Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

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~本編 改めて
☆2020年11月14日(土)
かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール
伊勢正三 BIRTHDAY LIVE 2020

☆セットリスト
時の流れ
地平線の見える街
汐風
あの唄はもう唄わないのですか
置手紙
湘南夏
雨の物語
海岸通
星空
冬京
ほんの短い夏
NEVER
冬の恋
小さな約束
22才の別れ
通り雨
月が射す夜
レミングの街
なごり雪

☆アンコール
ペテン師
海風
ささやかなこの人生
君と歩いた青春

☆再アンコール
涙憶

☆最後Shoyanひとりで弾き語り
終りのない唄

※曲目・順番に間違いなどあるかもしれません。

と、こんな感じだったように思う。
今回は大したメモも取っていないので、ロクなことは書けないが、少しづつ一言づつくらいは何か書こうと思う。(ここに書く前に配信されるかもしれませんが)

今回、公演中止や延期で9か月近い長いブランクがあったので、Shoyanのパフォーマンスもそれなりのそれなりな感じかな?とは事前から覚悟(笑)していましたが、いや正直私はコロナを恨みます。1月の立川のRe-bornのステージは最高のステージでしたから、今年はこの調子でノッてるShoyanに逢えるんだと心躍らせていたのに、今回のShoyanのアーチストとしてのコンディションはゼロどころかマイナスに転じていたのでは?と思うほどでした。しかもそれをリカバリするものも何もなく、せっかくのバースディライブなのにほぼ無策のままで開催されたと感じました。

長期間声を出さなきゃ出なくなるのは当然、ステージ勘も鈍るのは当然、でも、ワザワザこのコロナ禍の中、新たに開催を発表した企画なのだから、せめて半分くらいまではなんとか持ち直して挑んで欲しかった。あれが限界なのか?とも思うけど、でも自粛直前までの素晴らしいパフォーマンスを思うに、もっとやれたのでは?と歯がゆい思いがしました。

・・・こんなカナシイことを書くのは気が引けるけど、これも長い間の歴史のひとつ・として、涙を流しながら書いておこうと思う。とはいったものの、数少ないメモの記述を見返したら「意外にイイ・音程もイイかな、、いや、そうでもないかな?」とか書いてあるので(笑)おそらく現場での自分は相当に混乱していたものと思われます。以下そのまま忖度なしでメモった感想をば。放言暴言!?お許し下さい。

~開演

普通に、全員一緒に出てきて演奏が始まった。Shoyanは濃い黄色のTシャツにジーンズで、アウターに不思議な丈のジャケットを羽織っていた。丈が背中の半分くらいまでしかない絞ったスーツジャケットとでもいうのでしょうか、何て呼ぶ服なのかわかりません。ああいうの流行ってるのかな?女子が着そうな丈。ダークグレーかブラックなので、Tシャツの黄色と相まってアシナガバチみたいに見えた。後ろ半分出すスタイルとか、裸ネクタイとか、Shoyanのファッションチャレンジは田舎者の私には彼方過ぎる(笑)。でもまたシルバーかブラスのようなシンプルなネックレスをされていて、それはイイ感じ♪でした。

で、
☆『時の流れ』
普段ならメチャ大好きな歌なので、テンションがあがるが、どうにも途中でギターもおぼつかないような(コードを亡失?タイミング亡失?)感じや、だんだん下がっていく音程に不安が灯る。でも見た目がカッコいいので許される感があり、久しぶりの横顔が素敵でしばし見とれる。壁際の席もいいものだ。

☆『地平線の見える街』
ギブソンを抱えたままでまた若々しい選曲。久しぶりのShoyanはコロナ太りもせず(当たり前ですが(笑))むしろ痩せたかな?くらいに思えた。足など随分細くなったように見えました。サイドのお髭がもみあげにドッキングして、ふんわり繋がっているのが素敵でした。ここでも演奏や歌声は印象が薄い・・・というか、考えないようにしていた(^^;)。

☆MC
「メチャクチャご無沙汰しています。イセショーゾーです。」と、長い中断の不安な中、来てくれるみなさんに感謝の意で、マイクから一度離れて深々とアタマを下げるShoyan。今まで見たことないくらい深いお辞儀をしてくれた。

「これから世の中が変わるか変わらないかわからないけど、音楽の役割ってあると思う」
「(今ステージに上がっても)地に足がつかない感じで、ギターも指が痛いです(笑)今日はゆっくり静かに盛り上がっていきたいと思います」

というようなことをおっしゃっていた。

☆『汐風』
ギターを持たずにそのままナチュラルに。そう、白くなってきたプラチナヘアとお髭と、真っ黒のサングラスのコントラストがナカナカいい組み合わせだと思った。(真っ黒サングラスにはまた違う意味もあるのだろう)歌とかじゃなくて、まだShoyanのビジュアルばかり気にしている私であった(笑)。一生懸命歌って、温かくしようというShoyanのお気持ちは伝わった。春名さんのSaxとフルートの超速切り替えの技にプロを感じて嘆息した。

☆『あの唄はもう唄わないのですか』
なんだかものすごく物悲しい気分になる。ギターの演奏がとくとくとして、味わい深く進む。こういう重いような感じがとてもいいなと思った。ズシっと沁みるステージだった。

☆『置手紙』
このあたりはちょっとギターもボーカルも気が抜けたような雰囲気で、なんだかギターソロもイキオイで済ましちゃったような感があった?強弱だけで終わったような?そんな感じです。

~つづく
ふう、なんとか一週間。
で、あと一週間なんとかなんとか・・・
今のところ熱もないし味覚障害もなく、体調も悪くないですが、一寸先は闇です。

家でも店でもずっとマスク。トイレも別。家人との食事もテーブルも別、一切会話無し、マスクをしながらの会食ですよ(笑)。ともかく「自分はコロナだ」と思いながら生活をしています。

と、そんな状況の中ですが、今日はやっとメモを見返しました。今まで怖くて開けなかった。
会場の様子や自分の行動など先にまとめておきたいと思います。※長々とコロナ対策関連なので読んでも面白くないです(笑)


♪ヨーロピアーな~トーキョー?
☆2020年11月14日(土)
かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール
伊勢正三 BIRTHDAY LIVE 2020

※今まで何度も書いているような事項ですが、まとめておきたいので再度載せます。愚痴っぽくてスミマセン。

当日は、地元から知人ご夫婦の車に同乗させてもらって高速のパーキングのトイレに一回寄ったのみで葛飾に直行した。開場時間までは付近の駐車場で過ごし、持参の食事をと思ったが蒸しパン一つ食べるのがやっとだった。帰りもどこにも寄らずに自宅まで直帰した。

今回、結局当日までに公式ページやFacebookでライブ会場における注意点やお願いなどのアナウンスは特に無かったように思う。(ホール施設側のWEBサイトにはガイドラインがあったと思う
)事前に個人で調べたら、他のアーチストのコンサートでは客席ごとに小さなビニールシートで仕切りがあること、一列一席づつ空けてある場合もある・くらいしかわからず、実際に現地に行ってライブが始まるころになってやっと、そうではなくほぼ全列全席埋まるような状況だと理解した。秋に規制緩和になって追加販売したからかと。(バルコニー席は間隔があいていたようなので、バルコニー席にすればよかったと後悔)。冬に近づいて感染者が増えてくることなど考慮はされていないようだった。売るだけ売ってしまえ感があった。(去年から1000円も値上がっているのに!(笑))

入場時は検温と手指消毒(アルコール液がただ置いてあるのみ)でアンケートチラシ(フライヤー)などは自分で取るシステム、チケット半券に事前に名前と電話番号を書けと指示があった。接触確認アプリの案内などは、各自任意で取る広告チラシの中に挟まれており、アナウンスはなかった。(でもライブ中は電源をオフにしてしまうので意味はないのかもしれない。もしくはマナーモードでもOKにして欲しい)

全員マスク着用であったが、前の席の年配女性たちやすぐ隣の熱心なファンのカップルは、待ち時間ずっとおしゃべりをしていたし、すぐ横の壁際では男性二人が立ち話をしていた。「会場内は無言で・じゃないんかい!」と、想像以上の緩みを感じて不安になった。トイレだって待ち整列のシールもなく普通に密接して並ぶ。手洗いの洗面台には液体せっけんが一本しか置いてなかった。(細かい自分(爆)。席のビニールシートも前に飛ぶ飛沫はどうなるの?と内心思った。でも「席に仕切りがしてあるなんて安心じゃん」という意見もあるし、これはそれぞれの価値観によって左右されることだなぁと思いました。コンサートの途中で換気タイムがあるわけでもなく、観客が自主的に?掛け声、スタンディングを遠慮しただけで、普段と何も変わりはありませんでした。今回、身内のことや自分の身体のことを考えて参加を見送った人が沢山いるし、遠方から来るのを諦めた人もいるけど、不安のある人・リスクのある人は回避が正解だったかもと個人的には思いました。
実際、会食もないし、マスクをして黙って席についてコンサートを観るだけ・なら、そんなにリスクはないのかもしれませんが、なんというか、接客の仕事をしている自分には「もう少し何かできるのではないか?」と思う気持ちと、「いくら対策したって限度があるよ」という気持ちと、両方交錯しました。

しかし、こんなに細かくコロナ対策のことを考えている人間は私だけかもしれなくて、自粛警察というか(笑)気にしすぎかもしれませんが、これからも「コロナに慣れない」でおこうとは思いました。

(そんなに気にするならコンサートに来なければいいじゃん、と言われるかもしれませんが、私はこの特異な状況の中で、バースディライブで、今の伊勢正三が何を発信してくれるのか自分の目や耳で確かめたくて来たのです。)

と、そんなわけで、コンサートのことは「その1」から載せてあります。

以上、異例の前書きでありました。

~つづく
そういえば、ライブ中は携帯電話は電源オフにしなきゃだから、接触確認アプリは意味がなかった。席についてから気付くアホな私(^^;)。

でも、満員で二時間以上前後左右斜め8人に囲まれて動けないのだから、こういう場面こそアプリ必要じゃないのかな。マナーモードじゃあかんのか。

しかも、そのためにチケットの半券に名前と電話番号書いて渡すなんて、余計な接触増やしてる。誰かが手作業で分けて入力したりするんだろうに、アナログ過ぎる!

既に対策が噛み合っていないんだ(笑)。

しばらく小姑モード続きます(;´∀`)。
え〜、、、

命がけで行動したのは人生初めてなので。今ちょっと考え事が出来ません(´・ω・`)。ガクガクブルブル中です。

強いて言うなれば、立川りぼーんを120点とするなら、かつしかは・・・言えない(爆)。
自粛明けブランク鑑みてもプラス5点くらいかな。
私が「評価」的なことを書くなんて、、、また後ほど詳しく。

カメラ入ってたけど、これを配信するのかな?!

いやー、ともかく良いも悪いも?いずれ改めて。
2週間経たないと最終的なことも言えないし。

とにかく、客席ほぼ満員全列びっしりて、生きた心地がしなかった。狭心症の発作が起きるかもしれないと思うほどの緊張感でしたわ。

でも、たぶん、正やんご本人が一番元気だったと思います。正やんはコロナのない並行世界に暮らしておられるのかも?と錯覚するほどで、安堵したような気もしました。ガールフレンド発言とかもあったし(謎)。

滋賀公演もこんな感じだったんじゃろか?
カオスの始まりなのか〜!?!?

そういえば先日、来年の新潟のRe-bornライブの予定が出たけど、、、また同じ会場???ん?いいなあ。

地方のコンサートの予定が出るのは嬉しいものです。私は新潟はちょっと遠いので多分行けないけど、でも「東京じゃない会場なら行けるかも」というファンは結構いるのではないでしょうか。一部の常連さんたちはどこの会場でも同じでしょうが(笑)、地方>地方へ移動するだけならちょっとだけ気の持ちようが違うでしょう。

この調子でShoyan、お願いです、トーキョー以外のコンサートを増やしてください(祈)。

「またキミはトーキョーを目の敵にするのかネ」

と、お叱りを受けるかもしれないけれど、首都圏と地方のはざまのような場所で暮らしている自分には、東京の意識の特殊さが良くわかります。
今回この件について考える本当にいい機会になったと思う。
そうそう、早11月、このままでいくと11月8日の滋賀の振り替え公演はこのまま開催されるということかな。久しぶりのステージのShoyan、行ける人羨ましい、私も逢いたい(涙)。

これからもステージ写真などのFacebookでの公開ぜひ続けてアップして欲しいものです。今般、それぞれの大切な事情で行けない人が沢山いるけど、そんな存在を切り捨てないで意識していって欲しいと切に願います。

11月からのShoyanの再始動、どうか楽しくご無事でスムースに事が運びますように祈っています。心の底から祈っています!


シンフォニーヒルズに近い一般駐車場が事前予約出来ることを知り、今サイトから予約してみた。
行く気なのか自分(^_^;)。

10万キロ超えのボロい軽自動車で!(^_^;)

東京の感染者数を見て毎日一喜百憂しとります。

家人の顔色も伺いつつ、、、

何か、いい方向へ導かれますように(祈)。
『冬の恋』を聴く時、Shoyanの豊饒なギターのプレイはまるでフィリグリー(金線細工)のようで、金と銀の正確無比に編まれた三角錐の籠の中に、永遠に独りで居たくなる心地なのだ・・・

が、またそれに絡みつく弦の"キュキュ音"もタマラナイのだ。

冒頭のスライドもそうですが、

~♪逢いたくて 逢えなくて
  寂しいわけではないこと・・・

などに被ってくるギターのキュッキュッという音に胸が震えてしまう。

あぁ、Shoyanの指・・・硬くなった指先と指紋が撫でる弦。コーティングの弦を今も使っているのかな・・・

聴く者の心の中を擦る音。
Shoyanの指がソコを擦る度に何かが香る。
まるで練り香水のように・・・

こんなにもキュキュ音が顕著な録音って他にあるかな、シンプルの極みのようで、最高に贅沢なギターの音の重なりを、この今に聴くことが出来て本当に幸せです。(涙)

いつも、忙しい買い出しなどの車の中で、少し大きめの音で聴く・・・ほんのひととき我に還る時間を持てます。アリガトウShoyan(愛)。


ずっと以前のこと、ベスト盤のWORKSが発売になった頃にその何曲かの短い感想を書いたのだが、その際に『ほおづえをつく女』は伊勢正三の曲の中で唯一"救いのない特殊な曲"だ」なんて書いた。

生意気なコメントだな~と呆れるのだが(汗)、それから早20年経って今でもやっぱりそう思う。その後、gardenの曲たちや数々の提供曲単発曲、数あれどやはり『ほおづえをつく女』という歌は一つだけ独立した世界にある気がしている。

・・・

風ひとり旅での印象はアコギ?。でもここ2.3年、ステージでエレキギターをお持ちになる機会が増えたのと併せて、その存在感が倍々にUPしていると思う。何か、熱の入れようがUPしたというか、Shoyanの武器というか兵器というか(オダヤカじゃないな^^;)、砦というか出城というか、エレキギターの速弾きフレーズや正確無比な極みのストロークなどとともに、何かShoyanの先制攻撃的なものを感じるのだ・・・。気になってしようがない。

それはさておき、この歌をお創りになった頃の若いShoyanは、その冴えわたる観察眼で世の中から様々な人間関係のサンプルを採取されていたのだろうと想像するのだけど、その中からこういったキャラクターの女性の逸話仕立ての曲が出来たのはどんなきっかけがあったのだろう?と思う。とても醒めた、"女に期待しない感"溢れるシビアな世界。ここに伊勢正三の感性の一端である恐ろしい"絶対零度"の芽生えをまざまざと感じるのであります。

この女性、容姿も良くて男が放っておかないモテるキャラ・一見イイオンナのようだ。でも関係が始まるとそれは一方通行で、火をつけてもらう=何かしてもらうのが当然という図式で時が流れる。やり取りのない関係は底のない砂時計。恋の粒が落ち切ってしまえばそれで終わりだ。しかもまたそれを繰り返していく哀しさ・・・。ここでの「振り向きもせずに」には何の含みもない、一瞥もくれずに男は去る。最初から交わらなかった"無関係"の証でしかない。

自分の愚かさに気付けない=救いがないのだけど、彼女にリベンジの場は与えられない。自分を育てられずに大人になった、愛を知らない可哀そうな女性なのだ。誰も手を差し伸べてはくれない。このままずっと気付けぬままで彷徨い続けるだけなのか?

~♪夜空の星がとても美しいのは
  ほんの少し光っているから・・・

これを教えてくれるのは誰なのだろう。親?祖父母?学校の先生や友達?最初の彼氏?・・・いや、やはり自分で気付くものではないだろうか。

色々なことに恵まれて育つと、その恵みを得るプロセスを知らないまま「当然」という聖域から抜け出せない人がいる。しかも才能や美貌や身分まで最初から持っていればその恵みが流動的なもの=いつか失われる儚いもの、ということにも気付けない。なので、他者とその尊い恵みの喜びを共有しようとは思えないのだ。

煙草を咥えたら火は勝手に着くものだと思ってる。でもそれは傲慢なのではない、彼女の生来の無知ゆえの"怠慢"なのだ・とShoyanの歌は示しているのだと思う。手を頬に当てているということは、その手を使っていない証拠だものね。

この歌の女性の行動は、胸のボタンをはずすこと、髪を切ること、煙草を咥えること、半年泣き続けること、男を探し続けること、化粧を直すことしかしない。精神的なことが何もナイのだ!「女は生まれ変わった」というが、"Re-born"ではない。惨めな自分から目をそらしただけ。ある意味現実逃避なのではないか?与えないから満たされないのだと、気付かぬままの堂々巡りだ。

"幸せな日々"を思い出すだけで、去った男のどこに惹かれていたのか、自分はどうやって愛されていたのか、二人で何がしたかったのか、ちっとも省みていない。分析する気がない。こんなに愛のない女性像が描かれていることに、伊勢正三というアーティストの一番冷たい部分を感じて、その重要性に慄くのです。この氷点下の極みのような乾ききった歌があるからこそ、その前後のラブソングの熱さ・温もりが際立つのだと思うのだけれど、この両極をすべて歌にしてしまう伊勢正三という人は際限の無い感性の持ち主なのだなぁと、心の底から畏敬の念を抱くのです。一番新しい『Re-born』が登場して、その想いは更に確かなものになりました。

※でも、その温度差、、時々ヒートショックみたいなこともあるので聴き併せは慎重に・・・!?

・・・

この歌を初めて聴いたのは、前述したように14~15歳の頃だが、元来"やりすぎ部"な私は何でもやり散らかして、謙虚な"ほんの少し光る星"にはなれなかった(滝汗)。けれど、気付いていれば修正も出来るし反省も出来ると思う。恵まれないから恵まれている、ということに気付けたら、誰かに何かをしてあげよう・という心持ちで誰かと接着出来るのではないかとせめて思っている。

ほんの少し光っている星も、本当は一番遠くで白いほど熱く燃える星なのかもしれない。
(*´ー`*)☆

女性でも男性でも、誰もみな無意識の頬杖を備えている。どんなに豊かな愛を捧げられても、"気にしながら見過ごす"ことがある。でも、それを見逃さないように、愛の機微にびくびくしながら小心でいることは本当はとっても大切なことだと思う。「失うことなんて怖くないわよ」って言う強い女もいるかもしれないけれど、小さな心だからこそ相手の心の小さな隙間に入っていけるのだと思う。

古い燃えさしは、、、そう何度も火が着くものではない。もう燃え残りもない空の灰皿を前にして、煙草の切れた空き箱を握りつぶして投げ捨てる女の姿が見える。
やはり、そこに救いはない気がする・・・。

私は音楽や楽器の専門知識もないので、ちゃんと語れないけれど、この『ほおづえをつく女』は何十年経って聴いても、本当に渋くてエイジレスな完成度を保っていると想う憬れの歌だ。瀬尾一三氏のチョット初期SteelyDan的なカッコイイアレンジと、Shoyanの挑戦的でフレッシュなリードギター、斎藤ノブ氏の洒脱なパーカッション、故・武部秀明氏の軽やかなベースなど、イイオトコ揃い踏みの贅沢な音を聴きながら、今からでもまだ遅くない・と、イイオンナってどんなん?という謙虚な探求心を忘れずにいたいと思う。

頬杖よりも腕枕的に♪・・・と☆




※昔は見かけるとつい買ってしまった何枚かの中古レコードLP。未使用のシールが入ったままのものがあった。このwindlessblueのジャケット写真の色が大好きだった。夕消えの紫をはらんだ凪紺青は、本当にShoyanにピッタリのハンサムな色だ。今でもそんな中にShoyanの後ろ姿がシルエットになって見える気がする・・・
風のあなたを知らない私なのに(涙)。

プロフィール

HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!

☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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