Nanashiのものろーぐ
こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。
何も考えずにただ好きでいたい。
思いつめて絡まった気持ちから離れて、ふと還ってみたくなるような柔らかい曲だ。
その"シャワー・ルーム"とは?
彼が独りで過ごす部屋の日常の一部。
水滴の音は去った彼女が使ったあとのものではなく、、、今はやはり彼の生活の音でしかない。
二人でいる時には、何気ない会話やテレビや食事をとる音に隠れて聞こえなかった、"静けさ=孤独"からのノック音なのだ。
昔、思春期に聴いて始めの頃は、「シャワー=肉体関係の証だった?」などと、スゴク単略的に思ったりもしていたが(汗)、それにしては薄いリレイションだなって、大人になるにつれ視点が移っていった。
ここでの過ぎ去った想い出は「むなしい」ものなのが哀しい。美しく甘い永遠には出来なかったのだ。一度きりのものか、生活と呼ぶほどの長い期間かわからないけど、過ぎてしまうとどんな時間も一瞬と変わらない。
どこかでふいに遇っても、本心を言わないではぐらかすような女性。なのに、そのやさしさと気まぐれですぐに翻弄されてしまう。その「やさしさ」は曲者なのだと思えない、『小さな約束』と同じ?男の持つある種の"役に立たない純粋さ"がここにすでにアル。残り火にまだ追加したい男心と、吹き消そうと尖らせるクチビルでそれを粉々にしてしまう女の残酷さが潜んでいる気がする。
・・・
「今、誰かといるの?」
「戻って来る気ない?」
と、問うてみたい心を強がりだけで我慢してしまう、スルー体質がもどかしいけれど、それが優柔不断ではなく、Shoyanの甘いメロディーの筆致と声で、切なく感じるからタマラないのだ。登場人物のほろ苦いありさまを、聴き手は甘く感じてしまう。ORANGEらしい一曲であります。
※その彼女"あんな奴"は、"そんな奴"なんだからとっとと切り替えればいいのに、と、同性としては傍で想うのですが・・・そうはいかないオトコゴコロ(^^;)。
・・・
この頃1980年代の伊勢正三の楽曲を好きな人・親しんでいる人は、きっと自分だけのShoyanの歌と個と個の対話をしていて、とても親密で濃密な想いを抱えているんじゃないかな。
特にこの『シャワー・ルーム』は、そんな静かな対峙を持つことが出来る歌だと思う。片手掛けのクラシックなカウチソファにもたれて眠るような心地よさがある。
ORANGEという動静のハッキリしたアルバムの中にあってこそ、より一層の凪スポットになっている。このような孤独の風景はラブソングの影のようなもので、そこからも沢山の名曲が生まれてくる。むしろ私がシンパシーを感じるのはそちらが源流な気もするのだけれど、『シャワー・ルーム』は『冬京』や『水槽の街』『さよなら以外に』などの濃度まで煮詰める一歩手前の、このライトな口あたりも大好きだ。それこそ"書きかけの小説"のようで、せわしない日常のふと立ち止まった時に触れたいと思う。
『マイタイ・ラララ』『シャワー・ルーム』『色褪せた日々』の"宵闇アンニュイ三部作"は伊勢正三ソロ曲の原風景のようで、何十年も経った今でもどこか遠い憬れだったりする。
イントロから佐藤準氏が弾くピアノは銀食器をテーブルセッティングをするような、丁寧なタッチで胸の中の水面を揺らす。後半のストリングスの重なりが、増してゆく夕闇のように包んで美しい。伊勢正三の曲の中で一番美しいストリングスアレンジなのじゃないかと思えるほどで、エレガントで宝物の音がする。ラスト、転調で終わる際に我に還る感もいい。今聴けば懐かしく、十代の迷える自分の想い出と共に、抱えているものをちょっと置いて一息入れる感じて聴ける曲だ。
こんな・・・心が荒びそうな昨今、穏やかだったあの時代を懐かしく振りかえることで、自分を暖めていけたらと想う。
思いつめて絡まった気持ちから離れて、ふと還ってみたくなるような柔らかい曲だ。
その"シャワー・ルーム"とは?
彼が独りで過ごす部屋の日常の一部。
水滴の音は去った彼女が使ったあとのものではなく、、、今はやはり彼の生活の音でしかない。
二人でいる時には、何気ない会話やテレビや食事をとる音に隠れて聞こえなかった、"静けさ=孤独"からのノック音なのだ。
昔、思春期に聴いて始めの頃は、「シャワー=肉体関係の証だった?」などと、スゴク単略的に思ったりもしていたが(汗)、それにしては薄いリレイションだなって、大人になるにつれ視点が移っていった。
ここでの過ぎ去った想い出は「むなしい」ものなのが哀しい。美しく甘い永遠には出来なかったのだ。一度きりのものか、生活と呼ぶほどの長い期間かわからないけど、過ぎてしまうとどんな時間も一瞬と変わらない。
どこかでふいに遇っても、本心を言わないではぐらかすような女性。なのに、そのやさしさと気まぐれですぐに翻弄されてしまう。その「やさしさ」は曲者なのだと思えない、『小さな約束』と同じ?男の持つある種の"役に立たない純粋さ"がここにすでにアル。残り火にまだ追加したい男心と、吹き消そうと尖らせるクチビルでそれを粉々にしてしまう女の残酷さが潜んでいる気がする。
・・・
「今、誰かといるの?」
「戻って来る気ない?」
と、問うてみたい心を強がりだけで我慢してしまう、スルー体質がもどかしいけれど、それが優柔不断ではなく、Shoyanの甘いメロディーの筆致と声で、切なく感じるからタマラないのだ。登場人物のほろ苦いありさまを、聴き手は甘く感じてしまう。ORANGEらしい一曲であります。
※その彼女"あんな奴"は、"そんな奴"なんだからとっとと切り替えればいいのに、と、同性としては傍で想うのですが・・・そうはいかないオトコゴコロ(^^;)。
・・・
この頃1980年代の伊勢正三の楽曲を好きな人・親しんでいる人は、きっと自分だけのShoyanの歌と個と個の対話をしていて、とても親密で濃密な想いを抱えているんじゃないかな。
特にこの『シャワー・ルーム』は、そんな静かな対峙を持つことが出来る歌だと思う。片手掛けのクラシックなカウチソファにもたれて眠るような心地よさがある。
ORANGEという動静のハッキリしたアルバムの中にあってこそ、より一層の凪スポットになっている。このような孤独の風景はラブソングの影のようなもので、そこからも沢山の名曲が生まれてくる。むしろ私がシンパシーを感じるのはそちらが源流な気もするのだけれど、『シャワー・ルーム』は『冬京』や『水槽の街』『さよなら以外に』などの濃度まで煮詰める一歩手前の、このライトな口あたりも大好きだ。それこそ"書きかけの小説"のようで、せわしない日常のふと立ち止まった時に触れたいと思う。
『マイタイ・ラララ』『シャワー・ルーム』『色褪せた日々』の"宵闇アンニュイ三部作"は伊勢正三ソロ曲の原風景のようで、何十年も経った今でもどこか遠い憬れだったりする。
イントロから佐藤準氏が弾くピアノは銀食器をテーブルセッティングをするような、丁寧なタッチで胸の中の水面を揺らす。後半のストリングスの重なりが、増してゆく夕闇のように包んで美しい。伊勢正三の曲の中で一番美しいストリングスアレンジなのじゃないかと思えるほどで、エレガントで宝物の音がする。ラスト、転調で終わる際に我に還る感もいい。今聴けば懐かしく、十代の迷える自分の想い出と共に、抱えているものをちょっと置いて一息入れる感じて聴ける曲だ。
こんな・・・心が荒びそうな昨今、穏やかだったあの時代を懐かしく振りかえることで、自分を暖めていけたらと想う。
※このアルバムのインナースリーブには、若きShoyanのドアップのポートレート写真が使われていて衝撃なのだけども、その目ヂカラの真っ直ぐさに気押されて容易に近づけない。 いつかその頬に・・・と思いつつも、直視できなくて赤面で終始してしまうのであった(*´▽`)ワー 妄想捗る~♪
プロフィール
HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。
☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!
☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
このブログサーバーが落ちて表示されない場合は↑に避難しています。
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無題
シャワールームとなりますとコメントせずにはおれなくて、、(^^;;
マイタイ・ラララとシャワールームは大好きな曲の1位2位なのですヨ♡
♪あんな奴と思っても〜 の辺りでいつももう・・あかんのデス( ; ; )
いっぱい語りたいのですが、またいつかゆっくりと時間がある時に、できればグラス片手に語り合いたいというのが夢です。
またね♪いつかきっとね(๑˃̵ᴗ˂̵)
無題
ほんに、、早くグラス片手に一晩中語りまくりたいですね。マイタイとコルクも緩めのワインで♪ 酒も語りもキリがないぞ(笑)。近いうちに必ずや!です。