Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。
※スンマセン、妄想全開です(^^;
立春過ぎてもまだまだ寒いので
帽子のことをいろいろ考えていたら(ナゼ?(笑))
Shoyanのお帽子のことも気になり
最近多かったマニッシュハットもいいけれど
冬はこんなツイードのハンチングもいいのでは?
なんて、、、超妄想~~~~(笑)
で、ラクガキしてみた

思い付きで描いたので、メガネとか細部が変でもお許し下さい(汗
いつか清書してみよう?
あと、ニット帽姿とかあんましお見かけしたことないですよね
"正ちゃん帽"というニット帽がありますね
・・・可愛いよねキット(*´ω`)
と思って今落描いてみた!?
Yeah♪
メガネ大きい~80年代漫画か(笑)
Shoyanてフード付きの服もお好きみたいだし
何か被るのが好きなのかな
というわけで、次世代コスチュームではハンチング帽お願いしますっ
(*‘∀‘)~♪
立春過ぎてもまだまだ寒いので
帽子のことをいろいろ考えていたら(ナゼ?(笑))
Shoyanのお帽子のことも気になり
最近多かったマニッシュハットもいいけれど
冬はこんなツイードのハンチングもいいのでは?
なんて、、、超妄想~~~~(笑)
で、ラクガキしてみた
思い付きで描いたので、メガネとか細部が変でもお許し下さい(汗
いつか清書してみよう?
あと、ニット帽姿とかあんましお見かけしたことないですよね
"正ちゃん帽"というニット帽がありますね
・・・可愛いよねキット(*´ω`)
と思って今落描いてみた!?
Yeah♪
メガネ大きい~80年代漫画か(笑)
Shoyanてフード付きの服もお好きみたいだし
何か被るのが好きなのかな
というわけで、次世代コスチュームではハンチング帽お願いしますっ
(*‘∀‘)~♪
with THE伊勢正三−SPECIAL PRESENT EDITION
・・・
時に・・・
自分の中で"ポジティブな退行"が沸き起こることがある。
何故かわからないけど、きっとそれがまた先へ進むための鍵で、ずっと後ろを向いていたら、知らぬ間に360度回転してまた正面に進んでいたりする。そんなしょんぼり回顧な時が歳をとっても訪れることがある。
そんな頼りない私をエスコートしてくれるのが、センチメンタルな旅に誘ってくれるこの一曲なのだ。
『涙を連れて旅に出ようか』は、痛んだ心にかさぶたが出来た頃に、いつもそっと包んでくれる歌だ。そしてさらに時が経って、若い頃の痛みとは違う経年の「傷み」も感じるような年頃になって、改めて沁みるようにもなった。今また同じ傷みを抱えている誰かのことも想う。「そんな心境」のシンパシーを感じる。孤独の痛み、傷みの共感、そんなことを併せながら聴いている。
・・・
時に・・・
自分の中で"ポジティブな退行"が沸き起こることがある。
何故かわからないけど、きっとそれがまた先へ進むための鍵で、ずっと後ろを向いていたら、知らぬ間に360度回転してまた正面に進んでいたりする。そんなしょんぼり回顧な時が歳をとっても訪れることがある。
そんな頼りない私をエスコートしてくれるのが、センチメンタルな旅に誘ってくれるこの一曲なのだ。
『涙を連れて旅に出ようか』は、痛んだ心にかさぶたが出来た頃に、いつもそっと包んでくれる歌だ。そしてさらに時が経って、若い頃の痛みとは違う経年の「傷み」も感じるような年頃になって、改めて沁みるようにもなった。今また同じ傷みを抱えている誰かのことも想う。「そんな心境」のシンパシーを感じる。孤独の痛み、傷みの共感、そんなことを併せながら聴いている。
この歌は、聴く人、歌う人、演奏する人、関わる人みんなに優しい伊勢正三ラブソングのド真ん中にある歌だと思う。どうしてライブで全然やらなかったのか(私が行けてないだけかもしれませんが)、ずっとステージで聴きたいと思いながら何十年も待ってしまった。もったいないなぁといつもさみしく思っていましたヨShoyan。
・・・
『星の足跡』で前述したこともあるが、昔、Shoyanが休んでいた頃、私はずっと独りだった。信じたものから放置されていた。 今思えば私が生意気だったのかもしれない。私を孤立させた年上の人たちはそんなトコロが気にくわなかったのかな・・・。でも一番哀しかったのは自分が信じた対象が無邪気にその他人の悪意に取り込まれて、私のことがわからなくなってしまったことだった。
許せるものと
赦せないものの違い
かな・・・
と、そのあたりのイミフメイなことは沢山書いても面白くないし、歌に関係ないので詳しくは書かないケド・・・
(その割にはよく出てくるんですがこの話題(笑))。
でも、あの時にShoyanの歌がなかったら、Shoyanが93年に復活して新しい歌を歌ってくれなかったら、私の"独り"はどうなっていたのだろう、と今想う。きっと孤独と真正面から闘ってしまって、勝てない自分を憎んでしまったのではないかと思う。きっと"本当の私"は討ち死にしていただろうと思う、それは本当に怖いことだった。
「独りでもいいんだよ」
まだ黒いサングラスで完全防備だった新しいShoyanが、あの頃新しい歌に込めて無言で導いてくれた道は、私にはそう聴こえた。
誰かと一緒にいるためには独りでいてこそなのだと。そして、不揃いな互いのピースをくっつけ合うのは「涙」という接着剤なのだと・・・
でも"独りのピース"をもてあましそうな時(=辛いとき)は、ちょっと旅に出るのもいいじゃない♪って・・・抱えきれない涙を逆に「伴」として、そこを離れて本当にひとりになってごらん、そうしたらもう一人の自分がそばにいるって気付けるよ、って。
(そしてそれは「二人は一つ」に繋がってゆくのだけれど)
この歌をシングルカットした当時のShoyanの心意気を感じるし、こんなにあたたかい歌が出来たことはShoyanの音楽の新たな最充実を感じた。当時の壊れた私を両手でガッシリ受け止めてくれた大きな歌だったと、ずっと指切りのように大切に想う歌です。
・・・
50thのプレゼントエディション版の『涙を連れて旅に出ようか』を今聴くということは、まさに「若すぎたあの頃を捜しに」ということだった。あの日のあの客席にいる自分は今より元気で、若くて、ワクワクしていた。でも、抱えている悲しみは今も変わらない。とうとう解決しないまま時が倍過ぎた。でも・・・そんな痛みも悪くない、私はこの頃からずっとその旅に出たままで、自我が放浪しているのだと思う。たった一人のまま遠い町に来たし、ゆくあてもないままだ。今若すぎた自分に再会して、涙はもう自分の一部になっちゃったなぁと照れくさく苦笑している。
でも、今この時もShoyanの歌は優しい。
この歌も"遠くに離れても"な歌だけど、やっぱりこんなに一番近い。
二人だけの季節と二人だけの海はまだここにある。
今でも愛せる、十分に愛してる。って。
と言うことは、「涙」だと思って伴ってきたものは「Shoyanの歌」そのものだったなとも想えるのだ。若すぎた自分と、だいぶくたびれた今の自分が邂逅した時、Shoyanの歌を聴く気持ちはまったく変わらずにあると今回改めて思った。 まるで"今の歌"みたいに聴こえた。風やかぐや姫を知らない自分でも、やっとそういう気持ち(自分の時間との共有)になれたと嬉しく思う。
※先日作った50th&70thトートバッグには、ポラロイドモチーフでラブリィ正やんイラストをちりばめた♪ リンクしていて嬉しかった(^^*)。自己満足(笑)
・・・
そうそう、この曲の間奏のセミアコのフレーズと音が大好きだ。これ、Shoyanご本人があのギブソンのセミアコギターで弾いてるのかな?(どう聴いても今剛氏ではなさそうと思っておるのですが) バリバリのエレキでもなさそうな、この柔らかく優しい音が大好きなのだけれども、今この94年のライブ音源を聴いてもよくわからない。当日観ているはずなのに覚えていないということは・・・?エレキは梶原順氏だっただろうか、Shoyanだったろうか?、アコギのストロークの音も聴こえるから、どちらがどちらだったのか、覚えていなくてアテにならない自分ですわ(笑)。
Saxの音で何処までも誘ってくれる、エンディングの長いノリノリな感じが眩しい。あの日の溌剌さを届けてくれる、忘れてた輝きに会うために・・・何度でも聴こう。
こういう"ずっと好きなキモチ"が、またカラメルソースになりそうなほど煮詰まってきた。
・・・
『星の足跡』で前述したこともあるが、昔、Shoyanが休んでいた頃、私はずっと独りだった。信じたものから放置されていた。 今思えば私が生意気だったのかもしれない。私を孤立させた年上の人たちはそんなトコロが気にくわなかったのかな・・・。でも一番哀しかったのは自分が信じた対象が無邪気にその他人の悪意に取り込まれて、私のことがわからなくなってしまったことだった。
許せるものと
赦せないものの違い
かな・・・
と、そのあたりのイミフメイなことは沢山書いても面白くないし、歌に関係ないので詳しくは書かないケド・・・
(その割にはよく出てくるんですがこの話題(笑))。
でも、あの時にShoyanの歌がなかったら、Shoyanが93年に復活して新しい歌を歌ってくれなかったら、私の"独り"はどうなっていたのだろう、と今想う。きっと孤独と真正面から闘ってしまって、勝てない自分を憎んでしまったのではないかと思う。きっと"本当の私"は討ち死にしていただろうと思う、それは本当に怖いことだった。
「独りでもいいんだよ」
まだ黒いサングラスで完全防備だった新しいShoyanが、あの頃新しい歌に込めて無言で導いてくれた道は、私にはそう聴こえた。
誰かと一緒にいるためには独りでいてこそなのだと。そして、不揃いな互いのピースをくっつけ合うのは「涙」という接着剤なのだと・・・
でも"独りのピース"をもてあましそうな時(=辛いとき)は、ちょっと旅に出るのもいいじゃない♪って・・・抱えきれない涙を逆に「伴」として、そこを離れて本当にひとりになってごらん、そうしたらもう一人の自分がそばにいるって気付けるよ、って。
(そしてそれは「二人は一つ」に繋がってゆくのだけれど)
この歌をシングルカットした当時のShoyanの心意気を感じるし、こんなにあたたかい歌が出来たことはShoyanの音楽の新たな最充実を感じた。当時の壊れた私を両手でガッシリ受け止めてくれた大きな歌だったと、ずっと指切りのように大切に想う歌です。
・・・
50thのプレゼントエディション版の『涙を連れて旅に出ようか』を今聴くということは、まさに「若すぎたあの頃を捜しに」ということだった。あの日のあの客席にいる自分は今より元気で、若くて、ワクワクしていた。でも、抱えている悲しみは今も変わらない。とうとう解決しないまま時が倍過ぎた。でも・・・そんな痛みも悪くない、私はこの頃からずっとその旅に出たままで、自我が放浪しているのだと思う。たった一人のまま遠い町に来たし、ゆくあてもないままだ。今若すぎた自分に再会して、涙はもう自分の一部になっちゃったなぁと照れくさく苦笑している。
でも、今この時もShoyanの歌は優しい。
この歌も"遠くに離れても"な歌だけど、やっぱりこんなに一番近い。
二人だけの季節と二人だけの海はまだここにある。
今でも愛せる、十分に愛してる。って。
と言うことは、「涙」だと思って伴ってきたものは「Shoyanの歌」そのものだったなとも想えるのだ。若すぎた自分と、だいぶくたびれた今の自分が邂逅した時、Shoyanの歌を聴く気持ちはまったく変わらずにあると今回改めて思った。 まるで"今の歌"みたいに聴こえた。風やかぐや姫を知らない自分でも、やっとそういう気持ち(自分の時間との共有)になれたと嬉しく思う。
※先日作った50th&70thトートバッグには、ポラロイドモチーフでラブリィ正やんイラストをちりばめた♪ リンクしていて嬉しかった(^^*)。自己満足(笑)
・・・
そうそう、この曲の間奏のセミアコのフレーズと音が大好きだ。これ、Shoyanご本人があのギブソンのセミアコギターで弾いてるのかな?(どう聴いても今剛氏ではなさそうと思っておるのですが) バリバリのエレキでもなさそうな、この柔らかく優しい音が大好きなのだけれども、今この94年のライブ音源を聴いてもよくわからない。当日観ているはずなのに覚えていないということは・・・?エレキは梶原順氏だっただろうか、Shoyanだったろうか?、アコギのストロークの音も聴こえるから、どちらがどちらだったのか、覚えていなくてアテにならない自分ですわ(笑)。
Saxの音で何処までも誘ってくれる、エンディングの長いノリノリな感じが眩しい。あの日の溌剌さを届けてくれる、忘れてた輝きに会うために・・・何度でも聴こう。
こういう"ずっと好きなキモチ"が、またカラメルソースになりそうなほど煮詰まってきた。
少し冷ましてパリパリになった頃、ほろ苦く、今のShoyanにまた逢いたい・・・
そして、本当に、、、永い永い"旅する二人"でありたいと再確認するような歌なのだ。
追:
当時、シングルで発売されるとイメージビデオ的なものも作成されて、テレビCMもオンエアされていましたね。確か深夜の番組(トゥナイトとか11PMとか?)内でのCMで、何度かビデオ録画にチャレンジしたものでした。ショートバージョンとロングバージョンがあって、行き交う人波の中に佇む黒っぽいShoyanとその横顔がカッコ良かったなぁ(*´∀`)。
長い時を経て、今は再びの真っ黒グラサン期に移行されたけれど、またどこかに旅に出られているような気がしてならない・・・
お帰りを待つか、後を追って出立するか、いやいや、またどこかの町角で偶然の店先で遇えるような、、、
まずは自分の旅をゆこうではありませんか(*´ω`)。
そして、本当に、、、永い永い"旅する二人"でありたいと再確認するような歌なのだ。
追:
当時、シングルで発売されるとイメージビデオ的なものも作成されて、テレビCMもオンエアされていましたね。確か深夜の番組(トゥナイトとか11PMとか?)内でのCMで、何度かビデオ録画にチャレンジしたものでした。ショートバージョンとロングバージョンがあって、行き交う人波の中に佇む黒っぽいShoyanとその横顔がカッコ良かったなぁ(*´∀`)。
長い時を経て、今は再びの真っ黒グラサン期に移行されたけれど、またどこかに旅に出られているような気がしてならない・・・
お帰りを待つか、後を追って出立するか、いやいや、またどこかの町角で偶然の店先で遇えるような、、、
まずは自分の旅をゆこうではありませんか(*´ω`)。
スイスの選手、スノーボードにはギターに三日月と星のデザイン!
私もボードの裏に『Shoyan LOVE』と描いてハーフパイプで技を決めてみたいっす!( ゚∀゚)o彡°
寒いのに熱い、こういうキモチ大事だなと、久々に心踊りました。
私もボードの裏に『Shoyan LOVE』と描いてハーフパイプで技を決めてみたいっす!( ゚∀゚)o彡°
寒いのに熱い、こういうキモチ大事だなと、久々に心踊りました。
その、伊勢正三50年のキャリアの中で、一番アコースティックから離れそうになったのがアルバム『HalfShoot』かな?
電話したら出ないので、(もしくは傍の公衆電話から?)、その窓の下まで訪ねていってあかりのついている窓を見て在宅確認して悶々としてるなんて、なんというストーカー行為(^^;)
だけど、これがストーキングではないのは、そこに"せつなさ"があるからだ。
「会えない日」も「会える時」も、いつも昂ぶって・・・一歩違えば恋愛感情は、欲望や憎しみや刃傷沙汰になる。三つ先の信号が気になるほど心は逸ってしまう。
でも、そのパワーを制御するのは他でもない、嫌われ者の"せつなさ"や"やるせなさ"だ。
傷つきたくないからとマイナスイメージのせつなさを遠ざけていては、甘いだけの炭酸飲料のような恋しか出来ない。 炭酸が全部抜けたらお払い箱になってしまう。
実体のない錯覚で終わってしまうから、乱暴な行為や節度のない行為に移行しやすくなる・・・なんのための恋心なのか。
このあたりのモヤモヤ、収拾のつかなさ、もどかしさ、を多方面から追及して解釈していってくれるから私はShoyanの歌が好きなのです。永く好きなのです。
・・・
この彼、このあとどうするのかな。
がむしゃらに揺さぶって、栓を開けたら全部吹きこぼれるか、それとも、彼女の時の流れが瓶内二次発酵して落ち着くのを待つのか・・・?
この歌はまるで書き出しだけで止まっている小説のようだ。まさに"Half"な感じ。でも、ずっと気になってしまう、短いジングルのように・・・
一時期、この歌もBossaアレンジでサクっと演って欲しいなって想っていた。ロマンチックなメロディに似合うと想ったんだ。そうしたらもう少し深い感情や彼女の輪郭が見えてくるのではないかと思っていたのだ。
でも、やはりストーリーが短いかも?
続編は他にあるカンジだよネ♪
Shoyanの素描のような一曲だ。
♪キャッチフォーン~の"フォーン"の音が好き。
始まりと終わりの音が変わってしまうこの曖昧さが好きだ。
・・・
♪~woo 君を取り囲む世界はとても速く見える
この彼女の周囲には沢山の人の影。
そんな時は、関わる人みんなの時間が合流して激しくぶつかり合う。その"時間たち"は滝のように流れ落ちて一度に色んなものを運んでいってしまう。
激流の中で見失うものもあるけど、そのスリリングな感覚から抜け出せないのも事実・・・。
仕事でも、恋でも、つるむのが好きな華やかな彼女?
頭も良くてコミュ力が高くてキレる女性なのかな?居留守を使えるこなれたメンタルのヒト。
川べりの納涼床で軽やかに涼む絽の着物美人みたいに、宴の中の遠い姿。
一方、彼の岸辺目線はもどかしく、橋もない、小舟もない、彼女の中洲までは足元もおぼつかない。時の流れ初心者だろうか?踏み出して膝下までの水深でさえすでに前にも進めず、かといって引き返せず・・・恋の奔流で立ち尽くしている感がある。
先へ先へと急ぎすぎて、みなアクセルを踏みすぎてそれでもつっかえて、瞬きしているテールランプが溢れる都会の時流。
時の流れが違うもの同士は相容れない。
これも、相性の一種なのかもしれない。
八面六臂の彼女を射止めるのは・・・今は無理かも、と傍観者は息をつくのです。
でも、そんなムリ目の女性ほど、心惑わされ、そそられるんだよね。
(´∀`)オトコッテ オトコッテ・・・夢ヲ見テイルノ
『白いシャツの少女』や『夜のFM』が最近私をこのあたりに誘うのです。
電話したら出ないので、(もしくは傍の公衆電話から?)、その窓の下まで訪ねていってあかりのついている窓を見て在宅確認して悶々としてるなんて、なんというストーカー行為(^^;)
だけど、これがストーキングではないのは、そこに"せつなさ"があるからだ。
「会えない日」も「会える時」も、いつも昂ぶって・・・一歩違えば恋愛感情は、欲望や憎しみや刃傷沙汰になる。三つ先の信号が気になるほど心は逸ってしまう。
でも、そのパワーを制御するのは他でもない、嫌われ者の"せつなさ"や"やるせなさ"だ。
傷つきたくないからとマイナスイメージのせつなさを遠ざけていては、甘いだけの炭酸飲料のような恋しか出来ない。 炭酸が全部抜けたらお払い箱になってしまう。
実体のない錯覚で終わってしまうから、乱暴な行為や節度のない行為に移行しやすくなる・・・なんのための恋心なのか。
このあたりのモヤモヤ、収拾のつかなさ、もどかしさ、を多方面から追及して解釈していってくれるから私はShoyanの歌が好きなのです。永く好きなのです。
・・・
この彼、このあとどうするのかな。
がむしゃらに揺さぶって、栓を開けたら全部吹きこぼれるか、それとも、彼女の時の流れが瓶内二次発酵して落ち着くのを待つのか・・・?
この歌はまるで書き出しだけで止まっている小説のようだ。まさに"Half"な感じ。でも、ずっと気になってしまう、短いジングルのように・・・
一時期、この歌もBossaアレンジでサクっと演って欲しいなって想っていた。ロマンチックなメロディに似合うと想ったんだ。そうしたらもう少し深い感情や彼女の輪郭が見えてくるのではないかと思っていたのだ。
でも、やはりストーリーが短いかも?
続編は他にあるカンジだよネ♪
Shoyanの素描のような一曲だ。
♪キャッチフォーン~の"フォーン"の音が好き。
始まりと終わりの音が変わってしまうこの曖昧さが好きだ。
・・・
♪~woo 君を取り囲む世界はとても速く見える
この彼女の周囲には沢山の人の影。
そんな時は、関わる人みんなの時間が合流して激しくぶつかり合う。その"時間たち"は滝のように流れ落ちて一度に色んなものを運んでいってしまう。
激流の中で見失うものもあるけど、そのスリリングな感覚から抜け出せないのも事実・・・。
仕事でも、恋でも、つるむのが好きな華やかな彼女?
頭も良くてコミュ力が高くてキレる女性なのかな?居留守を使えるこなれたメンタルのヒト。
川べりの納涼床で軽やかに涼む絽の着物美人みたいに、宴の中の遠い姿。
一方、彼の岸辺目線はもどかしく、橋もない、小舟もない、彼女の中洲までは足元もおぼつかない。時の流れ初心者だろうか?踏み出して膝下までの水深でさえすでに前にも進めず、かといって引き返せず・・・恋の奔流で立ち尽くしている感がある。
先へ先へと急ぎすぎて、みなアクセルを踏みすぎてそれでもつっかえて、瞬きしているテールランプが溢れる都会の時流。
時の流れが違うもの同士は相容れない。
これも、相性の一種なのかもしれない。
八面六臂の彼女を射止めるのは・・・今は無理かも、と傍観者は息をつくのです。
でも、そんなムリ目の女性ほど、心惑わされ、そそられるんだよね。
(´∀`)オトコッテ オトコッテ・・・夢ヲ見テイルノ
『白いシャツの少女』や『夜のFM』が最近私をこのあたりに誘うのです。
※この頃に"キャッチフォーン"という単語を使うなんて、「ナウい」と思いました(*´∀`)。風の途中頃からユーミンなどの歌を引き合いに出して、横文字を意識的に使う試みについておっしゃっていたけれど、この歌の場合はかなり意識的にはめ込んでいる感じで、短めの歌の中に沢山使用されているのが面白いなと思うのです。
♪何から伝えればいーいのか
分からないまま時は流~れて
って、それ他人の歌やん!!(-_-)と
自分にツッコミを入れる余裕が出てきました(笑)
脳ミソが炭化する決算がひと段落して
ちょっと店も休業(家人が副職中)で
ちょっと違う日常の中にいます
本当はShoyanの歌を聴かずに(聴けずに)、ビル・エヴァンスばかり狂ったように聴いていました(笑)。全然JAZZは解りません、で解らないから無心になれました。言葉のある音楽は時に切なすぎて聴けないことがあります・・・ぶらぶら散歩してきたような気分です。
・・・
アコースティックギターマガジンも読みました
べるがのあたりの記事で涙出そうでした
バースディライブの貴重な写真が載っていて嬉しかった、、、ケド、小さいねん!!!うちら老眼やねん!もっとでっかくShoyanのアップ載せてや!とブチブチ言ったりしましたが、クボヤンのギターが今になってあんなに大きく取り上げられていて、、もっと早くに取り上げて欲しかったナと思ったりもしました。
さて、久しぶりにキーボード叩いたら調子出てきたぞ!?ということで、また明日!
分からないまま時は流~れて
って、それ他人の歌やん!!(-_-)と
自分にツッコミを入れる余裕が出てきました(笑)
脳ミソが炭化する決算がひと段落して
ちょっと店も休業(家人が副職中)で
ちょっと違う日常の中にいます
本当はShoyanの歌を聴かずに(聴けずに)、ビル・エヴァンスばかり狂ったように聴いていました(笑)。全然JAZZは解りません、で解らないから無心になれました。言葉のある音楽は時に切なすぎて聴けないことがあります・・・ぶらぶら散歩してきたような気分です。
・・・
アコースティックギターマガジンも読みました
べるがのあたりの記事で涙出そうでした
バースディライブの貴重な写真が載っていて嬉しかった、、、ケド、小さいねん!!!うちら老眼やねん!もっとでっかくShoyanのアップ載せてや!とブチブチ言ったりしましたが、クボヤンのギターが今になってあんなに大きく取り上げられていて、、もっと早くに取り上げて欲しかったナと思ったりもしました。
さて、久しぶりにキーボード叩いたら調子出てきたぞ!?ということで、また明日!
私は静かにShoyanの歌と対話したいのだ
ひっそり、独りだけで愛し合いたいのだ
最近界隈がチョット騒がしい気味で
萎える感じもある
一歩二歩下がっていたい
渦中の人って案外その中にはいなくて
渦の外にいたりする
私は自分の中で伊勢正三を聴いていたい
そしてそれは誰の胸にも…♪
ひっそり、独りだけで愛し合いたいのだ
最近界隈がチョット騒がしい気味で
萎える感じもある
一歩二歩下がっていたい
渦中の人って案外その中にはいなくて
渦の外にいたりする
私は自分の中で伊勢正三を聴いていたい
そしてそれは誰の胸にも…♪
https://www.oricon.co.jp/news/2221912/full/
Shoyanの晴雪の空みたいなブルーのシャツが素敵ですね
泣きそう(*´ω`*)
シャツに合わせてかShoyanだけブルーのマスクも素敵
でもジャケットの中はまた LOVELESS!(゚∀゚)
もう少しおヒゲ伸ばせばいいのになぁとか思うんですけど、、、もちゃもちゃしない程度に?
ともかくお姿も拝見できて嬉しい朝でありました
Shoyanの晴雪の空みたいなブルーのシャツが素敵ですね
泣きそう(*´ω`*)
シャツに合わせてかShoyanだけブルーのマスクも素敵
でもジャケットの中はまた LOVELESS!(゚∀゚)
もう少しおヒゲ伸ばせばいいのになぁとか思うんですけど、、、もちゃもちゃしない程度に?
ともかくお姿も拝見できて嬉しい朝でありました
正直、今日の国際フォーラムは見通しも立たないのに行く気にはなれず、チケットも買ってはいなかったのです。普段だったらとっても聴きたかったステージなのになあと残念な気持ちです。
どうなるんでしょうオミクロン。でも早めに落ち着いてくるのかなとも思うし、そんな中で出た5月渋谷の告知!その頃には東京落ち着いてるといいなあ。でもむしろ次の波とかヤメテ〜(;´∀`)。
こちらは正直行きたいですね♪
新しいライブの予定が出てちょっと安堵しています。やっぱりまだまだ歌ってもらいたいです。
現役の今のナウな(笑)伊勢正三に逢いたい。
自分的にはやっと年が明けたような気持ちでいます。
ご無沙汰気味ですがお許しください、もう少し作業してきます。
※しかし去年の葛飾小平は奇跡的なタイミングだったなぁ(*´ω`*)
どうなるんでしょうオミクロン。でも早めに落ち着いてくるのかなとも思うし、そんな中で出た5月渋谷の告知!その頃には東京落ち着いてるといいなあ。でもむしろ次の波とかヤメテ〜(;´∀`)。
こちらは正直行きたいですね♪
新しいライブの予定が出てちょっと安堵しています。やっぱりまだまだ歌ってもらいたいです。
現役の今のナウな(笑)伊勢正三に逢いたい。
自分的にはやっと年が明けたような気持ちでいます。
ご無沙汰気味ですがお許しください、もう少し作業してきます。
※しかし去年の葛飾小平は奇跡的なタイミングだったなぁ(*´ω`*)
プロフィール
HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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検索窓的な♪
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