Nanashiのものろーぐ

こっそり言いたい放題ブログです。伊勢正三的LoveSongの世界に浸るココロミ&more&迷走必至(´∀`) ※無断転載・引用はおことわりいたします。

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といっても()であります。歌の内容に関しては今日は書かずに・・・


ここでは普段、いかに自分がその曲を想っているかということを書こうと思っていますが、今回は逆に自分で掴めなかったもどかしさを書いてみようと思います。


・・・


この歌を初めて聴いたのは1982年頃だと思うのだけど、1975年の風のシングルヒットから7年しか経っていないのに、その時点でこうした”叙情的なフォークソング”色の歌は私達中学生にとってはすでにとても古い歌に思えた。


それは私個人の問題なのだが、自分が音楽を聴き始めた頃はちょうどアイドル達や荒井由実ではないユーミン、サザン、八神純子氏や寺尾聰氏、すでに垢抜けたオフコースのシングルなどが世を賑わせていた頃だったので、このかぐや姫の三階建の詩や風の長髪ジーンズ&ロンブーのフォークの世界は江戸時代と明治時代くらいの激変に思えたのでした。
(14歳時の素直な印象なんです。風の後期の色っぽさや、ソロでリアルタイムにAORに挑戦していたShoyanに気づくのはまだ先なので、この未熟な第一印象どうぞお許しください 泣)


その頃の世の中は、青春時代はここまで・社会人になったら大人の世界!という明確な境界線というか、大きな線引きがあったような気がする。だからティーンエイジャー(学生時代)の頃に聴いていた曲は社会に出たら卒業しなくちゃいけない・みたいな風潮がなきにしもあらず。子供時代の感性のままのオタク心を持ち続けて表に出している人はまだそんなにいなかったと思うのだ。


(これまた個人の勝手な記憶とイメージですが)


だから、、、
その頃の青春を生きた人たちの想い出の一曲に対する思い入れって凄まじいものがあったのではないだろうかと今思う。それによってまた余計にこの歌に一種の孤高さを私は感じてしまうのだ。


・・・


実は私思うに、伊勢正三ファンの中ではむしろ、『なごり雪』より風の『22才の別れ』に思い入れや思い出が深い人が多いのではないか?という印象がある。だからこの歌は絶対に外せないし、正ヤンのフラッグシップ曲であると常に思っています。


けれど、こんな事を言うとまた真正面から鉄槌を食らわされそうですが、実は、、、

私にとってはこの歌は一番”伊勢正三らしくない”歌のような気がして、いつも聴く度にショーケースの中の特別展示品を拝見している気持ちになっていたのです。代表作なのに遠い気がして・・・


それは私の時間が違いすぎるからなのか、感性が違いすぎるからなのかワカラナイのですが、伊勢正三のコア部分なのに私には通り抜けてしまう感触が長きにわたってありました。


Shoyanの実験的な試みとか、寝かせて仕込んできた言葉とか、独自の角度のカメラワークとか、そうした今現在は完全に熟成された”感性力”のニュアンスが、この歌はまだ未遂な気がして、それまでの作詩だけの曲とも違う、あまりにもストレートな”意識して書いた感”が顕著に思えて、他と一線を画す感じなのであります。


でもだからヒットしたとも言える!?モチロンだ!と。一番最初に作詞作曲した歌ですものね!素直な直球が最強なのかもしれません・・・


2大巨頭の『なごり雪』と『22才の別れ』には、”無意識”と”顕在意識”・”生まれた曲”と”作られた曲”の違いはあるような気がする。


(近年中でも最高生意気な意見、平にご容赦下さい)


・・・と、やっぱりこの歌のことを書くとこんな感じの内容になるということで何度も書いてはいつも途中でやめて引き返してきていたのだけれど、何十年もの葛藤の末に今一回ここに書いておくことにしました。


・・・


・・・


今までコンサート・テレビ出演などなど、あまりにも沢山の機会で聴き続けてきましたが、歌い方の変化やキーの変化、その度にどことなくレコード音源の印象との違和感?やズレ感?を感じることが多々あったけれど、実は最近の演奏・歌唱はものすごく万全な完成形だなって深く想い始めています。


歌や演奏のパフォーマンスももちろんだけれど、LIVE!を聴きに来る今現在のすべての聴手を納得させる感動の深い説得力がこの『22才の別れ』に今凝縮されていると感じるのです。ヒットした時点が最高だったのではなくて、この今こそこの歌は完成したのじゃないだろうか?と、心の底から偽りなく思うようになりました。


だから今この歌がとても好きだし、大切だと真っ直ぐな気持ちで想っています。


40年以上聴いてこられて、今が一番この歌を解れてると思えたし、一番好きな心で聴けています。嬉しいです。


ヒット曲の呪い(時代の呪い)が解けて、今100%伊勢正三ご自身の歌だって堂々と輝いている素晴らしい歌だって想います。


美しいギターの弦の音と、湿っぽくならない弾むシャッフル感、少しだけ不思議な言葉選び、悲しさをキラメキに変えてしまうShoyanの魔法が濃縮された、青春を葬る名曲なり・と今想っている次第です。


今のコンサートでは正座して聴く気持ちで臨む一曲です。早く次のステージで聴きたい、今のShoyanの手漉き和紙のような柔らかいお声で切なく奏でて欲しいと、とても楽しみにしている2025年令和7年の今日このごろです。



※何か自分にも心境の過渡期なのか、思いもよらぬ生意気の極致を書いてしまいました。笑止千万の乱暴な呟きをどうぞ生暖かくスルーしていただけましたら幸いです(汗)。

なんと、今日で7月も終わりだなんて・・・
一昨日からすでにツクツクボウシが鳴いているのです!私が感じている秋っぽさを蝉も感じているのかな・・・それはやはり地球の自転が速くなったからかな?(・・;

身も心も文句無しにお婆ちゃんになりつつある自分は「夏」という季節をいつまで夏として感じられるのか・という大きな課題に直面しているので、このひと夏が愛おしすぎます。

お金のかかるレジャーや楽しみからはとっくに遠ざかりましたが、花火や夏野菜や夕涼みなど感覚で得る夏を失いたくないなって思っています。

・・・

で、関係ないですが、夏うた!などとこの季節の音楽をカテゴったりしますが、昨今の音楽の聴き方としてのサブスクを利用して、よくアーティスト公式サイトやファンクラブなどの『オフィシャルプレイリスト』なんてコンテンツがあったりして羨ましく思います。

Shoyanほど楽曲の多いアーティストだったらそういうコンテンツがあっても面白そうだなと。

夏歌に限らず、

・泣きたい時
・おやすみなさい
・ギターに寄り添う
・海〜
・月が篝るラブソング
・ドライビングラブソング
・雨、雨、雨の歌
・季節を辿るとき
・珠玉の提供曲たち

などなどなど

色んな括りで色んなプレイリストが出来そうではアリませんか。

でも、、、それ誰が選曲するの?となった時に事案は頓挫しそうですね^^;

伊勢正三ファンはコダワリの深い人が多いから、生半可なプレイリストを作成してもすぐにダメ出しされそうです(笑)。

・・・でも、たまには他人の作った流れに身を任せてみるのも新しい発見があるかもしれないし、また楽な気持ちになれるかもしれない。そんなふわっとした試みがあってもよさそうだなって想います。

※でもここでいう他人とは、やはり心底伊勢正三の音楽を愛してる人であることが最低条件であります。上っ面の評論家とか音楽ライターの案件だったら要らないです。

あ、、、でもそんな感じのコンピレーションアルバム売り出してたな(笑)。

そう、そうやって企画はすぐに”売る”とかいう事になっちゃうから、誰にも平等なおカネの絡まない公式コンテンツを・と思うのです。

と、今日も静かな寮をいいことに、猛暑の中妄想はつづくのでありました (*´∀`)♪


※その前にホームドラマチャンネルで録画したプレミアムLIVEセレクションpart 2を観なくてはと思うのですが、なんだか心づもりがまだできなくて(*´Д`)・・・ドキドキ)))
先日は北海道でも気温が40℃に迫る猛暑だったそうですが、

〜命まで干乾びると
    笑いながら掻く汗を
    手のひらで払って
    へたり込む扇風機・・・(@_@;)

いやいやいや、そうじゃない
猛暑は深刻なのだ
(勝手な替え歌すみません 滝汗)



昨日、2025年7月28日は中標津〜東京羽田間の直行便が就航されて35周年だったそうです。

根室中標津空港ブログ

ということは!?
『NAKASHIBETSU』の頃は道内(丘珠・千歳)便のみだったのですね。

なんてことを今頃気づきました。

ましてや、最初の別れの場面がいつだったのかによって行き先も違う!

でも、イメージはやはりYS-11です。

・・・

『Orange Grove』のコンチネンタル航空も今はなきであります。

自分が子供だった頃に今の自分で旅行して見聞してみたい、などと空想している寝床です☆

今日も明日も何処かへ行きたいな(*´ω`*)。

久しぶりのオヤスミナサイ☆彡
今日の現場は大学の寮なのですが、すぐ近くに高校野球部の専用球場があります。朝から練習している球児たちのカキーン☆と金属バットの打撃音が響いてスゴク気持ちがいいです。

実は、甲子園出場を決めた子達なので密かに応援しています。できたら勝ち進んでほしいけれど、とにもかくにも精一杯!この激暑い中での練習の成果を出し切って欲しいと願うばかりです。

午前中の夏の雲と午後からの雷雨、まさに♪真夏の午後はクレイジーですが、午後の掃除の際にメールボックスの下にキリギリスを発見しました!Σ・ω・ いつまでキミはそこにいたのかい!?どうやらメスのキリギリスらしいです。まだ元気だったので、ちりとりで外の植え込みに放してあげました。海には連れて行ってあげられないけれど、無事に仲間と合流出来ますように。

なんとなく、年々キリギリスの声が増えている気がします。猛暑で土地が乾いてバッタ類が生息しやすくなっているのかも!?

って、なんでこんなこと昼間から打っているのか・・・夏休みで生徒が帰国しているので掃除が少し楽だからです(笑)。この春からの狂気じみた繁忙のささやかな反転、いいんです少しくらいサボっても(*´∀`)。

自分を解放してやるんです!







※↓以下、虫画像注意^^;

(めちゃ個人的な呟き)



最近、週末がちょっとさびしい・・・

土曜寅さんを観て泣いている・・・

土曜日は仕事がなくて嬉しいはずなのに、仕事がないと我に還ってしまって考えなくてもいい憂鬱が襲ってくる。(え~、七氏に憂鬱なんて縁がなさそう!と思われると思いますが(笑))

魂の置き場所がないというか、自分がどこにいるのか定まらず、蝉の声が辛い・・・
猛暑過ぎて少し風が吹くだけで秋のような気持ちになります。胸が苦しくなります。体調が拍車をかけているのかな・・・


テレビの名曲アルバムでリオデジャネイロの海や路面電車の古い街並みを見ていたら、あまりにもサウダージに溢れていて、憧れが強すぎて、いつかすべて終わったら全財産はたいてブラジルまで行ってもう帰ってこないでリオで客死してしまいたい、とか想いました。海辺のジョビン先生の像に逢えたらもう思い残すことはないでしょう。これは私の前向きな夢であります。

・・・

寅さんつながりで?昨日葛飾のチケットを発券してきましたが(今度は2ケタホール真ん中あたり♪)、今日は N 響のチケットを申し込んだり、山田パンダさんの秋のライブの予定が出たりで稼ぎはすべて音楽に費やしている感じであります。生活は苦しくても(笑)これはシアワセなことであります。


目に見えない傷は
音楽で癒す

そういうことなのだと思います。
この歌のことを書いていなかった。

この歌がシングル盤として発売されたことがShoyanの長期休養(と言っても6年ですが)の発端だったのではないかと思っている。

確か収録のアルバム『Out Of Town』の発売は当初1987/4/25の予定だった。
アルバム自体は9月発売に延期になったのだけど、その前に7月にシングルカットされたのがこの『悲しくて』だった。

実はこれまた3月に『悲しくなるほど』が発売の予定だったようだが、曲も変更になって出たのがこの歌で、待ちに待ったシングルだ!・・・と、本当に期待していた。(でもスタッフさんの方で『悲しくなるほど』と『悲しくて』を取り違えてお知らせくださったのだったらどうにもしようがないのですが^^;)

『悲しくなるほど』の方はタイトルの”悲”という文字とは裏腹に、悶とした湿り気のあるトキメキがあって、街のざわめきの一刻前の朝空に清々しい気持ちになる曲だと思うけれど、『悲しくて』の方は容赦ない本降りの雨に行き場を失うアスファルトの水溜りのような、乱暴なバシャバシャ感に胸がざわめく。このやりきれなさ・焦燥感、衝撃だった。

唸ってる!Shoyan!
がなってる!!Shoyan!!

♪限りなき 静けさの中へ 
 君の肩を抱いたまま眠れば・・・

囁くShoyanもいた。
これも裸の伊勢正三だった(と思う)。

※玉置浩二よりカッコエエ(*´ω`)

前のアルバム『HEARTBEAT』ではとことん甘い二人っきりの世界をくれたけど、何故かここでは寂しいのが気になった。
その分、余計に惹かれた。

♪Don'tStop!
   君の声が   聴きたいから・・・

と歌いつつ、当時のShoyanに私のような小さなファンの声は届かずに、、、いつしか情報もなくなり事務所的な窓口もなくなりShoyanには逢えなくなった。これだけ伊勢正三の歌曲に惹かれて感動して得るものが多くて、絶対的にこの世の中に必要であって世界的にも稀有な音楽的世界だ!って心の底から真心100%で思っていたのに、その想いを届けるすべがなくなって、表明する場も無くなって、何より、何よりShoyan御本人がそんなもの不要だと思われて避けてしまわれたのかと感じられて、これは本当に本当に悲しくて悔しい事実でありました。数十年経った今でも痛く引き摺るやりきれなさであります。

この『悲しくて』の「サイアク」というフレーズがすべてだと思う。このShoyanの逆ギレとも思える世の中へのアンチテーゼ色は、聴く者にとっても胸の傷む内容だった。いくらバブルの熟れて爛れた価値観が満ちた都会だとしても、つい数年前までその真っただ中にいらっしゃったであろうShoyanからの全否定のギャップに、聴く者の胸も乱れて、、、そして互いに距離を置いていくことに繋がったのではなかろうか。(私は絶対に食らいついていこうともがきましたが 悲)

また当時、ShoyanはアルバムPRで出演したラジオで"Out Of Town"というフレーズについて、都市と人間の生活の距離感などを色々語ってくれていたけど、Shoyanは六本木が好きなんだろうか?
キライなんだろうか?
"東京"は片想いのカノジョだったのかと・・・?

発売当時女子大生だった私はこの『悲しくて』の孤独までおそらく届かなかったと思う。なんだか、形にならない不満や不安・ジレンマを感じることは出来ても、我が事として感じるには生きてきた時間が足りなかったと、今想う。

でもしかし、今この2025年、想像もできないほど後の世になって、色んな事が逆転していると思うと感慨深い。永く永く聴き続けてきて、私自身もサイアクで悲しくてむなしいこと沢山得て、”どうにもならないこと”は”どうにもならない”と痛いほど分かって今に至る。

この令和の世ではShoyanは六本木がダイスキでいらっしゃるみたいだし♪、目には見えぬ沢山の”諦めない君たち”の声は確実にShoyanの心に届いたのではないかと思っている。今のShoyanご自身は、きっと”空しくない答え”を体感されている!と思う。そう信じている。

・・・

今でも思うことがある。

♪Don'tStop!
 君の声が もうそこまで 

どこかにこんな自分のことを待っている人がいるのではないかと、
己以外に自分のことに興味を持ってくれている人がいるのではないかと、

都会の中で行き交う人達はみんな、少なからずそんな願望を抱きながら暮らしているのではないだろうか。そんな、誰にも受け止めてもらえない孤独な思いが少しづつ滲んでるから都会はどこか切ないんだきっと・・・


この歌の"君の声"は何か悲しい予感なのだろう。
聞こえても聞こえなくても、一度何かが終わることは避けられなかったのではないだろうか。それをある意味素直に作品にして、自分の感触を敢えて残そうと実行したShoyanの頑なな意気が尊い。

このビートの効いたアレンジは大好きで、いつも聴くたびに理不尽や空しさに克つための気合が入る異色の一曲であります。

(なぜか今、リアルに響くのでした 涙)



そういえば、公式のディスコグラフィーのページを見て思い出したのですが、昔は大切なCDのケースには中にドーナツ型のクッションシールを貼ったりして特別感を演出していたりしました。(意味があったのかはわかりませんが(笑)) Out Of Townはリアルタイム盤と再発売盤と2種類のCDが発売されていますが、どちらにもクッションシールを貼って保管していました。

懐かしいな〜。
すでにCD文化もレコード並みにナツカシいものになったんですね。



下の白い盤の方が1993年に再発売されたもの。
ナゼ帯だけ2枚あるのかは謎ということで(∩´∀`)∩☆
上の1987年当時のCDには違う品番(32SD-13)が記されています。
公式のディスコグラフィーに載っているのは再発売の品番のようです。

(あ、もちろんこの他にLPレコードがあります♪)

なんだかマニアックな締めになってしまった(汗笑)

こういう、ひたすら人の心を暖めるためにあるような優しい歌はShoyanの歌の真骨頂なのではないかと想う。


初めて聴いたときからずっと大好きだ。


gardenのアルバムの中で一番安定していて、まろやかで調和がとれている佳曲だと想う。(モチロンどの曲もShoyanの思い入れをたっぷり感じる濃い曲ばかりですが)言葉の並びは一見脈絡のないようにも聴こえるし?場面がいくつもシャッフルされて実際イミフな前後関係だったりする。けれどそれが終始すると大きな調和なのが凄い。


私の妹もこのアルバムの中でこの曲が一番好き♪と言っていた。なんとなく、その感触わかるような気がする。


「私」と「君」は誰?
きっとひとりの同じもの。
紅と茜みたいに同じ色なのに違う色。
この世のそこここに点在する”さみしがりや同盟”のメンバーたちの眼差しだと思う。


なんとなく、この視点の曖昧さがどこか伝承民謡のようで、辻褄よりも言葉触り・肌触りのほうに説得力がある。


歌い出しからして


♪私は波の上をゆれてキラリと涙
 紅燃える海の月になる
 今は幻 ホロアロア


と、語り部口調のローカルなお伽噺のような導入がロマンチック。


例えばハワイの伝説や神話など詳しくないので、何かの例えなのかなとも思うのですが、入植した人たちとコーヒー農園の小さな古い町だと聞くとノスタルジックな気持ちになる(例え知らなくても)。


ハワイ島は火山島なのでとても憧れた。(噴火とかマグマとか大好き)ブラックサンドビーチにも憧れて、この歌を聴く数年前に一度、横浜にいた頃にガイドブックを買って読み込んだりした。マウナケアの星空日本語ツアーというのがあると知り、標高4000m超えの夜空を見てみたいなぁと思っていた。でも、そんな夢も個人的な事情で諦めてしまった・・・だからこの歌を聴いてとても慰められたし嬉しかった。そういう意味でもこの歌には私自身の夢も詰まっているのです。


♪想いをくりかえして私は貝になった
   ここから星のように見つめてる


ここが一番好きなフレーズ♪
貝は水底や砂の中に棲んでいるはずなのにお空の星のように見つめてる・というのが不思議な可愛い景色。
「貝になる」とは普通は「口を閉ざす」という意味でしょう?
後に出てくる「どこか生意気な君」とは別物のように思えるケド・・・
でも、舌鋒の奥底には言い表せない真心が不器用に潜んでいるのかもしれない。


それが「スキなのはなぜ」の答えなのだと想う。


(君と私は全然別の存在なのだけど、でも同一線上で考えてみても面白いので、ワタシは個人的に混ぜ込んで考えたりしてます)


・・・


海の月って、海面波間に映る月?
この『闇の夜のハネムーン』の闇ってナニ?ハネムーンてナニ?となる。


真っ暗闇=月のない夜、なのに愛し合ってるから蜜の月。


♪闇の中でも もうたじろがないで


と言われても
闇、怖い・・・
自分が闇に包まれてしまうときと
自分の中に闇が渦巻くときと
どちらも怖い。


美しい自分=理想の自分、なんてどこかに雲散霧消してしまう・・・どうしたらいいの、って不安になる。頑なに閉じる二枚貝だろうか、答えの出ない螺旋の中に逃避してしまう巻き貝だろうか・・・それはキミの自由にして♪と、Shoyanの声は優しい。貝の中に隠れて嵐が過ぎるのを待つ、か弱いこの愛をいつか捧げよう。


闇の夜のハネムーンと言いながらgardenの中には闇はなく、美しくてシアワセな真っ白な世界が拡がっていた。むしろ満月が皓々と支配するような”あきらか”な世界だったと思う。


だから当時、ここにおける”闇の中”って
本当の闇なの??ってわからなかった。


でも、眠りにつく時も闇なんだと思う。


あんなに安らぎなのに・・・
あなたの胸に顔を埋めても
目の前は何も見えない
だけど、どんな表情をしてるのか
手に取るようにわかる・・・
自分の見つめたいものだけが見えるのだ。


真っ暗闇の中で眸を凝らすような、そんな強い気持ちもやさしいキモチの裏返しなのかな・・・


新月の中で
あなたに手を引かれたら
それだけで歩いていけると
今は想っています。


・・・


"想い出"という砂の中に埋めた"人恋しさの罪"を掘り起こしてしまうのは、果たして引き潮なのか、満ち潮なのかそれはわからないけれど、Honeymoonの引力の行方はまだまだ研究の余地がある。罪のパワーと反応しちゃったら惹き合うのか、スイングバイしちゃうのか、20年以上経ってもどちらとも想えて無限だ。


”青碧のオーラ”と”闇”は異なるようで実は同じものなのかもしれない。


(結局何が言いたいのか散漫な七氏よ(笑))


Shoyanご自身、自分の作る歌には別れる歌が多いなんておっしゃるけれど、私が伊勢正三の歌を好きな理由はこういうあたたかい歌があるからです。これからもこういった甘酸っぱいホットレモネードみたいな歌を沢山作って欲しいと想いながら待っています☆


好きなキモチを素直に羅列してみました!


追:
南こうせつおいちゃんとの共作『ハネムーンの島』もハワイ島が舞台で”ワイメア”とか出てきますが、こちらはとても明瞭で弾むような曲で、バリバリの新婚賛歌ですね。Hawaiiハネムーンシリーズは日本で小さく暮らしている私にとっての夢疑似体験ソングとして憧れの世界です。


(ハワイというとやはり”憧れ”なのかと思う昭和世代(*´∀`*)♪)


あ、謎の電子音もお忘れなく(笑)!?

まったく全然関係ないのにフト、、、

以前ここで未発表曲のことを少し書いた際に引用した雪印のCM曲『未来の女神』ですが、YouTubeで”雪印 CM 伊勢正三”と検索しても出てこないのですね。
(例の違法アップロード氏のアカウントにもないみたい?(^^;))

北海道ギフトの宣伝だったので、”北海道”をキーワードに入れると辿り着けるのでした。しかも長いバージョンと短いバージョンがあるのです。長い方が曲も長く再生されています。

https://www.youtube.com/watch?v=qvjA5agNRHA
(懐かしいCMをアップしてるアカウントさん)

↑リンク貼っていないのでコピペしてください

このCM曲をお創りになった時にShoyanは「雪印の会社の担当の方がとても誠意のある方たちだったから受けたんだ」というようなお話をどこかでされていたような気がします(うろ覚え情報)。依頼する方もされる側もそんなスタンスっていいなと思います。そんな風に出来上がった曲だから今でもこんなに大切に想うのかもしれません。

※雪印乳業はその後、例の事件が発覚して雪印メグミルクとなるのですが、この時の対応の真逆のイメージに混乱した覚えがあります。 大きな会社ムツカシイ^^;

・・・と、脱線しましたが、
実はこの曲、編曲は佐藤準氏なのではないかと密かに妄想しているワタシでした。JASRACには編曲まで明記されていないのでワカラナ~イ残念(∩´∀`)∩

(編曲違う方だったらゴメンナサイ 汗)


プロフィール

HN:
No Name 七氏
性別:
女性
職業:
飲食店勤務のち遺跡発掘作業員のち学生寮管理人(いまここ)
趣味:
林道歩き・鉱物鑑賞
自己紹介:
伊勢正三ファン歴は浅いです。ソロの正やんしか知りません。行けるコンサートも少なく、ラジオ番組などは聴いたり聴かなかったりなので、既出なことも知らずに勝手なことを妄想して書いたりしています。「ものろーぐ」カテゴリの文章は最近の曲をのぞいて、以前書き溜めておいたものを手直しして載せています。

☆提供曲などに関してべいどん氏のご協力をいただきました。心から深謝いたします。ありがとう!

☆ミラーサイト(予備)
http://shoyanlove774.jugem.jp/
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