想う。

なんだかやっぱりまだ想っていることを上手く書けない。もどかしくて、でも愛おしくて、まだ、まだ何度も何度も繰り返して聴く。

初めて聴いた時からずっと導だったこの歌を、更に強く光らせて高く掲げてくれた今のShoyanに感謝の気持ちでいっぱい・・・。

音で抱きしめてくれて
アリガトウ(涙)

・・・

※2021追

と、よもや、これより更にこの愛の世界が深く潜行するとはこの時はわからなかった・・・ということは・・・?まだ今からも更にどこかへ向かいつつあるのかもしれないと、アキラメない愛の行方を・・・だ。Re-bornの先、テレポーテーションの先、いや根源に戻って永遠の渚の風景を・・・と。

プロフィール

HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!

☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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