Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

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今になって何故かHIRO氏の『祈り』が自分の中から押し上がってきました。

刺さる・の逆で、自分の中から錐の先が飛び出してきたような新しい感覚の一体感であります。思ったことを断片で載せてみます。

・・・

この歌、Shoyan感性の白色矮星というか、ブラックホールよりも恐ろしい、近寄ったものは瞬時に焦げて蒸発してしまうほどの億次元な世界なので、本当は触れたくないのです、怖すぎるんです(諦)。でも、何故か最近近寄ってくるのです。

だって、語れる訳ないではないですかこんな弥勒な世界の異次元の技を・・・(憧)。

ただ「あいうえお」を組み合わせていろは歌をつくるならまだしも、その語頭と語尾を縦読みにしてひとつのフレーズにして意味を繋げる、それを更に3回繰り返す、美しい言葉・無駄のない言葉・由緒正しい時間を背景に持つ言葉、そしてそこに深いメッセージが籠めてあるという。こんな仕業は言葉の神様に宇宙の果て量ぐらい愛されたものにしか出来ないことじゃないですか。この地球上にそんな人、Shoyanの他にいないです。ノーベル文学賞とか吹っ飛ぶレベルの紡ぎ物だと思うのです。

そんな作品を凡人の私が語れるわけはないのです。なんとか気を振り絞って読み進めたって、一回で氷の動悸が襲ってきてハンマーでぶん殴られたようなめり込み感です。

(これ、褒めていると想って下さい^^;)

なのでずっと、HIROさんが良い声で歌う有り難い経典かゴスペルか何かだと思うようにして聴いてきました。真顔ならぬ真耳で聴くと気が狂うのではないかというほどに・・・

ただ、時代が進みました。
この歌が世に出てから五年経ち、この歌に自分は近づけている気がしています。

ここ数年で起きた疫病禍や、それによって戯れ名を全うして亡くなった有縁の街の達人や、パニックの幕開けのような豪華な御船の孤立事案、本当に許せぬ奴が思いがけぬ理由で滅んだり、ちょうど始まった大河ドラマでは背守をつける者共の話だったり、たった数万円のために自分の人生を棒に振る荒んだ者たち、、、私にとっては予言の書のように聴こえました。

寒気もしたけれど、胸に抱きたいほど近しいものにも思えたのです。
世に「必然」というまやかしの言葉がありますが、作者Shoyanの中で、この歌は「自然」=「おのずから然り」だったのではないでしょうか。そこが凄いなぁって、何年も聴き進めてきて改めて今思っています。

・・・

船と二艘の舟。
「ね」と「ふ」は二回とも『ふね』でした。

♪胸の片隅にそっと繋いでる〜風を待つ舟
♪それが僕らだけの箱舟でもいい
♪青春の難破船〜男なら漕ぎ出す

と、Shoyanにとって『舟』は余程の重要なアイテムなのだろうか。なんとなく、ご自身の自意識・自覚が水の上に在る舟のような感触なのでは?と、勝手に生意気に想像しています。

・・・

二篇目の♪永久は無間川〜

パッと聴きは辛そうなのだ。
絶望かと思う無間の真暗闇を感じるのだけれど、Shoyan御本人の注釈を読むと愛の世界らしいのだ。ビックリなのだ。二艘の御舟がアナタとワタシなのならば、無間苦の流れの上で”板子一枚下は地獄”という危ういラフティングだとしても、焦げる寸前のカラメルのように、聴こえている音はハードなのに実際口に入れて味わったら甘いという・・・隠された愛の舫い綱がたまらない二篇目です。

でもここで「許せぬ奴」「滅び」など、暗い言葉が出てくる。

続くクライマックスの三篇目も「我を殺す」「世の終わらむ」「荒んで」などと物騒なフレーズが出てくる。この全編無意識の作為の結果がこの暗い言葉たちなのが興味深い。Shoyanのその自覚の覚悟を見切った、その時のお心の内が強く発露したのかなと、非常にストレートに闇を感じることが出来るのです。

ラスト、 注釈では

「はたと 楚歌 焦りて」



「周りからの孤立無援を覚えながら」

とされている。

楚歌の意味は全くそのとおりだと思うのですが、私はここで傍らの虞美人の役割を考えたい。

ガチの戦ならば、城が落ちれば主には死しかないが、孤独と孤立は違う。我を殺す=迎合ではなく、新しい自分の確立なのだと思いたい。

四面から聴こえる楚歌(アイデンティティ・過去)は捨てるべき価値観かもしれない。身ぐるみ剥がされてみっともない身一つに成り下がっても、自分が一番愛したもの(虞美人)ひとつ傍らにあれば、我を殺すど真ん中に死地を開くことも出来るのではないか・・・と思うのだ。

「虞や虞や、汝を如何にせむ・・・」
とは、自分の本心を活かすのか殺すのか・という問いなのではと想うのだ。

そんな正反対なことはこの節には書いてないが、波を立てても添い進む二艘の御舟を私はそこに持ってきて考えてみたい。

自分の道って辛い。
 何気なく過ごしてきた日々が急に終わろうとしている。抗えない流れ、どうしようもなさに無力で叩きのめされ、自分の心もやけに荒んでいる。その中で生きるのか、 殺すのか、殺されるのか・・・


『祈り』ってなんだろう。
その心の荒みを払って希釈するための手段かな。

『呪い』は貧しい者たちの唯一の最終兵器なのだそうだ。
『祈り』は身体どころか、心ひとつあれば誰にでも生み出せる最初の光、なのかもしれない。

宵闇・真暗・夢・逢う夜
そこに灯す想いの集約。
セントエルモの火のように、苦しみと希望の分子がぶつかり合って心が具現化して光ればいいなと思う。そんな小さな光でも誰かのためになるかもしれないと信じて祈ろう。

この、全編重々しい、一見陰鬱にも傾きそうな歌だけれど、一番底には”希望”が忍ばせてあると信じつつ、伊勢正三氏が現す大きな闇の暖かさに抱かれる想いで聴いているのです。


☆2020/04/08 (Wed)『騅不逝』

4年半前に書いた時は怯えていて散らかったことしか書けなかった。今はもう少しだけ書けた。また数年経ったら何か想えるのかもしれない。その時が楽しみでもあり、恐くもあり・・・

・・・

この歌ができた時、
Shoyanはものすごいガッツポーズをされたのではないだろうか。
こんな詩が書けたら後は何も要らなくなってしまうのではないかと思うほど。
だけれども、きっとShoyanは途方もなく貪欲な方だと思うので、きっとこれで終わらない。

逆にそんな人だからこの歌が降ってきたはずだと私は思っているのです。火に油ではなく、熱した油に水を注ぐような、そんな異端の勢いをShoyanは得られたのではないかと感じているのです。

だから、此処から先もっと凄いのが控えているはず。
たとえまだかけらも見えなくても、すでに何処かに存在し始めているのではないかと感じている次第です。

と、近年中最高レベルの支離滅裂乱暴な長文でした。 
どうぞ、どうぞご容赦いただければと思います。
(平身低頭)
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飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
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林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

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