Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。
Shoyanのアルバム達は、夜・朝・午後・夕に分類できそうで、『HEARTBEAT』は私の中では夜のアルバムだ。最近はこの「夜にまぎれて」がまた好きだったりする。WORKSにはこの歌が収録されていて嬉しかった。私がこの世で初めて買った伊勢正三のシングルレコードだから・・・
当時、こういうオトナな・ヒミツの恋愛が徐々に当たり前になりつつある方向に世の中が向かっていた気がする。”愛人”とか”不倫”とかという言葉が表舞台に出てきてスタンダードになり、秘密の恋が秘密じゃなくなってくる過渡期だったかと思う。
今になって、あの時、本当は諦めていたほうがよかったのかもしれない、と思うことでも渦中にあっては気付かないものだ。幼稚な情熱の行方を後になって振り返るとき、それは、、、やはり間違いだったのだろうか?それとも、、、通り過ぎて痛んだ分何か残ったのだろうか?と、Shoyanの歌にそれを訊ねたい。一番教えてもらいたいことはその部分だ。
逢えない日の離れた距離の反動で、想いあふれて激しく抱きしめた時、合わさった二人の胸が挟むカメオ。その愛の偏りにいつしか割れてしまいそうな、儚いシェルのカメオ・・・。幼い横顔はそのまま優柔不断な女の肖像。果たして男の胸の中には、ぴったりと合うインタリオがあるのか?むしろこの場合、男の想いの方が浮き彫りのカメオ。丁寧に、神経質に、秘密の愛を育んで削り出した壊れそうな思慕の横顔。独占欲を乳白色に美しく残して・・・なのに、その横顔は正面を向くことはなく、幼く無邪気に違う方を見ている。ずっと胸元で、正面愛に応えられない恋の横顔。それをそれごと抱きしめなければならない男の切なさがイイ。
漱石の文学に触れると出てくる"unconscious hypocrite"無意識の偽善者、というフレーズがチラリと浮かぶ。アタマでわかっていてもココロがやめられない・・・この歌の男性のように愛したい。壊してもいいほど抱きしめたい。不恰好な一途さ・それに親近感を覚えた当時の私。
手のひらをずっと閉じ併せていないとこぼれてしまう水のような二人の時間。指の間をすり抜ける冷たさ・心地よさ・儚さが甘くて病み付きになってしまうのだろうね。抱きしめたあとに何も残らない”器を持たない女”との関係を、男は胸の中で残したくて砂のように待っているのだろう。でも、きっと、その涙は横顔の片目だけの涙。女の本当の涙が注がれるまでこの男は待てるのだろうか。
予感を想うに切ない・・・
・・・
しかし、こんなに激しい情熱レベルが最初の出逢いだったものだから、そのまま私の"伊勢正三標準"になってしまって・・・だからいつも求めるものが濃いのだ。
今でも、ずっとShoyanの情熱の底を待っている私。
時にまぎれて、いつまでもずっとだ。
時の流れに情熱を溶かし込んで身を委ねてみるのは、幾つになったって出来ることだと想うから・・・
時の流れに情熱を溶かし込んで身を委ねてみるのは、幾つになったって出来ることだと想うから・・・
2010年04月01日
プロフィール
HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
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