Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。
この頃に"デジャヴ"という単語を使って、こんなにも穏やかな歌を作ったShoyan。すでにこの頃この言葉は日本でも一般的だったろうか・・・
ちょうど流行りだした頃かな?でも穏やかだけど、とても新鮮なチョイス。「デジャヴ=既視感」とは、非常にShoyanらしい、Shoyanが好きそうな(?)ロマンのある言葉だ。
ちょうど流行りだした頃かな?でも穏やかだけど、とても新鮮なチョイス。「デジャヴ=既視感」とは、非常にShoyanらしい、Shoyanが好きそうな(?)ロマンのある言葉だ。
この「渚ゆく」のアルバムでは、各歌に同じフレーズをちりばめることが多く、"夢"、"生まれ変わり"、"夏の日"、"恋心"、"星"あたりのニュアンスが濃い。(ちなみに"春の"も3回も出てきてLOVE)
こういったフレーズは元々Shoyanの歌曲のスタンダードなモチーフ達だけど、この「渚ゆく」は特にその色合いが統一されていて、とても落ち着いたアルバムになっているのでは?と思う。
いずれもロマンチック・・・。前作の「北斗七星」とは"皮ジャンとシルクのローブ"くらい違う。この、いい意味での骨抜きな緩やかさは、この後のShoyanの歌たちの原点・出発点になったのではないかと・・・100%委ねスタイルで聴ける優しいアルバムだと思う。すべての歌の"ブロード"なんじゃないかな。(だし汁ラヴソング!?)
いずれもロマンチック・・・。前作の「北斗七星」とは"皮ジャンとシルクのローブ"くらい違う。この、いい意味での骨抜きな緩やかさは、この後のShoyanの歌たちの原点・出発点になったのではないかと・・・100%委ねスタイルで聴ける優しいアルバムだと思う。すべての歌の"ブロード"なんじゃないかな。(だし汁ラヴソング!?)
・・・
既視感も生まれ変わりも夢も非現実的なもののようだけれど、本当はそれはリアルに日々の生活の傍らにある。オカルティックに鵜呑みにするのはよくないけど、不思議な縁とかタイミングとか、何らかのフォースとか、言葉では説明しきれないようなことはある。しかも時を越えて・・・Shoyanご本人はこの頃、何かそういうことを体感されることがあったのだろうか。私はShoyanの歌との出逢い自体が生まれ変わりの証拠なのだと想っている。
この"Syracuse"な黄金色の風景が好きだ。古い映画のようなフィルム撮りのような時の流れが"悠"な景色。大きな時の鳥の背中に乗って旅をする夢・・・美しいだけではない、ちょっとだけ切ない。人は百年も生きられないから、その発生と行く先と両方見極められる人はいないのだ。生まれる前と死んだ後と、それを埋める情報はない。だから"夢"を見る。今この時もShoyanのラヴソングたちと共に、甘く切ない夢を見られる私はシアワセだ。
古い文明の地から邪馬台国まで・・・
人類はアフリカで発生してからずっと東へ・・・
理想の国を求めて移動していったと言う。とうとう極東で海に出てミクロネシアやポリネシア、Hawaiiまで。やはり最後は「ai」の国ダヨネ♪
人類はアフリカで発生してからずっと東へ・・・
理想の国を求めて移動していったと言う。とうとう極東で海に出てミクロネシアやポリネシア、Hawaiiまで。やはり最後は「ai」の国ダヨネ♪
しかし、私がまだ子供の頃、父が買って来た邪馬台国とチンギスハンの秘密の推理本。とても面白くて愛読していたのだけど、それを2冊とも結婚相手が持っていたのが面白かった。いつか宇佐神宮に行ってみたいと思いつつもう何年も過ぎてしまった。最近は近畿説が濃いみたいだけど、私のヤマタイは九州の青い夏の国・・・。
・・・
Shoyanの歌に時々出てくるこういったPARADISE的な場処はとても大事な処で、そこに連れてゆく恋人は毎回違う。前世への旅はきっといつか、宇宙が逆回転のねじを巻き始めたら出発すればいい。もう一度、彼と彼女が楽しく笑っているあの日のあの時を越えて、お別れを言った時さえ通り越して、やっぱり出逢いから好きだったねって、いつかまたささやけると信じて海を越える夢を見る闇の中・・・
闇があるから
夢を見られるのだと
眼を閉じながら
そう想う今・・
夢を見られるのだと
眼を閉じながら
そう想う今・・
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=kX1R9r_pMb8
ヤバいぞ、ヤバいぞ~(≧∇≦)b
色んな意味でヤバいぞー
ゾワゾワするぞー
うああ~~って感じだぞー
なんか、色んな時代の歌がキコエル
そしてまた色んなアーティストのことも思う
面白いぞこれは
正やん的闇鍋的な!?
うーん、マジヤバい(≧∇≦)))
ヤバいぞ、ヤバいぞ~(≧∇≦)b
色んな意味でヤバいぞー
ゾワゾワするぞー
うああ~~って感じだぞー
なんか、色んな時代の歌がキコエル
そしてまた色んなアーティストのことも思う
面白いぞこれは
正やん的闇鍋的な!?
うーん、マジヤバい(≧∇≦)))
「雪が積もり始めたら 暖かいのはなぜ?」
もしもそう尋ねてくれたら
「さよならの街の悲しい景色を雪が塗りかえるから・・・・・」
ぼくはそう答えたくて 空を見上げた
・・・って、
・・・って、
先に「答え」を用意しているその時点で、すでにそれは「答え」ではないよね?
「問い」がなければ「答え」として成り立たない。
「答え」が先に在るなんてことは有り得ない。
「問い」がなければ「答え」として成り立たない。
「答え」が先に在るなんてことは有り得ない。
だから、もしも本当に彼女からの問いがその通り提示されたとしても、用意しているその言葉は彼女のためのものではなく、彼自身のためのもの・ということだ。そこから考えてみても、やっぱり、これは、もう、終わっているんだ・・・
"隠し合ってもすぐに見つかる"理由によって、去ってゆく彼女の方が心変わりしたかのようだけど、すでにこの二人の「さよなら」は必然だったように思われる。相手の心の機微ではなく、自分の機微が時を流し始めている。彼がそれに気付けるのは、彼女が去ってからどれくらい後のことになるのか・・・
人の「さびしさ」との付き合い方、それは自分自身が自立することなのではないかと思うんだ。当事者として自分で受け止め、自分で埋めなくては・・・
その後に、やっと本当に相手を想う気持ちが満ちてくるのではないだろうか。誰かに埋めてもらおうとすることが恋心だと、どうして人は錯覚してしまうのか。
その後に、やっと本当に相手を想う気持ちが満ちてくるのではないだろうか。誰かに埋めてもらおうとすることが恋心だと、どうして人は錯覚してしまうのか。
いつまでも埋められることがないから、
それが 遠いロンリネス。
それが 遠いロンリネス。
※だけど、"欠けている"というのも悪くはないヨ (´∀`)
2011年12月17日
♪あの雪の白さが何故か忘れられずに・・・
そんなに何かが汚れてしまったの?
「雪ぐ」
と書いて
「すすぐ」
でも、君を忘れようとして、雪の白さを忘れられない。白い雪の純粋は、きっと今そこにないもの。失ったものだから忘れられない。旅の終わりに寂しさの再確認をしにきたのかな。この"雪の白さ"に、この二人の別れ際の"理由"が隠されているような気がする。
・・・
最初聴いた時、中学生だった私はこの内容がSFかと思った(ホントに)。どこか異界から来たキミとの、幻のようなおとぎ話の後日譚の歌かと思った。70年代の歌や小説やマンガはどこかにそんなニュアンスもアリの、星や汽車がとてもロマンチックなものだった気がする。(その歌が出来た頃リアルタイムでは自分が子供だったから)そういう包み紙もShoyanは意識してこの歌を創ったのかな・・・
オトナになってから「君の生まれたあの星・君の星座」のことを、"その女性の生まれ星座"と解釈してみることにして、冬の星座で12星座って言うと・・・と、目立つオリオンの両脇にふたご座とおうし座がある。でも、この歌は冬の明け方の空だから全然違う星座かもしれない。だけど、もしも旅の途中でそんな星の話をすることがあったりしたら、その時の二人はきっと心が寄り添っていたはず。星だけ変わらずにそこにあるのが見える時、、、
哀しいね。
哀しいね。
二人で暮らした街では見たことなかった星。
その頃はこんな時間に空を見上げる必要がなかったのだろう。恋人たちが睦みあう冬の夜は長くて、明け方の空になる頃は夢の中。夜明けの薄暗い空を見上げるのは、今、独りだから・・・
その頃はこんな時間に空を見上げる必要がなかったのだろう。恋人たちが睦みあう冬の夜は長くて、明け方の空になる頃は夢の中。夜明けの薄暗い空を見上げるのは、今、独りだから・・・
東京では小さな星は見えないケド、意外にお正月の都心の空は綺麗だ。それだけ故郷に帰省してしまう人が多いってコト。車も走らないから排気ガスもない。この歌の彼は旅を終わらせて街に戻る時、何か新しいものが見えるのだろうか。自分の中に白いままの雪景色を抱えて都会の中で生きていけるのだろうか。それともここで決別していくのだろうか。
・・・
イントロのコーラスは、去る人を追う当事者の激情そのままで、とてもドラマチックだ。苦しさを抱えて自分で運転するのは辛い。だから大きな流れにたゆとうように、揺れる夜汽車に行く末を任して得る休息は、非常に寂しいものだけどロマンチックでもあるのかもしれない。
古暦のバージョンはどことなく第三者的で、「こんな悲しいお話がありました」と、映像詩のアーカイブスを観ているような落ち着きがある。それはそれで私は好きなのだ。古暦の『冬京』『北国列車』『お前だけが』『月が射す夜』はオリジナルと同じくらい好きだ。
・・・
最近、KAZEの初期の頃の歌も馴染みを覚えるようになってきた。それを"ドフォーク"だと思っていた(!?)若い私はもう姿を消して、青臭い頃を切り離して思えるようになったのかもしれない。いずれにしても、当時私はまだ10歳にもならない子供。Shoyanは20代半ばのキトキトの男盛り!
そんな頃の歌を思えば、それはやはり"SF"チックな時の流れ・・・☆
P.S
なんとなく自分の中ではこの歌、福井・石川~富山~新潟~山形あたりって感じなんだ。
2010年01月14日
♪風の街で帽子を押さえながら
ほら 笑ってしまうでしょう
私にとっては個人的に思い入れがあって
ちょっと特別なフレーズなのだけど・・・
(○´∀`○)キャー
Shoyan、、、
今回のアルバムジャケット写真は
それは押さえているの?
それとも今から帽子をとるの?
とても素敵な横顔と
解放された髪が風に揺らめくシーンを想像して
またまた眠れないではないですか、、、
きっと、どちらでも!
ネ☆
・・・
しかし、最近頬の方まで伸ばしているおヒゲのカットがこれまたセクシーでたまらんのですよ(*´Д`)もうホントにね、悔しいくらいカッコイイでしょ。
ほら 笑ってしまうでしょう
私にとっては個人的に思い入れがあって
ちょっと特別なフレーズなのだけど・・・
(○´∀`○)キャー
Shoyan、、、
今回のアルバムジャケット写真は
それは押さえているの?
それとも今から帽子をとるの?
とても素敵な横顔と
解放された髪が風に揺らめくシーンを想像して
またまた眠れないではないですか、、、
きっと、どちらでも!
ネ☆
・・・
しかし、最近頬の方まで伸ばしているおヒゲのカットがこれまたセクシーでたまらんのですよ(*´Д`)もうホントにね、悔しいくらいカッコイイでしょ。
雨の、、、って、
カタツムリ、なのか?とか?
(っ´ω`c)ふー
今夜も眠れない(笑)
TSUTAYAオンラインで予約完了!*
カタツムリ、なのか?とか?
(っ´ω`c)ふー
今夜も眠れない(笑)
TSUTAYAオンラインで予約完了!*
新しいアルバム、Reーbornなだけに、CDケースにリボンでも結んで届けてくれないかなぁ(*´ω`)ナンチャッテ。それほど嬉しい正やんからのGiftですね。早くも詳細が決定発表になって本当に嬉しい。こんなにスムーズに事が運ぶとは感激です。
昭和の終わるころ、まったく、全然、これっぽっちも、どこにも正やんはいなくて・・・本当に虚しく寂しいままに平成が始まった。でも今度は違うんだ、一緒に時代を越えようねって・・そんな寄り添いのままに新しい時代を迎えることが出来る。
まだ何も聴いていないのに、曲目タイトルの文字を見ただけで妄想が広がって脳内血流がやたら活性化いたします。
自分もつい先日50歳というキリのいい節目を迎えたから、正やんの新しい歌たちとともに生まれ変わりたい。
ただ、これから先いくら生まれ変わってもきっといつも正やんの音楽はともにあるだろうなと思っています。生まれ変わりはすなわち、生まれ戻りでもあるのかもしれないから♪
昭和の終わるころ、まったく、全然、これっぽっちも、どこにも正やんはいなくて・・・本当に虚しく寂しいままに平成が始まった。でも今度は違うんだ、一緒に時代を越えようねって・・そんな寄り添いのままに新しい時代を迎えることが出来る。
まだ何も聴いていないのに、曲目タイトルの文字を見ただけで妄想が広がって脳内血流がやたら活性化いたします。
自分もつい先日50歳というキリのいい節目を迎えたから、正やんの新しい歌たちとともに生まれ変わりたい。
ただ、これから先いくら生まれ変わってもきっといつも正やんの音楽はともにあるだろうなと思っています。生まれ変わりはすなわち、生まれ戻りでもあるのかもしれないから♪
もうずっと前から好きな歌なのに、突然にもっと好きになることがある。『想い出の駅前広場』は小粒でピリリなとても存在感のある歌だ。曲は短いけど、よくまとまっていて、年齢や時代に関係なく、永く聴ける良い歌だと思う。
何か特別深い言い回しがあるわけでもなく、淡々と、ある普通の街の日常風景が切り取られて、そこに二つの時間のトレースがあるだけだ。でもこの良質のessayのような平坦な語り口調が、逆に乾いたせつなさを匂わせていて、とってもグッとくる。
元新聞部部長のkちゃんいわく、
「日常を綴るのに難しい言葉や引用は要らないんだ。 なるべく普通の言葉でなんでもないようなことを書くのがエッセイなんだ」
と・・・。
これはエッセイではなく"歌"だけど、Shoyanの歌が聴く人にいつも寄り添ってくれる理由はそこにある。
以前私も、
「Shoyanの歌は机の上の鉛筆立ての横にそっとあるカンジ」
と、どこかで書いたけど、この歌は特にそんな感じが濃い。
「悲しい」とか「辛い」、「好き」「キライ」などという感情はなく、ただ「なつかしい」という一言だけが詞の中にある。だけど、この彼女の今の気持や別れた当時の彼の事情みたいなものまでこの風景の中に塗り重ねられていて、それを音(言葉と演奏)で視るのが胸に沁みる。若きイルカさんの落ち着いた歌い方がクサくなくて、素直に歌の風景の中に聴き手も入っていけるのが親近感を感じてイインだ。
東京や新宿みたいな大きなターミナル駅ではなく、銀座や渋谷のような繁華街でもなく、ちょうど都会と郊外の中間のような文教地区の瀟洒な駅舎。吉祥寺とか池上線沿線とか小田急とか?・・・きっと付き合っている当時の彼女は都心を挟んで、やや遠い郊外などに住んでいて、帰る最終電車の時間を気にしていたのではないかしら・・・などと想ってみたりする。きっとその頃どこにでもあった普通の風景。1975年の原町田の駅なんかもとても良かった。
(まだ跨線橋が木造で・・・噴水はなかったかもだけど)
(まだ跨線橋が木造で・・・噴水はなかったかもだけど)
今、自分が地方都市に住んでみれば、こうした昭和な駅前はまだリアルに感じることもできる。
※実際にどこの駅か既出だったらゴメンナサイ
※実際にどこの駅か既出だったらゴメンナサイ
・・・
ここに青春を送ったリアル世代の人たちとも違い、私にとってみればこの歌のリアルタイムは子供の頃であって、その時分のことを想い出すと楽しかった幼い記憶が蘇って、その還らない日のことに泣けてくる訳だけど、これからずっと時が経って1970年代のことや21世紀の今さえも知らない人たちがこの歌を聴いたら何を想うのだろう。
作者のShoyanや演者のイルカさんがこの歌に留めたモノや、一緒に聴いていた人たちの心のせつなさなどは後の世の人たちの胸でどんな風に感じられるのか・・・出来る事なら生まれ変わって、何度でもこの歌に巡り会ってまた考えてみたいと想う。
・・・
彼女の声にならない"何か"で白く曇った窓は『なごり雪』の汽車の窓とは違って、普通の電車の出入り口のドアの窓だったかと思う。故郷と都会の壮大な距離ではなく、ほんの日常にあるちょっとした乗換えの・・・私鉄と国鉄くらいの乗り換えの別れが何気なさ過ぎて、ここではかえってせつない。
"映画のポスター"というほんの少しの小道具。ただのローカルな駅ではなくて、ある程度の規模の乗降客が多い駅。その人々の往来と、動かないあの日の彼の立ち姿。
この二人、ナゼ別れ際まで彼のポケットに彼女の手を入れるような、そんな親しげな動作をしているのだろう?最終電車を気にするような時間まで一緒にいた深いカンケイだったら・・・この淡い別れってなんなのだろう?
って。
って。
久しぶりに用があって来たこの街に、でももう今、彼は暮らしていない気がする。彼は、自分が去るから彼女と別れたのかなって想う。
きっと、この彼女、最後に
「ありがとう」
って言いたかったんだよね。
今はそんな風に想いながら聴いている。
2012年01月11日
プロフィール
HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
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